「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と川柳で詠まれた「かねやす」が本郷三丁目の交差点に建っているのを考えると、詠まれた当時の江戸は今の東京と比べるととても狭い。江戸城の本丸から、かねやすまでの距離はわずか2キロほど。想像していたよりもずっと江戸の範囲は狭い。かねやすまでが江戸だとすると、今となっては東…
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「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と川柳で詠まれた「かねやす」が本郷三丁目の交差点に建っているのを考えると、詠まれた当時の江戸は今の東京と比べるととても狭い。江戸城の本丸から、かねやすまでの距離はわずか2キロほど。想像していたよりもずっと江戸の範囲は狭い。かねやすまでが江戸だとすると、今となっては東…
グーグル・マップを見ただけで、その町の雰囲気を知るのは難しい (東京)
旅先でスラムのようなところに行くのが好きというと、大抵の人は顔をしかめる。スラムなんて危険なエリアをわざわざ訪れるなんて趣味が悪いと顔をしかめる人もいるし、そんな危ないところに行くなんて話を盛っているに違いないと思ってしかめる人もいる。しかめる理由は違っても、同じなのはスラムが危険な場所だと思いこん…
渋谷駅周辺の再開発が終わらない。あちらの工事が終わったと思ったら、こちらの工事が始まり、一段落したのかと思いきや、今度は桜丘の辺りを懸命に工事している。セルリアンタワーがそびえていたものの、青山通りを横断しなければ行けない地味なイメージだった桜丘も、2023年に再開発工事が完了すればすっかり変わって…
代々木八幡宮が建立されたのは、800年前に八幡大神が男の夢枕に立ったからだ (東京)
物語が進んでいってどのようなエンディングを迎えるのだろうと期待が膨らんだときに夢オチと知ってがっかりしてしまうのは、夢オチがなんでもありだからだろう。今まで紡んできたストーリーの流れを絶ち、強引であっても話をつけてしまう。それが夢オチだ。夢オチと同じく夢を飛び道具にしているものに夢枕がある。寝ている…
代々木八幡宮の境内では縄文時代の住居跡が発見されている (東京)
かなり都心にあって、すぐ脇を交通量の多い山手通りが走っているにもかかわらず代々木八幡宮の境内は静寂に包まれている。地図で見るとこの神社の境内だけがこんもりと木々に覆われている。静かなだけでなく、境内を歩いていると空気も澄んでいるような気がする気持ちのいい場所だ。大昔の人も僕と同じように感じたようで…
丸ビルの大きなガラス窓には垂れ幕のような長いロールカーテンが下げられていた (東京)
そういえば今年になってから電力需給ひっ迫警報が資源エネルギー庁から発せられたことがあった。これは文字通り電力の需給が逼迫しているという警報だ。つまり電力が足りなくなりそうということ。この警報が発せられたということは、停電が生じる可能性が高まったのを意味しているのだ。高度成長期以降に東京で生まれ育った…
初代の丸ビルの方が今の丸ビルよりも存在感があったような気がする (東京)
東京駅近くの丸の内に建っている丸の内ビルディング(通称丸ビル)は2代目だ。今では地上37階地下4階の巨大な高層ビルになっているものの、かつての丸ビルはたかだか地上は9階までしかないビルだった。つまり建て替えによって9倍くらい高くなった。にもかかわらず面白いのは、建て替え前の丸の内ビルディングの方が年…
本当に楽しいのであれば、ハイチーズと言う必要はないような気がしてならない (東京)
代わり映えしないとはいえ、日本では写真を撮るときに「ハイチーズ」という掛け声が今でも現役だ。チーズと発音するときに口角が上がって笑顔になるから、このフレーズが根付いたと言われる。つまり口角が上がりさえすれば、フレーズは違ってもいい。楽しそうな顔で写真の中に収まるのが重要なのだ。海外でも考えは同じで…
東京駅の丸の内中央口改札は拍子抜けするほど小さいものだった (東京)
プラットホームが11面22線もある東京駅のような大きな駅になれば、改札もよほど大きいに違いないと思いながらやって来ると拍子抜けてしまうに違いない。東京駅にはいくつも改札が設けられているものの、目玉が飛び出るほど大きな改札はないのだ。この日に僕が通り抜けた丸の内中央口改札も中央という名前が付いていて…
竜宮城の門を思わせる門は、そのままずばり竜宮門と呼ぶらしい (東京)
ゲゲゲの鬼太郎が裏手に住んでいたという設定もある調布にある布多天神社は延喜式にも記載のある古い神社で、僕が訪れたときも参拝に訪れている人が大勢いた。整備された境内に鬼太郎の住処だという雰囲気はない。僕の偏見かもしれないが、鬼太郎のような職業不詳で得体のしれない人間を積極的に排除するのではないかと思わ…
調布にある古刹深大寺の見どころは何だろう。かつて寺領だった神代植物公園を挙げるひともいるだろうし、釈迦堂に安置されている国宝の銅造釈迦如来倚像を上げる人もいるだろうし、本堂に安置されている宝冠阿弥陀如来像の霊験のあらたかさを挙げる人もいるだろう。食い意地の張った人であれば、名物である深大寺そばだとい…
深大寺には7世に作られた国宝の如来像もあれば、最近作られた大黒天像と恵比寿尊像もある (東京)
東京都内でもっとも古い寺院が浅草にある浅草寺であるのを知っている人は多いと思う。では2番めに古いお寺がどれかを知っている人はどれくらいいるだろう。ナンバー1の知名度に比べ、ナンバー2の知名度はぐっと落ちてしまうから、知らない人も多いのではなかろうか。だからといって調布に建つ都内で2番めに古い寺院であ…
この前、都内と成田空港を結ぶ成田エクスプレスの時刻表を見ていたら運休している列車がそこそこあるのに驚いた。よくよく考えてみたら、それも当然の帰結。成田空港に発着する飛行機が少なくなっているのだから、成田空港の利用者も減っている。成田空港に向かう人が少なくなった結果なのだ。そういう僕も2020年初頭に…
美術館の略称はどこもMOMAを意識しすぎているのではないだろうか (東京)
東京には国立の美術館もあれば、都立の美術館もあるし、もちろん私設の美術館もある。それぞれが所蔵するコレクションを観るだけでも大変なのに、いつもどこかで企画展が催されていて、すべてを鑑賞しようと思ったら週末だけでは到底時間が足りない状況だ。美術館とひと口に言っても、その専門は切り口によって異なっている…
駅前商店街と同じように、銚子発の特急列車はガラガラだった (千葉)
銚子駅の北側には大きなロータリーが設けられていて、そこから幅の広いシンボルロードという道が利根川に向かって伸びている。アーケードも設けられているこの道は商店街になっているものの、営業をしている店舗は少ないし、営業しているお店からも活気が感じられない。賑わっているのは、銚子に来なくても目にすることので…
