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2010/08/09

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  • 第3344日目 特別編 〈事後報告。〉

    呑んだくれてたったいま、帰宅したのだ。 関内から自宅まで約50分、たいしたことないな。 それにしても生物の帰巣本能の凄まじきよ。◆

  • 第3344日目 〈報告;「エズラ記(ラテン語)」原稿完成、第1回聖書読書完了。〉

    昨日20時21分を以て「エズラ記(ラテン語)」を、〈前夜〉を含めたPagesへの入力をすべて完了しました。やっと……!! 一部で「そこしか読んでいない」といわれる最後のエッセイはまだ書いていない。予約投稿直前に書くのが、昨年「一マカ」からの慣例になったかな。 とりあえず「エズラ記(ラテン語)」再読は、終わり。 嗚呼、ようやく本当の意味で、聖書読書が完了した。サンキー・サイ。 2回目の聖書読書がいつからになるか不明だけれど、今度はスタイルを変えて進めてゆくのも一興か、と思うているのであります。◆

  • 第3343日目 〈庄司浅水『私の聖書コレクション』を読みました。〉

    書物研究家、ノンフィクション作家として足跡を残した庄司浅水の、それ以外の顔をわたくしは知らない。本書で初めて知った次第である。 庄司は「1冊の本を選べ、と訊かれたら躊躇いなく「聖書」を選ぶ」という。浅水文庫に収まった聖書コレクションから、珍品稀品にまずは類する一品を選んで紹介したのが『私の聖書コレクション』(浅水文庫 1981/06 製本は奢灞都館の出版物を引き受けていた神戸・須川製本所である)だ。婚約の前年、奥方様から誕生日プレゼントに頂戴した1冊である。 〈大聖書展〉の簡易目録が挟みこまれている。神戸三ノ宮そごう新館を会場に開催された〈大聖書展〉(1981年6月)には、浅水コレクションからも出品された由。本書はおそらく、この展覧会にあわせて作成されたのだろう。限定500部。 浅水文庫の聖書コレクションは、他のキリスト教関係文献と共に立教大学へ収蔵されていると聞く。本書には..

  • 第3342日目 〈三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅲ 〜扉子と虚ろな夢〜』を読みました。〉

    発売日に購入していながら「エズラ記(ラテン語)」再読ノートを優先させたため、読むのが数日遅れたいまになってしまった。まぁ、これでも最速の部類ですけれどね、わたくしには。 ──三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅲ 〜扉子と虚ろな夢〜』を昨日午前、読了した。 めでたく栞子さんと大輔くんが結ばれて、智恵子さんとの確執も一応のピリオドが付けられて幕を閉じた第1部完結から5年。2人の間に生まれた一人娘、扉子がメインキャラクター(の1人)となって開幕した第2部も、本巻で早くも第3巻となる(巻数表示は第1部が算用数字であったのに対して第2部はローマ数字を採用)。或る意味で第1部以上に、これまでのどの巻よりもどす黒さの目立つ1巻となった。 今度の『ビブリア』は藤沢市の百貨店でむかしから開催されている古書市が主舞台。古書店の孫が相続するはずの蔵書約1000冊を頑なに処分するといって譲らない古書..

  • 第3341日目 〈昨日したこと、今日すること。〉

    行動記録は以下の通り、── ○昨日(2022年03月27日)したこと。 01;午前中、「エズラ記(ラテン語)」再読ノート全章分をPageへ入力終了。厳密にいえば〈前夜〉が残っているが、今週中には第一稿を仕上げられるだろう。告知済みスケジュールに変更はない。 02;昼過ぎ以後、買ったままな小説を読み、録り溜めた映画を観る。 03;小説、『ビブリア古書堂の事件手帖Ⅲ 〜扉子と虚ろな夢〜』(メディアワークス文庫 2022/03)を読み始め。未だ第1章ながらいつものゆったりとした、居心地の良い空気に満たされた物語空間を懐かしく思いながら、安堵。今日、仕事から帰ってきたら続きを読もう。 04;午睡、夢→巨大な放水路を跨ぐ橋の歩道から。流れ落ちた水塊が水煙をあげて落ちる様を眺める。わたくし;そこから子供の転落死を目撃したことがある。その子供はわが娘らしい。橋の向こうの中層マン..

