10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
野菊一輪手帳の中に挟みけり漱石今日はお茶碗研究会井戸茶碗とは高麗茶碗の一つ。濁白色の土に、淡い卵色の釉薬かかる。室町時代以後、茶人に愛用された。大井戸、古井戸、青井戸、井戸脇などの種類がある。野菊一輪
大伴家持黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらむか昨日の三渓園の茶会寄付の掛けものは琳派の紅葉に仕丁の画だった筆者は深江芦舟フカエロシュウ1699年(元禄9年)~1757年(宝暦7年)江戸時代中期の画家。名は庄六。別号に青白堂。京都銀座の商人筆頭役であった深江庄左衛門の子として生まれる。父と共に家業を営んでいたが、1714年(正徳4年)に父が流罪を受けたことにより、その責任で家業を辞した。後に父と親交のあった同じ商人の中村内蔵助を通じて、その庇護者であった尾形光琳の門人となった。光琳に師事している時には琳派の作品だけでなく、俵屋宗達が描いた作風の宗達派もよくした。後に光琳の作風を受け継いだ草花図等を描き、琳派における代表的な画家となった。(ウィキペディアヨリ)東博にある『蔦の細道図屏風』俵屋宗...遊ぶ今夜は明けずもあらむか
若山牧水秋晴や空にはたえず遠白き雲の生れて風ある日なり今日は茶会横浜の三渓園まさに秋晴れ爽やかな茶会日和10月28日(土)開催三溪園での「大師会」開催100周年記念茶会重要文化財春草廬|濃茶席重要文化財臨春閣|薄茶席横浜市指定有形文化財白雲邸|点心席天気良し気持ちの良い風が吹きぬける大寄せだが参加者は九十名とすくなくゆったりしてた写真は普段は入れない臨春閣の二階から秋晴や
野菊一輪手帳の中に挟みけり漱石平安時代は、都が平安京に移り、藤原氏が政治的トップの地位を独占した摂関政治の時代。武士が登場し、成長する時代。かな文字発明されて、『源氏物語』『枕草子』などの文学が生まれた。年代は794鳴くよウグイス平安京から1192いい国作ろう鎌倉幕府までの約400年だったが最近は1185いいはこ作ろう鎌倉幕府になったようだこれに限らず昔に習ったことが通用しないこともあるアップデートしよう最近は早起きなので夜は早くに眠くなる夜中に目覚めああよく寝たなと思って時計を見るとまだ十一時半だったりまた寝ようユーチユーブの落語を聴きながらね野菊一輪
今日は木曜稽古掛けものは中院通躬御筆和歌色紙堀江知彦箱道命法師花すすきまねくはさがと知りながらとどまるものは心なりけり色紙の筆者は中院通躬ナカノインミチミ1668-1740江戸時代前期-中期の公卿,歌人。寛文8年5月12日生まれ。中院通茂の子。参議,権大納言,内大臣をへて,元文3年右大臣となる。従一位。家学の和歌にすぐれ,絵もたくみだった。元文4年12月3日死去。72歳。号は歓喜光院。家集に「通躬公集」。(日本人名大辞典ヨリ)今日のお菓子は練りきりの紅葉とカボチャのお饅頭にオバケの焼き印銘はハロウィンだそうだ花すすき
藪影や魚も動かず秋の水漱石今日は水曜稽古10月最後の週なごりの月大板と五行棚の点前を稽古五行棚は玄々斎好み、木は棚の上下にあり、火は風炉の中にあり、土は土風炉を使い、金は風炉釜、水は釜の中。自然の森羅万象を象る台子の扱いと同じくするところに棚の名の由来がある。と天板の木目の根元は客付に向け、地板は勝手付に根元を向ける。三本の竹柱は、二節を客付、三節を勝手付、一節を中央とする。「台子は栄華結構の式なれば、万疎略あるまじく候、是茶湯の極真にて、方式の根本也」と南方録にあり魚も動かず秋の水