トレビの泉にコインを投げ入れたものの、ローマ再訪はまだ実現していない (千葉)
お寺でも神社でも神様が鎮座しているところにはお賽銭箱が置かれている。日本人であれば神社仏閣にお参りした際に金銭を奉納するのに何も違和感を持たないだろう。これは日本だけの風習ではない。中国や台湾、香港にも香油銭と呼ばれる同じような風習があり、韓国にも似たような風習があるという。でも東アジア以外では神様…
線香の匂いを嗅ぐと思い浮かべるのはおじいちゃんの家にあった仏壇だ (千葉)
蚊取り線香をあまり見かけなくなった今、僕にとって線香といえば仏教寺院でお供えとして燻らせるもの。仏教寺院には線香を上げる香炉が付きものだ。銚子に建つ飯沼観音でも、ご多分にもれず本堂の前に大きな香炉が置かれていた。仏教寺院で線香を上げるのは、線香の煙に穢れを祓い、心身を清浄にする作用があるからとされる…
今でも東南アジアの、特にミャンマーの仏教寺院では主役で境内の中心にどしんと構えていることが多いものの、日本ではいつの間にか本来の目的から解放されている。飛鳥寺式の伽藍では中心に備えられた仏塔も、四天王寺式、法隆寺式、薬師寺式と時代が下るうちに単なる装飾と考えられるようになり、東大寺式になると回廊の外…
蒸気機関が発明されるまで、海を航行するのはすべて帆船だった。ガレー船のように船の両脇から何本ものオールが出ていて人力で航行できるのもあるにはあったにせよ、基本的には風がないと船は進まない。風がなければ人間にはどうしようもない時代が長く、順風が吹くまで港でじっと待つ、風待をする習慣もあったくらいだ。だ…
銚子駅と外川駅を結ぶ銚子電鉄にはわずか6.4キロの間に10の駅が設けられている。それぞれネーミングライツが売られていて、正式な駅名以外にも個性的な呼称が付いている駅はそれぞれ雰囲気も個性的だ。JRの駅のおまけのような銚子駅もあれば、昭和に取り残されたままになっているような外川駅もある。そのような中…
犬吠埼灯台は徳川幕府が諸外国と結んだ条約に従って建てられたものだ (千葉)
地図で見ると外川駅から犬吠埼灯台まではそれほど遠くない。わずか2キロ足らずだ。それを知った僕は外川駅で銚子電鉄が出発するのを見送ってから徒歩で犬吠崎へ向かった。道中はとても簡単。犬吠埼に近づけば近づくほど嫌でも人が増えてくるのでその人たちの後に付いていけば迷いようがない。辿り着いた犬吠埼には1874…
いつの頃からか、世の中にはネーミングライツなるものが溢れている。かつては科学分野での命名権くらいしかなかったものが、気がついたら科学分野以外のところで命名権の販売が一般になっているのだ。例えば東京の調布にあるFC東京と東京ベルディのホーム・スタジアムの正式名称は東京スタジアムなのだけれど、ネーミング…
電車の中で車掌の姿を見かけると懐かしく感じるのだった (千葉)
ゆっくり進む銚子電鉄に乗っていると懐かしい気分になるのは、速度が遅いからだけでもなく、車両がレトロなだけでもない。乗っていると、車両を車掌がちょくちょく歩いているのも懐かしい気分にさせる大きな要因だ。東京都内を走る電車にも車掌は乗っているものの、車掌室から出てきて車内改札をしたり、切符の精算するよう…
バリケードが置かれて中に入れなかった外川漁港には漁船が何隻も係留されていたものの、人の気配はあまりなかった。ときおり見かける人も静かに何かの作業をしているだけで、漁港は静けさに包まれていた。そんな漁港の縁を歩いていて、活気を感じたのはここで捕れた新鮮な魚介類を出すお食事どころの前を歩いたときだけだっ…
関係者以外は立入禁止になっている外川漁港は閑散していた (千葉)
ゆるゆる走る銚子電鉄に乗って辿り着いた先は外川という駅だった。レトロな駅舎は興味をそそるものの、駅の周囲には民家が立ち並ぶだけで何もない。時代に取り残されたかのような終着駅だ。こんな場所で線路が終わっている理由は単純で、ここは銚子半島の先端部。これより先は太平洋が広がっているだけだからだ。駅前から続…
売上の8割を副業で稼ぐ銚子電鉄は、もはやお菓子屋と呼ぶほうが相応しいかもしれない (千葉)
千葉の銚子駅で電車を降りて、駅舎に入ることなくプラットホームを先頭に向かって進んでいくとひっそりと改札が設けられていた。改札を出ると、そこは別の鉄道会社のプラットホーム。僕はJR銚子駅のプラットホームの端におまけのようにくっついている銚子電鉄のプラットホームへ移動したのだ。銚子にやってくる特急列車と…
なぜ足漕ぎボートには白鳥の形を模したものが多いのだろう。白鳥以外であっても問題ないと思うのだけれど、日本で足漕ぎボートといえば白鳥を模したものが一大勢力を成しているのは不思議だ。もともとは子どもも親しめるデザインとして白鳥が採用されたらしいのだけれど、子どもが好きなのは白鳥ばかりではないだろう。ピカ…
タクシーの運転手やバスの運転手に女性が増えているのだから、女性の運転士も増えていて何ら不思議ではないものの、実際に乗り込んだ電車の運転士が女性だとちょっと得した気分になってしまうのはなぜだろう。女性の運転だからといって、男性の運転と何も変わらない。今回のようにたまたま先頭車両に乗り込んで姿を見ない限…
八幡大神社に掲げられていた大きな提灯は提灯お化けのようだった (東京)
アニミズムと親和性の高い日本には、古来から妖怪とされてきたものは多い。森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になるという表裏一体の関係なのだという。とはいえ頭が釜で絵馬を手にした鳴釜という妖怪や、唐傘の妖怪であるからかさ小僧など、どの部分を否定的に捉えたのか良く分からな…
架けられて100年近く経っている三鷹電車庫跨線橋は近いうちに取り壊される予定だ (東京)
三鷹駅を出て線路を武蔵境に向かって歩いていくと、ボロボロの橋が線路の上に架けられているのに気づく。三鷹電車庫跨線橋だ。電車庫の引込線と中央線を跨ぐようなこの跨線橋が架けられたのは1929年のこと。もう100年近く経過しているので、ボロボロなのも仕方がない。何も知らない人にとっては単なる古ぼけた跨線橋…
ずっと宮下公園だと認識していた公園が、いつの間にかリニューアルしてミヤシタパークという聞き慣れないカタカナ名の施設に変貌を遂げていた。渋谷駅からすぐ近くにあって、とぼとぼ歩くのに丁度いい公園だった場所が再開発された結果、ホテルも併設するような小洒落た商業施設になっている。面白いのは公園の施設も残って…
旧前田侯爵邸のすりガラスの向こうには日本庭園が広がっている (東京)
ひと通り洋館の中を巡ったので、今度は同じく駒場公園の中に建つ旧前田侯爵邸の和館へと向かう。家族の居室も設けられていた洋館と違って、こちらはもっぱら接客に使われていた模様。なんでもロンドン駐在武官であった前田侯爵が海外からの賓客を接待するために建てたとされる。洋館も瀟洒だけれど、この和館も負けてはいな…
