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あちらこちらを訪れて、なんやかんやと撮った写真に、あれやこれやと書いた旅行記のような写真ブログです。

tetsu
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2010/11/26

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  • ムンバイの路地裏で見つけた「ソンブレロの男」──日傘のない国の光と影

    インド・ムンバイの住宅密集地を歩く中で出会った、一人の男の姿。日傘も帽子も使わず強い陽射しを受けるこの国で、珍しくつば広帽をかぶった男の静かな佇まいが教えてくれた、インドの風土と文化の断片とは──。

  • ムンバイの路地裏で出会った子どもたち――カメラ越しに見えた、ある少年のまなざし

    インド・ムンバイの観光地を離れ、路地裏へと足を踏み入れた筆者が出会ったのは、カメラに無邪気な笑顔を向ける子どもたちと、ひとりだけ訝しげな少年のまなざしだった。写真と旅、そして異文化の交差点で感じた静かな交流の記録。

  • ガイドブックに載らないムンバイ──路地裏で出会った女の子

    整備された観光地だけでは見えてこない、ムンバイの素顔。小さな路地に足を踏み入れた先に広がっていたのは、日常の息づかいと静かな優しさに包まれた風景だった。旅人が偶然見つけた、記憶に残る“ムンバイの一部”とは──。

  • ピースサインが平和的でないとき: 異文化間のシグナルとムンバイの少女の笑顔

    ムンバイの街角で出会った少女の裏ピース。その無邪気なジェスチャーが文化の違いを映し出す——。人類共通の「表情」と、国によって異なる「ボディサイン」をめぐる小さな旅のエピソード。

  • インドの混沌に整然を見た日─ムンバイのゴミ収集車は興味ゴミを集めている

    インド・ムンバイで偶然目にしたゴミ収集車は、日本と違って地味な普通のトラックのよう。混沌とされる都市の中で感じた秩序と静けさはこのようなトラックが地道に支えている。

  • ムンバイの行商人と昔の豆腐屋の記憶

    子どもの頃、僕の住んでいた町では、毎日のように豆腐屋が売り歩いていた。最後の一音が独特のラッパの音色を響かせながら、自転車の荷台に桶を乗せて、町を巡回する。野菜は八百屋で、お肉は肉屋で買うのが当たり前だったのに、豆腐だけはわざわざ買いに行く必要がなかったのは、なぜだったのだろうか。今ではスーパーマー…

  • ムンバイで感じた変化──セルフィー文化の浸透

    13年ぶりにインドにやって来て大きく変わったと思うことに、写真が地元の人にとってとても身近なものになったということが挙げられる。13年前に来たときにはカメラ付きの携帯電話があったとはいえ、それほど一般的でなく、ましてや一眼レフを抱えて街を歩いているひとなぞほとんどいなかったように思う。それがどうだろ…

  • 旅を続ける理由──言葉よりも大切なもの

    「海外旅行が好きだ」と話すと、多くの人は決まってこう言う。「じゃあ英語がペラペラなんですね!」でも、それは大きな誤解だ。確かに、旅に必要な英語は何とかこなせる。ホテルの予約も、レストランでの注文も、空港でのやり取りも問題はない。でも、それ以上のビジネスレベルの英語となると、僕の語彙力では到底及ばない…

  • ムンバイの住宅街、絡み合う電線とのどかな午後

    しばらく進むと、路地は完全に住宅街へと変貌していた。道幅はさらに狭まり、両脇には住居がぎっしりと並ぶ。管理されているのか、それとも放置されているのか分からない電線が頭上で複雑に絡み合い、まるで蜘蛛の巣のように空を覆っている。その下には、軒先に吊るされた洗濯物がゆらゆらと揺れていた。ここは間違いなく…

  • ムンバイの迷路のような路地で出会った母と娘

    ムンバイの大通りを一本外れると、そこはもう別世界だった。高級ホテルや華やかなショップが並ぶ表通りとは打って変わり、脇道は少しずつ雑然としていく。最初は商店がちらほらと並んでいるが、次第に住居ばかりが目につくようになる。そして、道は真っ直ぐではなくなり、いつの間にか迷路のような入り組んだ路地へと変わっ…

