道教寺院というのは、一歩足を踏み入れると、そこが単なる一室の信仰空間ではないと気づかされる。鹿港天后宮も中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座している。文昌帝君、関聖帝君、城隍爺──名前も役割も異なる神々が、それぞれのご利益と共に祀られていて、境内…
中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座していた
道教寺院というのは、一歩足を踏み入れると、そこが単なる一室の信仰空間ではないと気づかされる。鹿港天后宮も中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座している。文昌帝君、関聖帝君、城隍爺──名前も役割も異なる神々が、それぞれのご利益と共に祀られていて、境内…
外を歩いているはずなのに、ふとした瞬間、屋内をさまよっているような気分になることがある
外を歩いているはずなのに、ふとした瞬間、屋内をさまよっているような気分になることがある。香港の湾仔で歩いていた路地も、まさにそんな場所だった。左右からせり出した色とりどりのテントが、空を覆っている。青や赤のビニール屋根が視界の上部を埋め尽くし、その下にはびっしりと並ぶ屋台。靴下、帽子、スマホのアクセ…
インドの街ではどこにも属さず、ただ道端に腰を下ろしている人びとをよく見かける
ムンバイを歩いていると、どこにも属さず、ただ道端に腰を下ろしている人びとをよく見かける。何かをしているわけでもない。ただそこにいて、通りを眺めたり、誰かと談笑したり、ときには黙って風に吹かれているだけ。日本ではあまり見かけない光景で、最初は何をしている人たちなのか分からず戸惑った。でも、そんな僕の思…
ハノイ旧市街を歩いていると、絶え間なくバイクの音が耳に届いてくる
ハノイ旧市街を歩いていると、絶え間なくバイクの音が耳に届いてくる。クラクション、エンジンのうなり、時には叫び声。四方八方から押し寄せてくるバイクの波に、僕はしばし立ち尽くしてしまう。目の前を通り過ぎるのは、老若男女、二人乗り、三人乗り、買い物袋をいっぱいぶら下げた人、スマートフォンを片手に運転する人…
道教寺院には何度も足を運んでいるのに、僕はまだ作法をよく理解できていない
鹿港天后宮のような道教寺院を訪れるたびに、僕は少しだけ戸惑う。日本の寺に慣れ親しんだ身にとって、この空間はどこか異質で、けれどそれが不思議と心を惹きつけてやまないのだ。回廊には柱が並び、軒下には金色の飾りが揺れている。どこを見渡しても色彩が濃い。その中で人々は香を焚き、願いを込め、祈りを捧げている…
ぎゅっと凝縮された熱と暮らしが詰まっているのが香港という都市の不思議な魅力かもしれない
香港では、空がやけに狭く感じられる。高層ビルがぎっしりと並び立ち、視界のほとんどを覆ってしまうからだ。見上げても、わずかにのぞく青空があるだけで、それさえも四角く切り取られてしまっている。湾仔の露店が並ぶ通りを歩いていると、その感覚はいっそう強くなる。そんな通りの片隅で、ひとりの男性が店先の商品をじ…
ムンバイの街を歩いていると、突然、壁に向かって設えられた即席の鏡台と、ちょっと背の高い椅子が目に入った。青空の下、歩道にぽつんと構えられた床屋だ。ごく自然な様子で椅子に座っている男性と、真剣な眼差しで顔剃りをしている理容師。ふたりの間には、言葉にしない信頼のような空気が流れていた。こうした青空床屋の…
おもちゃ屋の前に立っていた小さな男の子は、パラダイスに迷い込んだようだった
ハノイ旧市街の一角。通り沿いにずらりと並んだカラフルなおもちゃたちが、小さな玩具屋の前を賑やかに彩っていた。キャラクターのぬいぐるみ、ピカピカと光る剣、リアルに作られたミニカー。どれもが棚からこちらに手を伸ばしてくるようだった。その前に立っていたのは、小さな男の子。目を輝かせておもちゃを見つめる姿は…
かつて鹿港が港町として栄えていたころ、多くの船乗りが立ち寄ったという天后宮には、今でも多くの信者が訪れる
鹿港の静かな通りの先に、威厳ある屋根の反りが姿を現した。媽祖を祀る鹿港天后宮だった。立派な装飾が施された屋根の下には、赤い幕が垂れ、香炉の煙がゆっくりと天へと立ちのぼっている。天后宮という名が示す通り、ここには海の守護神・媽祖が祀られている。かつて鹿港が港町として栄えていたころ、多くの船乗りたちがこ…
冷蔵ケースなどは見当たらず、ローストされた鶏が店内に無造作に吊るされていた
香港・湾仔の路地に小さな肉屋があった。間口は狭く、奥行きも深くない。店先にはローストされた鶏が無造作に吊るされている。冷蔵ケースなどは見当たらず、常温での陳列だ。生々しいが、どこか生活感があって、妙に惹きつけられる。店先では男が無言で作業を続けていた。大きな丸太のようなまな板の上で、手際よく鶏肉をさ…
タクシーのドアの内側に、色褪せた花柄のビニールシートが貼られていた
ムンバイの道路脇にツートンカラーのクラシックなタクシーが停車していた。前席と後部座席のドアがどちらも大きく開け放たれて、歩道にまでせり出していた。その開き具合は、もはや歩行者の進路を遮っているようでもあったが、周囲の誰も気に留めていない様子だった。男の子はよけるでもなく、その隙間をすり抜けるように通…
ベトナムでは、都市から農村に至るまで、郵便ネットワークが今なお力強く機能しているという
旧市街の一角、封筒の束が山のように積まれた店先で、ひとりの男が小さなプラスチック椅子に腰を下ろしていた。彼が手にしているのはスマートフォンだが、その背後には、整然と束ねられた無数の茶封筒が静かに存在感を放っていた。日本ではすっかり電子化が進み、郵送という行為が年賀状くらいでしか思い浮かばなくなった今…
台湾の伝統芸能である布袋戲、つまり掌中劇を演じる舞台が道端に出ていた
鹿港老街を歩いていると、ふと視界の端に色鮮やかな舞台が現れた。まるで絵本から飛び出したかのような極彩色の装飾が目を引く。龍や鳳凰、蓮の花などが勢いよく描かれたその舞台は、人形劇のための移動式ステージだった。「大自然掌中劇團」と書かれた看板が掲げられている。台湾の伝統芸能である布袋戲、つまり掌中劇の舞…
店先にずらりと並んだ肉はまるでこの香港の生命力そのものを象徴しているかのようだった
湾仔を歩いていたとき、ふと立ち止まった。目の前に現れたのは、赤々とした肉塊が無造作に吊るされた精肉店だった。まるで屋台のようなお店は小さいものの、店先にずらりと並んだ肉はまるでこの街の生命力そのものを象徴しているかのようだった。蛍光灯の赤い光が肉の色をいっそう濃く染め上げている。骨付きのまま吊るされ…
バス停のベンチに座っていたひとりの女の子が、こちらを見てふっと微笑んだ
ムンバイの午後の陽射しは強く、空気の粒が光の中でじわじわと揺れているように見えた。そんな中、通りかかったバス停のベンチに座っていたひとりの女の子が、こちらを見てふっと微笑んだ。前髪がまっすぐに切り揃えられていて、その輪郭のくっきりとしたラインが、どこか昔の映画に出てくる少女のような印象を与える。左手…
中国の大きな影響を受けてきたベトナムにフランスの影響が強くなってくるのは、1884年の清仏戦争のあとのことだ
