僕は日本語母語話者である。いまさらそんな事を言い出すのもどうかと思うが、自分の足元をきっちり見つめるのは大事だと思う。日本語母語話者
アウトドア天国ニュージーランド在住、現役トレッキングガイド、スキーガイドが現場での話を綴る。
ニュージーランドで見た空の青、森の緑、雪の白、闇夜の黒。ニュージーランド在住歴22年、現役トレッキングガイド、スキーガイドが綴るトレッキング、登山、スキー、キャンプ、マウンテンバイク、カヤックなどアウトドアの現場でのお話。
白馬4日目の朝は古瀬家で迎えた。前の晩は炭火焼バーベキューに加え、暗くなってからは焚き火で盛り上がったのである。カズヤと火を囲んで色々と話して、夜は居間で愛犬のフクちゃんと一緒に寝た。朝早くに娘が仕事に行き、次いでミホが用事で出かけるのを見送り、子供達が学校に行くのを見送った。カズヤがコーヒーを淹れてまったりと過ごしているとキョーコがやってきた。話の流れからキョーコの事も書かねばなるまい。あれはもう何年前になるのか。2000年問題が一段落したらパソコンを買おうなどと思っていた頃だから1999年か、もう25年も前になる。僕と相方JCは数年働いたアライというスキー場を追い出され、アルツ磐梯で働いていた時に同僚だった奴がパトロール隊長を務めるチャオ御岳というスキー場で働いていた。もう今は営業していないスキー場だ...2024年日本旅行記6
白馬3日目、この日は娘が休みなので一緒に八方尾根に行く。知り合いのつてで、娘は先シーズンから八方尾根で働き始めた。先シーズンはゴンドラ山頂駅のインフォメーションセンターで仕事をしたが、外に出る仕事をしたくて今年からスキーパトロールとなった。きっかけは親の人脈だったが一冬を過ごして自分なりの人間関係を作り、晴れて今年からパトになった。今回の日本行きの目的の一つは、娘の仕事場を見に行きパトロールの隊長に「娘がおせわになっています」と菓子折りの一つでも持って挨拶に伺うという、まるで絵に描いたような親父になろうと思ったわけだ。一緒に滑るのは昨日に引き続きトモヤとジャカそしてカズヤの息子のヒュージである。八方尾根は昔から日本のスキー業界では名だたるスキー場で、長野オリンピックも開催されたし、腕自慢のスキーヤーが集ま...2024年日本旅行記5
白馬二日目は文字通り二日酔いで始まった。午前中はオトシに観光がてら白馬村を案内してもらう。先ずはオトシがやっているモンスタークリフという会社訪問。東京で車の販売をやっていた彼が脱サラで白馬にスノーボード買取の会社を立ち上げたのが10年ちょっと前になるのか。そんなものがビジネスになるのだろうかと思ったが、今ではスノーボードだけでなくスキー用品全般を扱うようになった。9年前に来た時には家の一部を倉庫に使っていたが手狭になったのだろう、今は倉庫兼オフィスを持っていてそこを見学させてもらう。オフィスのホワイトボードには買取時の注意事項や作業の手順等が書かれていて、スタッフもテキパキ働いていてきっちり仕事をしてる感にあふれている。なかなかどうして立派な会社じゃあないか。若い頃からヤツのちゃらんぽらんな部分とかいいか...2024年日本旅行記4
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僕は日本語母語話者である。いまさらそんな事を言い出すのもどうかと思うが、自分の足元をきっちり見つめるのは大事だと思う。日本語母語話者
全国のあおしろみどりくろファンの皆様、明けましておめでとうございます。今年も不定期にアップされるこのブログ、筆者共々よろしくおつき合いのほどお願いいたします。まあまあ、堅苦しい挨拶はこれくらいにして、年が明けた。ヒマを持て余し何か書いてみようと思い、パソコンを開いてさあ一体何を書くべきか。前回のトシキの話、前々回のヤマトの話、その前の弟子二人の話はモデルがいたし、自分も人との出会いでそれなりに想うことがあったのであれだけの話が書けた。自分でも気に入っている話である。今回は何について書こうというのではなく、新年だからいっちょ何か書いてみるかという行き当たりばったり的なノリで始めてみた。毎年新年の頭に何かしら書いてきたし、読み返さないが今までは変革の社会であーだこーだとか、現状を見ることがむずかしいのがどうの...2025年