  • ムンバイの商店街で見つけた、アイロン職人の世界

    ムンバイの商店街を歩いていると、一軒のアイロンがけ専門の店が目に入った。古びた看板の下、年季の入ったアイロンが壁際に無造作に並べられている。その光景はどこか懐かしく、そして興味を引いた。インドは更紗発祥の地。昔から木綿の衣服を愛用する文化が根付いているせいか、街角ではアイロンかけ職人をよく見かける…

  • ムンバイの商店街の裏側──路地に広がる子どもたちの世界

    商店が軒を連ねるムンバイの商店街。その華やかな表の顔とは対照的に、裏側に回るとそこには生活の気配が色濃く漂っている。ここは商売の場であると同時に、多くの人々の住まいでもあるのだ。歩いていると、大人たちの忙しげな姿に混じって、子どもたちの姿もちらほらと見かける。学校帰りなのか、それとも家の手伝いを終え…

  • ムンバイの零細店舗──街角に息づく商いの風景

    今なおインドの小売市場の約9割は、伝統的な零細店舗が占めているという。そこに含まれるのは、日本で見かけるようなコンビニエンスストアではない。むしろ「店舗」と呼ぶにはあまりにも素朴な、小さな露店や簡素な屋台がほとんどだ。写真の男が働いていたのも、まさにそんな店のひとつ。屋根も壁もなく、店舗というよりは…

  • ムンバイの八百屋で──父と息子の静かな時間

    足を踏み入れた商店街の一角に、ささやかな八百屋があった。粗末なテーブルの上にはタマネギやウリ、ニンジン、インゲンといった野菜が並び、その向こうには一組の親子が腰を下ろしている。この日は、お父さんと息子が店番を任されているのだろう。お父さんは携帯電話を耳に当て、誰かと静かに話している。忙しげな様子では…

  • ムンバイの商店街で出会った優しい微笑み──買い物に疲れたひととき

    ムンバイの商店街を歩いていた。店が軒を連ね、行き交う人々がそれぞれの目的を持って買い物を楽しんでいる。特別な活気があるわけではないが、決して寂れた雰囲気でもない。平日の商店街は、どこか落ち着いた日常の空気が漂っていた。道のあちこちでは、買い物に疲れた人々が腰を下ろして休憩している。その姿は、まるでこ…

  • インド人は甘いものに目がなく、インドは世界最大の砂糖消費国だ

    小さな商店が軒を連ねる通りを歩いていた。食堂や八百屋がひしめく商店街の中で、僕の足がふと止まったのは、スナック菓子を売る店の前だった。店頭のカウンターには、まるでカラフルな壁のように積み上げられたスナック菓子やビスケットの袋。目を引くその光景に、思わずじっと見入ってしまう。インドでは、街角のチャイ・…

  • インドでカレーは食卓に欠かせない存在だが、ナンを日常的に食べている人はほとんどいない

    日本で「インドカレー」といえばナンを思い浮かべる人が多い。もちもちとした食感に、濃厚なカレーがよく絡む。日本のカレー専門店では、焼きたてのナンが提供されるのが定番だ。しかし、インドではナンは主流ではない。たしかにカレーは食卓に欠かせない存在だが、ナンを日常的に食べている人はほとんどいない。その理由は…

  • ムンバイの街角で見つけた、人々のエネルギー源──チャイという文化

    ムンバイの陽射しは容赦ない。ひとたび外に出れば、じわりと汗が滲み、喉はすぐに渇いてしまう。そんな厳しい環境の中で、人々のエネルギー源となっているのが、街のあちこちで提供されている「チャイ」だ。特に問屋街のような場所では、荷を運ぶ人夫たちがひっきりなしにチャイ屋へと足を運ぶ。 彼らにとってチャイは、た…