ハノイの街を歩いていると、ふと立ち止まりたくなるような食堂に出くわす。銀色に鈍く光るステンレスのテーブル。プラスチックの椅子が無造作に並び、中央には箸が束になって立てられている。どのテーブルにも共通して置かれているのは、唐辛子入りの調味料の瓶、紙ナプキン、そして赤いプラスチック製の箸入れ。ベトナムで…
清朝時代に港町として隆盛を極めた鹿港の天后宮は、交易都市としての繁栄の記憶を今に伝えている
赤い提灯がゆらめき、線香の煙が天井へと昇ってゆく。鹿港天后宮の境内は、平日にもかかわらず参拝客でにぎわっていた。媽祖信仰の中心地として知られるこの廟は、鹿港の歴史そのものといっても過言ではない。鹿港はかつて、清朝時代に港町として隆盛を極めた。大陸からの船がこの地に寄港し、物資とともに文化も行き交った…
火龍果とは、ドラゴンフルーツのこと。果肉の白や赤に、黒いつぶつぶの種が無数にちりばめられた、どこか異世界の植物のような果物である。その派手な見た目に似合わず、味は意外と淡白だが、香港の市場では人気者だ。湾仔の街角に立ち並ぶ果物屋では、そんな火龍果が山のように積み上げられていた。赤紫色の果皮が照明を受…
飾り気がなく、街の空気とよく馴染んでいたジューススタンドは賑わっていた
ムンバイの通りを歩いていると、どこからともなく甘くて爽やかな香りが漂ってきた。香りの先を辿ると、そこには小さなジューススタンドがあった。派手な装飾もなく、看板には英語とマラーティー語が混じって並んでいる。だが、そんな飾り気のなさがかえって、街の空気とよく馴染んでいるように思えた。スタンドには何人もの…
行商人の多くは、手押しのワゴンや肩にかけた籠で、静かにハノイ旧市街を巡っている
ハノイ旧市街の路地を歩いていると、ひときわ目を引くのが行商人の姿だ。観光地の中心にありながら、そこには不思議と生活の匂いが残っている。行商人の多くは、手押しのワゴンや肩にかけた籠で、静かに街を巡っている。売っているものは華やかさよりも実用性が重視され、地元の人々の台所に直結するような品ばかりだ。この…
直線があえて避けられたようなデザインは、館内を歩いているだけで、自分がどこか別の世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る
吹き抜けに面した階段の踊り場に立って、下を見下ろすと、人々の動きがまるで舞台装置の一部のように思えてくる。臺中國家歌劇院の空間は、建築そのものがひとつの劇場のように感じられるのだ。柔らかなカーブを描く階段の手すりと、赤いカーペット。直線があえて避けられたようなデザインは、壁や天井にも同じく施されてい…
湾仔にある果物屋の前に立っているだけで空気が甘くなるような気がした
香港というと、高層ビルに囲まれたレストラン街や、ミシュランの星が踊るようなグルメガイドばかりに目がいきがちだ。けれど、通りを一本入るだけで、まるで別の顔を見せてくれる。湾仔の裏通り。そこには、ひときわ目を引く果物屋があった。緑と赤で彩られた看板には「MR FRESH」と書かれていて、店先にはぎっしり…
インドでクリケットは単なるスポーツではなく、街角でも裏路地でも、バットとボールさえあればゲームが始まるのだ
団地の脇にある小さな空間に足を踏み入れたとき、空気の中にほんのりと埃と熱気が混じっていた。見上げると、古びたベージュの壁が無数の窓を抱えながら、午後の光をまっすぐに受け止めている。その足元では、何人かの若者たちがクリケットのボールを追いかけていた。スペースはお世辞にも広いとは言えない。斜めに停められ…
観光客向けの店が「見せる」ことに長けているとしたら、こうした商店は「暮らす」ことに徹している
ハノイ旧市街の道をふらふらと歩いていると、不思議なコントラストに何度も足を止めることになる。ひとつ隣の店では外国人観光客向けに整えられたカフェが西洋風のベンチを並べ、英語のメニューを掲げているのに、そのすぐ横では漢方薬や乾物を扱う地元の商店が、昔ながらの佇まいでぽつんと息づいている。棚という棚に袋詰…
台中国家歌劇院の中にいると劇場というよりも、巨大な彫刻の中でくつろいでいるような、不思議な感覚に襲われる
臺中國家歌劇院の内部に足を踏み入れると、そこには直線という概念が存在しないかのような空間が広がっていた。壁も天井も、すべてがゆるやかな曲面で構成され、まるで巨大な洞窟の中に迷い込んだかのような感覚に陥る。この劇場の設計では、建物を支える構造体そのものが曲面壁になっているという。世界でも類を見ない高度…
香港で使われている繁体字は、日本の旧字体と似ているようでいて、時にその違いに戸惑うことも多い
湾仔の交差点で、トラムが信号待ちをしていた。香港の街角では見慣れた光景だが、車体に描かれた広告に目が留まった。そこに書かれていたのは「無濕輕」。聞き覚えがあるような、けれど意味がすぐには浮かばない。香港で使われている繁体字は、日本の旧字体と似ているようでいて、時にその違いに戸惑う。筆画の多さに懐かし…
言葉は一切通じなかったけれど、笑顔とピースサインは十分に伝わってきた
ムンバイの古びた団地のような場所を歩いていたときのことだ。ふいに背後から視線を感じて振り返ると、ふたりの女の子がこちらをじっと見つめていた。大都市ムンバイでは外国人を見かける機会も少なくはないはずだが、それでも団地の中を歩く僕の姿は少し珍しかったのかもしれない。目が合った瞬間、ふたりはぱっと笑顔にな…
日本と違って、子どもだけで学校から帰るのはきっと禁止されているのかもしれない
ハノイでは、学校が終わると保護者が子どもを迎えに来るのが日常の風景らしい。小さな手を握りながら、祖父母が、父母が、ぞろぞろと校門の前に集まってくる。まるで、一日の終わりに大切なものを受け取りにくる儀式のようでもあった。この日通りかかったのは、旧市街にある小さな小学校。古びた瓦屋根と漢字の刻まれた門柱…
外から見ても個性的な台中国家歌劇院は、内部に足を踏み入れると、さらに異次元のような空間へと姿を変える
臺中國家歌劇院には、観劇のために来たわけではない。ただ、この建物の中を自分の足で歩いてみたかったのだ。外から見ても個性的なその建築は、内部に足を踏み入れると、さらに異次元のような空間へと姿を変える。天井から床、壁までが一続きの滑らかな曲線を描くホール。まるで巨大な洞窟の中に迷い込んだかのような感覚に…
香港の雑然とした美しさの象徴とも言える存在だった車道にまでせり出す電飾看板も、その姿を少しずつ見かけなくなってきたという
香港の街を歩いていると、ふと視線を奪われるのは、頭上に突き出した巨大な看板たちである。車道の上にまでせり出すように設置されたその電飾看板は、香港の雑然とした美しさの象徴とも言える存在だった。しかし、ここ数年、その姿を少しずつ見かけなくなってきたという。老朽化、安全基準、そして都市景観の変化――理由は…
レンズ越しに一番最初に目を奪われたのは、その二人の間に立っていた無表情の女の子だった
ムンバイの路地に迷い込んだのは、午後の陽射しが建物の隙間を縫うように降り注いでいた頃だった。大都市の雑踏を抜けて、少し静かな一角に足を踏み入れたつもりだったが、数歩進むだけで周囲の地形感覚が失われていく。地図に出てこないような細い道が入り組み、どこがどこにつながっているのか、方向感覚もすぐに曖昧にな…
ハノイ旧市街には観光客向けのカフェと地元の商店が肩を並べていて、どちらがこの街の本来の顔なのか分からなくなる