人との出会いは全てご縁とタイミングであり、会うべく時には出会い、会わない時には絶対に会えないようにできている。旧知の兄弟分のガイドの山小屋というヤツからの話で「オレ達と同じ匂いのする人がいて…」というところから始まりトントン拍子で話がまとまり、撮影ツアーをしたのが今年の1月。オレ達と同じ匂いのする人とは風景写真家のトシキ、本名は中西敏貴、その業界ではすごい人のようである。最近写真を始めた不肖の弟子トモヤも名前を知っていたし、カズヤの嫁さんで雪山で写真を撮っているミホも知っていた。どれぐらいすごいかは僕もよく分かってないが、ググればすぐに色々出てくるので各自で調べるように。何から何まで人に教えてもらおうとせずにそれぐらいやろうね。山小屋の紹介から実際に出会うまでトシキとは電話で話しただけだったが、なにかこう...同じ匂いの男
また一つ、風変わりな夏が終わろうとしている。コロナ禍からというもの、社会は洗濯機で撹拌されたがごとく変化をし続けている。社会が変化をしているのだから、自分の生活も変化する。ブドウ畑の仕事を辞めたのは去年のクリスマスの事だ。労働とは何か、仕事とは何か、お金とは何か、社会とは何か、人生とは何か。そういった事柄について考えに考えた挙句にたどりついたものが、プロレタリアという概念だった。働くということを金を稼ぐ手段として考えていた20代の頃には、こういう概念は生まれなかった。労働というものを『自分の時間と労働力を売る』として考えると社会の見方も変わる。その上で思ったのが、雇用主と労働者は上下関係ではなく、対等の立場であるべきだということである。労働力や時間の売り手も買い手も、どちらかが上だと思っていたらうまくいか...ガイドって一体何だろう。
最初にその男の噂を聞いたのはもう半年も前になるか、秋が深まり冬が始まる前のことだった。町のマーケットでブロークンリバーのマネージャーのレオにばったり会い、今年は日本人のスタッフがいるぞと聞いた。へえ、どんなヤツなんだろうと思い、スキーシーズンが始まった。シーズン中は何かと忙しく、なかなかブロークンリバーへ行く機会がなかったが8月も終わり頃にやっと自分の時間が持てた。昔からの仲間のカズヤと娘の友達のヤサと3人で、雪が降ったばかりのスキー場へ行った。雪が降ると山道の除雪をしなくてはならなのだが、その山道が今までにないぐらい綺麗なのである。駐車場の除雪もビシッと行き届いていて気持ちが良い。後から知ったことだが、それが彼の仕事だったのだ。その日は彼は街へ降りる日だったので山では会えずじまい。会う時には簡単に会うし...ヤマトダマシイ
トモヤという弟子ができた事は去年のブログで書いた。スキーがしたくて無鉄砲に日本を飛び出したのはいいが、雪がなくどうしようか途方にくれていた所に娘のつてで我が家に来た。来たのはいいが、来てそうそうに僕の車と家のフェンスを壊すという大失態をやらかし、色々あって弟子となった。トモヤから双子の弟なのか兄なのかケースケの話は聞いていて、日本に行った時に白馬で会い、みんな一緒にカズヤの家で世話になった話も最近のブログで書いた。そんなトモヤとケースケがニュージーランドにやってきたのが8月の初旬。ボロボロのエスティマを買い、その車に二人で寝泊まりしてスキーをしてフリーライドの大会にも出た。今回はそんな二人の話である。一卵性双生児という人達がここまで似ているというのを目の当たりにして、人間って面白いなあと思った。体や顔つき...弟子二人
だらだらと書き連ねたこの話もそろそろきちんと終わらせよう。日本から帰ってきたのは4月の終わりぐらいだったから5ヶ月も経ってしまった。冬が始まるまでに終わらせようと思ったのだが、その冬も終わり春になり桜も散ってしまった。新宿での後は、羽田に泊まり次の日の便で香港経由で帰ってきた。と一言で片付けられるぐらいで、大きな発見も感動もなかった。強いて言うならば香港での数時間の滞在の間に、別の都市が持つエネルギーのようなものを一瞬だけ感じたぐらいだ。ニュージーランドに帰り再びこの国の自然に包まれ、いろいろ考えた。一体自分は何のためにここに存在するのか。答えは出ないが、その鍵のようなものは今回の旅で閃いたような気がする。それは自分の足元を固めるような印象だ。今回の旅で見て聞いて味わい感じた全ての経験、これがあるから旅は...2024年日本旅行記12