渋柿やにくき庄屋の門構漱石今日は友人とお食事渋谷で待ち合わせてお昼を食べる予定待ち合わせの前に指物師に頼んであった箱を取りに行くのだがここは分かりにくい所なんだ今回は三回目一度目は新橋からバスで二度目は浜松町からタクシー住所を言うと、近くまで行くには行くのだが遠回りにぐるぐる回ってなかなか着かないがどんどんメーターが上がるあまり気分が良くない今回は三回目だ田町からタクシー近くで降りてあとは歩いたこれが正解らしい渋谷駅南口改札口に待ち合わせて桜ヶ丘のイタリアンへ陸橋を歩いていると向こうから歩いてくる人が知り合いに似てるなやっばりそう草苑様買い物に出掛けるところだそうだが出会うのは偶然桜ヶ丘のイタリアンランチサラダとパンとコーヒーが付く完食庄屋の門構
秋の空昨日や鶴を放ちたる蕪村今日はお弟子様サカチカさんのお茶事の水屋花を切りタクシーを呼ぶ迎車料金は300円支払は1,500円行きも帰りもエプロン着用だけど10月のなごりの茶事布袋さんが舟の上で月を見てる汲み出しはオランダ写し本席は和漢朗詠集の紅葉不堪紅葉青苔地又是涼風暮雨天感に堪えないことよ。紅葉が散り、青い苔に覆われた地のけしきは言葉に表せないほどだ。そして冷ややかな風が吹き、夕雨の降る空のけしきは尚一層風情を増すようだ。白居易の漢詩からだが筆者は江戸前期後陽成天皇の第八皇子良純入道親王筆写真はトーハクの道元緞子秋の空
源俊頼夕さればはぎをみなへしなびかしてやさしの野邊の風のけしきや秋の美の凝縮され和歌だ作者は源俊頼ミナモトノトシヨリ平安後期の歌人。源経信の子。はじめての組題百首《堀河百首》を企画・成功させるなど,王朝和歌に新展開をもたらす精力的な歌壇活動を展開し,のちに藤原俊成を通して中世和歌へと引き継がれる,歌道の文芸意識,批評意識を高めたとされる。5番目の勅撰集《金葉和歌集》を編む。自撰家集《散木奇歌集》のほか,歌論書《俊頼髄脳》を著した。今日は土曜日忙しい土曜日午前中に病院二件へ薬を貰いに行ったそのあとは文の会いつものイタリアンでバイ様と待ち合わせ少し私が遅れたので早めに頼んだと写真のおつまみとワインパスタはサーモンとアボカドといくらのクリームパスタそれとベーコンとキノコのアラビアータ満足文の会は伊勢物語を少し読...夕されば
山居山里も同じ浮世の塵にまたものの寂しきことにぞありけれ鑑子昨日は木曜稽古書いたもののアップするのを忘れてしまった今年の夏は暑かったがこのところは冷房も暖房もいらない過ごしやすい爽やかな秋の様子だ水木と続く稽古の時は木曜は水曜の稽古の風炉の始末をする朝鮮風炉と道庵風炉残ってる灰を取り出し灰をふるう灰型を二台つくる九時にはお弟子様がお稽古にやってくるので八時半には風炉に炭をいれ釜を掛け湯をわかす花を入れ香をたく間に合えばだが山里も同じ浮世
丸盆の椎にむかしの音聞む蕪村今日は水曜稽古風炉の稽古もあとわずか大板中置五行棚写真は東博の唐物の絹中国明時代15世紀のもの裂地の名前は「縹地入子菱二重蔓大牡丹唐花文様金地金襴」地模様が一見無地に見えるが上部のベージュをよく見ると入れ子菱になっているのに驚愕むかしの音聞む
樋口一葉南にも北にもつちのおとたててきそひがほなるさよ砧かな今日は上野東博の「やまと絵展」へ11時前についたが混んでるお宝をガラス越しに拝見するのだが絵巻物のように平らにおいてあるものは人が並んでて動かないちょっとした隙間にも入れない好きなものを好きなだけは見れない空いてるところを選んで見た展示替えがある四期にわかれるが今は一期目個人的に好きなものは藤田美術館の「阿字義アジギ」を観れて嬉しい「阿字義」とは藤原時代~鎌倉初期の作。寂蓮作と伝えるが明らかでない。一巻なる絵巻物。「阿」の字は万象の本源で文字の母であり、また、仏教の根本を示すものとしてその義を図解したもの。四大絵巻『源氏物語絵巻』『信貴山縁起』『鳥獣戯画』『伴大納言絵詞』神護寺三像「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」三大装飾経「平家納...北にもつちのおとたてて