宿を取ったのは、ハノイ旧市街のど真ん中だった。迷路のように入り組んだ通りには、観光客向けのカフェと地元の商店が肩を並べていて、どちらがこの街の本来の顔なのか分からなくなる。僕の泊まったあたりは、生薬や乾物を扱う店が多かった。棚には瓶詰めの薬草、天井から吊るされた乾いた根や実。独特の香りが混ざり合って…
個性的なデザインの臺中國家歌劇院の前にあるバス停も、やはり個性的だった
夕暮れの空が淡い藍に染まるころ、臺中國家歌劇院の前に立っていた。建築家・伊東豊雄の手によるこの建物は、あまりにもなめらかな曲線を描いていて、まるで巨大な彫刻のようだった。壁面にぽつぽつと穿たれた丸窓は、遠目に星のようでもあり、音符のようにも見えた。その建物の前に、ひとつの小さなバス停がある。無機質な…
オクトパスカードは、ソニーの「FeliCa」規格を世界で初めて実装した電子決済手段だ
香港のトラムに乗るとき、僕はいつもオクトパスカードを使う。改札もなければ、車掌もいない。前の乗車口でカードをピッとタッチすれば、それで済む。あっけないほどに、スムーズだ。このオクトパスカードが、実はソニーの「FeliCa」規格を世界で初めて実装した電子決済手段だということは、意外と知られていない。J…
路地の奥で、水牛がじっとこちらを見ていた。角の立派な茶色い一頭と、黒々とした艶のある体躯をした一頭。どちらも壁に描かれたカラフルなペイントと奇妙に調和していて、まるでインドという舞台のために用意されたセットのようだった。ここはムンバイの裏通り。乾いた土と、そこかしこに転がる瓦礫、そして壁に飛び散った…
誰もが当たり前のような顔で、慣れた様子で、それぞれの居場所に収まっていた
台湾もかなりのバイク社会だったと思ったけれど、ハノイを訪れてみて、その印象は軽く更新された。ここも負けていない。いや、密度と混沌さでは、むしろ上回っているかもしれない。旧市街の路地を歩けば、視界の大半を占めるのはバイク、またバイク。信号なんてものはないし、クラクションの音は、注意喚起というよりも存在…
台湾高鉄に乗り込めば、そこにあるのは「日本的」な空間なのだけれど、そこに少し遅れて、旅人としての実感がじわじわと湧いてくる
台湾の高鐵、つまり台湾高速鉄道は、日本の新幹線技術が海外に初めて輸出された象徴的なプロジェクトだ。台中の駅のホームに立ち、白とオレンジのボディを見上げると、日本の東海道新幹線とまったく同じフォルムが視界に入ってくる。窓にはスマートフォンに目を落とす乗客と、台中の都市風景が映り込む。けれど、一瞬だけ錯…
初めて香港に来たけれど、二階建てトラムを見るといかにも香港という感じがする
香港の街を歩いていると、やがてその音が近づいてくる。軋んだレールのうえを、ゆっくり、でも確かなリズムで進んでくるのは、二階建てのトラム。高層ビルの谷間を縫うようにして、もう100年以上のもの間、走り続けている。このとき、湾仔の通りに現れたのは、深いグリーンの車体に「FINNIE」と描かれた一台。窓越…
ムンバイの路地裏で見つけた「ソンブレロの男」──日傘のない国の光と影
インド・ムンバイの住宅密集地を歩く中で出会った、一人の男の姿。日傘も帽子も使わず強い陽射しを受けるこの国で、珍しくつば広帽をかぶった男の静かな佇まいが教えてくれた、インドの風土と文化の断片とは──。
ムンバイの路地裏で出会った子どもたち――カメラ越しに見えた、ある少年のまなざし
インド・ムンバイの観光地を離れ、路地裏へと足を踏み入れた筆者が出会ったのは、カメラに無邪気な笑顔を向ける子どもたちと、ひとりだけ訝しげな少年のまなざしだった。写真と旅、そして異文化の交差点で感じた静かな交流の記録。
整備された観光地だけでは見えてこない、ムンバイの素顔。小さな路地に足を踏み入れた先に広がっていたのは、日常の息づかいと静かな優しさに包まれた風景だった。旅人が偶然見つけた、記憶に残る“ムンバイの一部”とは──。
ピースサインが平和的でないとき: 異文化間のシグナルとムンバイの少女の笑顔
ムンバイの街角で出会った少女の裏ピース。その無邪気なジェスチャーが文化の違いを映し出す——。人類共通の「表情」と、国によって異なる「ボディサイン」をめぐる小さな旅のエピソード。
インドの混沌に整然を見た日─ムンバイのゴミ収集車は興味ゴミを集めている
インド・ムンバイで偶然目にしたゴミ収集車は、日本と違って地味な普通のトラックのよう。混沌とされる都市の中で感じた秩序と静けさはこのようなトラックが地道に支えている。
子どもの頃、僕の住んでいた町では、毎日のように豆腐屋が売り歩いていた。最後の一音が独特のラッパの音色を響かせながら、自転車の荷台に桶を乗せて、町を巡回する。野菜は八百屋で、お肉は肉屋で買うのが当たり前だったのに、豆腐だけはわざわざ買いに行く必要がなかったのは、なぜだったのだろうか。今ではスーパーマー…
13年ぶりにインドにやって来て大きく変わったと思うことに、写真が地元の人にとってとても身近なものになったということが挙げられる。13年前に来たときにはカメラ付きの携帯電話があったとはいえ、それほど一般的でなく、ましてや一眼レフを抱えて街を歩いているひとなぞほとんどいなかったように思う。それがどうだろ…
「海外旅行が好きだ」と話すと、多くの人は決まってこう言う。「じゃあ英語がペラペラなんですね!」でも、それは大きな誤解だ。確かに、旅に必要な英語は何とかこなせる。ホテルの予約も、レストランでの注文も、空港でのやり取りも問題はない。でも、それ以上のビジネスレベルの英語となると、僕の語彙力では到底及ばない…
しばらく進むと、路地は完全に住宅街へと変貌していた。道幅はさらに狭まり、両脇には住居がぎっしりと並ぶ。管理されているのか、それとも放置されているのか分からない電線が頭上で複雑に絡み合い、まるで蜘蛛の巣のように空を覆っている。その下には、軒先に吊るされた洗濯物がゆらゆらと揺れていた。ここは間違いなく…
ムンバイの大通りを一本外れると、そこはもう別世界だった。高級ホテルや華やかなショップが並ぶ表通りとは打って変わり、脇道は少しずつ雑然としていく。最初は商店がちらほらと並んでいるが、次第に住居ばかりが目につくようになる。そして、道は真っ直ぐではなくなり、いつの間にか迷路のような入り組んだ路地へと変わっ…
ムンバイの商店街を歩いていると、一軒のアイロンがけ専門の店が目に入った。古びた看板の下、年季の入ったアイロンが壁際に無造作に並べられている。その光景はどこか懐かしく、そして興味を引いた。インドは更紗発祥の地。昔から木綿の衣服を愛用する文化が根付いているせいか、街角ではアイロンかけ職人をよく見かける…
商店が軒を連ねるムンバイの商店街。その華やかな表の顔とは対照的に、裏側に回るとそこには生活の気配が色濃く漂っている。ここは商売の場であると同時に、多くの人々の住まいでもあるのだ。歩いていると、大人たちの忙しげな姿に混じって、子どもたちの姿もちらほらと見かける。学校帰りなのか、それとも家の手伝いを終え…
今なおインドの小売市場の約9割は、伝統的な零細店舗が占めているという。そこに含まれるのは、日本で見かけるようなコンビニエンスストアではない。むしろ「店舗」と呼ぶにはあまりにも素朴な、小さな露店や簡素な屋台がほとんどだ。写真の男が働いていたのも、まさにそんな店のひとつ。屋根も壁もなく、店舗というよりは…
