城ヶ島渡船に乗れずに帰路も城ヶ島大橋を渡り、三崎港の繁華街へ向かっていた。入り組んだ海岸線を歩きながら、護岸に係留された漁船の横を通り抜けていたら、一隻の漁船の上で漁師が魚の餌作りをしていた。
美味しそうに見えたので酒の肴でも作っているのかと思って声を掛けると、魚の餌だよと訂正された
城ヶ島渡船に乗れずに帰路も城ヶ島大橋を渡り、三崎港の繁華街へ向かっていた。入り組んだ海岸線を歩きながら、護岸に係留された漁船の横を通り抜けていたら、一隻の漁船の上で漁師が魚の餌作りをしていた。
せっかく海の近くを歩いているのにハイキングコースの両脇に草が生い茂っていて海は見えたり、見えなかったりする
ウェットスーツを着た人が闊歩している南国風の城ヶ島のハイキングコースを歩くと、両脇に草が生い茂っていて立体迷路を歩いているようだった。せっかく海の近くを歩いているのに海は見えたり、見えなかったりして、ちょっともやもやする。
谷津大観音という大仏は大仏といっても、その高さは台座を含めて8.5メートルしかなく、周囲の民家に紛れてひっそりと鎮座している
東京都内にも赤塚の乗蓮寺、谷中霊園の天王寺、北区の谷津大観音など大仏が点在している。谷津大観音は台座を含めても8.5メートルと決して巨大ではなく、周囲の民家に溶け込むように静かに鎮座し、地域の安寧を見守っているかのような存在だ。
高所恐怖症なのだけれど、ある程度以上の高さになると僕の脳は高いところにいると認識できない模様
高所恐怖症なんだけど、高層ビルの展望台は意外と楽しめる。中途半端な高さだとビビるけど、一定以上の高さになると脳が「えぇ、ここ高いってことないな」って認識しなくなるみたい。だから高層ビルの上から見る景色は全然怖くないし、むしろ楽しめてしまう。
西新宿の高層ビル群はかつて掘り下げられた貯水池の底を基準にして建てられている
西新宿は以前の淀橋浄水場跡地に再開発された地域で、高層ビルが立ち並ぶ。しかし、浄水場の池を基準に高層ビルが建てられたため、地表と建物の高さに段差が生じている。これが西新宿を歩いていると地表がどこにあるのか分からなくなる原因となっている。
コクーンタワーの形状は発注主の四角ではないものを作ってほしいという要望から誕生した
西新宿の独創的な外観の高層ビル「コクーンタワー」。発注主の
金ピカの神輿を見ていると、日本の神々しさの考え方は東南アジアと根本的には変わらないのではないかと思える
ガラス張りの建物に黄金に輝く神輿が保管されていた。金ピカの神輿には宝石もふんだんに使われ、乗り込む神様もご満悦だろう。日本の地味な宗教施設とは対照的に、神輿の極彩色は際立つ。金ピカの神輿を見れば、神々しさの考え方は東南アジアと根本的には変わらないのではないかと思える。
渋谷で開かれていたソール・ライター展は思っていたよりも混んでいた。オシャレなソール・ライターの作品を見たいと欲する人は多い。大胆な構図で切り取られた社会はどこか他人事で、写真に写ったものや人の意味を深堀りさせようとはしてこない。それがクールでオシャレに見えるのだろう。お節介な親戚のおばさんのように…
靖国神社にある施設というと、零戦が展示されている遊就館が有名だけれど、境内にはそれ以外にも施設がある。参拝者のための控室をはじめ、靖國偕行文庫という図書館も設けられているし、相撲場もある。そのような中、ちょっと意外な感じがするのが神池庭園だ。裏手に進んでいくと、池泉回遊式庭園があって、池を囲むように…
世の中にはアブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドを闇の世界から送られた偽の預言者とみなす宗教もある
東京にある靖国神社は、もともと東京招魂社と称していた。招魂とは死者をとむらうこと。その名の通り、明治維新以後の日本国家のために殉難した人を祀るために建立された神社だ。祀られている人物を巡って論争が起きるけれど、そもそも誰を祀るのかを決めるのは宗教側なのだから仕方ない。キリスト教だって、宗派によって聖…
ニコライ聖堂に名を残す聖ニコライも、来日当初に赴いたのは函館だった
修復が終わった屋根は鮮やかなパステル色で、周辺が雪景色になったらさぞ映えるのだろう。ネットで見た雪景色の中にそびえる函館の「主の復活聖堂」の写真はどれも美しかった。でも幸か不幸か今は雪の降る季節ではなかった。周辺の芝生は青々としていて、黄色い花があちらこちらに咲き乱れている。目の前に建つ函館ハリスト…
関東では見かけない御祭神が祀られているものの、札幌にある北海道神宮の境内の様子は関東に建つ神社と特に変わったところはない。本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、取り囲むような回廊もどこかで見たことのあるようなものだ。歩いている巫女の格好も何ら変わらない。そりゃそうだ。ここは神社本庁に属する神社だからだ。明治…
北海道神宮の境内には他ではあまり見かけない神様を祀っている神社も建っている
円山公園駅から北海道神宮に最短距離で向かうと、どうしても表参道を通らない。脇参道というか、幅の広い表参道と比べると幅が狭く木々が鬱蒼と茂るハイキングコースのような細い参道を通ってしまう。そのほうがずっと近いと思うのは僕だけではないようで、このハイキングコースを大勢の参拝客がゾロゾロ歩いている。そのせ…
日本国内でがっかりした観光地を挙げるとしたら、札幌の時計台が僕の中で最有力だ
観光名所を訪れて、がっかりしてしまうことがある。事前に読んだガイドブックによく書かれすぎているせいのときもあるし、実物よりもキレイに撮られた写真のせいのときもある。いずれにしても想像していたよりもすごくなかったということ。いわゆる「がっかり観光地」だ。僕も旅をした中で、期待していたのにすごくなかった…
小樽市総合博物館にある機関車庫三号は「現存する日本最古の機関車庫」だ
世の中に素人が価値を理解するのが難しいものはたくさんある。小樽市総合博物館にある機関車庫三号もそのひとつだ。確かに「現存する日本最古の機関車庫」という情報を見れば、誰だってそれなりに価値があるものだと思うけれど、見ただけでこの価値を理解できる人はいるだろうか。そもそも「現存する日本最古の機関車庫」と…
除雪車のフロントガラスに取り付けらた丸いものは目玉のようで、一度そう思ってしまったら、もう顔にしか見えなかった
