伊豆の情報、世界の名画、ジオパーク、墨象、書道などの癒しの作品を日頃の日記とともに載せています。
東京より南伊豆にきて書道を教えながら墨象というジャンルで世界に挑戦しています。ル・サロン永久会員。プラド美術館芸術家功労証会員。AMSC永久無鑑査公式認定作家。中国認定作家。日本書峯会主宰。
<読み>れいろうとしてひさかたのあめのいっぽうにたてりけるかも不尽の山れいろうとしてひさかたの天の一方におはしけるかも。<作者>北原白秋1885年(明治18年)柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家(現・白秋生家)に生まれ、1904年(明治37年)に早稲田大学に入学。学業の傍ら詩作に励み、1909年(明治42年)処女詩集「邪宗門」を発表。2年後、詩集「思ひ出」を発表。名実ともに詩壇の第一人者となります。その後も、「東京景物詩」「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの眼玉」、「赤い鳥」などの童謡集などさまざまな分野で次々と作品を発表。「雨ふり」、「待ちぼうけ」、「からたちの花」・・・。聴いたら誰もが知っている、今なお、語り継がれる作品を数多く残しています。白秋の故郷柳川への思いは強く、20年ぶりに訪問した際には感...書家・かな788/北原白秋
<記事の内容抜粋>大地の詩が聞こえる天気予報をだけをみて飛びだす撮影も実に楽しい。ふじみたいに、外れた、当たったーとその日に結果がわかるので毎日楽しめる。そして、知らない風景に出会うのも、そのくじが当たった時がほとんどなのだ。予想もしない風景に出会った時の興奮は言うまでもないが、それがまた良い写真となった時は、格別なこととなる。水の流れには、たくさんの表情があり、設定一つでいろいろな顔に変わる。きょうの場面も、設定が違うだけで全然違う写真になってしまい、掲載の写真のような顔になるには、たくさんの組み合わせの中で一つしかないのだ。ズバリ4分の1というスピードでこの迫力が出るのだ。そして、次回は、この波の原因をご紹介したい。しかも、それを知ったのも偶然の出会いだった。伊豆新聞掲載=素晴らしき日々
雨の日のテアトル・フランセ広場●1898年。カンヴァス・油彩。縦71.1x横96.5センチ。ミネアポリス・インスティチュート蔵。ルーアンの大聖堂は3年前にモネが描いたものである。しかしそれが二人にとって意味するものはまったく異なっていた。ピサロ自身次のように書いている、「モネの寺院は神秘的な魅力を与えるヴェールを画面一面にかけたような効果で描かれていた。私の▶︎ルーワン旧市街の屋根◀︎は、すべてが大空にくっきりと輪郭を描きだす灰色の天候の下で描かれている。私は本当にそれが好きなのだ。そして私には一様に曇った空の下に寺院が灰色にくっきり言えるのが満足だ。世界の名画/カミーユ・ピサロ(15)
木村松峯の店(仮)
<記事の内容抜粋>夜はちょうちん行列昭和40〜50年頃の伊東市の按針祭パレード。式典後、米海軍の楽隊を先頭に、各種団体が行列に参加した。夜は芸妓衆を中心に市民も参加したちょうちん行列。見物しようと多くの市民が道路を埋め尽くした。伊豆新聞掲載=あの頃の伊豆
<記事の内容抜粋>海岸3カ所、同時に1千発東伊豆町の稲取温泉観光協会主催の花火大会「稲取温泉花火演舞」が26日夜、稲取で開かれた。海岸3カ所から同時に約1千発を打ち上げた。花火大会は毎年開催しているが今回はコロナ禍から日数を減らしこの日と8月2日の2日間のみに決めた。問い合わせは同協会(電話0557-95-2001)へ。伊豆新聞掲載=「花火演舞」大輪の花
朝、ルーワン、波止場●1896年。カンヴァス・油彩。縦50X横60センチ。パリ、ヂュラン=リュエル画廊蔵。フォントワーズ時代以後、ピサロは新しいモチーフを求めてしばしば各地に旅行を試みている。中でも彼はルーワンをたびたび訪れ、そこで見出したさまざまなモチーフ、橋や波止場、大聖堂を繰り返し描いている。波止場がその活気に満ちた表情ー林立するマストやクレーン、吐き出される煙や蒸気ーによってピサロをひきつけたとすれば、旧市街の屋根越しみみえる大聖堂の灰色の眺めもまた彼を魅了する。世界の名画/カミーユ・ピサロ(14)
<記事の内容抜粋>恋の季節「北枕の名前にプンプン」海底の小さな生物をファインダーで覗いたとき、無防備な私の耳たぶを、キタマクラに噛まれたことがある。あまりの痛さにびっくりして海底から1メートルほど飛び上がっていた。知らないうちに、彼らの縄張りに侵入していたのかも。遺体を安置するとき、枕を北側にする。彼らの名は「このフグを食べると北枕になるぞ」と付けられたのだが、実際の毒性はそんなに強くない。彼らはこの名前が名誉毀損だと噛み付くことでアピールしているのだろうか。繁殖期になると、写真のような求愛や威嚇行為がよくみられる。伊豆新聞掲載=魚の国の知恵くらべ
<記事の内容抜粋>集落各所に100点展示南伊豆町伊浜で、海のごみを使った廃物アートが集落各所に広がっている。ブイや流木を組み合わせた色とりどりの作品が100個ほど点在する。作るのは元教職員・松本恒明さん(65)で、伊浜からごみを減らそうと願いを込め日々制作に励んでいる。2月から会員制交流サイトのインスタグラムも始め毎日、廃物アートの写真を投稿している。「活動で確実にごみは減った。次の世代に美しい海を残したい」と力強く語った。伊豆新聞掲載=海のごみで廃物アート
ラクロワ島、ルーワン、霧●1888年。カンヴァス・油彩。縦46.4X横55.6センチ。フィラデルフィア美術館蔵。1883年頃から自分の芸術に行きつまりを感じ始めていたピサロは、85年秋、スーラを諳るとすぐさま彼の理論に帰依した。しかしスーラの理論はこれまでのように直接モチーフを前にして制作することを許さず(新印象主義時代のピサロはしばしば古い作品をもとに描く)生命感と自発性を求めるピサロの内的な要求と相入れるものではありえなかった。世界の名画/カミーユ・ピサロ(13)
<記事の内容抜粋>三島市楽寿園小浜池約1万年前の富士山の噴火で流れ出した三島溶岩は愛宕山と箱根に挟まれた谷を流れ下り、三島駅周辺をはじめとする伊豆半島北部地域の台地を作り出した。楽寿園内に湧き出した水は、蓮沼川と源兵衛川の二つの灌漑水路から流れ出し、三島市や清水町の農業用水としても用いられている。伊豆新聞掲載=神々のジオ