金沢出発の日、東京へ向かう。北陸新幹線に乗れば3時間で東京へ行けるが、旅情もへったくれもない高速鉄道には興味はない。速さなら飛行機の方が速い、しかも値段が安く次の日のことを考えて東京までは飛行機で行くことにした。ヒデと奥さんが小松空港まで送ってくれて、僕らは硬い握手をして別れた。飛行機から白山が見えるかと期待したが、雲に覆われ霊峰は見えず。この山とは結局今回は会えずじまいだったが、それもまあご縁というものだろう。1時間ちょっとのフライトで大都会東京へ。東京では旧友Mと会い、彼がガイドとなってくれた。Mさてどこに行こうかという話になり、浅草はどうかと提案されたが観光客がうじゃうじゃいて、店の人もそれを見込んでいるような場所には行きたくない。それよりも観光客があまりいない所で日本を感じられる場所はないかと聞い...2024年日本旅行記11
今年初のブロークンリバー。同行したのは奴隷のフルセカズヤとポーターズでスキーパトロールをしているヤサ。自分は長い仕事を終えて久々の休み、カズヤも自分のツアーを終え日本帰国前日のフリーの1日。この日は雪が降った後のブルーバードデイ、新雪40〜50cm、間違いなく今シーズン最高の1日である。カズヤのツアーは雪に恵まれずお客さんはあまり良い状態でスキーができなくて帰国した、そこへきてこのパウダーである。お客さんをさておき自分だけ美味しいところをいただく。どれだけ悪運が強いんだこいつは!というようなタイミングがまたカズヤらしくてよろしい。カズヤとはかれこれ30年ほどの付き合いになるが、お互いに忙しくなり一緒に滑る機会はなかなかない。こうして一緒にクラブフィールドへ行くと、昔を思い出し懐かしい気持ちにもなる。自分も...2024年8月20日BrokenRiver
晴れた日が続くポーターズ。山全体は白くなっているものの、まだまだ雪は足りない。8月も半ばでこの雪の量だと、このままシーズンが終わってしまうのではないかと心配にもなる。以前は1週間のサイクルで低気圧と高気圧が入れ替わり、それなりに雪を降らせたのだが今年は天気が全く読めない。人間社会もそうだが自然界も以前とは完全に違うものになっているのを肌で感じる。自然環境の変化というものは長い歴史の中では常に起こり続けてきたもので、人類はそれに合わせて生きてきた。短いスパンで考えるか長いスパンで考えるかでも、物事の捉え方は大きく変わる。目の前の状況を人間主体で見るのではなく自然の一部の人間として見つめて、今の自分に何ができるのかを考えるのが自分達がやるべき事だと思う。天気はこの日がピークで下り坂へ向かっていく。日本は夏休み...2024年8月14日Porters
金沢三日目は市内観光である。まずは市内を見渡す見晴台から。「いつもならここから白山が見えるのに」とヒデが残念そうに言うが、春の霞で霊峰白山は見えず。そして東の茶屋街を歩く。小京都と呼ばれるだけあって昔の茶屋が並ぶ街並みは素敵である。こりゃいかにも観光客が喜ぶだろうなぁというような場所で、あちこちで写真を撮る観光客が絶えない。貸衣装を着て写真を撮るなんてのも、観光地らしい一コマである。ヒデに勧められるままに入った試飲ができる酒屋で飲んでみたが不味くないというだけの感想で、人生で一番かもしれないというほどの手取川を飲んだ感動からは程遠いものだった。だからと言って「手取川の方が美味い」などとその店の人にいう気はない。それこそヤボってもんだろう。僕らが行ったのは朝も早い時間だったので人の出が少ないほうだが、繁忙期...日本旅行記10