もう列車の走ることのない線路を歩いていくと、たどり着いた先は小樽市総合博物館だった。ここは旧国鉄・手宮線の手宮駅の跡地に作られた博物館だ。特に下調べすることなく、歩いていた廃線路の終着点にあったというだけで足を踏み入れた博物館は思いのほか広く、残っている線路の上に実際の列車や客車が何両も展示されてい…
中国で皇帝のシンボルとされる龍が、キリスト教文化では騎士に退治されるドラゴンになってしまうのにちょっと居心地を悪く感じてしまう
薄暗い建物の内部で壁が光っていた。どの壁も鮮やかに発色している。ステンドグラスだった。ここは小樽にあるステンドグラス美術館。かつて大豆を収めていた倉庫に、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで制作され、実際に教会の窓を飾っていたステンドグラスが飾られている。教会を飾っていただけあって、展示さ…
かつての繁栄を象徴する倉庫も、ほとんどが美術館や店舗になっていて、倉庫としては使われていない
小樽住吉神社を後にして、築100年が経過している鋼鉄製の火の見櫓を眺めた後は、ただ小樽の住宅街を歩いていた。スーパーマーケットがあったり、コンビニがあったり、東京と大して変わらないと思っていた町並みが変化し始めたと思ったのは、旧上勢友吉商店まで来たところだった。旧上勢友吉商店は1921年に建てられた…
1927年に建てられた鋼鉄製の火の見櫓はすでにボロボロで、現在は保存修繕に向けて活動が行われているらしい
個人的な見解なのだけれど、かつて繁栄したものの、その後衰退してしまったところほど昔のものが残っている。繁栄したことのないところに、お金をかけた豪奢なものが作られることは少ないし、古来から繁栄し続けている場所は古いものが更新されて残っていないことが多い。江戸時代に幕府が開かれて、明治維新後も首都であり…
松尾芭蕉の句碑も立っているので、芭蕉は奥の細道のついでに北海道まで訪れていたのかと思ってしまったけれど、そんなことはない
南小樽駅で電車を降りて、駅前の坂をただひたすらに登っていく。しばらくいくと、植栽のある中央分離帯の先に大きな鳥居が現れた。小樽住吉神社の鳥居なのだけれど、鳥居が現れたからといって、すぐに社殿にたどり着けると思ったら大間違い。小樽住吉神社の境内は広く、国道5号脇に立つ鳥居から社殿まではまだ遠い。広々と…
結局、水産部に一時間くらい滞在して、青果部にも一時間くらい滞在したのに、僕以外の見学者に会ったのは一度きりだった。見学通路をはじめ、見学者が迷わないように明示された導線など、見学に対応するためのインフラは用意されているものの、札幌中央卸売市場にせりを見学しに来る人はあまりいないようだ。仕方がない。札…
登録すればターレーは公道を走ることも可能なのだけれど、町中でターレーを乗り回している人を見たことはない
かつての築地市場でもたくさん走り回っているのを見かけたターレーという乗り物が、ここ札幌中央卸売市場でも走っていた。その構造上、小回りが利くので卸売市場、工場、倉庫、鉄道駅の構内などで荷役用として広く使われているらしい。小さくて可愛らしい車体が、広々した市場を縦横無尽に走っているのを目にすると、僕も乗…
札幌市中央卸売市場でマグロのような大きな魚のせりが見られるのかと思って楽しみにしていたけれど、それは叶わなかった。マグロ低温売場という看板の下にある建物の中に、マグロが何体も並んでいるのが見えただけで、せりは行われていなかった。もう終わっていたのかもしれない。そこで、僕は気を取り直して青果部に向かう…
競りは見学できるものの、2階の見学通路からで1階せり場へは入れない
どのような光景が見られるかと期待して来たものの、実際に見られた光景は期待していたものとちょっと違った。確かに実際の競りが行われている。メガホンを手にした競り人と思われる人が喋っていて、取り囲むように並んだ人たちが何やら反応している。競りだ。でも思い描いていたよりも、ずっと遠くで行われていて、働く男た…
羽田空港の第2ターミナルの展望デッキは、建物の中にあるので天候に関係なく快適に眺められる
羽田空港の第2ターミナルでどんどん上の階に進んでいくと展望デッキにたどり着く。目の前にC滑走路が走っていて、その向こうに東京湾が広がっている。天気が良ければ見えるという東京ディズニーランドはあいにくこの日は見えなかったものの、海をバックに次々と飛行機が離発着するのを眺めるのは楽しい。羽田空港の公式ホ…
古いことのすべてが悪いとは限らず、昔のデザインがカッコよく見えることもある
江戸時代は大名や旗本のための武家地で、明治維新後に陸軍省用地になっていた丸の内に日本初の本格的オフィス街が作られ始めてから130年あまり。「一丁倫敦」や「一丁紐育」と呼ばれた町並みはもとより、老朽化してきた1920年代30年代に建てられたビルも次々とビルが建て替えられた。大手町・丸の内・有楽町地区再…
三島田町駅に入ってきた伊豆箱根鉄道駿豆線の車窓にプラットホームが映り込んでいた
佐野美術館から三島駅に戻るのにローカル線に乗ることにした。美術館の最寄り駅である三島田町駅から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗れば、三島駅まではあっという間だ。何よりローカル電車に乗るのは楽しい。ここでも東京ではすっかり目にしなくなった紙の切符を購入する羽目になり、僕の旅心は高まった。日本国内でも楽しいのだか…
苔生した隆泉苑はまるで鬱然とした森の中にあるような趣があった
静岡県三島市に佐野美術館という美術館がある。日本刀や陶磁器、青銅器などの美術工芸品を収蔵している美術館だ。中でも日本刀のコレクションが有名で、この美術館は5振りの重要文化財と1振りの国宝を所蔵している。展示されていた日本刀を見学すると、他の美術館や神社仏閣の宝物殿と同じように刃がピカピカだ。何百年も…
柿田川公園はコンコンと水が湧き出るわき間と、芝生の広がるところの雰囲気はまったく違う
三島駅の目の前にある楽寿園で轟々と音を立てて湧き水が流れているし、すぐ近くにある白滝公園でも湧き水がこんこんと流れている。この辺りは湧き水が豊富なところで、あちらこちらで水が湧き出ている。そのような湧き水のスポットの中で、ラスボス的な存在が清水町を流れる柿田川にある柿田川湧水群だ。全長約1.2kmし…