足を踏み入れた商店街の一角に、ささやかな八百屋があった。粗末なテーブルの上にはタマネギやウリ、ニンジン、インゲンといった野菜が並び、その向こうには一組の親子が腰を下ろしている。この日は、お父さんと息子が店番を任されているのだろう。お父さんは携帯電話を耳に当て、誰かと静かに話している。忙しげな様子では…
ムンバイの商店街で出会った優しい微笑み──買い物に疲れたひととき
ムンバイの商店街を歩いていた。店が軒を連ね、行き交う人々がそれぞれの目的を持って買い物を楽しんでいる。特別な活気があるわけではないが、決して寂れた雰囲気でもない。平日の商店街は、どこか落ち着いた日常の空気が漂っていた。道のあちこちでは、買い物に疲れた人々が腰を下ろして休憩している。その姿は、まるでこ…
インド人は甘いものに目がなく、インドは世界最大の砂糖消費国だ
小さな商店が軒を連ねる通りを歩いていた。食堂や八百屋がひしめく商店街の中で、僕の足がふと止まったのは、スナック菓子を売る店の前だった。店頭のカウンターには、まるでカラフルな壁のように積み上げられたスナック菓子やビスケットの袋。目を引くその光景に、思わずじっと見入ってしまう。インドでは、街角のチャイ・…
インドでカレーは食卓に欠かせない存在だが、ナンを日常的に食べている人はほとんどいない
日本で「インドカレー」といえばナンを思い浮かべる人が多い。もちもちとした食感に、濃厚なカレーがよく絡む。日本のカレー専門店では、焼きたてのナンが提供されるのが定番だ。しかし、インドではナンは主流ではない。たしかにカレーは食卓に欠かせない存在だが、ナンを日常的に食べている人はほとんどいない。その理由は…
ムンバイの街角で見つけた、人々のエネルギー源──チャイという文化
ムンバイの陽射しは容赦ない。ひとたび外に出れば、じわりと汗が滲み、喉はすぐに渇いてしまう。そんな厳しい環境の中で、人々のエネルギー源となっているのが、街のあちこちで提供されている「チャイ」だ。特に問屋街のような場所では、荷を運ぶ人夫たちがひっきりなしにチャイ屋へと足を運ぶ。 彼らにとってチャイは、た…
ムンバイのハッジ・アリー廟と東京・上野の辨天堂──異世界へと続く道の変化
東京・上野の辨天堂を訪れるたびに思うことがある。それは、同じ目的地に向かうのでも、一本道の陸地を歩いていくのと、船に乗って水上を進むのとでは、感じる雰囲気がまったく異なるということだ。水の上を渡るという行為には、どこかしら特別な感覚が宿る。それはムンバイのハッジ・アリー廟にも言えることだった。この廟…
ムンバイの太陽は容赦がなかった。照りつける日差しがアスファルトを焼き、海風も熱を帯びている。僕の体は、まだ完全に夏になり切れていない日本の気候から、このインドの灼熱の世界へと放り込まれた。結果は明白だった——あっという間に夏バテである。だが、それは僕だけではなかった。この街に暮らす人々も、決してこの…
霊廟のすぐ横にあるモスクに設けられた小さな洗い場は祈りの前の静寂を守る場所のようにも思えた
ムンバイのアラビア海に浮かぶハッジ・アリー廟は、その名が示す通り、イスラム教の聖人を祀る霊廟だ。白亜の建物が海に浮かぶように佇み、長い参道を通ってようやく辿り着くことができる。その姿はまるで、現世と神聖な世界を隔てる門のように見えた。敷地の中央にある聖人ハッジ・アリーの棺の前には、多くの巡礼者がひし…
ハッジ・アリー廟へと続く一本道は、潮が満ちれば海に沈み、引けば姿を現し、まるで信仰へと誘う試練のようにも思えた
ムンバイの喧騒を離れ、アラビア海へと伸びる一本の細い道を歩いていく。目の前には白亜の建物とミナレットが輝く、ハッジ・アリー廟。ここはインドの観光名所としても知られ、敬虔なイスラム教徒が絶えず訪れる霊廟だ。ハッジ・アリーは、現在のウズベキスタンのブハラ出身の商人だった。裕福でありながらも敬虔なイスラム…
ムンバイの観光名所として知られ、世界遺産にも登録されている歴史的な建造物の博物館に冷房はなかった
ムンバイの太陽は、まるで神々の怒りが凝縮されたかのように容赦なく照りつける。強烈な湿気が肌にまとわりつき、影を探しながらの移動が当たり前になっていた。そんなとき、僕はふと目にした「チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァストゥ・サングラハラヤ」という長ったらしい名の博物館に足を向けることにし…
エレファンタ島へは片道1時間かかるので、行きは世界遺産への期待で胸が高鳴るものの、帰り道はひたすら着くのを待つばかりだ
ムンバイのインド門からフェリーで向かうエレファンタ島への航海は、片道1時間ほどかかる。行きはこれから訪れる世界遺産への期待で胸が高鳴るものの、帰り道はひたすらムンバイの海岸線が近づくのを待つばかりだ。波が穏やかだったのは幸運だったが、船上では襲い来る睡魔と強烈な日差しが最大の敵となる。フェリーの単調…
エレファンタ石窟群は宗教施設というよりも観光地化したテーマパークのようだった
ムンバイの象徴的な建造物であるインド門からフェリーで約1時間、ムンバイ湾に浮かぶエレファンタ島には、世界遺産に登録された壮大な石窟群がある。本来はヒンドゥー教のシヴァ神を祀る神聖な寺院として築かれたものの、現在ではすっかり観光地化しており、ここで真剣に祈る人の姿はほとんど見られない。神聖な場であれば…
エレファンタ島の猿は驚くほど器用で、蓋を回して開けるのもお手のものだし、ボトルから直接飲むこともできる
別名「モンキーアイランド」と呼ばれるだけあって、ムンバイ市街地の東に浮かぶエレファンタ島には猿が多い。人を襲うことはないと思うのだけれど、食べ物に関しては油断できない。僕の前を歩いていた観光客は、手に持っていたペットボトルを猿に奪われてしまった。猿は素早くボトルを強奪すると、器用に蓋を回して開け、中…
警備員も写真撮影を咎めることなく、薄暗い中でスマホのカメラ設定をどうすれば綺麗に撮影できるかを親切に教えてくれるほどだった
ムンバイにある世界遺産、エレファンタ石窟群は、主にヒンドゥー教のシヴァ神を祀る石窟寺院の集合体だ。内部にはリンガやシヴァ神以外の神々の彫刻も点在しているものの、それらはもはや過去の遺物として扱われているように感じられる。訪れている人々の多くはインド人で、ほとんどがヒンドゥー教徒と思われるが、ここでお…
ムンバイ中心部を歩いているとイギリス統治時代の名残を色濃く感じたが、エレファンタ島には思いの外ポルトガルの影響が残っていた
長い階段を登り終え、ようやくエレファンタ石窟群にたどり着いた。世界遺産に登録されているこの石窟群は、グプタ朝の時代に建設が始まったとされ、その歴史は古い。しかし長らく忘れ去られており、16世紀になってポルトガル人によって再発見されたという。この石窟群が「エレファンタ」と呼ばれるのも、ポルトガル人がこ…
幻想的な光の中で、遊び回っていたシャイな女の子の全身もまた、透き通るような青に包まれていた
船着き場、すなわち海抜0メートル地点から世界遺産であるエレファンタ石窟群の入口までは、延々と登りの階段が続いていた。ここを訪れる観光客のほぼすべてが通るルートなのだろう。階段の途中には食堂が点在し、脇にはお土産物屋がびっしりと並んでいる。観光客フレンドリーな様相を呈しているものの、本来なら強烈な日差…
エレファンタ島は遺跡しかない無人島のように思っていたが、どうやら南部には集落があり、人が暮らしているらしい