今シーズン初のクレーギーバーン。悲しいけどここも雪は少なく厳しい状況である。ロープトーラインは雪はあるが、上級者か経験者のみ乗れる状態。山頂付近はかろうじて雪はあるが、なんとか滑れる程度。中間から下は夏道を通るのだが、どんなに注意深く滑っても石を拾う。1本滑っただけだが板がボロボロになった。こことオリンパスはなんとかオープンしているが、他のクラブフィールドは未だにオープンできず厳しい状況が続く。今年初のロープトーワクワク上へそして山頂ミドルベイスンの上部は良さそうだが下へ滑っていけない一本だけハミルトンフェイス気持ち良かったぁ〜下まではこの道を下る。石がゴロゴロしていて板はボロボロ普段はやらないお客さんとのツーショットお客さんのウィンは6年前に僕が案内して一緒に滑った。次は何年後になるか分からないが、また...2024年8月6日Craigieburn
待望の雪が降った。ポーターズは一番上までオープン。ただ全体の雪の量はまだまだ少なく、オフピステでもゲレンデでも気をつけないと石を踏む。それでも山頂までオープンというのは嬉しい知らせである。待ちに待った雪が降り最初の週末で天気は快晴ということで、スキー場は大混雑の1日だった。スキー場に賑わいが戻り、周りの山もやっと雪景色となった。一番上のTバーも今シーズン初のオープン。お客さんはドイツ、ベルギー、日本からの留学生。無風快晴の1日。冬が始まった。2024年8月3日Porters
一夜明け、この日は金沢近郊の観光である。いつものごとく下調べは一切せずに、ガイドのヒデにお任せで連れて行ってもらう。ヒデは僕がいくというので、どこに連れて行くのか色々と考えてくれていたようだ。先ずは車で30分ぐらいにある鶴来という街に向かう。つるぎという名前は元々は剣だったらしいが今は鶴が来る鶴来となったようである。扇状地の扇の付け根の部分で平野の方から来ると谷がぎゅっとつまったような地形をしている。綺麗な川が流れ昔の街並みがたたずむ、観光客が少ない僕好みの街だ。そこにある白山比咩神社をお参り。参道を登っていく途中で神様のパワーをビンビンと感じ指先がしびれる。これはすごい所だと一人で昂奮するのだが、地元に住むヒデにとってはあまりに当たり前すぎる場所のようだ。全国で2000ある白山神社の総本宮というのを知り...日本旅行記9
7月も終盤にさしかかるが雪が降らない。気温はそこそこ冷えているが、低気圧が来ないので雪にならない。今まで起こらなかった事がこれからも起こらないとは限らない、とは歴史を勉強して強く学んだことだが、今まで起こっていた事柄がこれからも続くとは限らないとは実体験で身を持って学んだことだ。20年前、30年前にパウダーウハウハで滑っていた時には、まさか将来雪がなくなるなぞとは夢にも思わなかったが今はそうなりつつある。良い悪いという話は別にして、実際にそうなっているという状況把握、そして認識を持つことは大切だ。環境の変化は歴史上いつでも起こっていたが人間はその都度それに対応してなんとかやってきて、今の社会がある。スキー業界で言えば人工降雪機というものができて、文明の力で雪を作りスキー場を運営してきた。24日時点、この少...2024年7月24日Porters
ダイスケのすさまじいほどの盛り上がりっぷりから一晩明け、静かな朝を迎えた。朝早くに仕事で出かけるアスカを見送り、ぼんやりと桜の花がちらほら舞う庭を眺めていた。何気ない庭の、ある春の朝の一コマだが妙に心に打たれる情景である。そこではっきりと気がついた。桜は散りゆく姿が美しいのだと。確かに満開の桜は綺麗だし見栄えが良いので、観光客がそれを写真に収めようとするのも分かる。ただそれは綺麗に咲いた見栄えの良い景色を思いも馳せずにボタンを押しただけのもので、時間の流れはそこに映らない。プロの写真家が瞬間を切り取るのとはわけが違う。もっとひどい事を言えば、今の風潮は誰かがどこかで撮った写真を自分がそこにいって写すのが目的で、さらにSNSであげることが最終目標だ。これは国籍に関係なく、世界中で同じような現象がある。桜は満...日本旅行記8