よく考えてみれば神社もがめついイメージのある中華寺院も似たようなものだった
中華文化圏にある仏教寺院や道教寺院を訪れると、狭い敷地に様々な神様が祀られていて、それぞれが現世利益を謳っている。参拝客は自らの求める現世利益に対応した神様にお参りするため、ありとあらゆる現世利益に対応できるように大勢の神様が鎮座している。その構造はがめついイメージのある中華民族にピッタリだとひとり…
落ちないようにと強く思えば思うほど、落ちてしまう気がしてしまうのはなぜだろう
三島駅の駅前に楽寿園という公園がある。本邸を東京の神田駿河台(跡地は山の上ホテルになっている)に構えていた小松宮彰仁親王の別邸だったところで、園内には1890年に建てられた京都風の高床式数寄屋造りの建物(楽寿館)や湧水によって形成された小浜池などがある。贅を尽くして建てられた楽寿館も一見の価値がある…
その昔、今の二子玉川駅は二子玉川園駅という名称だった。「園」という一字が付いていたのは、この駅の近く(今の二子玉川ライズのあたり)に二子玉川園という遊園地があったからだ。今では跡形もないけれど、二子玉川駅は遊園地の最寄り駅だったのだ。二子玉川ライズ、玉川高島屋S・Cをはじめとした商業施設のある現況か…
岡本八幡神社の社殿に続く階段の下に雰囲気のいい鳥居が立っている
頭では神社に立っている鳥居が神域の入り口を示していることを理解していても、実際に五感で感じることはあまりない。特に都会に鎮座する神社ではそうだ。靖国神社の大きな鳥居は、くぐる時に圧倒されるものの神域に入域するという改まった気分には浸らないし、明治神宮の鳥居も入り口ではあることがわかるのだけれど、神域…
根岸にある子規庵から野球好きで闊達だった正岡子規を連想するのは難しい
俳人であり歌人であった正岡子規にはどうしても病床に伏しているイメージが付きまという。肺結核に蝕まれた子規は最晩年の3年間を寝返りも打てないほどの苦痛を麻痺剤で和らげながら、創作活動に勤しんだというから仕方がない。日本に野球が導入された頃の熱心な選手であっただけでなく、自身の幼名にちなんで「野球(のぼ…
西新井大師では「北斎会」のときにだけ、所蔵する葛飾北斎の肉筆画を一般公開している
1400年近い歴史を誇る総持寺こと西新井大師の本堂は大きいものの、それほど古いものではない。現在の本堂は、1966年に焼失してしまった本堂を1971年に再建したものだ。この他境内には都内に現存する唯一の栄螺堂(1884年建立)や江戸後期に建立された山門(上の写真はその山門)などの歴史を感じさせる建造…
西新井は新井という地名の西にあるからではなく、本堂の西に霊験あらたかな井戸があることが語源だ
京都に東本願寺と西本願寺があるように、東京にも西新井大師と対となる東新井大師という寺院がどこかに存在していると漠然と思っていたけれど、よくよく考えてみたら東新井大師などどいう名称は生まれてこの方、一度も耳にしたことがない。それもそのはず、東新井大師などという寺院はおろか、西新井という地名と対になる東…
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺で権勢を誇った寛永寺が、幕末の動乱期に主要な伽藍が焼失しただけでなく、明治維新後に寺領を没収された結果、今では地味な印象のある寺院になっているのと同じように、東京の練馬にある三宝寺という寺院もかつての勢威を感じるのは難しかった。鎌倉時代・室町時代に特権を持っていたことを示す…
空の下に広がる緑が水際に迫る石神井公園の光景は、100年近く前に川瀬巴水が描いた光景と何ら変わっていないように見える
練馬にある石神井公園には三宝寺池と石神井池というふたつの池があるものの、その成り立ちはかなり違う。国の天然記念物も群生している三宝寺池が湧き水を源泉としているのに対し、ボートに乗ることもできる石神井池は一帯が風致地区に指定された際に武蔵野の景観を保護する目的で人工的に作られたもの。つまり三宝寺池がメ…
四頭身で作られている四天王像はゲームに登場するキャラクターのようで威厳を感じるにはちょっと可愛すぎた
仏教寺院の入口に仁王像や四天王像が鎮座していることが多い。いずれも寺院やご本尊を守るためにいる神様だから、山門などの入り口で悪いものが境内に入ってこないように睨みを効かせている。効果があるのかどうかはわからないけれど、そういうことになっている。この日にやってきた練馬の長命寺もそうだった。南大門に境内…
戦後もだいぶ経ってから生まれた僕にはピンとこないけれど、東京の赤羽や十条の辺りはかつて軍都だったところだ
散歩の記録 : 十条 -- 戦後もだいぶ経ってから生まれた僕にはピンとこないけれど、東京の赤羽や十条の辺りはかつて軍都だったところで、今でも残っている当時の建造物もある。
4年振りに開催された神田祭で歩行者天国になった車道に人が溢れていた
散歩の記録 : 神田祭 -- 4年ぶりに神田祭が開催されて、人で溢れていた秋葉原の中央通りにビルの上階からカメラを向けている男がいた。
神田祭の神輿のルートに神田神社の御祭神である平将門の首を祀る将門塚も含まれている
散歩の記録 : 神田祭 -- 4年ぶりに開催された神田祭は盛り上がって、神輿の行列の中には大幣を抱えた男の姿もあった。
東京近郊には思わず小走りしてしまうくらい面白そうな美術館・博物館も多い
散歩の記録 : 千葉市 -- 横断歩道の白線の上に、楽しそうに歩く女の子の影がくっきりと落ちていた。
コンクリートで舗装されていて、都心にある学校の校庭のような千葉神社の一画になみなみと水を湛えた妙見池があった
散歩の記録 : 千葉神社の妙見池 -- 青空や木々がくっきり映り込んで、鏡のように凪いでいた妙見池の水面が鯉の登場によって乱されていた。
散歩の記録 : 埼玉古墳群 -- 8基の前方後円墳と1基の円墳が残っていて、古代史のテーマパークと呼ぶのにふさわしい規模を誇る埼玉古墳群も誰が埋葬されているのかは分かっていない。
忍城の外堀を埋めて造られた公園に、ウェス・アンダーソンの映画に出てきそうな可愛らしい建物が建っている
散歩の記録 : 行田の水代公園に建つ旧忍町信用組合店舗 -- かつての外堀を利用して造られた公園の中に、ウェス・アンダーソンの映画に出てきそうな可愛らしい建物が建っている。
スマホが普及しても、困ったときにスマホではなく誰かに話しかけるのが今でも妙案なのは変わらない