船酔いすることもなく、約1時間の航海を終えて、フェリーはエレファンタ島に無事到着した。長い桟橋を渡りながら、世界遺産の石窟群へと向かっていく。ふと浜辺に目を向けると、いくつもの漁船が陸揚げされていた。この島は遺跡しかない無人島のように思っていたが、どうやら南部には集落があり、人が暮らしているらしい…
視線の先に、何か特別なものがあるわけではなく、ただ、波に揺られる時間がやや長く感じられるだけだ
ムンバイのインド門は、それ自体が観光名所であるだけでなく、船乗り場としての役割も果たしている。世界遺産に登録されているエレファンタ石窟群のあるエレファンタ島へ向かうフェリーも、ここから出発するのだ。乗り込んだフェリーはゆっくりと岸を離れ、インド門が次第に小さくなっていく。その瞬間までは、旅の高揚感に…
果物屋の店頭にあったさくらんぼの箱から、インドは広大で、多様な風土を持つ国だということを改めて思い知らされた
ムンバイで足を踏み入れた商店街に、小さな果物屋があった。正確に言うと、それを「お店」と呼んでよいのかどうか迷うほどのささやかな空間だ。タバコなどを売るキオスクなら、これくらいの大きさでも違和感はないが、果物屋となると少し意外に思える。店主は果物に囲まれながら、小さな椅子に腰を下ろしていた。並べられて…
そもそも綿花の栽培や、綿布・綿織物をつくる技術の起源はインダス文明にまで遡るのだ
商店街には仕立て屋も店を構えていた。男が店先に出したテーブルに、年季の入ったミシンを載せて、カタカタカタと縫製をしている。日本でも洋服の直しをしてくれる店があるが、ここムンバイでも同じようなニーズがあるのだろう。路上にミシンを持ち出して作業をする姿は、日本ではほとんど見かけないが、この街ではごく当た…
ズボンを売る屋台は出ていたものの、どこにも試着室のようなものは見当たらなかった
ムンバイの商店街に並ぶ店々には統一感がなかった。小腹を満たす軽食の屋台もあれば、野菜を売る八百屋や果物を並べる露店もある。その中で、ズボンを売る男たちの姿もあった。写真のヒゲモジャの男たちがそうだ。僕のカメラを見つけると、彼らは嬉々としてレンズの前に立ち、陽気な笑顔を見せてくれた。だが、ふと疑問が浮…
同じ場所に店を構えることで、客が「このエリアには八百屋が多い」と認識し、結果的に人が集まりやすくなるのかもしれない
きちんと店舗を構えた八百屋もあったけれど、このムンバイの商店街には屋台の八百屋も並んでいた。どちらも扱っているのは似たような野菜で、どう見ても商売敵になっている。このような場合、もう少し離れたほうがお互いにやりやすいのではないかと思うのだけれど、実際のところはどうなのだろう。同じ場所に店を構えること…
商店街の八百屋では日本でもよく見かける野菜が揃っている反面、やはり葉菜類と呼ばれるキャベツやセロリ、ほうれん草の姿は見当たらなかった
いろいろな種類のお店が営業している商店街の中には、もちろん八百屋もあった。店先には大きなテーブルが置かれ、色とりどりの野菜が並んでいる。トマト、ナス、カリフラワー、人参、ショウガなど、日本でもよく見かける野菜が揃っている。でも、やはり葉菜類と呼ばれるキャベツやセロリ、ほうれん草の姿は見当たらない。イ…
暑い国にいる犬は、たぶん、暑さに耐えているのではなく、ただ耐えるしかないのだろう
暑い国を訪れるたびに、いつも思う。毛皮に覆われた犬は、この暑さに耐えられるのだろうか、と。たぶん、耐えているのではなく、ただ耐えるしかないのだろう。犬の皮膚には汗腺がないから、汗をかく代わりに口を開けて「ハァハァ」と呼吸する姿をよく見かける。人間ですら熱中症になるのだから、犬だって例外ではないはずだ…
個人経営の店ばかり光景は、経済成長が進み、大資本のチェーン店が勢力を拡大していくにつれて、次第に姿を消していくのかもしれない
ムンバイで見つけた商店街は、僕の思い描く理想的な商店街だった。フランチャイズチェーンの看板はどこにもなく、どれもこれも個人経営の店ばかり。薬屋があり、鞄を扱う店があり、花屋が店先を彩っている。このような光景は、経済成長が進み、大資本のチェーン店が勢力を拡大していくにつれて、次第に姿を消していくのかも…
幼い女の子にとっては、お母さんとおばあさんの存在こそが絶対的な安心感になっていた
ムンバイの商店街を歩いていると、行き先を決めかねているような家族連れの姿が目に入った。おばあさんとお母さんは、どこへ向かうべきかを探るような雰囲気を醸し出している。その横で、年端もいかない女の子だけが、まるで何の心配もないかのように呑気にアイスクリームを頬張っていた。おそらく彼女にとっては、お母さん…
インドでは寺院や神々がマリーゴールドの鮮やかなオレンジ色で彩られているのは普通のことだ
タイでは仏教の祠や仏像、高僧にマリーゴールドで作った花輪(プアンマーライ)を贈る習慣があるが、インドでもヒンドゥー教の祠や神々に同じようなマリーゴールドの花輪を捧げる風習がある。日本では仏教寺院や神社にカラフルな花を奉納することはあまり一般的ではないため、宗教的な場で鮮やかな色が溢れる光景には違和感…
マンゴーと聞いてインドを思い浮かべる人は少ないかもしれないが、実はインドは世界最大のマンゴー生産国だ
インドでは4000年以上前からマンゴーの栽培が始まり、仏教の経典にもその名が記されているという。日本で流通しているマンゴーの多くはメキシコ産やフィリピン産で、インド産のものを見かけることはほとんどない。そのため、マンゴーと聞いてインドを思い浮かべる人は少ないかもしれないが、実はインドは世界最大のマン…
モノタロウのような企業が画面を数回タップするだけで簡単に工具を購入できるようにした日本とは異なり、インドではオンラインの工具販売店はそれほど普及していないのかもしれない
歩いていた道路の脇に、目を引く自転車が停まっていた。前輪の上に大きな板が取り付けられ、その上にはドライバーやヤスリなどの工具が整然と並べられている。どうやら移動式の工具屋のようだ。インドでも、特にムンバイのような都市部ではスマホを持っている人が多い。しかしながら、モノタロウのような企業が画面を数回タ…
人通りの多い場所で路上商売をする人が多いのは、ムンバイも同じだった。道路脇に並ぶ建物の中に店舗があるのはもちろんのこと、路上にもテーブルが出され、屋台がひしめいている。商店の軒先や歩道の隅々まで商売の場となり、都市の雑踏に活気を添えていた。写真の花柄のシャツを着た男も、そのようにしてテーブルを出し…
ムンバイでは人口の20%弱をイスラム教徒が占めていて、イスラム教徒特有の格好をしている人を見かけることも珍しくない
ヒンドゥー教徒が大多数を占めるインドにも、イスラム教徒は少なくない。イスラム教はインド発祥の宗教ではないが、現在のアフガニスタンで起こったゴール朝が北インドに侵攻して以降、長らくイスラム王朝が支配してきた歴史がある。その影響は現代にも色濃く残り、ムンバイでも人口の20%弱をイスラム教徒が占めている…
男の子がウサギをペットとして飼っているのか、それとも何か別の目的があるのかは分からなかった
ムンバイの路地を歩いていると、次々と人とすれ違う。ここは観光スポットとは無縁の場所で、観光客の姿はほとんど見かけない。それでも、道行く人々は僕のことを特に気にする様子もなく、明らかに外国人である僕もただの風景の一部のように扱われている。むしろ、興味を持って周囲を眺めているのは僕のほうだった。東京では…