<記事の内容抜粋>イカ焼き、かき氷も南伊豆町のNPO法人南伊豆湯の花(土屋諭理事長)は24、25の両日、道の駅・下賀茂温泉湯の花の農林水産物直売所で第6回「海産まつり」を開いた。海産物の特売や屋台で4連休の観光客をにぎやかに迎えた。活サザエを店頭に並べ、伊豆漁協商品を割引販売した。店の入り口にスタッフが屋台を出し、イカ焼きやかき氷を提供して人気を集めた。イカの口の串焼きがよく売れ、スタッフは「子どもが喜んで食べていったよ」と盛況の様子を話した。伊豆新聞掲載=盛大に「海産まつり」
井戸端の女と子ども●1882年。カンヴァス・油彩。縦81.3X横61.0センチ。シカゴ、アート・インスティチュート蔵。1880年代に入ると、これまで風景の中に小さく描かれていた人物がクローズ・アップされたかのように、これらの農婦たちが画面の中心を占めるようになる。しかし、ここでもまた彼女たちは常に大地とのつながりの中で示されるのである。これらの作品では、ほとんど常に地平線が高く、空がほとんど描かれていないばかりでなく、すべてが同一の細かな筆触で描かれていて、人間も大地も同じテクスチャーからできているかに思わせる。世界の名画/カミーユ・ピサロ(12)
<記事の内容抜粋>標高72メートル山頂まで10分伊東市岡の市立旭小の裏に広がる学校林で、標高が72.3メートルの山道が整備されており、歩いて約10分で頂上まで登れる。山頂の広場からは伊東の中心街が望め、幼稚園の遠足コースにも使われるほか、休日には弁当持参の家族も訪れる。伊豆新聞掲載=空見たことか
<記事の内容抜粋>須崎区が取り組み開始下田市須崎・爪木崎海岸の「いけんだ浜」で、「品格ある海水浴場」と新型コロナウィルス感染症対策のダブルの取り組みが始まった。運営する須崎区は、喫煙や飲酒などの規制協力を呼びかけるとともに、感染予防対策を徹底し安心安全・快適な海水浴場を目指す。同海水浴場は、8月31日まで開設する。伊豆新聞掲載=「品格」と感染防止、同時に
森の中の浴女●1895年。カンヴァス・油彩。縦60.3X横73.0センチ。ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵。ピサロは大地を愛したが大地は彼にとってそこに生きる人間と切り離すことのできないものでった。ピサロの風景に多くの場合、人物が描かれていることはそれを示している。たしかにモネの風景にもしばしば人物が描かれてはいる。しかしモネにとっては人物はそこを通りかかった偶然の一モチーフに過ぎなかったのに対して、ピサロにあっては、人物はたとえどのように小さく描かれていてもそこに生い茂る樹木と同様、風景の本質的な要素をなしている。世界の名画/カミーユ・ピサロ(11)
<釈文>おもひいれてもろなつかしきやなぎなり<作者>没年:元文3.1.2(1738.2.20)生年:明暦2(1656)江戸前・中期の俳人。大和国(奈良県)宇陀郡の人。本姓は谷氏。通称、八郎右衛門。初号則武。別号、西、才丸など。初め山本西武門、のちに井原西鶴門。延宝5(1677)年ごろ東下、同7年,『坂東太郎』を上梓、松尾芭蕉らと共に新風を推進した。元禄2(1689)年、大坂に移住し、小西来山の後ろ楯で大坂俳壇に地歩を固める。やがて同俳壇の中心人物となり、吉田了雨ら多くの門人を輩出、その勢力は近世後期にまでおよんでいます。代表句「笹折て白魚のたえだえ青し」など。書家・かな787/粋
<記事の内容抜粋>農作物、深刻な被害停滞する梅雨前線などの影響で、賀茂地区の7月の日照時間が記録的な短さになっている。南伊豆町の石廊崎観測所では25日正午までが44.8時間しかなく過去最低を更新するエースだ。農作物はトマトなどを中心に深刻な被害を受けており、直売所では出荷量の減少に苦しんでいる。同町と下田市で10ヘクタール余りの田んぼを耕作する中村さんは「受粉を済ませたわせ品種はいいが、花が今咲いている品種はわからない。稲は倒れやすく害虫も多い。きちんと水を切って稲刈りに備えなければいけない」と警鐘を鳴らした。伊豆新聞掲載=7月の日照記録的短さ
花盛りの菜園と樹、春、ポントワーズ●1877年。カンヴァス・油彩。縦65.5X横81.0センチ。パリ、印象派美術館(ルーヴル美術館附属)蔵。シスレーやルノワールがアツジャントウイユを訪れたとき、ポントワーズにしばしばやってきてピサロと一緒に絵を描いたのはセザンヌであった。ピサロの眼は光線のふるえや明るい色彩に魅せられても、決してモネのように対象の明確なフォルムを見失うことことはない。逆に彼は必ずそこに明確なフォルムを対置するのである。ピサロが建物の屋根や壁の明快な面と樹木のアラベスクの対象というモチーフを好む理由もそこにある。世界の名画/カミーユ・ピサロ(10)
<記事の内容抜粋>大地の詩が聞こえる真夏の夕方一斉に花を咲かせるのが、この"ユウスゲ"という花だ。伊豆には、季節を通してそれぞれの詩を皆んなが奏でる。浜辺で咲く花もあれば、ひっそりと山奥で咲かせる花もあるが、このユウスゲは、海の崖で、大地の詩を歌うのである。そして、黄色いその花は、夕刻の色と溶け合っては、うっすらと赤く顔を染め、その姿は、とても素晴らしく、日が暮れるまで、そばで眺めていたいと思う。ファインダーから見えたその姿は、何よりも凛と立つ一輪のユウスゲ、たしかにそこは小さな詩が流れていた。伊豆新聞掲載=素晴らしき日々
<記事の内容抜粋>「ナイトバガテル」始まる河津町の河津バガテル公園で23日夜、夏イベント「ナイトバガテル」が始まった。初日は町民約200人が来場して映像と視覚トリックを織り交ぜたプロジェクションマッピング(立体物への映像投影)を楽しんだ。一般を対象に26日までの3日間と8月1、2、8、9、10の5日間開く。午後9時半に完全閉園。午後6時以降の入園料は一般500円(税込)、小中生無料。問い合わせは同園(電話0558-34-2200)へ。伊豆新聞掲載=川津桜、花火、建物一面に
赤い屋根、村の一角、冬景色●1877年。カンヴァス・油彩。縦54.6X横65.6センチ。パリ、印象派美術館(ルーヴル美術館附属)蔵。フォントワーズ時代(1872〜82年)はピサロのもっとも充実した時代であると同時に、印象主義の成立期に当たる、同じ頃、モネは水辺のアルジャントゥイユに定住しているが、この対象はすでに象徴的である。モネが水の反映を好んだことに対して、ピサロが愛したのは大地の起伏であった。そこにはピサロの堅固な構築的感覚がはっきり表れている。世界の名画/カミーユ・ピサロ(9)