ソファに脚を揃えて腰掛けた女性は、まるで深窓の令嬢のようだった (東京)
駒場公園に残る旧前田侯爵邸の洋館は、それぞれの部屋が侯爵が実際に住んでいた頃の様子に復元されている。夫妻の寝室だった部屋もあれば、侯爵の書斎もあるし、長女・次女・三女のそれぞれの部屋もあり、この洋館に家族が実際に住んでいたという事実をひしひしと感じる。そのような観点で見取り図を眺めてみると、ふと気が…
前田侯爵の邸宅だったところを公園にした駒場公園には、侯爵が建てた建造物も残っている。1929年に建てられた洋館と1930年に建てられた和館が保存されているのだ。そうなのだ。岩崎弥太郎が池之端に建てた岩崎邸と同じように、この前田侯爵邸にも洋館と和館の双方が建てられているのだ。岩崎弥太郎にとって西洋式の…
太陽が燦々と降り注ぐ芝生の広場を縁取るようにできている木陰の中で人びとが寝転がったりしてくつろいでいる。ここは駒場にある駒場庭園、かつて前田侯爵の邸宅だったところ。つまり加賀藩主だった前田利家の末裔が住んでいたところだ。さすがは加賀百万石を治めていた前田本家だけあって、明治になってから建てられた邸宅…
日本でも美術作品の追及権が一般的になるかもしれない (東京)
新宿高島屋で上へ向かっていくと、家具やインテリアを扱っているフロアに辿り着く。あまり人がいない空いているフロアだ。そんなフロアの一画に画廊がある。ふらっと中に入ると、灰原愛という作家の木彫りの作品が並んでいた。幸か不幸か作品を観覧している人は誰もいない。閑散としている画廊に木彫りの人形だけがところど…
新宿二丁目に建つ太宗寺に足を踏み入れると、コンクリートで固められた校庭のような境内を囲むように堂宇や地蔵が建っている。本堂が随分とモダンなデザインなこともあって、都会の真っ只中に造られた学校のような趣だ。でもこの寺院は思いの外古い。創建は1668年というから、徳川幕府が浅草商人に新しい宿場の開設を許…
新宿で栄えているところというと、新宿駅から新宿三丁目のあたりを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。でも内藤新宿という新しい宿場町が造られた頃の中心は新宿駅でも新宿三丁目の辺りでもなかった。往時の中心は四谷に向かって新宿御苑に近いあたり、今の住所でいうと新宿一丁目と二丁目辺りだったのだ。その証拠に…
低地にある下町と台地にある山の手の2つの地形が隣り合わせで並んでいる東京に坂は多く、名前の付いているのも多い。歩いていて、坂の名前とその由来を書いた標識を見つけると立ち止まって読んでしまうのもしばしばだ。なにせ東京23区には名前のある坂が900以上もあるのだという。中には汐見(潮見)坂とか富士見坂だ…
歴史上の超有名人を祀っているのにもかかわらず多武峰内藤神社は閑散としていた (東京)
多武峯という変わった名前の神社が新宿御苑の外側にひっそりと鎮座している。多武峯とは奈良県桜井市南部にある山で、藤原鎌足を祀った談山神社があり、鎌足の墓所も山頂にあるとされるところ。その昔、藤原鎌足が中大兄皇子と蘇我氏討伐の乙巳の変を企てたのがこの山なのだそうだ。つまり藤原鎌足が、後の藤原氏繁栄のきっ…
聖徳記念絵画館は収蔵物よりも建物の方が立派であるような気もしてしまう (東京)
存在は知っているものの、訪れたことのない場所って結構多い。東京に住んでいても、東京タワーや東京スカイツリーに登ったこともなく、築地市場で魚を買ったこともなく、原宿竹下通りをプラプラ散策したことのない人って結構いると思う。僕にとって、そのような場所は神宮外苑にある聖徳記念絵画館だった。ここは幕末から明…
平らな塚が境内にあるのが、この神社の名前の由来なのだという (東京)
平塚と聞くと真っ先に思い浮かぶのは神奈川県にある平塚市だけれど、この地名は関東にいくつもある。東京都品川区にも平塚という地名が存在するし、埼玉県上尾市にも、千葉県白井市にも存在している。平塚という言葉の由来には「台地状になった塚」を意味するとか、「傾斜のある高所」を意味しているだとか、いろいろあるよ…
旧古河庭園の邸宅は洋館だけれど庭園には日本庭園もある (東京)
その昔、男爵の邸宅として建てられた洋館を横目に階段を下りていくとバラ園がある。整然と保たれているバラ園は洋風で、邸宅の趣と合致している。しかしながらバラ園からさらに階段を下ると様相は一変する。西洋趣味はどこかへ霧散してしまい、和風の石灯籠が建っている。庭園の中心に心字池が配され、急勾配を利用した大滝…
多くの家族連れがのんびりしながら、肉や野菜を焼いている。近くを歩いていると、香ばしい匂いが僕にまとわり付いてくる。バーベキューエリアも設けられている横須賀の観音崎公園はのどかだった。バーベキューエリアだけを見ていると、ここがかつて陸軍の要塞だった場所とは信じがたい。しかし要塞だった頃の名残はまだ付近…
もういい年齢になったので、知らず知らずに治っているのではないかと期待したものの、現実はそれほど甘くなかった。いくつになっても怖いものは怖い。横須賀にある日本最古の洋式灯台である観音崎灯台に登って、外に出られるバルコニーに辿り着くと見事なまでに腰が引けてしまったのだ。それほど高い灯台ではない。たかだか…
横須賀の走水にある横須賀美術館は、開放的なロケーションに建っている。波打ち際から道路を横断して緩やかな坂を上っていくと、スロープの最後に建物が待ち構えている。海から近いだけでなく、芝生が植えられたスロープから眺める海の景色も良く、もし空腹だったら海を眺めながら食事もできるという欲張りな作りだ。開放的…
やって来た横須賀美術館ではミロコマチコの企画展が開催されていた。どこまでが名字で、どこからが下の名前なのか、いまいち分からない絵本作家だ。それだけではない。名前だけをみると、ミロコさんとマチコさんのコンビである可能性も否定できないし、ひとりと見せかけて実は大勢の人間が関与しているプロジェクトである可…
地層が好きな人より釣りが好きな人の方がずっと割合が多い (神奈川)
走水漁港を出て、海沿いを歩いて観音崎へと向かう。防衛大学校の走水海上訓練場を越えて観音崎ボードウォークに入っていく。ここは波打ち際に設けられた遊歩道だ。大きな波が来たら、逃げ場がないところにウッドデッキが伸びていて、ちょっと不安になる。しかし、そんな顔をして歩いている人は誰もいない。大きな波の心配は…
釣り船が出港すると、他に出港するような漁船はどこにも見当たらず、港は静寂に包まれた。チャプチャプと可愛らしい波が打ち寄せていた。僕は人の気配のしない港をウロウロしながら、干してあるワカメだったり、陸揚げされた漁船のスクリューだったり、何に使うのか分からない道具の写真を撮っていた。そうこうしていると…
走水漁港に停泊していた漁船の船首にはお守りのような錨 (神奈川)
ついさっき釣り船が出港していくのを目にしたものの、横須賀の走水漁港に停泊している船のほとんどは静まり返っていて、これから出港するような雰囲気は微塵も感じなれない。やはりこの日の漁はすでに終わってしまっているのだろう。しっかりとロープで係留されている船たちは波のリズムでゆっくりと上下するだけだった。写…