  • 第3340日目 〈栄光の記憶の欠片を拾い集めるようにして、わたくしは祈る。──ルカ伝「放蕩息子の帰還」に触発されて、〉

    部屋の片附けの際中に本を落とした。文庫サイズのフランシスコ会訳新約聖書。奥付には1989年06月改訂16刷とある。まだ「イエズス」と表記されていた時代。これは婚約者が没して1年に満たない夏、自分の意思で購入した初めての聖書だ。背表紙の金の箔押しは火事で燻されて、見る影もないけれど、まだ手許にある──開くことは殆どなくなったけれど。 拾いあげて偶然開いたのがルカ伝「放蕩息子」のページ。腰をおろして読んだ。知己の家族を想いながら。もう修復不可能な亀裂の入った、或る家族のことを想うて嗟嘆し、涙腺がどうになりそうなのを堪えながら。 放蕩息子のエピソードが好きだ。この喩え話を喩え話でなく、親が子を想う気持ちとは、を考えさせられる格好の題材であると知ったのは、まだそうむかしのことではない。 放蕩の末に財産を使い果たし、尾羽打ち枯らした姿で帰ってきた息子を迎え入れる父親の気持ちが、よくわか..

  • 第3339日目 〈遠藤周作と文化学院、断章・備忘。〉

    エッセイの仕込みのため、遠藤周作と文化学院の関わりを調べている。 遠藤周作は1954/昭和29年04月から文化学院の講師を務めた。年譜に照らし合わせれば遠藤の文化学院着任は、第33回芥川賞受賞作となる「白い人」発表前年のこと。 後年の教え子、山﨑博久に拠れば担当はフランス文学であった由。着任当初から仏文のみであったか、仏語も受け持っていたか、当時の講義目録が手許に揃っていないため未詳である。 エネルギッシュな講義であったらしい。講義に遅れて教室へ入ってきた学生には「出ていけっ!」と一喝したともいう。現在の料理研究家、平野レミが経験者である(『ド・レミの唄』P25-27 中央公論社 1976/05)。されども遠藤の気さくな人柄と談論風発な講義は遠藤が教壇を去ってだいぶ経ったあとまで、当時を知る教員や事務員たちの話題となっていたことを付記しておく。教え子たちが遠藤を囲む会を20年..

  • 第3338日目 〈こんな夢を見た(その9):〈グリーン版〉世界文学全集第2期と第3期のこと。〉

    河出書房からそのむかし、出ていた世界文学全集がある。いわゆる〈グリーン版〉と呼ばれる、全100巻の全集だ。河出書房、であり現在の、河出書房新社、ではない。 3期に分けられて刊行されたため、その編集方針の一貫性の欠如が指摘されているらしい。が、愛読した側にそんなことは余り関係ないのだ。 祖父が遺した第1期の欠落書目を埋めることが、20代のわたくしが古書店を渉猟する目的の1つだった。それは果たされ、満足した。 集めたあとは読むことが優先事項だ。が、問題は全部を読み終えたあとで、第2期、第3期に出された本は手許に殆どなく、かつては同じように古本屋の店頭で転がっていたのにそちらの蒐集へ意識が向くことも殆どなかった。手許に、読む本はなくなった。 では、と腰をあげて古書店・新古書店、ネット・オークション、ネット販売のサイト、等々覗いてみても最早それは品薄で、なかなか出物と呼ぶべきはな..