<記事の内容抜粋>大地の詩が聞こえる伊豆の朝日といえば、東海岸のどこからでも見ることができるが、風景的に面白いのは南伊豆付近が多い。撮影ツアーの時もロケーションを南伊豆に設定することがほとんどで、毎年撮影地として挙がる。そして、この日程を設定した風景写真のツアーは、実に大きなプレッシャーがかかり、どうにか最高の景色を見てもらいたいと準備するのだが、日程の1週間前にでる天気予報で天と地のほどに違う思いをするのだ。ひねくれ者の私は、朝日の光景だからこそ朝日を撮りたくないと自分だけの出会いを探しまくる。だからこそ、見られる風景が、少し人とは違うのかもしれない。伊豆新聞掲載=素晴らしき日々
<記事の内容抜粋>安全と感染防止祈る賀茂地区では23日、一部を除く海水浴場が一斉にオープンした。最大の集客を誇る下田市の白浜大浜海水浴場では早朝、ライフセーバー詰所の開所式があり、海の安全と新型コロナウィルス感染防止を祈った。下田署は同日、白浜大浜と南伊豆町の弓ヶ浜海水浴場に臨時派出所を開設した。伊豆新聞掲載=海水浴場がオープン
積藁、フォントワーズ●1873年。カンヴァス・油彩。縦46X横55センチ。パリ、ヂュラン=リュエル画廊蔵。広い空、遠い地平線、単純な風景が対照的に積藁の姿をほとんどモニュメンタルなまでに浮かび上がらせる。積藁といえば、20年後にモネが描いた有名な連作が思い出されるが、モネの関心は積藁それ自体ではなく、そこを舞台にして演じられる光の変幻きわまりないドラマにあった。しかし、そのような光の刻々の変化を追うにはピサロはあまりにも大地の人であった。世界の名画/カミーユ・ピサロ(8)
<記事の内容抜粋>恋の季節「腹部をくっつけ放卵放精」ヨメゴチは頭部が小さく、尾びれが著しく長い。砂泥地を好み、目は砂中に潜ったときでも見えるように飛び出している。口は砂中の餌を探すのに尖っている。泳ぎだすと各ヒレが開き、その姿はとても美しい。グライダーが滑走するように見える。繁殖期になるとカップルとなり、共に海面に上昇して放卵放精を行うのです。生まれた卵は舞い散り、その周辺がにぎやかになるのですよ。伊豆新聞掲載=魚の国の知恵くらべ
<記事の内容抜粋>東部特支松崎分校の生徒8人手伝い松崎町の企業組合・松崎桑葉ファーム(斉藤省一代表)は伏蔵の桑葉工場と周辺の畑で、桑の葉の収穫作業に取り組んでいる。22日は東部特別支援学校伊豆松崎分校の生徒8人も参加し、組合員やパート従業員と一緒に汗を流した。収穫した葉は主力商品「桑葉茶」に加工する。斉藤代表は「今年は新型コロナウィルスや大雨があり、どうなるかと不安だったが例年通り収穫を迎えられてよかった。生徒たちも一生懸命作業してくれて本当にありがたい」と話した。伊豆新聞掲載=桑の葉を収穫、選別
ホントワーズのエルミタージュ●1867年頃。カンヴァス・油彩。縦150X横200センチ。ニューヨーク、タンハウザー・コレクション。ピサロはコローに師事したが初期の作品はコローとの血縁関係をはっきり示している。それは堅固な構築に対する感覚であるとともに、自然そのものへの感情移入である。しかしコローの自然観がより詩的であるのに対して、ピサロのそれは散文的ないし生活的である。それをよく示すのは道とそこをたどる人物であろう。世界の名画/カミーユ・ピサロ(7)
<記事の内容抜粋>修善寺温泉での3日間温泉旅行でフランス大統領(当時)と出会った浴客はさぞビックリしたことだろう。気さくに握手にも応じたシラク氏は、平成12(2000)年7月、3日間の休日を修善寺温泉の宿で過ごした。お忍びのプライベート旅行で、強面のボディガードが影にいなければ、ご覧の軽装で散策する姿は一般の訪日客と変わらない。はたして現職大統領の「伊豆の休日」を政府は知っていたのだろうか?これをスクープしたのは(たしか)本紙だったと、記憶している。英雄ドゴールの薫陶を受け、相撲好きの親日派で知られた同氏は、徒歩で宿を出て修善寺に詣で、温泉街の土産屋や骨董店など覗きながら楽しげで、宿の女将に再訪を約束していたが、昨秋訃報が届き、かなわなかった。伊豆新聞掲載=あの頃の伊豆
<記事の内容抜粋>早朝、伊東駅を出発豪華観光列車「ザ・ロイヤル・エクスプレス」が北海道での運行に向けて21日早朝、伊東市湯川のJR伊東駅を出発した。東急がJR北海道などと連嶺し企画したツアー「ザ・ロイヤル・エクスプレス〜北海道クルーズトレイン〜」で北の大地を走る。東急と伊豆急行の「ザ・ロイヤル・エキスプレス」は8両編成で定員約100人、定員数国内最大級の観光列車として17年にデビューした。これまでに約1万人の乗客を運んでいる。伊豆新聞掲載="GoTo北海道"
静物●1867年。カンヴァス・油彩。縦81.0X横100.3センチ。オハイオ州、トレド美術館蔵。この作品は静物画としてもかなり大きいばかりでなく、またピサロの作品の中でももっとも大きいものに属する。複製は我々から絵のスケールの感覚を完全に失わせるが、同時に想像力の中でもとの大きさに復元してみることによって、我々はこの絵の持つモニュメンタルな強さや、堅固な構築に対するピサロの感覚をよりよく理解することもできるだろう。この大きな空間を支えるものは個々の事物を描き出す幅の広い筆触や全体の単純で力強い色面の構成なのである。世界の名画/フランシスコ・ピサロ(1)
<記事の内容抜粋>23日に海開き下田市の白浜海岸は、白砂の海浜とコバルトブルーの海原が広がる伊豆有数の美しい海水浴場だ。伊豆最古の白浜神社の鎮守の杜を中央に、写真(上)右側の白浜中央海水浴場と左側の白浜大浜海水浴場に別れる。海開きは、4連休初日の23日。経済再生と感染防止の両立を図る、期待と不安の夏本番を静かに待っている。伊豆新聞掲載=空見たことか
<記事の内容抜粋>7品種1300本、食べ頃河津町見高入谷のブルーベリー観光農園(山本久男園長)が18日開演する。生育は順調で、わせ品種はすでに食べ頃を迎えている。期間は9月5日までで午前8時〜午後5時。入園料は税込で中学生以上600円、小学生300円、未満が無料。1時間食べ放題。100グラム200円で持ち帰りもできる。問い合わせは同園(携帯090-7680-7816)へ。伊豆新聞掲載=生育順調、きょう開園
草に座る農婦●1882年。カンヴァス・油彩。縦38.1X横46.4センチ。ニューヨーク、グッゲンハイム美術館蔵。スーラの初期習作はコローやミレーの影響をはっきり示している。特に1882年にはかなりの作品が描かれているが、そのほとんどは田園で働く人々である。これらの作品を通じて、スーラはフォルムの単純化されたモニュメンタリティーを追求する一方、色調の分割を試みている。もともとスーラは色彩画家であるよりもフォルムの画家であり、また印象派の画家たちがアカデミックな教育に反発した中で美術学校に学び、アングルの弟子レーマンについている。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(9)