横須賀の伊勢の辺りで海に浮かんでいた漁船はどれもこれもロープでしっかり係留されていて人の気配を感じられなかったけれど、旗山崎を越えて走水漁港に来ると何やら人の気配がする。空を見上げれば、トンビが上空を周回している。この港には何かあるに違いない。波打ち際を進んでいくと、先の方に人が動いているのが見えた…
かつてカノン砲も設置されていた走水低砲台跡からの眺めは良い (神奈川)
逃げ水には決して追いつけなくとも、横須賀にある走水には追いつける。それどころか、ここは海岸もあり、漁港もあり、海の幸を出す食堂もあり、近代遺産もあって観光できてしまうところだ。走水は一見すると逃げ水の亜種のように思えてしまうけれど違う。川のように速く流れる潮流に由来して名付けられたとも言われる横須賀…
地図で見ると横須賀の走水にある桟橋付近の海底に、波消しブロックが沈められているのがわかる。ちょっと沖にある桟橋にはもちろん、桟橋の内側にも波が来ないようになっているようだ。そのためだろう。桟橋ではなく、陸とロープで繋いだまま、柔らかな波間にプカプカ浮いている船も散見される。波消しブロックがあるとはい…
宇宙エスカレータがあれば、こんな感じかもしれない (神奈川)
地上と宇宙を結ぶ宇宙エレベータが存在するのであれば、宇宙エスカレータがあってもいいと思う。物資を運搬するのにはキチンと籠のあるエレベータが効率的で望ましいのかも知れないけれど、観光気分で宇宙に向かうのならエレベータが向いている。移動手すりに手を載せて、先を見上げれば宇宙が広がり、後ろを見れば大地が横…
フランク・ロイド・ライトの人柄と関係なく自由学園明日館は美しい (東京)
世界遺産に登録されている建造物というと、エジプトのピラミッドとか、奈良の法隆寺とか、カンボジアにあるアンコール・ワットとか、遠い昔に建てられたもので設計した人間の素性なんて分からないものばかりと思いがちだけれど、実際には近代になってから著名な建築家に設計された建造物も含まれている。例えば、東京の上野…
駅や地下街に設けられた案内板はえてして分かりづらい (東京)
東京の神奈川に近い場所で育った人間にとって、池袋は馴染みがない。いくつもデパートが立ち並び、地下通路が入り組んでいる池袋の街は、馴染みのない人間にとって文字通り迷路のようで、「いけふくろうで待ち合わせ」なんて言われても、どうやったら辿り着けるのか行ってみないことには分からないのが実情だ。そのような時…
神楽坂にある兵庫横丁は名前の由来と雰囲気がかなり違う (東京)
神楽坂の路地を歩いていると、杉玉を見かけたり、道端に盛り塩されているのを見かけたりして伝統的な日本を垣間見ているような気分になれる一方で、モダンでお洒落なレストランにも遭遇する。料亭や見番のある花街として賑わった時代のものと今時のものが混在しているのだ。そんな町並みを眺めていると、時空が歪んでいるよ…
神楽坂というと渋い路地の残るかつての花街というイメージが色濃い。飯田橋駅近くから神楽坂を上がっていき、脇に逸れると絡み合うように伸びる路地に料亭があったり、芸者衆の手配や稽古を行う見番があったりして、そのイメージに合致した町並みが広がっている。路地を歩くのが好きな人間にはたまらない町だ。路地の中には…
いつのころからか神社に行くと、どのような狛犬が社殿の前で待ち構えているのかが気になるようになってしまった。気に留めていなかった頃は、どこの狛犬も同じようなものだと勝手に思っていたけれど、観察し出してみると結構違う。台座の上に凛々しく立ちはだかっている狛犬もいれば、玉を足で抑えている狛犬もいるし、子分…
リニューアルされた赤城神社は石灯籠もモダンなデザインだった (東京)
再生されてモダンな装いをまとっている赤城神社に立つ石灯籠もやはりモダンな造りだった。灯台を思わせるような背の高い台の上に、小振りの火袋がちょこんと載っている。あまり見かけない造作だ。重心が高いところにあって、スマートな見た目であるものの、実際に明かりを灯そうとすると火袋が高い位置に設けられていて使い…
ガラス張りの拝殿に長い歴史と神秘性を感じるのは難しい (東京)
神社の社殿や仏閣の堂宇などは、老朽化しても以前と違う形に建て替えないような気がする。見えないところに現代の最新技術を用いたとしても、外観は昔通りに再建するのが多いのではないだろうか。そうするのは、外観を新しいものに替えると今まで積み重ねた伝統がなくなってしまうような気がしてしまうからではないか。そう…
赤城神社の狛犬はなぞなぞを出してきそうな雰囲気を持っている (東京)
20年以上前に訪れた時とかなり雰囲気が異なっているような気がしたのは、2009年から2010年にかけて実施された「再生プロジェクト」と銘打つ工事のためのようだ。東京の赤城元町に建つ赤城神社で以前に感じたちょっと薄暗く地味なイメージを今の境内で探しても、もうどこにもない。建築家の隈研吾がデザイン監修し…
出版社の経営する本屋はなくなったけれど、校正会社の本屋は営業を続けていた (東京)
書店だと思っていた場所がライフスタイルショップに変わっていて少々気落ちしたものの、僕は気を取り直して近くにある別の書店に向かった。町中の書店はどんどん減少していく昨今、こちらの書店もなくなっていたらどうしようかと思ったけれど、こちらは無事に存在していた。目指した書店は、昔僕が早稲田近辺に住んでいた時…
昭和40年代に建てられた倉庫の外観はそのままだったけれど、中はがらりと変わっていた (東京)
出版社の倉庫を改装して、本・雑貨・服・家具などを販売するセレクト・ショップだと思って入ると、店内の雰囲気は僕の期待していたものと全然違った。食品が店内のほとんどのスペースを埋めていて、イートインコーナーもある。外観は以前と変わっていないようだから、中に入るまで気が付かなかったけれど、矢来町にあったラ…
漱石山房記念館は漱石が晩年を過ごした漱石山房のあった場所に建っている (東京)
20年以上前に早稲田の辺りに住んでいたことがある。駅前から伸びる夏目坂には夏目漱石生誕の地を示す碑が立っていて、その場所の住所「喜久井町」は夏目家の家紋「井桁に菊」に由来していることなどは当時から知っていて、この辺りが夏目漱石に縁のある場所なのは知っていたものの、晩年もこの辺りで過ごしたのは知らなか…
ここは草間彌生美術館だから、展示されている作品は全て草間彌生の作品だ。でもなんか違う。そう思ったのはあまり水玉で埋め尽くされた作品がなかったからかもしれない。この前ふらっと足を踏み入れた京橋の画廊にも多くの草間彌生の作品が展示されていたけれど、ほとんどが水玉をモチーフにしたものだった。繰り返し、繰り…
壁に記された年表はどこまでも、いつまでも終わらないよう雰囲気だった (東京)