毎年のことながら雪不足で悩まされる。温暖化という一言で片付けられる話ではないと思うのだが、簡単な理屈づけを人は望むものだ。ポーターズはオープンして2週間近くになるが、雪不足のためオープンエリアは下部のゲレンデのみ。そして基本的に山は岩山なので岩や小石が多い。コース内でも小さな石は転がっており、スタッフが常に石を拾っている。スタッフは仕事としてやっているが、常にそこで滑っているローカル達や他のお客さんも気づいたら石を拾いゲレンデ外に投げている。みんなが力を合わせ雪が少ないなら少ないなりになんとかやっていこうという姿勢は、変わりつつある自然界の中で人間社会のあるべき方向性と見るのは考えすぎだろうか。そういう難しい話は別として、小さいスキー場はローカルが盛り立てている感じが強く、そこが好きなのだ。リフトは下部だ...2024年7月18日Porters
白馬出発の朝、昨晩の約束通りみんなでお宮にお参りに行く。オトシの家から歩いて5分もかからない。ボコっとした、丘とや小山と呼ぶには小さすぎるような、まるでそこだけ突き上げたような地形の中にその祠はあった。小さいながらも鳥居があり、その奥にひっそりと、まるで息を殺すかのように建っている。ナルホド、ゲームもスマホもパソコンも何もない子供達が、かくれんぼや鬼ごっこをして遊ぶのには恰好の場所だろう。そうやってここで遊んだ子供達ご大人になって大きな仕事をする話なんだな。ふと思い出したが自分の家の近所にも小さな神社があり、そこで草野球だの鬼ごっこだのして遊んだものだったな。カモメが前の晩に語ったお宮の秘密では、みんなでお参りをしたらカモメが神隠しになり行方不明となってしまうものだったが、そういった事も起こる事なく無事に...2024年日本旅行記7
白馬4日目の朝は古瀬家で迎えた。前の晩は炭火焼バーベキューに加え、暗くなってからは焚き火で盛り上がったのである。カズヤと火を囲んで色々と話して、夜は居間で愛犬のフクちゃんと一緒に寝た。朝早くに娘が仕事に行き、次いでミホが用事で出かけるのを見送り、子供達が学校に行くのを見送った。カズヤがコーヒーを淹れてまったりと過ごしているとキョーコがやってきた。話の流れからキョーコの事も書かねばなるまい。あれはもう何年前になるのか。2000年問題が一段落したらパソコンを買おうなどと思っていた頃だから1999年か、もう25年も前になる。僕と相方JCは数年働いたアライというスキー場を追い出され、アルツ磐梯で働いていた時に同僚だった奴がパトロール隊長を務めるチャオ御岳というスキー場で働いていた。もう今は営業していないスキー場だ...2024年日本旅行記6
白馬3日目、この日は娘が休みなので一緒に八方尾根に行く。知り合いのつてで、娘は先シーズンから八方尾根で働き始めた。先シーズンはゴンドラ山頂駅のインフォメーションセンターで仕事をしたが、外に出る仕事をしたくて今年からスキーパトロールとなった。きっかけは親の人脈だったが一冬を過ごして自分なりの人間関係を作り、晴れて今年からパトになった。今回の日本行きの目的の一つは、娘の仕事場を見に行きパトロールの隊長に「娘がおせわになっています」と菓子折りの一つでも持って挨拶に伺うという、まるで絵に描いたような親父になろうと思ったわけだ。一緒に滑るのは昨日に引き続きトモヤとジャカそしてカズヤの息子のヒュージである。八方尾根は昔から日本のスキー業界では名だたるスキー場で、長野オリンピックも開催されたし、腕自慢のスキーヤーが集ま...2024年日本旅行記5
久しぶりに日本に行った。5年ぶりの日本帰国である。前回はコロナ前のことであり、父親に顔を見せるという目的があった。その時はあまりあちこちに行かず、実家の静岡でほとんどの時間を過ごした。その後でコロナ禍があり、世の中がいろいろと変わった。自分のニュージーランドでの生活はブログに書いてある通りなのだが、コロナ禍の間に父親が死に、その財産整理やあれこれで帰ることになった。昭和の頑固オヤジの典型のような父が死んだのはもう3年近く前になるが、死ぬ直前まで電話であれこれ話したし、痛みも苦しみもなく逝ったので大往生と言えよう。実家の片付けや遺産整理が主な理由だが、もう一つ、娘が今年から八方尾根スキー場でスキーパトロールを始めたのでその現場も見てみようと思いついた。ちょうど仕事も忙しい時期を終え、ポッカリと穴が空いたよう...2024年日本旅行記1