<読み>ゆうふうしんしょうをはらう<意味>東北より吹き来る風は東雲の空を払うのである。これは深澤充徳さんの作品です。この方も腕を上げられて、とても安定した作品を書かれます。一文字一文字に迫力があり、見ていて清々しい思いがします。もうすぐ師範試験なので、ますます頑張ってください。書道教室の生徒の作品490/深澤充徳
<記事の内容抜粋>23日からイベント下田市のキサミクラス(楠山俊介代表)は19日、吉佐美八幡神社境内に手作りの竹灯籠200本を設置した。23〜25日の第3回「きさみ竹あかり」の準備で、近隣から15人が集まり半日汗を流した。竹あかりの点灯は23〜25日午後6〜9時。雨天で実施できなかった際は、期間を延長する場合もある。開始・終了時刻には電球の出し入れ作業、26日午前9時から撤収がある。問い合わせは楠山代表(携帯090-3252-4649)へ。伊豆新聞掲載=竹灯籠200本組み立て
グランチャン、夕暮れ●1885年。カンヴァス・油彩。縦65.0X横81.5センチ。ニューヨーク、ジョン・H・ホイットニー夫妻蔵。スーラの最初の海景である。これまでの十字に交錯するタッチ(陸の部分)や並行したダッシュ状のもの(海や空)の他、海の律動的な効果をあらわすために水面の部分に新たな短い点が垂直に加えられている。ノルマンディー海岸がスーラに提出した新しい問題はこれまでの光と陰の強いコントラストとは違った灰色がかった光と色彩であり、また、それとともに、水平線が区切るだけの空と海の広大な空間であった。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(8)
<読み>ゆうふうしんしょうをはらう<意味>東北より吹き来る風は東雲の空を払うのである。これは齋藤峯津さんの作品です。この方はこの度師範試験に合格されました。隷書が得意で、とても味がある文字を書かれます。師範昇進おめでとうございます。書道教室の生徒の作品489/齋藤峯津
<記事の内容抜粋>ヒナモロコ体長6センチくらいのコイ科の魚である。"モロコ"の一種なので、食べて美味しい琵琶湖のホンモロコに近い仲間である。しかし、ヒナモロコを食べた人はいないだろう。なぜなら、ヒナモロコは環境省の絶滅危惧IA類といってもっとも絶滅に近い希少種なのだから。しかし偶然、小学生が学校の近くの用水で見つけたことにより絶滅していなかったことがわかり、現在では保護の対象になっている。伊豆新聞掲載=那賀川水系に生息確認
ラ・グランド・ジャット島●1884年。カンヴァス・油彩。縦64.8X横81.3センチ。ニューヨーク、ジョン・ホイットニー夫妻蔵。この大作の制作にあたって、スーラは数ヶ月間、毎日のようにラ・グランド・ジャット島に写生に通い、クロクトンと称してスケッチ板にすばやく大きなタッチで外光の中の対象の色相を広くし、一方、アトリエに戻るとデッサンでそれらのフォルムを追求する。これらの資料をもとにして最終的に構図はまとめ上げられる(死後、この作品のためのデッサン23点、クロクトン38点が見出されている)。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(7)
<釈文>おほけなくうきよのたみにおほふかなわがたつそまにすみぞめのそでおほけなくうき世の民におほふかなわがたつ杣に墨染の袖百人一首第95番=前大僧正慈円=<意味>我が身には過ぎたことだとは思いますが、この世の中の人々の幸せを祈りながら、この法衣の袖を人々に掛けましょう。この比叡山で僧侶となり、法衣に袖を通すことになったわたしなのですから。という意味です。<観賞>慈円は、11歳のときから比叡山延暦寺の最高位である座主(ざす)覚快法親王(かくかいほっしんのう)の弟子となりました。そして、晴れて13歳で出家、その後も比叡山で研鑽を積み、38歳のときに、はじめて座主となり、その生涯で4度の座主を務めた延暦寺とは深い関係のあるお坊さんです。この和歌を慈円が何歳のときに詠んだのかはわかりませんが、僧侶としての心得と、仏教の...書道教室の生徒の作品488/進士さおり
<記事の内容抜粋>観光客に周知図る下田市は16日、新型コロナウィルス対策「下田モデル」を発表した。既存の感染防止ガイドラインの安全性をより確保するため、1)みんな安心(対象別)(2どこでも安心(エリア別)3)"もしもの時"も安心(発症時)ーの安心ポイントを掲げた。特に観光客に「下田に来る前に守って欲しいこと」と「下田に来たら守ってほしいこと」の下田ルールを設け、広く周知していく。松木正一郎市長は「『下田ルールを守れない方にはご遠慮いただく』というメッセージを発信するのが大きなポイント。市、市民、各種団体が一体となり、観光客にも参加してもらって『うつらない、うつさない』そういう夏を作っていきたい」との決意を示した。伊豆新聞掲載=安全性確保へ3ポイント
マルセイユ港の入り口●1911年。カンヴァス・油彩。縦125X横135センチ。パリ、国立近代美術館蔵。スーラの急逝(1891年)後、シニャックはこの類稀な友人の追憶と新印象主義の擁護に一身を捧げる。にも関わらず、これまでスーラの圧倒的な現存によって前景から退けられていたモネ的部分がシニャックのうちで、次第によみがえってくることを1894年以降の作品ははっきり示している。第一に前の時代の作品に古典主義的なたたずまいを与えていた線的要素の消滅。第二に、シニャックの主題は以後、決定的に風景、という以上にまさしくモネ的主題ー光と水と反映に戻る。世界の名画/ポール・シニャック(2)
<記事の内容抜粋>伊豆の国市韮山反射炉ドローンで撮影した伊豆のステキなところを紹介する。韮山反射炉は江戸時代末期、韮山代官江川太郎左衛門英龍(担庵)の提言により、品川台場(現在の東京都品川区台場)に設置する大砲を作るために建てられた。当時の人々は、オランダ語で書かれた書物を苦労して読み解き、技術的な試行錯誤を重ねた末に造り上げた。日本の近代化の第一歩を示す建造物であり、実際に大砲を製造した反射炉としては国内で唯一現存するものだ。伊豆新聞掲載=天空遊覧
<記事の内容抜粋>伊豆・八木沢伊豆市八木沢の元土肥南小付近で、ハスの花が見頃を迎えた。ピンクや白の大輪が住民、環境客らの目を楽しませている。周辺の休耕田には、同協議会がヒマワリの種をまいた。8月になれば、ハスとひまわりの"コラボ"が楽しめそうだという。伊豆新聞掲載=白、ピンクの大輪ハスが見頃