散歩の記録 : 熊谷駅 -- スマホが普及してからというもの、あまり外国から個人旅行社が訪れなかったようなところにも、外国人旅行者を見かけるようになった。
散歩の記録 : 寺田倉庫G1ビル -- 空いていると勘違いしていた「ウェス・アンダーソンすぎる風景展」は大盛況で、会場は大勢の来場者で賑わっていた。
東京藝術大学には、文系の大学を卒業した人間には思いもよらない卒業作品のお買い上げというシステムがある
散歩の記録 : 東京藝術大学大学美術館 -- 東京藝術大学には文系の大学を卒業した人間には思いもよらない卒業作品のお買い上げというシステムがある。
88点のロダン作品が収蔵されている中で5つの彫刻作品だけが国立西洋美術館の前庭に展示されている
散歩の記録 : 国立西洋美術館 -- 美術館の前庭にはロダンの地獄門が置かれていて、大勢の人がその前で足を止める。
画家に比べると影の薄い彫刻家の中で、オーギュスト・ロダンは抜群の知名度を誇っている
散歩の記録 : 国立西洋美術館 -- 美術館の前庭にはロダンの考える人が置かれていて、その前で同じーポースを取る人は多い。
珍しい狛兎とは裏腹に窓ガラスに映った社殿はいたって地味なものだった
散歩の記録 : さいたま市にある調神社 -- 式内社で長い歴史のある調神社は狛犬の代わりに狛兎が鎮座している珍しい神社だ。
古めかしい格好をして、いかつい顔をした青松寺の四天王像を保護するガラスに現代の町並みが映り込んでいた
散歩の記録 : 愛宕にある青松寺 -- 古めかしい格好をして、いかつい顔をした青松寺の四天王像を保護するガラスに現代の町並みが映り込んでいた。
東京23区でもっとも標高の低い天然の山は浅草にある待乳山だそうだ
散歩の記録 : 東京愛宕神社 -- 東京23区内には標高が50m未満の低山が100以上も存在している。
東京23区内の最高峰である愛宕山の頂上から、かつてNHKの前身がラジオ電波を発信していた
散歩の記録 : 東京愛宕神社 -- 東京23区内の最高峰である愛宕山の頂上から、かつてNHKの前身のひとつ東京放送局がラジオ電波を発信していた。
色々と面倒が生じるのを避けるために、今なら男女の性差を用いたネーミングは避けるに違いない
散歩の記録 : 東京愛宕神社 -- 急勾配の男坂の横に勾配の緩やかな女坂も設けられているものの、女坂を選んで歩く人は少ない。
散歩の記録 : 館林 -- 電車の時間を気にせずに茂林寺前駅にやってきたのだけれど、ちょうどタイミングよく浅草方面に向かう電車が駅にやってきた。
おとぎ話の中だけに存在していると思われがちな文福茶釜が実物が茂林寺に保管されている
散歩の記録 : 館林 -- 館林にある茂林寺は分福茶釜というお伽噺の舞台になった寺院で、今でも分福茶釜が保管されている。
散歩の記録 : 館林 -- つつじヶ岡公園の中を流れる鶴生田川の上には、水面を覆うようにいくつもの鯉のぼりが飾られていた。
散歩の記録 : 丸の内 -- 小雨が降りしきる中、傘を差した男性が誰もいない階段を小走りで下っていた。
散歩の記録 : 丸の内 -- かつて東京中央郵便局だったKITTE丸の内の中にある大きなアトリウムは、だまし絵のような廊下で囲まれている。
平日にはサラリーマンで賑わっている丸の内も、週末になれば幼い子どもを連れたお父さんたちが出没する
散歩の記録 : 丸の内 -- 平日にはスーツ姿のサラリーマンで賑わっているであろう丸の内に、週末は打って変わって幼い子どもを連れたお父さんの姿があった。
散歩の記録 : 三菱一号館美術館 -- 休館前の美術館では「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」が催されていた。
檜原村にある払沢の滝は東京でただひとつ「日本の滝百選」にも選ばれている滝だ
散歩の記録 : 払沢の滝 -- 檜原村にある払沢の滝は思いの外大きい。東京でただひとつ「日本の滝百選」にも選ばれている滝だ。
散歩の記録 : 根津 -- 根津神社にある千本鳥居は、京都にある伏見稲荷大社とは違ってお手軽に立ち並ぶ鳥居の下をくぐり抜けられる。
彫刻と塑造を統合した彫塑という言葉はあまり耳にしたことがない
散歩の記録 : 谷中 -- 朝倉彫塑館の屋上庭園で、背中を丸めながら周囲の町並みを眺めていた塑像が寂しそうに見えた。
散歩の記録 : 目黒川 -- 雨が降って天気は悪かったものの、目黒川に架かる橋の上には桜を見に来た人びとが大勢いた。
生憎の雨天だったけれど、満開の桜と同時に傘の花がしているのも目にすることができた
散歩の記録 : 目黒川 -- 好天だったら混雑したにちがいない桜の咲いた目黒川沿いの小径も、生憎の雨天のため空いていて、自分のペースで花見ができた。
國學院大學渋谷キャンパス内にある國學院大學博物館の展示は充実していて、訪れて損はしない
散歩の記録 : 渋谷 -- 渋谷氷川神社の近くにある國學院大學博物館は地味だけれど、訪れて損はしない博物館と言っていいだろう。しかも無料だ。
バブル経済真っ只中に開業したBunkamuraのギャラリーの最後を飾るのは1980年代のシティポップのレコードジャケットを数多く描いた永井博のイラストだった
散歩の記録 : Bunkamura -- バブル経済真っ只中に開業したBunkamuraのギャラリーの最後を飾るのは1980年代のシティポップのレコードジャケットを数多く描いた永井博のイラストだった
オープン当初はおしゃれスポットだったのが、気がつけば駅から遠くて微妙なところにある商業施設という立ち位置になっている
散歩の記録:恵比寿ガーデンプレイス -- かつてはおしゃれスポットだった気がする恵比寿ガーデンプレイスが時代の荒波に揉まれている中で、ジョエル・ロブションだけは変わらない気がする
鎌倉の外港だった六浦津の辺りに景勝地だった名残はほとんど残っていない
散歩の記録:金沢八景 -- かつて歌川広重の浮世絵にも描かれるくらいの景勝地だった金沢八景に往時の名残はほとんど残っていない。平潟湾に琵琶島神社が寂しげに浮かんでいるだけだった。
大きな仁王門の向こうに見える朱色の反橋をカップルの男女が渡っていた。ここは横浜にある称名寺という真言律宗のお寺。境内の真ん中に大きな池があり、写真の反橋はその池に架かっている橋だ。仁王門の抜けたところに、大きな池がある伽藍は珍しい。このように門を入ってすぐ池があり、池に架けられた橋を渡った対岸に堂宇…