毎度毎度のことだが、実際に会ってみるまでどんな人がお客さんなのか分からない。知らされるのはお客さんの名前と人数。時に親子であるとか家族旅行とかそういう情報も来るが、ほとんどの場合は分からない。ニュージーランドは初めてなのか前回もきたことがあるのか、どこの出身だとか、仕事は何をしているのかとか、そういう事をお客さんに聞きながらツアーを進めるわけである。この日の仕事は男のお客さん一人でテカポまでの日帰り往復。前日ぐらいに急に決まった仕事であり、僕は普段通りに指定されたホテルへ向かった。お客さんは30代後半ぐらいの男の人で、アウトドアとは無縁そうな都会に住んでいるような人だった。車を走らせてすぐに自己紹介をして話を聞くと、当初の予定は友達4人でキャンパーバンでニュージーランドを回る予定だった。クライストチャーチ...いろんな意味でゲイの人
庭で野菜を育て始め十数年になる。自分が若い時にはまさか自分がそんなことをするなんて思いもしなかったが、なんとなく今までやってきて、たぶんこれからも死ぬまでやり続けることだろう。何故自分は野菜を作るのだろうか。自分が野菜を作らなくても生きていける。ちゃんと働いて、自分の時間と労働力を資本家に売って代償に金を貰えば、その金で野菜は買える。世の中には自分で野菜を作っていない人の方がはるかに多い。生産者と消費者が分かれることにより、社会を維持する効率が上がる。分業は人類の歴史を見ても社会の発展に欠かせない。例えば日本で言えば江戸という消費型の大都市ができ、それを支える生産社会が周囲にできた。生産と消費が分かれ、さらに陸運や海運という流通システムが進んだ。生産者と消費者をつなぐものは金であり、金融のシステムも発展し...何故僕らは野菜を育てるのか。家庭菜園をする理由。
ちょっと今更感はありますが、新年明けましておめでとうございます。新年早々地震だの火事だの大変な幕開けとなりましたが、あおしろみどりくろ読者の皆様のさらなる御栄達を祈っております。今年も途切れ途切れの更新となりますが、忘れた頃に更新されるこのブログ、これからもご贔屓にお願い申し上げます。堅苦しい挨拶はこれぐらいにして、いつもの調子に戻ろう。年末年始から今まで、大きなツアーが二つ続きブログのページを開く余裕がなかった。大晦日から年始はツアーの真っ最中で、いろいろ大変なニュースをチラホラ聞きながら、お客さんと一緒に美味しいものを食べ美味しい酒を飲み美しい景色を眺め楽しい時を過ごした。ご両親は自分と同世代、母上様は死んだ父と同世代、その孫たちは自分の娘と同世代というご家族との旅は楽しく、特に母上殿を案内するのは自...2024年
普段は暇な師(先生)も忙しくなり走ると書いて師走。ずいぶんと師に失礼な言葉だなと思うがこれはコンプライアンスに引っかからないのだろうか?でもこういうユーモアを含んだものが日本語の面白いところであり美しいところである。さて今年も残すところあとわずか。人並みに1年を振り返ってみる。自分の身の回りの話では、ぶどう畑の仕事を辞めツアー関係の仕事に戻ってきた。これはコロナも終わりに近づき観光客が戻ってきたという社会現象と重なるところがある。ぶどう畑の仕事自体は好きだったが、自分はやはり農業のプロではないなとはっきりと気づいたのもある。同時に自分が身を置く世界が自分という人間を求めている、求められている所で仕事をするのはありがたい事であり嬉しい事でありやりがいのある事であり自分の使命でもあると言えよう。新しい出会いも...2023年を振り返る
今更ながら半世紀という時間を生きてきた。その間に色々な経験をしたものだ。どうでもいいような経験もあるし、自分の軸を作り上げるような貴重な経験もした。ちなみに自分は徹底現場主義であり、現場で行うことがこの世の全てだと思っている。これは自分の思想なので、そう思わない人に無理やりこちらを振り向かせるつもりはない。ただ世の中で、知った気になっている人があまりに多いので、今回は一言物申す。例えば何か知らない事があったとしよう。そうするとすぐにググって答えを見つけ、あたかもそれが自分の知識のようにエラそーな顔をする。確かに知識を身につけるのは良いことであるが、何か違うような気がするんだよなあ。そうやって取って付けた知識と、身を持って体験した知識は明らかに違う。全ての知識を自分の経験から得るのではとても足りないので、人...コンニャクの花