モーパッサンの本のある静物●1883年。カンヴァス・油彩。縦32.5X横46.5センチ。ベルリン、国立美術館蔵。1880年モネの展覧会を見てシニャックがすぐさま戸外で絵を描き始めたというのは伝説であるとしても、シニャックがいかにモネの強い影響の下に出発したかを物語るものだろう。実際、色彩への情熱こそシニャックの長い生涯を貫くライト・モチーフであった。このようにシニャックにとってモネが本能と内発性を意味していたとすれば、一方、スーラとの出会い(1884年)は意志と方法的姿勢の啓示であった。世界の名画/ポール・シニャック(1)
<読み>ゆうふうしんしょうをはらう<意味>東北より吹き来る風は東雲の空を祓うのである。これは伊藤典松さんの作品です。この方はメキメキと腕をあげ、熱心に書に取り組んでおられて、とても感心します。この調子でどんどん腕を磨いてください。書道教室の生徒の作品487/伊藤典松
<記事の内容抜粋>南伊豆観光協南伊豆町観光協会は23日、「スカイランタンナイトin南伊豆」を石廊崎オーシャンパークで開催する。。今回は医療従事者への感謝を込めブルーライトのランタンを空に打ち上げる。一般客はランタンを購入して飛ばすことができ、当日限定で先着100を販売する。当日の受付開始時間は午後5時半、打ち上げは7時半、終了予定は8時半。ランタンの販売価格は1個2000円(町民は1500円)で、事前予約は必要ない。8月8日、9月19日にも同様の催しを企画する。問い合わせは同協会(電話0558-62-0141)へ。伊豆新聞掲載=23日にスカイランタンナイト
化粧する若い女●1889〜90年。カンヴァス・油彩。縦95.3X横79.4センチ。ロンドン大学附属コートールド・インスティチュート・ギャラリーズ蔵。モデルはスーラの愛人であったマドレーヌ・クノブロック。壁の鏡には花が写っているが、はじめはスーラ自身の肖像画が描かれていたといわれる。他のコンポジションに比べて画面が小さいことも、この作品のインティメイトな性格を示している。この最初のアイデアの図像的源泉としては清長の▶︎女湯◀︎が指摘されているが、化粧する女という主題自体浮世絵を思わせる。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(6)
新月とは、1「朔(さく)1」に同じ。2陰暦で、1を過ぎたころ、西の空に見える細い月。また特に、陰暦8月3日の月。《季秋》「―に蕎麦(そば)打つ草の庵かな/几董」3東の空に輝き出てくる月。「三五夜中―白く冴え」〈平家・七〉[補説]書名別項。→新月のことです。出典:コトバンク書道家・漢字556
<記事の内容抜粋>規模縮小、神輿は中止松崎町内で五穀豊穣や無病息災を願う「天王祭」が開かれている。新型コロナウィルス感染拡大防止のため各地区は規模を縮小し行っている。峰輪区の天王祭は、天照大神を祀った野本神社に、箕匂神社の弟神スサノオノミコトが年に一度訪れ、姉弟の情けを温めたと言い伝えにちなむ。約300年の歴史があるとされる。伊豆新聞掲載=各地区で粛々と天王祭
サーカス●1891年。カンヴァス・油彩。縦185.5X横152.5センチ。パリ、印象派美術館(ルーヴル美術館附属)蔵。スーラの最後の大コンポジション。スーラの急逝によって未完に終わった。太陽光線のモチーフが再び取り上げられているが、スーラの関心がもはや光線と色彩のシアリスムにはないことは明らかであった。画面に散在する青(男の服の固有色・影)を除けば、主張になっているのは赤、オレンジ、黄色などの暖色である。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(5)
<記事の内容抜粋>恋の季節「重荷を背負った宿命」身を守り生活するため、貝殻を背負うソメンヤドカリは、さらに、貝の表面にベニヒモイソギンチャクを付けて、タコの攻撃もかわす。宿貝はサザエやボウシュウボラの殼口の広い巻き貝が多い。繁殖期になると、雄がハサミで雌の貝を持ち、困難な求愛をする。そして身を乗り出して、腹部をくっつけ交尾するのです。この時ばかりは、貝殻が邪魔なんですよね。伊豆新聞掲載=魚の国の知恵くらべ
<記事の内容抜粋>近寄り匂いかぐしぐさ人気東伊豆町稲取の伊豆アニマルキングダム(新宮洋介園長)でアルパカの赤ちゃん1頭が生まれ、早くも来園者の人気を集めている。今年3頭目。飼育員の萩原康治さん(33)によると、「人懐こい性格。順調に生育している」と話した。問い合わせは同園(電話0557-95-3535)へ、。伊豆新聞掲載=アルパカ「タイヨウ」誕生
ポーズする女、、後ろ向き●1886〜87年。カンヴァス・油彩。縦24.5X横15.4センチ。パリ、印象派美術館(ルーヴル美術館附属)蔵。スーラはここで彼の技法が裸婦にも有効であることを示そうとする。フェネオンは「ごく僅かな範囲でも色彩の滴のそれぞれの割合は無限に変えうるので、肉付けはもっとも微細な点まで表現される」ことを象徴しているが、事実、点描は特に正面向きの習作とバーンズ財団の作品ではほとんど極限にまで推し進められている。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(4)
<読み>りゅうははくうをもってさんようにおこり、つるはせいうんをおびてかいじょうをかえる<意味>竜は夕立を山の中腹に起こすが、鶴は心心地良く晴れた雲を帯びて海の上にかえりくる。これはご住職の小池大嶺さんの作品です。いつもながら一番乗りで条幅作品を提出なされました。個性的でとても良くできていて感心します。これからもますます頑張ってください。書道教室の生徒の作品486/小池大嶺
<記事の内容抜粋>「いいタイミングで撮影」松崎町那賀の写真愛好家・藤井昭浩さん(57)が県さくらの会主催の「さくら写真コンクール」の富士山と桜部門で入選を果たした。同コンクールは2部門あり、709点の応募の中から入賞作品18点が決まった。伊豆新聞掲載=藤井さん富士山部門入選
養老院と灯台、オンフルール●1886年。カンヴァス・油彩。縦66.7X横82.2センチ。ワシントン、ポール・メロン・コレクション。1885年以降、スーラは「眼からアトリエの光を洗い落とし、生き生きとした明るさをそのあらゆるニュアンスとともにもっとも正確にあらわす」ために、ほとんど毎夏のようにノルマンディー海岸に出かけて海景を描くようになる。そして冬には再び大コンポジションの制作に打ち込むのである。これらの海景は、多くの場合ほとんど人影もなく、メランコリックな詩情に満ちている。しかしポエジーの影に彼の方法的な追求を見落としてはならないだろう。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(3)