  • 第3337日目 〈Liella! 2nd LoveLive!, 於大阪城ホール。行ってきます!!〉

    Liella!の2nd LoveLive!、結ヶ丘ガールズバンド(軽音部!!)といっしょに06月04日と05日、大阪城ホールにて。YouTubeにて告知動画、視聴可能。 ……ちょうど業務の引き継ぎでその頃は大阪にいるな。奥方様と生後2カ月の娘と母には申し訳ないけれど、仕事にかこつけて参戦するか。 耳が心配だけれど、たぶん最初で最後のLiella!ライヴだろうから、心ゆくまで愉しんでくる!◆

  • 第3336日目 〈アニガサキまで、あと10日。〉

    公式ツイートがTLに流れてくる。気持ちが弾む。『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2期スタートのカウントダウン、放送開始は来月04月02日から。 あと12日、あと11日、あと10日……。来週27日は直前スペシャルも。新キャラクターが登場して、新たな展開を見せてゆくアニガサキまで、あと10日。特番までは、あと5日。 公式ツイートをTLで見るたび煽られて、訳もわからずときめいてくる、妖しい気分になってくる。なんだろう、この、抑え難いざわめきは。 HDDの容量はたっぷり空けた。どんと来い。◆

  • 第3335日目 〈伊那の土地柄と井月と。〉

    生まれた土地、育った地域、暮らす環境が人にどのような作用を及ぼすのか。長じてどのような影響を与えてゆくのか。とても興味がある。上伊那の俳人、井月はどうか。 北村哲雄『俳人井月』(岩波現代全書 2015/03)に拠れば井月が定住した<南信>、つまり諏訪、上伊那、下伊那の人間気質について曰く、諏訪は生活風土の厳しさゆえ言葉も気性も荒い、上伊那は温暖な気候と天竜川沿いに開けた耕地の恩恵を受けてか人間が丸くのんびりしていて真面目である、下伊那は三州街道(伊那街道)から静岡や名古屋、関西圏の文化が入りこんで言葉も気質も他にくらべて柔らかい、と。 井月の出自は未詳だが、30代の頃から伊那を寝床とし、そこに根をおろした。句集を読んでいるとかれの俳諧は、芭蕉のように彫琢を重ねたというよりも、口から自然と零れ出てそのまま形を留めた日常句、と呼ぶ方がはるかに実像に近かろう。のんびりとした里の景観、人..

  • 第3334日目 〈『新 もういちど読む山川世界史』で世界史の学び直しをしています。〉

    世界史の知識がわたくしには欠落している。聖書を読み始めてそう痛感した。中高のテスト範囲になるような事柄──四大文明の発生とかコロンブスのアメリカ大陸発見とか、ローマ帝国が最終的に東と西に分裂した、とかね──は覚えていても、まずそれを整理できていない。イコール、必要なときにその知識を取り出すことができない、ということ。 アカンなぁ、と思い思いしつつ、これまで学び直しの機会を設けることはなかった。イギリスやヴェトナムの歴史の本は、文化史や言語史にまで手を出し何冊となく読み耽り、聖書を読み始めてからは古代オリエント史やローマ史を参考文献に開くことも多くなったのに、である。地域ごとの歴史は或る程度まで把握しても俯瞰した世界史となると、途端に時系列が怪しくなり、事件や出来事についても輪郭さえおぼつかなくなる、という為体なのだ。 幸いにして、いまは春。雪は解け、ヒバリ囀り梅の花開いて、心地良..

  • 第3333日目 〈旧約聖書続編の面白さを、これからも伝えてゆきたい〉

    旧約聖書続編の面白さ、正典(旧新約聖書)に負けず劣らずの内容の幅広さ、そこで語られる<はなし>の深さ、思わず笑ってしまったり、もの侘しくなったり、感動してしまうような書物や場面のあることを、どうやって伝えればいいだろう? やはりブログで地道に話してゆく他ないか。逸話・挿話の紹介、些細な記述から生まれる疑問、1つの記述の背景となる歴史、などなど……。これまでと同じく気附いたことを書き留め、文章としてゆくのを繰り返すよりないか。 余りにも──旧約聖書続編にかんして内容紹介、読書の助けとなる本は余りにもすくない。榊原康夫、土岐健治、秦剛平、各氏の著作だけが補助教材となり得るも、あくまで旧約聖書続編として新共同訳聖書(現在は、聖書協会共同訳も、か)に収まる書物、或いは旧約外典・偽典として括られる各書物の概説が中心で、内容の一々へ詳細に立ち入ったものでは残念ながら、ない。 となると、い..