紀貫之荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるゝ始なりけれ紀貫之キノツラユキ平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。下野守・紀本道の孫。紀望行の子。官位は従五位上・木工権頭、贈従二位。『古今和歌集』の選者の一人。三十六歌仙の一人。今日は月曜特に用はない近くのコンビニまで出掛けたそれだけためてあるビデオを見るのが楽しみ写真は10/10ふくもとの食事会ハモと松茸の土瓶蒸し荻の葉のそよぐ音こそ
よみ人しらず白雲にはねうちかはし飛ぶかりのかずさへ見ゆる秋の夜の月よみ人しらずさ夜なかと夜はふけぬらしかりが音の聞ゆる空に月わたる見ゆ藤原忠房きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜のながき思ひは我ぞまされる藤原忠房フジワラノタダフサ?-929平安時代前期-中期の官吏,雅楽家。京家藤原興嗣の子。従四位上,右京大夫となる。「胡蝶(こちょう)」を作曲。また神楽,催馬楽の増補選定にたずさわった。中古三十六歌仙のひとりで,歌は「古今和歌集」などにはいっている。延長6年12月1日死去。(コトバンクより)写真は10/10のふくもとの…よみ人しらず白雲に
藤原定家秋山はもみぢ踏み分け訪とふ人も聲きく鹿の音にぞなきぬる12世紀初頭に編集された二十巻本歌合は別名(類聚歌合)ともいう堀河天皇(在位1086~1107)のころに編集200回以上の歌合で詠まれた和歌を載せた巻子本陽明文庫にあり茶会で伺うたびにガラス戸を開けて頂き拝見したが罫線が引いてあることだけ確認したその二十巻本歌合の断簡になったものに「柏木切」と「二条切」の二種類がある清書ではなく原稿として書かれているので、早書き筆者は大勢の人で分担そのうち藤原忠家筆と伝えられるものは…「柏木切」と、忠家の子である藤原俊忠フジワラノトシタダ筆と伝えられるものは…「二条切」今日は東京美術倶楽部のアートフェアへ「二条切」が三ヶ所のお店で出ていたアートフェアは昨日から始まってる道具を買うなら初日に行くべき今日は二日...もみぢ踏み分け
葡萄噛んで秋風の歌を作らばや龍之介そういえばもうずっと短歌を詠んでない平成七年から毎月12首欠かさず詠んでいたのに昨年末に先生がなくなってからは詠めなくなったお習字の会に入って乗ってる時は毎月11種類も出していたのに今は皆無なにもしてない外にも中断しているものいくつもあるまた気力が充実し始めたらやってもいいかな今は無理しないでおこう今日は金曜日車を呼んで妹と病院に行く外は青空湿気も少なく爽やかクリニックは人でいっぱい私の座る椅子はなかった予約の30分前には着いていたが呼ばれたのは20分過ぎた待つのも体力が必要だ帰りには次の予約をいれるのだがひと月あとの同じ時間になった診察を終えたなん組かの人たち清算しつも同じように次の予約日を確認されてるその人たちもひと月あとの同じ時間帯これもご縁か来月もご一緒だ秋風の歌を作らばや
日にかかる雲やしばしのわたりどり芭蕉今日は木曜稽古午前と午後のあと夜の部が始まるまで時間があるちょっとボーッとしたら爆睡してしまった目覚めればスッキリ夕御飯とアイスクリームを食べまたスッキリ中置の点前は小板大板長板五行棚それに草之草台子写真は画賛賛は読みにくかったが何とか読めた月ふけて妻とふ雁の一羽ばかり日にかかる雲