<記事の内容抜粋>南伊豆の書家・木村さん南伊豆町上小野の書家・木村松峯さん(84)がこのほど、「クロード・モネ生誕180周年記念エコール・ド・パリ文明開化美術賞」を受賞した。東京都の美術商が実施する賞で墨象作品を出品し、フランスの美術館で作品展示があるという。受賞作は「インフィニティ(無限)」で年明け頃に制作した。太い筆で円をいくつも重ね、墨象の限りない可能性を表現したいう。ピンクや緑、金の色を添え華やかに仕上げた。木村さんには「無限」をテーマとした作品がいくつかあり、「明るい色使いで、作品に明るい雰囲気を出せればと思った」と話した。伊豆新聞掲載=パリで美術賞受賞
<記事の内容抜粋>大地の詩が聞こえる前回のお化け杉からの帰りjに、このまま終わるのはもったいないので、白田浄水場から、また車を上へと走らせる。この道は、細野高原へと続いていて、狭い林道だ。今では慣れたができれば通りたくないといつも思う。対向車が来てもすれ違うことができない場所は多くあり、来ないで〜と願いながら走る。少し走ると真っ青な川の流れが出迎えてくれ、奥深い渓谷の流れを、楽しませてくれるのだ。この日、青い流れを眼下におき、ゆっくりと歩を進めた。光がさしては、渓谷の底を照らし、流れに衣装を着せる。そして、その光景を、たくさんの観客が見つめ一期一会を楽しんでいた。私もカメラとともに、その仲間に入り青い世界を堪能したのだった。伊豆新聞掲載=素晴らしき日々
ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後●1884〜86年。カンヴァス・油彩。縦205.7X横305.8センチ。シカゴ・アート・インスティチュート蔵。シニャックを通じて、スーラは初めてパリのもっとも革新的な芸術環境と接触するが、これによって、彼の現代生活の英雄性の主張もいっそう強められる。この大作でスーラは▶︎水浴◀︎からさらに都会的現実に近づき、現代生活情景のさまざまなモチーフ(例えば女性の衣装の流行)の財産目録を繰り広げている。▶︎水浴◀︎からこの作品へのそのような主題の発展を象徴的に示すのは、前作では遠景の小舟の中に小さく描かれていた二人づれがここでは前景の大きなモチーフとなっていることだろう。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(2)
いつもご高覧頂いている皆様、有難うございます。きょうは仕事に追われ、体調も思わしくないので、大変勝手ながらお休みさせて頂きます。またよろしくお願い申し上げます。木村松峯本日はお休みさせて頂きます
<記事の内容抜粋>萬城の滝(伊豆市)狩野川の支流、地蔵堂側の上流にある高さ20メートル、幅5メートルの滝。萬城の滝キャンプ場の駐車場から、道を挟んで向かいの階段を降りると姿を現す。滝の正面に橋がかかっていて、目の前で水が流れ落ちる迫力ある様子を見ることができる。秋に紅葉の中に浮かぶ滝を撮りに行くのを毎年楽しみにしている。伊豆新聞掲載=神々のジオ
<記事の内容抜粋>34候補が士気高まる静岡市で12月5日に開かれる第21回県市町対抗駅伝競争大会に向け、西伊豆小チームは8日夜、町保健センターで結団式と候補選手説明会を開いた。前回大会で記録した過去最高タイムの更新を目指して、団結し士気を高めた。西伊豆町は前回大会で、過去最高の2時間30分7秒を記録して町の部9位となり、敢闘賞を受賞した。伊豆新聞掲載=最高タイム更新誓う
アニエールの水浴●1883〜84年。カンヴァス・油彩。縦201.0X横301.5センチ。ロンドンナショナル・ギャラリー蔵。スーラの最初の大コンポジション。1884年の官展(サロン)に落選、同年開かれたアンデパンダン展に出品され、シニャックと織り合う機縁となる。スーラはまだ暗い色彩も使っていて、そのため画面が印象派の作品ほど輝いて見えないことをシニャックに指摘され、以後フリズムの色彩だけに限定されたパレットを用いるようになる。シニャックはスーラが印象派の存在さえ知らなかったとしているが、すでに印象主義に接していることは典型的に印象主義的な主題からも明らかである。世界の名画/ジョルジュ・スーラ(1)
<記事の内容抜粋>大切に守り育てた58年前そのルーツは明治中期に始まった民間の託児所らしいが、大正から昭和に私立の保育園が全国で普及した。昭和22(1947)年に保育園の法的根拠となる「児童福祉法」が制定され、その翌年には施設の設備や運営基準が定められた。先代住職の清水照道さんが昭和27(1952)年から47年間運営。夕方には先生に引率され集団で帰宅するなど、大切に守り育てられた無邪気な子どもたち。58年前の撮影だから、今はあの頃の自分に似た孫がかわいい祖父母のはず。伊豆新聞掲載=あの頃の伊豆
<記事の内容抜粋>期間短縮し感染防止河津町夏季対策連絡協議会(会長・山田和子観光協会長)が8日、町役場保健福祉センターで開かれた。町、町観光協会、関係機関の25人が出席して、海水浴場の新型コロナウィルス対策などについて協議した。協議の前に、岸重宏町長は「新型コロナウィルス対策が例年と違う。未知の対応だが安全安心に努めたい」と挨拶した。山田会長は「ウィルス対策を重点的に取り組む。海水浴場以外も地域とともに目配りしたい」と協力を求めた。伊豆新聞掲載=今井浜、来年1日海開き
レピスリー街●1898年。カンヴァス・油彩。縦81.3X横65.1センチ。ニューヨークメトロポリタン美術館蔵。1883年に初めてルーアンを訪れて以来、ピサロはたびたびここに滞在して、橋、波止場、大聖堂を描いている。中でも、大聖堂は滞在のたびにピサロに新しいモチーフを提案する。83年の作品では寺院は遠景に姿をみせている。96年には家々の屋根ごしに見える大聖堂の姿がピサロを魅了した。98年にもピサロはまた新しいモチーフを見出して、3点の絵を描いている。ー寺院に通じる通りから間近に仰ぐいくつもの塔である。しかし、それは同時に前年のパリの大通りの連作の延長でもあった。世界の名画/カミーユ・ピサロ(5)
今、全世界が新型コロナウィルスの影響で、お先真っ暗な状態ですが、それでも少しづつゆっくりと快方されることを祈って、「希望」と筆文字アートで書いてみました。筆文字アート/希望
<記事の内容抜粋>恋の季節「夏の風物詩」初夏、大潮の満潮になる風や波の少ないとき、秘められた小石の海岸にクサフグの大群が産卵にやってくる。力の強い雄が狙った雌を追尾しかけると、他の雄たちも体をくっつけ雌に放卵を促す。そこでタイミングが合うと、放精放卵が同時に行われ、海水が濁って前後が見えない状態になる。沿岸でよく釣れるクサフグだが、毒があるので手料理で食べるのは危険なのです。伊豆新聞掲載=魚の国の知恵くらべ