  • 第3332日目 〈迷いは吹っ切れた。〉

    ずっと迷っていた。 未来の可能性の様々を、結婚によって奥方様から奪ってしまったのではないか、と。本人へ訊くことは流石にできず、そのまま悶々と、胸中の障りとなってその慚愧の想いは燻り続けていた。 が、いまは情勢が百八十度、変わってしまった。ロシアのウクライナ侵攻である。激しさは増す一方だ。在職していたら果たして帰国できていたかどうか……。 もう迷いはない。彼女の選択に間違いはなかった。 不謹慎かもしれないが、いま隣で、間もなく出産予定の大きなお腹を撫でながら本を読んでいる奥方様を見て、安堵に胸を撫でおろしている、というのが本当である。◆

  • 第3331日目 〈3月の地震は、他の月の地震よりもゾッとさせられる。〉

    あ、来るな。かすかな地響きが遠くからやって来る。する内、揺れが大きくなり、シャッターが小さな金属音を立てて揺れ、家屋の骨組みが軋んで元に戻ろうとする音が地唸りの向こうに聞こえてくる。本の山が傾ぐが、絶妙なバランスで崩壊する一歩手前で踏み留まっている。 否応なく11年前を思い出す。どうしてここばかり……という住民の声が新聞で紹介されていた。皆が同じことを思うている。どうして、どうして、と。 2022/令和4年03月16日(水)23時36分頃。震源地、福島県沖。マグニチュード7.4、最大震度6強。東松島市と仙台市はそれぞれ震度6弱、震度5強。神奈川県西部;震度4。 揺れは一旦収まり、すぐあとに本震が来た。これは長い時間揺れて、幅も大きかった。関西でも小さいけれど体感できた、という。緊急地震速報は2度とも鳴らなかった。やばいね。 翌朝。朝刊を読み、ニュースを見、夕刊を読む。東北..

  • 第3330日目 〈「エズラ記(ラテン語)」再読、終了の報告。〉

    「エズラ記(ラテン語)」再読が昨日昼を以て全章、完了した。場所は、所縁あるスターバックス某店。──いまの気持ちは、安堵。否。脱力状態が正しいか。 第5章以後は未だモレスキンのノートのなかにある。明日は1日休んで聖書のことなぞ考えず過ごそう。明後日からPagesに順次入力、感想を清書して、という作業に取り掛かろう。或る意味でこれがいちばんの憂鬱事であり、いちばんの難所だな。 が、中途半端のままで終わらせるよりは今後の推敲が、どれだけ果てなきものになろうとも完成させていあるだけでまったく事態は変わってくる。もっとも、初稿があがっているからこその怠惰も考えられよう。まだ気を緩めることはできない。 とはいえ先日お話ししたお披露目開始のスケジュールは、延期などしなくて済みそうである。まずはホッ、と一息。 どうにか全章を読了し得たいま、旧約聖書続編に収まる諸書でもこの「エズラ記(ラテ..

  • 第3329日目 〈パウロの福音伝道の原動力になったもの。〉

    執念が実ったから、歴史が動いた。パウロがユダヤからローマへ福音を宣べ伝える辛苦の旅に挫折することがなかったから、<ユダヤ教ナザレ派>の福音は帝国の中枢へ入りこんで<キリスト教>へ成長してゆき、やがて皇帝の認可の下、世界へ伝播してゆく足掛かりを得た。 ──初期キリスト教の発展の歴史を極めて大雑把に述べれば、こんな風になると思います。 この発展の歴史の、扇の要というべきはパウロの、キリストを一心に求め敬う信仰の揺るぎなさ、狡猾さと妥協ぶりに求められましょう。「使徒言行録」を繙いても、エルサレムの使徒集団との対立と妥協、伝道旅行で立ち寄った地での迫害(無理解)とその地の人たちの改宗、ローマ行きの機会が得られるまで牢獄で過ごしたあたりなど、その片鱗が窺えると思います。 最初パウロはサウロとしてユダヤ教ナザレ派を迫害する側にあった(ステファノ殉教の場にも、かれはいた)。それがゆえにダマ..