日本にある多くのシャッター商店街も、かつてはこのように多くの人が闊歩して活気に溢れていたに違いない
路地を抜けると、そこは商店街だった。路地とは比べ物にならないくらい道路の幅も広くなり、道の中央には屋台が出ていて、道路脇にもお店が軒を連ねていた。観光地らしさは、あいかわらずどこにもないけれど、多くの人が歩いていて地元の商店街といった風情だ。日本にある多くのシャッター商店街も、かつてはこのように多く…
迷宮のようなこの路地に、アイロンがけをするお店はあったけれど、洗濯するお店は見つけることはできなかった
住宅が密集するばかりの場所かと思いきや、路地の奥にはぽつんと店があった。普通に考えれば、タバコやちょっとしたお菓子、飲み物を売るような、いわゆるコンビニ的な店があるのだろうと思うところだが、ここは違った。現れたのはアイロンがけを専門とする店だった。店内には職人風の男がひとり立ち、古びた鉄製のアイロン…
路地を進んでも、地元の人びとは僕にほとんど興味を示さないどころか、僕の存在にすら気づいていないように見えた
ムンバイで足を踏み入れた路地は、観光名所であるインド門から歩いてすぐの場所にありながら、観光地らしさは微塵も感じられなかった。そこに広がっていたのは、電灯もなく、日差しさえほとんど差し込まない細い路地ばかりだった。家の中に水場がないのか、ところどころに水道の蛇口が設けられ、バケツや食器が無造作に置か…
1階部分にはそれぞれの住居の入口が設けられていて、よく見ると建物ごとに梯子がかかっていた
ムンバイの路地を奥へと進んでいく。自動車はもちろん、バイクでさえ通るのが難しいほど細い路地には、隙間なく家屋が並んでいた。1階部分にはそれぞれの住居の入口が設けられているが、よく見ると建物ごとに梯子がかかっている。どうやら、1階から2階へと上がるための階段はないらしい。もしかすると、1階と2階では住…
祭壇の前という神聖な場所を、犬が何の気兼ねもなく占拠している様子が、インドらしい寛容さを物語っているようだった
ヒンドゥー教の世界には、祭壇や祠が驚くほど多い。仏教徒が多数を占める日本にも寺社は多いが、やはり多神教の世界では、神々の数だけ信仰の場が必要になる。その結果、町の至るところに大小さまざまな祭壇や祠が点在するのだ。ムンバイの路地を歩いていると、突然、祭壇が現れた。色鮮やかな像が祀られ、周囲には供物が供…
インドではクリケットは圧倒的な人気を誇るスポーツで、プロリーグも存在し、そのスーパースターたちは何十億円もの年収を稼ぐという
ムンバイのインド門からそれほど遠くない場所にある漁村の広場で、男たちがクリケットに興じていた。インドではクリケットは圧倒的な人気を誇るスポーツだ。プロリーグも存在し、そのスーパースターたちは何十億円もの年収を稼ぐという。収入面だけで見れば、日本のプロ野球よりも遥かに規模が大きい。14億人の人口を抱え…
男の子は遠くを眺めるのではなく、頭上の何かに心を奪われているようだった
細い路地を抜けると、コンクリートで舗装されたちょっとした広場だった。そこから視線を上げると、目の前には海が広がり、遠くには漁船らしき船が波間に揺れていた。広場の一角では、数人の男たちが歓声を上げながらクリケットに興じている。インドでは国民的スポーツとされるクリケットだが、すべての人がそれに夢中という…
路地を進んでいると、突然男の子が「ナルト」と声をかけてきた。自信満々に言うので、おそらくは日本のアニメ『ナルト』のことなのだろう。僕を日本人と認識してくれたのが少しうれしかった。海外では、特に意識しているわけでもないのに韓国人や中国人だと思われることが多い。こうして一発で日本人だとわかってもらえたの…
入り組んだ路地は細く、建物同士が密集しているため、一歩足を踏み入れるとすぐに地元の人びとと顔を合わせることになる
水辺を離れ、迷路のように張り巡らされた路地へと足を踏み入れた。ここはムンバイのインド門からそれほど遠くない漁村であり、観光地の喧騒とはまるで異なる空気が流れている。入り組んだ路地は細く、建物同士が密集しているため、視界は限られる。そのため、一歩足を踏み入れるとすぐに地元の人々と顔を合わせることになる…
魚を水揚げする様子はなく、荷物を積み込むわけでもなく、男たちが甲板の上で忙しそうに動き回っていた
ムンバイのインド門からそれほど遠くない場所にある漁村を歩いていると、再び海辺に出た。先ほど訪れた石ころだらけの浜とは違い、ここはきちんと護岸されていて、ボートが着岸していた。ボートの中央には保管庫のような扉があり、漁船であることがうかがえる。しかし、魚を水揚げする様子はなく、荷物を積み込むわけでもな…
この場所が今でも漁村であることを主張するかのように漁網がボートの上に置かれていた
ムンバイの片隅にある漁村を歩いていると、漁村らしさが薄れたかと思いきや、再びボートが姿を現した。道路脇に手漕ぎのボートが陸揚げされていて、その上には漁網が無造作に置かれていた。まるで、この場所が今でも漁村であることを主張するかのようだった。14年前に訪れたときには、道端で漁網の手入れをする男の姿を写…
ボロボロのボートや漁船が並ぶ波打ち際を離れると、そこにはもう漁村らしさはほとんど感じられなかった
ムンバイの片隅にある小さな漁村を歩いていた。ボロボロのボートや漁船が並ぶ波打ち際を離れると、そこにはもう漁村らしさはほとんど感じられなかった。むしろ、どこにでもあるインドの田舎町のような風情が漂っていた。道端にはかき氷のスタンドが出ていて、喉を潤そうとする人たちの姿も見える。こうした光景もまた、イン…
ゴミが散乱し、地元住民がここをトイレ代わりに使っているのも14年前と同じだった
波打ち際では男の子たちが無邪気に遊んでいた。その姿は、14年前に見た光景とまったく変わっていない。彼らの笑い声が響く浜辺には、相変わらずゴミが散乱し、地元住民がここをトイレ代わりに使っている様子もうかがえる。足元に注意しながら歩かないと、踏んではいけないものを踏んでしまいそうだった。時間は流れ、都市…
この漁村では小さな手漕ぎボートで沖に停泊している大きな漁船まで渡り、そこで漁をするようだった
石ころが転がる浜辺を歩いていると、沖から小さな手漕ぎボートが近づいてきた。浅瀬に入ると、数人の男たちが水の中に足を踏み入れ、ボートを陸揚げし始める。どうやらこの浜には、使われなくなった船だけでなく、今も現役のボートも行き来しているようだ。おそらく、彼らはこの小さな手漕ぎボートで沖に停泊している大きな…
ボロボロの漁船が転がる浜辺は漁港というよりも、使命を終えた船たちの墓場のように感じられた
ムンバイの片隅にひっそりと佇む漁村で、海岸へと向かって歩いた。観光地の白砂の浜とは異なり、ここは荒々しい岸辺で、無造作に転がる石が点々と広がっていた。細い道をたどりながら進むにつれ、波の音が次第に大きくなり、やがて打ち上げられた漁船の姿が見えてきた。それらの船は、まるで海を退役したかのように朽ち果て…
スマホが普及したこの時代でも、大きなカメラにはまだ特別な魅力があるのようだった
薄暗い路地を抜けると、漁村の中へと足を踏み入れた。ここは確かにインド最大の商業都市ムンバイの一部なのだけれど、その喧騒や近代的なビル群とは無縁の場所だった。まるでどこかの田舎町へ迷い込んでしまったかのような静けさと素朴さが漂っている。先ほど通り抜けた、電灯もない狭い路地が、都会とこの漁村を隔てるワー…