イタリヤ大通り、朝、陽光●1897年。カンヴァス・油彩。縦73X横92センチ。ワシントンナショナル・ギャラリー蔵。長い間田園風景と農民を描いてきたピサロは晩年、都会風景を描くようになるが、特に1897〜98年、様々なホテルの窓からパリの眺めを描く「大通り」の連作を試みる。彼の手紙はその制作の模様を伝えている、「ドロオ街1番地のグラン・トテル・ド・リシュリュの大きな部屋を予約した。そこから大通りの広がりが見える」「オペラ座の通りとパレ・ロワイヤル広場の一角を見渡せる眺めのいいグラン・トテル・デュ・ルーヴルに部屋を見つけた......それは誠に美的というものではない、しかし普通醜いと呼ばれているこれらのパリの通りが描けて嬉しい。醜いどころか、これらの通りは銀のように輝いていて活気がある......。これは完全に近代...世界の名画/カミーユ・ピサロ(4)
今年の庭の松が、真夏を前にして巨大化しました。門かぶりの松がものすごい勢いで成長しています。マツ類は百木の長、庭木の王者と言われ丈夫で寿命も長く姿形が良いので「縁起の良い木」として、正月の門松、神棚の松飾などにも使用されています。何か良いことが起こればいいですね。筆文字アート/松
<記事の内容抜粋>直径20センチ、白い巨大キノコ下田市白浜の金指正美さん宅(美晴屋)の畑で、白くて巨大なキノコ「オニフスベ」が見つかった。金指さんは「20年間畑をやっていて初めて」と話し、近所で話題になっている。金指さん宅では掘り出して中庭に置き、輪切りにするなどして観察した。家を訪れるプロパンガス業者が、珍しいからと手を合わせて拝んでいくという。伊豆新聞掲載=「オニフスベ」発見
座る農夫●1885年。カンヴァス・油彩。縦73.3X横92.1センチ。ワシントンポール・メロン・コレクション。モネやシスレーが空や水を愛したのに対して、ピサロがなによりも好んだのは大地であった。そしてピサロが大地を好んだとすれば、それは大地が人間の生活の本質的な場だからである。そこから農民に対するピサロの共感も生まれるが、彼の描く農民はミレーのように「聖書的」ではない。彼は農民を自然との親密さと外光の中で、いいかえれば彼らの環境の中で描きだす。大地に生きる人間としてのいわば「農民的」な生活感情と印象主義の外光の追求とが出会うところにピサロの芸術は成立するのである。世界の名画/カミーユ・ピサロ(2)
<記事の内容抜粋>伊豆・修善寺「虹の郷」30年前に開園し、2010年にリニューアル・オープンした修善寺虹の郷。自然と文化をテーマにした約50万平方メートルの広大な公園型観光テーマパークで、英国やカナダの街並み、四季折々の花が美しい日本庭園、ロイヤル・ローズ・ガーデンなどで知られる。園内を走る「ロムニー鉄道」も人気を集める。さらに、ここ数年は"コスプレーヤーの聖地"としての認知度も高まる。5月には新たに、プレーヤーに役立つ「コスプレ掲示板」も開設した。ツイッターやホームぺージ(HP)などを通じた"お得で耳よりな情報発信"にも力を入れている。伊豆新聞掲載=空見たことか
<記事の内容抜粋>コロナ対策も徹底下田市の須崎区(土屋磯雄区長)は、昨年に続き爪木崎海岸の「いけんだ浜」を「品格ある海水浴場」として運営する。新型コロナウィルス対策では、市の感染予防ガイドラインを徹底するとともに、九十浜海水浴場を含め、入場時に遊泳客一人一人の体温をチェックする。両海水浴場とも海開きは23日。土屋区長は「首都圏の海水浴場が閉鎖を決め、伊豆への来訪が多くなると予想される。無事シーズンを終えれば、安心安全の須崎の評価が高まる。品格と感染予防対策を徹底して行きたい」と話している。伊豆新聞掲載=「品格ある海水浴場」に
ルーヴシェンヌのヴェルサイユ街道●1870年。カンヴァス・油彩。縦101.5X横82.0センチ。チューリッヒピュルレ・コレクション。街道沿いのピサロの家の小さな庭。ピサロの妻(黒い衣装の女性)が近所の誰かと立ち話をしている。そのかげから娘ジャンヌが小さな姿をのぞかせている。そして対照的に、道を行く3人の人物の後ろ姿ー。ピサロの作品に(とくに初期と晩年)くりかえしあらわれる(道)はピサロの芸術の本質をなによりもよく象徴している。それは単に主要モチーフとして画面空間を明示するだけではなく、さらにそれによって営まれる人間の生活空間を暗示するのである。世界の名画/フランシスコ・ピサロ(1)
<釈文>たちわかれいなばのやまのみねにおふるまつとしきかばいまかへりこむ百人一首第16番=中納言行平=<意味>貴方とお別れして因幡の国に行っても、そのいなばの山の峰に生えている松という名のように、貴方が私を待っていてくれると聞いたならば私はすぐにでも帰ってきましょう。<観賞>行平が38歳のとき、因幡守(いなばのかみ)として、因幡国へ下向しました。守はいまでいう県知事のような役職です。和歌を贈った相手は都にいるのですから、遠距離恋愛になってしまうわけです。現在のように電話もメールも無く、馬が最速の交通手段の時代ですから、会いたくてもなかなか会えませんね。そんな事情をわかっていながら、「すぐに帰ってくるからね」と詠んだ行平の恋人への心細い気持ちがひしひしと伝わってきますね。<作者>中納言行平は、本名を在原行平(あり...書家・かな786/中納言行平
<記事の内容抜粋>国有林内白く染める天城山の山中で今、一般にあまり知られていないバイケイソウが満開を迎えている。山歩きをよくする人でもなかなかお目にかかれないほどの群落が伊豆市長野と同市筏場にかけての長野川や大見川源流部一帯で見つかり、白色系の美しい花が国有林内を彩る。実はこの植物、有毒のアルカロイドを含み、山菜のオオバギボウシやギョウジャニンニクに似ていて、誤食する中毒事故も起きているという。厚生労働省が注意を呼びかけている。伊豆新聞掲載=天城山に群落
黄色いレストラン●1928年。カンヴァス・油彩。縦71.2X横59.5センチ。大阪中之島美術館準備室蔵。評伝に記したように、画家の絶筆になった作品でり、「これで自分の仕事は終わった」とつぶやいたという。前作と同じく扉を主役にしているが、扉のデザインのせいか、嵐の前のどよめきがあるが、びっちり閉じられたこの絵のガラス戸の奥はただ黒々と静まり返り、ドラマの終わった静寂があたりを支配している。これにも里見の感動的な文章がある。世界の名画/佐伯祐三(41)
<読み>てんぴつりんし<意味>蒙恬は、はじめて筆を作り、蔡倫は、はじめて紙を作った。これは大和龍広さんの作品です。きょうもお孫さんと一緒に、教室に見えました。今月の締め切りの作品ですが、とても良くできており、ブログで紹介しました。大変熱心で、上達も早いです。みなさんで上を目指して頑張ってください。書道教室の生徒の作品485/大和龍広