  • 第3328日目 〈旅はまだまだ終わらない。〉

    未だ以てペテロ殉教について調べの付かぬ点がある。古来伝えられるところでは使徒ペテロはローマで逆さ十字架の刑に処せられた、という。逆さ十字架の刑を望んだのは、「師イエスと同じ方法で処刑されるに自分は値しない」とペテロ自身の申告があったから。 成る程、と思い、ペテロへ関心を向けるようになっていちばんに調べたのは、この処刑にまつわるエピソードだった。 その頃は参考文献と呼ぶべきものも然程架蔵していないし、図書館で繙くのも旧新約聖書及び続編の註解書や概説書、成立史や時代背景を語った本が精々で。そのなかに偶さかペテロ殉教の記述を見出しても、上述エピソードが出典、典拠の記載なく紹介されるばかり。研究者への道を歩みかけたことのある身には片手落ちにしか映らぬ処置だ。これでは納得がいかないのである。 当時に比べれば参考文献と呼んでよかろう本もすこしずつ手許に揃って来、図書館や書店で神学や聖者列..

  • 第3327日目 〈「エズラ記(ラテン語)」再読書ノートのお披露目について。〉

    お知らせ;04月11日(月)もしくは12日(火)の午前02時から、〈「エズラ記(ラテン語)」〈前夜〉〉を以て同書再読書ノートのお披露目を開始する。現時点で第9章1/2までのノートが終わり、中間点を超えて先の見通しがだいぶはっきりとした。このあたりが本書最大の難所であった、と個人的には感じているが、果たしてどうだろうか。 今後は1日1章の原則でノートを執って然る後Pagesへ入力、本文を改訂しつつメモ状態の感想を仕上げたあと余白のエッセイを綴る。これを繰り返してゆき、全章のノートが終えたあと〈前夜〉を執筆。あとはお披露目を待つのみ、となる。余裕を相当に持たせての上記日程ゆえ、2日3日の余裕は生まれるだろう。そう信じたい。 前回は途中で音をあげて、しかし中途で放り出すことも出来なかったため、手に余る本書を結構乱暴な手段で終わらせた。全文を引いてノートの労を省き、感想を書き連ねて諒とし..

  • 第3326日目 〈もういちど観たい海外ドラマは、これ!〉

    スカパー! の番組表を眺めていて、「これはっ!」と思うてチャンネルを選んだらエンドロールが流れていた。こんな経験が何度もある。 『Xファイル 完全版』が直近の経験となるが……これはまぁ、見逃しても良かったか。だって字幕だもん。やはりわれらの世代に『Xファイル』はテレビ朝日版の吹替しかあり得ない。風間杜夫のモルダー捜査官と戸田恵子のスカリー捜査官でなくてはならぬ。というわけでWOWOW、スターチャンネル、もしくはスーパードラマTV! のいずれかに『Xファイル』全話完全放送をお願いしたい。 これを機会に(もういちど)観たい海外ドラマを考えた。倩考えた。そうして、納得のリストができあがった。以下、── 01;シャーロック・ホームズの冒険;NHK綜合初放送版。放送時間の都合でカットされた場面ありのヴァージョン、でもある。吹替保管版は馴れぬうちは「興醒め」の一言。 02;特攻野郎A..