草間彌生といえば日本を代表するアーティストのひとり。御年93歳でありながら、今でも作品を発表し続けている現役のアーティストだ。はちきれんばかりの豊満なモナリザを描くフェルナンド・ボテロも90歳にして現役で、今も日本で個展を開催中だけれど草間彌生も負けてはいない。まさに生きる伝説みたいな存在だ。古くか…
似たような発音の名前だけれど、大師堂と太子堂はぜんぜん違う (東京)
似たような発音の名前だけれど、中で祀っているものはぜんぜん違う。太子堂というと、祀られているのは聖徳太子だ。仏教を篤く敬い保護した聖徳太子は日本仏教興隆の祖として宗派を問わず信仰されていて、日本各地に太子堂という仏堂が建っている。それに対して大師堂というと祀っているのは大師号を贈られた僧侶で、真言宗…
関東に建つ大きな堂宇の多くが関東大震災後にコンクリートで再建された中、護国寺の大きな本堂は今でも木造だ。何せこの本堂は300年以上前の1697年に建てられたもの。コンクリートなんていうものが存在しなかった時代からずっと同じように建ち続けている建造物だ。江戸時代に幾度も生じた大火で焼失することもなく…
LGBTのレインボーフラッグの色にそれぞれ意味があるように、仏教を表す仏旗の色にもやはり意味が込められている。それも仏陀が定めたわけでもなく、どこかの高僧が決めたわけでもなく、国際会議で定められたというから面白い。1950年にスリランカで開催された第1回世界仏教徒会議で、正式な「国際仏旗」が採用され…
不忍通りに面して建っている仁王門を越えて、しばらく参道を進んでいくと、本堂へ辿り着く前に急な階段が待ち構えている。ここは大塚にある護国寺。かつて徳川幕府の祈願寺だった寺院だ。階段の上に不老門がそそり立っていて、本堂に向かう人びとが次々と門に吸い込まれていく。参拝客が急な階段を登り切って門をくぐってい…
宮益御嶽神社には日本狼をモデルにした狛犬が鎮座している (東京)
渋谷駅から宮益坂を上っていくと、左手に鳥居が建っている。雑居ビルの横にあって、急ぎ足だと通り過ぎてしまうくらい地味な鳥居だ。渋谷の繁華街のど真ん中に現れた鳥居。そう。鳥居があるということは、その先に神社が建っているということ。ここは宮益御嶽神社の参道だ。鳥居をくぐっていくと、参道は階段になり一段一段…
小さなギャラリーの小さな壁にところせましと作品が並べられていた (東京)
表参道からロハス通りを進んでいくと、路地が入り組んでいて面白そうな景色が広がっている。昔からの細い道が残っていて、路地歩きが好きな人間に訴えるものがあるのだ。でも残念。ここは下町でもなければ、旧市街でもない。東京でもかなりファッショナブルな部類に入る表参道界隈だ。路地を歩いても、道端に時間を持て余し…
東郷神社の扉に描かれた十六八重菊と蔦の葉を組み合わせた紋章 (東京)
神宮前に建つ東郷神社の扉に大きな紋章が据え付けられていた。金色に輝く紋章には、いわゆる菊の御紋と蔦の葉の組み合わせが描かれている。菊の御紋はいわずもがな、皇室の家紋だ。では蔦の葉は何なのかといえば、これは東郷家の家紋なのだ。ここは日露戦争で連合艦隊司令長官として指揮を執った東郷平八郎を祀った神社。皇…
さいたま市には盆栽村と呼ばれる地区がある。1923年に生じた関東大震災で被災した東京小石川周辺の盆栽業者が移住して形成した地区で、数は減ってしまったものの今でもいくつかの盆栽園が存在している。そんな盆栽とゆかりのあるエリアには、その名も盆栽美術館という文字通り盆栽を展示している美術館が建っている。盆…
神社の前にできた水たまりに参拝客の姿が映り込んでいた (埼玉)
長い歴史を誇る大宮氷川神社の境内には多くの摂社・末社も鎮座している。三の鳥居を抜けると回廊に辿り着く前に、山祇神社・石上神社・愛宕神社・雷神社・住吉神社・神明神社を長屋のように配置した六社を始め、稲荷神社、松尾神社、宗像神社が建っていて、回廊の脇には門客人神社と御嶽神社が建っている。さらにちょっと離…
さいたま市に建つ氷川神社は式内社で武蔵国の一宮でもある (埼玉)
一宮の選定理由は諸説あってよくわからないものの、つまるところ「その国でもっとも由緒正しく、多くの信仰を集め、経済的基盤も優れていた社」が選定されている事例が多いと日本大百科全書には書いてある。そう考えると、武蔵国の一宮とされる大宮氷川神社が埼玉のさいたま市に鎮座しているのはちょっと不思議。さいたま市…
神道では神棚や祭壇に供えられ、神事に用いられるメジャーな植物であるものの、仏教の世界では一転して存在感が薄い。さらに榊という漢字自体が日本で作られた国字であることも、勝手に榊が日本にしか生息していないものだと思わせる一因だった。日本にしか生息していないのだからインドから中国を経由して伝来した仏教では…
伝通院のすぐ近くに慈眼院という寺院がある。内陣も外陣も総檜造で、向拝は総欅造だと言われても、1961年に再建された本堂は正直なところそれほど見応えのあるものではない。それよりも本堂に向かって右手にいった先にある窪地に、この寺院の一番面白いところがある。そこは慈眼院が別当寺になっている澤蔵司稲荷がある…
伝通院には2012年に再建された立派な山門が立ちはだかっている (東京)
前にも来たことがあるはずなのに、参道を進んでいくと現れたのは見たことのない大きな山門だった。小石川に建つ伝通院というお寺は、徳川将軍家の菩提寺であるにもかかわらず地味な寺院という印象だったのだが、この門は全くもって地味ではない。どちらかといえば立派な部類に属する門だ。調べてみたら、伝通院の山門は新し…
仁王門の向こうに建つ観音堂に秘仏の聖観音菩薩像が鎮座している (神奈川)
田んぼと田んぼの間に伸びるあぜ道のような参道の先に階段があって、それを上がると山門が建っている。山門をくぐってさらに階段を上っていくと、そこには古めかしいお堂が建っている。王禅寺の観音堂だ。この堂宇の中に1608年に造られた聖観音菩薩像が鎮座しているのだ。王禅寺では毎月17日を「観音様の日」とし、観…
公園と農地の間をすり抜けるように歩いているうちに境内に足を踏み入れたようで、目の前に現れた階段の下に仁王門が建っていた。どうやら僕は表参道ではなく、変な箇所から王禅寺の境内に入ってきたようだ。公園なのか、寺院の境内なのか、よく分からない場所を歩いている人はチラホラいるけれど、参拝にやって来たというよ…
供養されるのを待つ人形はどれも虚空を見つめていた (神奈川)
解剖学者である養老孟司によると、「日本人は“ものにも魂が宿る”という考え方をし、ものを一緒に生きてきた仲間として見る傾向がある」らしい。そのため昔から不要になったものを単に捨てるだけでなく、供養してからお焚き上げしている。もともと供養とは尊敬の念から仏などに供物を献ずることなのだが、日本ではその概念…
大きな朱色の鳥居の向こうにあるのは社殿ではなく儀式殿だった (神奈川)