<記事の内容抜粋>大地の詩が聞こえる白田の奥深くに、「お化け杉」とも呼ばれる1本がすんでいる。ぜひ、一度、この杉の前に立ってもらいたいと思うのだが、いざその前に立つと、大迫力に心を動かせるであろう。そして、木の形というのは、固定概念で頭の中のイメージができている。いざそのイメージが崩れると、実に不思議な気分になり、その木と会話を始めてしまうのだ。このお化け杉もその1本で、どうして、こいつだけがここにこの形で生き残っただろう?そんな疑問が浮かんでは、自然と問いかけてしまう。それほどに、この姿は神々しいのだ。一通り、三又を撮影したら、その奥にあるお化け杉の前に立つ。うっすらと霧が入る中、撮影していると、逆光の太陽が、お化け杉に虹のたすきをかけた。しかも、1枚のその瞬間だけだ。もしかしたら、私の問いかけに、こんな偶然...伊豆新聞掲載=素晴らしき日々
ロシヤの少女●1928年。カンヴァス・油彩。縦64.0X横51.5センチ。大阪中之島美術館準備室蔵。郵便配達の老人を描き上げてから、また寝たり起きたりの日が続いた。米子夫人の回想を続けよう。「そんなとき、ふと、アトリエの戸をノックする音に、開けてみると美しい華奢な若い女性が立っていて、モデルの用はないかと、おぼつかないフランス語で話しかけるのです。佐伯は喜んで翌日から描く約束をすると、翌日はロシやの美しい色彩の祭り衣装を着てきました」全身蔵と半身像の2点を描いた。民族衣装の鮮やかな色彩に触発されたのであろう、生得の色彩感覚が躍動することになった。世界の名画/佐伯祐三(40)
<記事の内容抜粋>南伊豆町千畳敷南伊豆町の三ッ石岬が見える場所に位置する千畳敷。歩道もあるようだが、入間港から45分ほどなので体力にも時間にも余裕があるときに挑戦したい。これからどんどん暑くなる。伊豆にある数々の絶景に会いに来て、新型コロナウィルスによる一連のストレスから解放されてほしいと思う。もちろん、感染防止と熱中症の対策をした上で。伊豆新聞掲載=天空遊覧
<記事の内容抜粋>テレビ、CMなどで紹介、人気梅雨の晴れ間が広がった2日、下田市田牛の人気ジオサイト「龍宮窟」は、次々と訪れる観光客でにぎわった。東京の20代女性3人グループは「ネットで見て一度来たいと思っていた。神秘的でよかった」と話した。伊豆新聞掲載=梅雨の晴れ間「龍宮窟」にぎわう
郵便配達夫●1928年。カンヴァス・油彩。縦79.5X横63.8センチ。評伝や年譜に記したことから佐伯は3月から4月にかけて、写生に出るのもかなわぬようになった。米子夫人の引こう。「やがて、一寸回復に向かい室内で起きられるようになった日のことでした。私が近くに買い物に出かけようと、入口まで来ると白い髭のブルーの服を着た郵便配達のおじさんとすれちがい、階段を登る姿を見ました。私は老人の美しさにみとれて振り向いたほどでしたが、アトリエに帰ってきますと、佐伯は、今きれいな白髭の配達人がいたから、モデルに頼んだよ、と、嬉しそうに言いました」その翌日、油とグワッシュで15号の半身像を描き、次の日にこの全身像を描いている。世界の名画/佐伯祐三(39)
全世界に広がっている新型コロナウィルスの一刻も早い終息を願い、神様に祈りを込めて「神」と書きました。まさしく「神のご加護を」という気持ちです。筆文字アート/神
<記事の内容抜粋>ステイホームで注目?西伊豆町のガラス作家らでつくる西伊豆ガラス舍は新型コロナウィルス感染拡大防止のため、今夏の「かも風鈴の引き売り」の中止を決めた。コロナにより名物行事ができない反面、かも風鈴の売れ行きは好調という。ガラス工房ファロの五木田淳子さんは「コロナの影響でステイホームが呼びかけられたことや各地で夏祭りが中止となっていることが要因だと思う。家の中でも「『夏気分』が味わえる風鈴が注目されているのでは」と分析する。かも風鈴の販売に関する問い合わせは同パーク(電話0558-55-1515)へ。伊豆新聞掲載=引き売り中止、販売は好調
カフェ・レストラン●1928年。カンヴァス・油彩。縦59.0X横71.5センチ。佐伯の一行はオテル・グラン・モランと名前はいかめしいが、古風な田舎の宿屋に滞在した。ホテルの横には高い時計台のついた広い教会堂があって、何枚も描いているが、このホテルの食堂を写した絵である。カウンターの内に立っているのがホテルの主人で、右端のテーブルに座るのは山口長男という説がある。米子夫人は「ある日、この食堂を佐伯が20号に描いたのを見たホテルの主人は、その色彩と粗いタッチに驚き、彼の友人に、あの人は狂人ではなかろうかと言っていました」と回想しており、一見、奔放に過ぎる描線、大胆に過ぎる色彩、粗残しに過ぎる筆触に驚いてのことであったろう。世界の名画/佐伯祐三(38)
<記事の内容抜粋>コロナで延期、準備進む下田市の吉佐美八幡神社で23日から、第3回「きさみ竹あかり」が開かれる。新型コロナウィルスの影響で4月から延期していたが、やっと開催にこぎつけた。23日は吉佐美大浜の海開きにあたり、主催する地域奉仕団体キサミクラス(楠山俊介代表)は準備に汗を流している。23〜25日は灯籠200本に発光ダイオード2000球を仕込み境内に並べる。午後6〜9時で問い合わせは楠山代表(携帯090-3252-4649)へ。伊豆新聞掲載=23日から「竹あかり」
<記事の内容抜粋>伊豆山神社で茅の輪くぐり熱海市の伊豆山神社(原嘉孝宮司)は30日、「夏越の大祓」を行なった。新型コロナウィルスの感染予防に配慮、神職だけで神事を営んで半年間のけがれを祓い清めた。茅の輪くぐりは参拝者がそれぞれ行なって無病延命を祈った。大祓は、人々の心身に起る災難の原因を取り除いて幸福と繁栄を迎えるための神事。夏越は年の中間に行い、夏の悪病も防ぐとされる。伊豆新聞掲載=各神社で「夏越の大祓」
街はずれの寺●1928年。カンヴァス・油彩。縦58.4X横71.0センチ。山口長男の回想によると、休養と準備のためパリに戻った1週間をはさんで、前後1週間ずつのヴェリエ・シュル・モラン滞在であったが、一行の写生行きの半径はこの村を中心に広がって、3.5キロ北のサン=ジェルマン・シュル・モランに及んでいる。2週間の滞在の間に佐伯は現存する20点近くに、農家の納屋を描いた40号をはじめ、所在不明のものを加えると30点をこえる作品を描いている。世界の名画/佐伯祐三(37)
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