称名寺そのものよりも横に建つ金沢文庫の方が存在感を放っている
横浜にある称名寺は、鎌倉幕府の執権職を世襲した北条氏の一族である金沢北条氏の菩提寺で古刹だ。金沢北条氏の祖である北条実時が開基したと言うからその歴史はゆうに800年くらいはあり、境内には赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などの建造物だけでなく、浄土式庭園も築かれている。全盛期には、三重の塔を含む七堂伽藍を完…
様々なモチーフを用いて造園されている小石川後楽園で、通天橋の下を流れてきた水流は大堰川と呼ばれている。大堰川とは京都を流れる桂川のことで、その流域によって呼称が異なる面倒くさい川だ。上流では保津川、嵐山付近では大堰川と呼ばれ、下流に進むと鴨川になり、最終的には宇治川と合流して淀川になって大阪湾に注い…
大名庭園として造られた小石川後楽園には来園者を楽しませるためのモチーフが散りばめられている
小石川後楽園は水戸徳川家の江戸上屋敷に造られた庭園であり、現在は都立公園として一般に開放されている。実際に庭園を歩いてみると、小石川後楽園は思っている以上に広い。広大さが実感できます。ただし、現存している小石川後楽園は上屋敷の一部であり、上屋敷全体の広さはさらに大きかった。現在の東京ドームシティアト…
岡山後楽園と小石川後楽園では小石川後楽園の方が後楽園と名乗り始めたのが早い
後楽園といえば日本三名園にも数えられる岡山にある後楽園を思い浮かべるけれど、東京のど真ん中にも後楽園という名を冠した庭園がある。江戸時代初期に造られた小石川後楽園だ。ややこしいのは、この庭園を作ったのが水戸徳川家だということ。自らの領地に後楽園と並んで日本三名園に数えられる偕楽園を作るだけでは飽き足…
日蓮宗の寺院である中山法華経寺には、重要文化財に指定されている建造物が数多く残っている。境内には日蓮聖人を祀る祖師堂や、五重塔、法華堂、四足門といった重要文化財の建物があり、その美しさと豪華さに圧倒される。また、一般の観光客は見学できないけれど、法華経寺には国宝も所蔵されている。日蓮聖人の遺文が聖教…
中山法華経寺の聖教殿は日蓮聖人の遺品を後世に伝えるために造られた頑丈な宝蔵なのだ
中山法華経寺には国の重要文化財に指定されている建造物が数多くあるけれど、僕が特に惹かれたのは重要文化財に指定されていない「聖教殿」という建物だった。祖師堂の脇を通り、寳殿門を抜けて進んでいくと姿を現す聖教殿は、他の建築物とは少し異なる雰囲気を持っている。まるで屈強なチェスの駒のような形をした倉庫なの…
下総中山駅を出て、京成本線の線路を越え、まっすぐな道を進んでいくと立派な門にたどり着く。市川にある中山法華経寺の山門だ。この寺院は日蓮宗の大本山のひとつだ。日蓮宗では大本山と呼ばれる寺院がいくつも存在しており、その中のひとつが中山法華経寺なのだ。開祖である日蓮聖人にゆかりのある寺院を大本山と称してい…
東山魁夷記念館は長野県立美術館へ行きたいと思わせる壮大な仕掛けなのかもしれない
市川の住宅街に周囲の住宅とは一線を画した建物が建っている。東山魁夷記念館だ。この塔のある西洋風の外観を持つこの建物は、その名が示す通り、昭和を代表する日本画家である東山魁夷の業績を顕彰するために建てられたもの。日本画家を讃える建物の外観が西洋風になっているのは、東山魁夷のドイツ留学が彼の人間性と芸術…
葛飾八幡宮と聞くと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台になった東京の葛飾区にある神社だと思う人は多いだろう。でも違う。葛飾区になければ、東京にもない。葛飾八幡宮を訪れようと思った僕がこの日にやってきたのは総武線の本八幡駅だった。そう、葛飾八幡宮は千葉県の市川市にあるのだ。葛飾八幡宮は寛平年間(88…
駅近くにある禁足地は、知らなければ禁足地だとは気が付かないだろう
入ってはいけないと言われると、中に入りたくなるのが人の性だ。世界遺産にも登録された沖ノ島にも、一般人の上陸が禁止されたと聞けば俄然訪れたくなるし、沖縄の御嶽も、実際に催事を催している時に訪れてみたいと思ってしまう。でも実際に行動を起こすのは難しい。そもそも大抵の場合、宗教上の理由で禁足地になっている…
高崎白衣大観音から高崎駅に向かって歩いている途中、川に出くわした。最初は達磨寺から高崎白衣観音に向かう際に川沿いを歩いた碓氷川だと思ったが、実際には烏川という別の川だった。見た目は碓氷川とそれほど変わらないように見えたけれど、いつの間にか違う名前の川になっていたのだ。碓氷川は千曲川や淀川のように途中…
高崎白衣大観音の中には146段の階段が上に向かって続いている
木々の間から見えた高崎白衣大観音は思っていたよりも小さいように感じたけれど、実際に近づいて見るとやはり巨大だった。鉄筋コンクリートで建てられた観音像の高さは41.8メートルもある。ウィキペディアによれば、建造された1936年当時は世界最大の観音像だったのだという。なんとも興味深い「世界最大の観音像」…
大きな観音像は遠くからでも見えると思いきや、そうでもなかった (群馬)
地図を見て思っていた通り、高崎の達磨寺から大きな観音像のある慈眼院まではそこそこ遠い。達磨寺を出発してしばらくは碓氷川に沿って平凡な道を進んでいたのだけれど、しばらくすると道は碓氷川から離れて坂を登っていく。でも目的地の高崎白衣大観音まではまだ遠い。坂道が続いているばかりなのだ。平坦な道が続くとばか…
桂離宮を絶賛したブルーノ・タウトは高崎に住んでいた時期もあるのだ (群馬)
ブルーノ・タウトという名前を聞いても、桂離宮の素晴らしさを海外に喧伝した人という程度の薄っぺらな知識しか持っていなかった。アーネスト・フェノロサと同じく明治に来日したお雇い外国人のひとりくらいに思っていたのだ。ところが、達磨寺の境内には驚くべきことに、ブルーノ・タウトが居住していた洗心亭という建物が…
達磨寺の達磨堂には数え切れないくらいたくさんの達磨が奉納されている (群馬)
なんだか拳法の修行者が現れてしまいそうな山号だが、実際に姿を現すのは達磨ばかりだ。群馬高崎にある少林山達磨寺には願掛けの達磨が大量に置かれている。奉納されたものなのだから、丁寧に置かれていると思ったら大間違い。まるで子どもが、親に怒られて渋々おもちゃ箱におもちゃを仕舞ったかのように乱雑に置かれていた…