  • ムンバイのハッジ・アリー廟と東京・上野の辨天堂──異世界へと続く道の変化

    東京・上野の辨天堂を訪れるたびに思うことがある。それは、同じ目的地に向かうのでも、一本道の陸地を歩いていくのと、船に乗って水上を進むのとでは、感じる雰囲気がまったく異なるということだ。水の上を渡るという行為には、どこかしら特別な感覚が宿る。それはムンバイのハッジ・アリー廟にも言えることだった。この廟…

  • ムンバイの灼熱—ハッジ・アリー廟と人びとの暑さ対策

    ムンバイの太陽は容赦がなかった。照りつける日差しがアスファルトを焼き、海風も熱を帯びている。僕の体は、まだ完全に夏になり切れていない日本の気候から、このインドの灼熱の世界へと放り込まれた。結果は明白だった——あっという間に夏バテである。だが、それは僕だけではなかった。この街に暮らす人々も、決してこの…

  • 霊廟のすぐ横にあるモスクに設けられた小さな洗い場は祈りの前の静寂を守る場所のようにも思えた

    ムンバイのアラビア海に浮かぶハッジ・アリー廟は、その名が示す通り、イスラム教の聖人を祀る霊廟だ。白亜の建物が海に浮かぶように佇み、長い参道を通ってようやく辿り着くことができる。その姿はまるで、現世と神聖な世界を隔てる門のように見えた。敷地の中央にある聖人ハッジ・アリーの棺の前には、多くの巡礼者がひし…

  • ハッジ・アリー廟へと続く一本道は、潮が満ちれば海に沈み、引けば姿を現し、まるで信仰へと誘う試練のようにも思えた

    ムンバイの喧騒を離れ、アラビア海へと伸びる一本の細い道を歩いていく。目の前には白亜の建物とミナレットが輝く、ハッジ・アリー廟。ここはインドの観光名所としても知られ、敬虔なイスラム教徒が絶えず訪れる霊廟だ。ハッジ・アリーは、現在のウズベキスタンのブハラ出身の商人だった。裕福でありながらも敬虔なイスラム…

  • ムンバイの観光名所として知られ、世界遺産にも登録されている歴史的な建造物の博物館に冷房はなかった

    ムンバイの太陽は、まるで神々の怒りが凝縮されたかのように容赦なく照りつける。強烈な湿気が肌にまとわりつき、影を探しながらの移動が当たり前になっていた。そんなとき、僕はふと目にした「チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァストゥ・サングラハラヤ」という長ったらしい名の博物館に足を向けることにし…

  • エレファンタ島へは片道1時間かかるので、行きは世界遺産への期待で胸が高鳴るものの、帰り道はひたすら着くのを待つばかりだ

    ムンバイのインド門からフェリーで向かうエレファンタ島への航海は、片道1時間ほどかかる。行きはこれから訪れる世界遺産への期待で胸が高鳴るものの、帰り道はひたすらムンバイの海岸線が近づくのを待つばかりだ。波が穏やかだったのは幸運だったが、船上では襲い来る睡魔と強烈な日差しが最大の敵となる。フェリーの単調…

  • エレファンタ石窟群は宗教施設というよりも観光地化したテーマパークのようだった

    ムンバイの象徴的な建造物であるインド門からフェリーで約1時間、ムンバイ湾に浮かぶエレファンタ島には、世界遺産に登録された壮大な石窟群がある。本来はヒンドゥー教のシヴァ神を祀る神聖な寺院として築かれたものの、現在ではすっかり観光地化しており、ここで真剣に祈る人の姿はほとんど見られない。神聖な場であれば…

  • エレファンタ島の猿は驚くほど器用で、蓋を回して開けるのもお手のものだし、ボトルから直接飲むこともできる

    別名「モンキーアイランド」と呼ばれるだけあって、ムンバイ市街地の東に浮かぶエレファンタ島には猿が多い。人を襲うことはないと思うのだけれど、食べ物に関しては油断できない。僕の前を歩いていた観光客は、手に持っていたペットボトルを猿に奪われてしまった。猿は素早くボトルを強奪すると、器用に蓋を回して開け、中…

