ルソーは言った。 名誉というのは、他人に評価されるとか社会的に実績が認められることではない。 そうではなく、市民としてあるいは個人としての為すべき役割を果たすことである、と。 つまり、動画で言われている「誇り」というのは、そういうものであろう。
ひきもり生活の改善と社会復帰を目指して、自分探しをしています。
かつて鬱病で引き篭もっていたオヤジの独白ノートです。時系列にそった自分史を書きあげ。今は適当に日々を生きている、オヤジの心の日記です。
この問題に対しての最近の日本人の意見というのが酷い。 例えば、You Tubeにあるロヒンギャ問題の動画にあるコメントの9割までは、かつて日本軍が行った占領政策には触れず、イギリスが悪い、国連はヘタレ、スーチー女子には失望した、ロヒンギャはバングラディシュに帰
前にアリストテレスが二元論を提示し、その後人類は広範囲にわたって二元論にある二者択一という思考法を拡大していったということを述べたのだが、よく調べるとそうとだけはいえないことがわかった。 アリストテレスという人は調べれば調べるほど驚異的な人で、彼は一
ショーペンハウァー曰く――「史上最悪の宗教はユダヤ教」 カント曰く――「世界にたくさんある宗教のなかで、救済のないユダヤ教は最悪」 ははは……と思わず笑ってしまったのだけど、まあそういう面はあると思う。 わたしはユダヤ教を毛嫌いするほどではないが
世界の有無ではない。 世界は空(くう)である。 何を学んでも、わたしが戻ってくるのはこれだ。 空とは、簡単にいえば、空の器。その器という身体もまた空だということ。 空は映写機と考えればわかりやすい。 その映写機が様々なフィルムを留まることなく
宮台真司さんの最新著作『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する 』に関するインタビューについて、もう少し考えてみよう。 前の記事で、わたしは本当の共感は共感できないというその事実のみが共感できると語ったが、宮台さんの言っている共感が、一般に
以前にエントリーにリンクした宮台真司さんの記事から読みとれる思い。 簡単に言うと、世の中の人たちの思想はまだそこなんだというのが正直な感想。 インタビューにある要点は多分ふたつ。「存在論的転回」と「クオリア(体験質)の共感」であろう。 どちらもわた
ここ数週間、ずっと思索モードだった。 その原因の一番おおきな命題は「悟りと迷い」も結局は「空」なんだから、悟りを目指すことに意味はないんじゃないか? ということものである。 意味がないといえば意味はない、意味があるといえば意味はある。 じゃあ、意味
カントが提示した4つの二律背反1)時間と空間に関する宇宙の限界。2)全ては分割不可能な原子から構成されている(それに対して、実際にはそのようなものは存在しない)という理論。3)普遍的な因果性に関する自由の問題。4)必然的な存在者の実在。 うーむ
600ページもある著作なので、名言はいくつもあるのだが、有名なものだけ抜き書いておこうと思う。 というのは、『パンセ』の読解にはキリスト教理解が不可欠なので、名言をちょこちょこ抜き書きしても、そこに込められたパスカルの真意を読み取るのが困難だと思うからだ
わかっている人はもうわかっていて、動き始めている。 宮台真司さん安富あゆみさん、そして前野さん、由佐さん。 あるいはまた國分功一朗さん、中島岳志さん、斎藤幸平さん……など。 確かに、由佐さんが言っているとおり、わかっていたり、気づいて行動しはじ
20年の長きにわたって顔を合わすことがなくとも、互いに求めあい信頼しあえる関係を人間は築くこともできる。『オデュッセイア』のメインテーマは、ズバリこれであろう。テーマをさらに穿つなら、家族や親しい人々と平和に暮らすことこそ最高の幸福であり、そうした人間関
4月の読書メーター読んだ本の数:8読んだページ数:1535ナイス数:1320センス・オブ・ワンダーの感想センス・オブ・ワンダーって何やねん? んとーSF小説とか読んでいて、オモロ! って思うあの感じか? などと本気で思っていた時期があった。子どもだった頃、草叢を探索