  • 第3325日目 〈交通費に頼ってはいけない。〉

    通勤時間5分、移動手段;徒歩。「恵まれているなぁ!」と叫ぶ同僚もあるが、こちらにしてみれば「なにをか況んや」である。電車に乗りたい、ではない。本が読めない、でもない。あれ、逆? まぁ、いいか。されどまったく「なにをか況んや」なのだ。 ギリギリまで家にいられる、という利点こそあれ、公休日に買い物などで出掛けた際、上司同僚部下等々に出喰わすとなっては、いったいなんの休日か。 交通費が支給されないのも痛いよね。残業代同様、やがて確実になくなる会社支給の1つでもあるこれをわたくしは、不労所得として扱うことにしている。金融機関に預けっぱなしとなる収入──いい換えれば、「実際にはあるけれど、ないものとして考える」支給額の一部、ということだ。 賞与がない分、本多博士式に雑所得として考えるようにしている1つが、この交通費である。というか交通費(や残業代)を考慮に入れた支給総額に基づいた生活設..

  • 第3324日目 〈公共交通機関を使わない通勤の、唯一の恩恵。〉

    昨日の話の続き。 これまで通勤電車を読書のためのスペース、そのための時間、と捉えてきたから本を読むことが出来た。その、公共交通機関を用いた通勤時間がなくなってしまったことで、読書する時間が著しく減り、消化する数も減った、というのが昨日の要約である。 ただこれには唯一の恩恵というものがあった。当初は気附かなかったが最近になって「そういえば」と思うようになったのだ。それが、目の疲れの軽減、である。 寄る年波には勝てない、というとなんだか敗残者めいて厭だが、このところ根を詰めて本や資料を読んだり、或いはすこし長い時間書き物をしていると、どうにも視界がぼやけてならない。痛くなってくる場合もある。 目がそんな状態になると、文字はかすれて輪郭もはっきりしなくなる。殊最近は「エズ・ラ」を読んでいる関係で、引用や感想などで「節」を記そうと確認すると、小さく印刷された数字がすぐに読み取れな..

  • 第3323日目 〈読書リズムを狂わせるに十分すぎる通勤環境。〉

    読書がまったく捗らなくなった。何年かに一度の由々しき事態到来、である。新調したばかりの布製ブックカバーに収まるのは、吉川英治『新編忠臣蔵』上巻である。読めない本、というのも、これ、なのだ。 吉川英治といえばかつて令名を馳せた歴史時代小説の巨星、ページタナーとしてはジャンル最上位の人。この人の小説を読み止してそのままなんて、正気の沙汰ではない。いい過ぎだろうか。否、そうは思わぬ。ほぼ等しい、というが譲歩の限界だ。 読めなくなった原因はわかっている。公共の交通機関を使っての通勤時間がなくなったためだ。そのために、鞄へひそませた文庫を開くことがなくなってしまった。通勤時間5分、移動経路;徒歩。これはねえ、モナミ、読書リズムを狂わせるにじゅうぶんですよ。昼休憩は家に帰ってご飯食べているしね。 次のコールセンターの現場は、電車を使って片道30分ぐらいの場所にしてもらおう。本を読めないの..

  • 第3322日目 〈こんな付箋のことなんて、すっかり忘れていた──折口信夫と信州の本。〉

    間もなくやって来るお嬢さんのための家内の片附けを休められない。殆ど作業は終わっているとはいえ、小さな所が気になりだすと自分で修繕している。知る業者さんを呼んでも構わぬがお金がかかる。些少な箇所のためにわざわざ足をお運びいただく必要もあるまい。 むかし取った杵柄、ともいう。不動産会社に就職したての頃に内覧や引渡し前の小さな修繕を、建設会社の現場監督さんに教わりながらやっていて良かった、といまになって初めて本心から思う。作業中の姿をまだ中学生の奥方様に見られたときは、心なしか恥ずかしかったけれどね。 閑話休題。作業の手を休めて溢れる本をどうにかしようと部屋へ行き(作業中にまた本が届いた!)、片附けを始めようと最初に手にした本が悪かった。芸能学会・編『折口信夫の世界』(岩崎美術社 1992/07)と今井武志・著/信濃毎日新聞社・編『折口信夫と信濃』(信濃毎日新聞社 1973/10)てふ..