  • 警備員も写真撮影を咎めることなく、薄暗い中でスマホのカメラ設定をどうすれば綺麗に撮影できるかを親切に教えてくれるほどだった

    ムンバイにある世界遺産、エレファンタ石窟群は、主にヒンドゥー教のシヴァ神を祀る石窟寺院の集合体だ。内部にはリンガやシヴァ神以外の神々の彫刻も点在しているものの、それらはもはや過去の遺物として扱われているように感じられる。訪れている人々の多くはインド人で、ほとんどがヒンドゥー教徒と思われるが、ここでお…

  • ムンバイ中心部を歩いているとイギリス統治時代の名残を色濃く感じたが、エレファンタ島には思いの外ポルトガルの影響が残っていた

    長い階段を登り終え、ようやくエレファンタ石窟群にたどり着いた。世界遺産に登録されているこの石窟群は、グプタ朝の時代に建設が始まったとされ、その歴史は古い。しかし長らく忘れ去られており、16世紀になってポルトガル人によって再発見されたという。この石窟群が「エレファンタ」と呼ばれるのも、ポルトガル人がこ…

  • 幻想的な光の中で、遊び回っていたシャイな女の子の全身もまた、透き通るような青に包まれていた

    船着き場、すなわち海抜0メートル地点から世界遺産であるエレファンタ石窟群の入口までは、延々と登りの階段が続いていた。ここを訪れる観光客のほぼすべてが通るルートなのだろう。階段の途中には食堂が点在し、脇にはお土産物屋がびっしりと並んでいる。観光客フレンドリーな様相を呈しているものの、本来なら強烈な日差…

  • エレファンタ島は遺跡しかない無人島のように思っていたが、どうやら南部には集落があり、人が暮らしているらしい

    船酔いすることもなく、約1時間の航海を終えて、フェリーはエレファンタ島に無事到着した。長い桟橋を渡りながら、世界遺産の石窟群へと向かっていく。ふと浜辺に目を向けると、いくつもの漁船が陸揚げされていた。この島は遺跡しかない無人島のように思っていたが、どうやら南部には集落があり、人が暮らしているらしい…

  • 視線の先に、何か特別なものがあるわけではなく、ただ、波に揺られる時間がやや長く感じられるだけだ

    ムンバイのインド門は、それ自体が観光名所であるだけでなく、船乗り場としての役割も果たしている。世界遺産に登録されているエレファンタ石窟群のあるエレファンタ島へ向かうフェリーも、ここから出発するのだ。乗り込んだフェリーはゆっくりと岸を離れ、インド門が次第に小さくなっていく。その瞬間までは、旅の高揚感に…

  • 果物屋の店頭にあったさくらんぼの箱から、インドは広大で、多様な風土を持つ国だということを改めて思い知らされた

    ムンバイで足を踏み入れた商店街に、小さな果物屋があった。正確に言うと、それを「お店」と呼んでよいのかどうか迷うほどのささやかな空間だ。タバコなどを売るキオスクなら、これくらいの大きさでも違和感はないが、果物屋となると少し意外に思える。店主は果物に囲まれながら、小さな椅子に腰を下ろしていた。並べられて…

  • そもそも綿花の栽培や、綿布・綿織物をつくる技術の起源はインダス文明にまで遡るのだ

    商店街には仕立て屋も店を構えていた。男が店先に出したテーブルに、年季の入ったミシンを載せて、カタカタカタと縫製をしている。日本でも洋服の直しをしてくれる店があるが、ここムンバイでも同じようなニーズがあるのだろう。路上にミシンを持ち出して作業をする姿は、日本ではほとんど見かけないが、この街ではごく当た…

  • ズボンを売る屋台は出ていたものの、どこにも試着室のようなものは見当たらなかった

    ムンバイの商店街に並ぶ店々には統一感がなかった。小腹を満たす軽食の屋台もあれば、野菜を売る八百屋や果物を並べる露店もある。その中で、ズボンを売る男たちの姿もあった。写真のヒゲモジャの男たちがそうだ。僕のカメラを見つけると、彼らは嬉々としてレンズの前に立ち、陽気な笑顔を見せてくれた。だが、ふと疑問が浮…

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