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ルソーは言った。 名誉というのは、他人に評価されるとか社会的に実績が認められることではない。 そうではなく、市民としてあるいは個人としての為すべき役割を果たすことである、と。 つまり、動画で言われている「誇り」というのは、そういうものであろう。
つぎにどのメディアに出演されるのかと楽しみにしていたら、予想を覆して「一月万冊」に出るとは! と正直驚いてしまった。 一月万冊の清水氏、本間氏、安冨氏は、石丸氏のことをよく調べもせずに適当なことを言っていたので、正直まったく期待していなかった(そう
(13:00くらいから) 否定的な部分だけ取り上げ、肯定的な部分は報道しない。 これがメディアの傾向性。 人間は危機管理的に否定的な情報に敏感なのは仕方ない面があるが、それだからこそ、メディアは意識して是々非々の報道をするべきであるのだ。でもそれが全般
具体的な政策の話はほとんどなし。 反自民、非小池という立場での批判だけという内容。 そして、ぼんやりして曖昧かつ抽象的な内容。出馬会見だから仕方ないといえば仕方ないが……。 時間も30分なので、足りていないと思えるが、参議院議員ゆえいろいろスケジュー
東京都知事選に出馬表明した石丸氏のXのポストが若干炎上していいるが、多くの人は誤解して彼を批判している。 この会見はメディアに向けた記者会見で、メディアの種類も限定しています。よって、第40条の出だしから該当しないという理解です。親切な方がいらっしゃるよ
広島・安芸高田市長が出馬表明 東京都知事選 Pay it forward の話もすれば漫画にある名言の話もする。 天動説から地動説の話には説得力がある。けど、すごく長い時間がかかる。人間は前の世代の慣習を受け継いでいくから。しかし、それでも種を蒔くしかない。蒔き
リルケにロダンを語った美しい文章がありますが、その中でリルケは、私の読み方が正しいならば、こういう意味のことを言っている。芸術家は、美について考えやしない、考えられぬものなど考える筈がない。「美」を作り出そうなどと考えている芸術家は、美学の影響を受けた
素晴らしい動画だ。 能登半島地震のときにも、ボランティアで現地に入った人を叩いたりといったことがあった。 そもそも、人を叩くというのは、相手を自分の思い通りに支配したい、あるいは自己承認を得たいという自分勝手で傲慢な優越感なのだ。 すごく昔に、寄
本著は非常に優れた著作といえる。 しかし、残念な点もいくつかある。それは、著者のフラーがイギリス人であることから、英米から見た視点でしか語られていない点である。より斜めに見るなら本著の主目的は、政治の目的を理解せず、戦争の目的は勝利であると勘違いした、
現代の国民国家の礎を、ほとんど一人で作り上げたといって過言はないナポレオン史だけに、読み応え十分であった(上下巻で1200ページ)。 ナポレオンといえば戦争という印象だが、むしろそこより、ホッブスが『リヴァイアサン』で述べた、「万人の万人に対する闘争」とい
第四幕と第五幕のあらすじが必要な向きは wiki をどうぞ。 さて、「第四幕・第五幕」について考察するまえに、『ファウスト』の主命題をもういちど確認しておきたい。それは、ゲーテ自身の言葉にある、以下の内容といっていいだろう。 合一しているものを二分し、二
ほんの少し前、読書メーターでこのタイトルに関する会話をした。 だけれども、残念なことに「あなたの理解、間違ってるんじゃない」というような返事をされて、酷くがっかりした。 ちょっと昔であれば、「いや、そういうんじゃなくて、説明したかったのはこういうこと
「第三幕」は、ゲーテの残した言葉によると、「主要な仕事の頂点」を描いたものとされている。 ゆえに、「第三幕」はゲーテが残した真髄が結晶化した部分といえるのだそうだ。 さてでは、彼はこの「第三幕」で、何を語っているのだろうか? しかし、これに簡単に答え