屹立した丘の上に鎮座している小さな社殿は、天津神である天照大御神と国津神である大物主神が並んで祀られているという珍しいものなのだそうだ。でも場所が悪い。回り道も設けられているとはいえ、表参道はお参りする気が失せるのに充分なほど急な造りだ。僕がお参りしたときも、他には誰も参拝客がおらず社殿の前は静寂に…
釈迦の高弟と聞くと、いつも難しいことを考えていて表情も険しいように思えてしまうけれど、川越にある喜多院に並んでいた羅漢像を見る限りではそうではないようだった。気難しそうな顔をしているのもいたけれど、中には笑っていたり楽しそうにひそひそ話をしていたりする羅漢もいて、羅漢といえども同じ人間なのだと思わさ…
都心で広い敷地を持つ施設はかつてどこかの藩邸だったところが多い (東京)
明治維新になって、新しい政府の都が京都でも大阪でもなく、東京に定められた理由のひとつに諸侯の藩邸などがあり官庁などを新築する必要がなかったことが挙げられる。都心に広大な敷地を持つ藩邸を新政府に明け渡してもらいさえすれば、土地の取得はもちろんのこと、場合によっては建物さえ新築する必要がなかったのだ。そ…
東照宮というと、世界遺産にも登録されている日光にある東照宮を思い浮かべる。でも東照大権現たる徳川家康を祀っている神社は、日光以外にも予想以上に日本のあちらこちらに建っている。北は函館から南は長崎まで、全国東照宮連合会によるとおよそ50の神社が東照大権現を祀っている。川越にある仙波東照宮もそのひとつで…
喜多院の五百羅漢像はそれぞれが異なる表情・ポーズで鎮座していた (埼玉)
当たり前のことだけれど、仏教の教えが今現在でも広く流布しているのは、開祖ガウタマ・シッダールタに弟子がいて、その教えを後世に伝えてきたからだ。いくらガウタマ・シッダールタが天才的な宗教者であっても、その教えを受け継ぐものがいなければ仏教はとうの昔に消滅してしまっていたことだろう。インドの仏典によると…
川越にある大師様こと、喜多院の境内は広い。かつては北院(現在の喜多院)の他に仏地院(中院)と多聞院(南院)もあり、今よりも広かったというから、さすがは徳川家に厚く庇護された寺院だ。境内のところどころにベンチが置かれていて、カップルや家族連れがくつろいでいる。その様子はさしずめ公園のようだ。しかしなが…
喜多院には江戸城にあった建物の一部が移築されている (埼玉)
川越にある大師様こと、喜多院の境内は広い。かつては北院(現在の喜多院)の他に仏地院(中院)と多聞院(南院)もあり、今よりも広かったというから、さすがは徳川家に厚く庇護された寺院だ。境内のところどころにベンチが置かれていて、カップルや家族連れがくつろいでいる。その様子はさしずめ公園のようだ。しかしなが…
かつて広大な敷地を持っていた川越城も、今では本丸御殿の一部を除いて現存していない。二の丸だったところは博物館と美術館に、三の丸だったところは高等学校になっていて、周辺を歩いてもここがお城の中だったとは思えない。強いて言うなら郭町という町名に名残を感じるくらいだ。かつて川越城の場内に建っていた三芳野神…
子どもの頃、学校帰りに買い食いをしてはならないと言われていた。あれはいったい何だったのだろう。学校が終わったあとでもそうだったのだから、学校にいる間は言わずもがなだ。学校に食べ物を買うためのお金を持ってきてはならぬという掟でもあったのだろうか。合理的であるかどうかはさておき、子どもの自分はそれが当た…
川越氷川神社には参拝客向けのエンタメがいくつもある (埼玉)
一言でいえば商売上手。川越にある川越氷川神社は眺めて楽しいだけでなく、写真を撮っても楽しめるようなスポットが複数設けられていて、やって来た参拝客を楽しませようとする意気込みを感じるは神社なのだ。中でも有名なのは2014年から夏になると飾られるたくさんの風鈴だ。開催時期になると2000個以上の風鈴のあ…
神社の世界にもルッキズムがあるような気がしてならない (埼玉)
由緒があるかどうかと、大勢の参拝客で賑わっているかどうかには直接的な関係はない。とはいえ由緒正しい神社でお参りすれば御利益も大きい気がしてしまうし、逆に小さくて粗末な神社だと御利益も小さいような気がしてしまう。神社仏閣の世界にも、ルッキズムが存在しているかのようだ。個人的な偏見でいうと、埼玉の川越に…
日本では慢性的にバスの乗務員が足りない状況が続いているのだという。勤務時間が不規則な上に待遇も悪いとなれば、募集をかけても人が集まらないのも仕方がない。だからといって、公共の交通機関であるバスを運転する人がいなくなれば困るのは利用者だ。特に自分で自走者を運転するのが難しくなった高齢者にとっては死活問…
気がつくと、東京においてシェアサイクルはかなり普及している。都心部には思いも寄らないビルの横にシェアサイクルが置かれているし、都心から離れたところでもところどころにシェアサイクルの基地が設けられていたりする。ちょっとした距離を乗るにはとても便利になっているのだ。これだけシェアサイクルが普及すると、自…
まだ肌寒いくせに、日差しは一丁前に眩しかった。西新宿に建つ小田急デパートの前を歩く人びとの多くは、その日差しに目を顰めていた。写真の若い女性も、歩きながら腕を顔の前に上げて日差しを遮っている。背後の赤い壁面は小田急百貨店本館のもの。開業したのは1967年というから、西口にあった広大な淀橋浄水場が廃止…
代田橋駅のすぐ横にある踏切が音を立てながら下りて、しばらくするとピンク色の京王線が目の前を横切っていく。踏切が再び上がるまで、通行人は静かに電車が通り過ぎるのを待っていた。日本では当たり前の光景だ。線路にみだりに入ってはいけないし、そもそも線路の上を歩いたら危なくて仕方がないというのが日本での常識だ…
ここのところ、犬よりも猫の方がずっと人気がある。「ネコがメディアを支配する」というタイトルの本が出版されるくらい猫の動画を目にしない日はない。実際、数年前から日本では犬を飼う人よりも猫を飼う人の方が多くなっているという。その人気の差は言葉にも現れている。気がつけば「地域猫」なんて言葉が広く受け入れら…
龍光寺にある四国八十八箇所霊場で静かに目を閉じていた石仏 (東京)
交通機関がない時代に東京から四国へお遍路に行くのは大変だったに違いない。なにせ四国で88箇所の霊場を巡るだけでも大変なのに、そのスタート地点に立つために、遍路の行程よりも長い距離を歩かねばならない。これからが本番だとなったときに、すでに疲れ切ってしまっているのでないかと心配だ。お遍路に行きたいのは山…
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「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と川柳で詠まれた「かねやす」が本郷三丁目の交差点に建っているのを考えると、詠まれた当時の江戸は今の東京と比べるととても狭い。江戸城の本丸から、かねやすまでの距離はわずか2キロほど。想像していたよりもずっと江戸の範囲は狭い。かねやすまでが江戸だとすると、今となっては東…