電灯もない薄暗い路地を抜けると視界が開け、目の前に14年前と変わらない光景が広がっていた
前に訪れた漁村が今でも残っているのを見て、もう一度足を運んでみたくなった。しかし、行き方がよくわからない。14年前に訪れた記憶はあるものの、海沿いの道路からどうやって辿り着いたのかはすっかり忘れてしまっていた。目の前に確かに見えているのに、行く道がわからないのはもどかしい。近くで暇そうにしていた男に…
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道教寺院というのは、一歩足を踏み入れると、そこが単なる一室の信仰空間ではないと気づかされる。鹿港天后宮も中央に媽祖を祀る本殿がありながら、その周囲には多種多様な神々が、それぞれの小さなお堂に鎮座している。文昌帝君、関聖帝君、城隍爺──名前も役割も異なる神々が、それぞれのご利益と共に祀られていて、境内…
外を歩いているはずなのに、ふとした瞬間、屋内をさまよっているような気分になることがある。香港の湾仔で歩いていた路地も、まさにそんな場所だった。左右からせり出した色とりどりのテントが、空を覆っている。青や赤のビニール屋根が視界の上部を埋め尽くし、その下にはびっしりと並ぶ屋台。靴下、帽子、スマホのアクセ…
ムンバイを歩いていると、どこにも属さず、ただ道端に腰を下ろしている人びとをよく見かける。何かをしているわけでもない。ただそこにいて、通りを眺めたり、誰かと談笑したり、ときには黙って風に吹かれているだけ。日本ではあまり見かけない光景で、最初は何をしている人たちなのか分からず戸惑った。でも、そんな僕の思…
ハノイ旧市街を歩いていると、絶え間なくバイクの音が耳に届いてくる。クラクション、エンジンのうなり、時には叫び声。四方八方から押し寄せてくるバイクの波に、僕はしばし立ち尽くしてしまう。目の前を通り過ぎるのは、老若男女、二人乗り、三人乗り、買い物袋をいっぱいぶら下げた人、スマートフォンを片手に運転する人…
鹿港天后宮のような道教寺院を訪れるたびに、僕は少しだけ戸惑う。日本の寺に慣れ親しんだ身にとって、この空間はどこか異質で、けれどそれが不思議と心を惹きつけてやまないのだ。回廊には柱が並び、軒下には金色の飾りが揺れている。どこを見渡しても色彩が濃い。その中で人々は香を焚き、願いを込め、祈りを捧げている…
香港では、空がやけに狭く感じられる。高層ビルがぎっしりと並び立ち、視界のほとんどを覆ってしまうからだ。見上げても、わずかにのぞく青空があるだけで、それさえも四角く切り取られてしまっている。湾仔の露店が並ぶ通りを歩いていると、その感覚はいっそう強くなる。そんな通りの片隅で、ひとりの男性が店先の商品をじ…
ムンバイの街を歩いていると、突然、壁に向かって設えられた即席の鏡台と、ちょっと背の高い椅子が目に入った。青空の下、歩道にぽつんと構えられた床屋だ。ごく自然な様子で椅子に座っている男性と、真剣な眼差しで顔剃りをしている理容師。ふたりの間には、言葉にしない信頼のような空気が流れていた。こうした青空床屋の…
ハノイ旧市街の一角。通り沿いにずらりと並んだカラフルなおもちゃたちが、小さな玩具屋の前を賑やかに彩っていた。キャラクターのぬいぐるみ、ピカピカと光る剣、リアルに作られたミニカー。どれもが棚からこちらに手を伸ばしてくるようだった。その前に立っていたのは、小さな男の子。目を輝かせておもちゃを見つめる姿は…
鹿港の静かな通りの先に、威厳ある屋根の反りが姿を現した。媽祖を祀る鹿港天后宮だった。立派な装飾が施された屋根の下には、赤い幕が垂れ、香炉の煙がゆっくりと天へと立ちのぼっている。天后宮という名が示す通り、ここには海の守護神・媽祖が祀られている。かつて鹿港が港町として栄えていたころ、多くの船乗りたちがこ…
香港・湾仔の路地に小さな肉屋があった。間口は狭く、奥行きも深くない。店先にはローストされた鶏が無造作に吊るされている。冷蔵ケースなどは見当たらず、常温での陳列だ。生々しいが、どこか生活感があって、妙に惹きつけられる。店先では男が無言で作業を続けていた。大きな丸太のようなまな板の上で、手際よく鶏肉をさ…
ムンバイの道路脇にツートンカラーのクラシックなタクシーが停車していた。前席と後部座席のドアがどちらも大きく開け放たれて、歩道にまでせり出していた。その開き具合は、もはや歩行者の進路を遮っているようでもあったが、周囲の誰も気に留めていない様子だった。男の子はよけるでもなく、その隙間をすり抜けるように通…
旧市街の一角、封筒の束が山のように積まれた店先で、ひとりの男が小さなプラスチック椅子に腰を下ろしていた。彼が手にしているのはスマートフォンだが、その背後には、整然と束ねられた無数の茶封筒が静かに存在感を放っていた。日本ではすっかり電子化が進み、郵送という行為が年賀状くらいでしか思い浮かばなくなった今…
鹿港老街を歩いていると、ふと視界の端に色鮮やかな舞台が現れた。まるで絵本から飛び出したかのような極彩色の装飾が目を引く。龍や鳳凰、蓮の花などが勢いよく描かれたその舞台は、人形劇のための移動式ステージだった。「大自然掌中劇團」と書かれた看板が掲げられている。台湾の伝統芸能である布袋戲、つまり掌中劇の舞…
湾仔を歩いていたとき、ふと立ち止まった。目の前に現れたのは、赤々とした肉塊が無造作に吊るされた精肉店だった。まるで屋台のようなお店は小さいものの、店先にずらりと並んだ肉はまるでこの街の生命力そのものを象徴しているかのようだった。蛍光灯の赤い光が肉の色をいっそう濃く染め上げている。骨付きのまま吊るされ…
ムンバイの午後の陽射しは強く、空気の粒が光の中でじわじわと揺れているように見えた。そんな中、通りかかったバス停のベンチに座っていたひとりの女の子が、こちらを見てふっと微笑んだ。前髪がまっすぐに切り揃えられていて、その輪郭のくっきりとしたラインが、どこか昔の映画に出てくる少女のような印象を与える。左手…
ハノイの街を歩いていると、ふと立ち止まりたくなるような食堂に出くわす。銀色に鈍く光るステンレスのテーブル。プラスチックの椅子が無造作に並び、中央には箸が束になって立てられている。どのテーブルにも共通して置かれているのは、唐辛子入りの調味料の瓶、紙ナプキン、そして赤いプラスチック製の箸入れ。ベトナムで…
赤い提灯がゆらめき、線香の煙が天井へと昇ってゆく。鹿港天后宮の境内は、平日にもかかわらず参拝客でにぎわっていた。媽祖信仰の中心地として知られるこの廟は、鹿港の歴史そのものといっても過言ではない。鹿港はかつて、清朝時代に港町として隆盛を極めた。大陸からの船がこの地に寄港し、物資とともに文化も行き交った…
火龍果とは、ドラゴンフルーツのこと。果肉の白や赤に、黒いつぶつぶの種が無数にちりばめられた、どこか異世界の植物のような果物である。その派手な見た目に似合わず、味は意外と淡白だが、香港の市場では人気者だ。湾仔の街角に立ち並ぶ果物屋では、そんな火龍果が山のように積み上げられていた。赤紫色の果皮が照明を受…
ムンバイの通りを歩いていると、どこからともなく甘くて爽やかな香りが漂ってきた。香りの先を辿ると、そこには小さなジューススタンドがあった。派手な装飾もなく、看板には英語とマラーティー語が混じって並んでいる。だが、そんな飾り気のなさがかえって、街の空気とよく馴染んでいるように思えた。スタンドには何人もの…