「第二幕」のあらすじは、以下の通りである。 古代ギリシャ世界の「原初」である、混沌のその向こうにある「母たち(無)」へと赴き、絶世の美男美女パーリスとへーレナを皇帝のために連れてきたファウストではあった。だが、彼は「母たち」へ行ったときに使った、金の鍵(
さて、「第二部 第一幕」である。 が、その前に「第一部」と「第二部」の関係性を再度かえりみて、『ファウスト』全体の構造を見ておきたい。 「第一部」は「幕」構成がない。ということは、『ファウスト』が二部構成であるとするなら、第一部は「序幕」ということ
「第一部」は一般庶民、いわゆる平民の世界を描いたものだが、「第二部」は、がらりと変わり、王侯貴族たちの世界が描かれてゆく。 しかし、その前に、ファウストが「グレートヘンの悲劇」からうけた傷を、自然のもつ力で癒される「風趣のある土地」の場面が描かれる。
以下、読書メーターに投稿した感想。 第一部はグレートヘンの悲劇が描れる。物語のあらすじは複雑ではないが、そこにある思想や暗喩を読みとるにはそれなりの思索力がいる。とはいえ、そこは訳注が非常に役立つ。主題は、生命を対象化する(=知識の獲得)ではなく、生
すべては虚しい。 自分が学び得たことを 惜しげなく与えようとしても 嫌われるのが人世だから。 言葉は虚しい。 発された表面だけをおい 奥に秘められた心を 見つめられないから。 思考は虚しい。 光か影かだけに スポットをあて そこしか照らし出
「舞台の前曲」は、本編に入る前に、「戯曲(Drama)」の果たすべき役割や社会的意味を提示した章といっていい。 その構造はゲーテの特徴といえる三位一体的であり、「座長」「道化師」「座付詩人」の会話となっている。 それぞれ「座長=快楽主義」「道化師=実利(な
ゲーテ『ファウスト』全編の個人的考察を行っていこうかと。 (最後までできる自信は毛頭ないけれど……) まずは「献(ささ)ぐることば」から。 この「献ぐることば」は、ゲーテが『ファウスト』を書きはじめてから長い中断の時期をへて、シラーの勧めがあって再
結局、あらゆる苦や不幸の原因は、人間がものごとや出来事を「因果関係」で思考し認識していることにある。 線的思考が危険であるから回帰的思考が望ましいのではい。 それ以前に、ものごとを因果律で見ていることによって、間違ったものの見方をしているのである。
安冨さんの思想というのは、とにかく極端でステレオタイプなんだと最近、はっきり認識した。そしてわたしはそういう思想を気持ち悪く思うようになった。 ・自力を否定し他力だけを肯定する。 ・直接的アプローチを否定して間接的アプローチだけを肯定する。 ・政治
無明とは、そもそも人間存在は「無常・苦・非我・不浄」だということを知らない状態をいう。 さらに、無明である状態でありながら、人間存在は本来、「常・楽・我・浄」であると勘違いしている「四転倒」の状態も無明である。 あるいはまた、無明を破る悟りの道がある
そもそもの原因はウクライナのだらし無い政治にあると思うのだが、とにかくも日本のメディアはロシア、プーチンを悪だとする偏向報道しかしない。 マイダン革命のような死者がでる暴力革命が起こってしまう政治的堕落があったことなど、もはや誰も顧みていない。ウクラ
今朝、奇妙な夢を見た。 バスタオルを巻いただけの華奢な少女が身売りするという夢だ。 少女は管理人らしき人にいわれるままに振る舞っていた。 そして、彼女は身売りするために上り道になった杣道を歩いてゆく。 両手には管理人から渡された透明なグラスを胸に抱
安冨さん、一月万冊で「ラッセルのパラドックス」を何度ももちだして繰り返し説明していたが、あの動画を見て氏の伝えたいことを理解できた人が、どれくらいいるのだろうかと考えてみると、なんだか切ない気持ちになった。 なぜなら、ほとんどの人はラッセルのパラドッ