旅先でスラムのようなところに行くのが好きというと、大抵の人は顔をしかめる。スラムなんて危険なエリアをわざわざ訪れるなんて趣味が悪いと顔をしかめる人もいるし、そんな危ないところに行くなんて話を盛っているに違いないと思ってしかめる人もいる。しかめる理由は違っても、同じなのはスラムが危険な場所だと思いこん…
渋谷駅周辺の再開発が終わらない。あちらの工事が終わったと思ったら、こちらの工事が始まり、一段落したのかと思いきや、今度は桜丘の辺りを懸命に工事している。セルリアンタワーがそびえていたものの、青山通りを横断しなければ行けない地味なイメージだった桜丘も、2023年に再開発工事が完了すればすっかり変わって…
物語が進んでいってどのようなエンディングを迎えるのだろうと期待が膨らんだときに夢オチと知ってがっかりしてしまうのは、夢オチがなんでもありだからだろう。今まで紡んできたストーリーの流れを絶ち、強引であっても話をつけてしまう。それが夢オチだ。夢オチと同じく夢を飛び道具にしているものに夢枕がある。寝ている…
かなり都心にあって、すぐ脇を交通量の多い山手通りが走っているにもかかわらず代々木八幡宮の境内は静寂に包まれている。地図で見るとこの神社の境内だけがこんもりと木々に覆われている。静かなだけでなく、境内を歩いていると空気も澄んでいるような気がする気持ちのいい場所だ。大昔の人も僕と同じように感じたようで…
そういえば今年になってから電力需給ひっ迫警報が資源エネルギー庁から発せられたことがあった。これは文字通り電力の需給が逼迫しているという警報だ。つまり電力が足りなくなりそうということ。この警報が発せられたということは、停電が生じる可能性が高まったのを意味しているのだ。高度成長期以降に東京で生まれ育った…
東京駅近くの丸の内に建っている丸の内ビルディング(通称丸ビル)は2代目だ。今では地上37階地下4階の巨大な高層ビルになっているものの、かつての丸ビルはたかだか地上は9階までしかないビルだった。つまり建て替えによって9倍くらい高くなった。にもかかわらず面白いのは、建て替え前の丸の内ビルディングの方が年…
代わり映えしないとはいえ、日本では写真を撮るときに「ハイチーズ」という掛け声が今でも現役だ。チーズと発音するときに口角が上がって笑顔になるから、このフレーズが根付いたと言われる。つまり口角が上がりさえすれば、フレーズは違ってもいい。楽しそうな顔で写真の中に収まるのが重要なのだ。海外でも考えは同じで…
プラットホームが11面22線もある東京駅のような大きな駅になれば、改札もよほど大きいに違いないと思いながらやって来ると拍子抜けてしまうに違いない。東京駅にはいくつも改札が設けられているものの、目玉が飛び出るほど大きな改札はないのだ。この日に僕が通り抜けた丸の内中央口改札も中央という名前が付いていて…
ゲゲゲの鬼太郎が裏手に住んでいたという設定もある調布にある布多天神社は延喜式にも記載のある古い神社で、僕が訪れたときも参拝に訪れている人が大勢いた。整備された境内に鬼太郎の住処だという雰囲気はない。僕の偏見かもしれないが、鬼太郎のような職業不詳で得体のしれない人間を積極的に排除するのではないかと思わ…
調布にある古刹深大寺の見どころは何だろう。かつて寺領だった神代植物公園を挙げるひともいるだろうし、釈迦堂に安置されている国宝の銅造釈迦如来倚像を上げる人もいるだろうし、本堂に安置されている宝冠阿弥陀如来像の霊験のあらたかさを挙げる人もいるだろう。食い意地の張った人であれば、名物である深大寺そばだとい…
東京都内でもっとも古い寺院が浅草にある浅草寺であるのを知っている人は多いと思う。では2番めに古いお寺がどれかを知っている人はどれくらいいるだろう。ナンバー1の知名度に比べ、ナンバー2の知名度はぐっと落ちてしまうから、知らない人も多いのではなかろうか。だからといって調布に建つ都内で2番めに古い寺院であ…
この前、都内と成田空港を結ぶ成田エクスプレスの時刻表を見ていたら運休している列車がそこそこあるのに驚いた。よくよく考えてみたら、それも当然の帰結。成田空港に発着する飛行機が少なくなっているのだから、成田空港の利用者も減っている。成田空港に向かう人が少なくなった結果なのだ。そういう僕も2020年初頭に…
東京には国立の美術館もあれば、都立の美術館もあるし、もちろん私設の美術館もある。それぞれが所蔵するコレクションを観るだけでも大変なのに、いつもどこかで企画展が催されていて、すべてを鑑賞しようと思ったら週末だけでは到底時間が足りない状況だ。美術館とひと口に言っても、その専門は切り口によって異なっている…
銚子駅の北側には大きなロータリーが設けられていて、そこから幅の広いシンボルロードという道が利根川に向かって伸びている。アーケードも設けられているこの道は商店街になっているものの、営業をしている店舗は少ないし、営業しているお店からも活気が感じられない。賑わっているのは、銚子に来なくても目にすることので…
お寺でも神社でも神様が鎮座しているところにはお賽銭箱が置かれている。日本人であれば神社仏閣にお参りした際に金銭を奉納するのに何も違和感を持たないだろう。これは日本だけの風習ではない。中国や台湾、香港にも香油銭と呼ばれる同じような風習があり、韓国にも似たような風習があるという。でも東アジア以外では神様…
蚊取り線香をあまり見かけなくなった今、僕にとって線香といえば仏教寺院でお供えとして燻らせるもの。仏教寺院には線香を上げる香炉が付きものだ。銚子に建つ飯沼観音でも、ご多分にもれず本堂の前に大きな香炉が置かれていた。仏教寺院で線香を上げるのは、線香の煙に穢れを祓い、心身を清浄にする作用があるからとされる…
今でも東南アジアの、特にミャンマーの仏教寺院では主役で境内の中心にどしんと構えていることが多いものの、日本ではいつの間にか本来の目的から解放されている。飛鳥寺式の伽藍では中心に備えられた仏塔も、四天王寺式、法隆寺式、薬師寺式と時代が下るうちに単なる装飾と考えられるようになり、東大寺式になると回廊の外…
蒸気機関が発明されるまで、海を航行するのはすべて帆船だった。ガレー船のように船の両脇から何本ものオールが出ていて人力で航行できるのもあるにはあったにせよ、基本的には風がないと船は進まない。風がなければ人間にはどうしようもない時代が長く、順風が吹くまで港でじっと待つ、風待をする習慣もあったくらいだ。だ…
銚子駅と外川駅を結ぶ銚子電鉄にはわずか6.4キロの間に10の駅が設けられている。それぞれネーミングライツが売られていて、正式な駅名以外にも個性的な呼称が付いている駅はそれぞれ雰囲気も個性的だ。JRの駅のおまけのような銚子駅もあれば、昭和に取り残されたままになっているような外川駅もある。そのような中…
住宅街を歩いていると、古いアパートが建っていた。昭和の香りが漂う、カタカナの名前は似合わないようなアパートだ。なんという名前が付いているのか分からなかったけれど、ここには〇〇荘だとかそういう名前が似合う。入り口の引き戸が開いていたので、中がどうなっているのか興味を惹かれて寄っていく。隙間から中を覗く…