良寛晴るるかと思へばくもる秋の空うき世の人の心知れとや今日はお弟子様のクマショウさんち「小熊花月」と名付けた毎月一度の七事式の会七事式は『碧巌録』にある「七事随身」からとったと『碧巌録』とは臨済宗で最も重要な書「宗門第一の書」と1125年成立した中国の仏教書その中に「七事随身」が出てくる七事随身とは指導者としてそなえるべき七つの徳だそうだ七事式は茶の湯の精神、技術をみがくために表千家7代の如心斎、弟の裏千家8代の一燈宗室や、高弟川上不白ほかが相談し参禅の大徳寺三百七十八世無学宗衍ソウエンに教えを請い、制定された稽古方法数人が一組になり、楽しみながら修養を積むお菓子をたくさん食べお茶をのむ足の運びに頭を使い身体も使う確かに楽しい面白い晴るるかと思へばくもる秋の空
まつ茸やしらぬ木の葉のへばりつく芭蕉今日はいつもの「ふくもと」で食事会マツタケとハモの土瓶蒸し松茸ご飯その香りに感動秋の風情がいっぱい美味ですなぁまつ茸や
わがやどの柿熟したり鳥来たり漱石元暦ゲンリャク校本万葉集とは平安時中期~後期。複数名の寄合書。縦25×横17cm1184年(元暦元年)に校合した「万葉集」。「元暦万葉」。切は「有栖川切」「難波切」。20巻のうち14巻あり完本、残欠本、切。巻6は鎌倉時代初期の補写本か。巻17・巻18は同筆。他12巻はそれぞれ別筆。巻19は、西本願寺の「三十六人家集」のうち「家持集」「能宣集上」「能宣集下」と同筆。その書写年代は「元永本古今集」書写の元永三年頃。「元暦校本万葉集」の書写年代も元永3年頃。か。今日は月曜日雨の日タクシーを呼んで病院へ診断書を取りに行く「○○病院へお願いします」というと「今日は休みではないですか」と言われたそうだ今日は祭日行き先は駅に変更だ教えてくれてありがとう無駄足せずにすみました写真は頂戴し...柿熟したり
なつかしき紫苑がもとの野菊哉蕪村今日は庭の枝を切る幸い涼しいせいか我が家の強力な蚊はまだ静か蚊取り線香をたいて踏み台に乗って天へ伸びてく木蓮の枝を切っていく椿の伸びた枝には虫がついて葉がひどく傷んでるこれもバサバサきる蹲のところの樹は四メートル以上伸びてしまった「ニッサ」という名前だ枝葉の出ている元の部分直径10センチ位はある生木も切れるノコギリでゴリゴリひたすらゴリゴリ30分以上かかったがようやく切れた汗びっしょり買おう電気のこぎりあとは大きなビニール袋に詰め込み午前中にみんな済んだ達成感「ニッサ」は中国原産「ニッサボク」という三大紅葉樹のひとつだと「ニシキギ」と「スズランノキ」「ニッサボク」この樹は高さは10~20メートルにもなるようだそうなったら大変たいへん写真は新橋浜離宮で撮ったという柿柿の種ばか...なつかしき
身にしみて大根からし秋の風芭蕉今日は美濃からのお友だちとランチまちあわせは横浜そごうの入口コロナ禍前の三渓園の茶会に参加して下さりこぼれる笑顔はよく覚えてるがマスク姿でわかるかしら心配スマホが鳴った「今そごうの真ん前に居るのですが」「着物を着てますけど」見回す限りに着物の女性は見えない大きな柱があってその向こうにいらした結構背が高いすぐさまお喋りが始まるエレベーターに乗っても止まらないここは一旦静かにしようそごう10階の銀座アスターでランチずっとお喋り茶会茶事の話し点前の事など止まらないでもこの後の時間があるいざ会計何気なく私がレジに向かうとどちらが支払うかもめる最近珍しい光景だそれも押し合い圧し合いお互い自分が払うと騒ぐ友人は「自分が誘ったのだから」と私は「ここは横浜だから」とじたばたじたばたレジの人に...大根からし