群馬八幡駅のレンタル自転車は他のところで乗り捨てできない (群馬)
群馬県高崎市にある群馬八幡駅に来ていた。高崎市で訪れようとしていたスポットが、広範囲に散らばっているため、僕はここ群馬八幡駅で自転車をレンタルして回るつもりだったのだ。しかしながら、その目論見は開始早々に崩れてしまう。群馬八幡駅で借りた自転車で高崎市内を巡り、最後に高崎駅で返却して家路に就こうと計画…
わざわざ出かけて花を愛でるといえば、春の桜がまっさきに思い浮かぶけれど、日本人には桜以外にもさまざまな草木を愛でる風習がある。考えてみれば、桜が満開になる前に梅林に梅を見に行ったり、桜の後に来るツツジ祭りを楽しみにしている人は多い。この日にやってきた池上梅園にも、梅の花を愛でに大勢の人が訪れていた…
鮮やかな朱色が美しいにもかかわらず、周囲に人はあまりおらず、宝塔は静かに佇んでいるのみだった (東京)
池上には幸田露伴や力道山など著名人のお墓のある立派な寺が存在するくらいの認識しか持っていなかったが、実際のところ、本門寺は由緒のある仏閣だ。これまで気がついていなかったのが恥ずかしく思えるくらいの由緒あるお寺なのだ。どのような由緒があるのかと言うと、ここは日蓮宗の宗祖・日蓮上人が入滅したところ。12…
東急池上線の池上から本門寺に向かうと、呑川を越えた辺りで遠くに本門寺の総門が姿を表す。駅から近い、と安堵したらその後の試練を乗り切れないかもしれない。本門寺の境内は総門をくぐってからが本番だ。地図だけを見ていると見逃してしまうかもしれないけれど、本門寺の境内のほとんどは小高い丘の上にある。1800年…
本門寺の五重塔が焼失しなかったのは、単なる幸運以外の何ものでもない (東京)
か東京は京都と異なり、第二次世界大戦末期にアメリカ軍の無差別爆撃を受けた。もっとも空襲を受けたのは東京だけではない。制空権を握られた日本は、地方都市もアメリカ軍に好き勝手に攻撃された。終戦直後の写真を見ると、建物が想像以上に破壊されており、その光景に驚いてしまう。日本の都市には木造建築が多かったため…
一応儒教の国なのに、日本に孔子廟が少ないのはなぜなのだろう? (東京)
かつて江戸幕府は朱子学を中心とした儒学政策を採用し、幕府直轄の学問所でも朱子学以外の異学の講義を禁じたくらいだった。それにもかかわらず、日本には朱子学の体系化を成し遂げた朱熹を祀った廟は存在しないし(中国にはあるのかな?)、儒学の始祖である孔子を祀った孔子廟も少ない。江戸時代の寺子屋では、意味が分か…
合格祈願のご利益がはっきりしているのに対して、家内安全と商売繁盛には叶ったのかどうかの明確な基準がない (東京)
神社を訪れるのには人それぞれに様々な理由があるものの、大抵の願いは類型化できる。家内安全や商売繁盛、合格祈願に訪れる人がほとんどだろう。中には増毛(御髪神社)や歯痛止め(歯神社)がご利益に挙げられている珍しい神社もあるけれど、そのような神社はあくまでも例外的な存在で、普通の神社では先に挙げたご利益を…
何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなるものだ (東京)
何度も訪れている東京の湯島天神には男坂と女坂があって、男坂が急な階段である一方、女坂の方が傾斜が緩いことも知っていた。でも、最近まで参道に建つ鳥居の下にさりげなく唐獅子の装飾が施されているのを知らなかった。幾度となく、くぐり抜けたことのある鳥居なのだけれど、小さな唐獅子がいるのに気が付かなかったのだ…
日本有数の商店街の二階にさりげなく仏教寺院が存在している (東京)
御徒町にあるアメ横は魚介類や乾物をはじめ、衣類や宝飾品を売るお店が密集している商店街という印象がある。公式サイトによれば、JR上野駅とJR御徒町の間にあるアメ横には400あまりの店舗が軒を連ねているとされ、日本有数の商店街として知られている。大勢の買い物客で賑わっている通りを歩いているだけでは気が付…
人の人生なんて長くても100年くらい。文化の変遷を感じるには短すぎるのだろう。自分の幼い時分にあったものは太古から存在していて、これからも存在し続けると思いがちだ。でも実際のところは、文化は日々刻々と変化している。ゆっくり変化しているがゆえに、ほとんどの人が移り変わりをとらえられない。そのため世の中…
明治神宮の境内は江戸時代の終わりには彦根藩主・井伊家の下屋敷だったところ (東京)
現在明治神宮の境内は、江戸時代の終わりには彦根藩主・井伊家の下屋敷だったところだ。井伊家とは桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼を輩出したあの井伊家のこと。譜代大名の中で最大の石高を誇った井伊家は下屋敷でさえ、広大な敷地を有していた。しかも、ここが下屋敷だったということは、藩主が居住していた上屋敷は…
東京ジャーミイのミナレットが鉛筆みたいな形をしている理由 (東京)
代々木上原の近くの住宅街に立っている鉛筆のような尖塔が、日本最大のモスクである東京ジャーミイの目印だ。この尖塔はモスクには必ず付随しているミナレットと呼ばれるものだ。ひとくちにミナレットと言っても、その形状は場所によって異なる。例えば、ウズベキスタンでは灯台のような形をしているし、モロッコではテトリ…
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城ヶ島渡船に乗れずに帰路も城ヶ島大橋を渡り、三崎港の繁華街へ向かっていた。入り組んだ海岸線を歩きながら、護岸に係留された漁船の横を通り抜けていたら、一隻の漁船の上で漁師が魚の餌作りをしていた。
ウェットスーツを着た人が闊歩している南国風の城ヶ島のハイキングコースを歩くと、両脇に草が生い茂っていて立体迷路を歩いているようだった。せっかく海の近くを歩いているのに海は見えたり、見えなかったりして、ちょっともやもやする。
東京都内にも赤塚の乗蓮寺、谷中霊園の天王寺、北区の谷津大観音など大仏が点在している。谷津大観音は台座を含めても8.5メートルと決して巨大ではなく、周囲の民家に溶け込むように静かに鎮座し、地域の安寧を見守っているかのような存在だ。