階段の先を見上げると青空が見えた。ここは昔ながらのスーパーマーケットだ。大資本が運営していて、誰しもが名前を耳にしたことのあるようなスーパーマーケットではなく、地元に慣れ親しんだ人でなければその場所もどこにあるのかよくわからないものだ。紙の新聞を購読していれば、折込チラシでも入っているのかもしれない…
代官山の一角に保存されている旧朝倉家住宅は和風の2階建ての建造物だ。100年前に建てられたこの古い住宅は一般に公開されている。建物内部の見学も可能だし、日本庭園の中を歩くのも可能だ。お洒落な町から程遠くないところにある敷地の中に足を踏み入れると、ここだけ大正時代から時間が止まったままのように感じられ…
丸い障子窓の向こうに日本庭園が広がっている。このようなシチュエーションと聞いて思い浮かべるのは関東地方の人ならば鎌倉にある明月院、関西地方の人ならば京都にある源光庵が多いのではなかろうか。不思議なことにどちらにある丸い窓も「悟りの窓」という名が付いている。明月院は臨済宗、源光庵は曹洞宗でどちらも禅宗…
この日に代官山にやって来たのは、ファッショナブルな街で買い物するためではなかった。代官山の一角に保存されている築100年の住宅を見るためだった。東京府会議長や渋谷区会議長を歴任した朝倉虎治郎という人物によって建てられた和風2階建ての住居が、お洒落な八幡通りからそれほど離れていないところに保存されてい…
代官山駅で電車を降りて、細い道を抜けると八幡通りに出る。お洒落な町・代官山に不釣り合いに思える日本古来の神様の名が付いた通りだ。名前から判断すると、この通りを進んでいくと八幡様を祀る神社に通じるはず。でもこのファッショナブルな町の中に八幡様を祀った神社は思い当たらない。どこの八幡様へ通じる道なのかと…
かつて東京の貧民窟と言われた鮫河橋から歩いてくるとちょっと高くなったところに須賀神社が建っている。スサノオノミコトとウカノミタマノカミを祀る四谷十八ヵ町の総鎮守だ。もともとは赤坂一ツ木村(現在の港区赤坂四・五丁目)の鎮守で清水谷(現在も清水谷公園という公園が存在しているけれど、住所は赤坂ではない)に…
1943年に消滅してしまって今はないけれど、かつて新宿区に四谷寺町という町名があった。その名が示す通り、寺が多く集まったエリアだ。徳川家光の時代に江戸城外堀を造ることになり、現在の麹町地区にあった多くの寺がこの地に集団移転したため寺が多いのだという。残念ながら、四谷寺町という町名は今では何の味気もな…
スラムと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、映画スラムドック・ミリオネアの舞台にもなったインドはムンバイにあるダラビやフィリピンにあるスモーキー・マウンテンかもしれない。確かにスラムと聞いて連想するような貧民窟は今の東京にはない。しかし、かつては存在した。四谷駅と信濃町駅の間にあった鮫河橋がそれだ。今の…
家の近所に昔ながらのスーパーマーケットがあった。大資本が経営しているものではなく、八百屋と青果店、魚屋、惣菜屋、生花店などが同じ屋根の下に集まって、ひとつのスーパーマーケットを構成しているものだった。自分が幼かった頃は、このような寄せ集めのスーパーマーケット(場所によってはデパートを名乗っていたよう…
新宿駅から繋がる地下通路はややこしいと長年思っていたら、いつの間にかそのややこしさは山手線に乗って渋谷に伝播してしまったようだ。東急東横線の渋谷駅が地下に移動してしまって以来、渋谷駅周辺に張り巡らされている地下通路もかなりややこしいものに仕上がっている。地図もなく、よく分からないままにエスカレータで…
銀座線と山手線の渋谷駅の改札が変わってしまってから、岡本太郎の壁画「明日の神話」が掲げられている連絡通路の様子もちょっと変わったような気がする。導線が変更になったせいか、通路の途中で足を止めて大きな窓ガラスの向こうに見える渋谷のスクランブル交差点を眺める人が減ったように見えるのだ。渋谷駅前にあるスク…
仏閣の入り口で睨みをきかす仁王像や神社の入り口に座っている狛犬は聖域である境内を護るために置かれているものだ。境内に祀られている神様は、神道だろうと仏教だろうと人智を超えた存在であるのは違いない。しかし全知全能ではないので身辺警護をしてくれるものが必要なのだ。人智を超えているというのは文字通り人間の…
京急新馬場駅の北口近くに北馬場参道通りという商店街がある。これはその名が示すとおり、品川神社の参道で門前町だったところだ。旧東海道から真っ直ぐに品川神社へ伸びる門前町はただの門前町ではなく、東海道に53あった宿場町のひとつ、品川宿の一部でもあった。品川宿は今の鉄道駅でいうと京急北品川から新馬場を越え…
第一京浜沿いに立つ鳥居を抜けて急な階段を登り切ると、参道の先に拝殿が見えた。品川神社の拝殿だ。この神社は小高い丘の上に鎮座している。今となっては潮の香りもしないし、潮騒も聞こえない。けれど、ここはかつて海岸線のすぐ近くだったところ。境内から東京湾がよく見えたに違いない。祀られている神様も、浦賀水道の…
品川から南に向かう京急線には立て続けに駅が並んでいる。北品川、新馬場、青物横丁、鮫洲とそれほど離れていない距離で駅が続いているのだ。それぞれの駅に順番に停まるのも、のんびりローカル電車の旅を楽しむならばいいのかもしれないけれど、朝の通勤ラッシュの時間帯に電車がノロノロ進むのを楽しめる人は多くはないだ…
京急の品川駅はややこしい。プラットホームは3線分しかないのにもかかわらず、ここを走る列車の種類は多い。ここから南に向かう列車に限っても、大きく分けて行き先は2種類。三浦半島に向かう列車と羽田空港に向かう列車だ。さらに、この2つの行き先の列車にそれぞれ特快や急行や普通などの種類があるのだ。慣れている人…
仁王門を抜けて進んでいくと、すぐに急な階段に行き当たる。目黒不動尊の大本堂へ続く男坂だ。江戸時代から行楽地として賑わってきた目黒不動尊こと瀧泉寺はこの階段の上にある。大本堂は目黒川と羅漢寺川(現在は暗渠になっている)を望む目黒台地に建っているのだ。この台地は古代から人が住むのに適していたようで、縄文…
住んでいる目黒の辺りを古地図で見ても、興味を惹かれるものはあまり載っていない。この辺りが市街地化したのは関東大震災以後のこと。それまでは田畑が広がる農村地帯だったため、古地図を見ても田畑が広がっているだけなのだ。そのような状況の中、田畑の中で目立つものがふたつある。ひとつは今でも同じ場所に鎮座してい…
目黒駅から目黒通りを歩いていくと、ちょっと変わった博物館に辿り着く。それほど広くない館内は、あちらにもこちらにも寄生虫の標本が置かれている。ここは寄生虫を専門に扱った世界でも珍しい博物館、目黒寄生虫館だ。展示されている標本を端から順に眺めていくと、寄生虫に詳しくない僕にはわからない名前のものが続く…