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  • プラスチックから木箱に

    新たに始めた二回目になる西国観音霊場の初日・2日目は真言宗の寺だったが、3日目の施福寺は天台宗だった。京奈和道の無料区間の紀北葛城ICからかしわら高田ICを経由して到着した奈良公園の興福寺南円堂は法相宗で、立寄った東大寺は華厳宗、途中の御所南PAの和歌山ラーメンは美味だった。東大寺の参道で遅い帰宅が予想されるので、奈良名物の柿の葉寿司と胡麻豆腐を購入した。吉野葛の胡麻豆腐は吉野杉の木箱に収められている。底は紙なので除去し、紙やすりで磨いて、阿弥陀様や千手・如意輪観音の梵字であるキリークを図案化して着色してみた。プラスチックゴミが社会問題のご時世、木箱の再利用は時代の要請だろう。夫婦の為の土産品は木箱入りにしようと思うのである。プラスチックから木箱に

  • 山道の遭難騒ぎ

    日本三大仏は、銅像の東大寺毘盧遮那仏(奈良の大仏)、木像の長谷寺御本尊十一面観世音菩薩、塑像の岡寺御本尊如意輪観音菩薩、今回の旅で全て拝ませて頂いたのだった。しかし岡寺の塑像は記憶にないのである。石楠花が満開で美しく、仏をほっとき、石楠花に魅せられたのだった。石楠花が如意輪観音だった。壷阪寺の千手千限観世音菩薩はお雛様に囲まれ美しいお姿だった、写真の通り。岡崎城から八丁に味噌蔵があるが、八丁の山道を登って辿り着いた施福寺の本尊は弥勒菩薩だったが神々しくではなく仏々しかった。妻が近くの高取城跡の石垣を見学したい要望で寄り道した。急な山道を550M歩く様なので心房細動の持病のある老人は車で待つことにして妻が一人で出掛けたのだった。往復1時間程度だったが2時間経過して携帯電話が鳴った。道を間違えた様だ。宿には16時頃...山道の遭難騒ぎ

  • 南無観世音菩薩

    滋賀県彦根市に転勤になって平成7年7月に始めた西国33カ寺観音霊場の巡拝の朱印帳が4番槇尾山施福寺で満願したのは平成20年1月19日で13年の歳月を要したのだった。奈良斑鳩法隆寺の門前町の叔父が94歳で大往生、一周忌の時期に84歳の叔母を訪ねご機嫌伺をした。この機会を捉えて納経朱印掛軸の完成を目指して2度目の巡礼を始めたのだった。近くの8番札所長谷寺で掛軸台紙を購入、墨蹟朱印を頂戴し、番外豊山法起院・7番岡寺・6番壺阪寺を巡礼、翌日に葛井寺、翌々日には4番施福寺・9番興福寺南円堂で7カ寺分が埋まったのだった。まもなく傘寿の老人は阿弥陀様のお招きが近いだろうから、満願の可能性は薄いだろう。残りは老人の菩提を弔う一人旅を妻がルンルン気分ですることを目論んでいる。それも好かろう、仏の慈悲心なのだろう。南無観世音菩薩

  • 始めたよ、観音巡拝

    17日は西国観音霊場の納経朱印掛軸を頂く旅を始めたのだった。掛軸を8番札所長谷寺で購入し最初の墨蹟朱印を授かった。近くの番外豊山法起院も参拝した。7番岡寺と6番南法華寺を巡拝した。18日は日本仏教13宗の本山で最後の訪問地となる融通念仏宗の大阪平野の大念仏寺を参拝し、近くの五番札所葛井寺で朱印を頂き、今宵の宿の近くの信貴山朝護孫子寺を参拝した。19日は4番槇尾山施福寺を八丁の山道の参道を40分を費やして到着した。帰路に9番興福寺南円堂を訪れ、同じ奈良公園内の華厳宗東大寺の大仏殿を修学旅行から数十年を経て再訪したのだった。大仏様が戦争の為に軍艦に変わることは決してあってはならない事と思うのである。大仏なるモノが大事なのではなく、大仏を守り続ける大和魂が貴重なのである。始めたよ、観音巡拝