高所恐怖症なんだけど、高層ビルの展望台は意外と楽しめる。中途半端な高さだとビビるけど、一定以上の高さになると脳が「えぇ、ここ高いってことないな」って認識しなくなるみたい。だから高層ビルの上から見る景色は全然怖くないし、むしろ楽しめてしまう。
西新宿は以前の淀橋浄水場跡地に再開発された地域で、高層ビルが立ち並ぶ。しかし、浄水場の池を基準に高層ビルが建てられたため、地表と建物の高さに段差が生じている。これが西新宿を歩いていると地表がどこにあるのか分からなくなる原因となっている。
西新宿の独創的な外観の高層ビル「コクーンタワー」。発注主の
ガラス張りの建物に黄金に輝く神輿が保管されていた。金ピカの神輿には宝石もふんだんに使われ、乗り込む神様もご満悦だろう。日本の地味な宗教施設とは対照的に、神輿の極彩色は際立つ。金ピカの神輿を見れば、神々しさの考え方は東南アジアと根本的には変わらないのではないかと思える。
渋谷で開かれていたソール・ライター展は思っていたよりも混んでいた。オシャレなソール・ライターの作品を見たいと欲する人は多い。大胆な構図で切り取られた社会はどこか他人事で、写真に写ったものや人の意味を深堀りさせようとはしてこない。それがクールでオシャレに見えるのだろう。お節介な親戚のおばさんのように…
靖国神社にある施設というと、零戦が展示されている遊就館が有名だけれど、境内にはそれ以外にも施設がある。参拝者のための控室をはじめ、靖國偕行文庫という図書館も設けられているし、相撲場もある。そのような中、ちょっと意外な感じがするのが神池庭園だ。裏手に進んでいくと、池泉回遊式庭園があって、池を囲むように…
東京にある靖国神社は、もともと東京招魂社と称していた。招魂とは死者をとむらうこと。その名の通り、明治維新以後の日本国家のために殉難した人を祀るために建立された神社だ。祀られている人物を巡って論争が起きるけれど、そもそも誰を祀るのかを決めるのは宗教側なのだから仕方ない。キリスト教だって、宗派によって聖…
修復が終わった屋根は鮮やかなパステル色で、周辺が雪景色になったらさぞ映えるのだろう。ネットで見た雪景色の中にそびえる函館の「主の復活聖堂」の写真はどれも美しかった。でも幸か不幸か今は雪の降る季節ではなかった。周辺の芝生は青々としていて、黄色い花があちらこちらに咲き乱れている。目の前に建つ函館ハリスト…
関東では見かけない御祭神が祀られているものの、札幌にある北海道神宮の境内の様子は関東に建つ神社と特に変わったところはない。本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、取り囲むような回廊もどこかで見たことのあるようなものだ。歩いている巫女の格好も何ら変わらない。そりゃそうだ。ここは神社本庁に属する神社だからだ。明治…
円山公園駅から北海道神宮に最短距離で向かうと、どうしても表参道を通らない。脇参道というか、幅の広い表参道と比べると幅が狭く木々が鬱蒼と茂るハイキングコースのような細い参道を通ってしまう。そのほうがずっと近いと思うのは僕だけではないようで、このハイキングコースを大勢の参拝客がゾロゾロ歩いている。そのせ…
観光名所を訪れて、がっかりしてしまうことがある。事前に読んだガイドブックによく書かれすぎているせいのときもあるし、実物よりもキレイに撮られた写真のせいのときもある。いずれにしても想像していたよりもすごくなかったということ。いわゆる「がっかり観光地」だ。僕も旅をした中で、期待していたのにすごくなかった…
世の中に素人が価値を理解するのが難しいものはたくさんある。小樽市総合博物館にある機関車庫三号もそのひとつだ。確かに「現存する日本最古の機関車庫」という情報を見れば、誰だってそれなりに価値があるものだと思うけれど、見ただけでこの価値を理解できる人はいるだろうか。そもそも「現存する日本最古の機関車庫」と…
もう列車の走ることのない線路を歩いていくと、たどり着いた先は小樽市総合博物館だった。ここは旧国鉄・手宮線の手宮駅の跡地に作られた博物館だ。特に下調べすることなく、歩いていた廃線路の終着点にあったというだけで足を踏み入れた博物館は思いのほか広く、残っている線路の上に実際の列車や客車が何両も展示されてい…
薄暗い建物の内部で壁が光っていた。どの壁も鮮やかに発色している。ステンドグラスだった。ここは小樽にあるステンドグラス美術館。かつて大豆を収めていた倉庫に、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで制作され、実際に教会の窓を飾っていたステンドグラスが飾られている。教会を飾っていただけあって、展示さ…
小樽住吉神社を後にして、築100年が経過している鋼鉄製の火の見櫓を眺めた後は、ただ小樽の住宅街を歩いていた。スーパーマーケットがあったり、コンビニがあったり、東京と大して変わらないと思っていた町並みが変化し始めたと思ったのは、旧上勢友吉商店まで来たところだった。旧上勢友吉商店は1921年に建てられた…
個人的な見解なのだけれど、かつて繁栄したものの、その後衰退してしまったところほど昔のものが残っている。繁栄したことのないところに、お金をかけた豪奢なものが作られることは少ないし、古来から繁栄し続けている場所は古いものが更新されて残っていないことが多い。江戸時代に幕府が開かれて、明治維新後も首都であり…
南小樽駅で電車を降りて、駅前の坂をただひたすらに登っていく。しばらくいくと、植栽のある中央分離帯の先に大きな鳥居が現れた。小樽住吉神社の鳥居なのだけれど、鳥居が現れたからといって、すぐに社殿にたどり着けると思ったら大間違い。小樽住吉神社の境内は広く、国道5号脇に立つ鳥居から社殿まではまだ遠い。広々と…
代々木上原の近くの住宅街に立っている鉛筆のような尖塔が、日本最大のモスクである東京ジャーミイの目印だ。この尖塔はモスクには必ず付随しているミナレットと呼ばれるものだ。ひとくちにミナレットと言っても、その形状は場所によって異なる。例えば、ウズベキスタンでは灯台のような形をしているし、モロッコではテトリ…
日本にいるとあまり意識しないけれど、世界には多くのイスラム教徒が存在している。なにせ世界三大宗教の一翼を担っているくらいだ。揺籃の地である中東にはもちろんのこと、インドにも大勢いるし(人口の10%程度)、東南アジアにも多数いる。インドネシアやマレーシアのイスラム教徒が主流の国である国だけでなく、仏教…