帽子を脱ぎ捨て、靴も蹴り脱いじまえよ。どうせどこにも行けやしないんだから。街をぶらついて、お前のブルースを歌うんだ。どうせどこにも行けやしないんだから。お前はいつだっていい友達さ。だけど、お前はいつも「さようなら」と言う。そんなお前が満足するのは
さて、もう少し安冨さんの論理を批判しておこう(笑) そもそも氏は、線形的思考は危険で、回帰的思考のほうが優れていると言っているが、その件はすでに「輪廻」的な苦しみを生むとして批判しておいた。 というよりも、氏がもうひとつ上げている曼荼羅的思考から見
安冨さんの言う「リデル・ハートの間接的アプローチ」を政治や社会問題に応用できるという理論には無理がありすぎると思う。 なぜなら、戦争と政治社会問題への対応法の前提が、そもそも異なるからだ。 戦争は基本どんな暴力も可とするが、政治社会問題はどんな暴力も
しるしはたえず生じている。生きていることは、語りかけられていることであり、われわれはただこのしるしに立ち向かい、これに耳を傾けることだけが必要である。しかしこの冒険はわれわれにとって非常に危険なものである。音のない雷は、われわれに破滅の威嚇をなずごとく
安冨さんの思想、マジで終わってるな。 線形思考は危険なので、回帰的思考をしながら、回転の法則を変えることを勧めているが、その回帰的思考というのは、仏教的に見れば「輪廻」であり、いうなれば無限地獄への門に招待しているということに気づいていないのだから……
日本人というか、日本で捉えられているロジカルというものは物凄く勘違いされ、しかもビジネスのためのツールという感覚である場合がほとんどだと思う。 つまり、多くのというよりもほとんどの日本人は、論理的であるということがどういうことかを、間違って解釈している
カント哲学における「統制的理念」はどうようにして生まれるのか? 多分、こう考えればしっくりするのだろう。 純粋理性の範囲における理性が正しく働くためには、基本的には自我の範疇に限定されている必要がある。 言い換えるなら、純粋理性における「構成的理念
まあ、まずは動画を再生して欲しい。 宮台真司氏の加速主義をはじめて知ったときは結構な衝撃を受けたが、成田さんは、それよりもさらにラディカルで、話を聞いて思わず爆笑してしまった。 でも、彼が言ってることは本質を突いていると思う。 日本における加速主
安冨さんの思想は、もう少しまともな方向に進むかと思っていたが、どうもそうはならないようだ。 一月万冊自体、随分と見なくなったが、時折、興味を惹くサムネがあると、なんとなく見ていた。 しかし、三浦瑠麗氏とその夫の件をとりあげ、愚痴と文句と批判ばかりやっ
さて、カントの『純粋理性批判』と『実践理性批判』についての記事を書いたのだから、当然、彼の三批判書で触れていない『判断力批判』について、触れずにおくわけにはいかないだろう。 では、『判断力批判』のざっくりとした内容はといえば、こうなる。 基本的に芸
カントの『純粋理性批判』のざっくりとした内容は、すこし前に『「真善美」と「美利善」』という記事にしてみた。 したがって、次には『実践理性批判』を考える必要がある。 さてここで、復習がてらに『純粋理性批判』を見直しておくと、簡単に言うなら、純粋理性(以下
知らなかったなぁ……。 ミュージカル『キャッツ』の物語と楽曲の「メモリー」が、こんなに素晴らしかったとは。 「メモリー」を歌うのは、老娼婦。 猫生のほとんどは、彼女にとって辛く悲しく、苦しいものばかりだった。 しかし、そうした沢山の辛い思い出のな
哲学の世界には、カントが提示した「真善美」という概念がある。 そして、この概念から思索を行うことは、「人間は、いかに生きるべきか?」という回答への早道といえるだろう。 カント哲学に曰く、「真」とは―― その人がもつ認識形式、認識範囲によって捉えられ
使ってみた率直な感想は、「辞書よりかなり便利な辞書的なもの」という感じ。 大学の論文を書くのに、ChatGPTはアリか? なしか? で、世界各国で規制の動きが見られているが、はっきり言ってこのような肯定/否定の二元論に陥ることが、まず馬鹿げていると思う。