  • 自灯明法灯明の教え

    コロナウイルスに感染するから外出しない、地震が発生し鉄道が止まり、道路が損傷するから遠出はしない、ミサイルが飛んでくるから家に引き籠もる、他人は騙すから話をしない、交通違反で検挙されるから自動車は運転しない等々、最近は消極的な心が行動を抑制する風潮がまん延している。どうせ腹が減るのだから食事をしない、どうせ汚れるのだから掃除をしない、違うのだろう。命を永らえる為の食事、快適な住環境の為の掃除、意義ある行動だろう。天然自然を手本にして、自分が主人公になり、自己責任で行動するなら、きっと神仏のご加護で素晴らしい人生になるのだろう。お釈迦様の遺言である。自灯明法灯明の教え

  • 新幹線は210キロ

    東日本大震災の時は脱線しなかったが、震度6強の今回の地震で「やまびこ223号」の17両中16両が脱線した東北新幹線が昨日全線復旧した。予定より早い復旧は祖国の技術力が未だ衰えていない様で喜ばしい。当面は減速して運転する様だが、運休より早いのである。東北新幹線320キロより、ゼロ系の210キロで十分、速度より安全第一を優先するのが良いだろう。電力浪費のリニア中央新幹線の500キロはプーチンの戦争でエネルギー危機を迎え、考え直す時期が来たのだろう。電力消費の少ない210キロの鉄輪と鉄路のゼロ系新幹線を復活させるのが時代の要請である。トンネルが80%なら、現実味を帯びてきた核戦争の際の防空壕として価値が生まれるだろう。変動の激しい世間では発想の転換が急務なのだ。新幹線は210キロ

  • 命懸けの旅

    前回75才の免許更新の時は不勉強だったから「認知機能が少し低下している」の判定だった。3年後の78歳時の免許更新では返納を考えた。前回は自動車学校での認知機能検査だったが、今回は岡崎警察署、警部補が試験管だったので緊張し、事前の猛勉強で「認知機能は正常です」以前は免許返納の危機感や絶望感で、今のうちに車を乗り潰そうと思い、神社仏閣名所旧跡を軒並み訪ねたのであるが、この調子なら米寿を迎えるまでは大丈夫と楽観する。コロナ禍と運転不安が相まって旅を控える今日この頃、それじゃダメじゃん、まん延防が解除になり、阿弥陀様のお迎えも程なくだろうし、プーチンの暴挙で世界大戦が現実味を帯びてきたし、燃料危機を実感するが、引き続き旅を継続したいのである。命懸けなら火事場の馬鹿力、窮鼠猫を噛む、不可能はないのである。落葉なのか枯葉な...命懸けの旅

  • 只管祈り

    プーチンのウクライナ戦争の惨状を報道で目にし、心痛むのである。終戦直前の昭和19年生まれの老人の三つ子の魂は戦後の悲惨な生活を孫子の代には決して繰り返すべきでないと言うことなのだ。絶望を極めたウクライナ老人の言葉が印象的だった。「家や車は無くていい、命が有ることが有り難い」、生きてるだけで丸儲けと同義語だろう。「恨みに報いるに恨みをもってすれば永遠に恨みの尽きることなし」三十六計逃げるに如かず、征服のための屈服、逃げるが勝ち、無駄な抵抗は止め、避難することに徹するのも戦略だろう。「宗教は魔物」人間の美しい心を否定する人間の考えだした共産主義なる宗教は邪教なのだろう。何か偉大な存在・サムシンググレートを信じ、只管祈るなら神仏のご加護がきっと有るのだろうと信じたい。只管祈り