かつて佐倉は軍都だったと聞いても、駅前を歩いても、旧堀田邸を訪れても、武家屋敷を覗いても、その名残を感じることはできない。今でも海上自衛隊の基地のある横須賀のように、街を歩いても自衛隊の隊員を見かけることもない。知らなければ、千葉県佐倉市に日本帝国陸軍の軍隊が駐屯していた歴史に気が付かないだろう。佐…
千葉県佐倉には、かつて江戸時代に諸藩の中で最も多くの老中を輩出した佐倉藩があった。この事実から、現在の佐倉に磨崖仏が残っていても不思議ではないと思ってしまったのだ。しかし、冷静になって考えれば、佐倉城が「老中の城」と称されたことと、岩壁に石仏が造立されていることには関連性はない。佐倉には日本の歴史…
世田谷美術館は混んでいた。一般的に、絵画作品の展覧会に比べて、写真作品の展覧会を訪れる人が少ないイメージを持っているけれど、それは作家の知名度によるのだろう。世の中では画家のほうが写真家よりも有名な人が多いのだ。そのような中、この日に展覧会が模様されていた写真家・藤原新也の知名度はそこらの画家よりも…
現在、47の都道府県に分けられている日本は、律令制の時代には68の国に分けられていた。令制国だ。大宝律令が制定された701年から、1871年に廃藩置県が実施されるまでの1200年近くの間、用いられ続けられた行政区分だ。驚くべきことに、令制国の改廃が行われたのは奈良時代までと明治以降だけ。平安時代から…
有楽町駅周辺は多くのビルが建ち並び、活気に溢れている場所だ。面白いのはJRの線路を挟んで街の性格が違うところ。丸の内側はビジネスエリアで大きなオフィスビルがいくつも立ち並んでいるビジネスマン向けの場所である一方で、有楽町側はデパートもある一般消費者向けの場所なのだ。どちらも活気に溢れているのは同じで…
東京駅にほど近い丸の内に建つ大きなオフィスビル・東京ビルTOKIAは閑散としていた。平日ならば多くの人が働いていているオフィスも、週末にはあまり人がいないのだろう。オフィスエリアへのエントランスも静けさに包まれていた。しかし、いくら出社している人が少ないとはいえ、大きなオフィスビルのインフラは働き続…
辰野金吾が設計した赤レンガの駅舎を期待して八重洲口から東京駅を出てしまうと、あまりにも雰囲気が違って戸惑ってしまう。丸の内側には1914年に建てられたシックな駅舎があるのに対し、八重洲側にはこれといって説明するのが難しい駅舎があるだけ。百貨店もあるし、高級ホテルもあるし、大きなバスターミナルもあるし…
東京の日本橋の上に翼の生えた獰猛そうな動物が鎮座している。初めて見た人は、この像が西洋のドラゴンだと思うかもしれないが、実は違う。この銅像は中国神話に登場する伝説上の動物である麒麟だ。キリンビールのラベルに描かれているあの麒麟だ。本来なら、麒麟には翼はないのだが、日本橋の麒麟は、日本の道路の起点から…
東京にはコンクリート・ジャングルしかないと思っている人は意外と感じるだろうけれど、23区内にも渓谷がある。エコブームで造られたような人工的な渓谷ではなく、自然にできた渓谷があるのだ。それが東急大井町線の等々力駅からほど近くにある等々力渓谷だ。等々力渓谷は武蔵野台地を大量の湧水が浸食してできたもので…
あまり知られていないけれど、東京にも多くの古墳がある。東京タワーのすぐ近くには芝丸山古墳があり、オシャレな代官山には猿楽塚古墳がある。また、花見の名所でもある飛鳥山には飛鳥山1号墳がある。さらに、多摩川下流に広がる武蔵野台地の南端部には、大小50基以上の古墳が確認されており、荏原台古墳群と呼ばれてい…
九品仏駅はプラットホームが短いことで有名だ。そう。プラットホームが停車する電車よりも短いので、ドアが開かない車両が存在するのだ。まさか停まったのにドアが開かない駅があるなんて、思いがけなく、罠にかかったような気分になってしまう。車内アナウンスで何度も注意を喚起しているにも関わらず、この予想外の内容を…
九品仏駅を出ると、真っ直ぐ伸びる参道に目を奪われる。入り口には、白い羊羹を立てたかのような太い石柱が立っていて、浄真寺参道と書かれている。ここは、通称「九品仏」と呼ばれる浄真寺の参道だ。浅草寺のように観光地化されてはいないが、見応えのある仏教寺院だ。なにせ観光地化されていないため空いている。そんな浄…
埼玉の川越を訪れた際に、川越には似たような名前の駅が複数あって、どれが川越の中枢にある駅なのかを名前からよそ者が判断するのは難しいと書いた。そのような問題は川越だけの問題なのかと思いきや、この日にやって来た千葉市もなかなかの問題児だった。やはり似たような駅があって、駅名を見ただけでは、どの駅が市の中…
当初は訪れるつもりはなかったものの、千葉県立美術館で江口寿史のイラストを観終えた僕は千葉市美術館にも行ってみようと思い立った。せっかく千葉市まで来たのだから、千葉市美術館にも足を伸ばしてみようと思ったのだ。地図で見ると千葉県立美術館から千葉市美術館までは近い。歩いて30分くらいの道のりだ。埋め立てら…
僕にとってはよく分からないもののひとつに、アートとアートでないものを分け隔てる境界線がある。精巧に作られているから自動的にアートに分類されるわけでもない上に、下手くそに見えてもアートに分類されるものもある。また、自らの手で作ったものでなくとも、マルセル・デュシャンの「泉」のようにアートとされるものも…
いつもと違って、県名と県庁所在地名が同じだとややこしいと感じていた。千葉県立美術館に行くつもりでいたが、気を抜くとすぐに千葉市美術館に向かっているのか、千葉県立美術館に向かっているのかわからなくなってしまっていたのだ。千葉県立美術館と千葉市美術館は歩いて行ける距離にあるものの、それほど近くにあるわけ…
流鉄流山線は短い。たった11分の行程で、始発駅から終着駅まで乗り通すことができる。路線にはわずか6つの駅しかなく、流山駅から乗っても馬橋駅にたどり着くのもあっという間だった。車両はここで乗客を降ろして、再び流山に向かう。この短さはローカル線の旅情を感じるには足りない。僕が家から最寄りの駅まで歩く時間…
新選組といえば、泣く子も黙る幕末を舞台にした人気コンテンツだ。尊攘派志士の弾圧活動をした浪士隊だから、歴史的にはその後の日本の発展のスタートになる明治維新を邪魔した集団なのだけれど、そんな事実はみんな脇において楽しんでいる。気がつけば息の長い人気コンテンツに変貌を遂げているのだ。そのため、町おこしに…