新勅撰集貫之唐衣うつこゑきけば月きよみまだねぬ人をそらにしるかな今日は庭の枝を切る今年は大きな台風が来なかったので白木蓮の枝は天に向かって伸びほうだい見上げると15本位の枝が立ち上がってるずっと気になってたでも一歩玄関の外に出ると庭の蚊が凄まじい季節が動かないととても庭には出られない今日は何となく蚊はすくなそう古志ちゃんからもらった高枝切りを持ち上げて枝の根元切ってゆく朝の6時半になると急に蚊が増えブンブン寄ってくるこれでは中止せねば切った分をビニール袋に入れて速攻ゴミに出すあと残りの半分はいつか切らねば10月の異名は神無月日本国中の神々が出雲大社に集まり、出雲以外の国々には神が不在となるため、「神無月」(逆に出雲では「神在(かみあり)月」という)よく知れた説あり月きよみ
鵯ヒヨドリのこぼし去ぬる實のあかき蕪村ひよどり日本中で見ることのできる身近な鳥。全長約27cm、背面は灰褐色、頬の後方は栗色、尾が長い。椿や桜などの蜜、木の実を好む。ピーヨピーヨと大きな声で鳴き、波形を描いて飛ぶ。古くは平安時代の貴族たちは、飼い主の顔を覚えるという鵯を仔飼いし、ペットとして飼っていたようだ。今日は木曜稽古午前午後のお稽古は午後3時半に終わった夜の部は午後6時半しばし昼寝しスッキリ目をさまして夜の部今日からお一人入門された初心者教室で半年間勉強済みのわりとご近所さん来週の七事式午後に見学参加するどうぞ宜しく実の赤き
凡河内躬恒かりてほす山田の稲をほしわびてまもるかりほにいくよへぬらん凡河内躬恒【おおしこうちのみつね】平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。紀貫之と並称される歌人。今日は水曜稽古10月は中置小板にての初炭手前香合の拝見が終わると菓子を出し中立の挨拶中立の間に後座の支度水指と茶入をかざりドラを打つ濃茶点前後炭手前薄茶点前日常から稽古はこの順でしてる写真は届いた東美アートフェアのパンフレットと招待券幾世経ぬらん
振り返る路細そぼそと暮秋かな芥川龍之介今日は読売カルチャー「茶話指月集」の勉強道庵は「暑気の頃、真の手桶に露を打つ」と又、暑き頃水指の塗蓋に露を打つこの時、茶巾は小板に乗せると。『茶話指月集』は宗旦から聞いた利休に関する茶話を、高弟藤村庸軒が書き綴り、久須見疎安が編集して、江戸中期の元禄十四年に刊行した板本。振り返る
荒壁に軸落ちつかず秋の風夏目漱石さて何が掛かっていたのか10月の絵のものは紅葉、菊、柿、竜胆、女郎花、芒、撫子、葡萄、竜胆、栗、蕪、松茸、稲穂雀、大黒天に鼠、紫苑、渡鳥、鴫(しぎ)、蔦(つた)など。または10月の掛物飾れる自然や風景に関する図柄です。・秋晴・秋風・椎茸・砧・秋時雨・紅葉狩以上荒壁に軸
寂蓮さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮寂蓮ジャクレン保延5(1139)?~建仁2(1202)寂蓮は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶。俗名は藤原定長。僧俊海の子として生まれ、1150年(久安6年)頃叔父である藤原俊成の養子となり、長じて従五位上・中務少輔に至る。30歳代で出家。1201年(建仁元年)和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者となるが、完成を待たず翌1202年(建仁2年)没した。『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に、117首入集。家集に『寂蓮法師集』がある。今月の東茶会に寂蓮筆の右衛門切れがかかってた秋の夕暮
「ブログリーダー」を活用して、村雨庵さんをフォローしませんか?
10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