  • 大企業の合法詐欺商法

    昨年末に大手化学製品メーカーの住宅部門の築40年無料住宅検診を受けた。その際に担当者からバリアーフリーとヒートショック対策の風呂場改修工事を長期ローンとモニター特典の甘言に乗せられ衝動的に契約したのだった。認知症老人を対象にした合法詐欺商法に後で気が付いたが後の祭り、いらなものを買わされ、50万程度高額であることを知人から知らされた。無料程高くつくものはない、真理だ。大企業も生き残りに命懸けの様で企業の倫理感はアベノミックスの経済一辺倒の負の遺産は極限に達したのだろう。長期のコロナ禍、プーチンの戦争による資源輸入国の祖国では国力が衰退、為替相場は円安が進行している。手持ちの投資信託は円安が進行すると高騰し50万ほどの含み益が生じた。利食い売りするべきなのか、より高値を期待するべきなのか、それが問題だ。世間ではイ...大企業の合法詐欺商法

  • 末は極楽の住人

    プーチンの戦争、コロナ禍、地震頻発、大企業の合法悪徳商法の蔓延、祖国の明るい未来が見えず、終末論を信じ、生後の一大事を真剣に考えだしたのである。昨日から今日、今日から明日へと留まることのできない旅をするから、人生は旅に例えられる。目的地のない旅は放浪、遊びだろう。親鸞聖人報恩講や浄土宗の僧侶の法話を拝聴し、阿弥陀様の極楽浄土を人生旅の目的地に定めるのも悪くないと思うようになった。お釈迦様に成ろうとする聖道門と違い、「駄目な私を助けてください」と何か偉大な存在にすがる心は軟弱な考える葦の結論なのだ。浄土門には融通念仏宗、浄土宗・浄土真宗、時宗があるが、京都知恩院、東西本願寺、藤沢遊行寺は参拝したが、大阪平野の大念仏寺を今月中旬に奈良斑鳩法隆寺の叔父一周忌に高齢の叔母を訪ねる時に訪れようと思うのである。これで日本仏...末は極楽の住人

  • 六善光寺同時御開帳

    七年に一度の盛儀。今回はコロナ禍の影響で1年延期されておりました信州善光寺の御開帳が2022ねん(令和4年)4月3日(火)~6月29日(水)に88日間開催される。それに合わせて長野県飯田市の善光寺(元善光寺)、山梨県甲府市の善光寺(甲斐善光寺)、愛知県稲沢市の善光寺(祖父江善光寺東海別院)、岐阜県関市の善光寺(関善光寺)、岐阜県岐阜市の善光寺(岐阜善光寺)でも同時に御開帳を行う。今年も3月25日に元善光寺を参拝した。ご朱印は梵字で阿弥陀仏と脇侍の観音菩薩と勢至菩薩を墨書してある。平成21年の時は信州善行寺・甲斐善光寺と元善光寺、平成27年には関善光寺・岐阜善光寺と祖父江善光寺を参拝したが混雑を嫌ってご開帳期間は敬遠したのだった。コロナ禍で三密回避する為に期間が延長される今年は期間中に六善光寺を参拝、阿弥陀様が浄...六善光寺同時御開帳

  • 花を求めて西東

    終わりが見えないコロナ禍、プーチンの戦争、騒々しい世間で厭世観の虜になり、黙して語らず、物言わぬ大衆に甘んじていたのであるが、ようやく心の病も癒えたようである。その薬は、テレビを見ない、新聞を読まない、自然の悠久の営みをじっくり観察する事だった。梅花・桜花・椿・花桃を求めて西東、神社仏閣で多くのご朱印を授かったのだった。人間社会は穢土であるが天然自然は極楽、極楽。現象に反応すると心が汚れ、反応を止めると心は清らかに保たれる。悠々自適、我が道を行くのが理想だろうが、周りの現象に一喜一憂するのが人間の性、生甲斐と思うのが凡人の思いだろう。花を求めて西東

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