  • 第3321日目 〈Everything is everything, But you're missing.〉

    あの日の夕暮れを覚えている。 夕暮れのなかの光景を覚えている。 いちばん大切なものを置き去りにしてきた。 置き去りにしたせいでいまも彷徨っている。 ぜんぶ揃っているのに、あなただけがいない。 あなたがいないのに、ぜんぶ揃っている。◆

  • 第3320日目 〈まだ命ある間に、近世怪談の現代語訳集をまとめたい。〉

    近頃のえげつないホラー小説と称すものはどうにもムシが好かんので、このジャンルの読書は自ずと実話怪談に転換するか、過去の作物へ向かうことになる。実話怪談はいま隆盛を極めておりますが、むしろ何度目かのブームを迎えて沈静化しつつある時期、と現在を考えてよかろうと思います。だからこそ、いまの群雄割拠から然るべき作家、作品だけが生き残ってゆく熾烈な時代を、これから迎えてゆくことでありましょう。 30代のとき川崎の古本屋で平井呈一編・訳『屍衣の花嫁』を入手して以来これを貪り読むばかりでなく、当時話題になって映像化もされた『新耳袋』を買ったり同僚から借りたりして夢中になって享受した覚えがあります。たぶんそこが発火点になって、いま実話怪談を読んでいる。 小説についていえば学生時代に『怪奇小説傑作集』全5巻を皮切りに神保町と高田馬場の古本屋を講義をサボってほっつき歩き、むかしの『ミステリ・マガジン..

  • 第3319日目 〈この世界が許してくれる間は、あなたと一緒にいたいのです。〉

    もう臨月を迎える奥方様。新米パパは不安でならない。バツイチ子あり、ならこの不安、幾らか軽減されるのだろうが、これまで血を継ぐ者を持ったことがないのだ。 とはいうてもこの新米パパの不安、とは、初めて子供を持つ父親が等しく抱える不安をいうのではない。不安というよりも、無念という方が正確かもしれぬ。わたくしは恐らくこの子が成人するまで、否、高校卒業の年齢までさえ生きていられないのだろう。花嫁姿を見ること、孫を抱くこと、いずれも夢のまた夢。根拠なき感傷的な話ではない。 老いてから子供を持つものではない。世間の父親が普通に甘受できる、子供の成長を見守ることが、わたくしには許されていないようである。公王陛下ではないが、まさしく、老いてから子供を持つものではない。そこには淋しさと悲しみしか存在しないのだ。とはいえ、── その日が来るまで、父は君のそばにいよう。あなたが育ってゆく姿を見られる..

  • 第3318日目 〈「エズラ記(ラテン語)」は、どうノートしたら良いだろう?〉

    最近思うところあって藤沢周平も立川文庫も脇に置いて、荒俣宏『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』と『平井呈一 生涯とその作品』を読み耽っている。「エズラ記(ラテン語)」の再読ノートが早くも暗礁に乗りあげてしまったのが原因だ。 両者に関係が? 見かけの上ではなにも、ない。ただ、内容のノートを記すにあたってどのように書けばいいかな、どう書けばすっきりするかな、どんな文体ならわかりやすくなるかな、と思案に暮れだしたらド壺に嵌まりこんで、二進も三進もいかなくなったのだ。 昨夜も遅い時間まで、詰まってしまった章;第4章を睨みつけるようにして、読んでいた。シャープペンで書きこみしたり、フリクションボールで喩え話を囲ってみたりしてね。 内容はさすがに整理ができてきた(併せて手許の参考文献が殆ど役に立たないことも判明した)。あとは、エズラ/サラティエルと天使ウリエルの神学問答を、どう書けばすっきり..