ハノイ旧市街の路地を歩いていると、ひときわ目を引くのが行商人の姿だ。観光地の中心にありながら、そこには不思議と生活の匂いが残っている。行商人の多くは、手押しのワゴンや肩にかけた籠で、静かに街を巡っている。売っているものは華やかさよりも実用性が重視され、地元の人々の台所に直結するような品ばかりだ。この…
円形劇場とは古代ローマにおいて剣闘士競技などの見世物が行われた施設のこと。つまり剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられたところを指す。WIKIPEDIAによると東京オペラシティのサンクンガーデンはその円形劇場を模しているという。本来は血なまぐさい場所に、表情のない巨人が立っていては尋常ならざる雰囲気を感じてしまっても仕方がない。
東京オペラシティアートギャラリーに「寺田コレクション」を残している寺田小太郎という人物は、メディアに登場するような有名人ではないけれど、500年続く名家の人間で東京オペラシティ辺りの大地主だったという。メディアに登場しなくとも、由緒あるお金持ちって存在しているのだと思わされる話だ。
「町中華」という言葉を聞いて思い浮かべるイメージは分かったような、分からないような曖昧なものだったけれど、藤沢駅近くにある老舗中華料理店「味の古久家」を訪れたら、その曖昧模糊としたイメージが少しだけハッキリしたような気がした。
1929年に竣工した日本橋室町に建つ三井本館は、当時の社長の「関東大震災の二倍のものが来ても壊れないものを作るべし」との命で、当時の一般的な事務所ビルの約10倍のコストを掛けて建設されているという。コリント式のオーダーが乗る列柱が整然と並ぶファサードはまるでロンドンかニューヨークに建っているビルのようだ。
由来を考えると歴史のありそうな静岡市葵区は意外なことにその歴史は浅い。誕生したのは2005年4月1日だから、まだ20年も経過していないのだ。その名前の重さに歴史がある名称だと思っている人は多いだろう。これと同じように新しいくせに古株のような顔をしているものは、世の中に結構多い。
登呂遺跡は弥生時代の水田遺構が日本で初めて確認された遺跡で、弥生時代=水田稲作というイメージが定着する契機ともなった遺跡だ。だから教科書にも載っていて、僕も耳にしたことがあったのだ。8万平方メートルを超える水田跡が発掘された登呂遺跡は、今では公園として整備され、復元された水田と建物群が往時の様子を今に伝えている。でも建物の用途はどうやって判定しているのだろう。
久能山東照宮で拝観料を払って進むと、朱塗りの大きな門が現れる。この楼門には後水尾天皇の宸筆の扁額が掲げられており、由緒あるものだ。鎌倉の英勝寺と同じように久能山東照宮は徳川家と縁が深く、そのため天皇や上皇に扁額を依頼することができたのだろう。
公式サイトによると、久能山東照宮の登山に要する時間はたった20分程度。でも実際に歩くと長く感じる。登山道の作られている斜面は傾斜が急で、道はつづら折りになっていた。少し進むと踵を返して方向転換する。教科書に載せたくなるような見事なつづら折りだった。
天満宮はもともと、怨霊と化した菅原道真の魂を鎮めるための神社であったはずなのに、今ではそのイメージは薄い。現在では学問の神様として広く信仰されていて、受験シーズン前に合格祈願に訪れたことのある人も多いだろう。実際、菅原道真は優れた学者であったという。そのため「怨霊」というよりイメージが薄まるにつれ、「学問の神様」としての信仰が根付いただろう。
経ヶ峯公園には仙台藩祖・伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿をはじめ、2代忠宗の感仙殿、3代綱宗の善応殿、9代周宗や11代斉義の墓がある。また、斉義の妻の墓や、5代吉村以降の藩主の夭折した子女の墓もある。経ヶ峯公園一帯は伊達家の重要な墓所なのだ。いくつもある霊廟の中でも、伊達政宗の瑞鳳殿は特別な存在で、他の霊廟とは異なり涅槃門と拝殿が設けられていて、別格の扱いなのだ。
広瀬川を渡ると住宅街が広がり、その先に伊達政宗の墓所である瑞鳳殿がある。瑞鳳殿は仙台市の中心部から少し離れており、1945年の仙台空襲で焼失したが、戦後に再建された。再建された建物は色鮮やかで、黒を基調とした美しい文様が特徴である。400年近くも保存されていたオリジナルだったら、これほど鮮やかではないだろう。
仙台にある「せんだいメディアテーク」は建築家・伊東豊雄の代表作で、フランスのル・モンド紙でも紹介されたほどの知名度を持つ。全面ガラス張りの開放的なデザインが特徴で、6枚の床と13本のチューブという独特の構造を持つ。この建物には仙台市民図書館やイベントスペース、ギャラリー、スタジオがあり、市民に開放的な空間を提供している。特に開放的な図書館で行う読書は心地よいだろう。普段なら読んでも理解できないものも、ここなら理解できるかもしれない。
仙台の輪王寺は戦国大名伊達氏と縁のある寺院だ。明治維新後に一時没落したものの、1910年代に復興され、池の中心に三重塔が映える禅庭園もその際に作られた。でも僕が惹かれたのは山門から本堂へ伸びる参道だった。新緑に覆われていた道を歩くと緑のトンネルの中を進んでいるような気分に浸れ、俗世から聖域へと足を踏み入れる感覚を与えてくれる。
日枝神社がこの地に遷座したのは1659年で、それ以前は松平忠房の邸宅であり、さらに遡ると星ヶ岡城という城郭があった。城郭の名残はほとんど残っていないが、地図を見るとその地形が城郭に適していることがわかる。日枝神社の北側には土塁と思しき遺構も残っているとはいえ、城郭だった名残はほとんど残っておらず、記録も乏しい。星ヶ岡城は謎に包まれた城郭なのだ。
都内にある国宝の建造物は少なく、東村山の正福寺地蔵堂と赤坂迎賓館の2つだけだ。そのひとつである赤坂迎賓館は1909年に建てられ、バッキンガム宮殿やヴェルサイユ宮殿を参考にした西洋風の建物である。日本風の意匠も混じっているが、外観は西洋式で統一されている。広々とした前庭の石畳はヨーロッパの旧市街を思わせ、日本にいることを忘れさせる。訪れても面白いと思う。
手賀ハリストス正教会は、茅葺屋根の古民家風外観ながらも、内部はイコンが掲げられた聖堂だ。1879年に建立され、関東でも有数の歴史を誇る聖堂を訪れれば、その外観と内部のギャップに訪れる人々は驚くに違いない。
東京にある庭園には高低差のあるところが多いのは、そのような地形が庭園造りに好まれたからとされる。高低差があると、眺望も良いし、滝も作りやすいなのだという。国分寺崖線沿いに作られた殿ヶ谷戸公園にもやはり庭園内にかなりの高低差があった。
買ってきた生竹の節を切り取って大勢で流しそうめんを楽しんだこともあるけれど、竹の種類についてよくわからない。自分の竹リテラシーの低さを思い知らされたのだった。
印刷工場は郊外に移転したものの、市谷工場の表玄関だった「時計台」がDNP本社ビルの脇に復元されていて、中には印刷工場の一部が再現されている。そこでは活版印刷の流れを体験できるようになっている。
長野県立美術館は「本館」と「東山魁夷館」からなっていて、「東山魁夷館」には長野県の風景を好んで描いた日本画家・東山魁夷の作品が970余点収蔵されている。