  • 第3317日目 〈アポリクファ附き英訳聖書を買いますよ。〉

    独り語り、問はず語りをさせていただきます。 ようやく「エズラ記(ラテン語)」の再読を始めたことを、既に本ブログでも、またTwitterでも、一部の人たちには直接お伝えしておりますが、此度読み始めてからずっと心の片隅にあって、なかなか払拭し切れていない悩み、があります。アポリクファ附きの英訳聖書を買うか否か。 「アポリクファ」を馴染みある日本語に置き換えれば、「旧約聖書続編」。「外典」、「第二正典」の意味でもある。最初に聖書を読み始めたときからアポリクファはあって当然の存在でしたので、外国語訳の聖書も手許に置くならまずはアポリクファ附き、と決めておったのです。 いや、既に外国語訳聖書というのは持っているのですが、いずれも自分の意思で所有したものではなく、プレゼントであったり拾い物であったり、というのが実際のところ。手許に置くなら云々とは自分の意思で購入を決めて折に触れ繙く聖書、..

  • 第3316日目 〈いまや講談本を読みこなす能力すらなき人が増えたのか。〉

    『用心棒日月抄』から横道にそれた赤穂義士への興味は未だ立川文庫『大石内蔵助』で留まっている。読み倦ねているのでは、ない。面白いからこそ、なのだ。 むかしの講談本ゆえ読み初め当初はなかなか入りこんでゆけなかった。しかし、それはけっきょく「馴れ」と「忍耐」の問題であって、或る程度まで進んだらば途端に氷解する話であった。 すべての物語にはやがて終わりが来る。しかも歴史上有名な事件を取り扱った物語が為主要な経緯も顛末もすべてわかっている。それでも、面白い、読み進めるのが勿体なく感じるのは、偏に子供が与えられたお菓子を食べ惜しむが如くこれを読んでいるからに他ならない。 本書は最近の日本語読解力・書く能力を根本的に欠いたSNS依存の厨房が造作なく読み解けるような類の話では残念ながらないだろう。そもいまや忠臣蔵と赤穂義士もしくは赤穂浪士がまったく別物と思うている人もある程だ(中学高校の日本..

  • 第3315日目 〈NO WAR, NO PUTIN,〉

    予約投稿した原稿が多すぎて、ウクライナへのロシア侵攻についてちょっと思うところを書くのがいまになってしまった。 わたくし自身はロシアとなんの縁も結ばなかった者だけれど、奥方様は違う。ロシアに赴任して天然ガスのパイプライン敷設事業に携わった人だ。向こうにはまだ知る人も沢山いる。反プーチン・デモに加担したとかで拘束された人もいるらしい。現地で知り合った方々、まだ向こうに赴任している方々、そのご家族、がロシアの大地の上で暮らしている。 幸いというかこうしたいい方はどうかと思うけれど、奥方様がいたのは専らロシアの東側で、情勢不安定を通り越して第3次世界大戦に発展しても可笑しくないような事態に陥っている西側ではない。ただ、やはり何度も赴任を繰り返し、そこで仕事をしてきたということで彼女にとっては馴染みのある国である。 その国(の一部)が、いまや戦場と化し、隣接するポーランドやハンガリー..

  • 第3314日目 〈うん、聖書、再読しよう。〉

    いつもながらの独り言をする。 「エズラ記(ラテン語)」再読に触発されたわけではない。以前から考えていたことである。 既にサラリ、と触れた覚えもあるが、これが終わったら聖書の再読を順次始めてゆこうか、と考えている。まずは旧約聖書から「レビ記」と「イザヤ書」。可能であれば「雅歌」と「ヨブ記」も。続編は、もういいか。新約聖書は、全文書。就中4福音書とパウロの4大書簡は読み直そう。 こう思い至ったのは当然、最初に読んでいたときよりはいまの方が良く読めているような気がする、という自惚れによる。それに、あのあと読んだ本も増え、また、架蔵する類書もすこしだけだが増えた。素人が独学するにはまず必要最低限の文献が手許に来た、という自負も、新約聖書再読の気持ちを強くさせた要因だ。 必要な本が手許にあることの強み。必要な本へ必要なときにアクセスできる便利さ。ちかごろそれをつくづく実感する。もっ..

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