10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
藤原定家釣船にはかなくあかす旅人のうき寝すずしきなつのみじか夜今日は水曜稽古朝のうちは雨が降っていたがまもなく上がった今日五月の晦日ミソカ五月三十一日は業平が富士見の日伊勢物語東下りは始め三河の八橋カキツバタを読み込む折句唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふつぎは駿河の国宇津の山を越える時知りあいの修行者にあう駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけりそして五月の晦日ツゴモリには富士の麓フモトを通るのだ旧暦だと6月半ばから7月比叡の山を二十ばかり重ね上げたような高い高い山山頂には白く雪がまだ残る時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむそしてなほ行き行きて武蔵の国と下つ総の国との中の隅田川の渡し舟に乗る名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと...うき寝すずしき夏の短夜
大伴家持鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこのやど今日は食事会つやつやの胡麻豆腐一緒の倍さまとカラシ様は掛け汁も飲んでいた確かに美味しいけど五月の八寸色々チマキ凄く美味し煮物椀はハモとじゅんさい美しいお造り揚げ物加茂茄子の揚げ煮と伊勢牛焼物イサキの塩焼とこごみの天麩羅下ろし胡瓜ご飯はトウモロコシ青豆ご飯に干し海老なめこのみそ汁と香の物お菓子は金団美味しいものを食べて辛いことは忘れよう古しと人は思へれど
時鳥花橘の宿かれて空にや草の枕ゆふらん京極為兼キョウゴクタメカネ京極為兼きょうごく-ためかね1254-1332鎌倉時代の公卿,歌人。建長6年生まれ。京極為教の子。持明院統の伏見天皇に信任され,京極派をひきいて歌壇で活躍。一時佐渡に流される。のち権大納言。正二位。二条為世との論争にかち,「玉葉和歌集」撰者となる。晩年土佐に流され,元徳4=元弘2年3月21日河内で死去した。79歳。「続拾遺和歌集」以下の勅撰集に132首はいっている。今日はお弟子様のお茶事何回がお茶事に伺った先生より「こんどはお茶事に呼んでほしい」とのお言葉今わが家では茶事をすることはできないまずは茶事をやりとげる、気力がないのだそこで毎月茶事を披いているお弟子様の所へ横流しわたし目はお弟子様の用意した懐石をただ茶事の順番に熱くしたり冷たくし...花橘の宿かれて
与謝野晶子むらさきと白と菖蒲は池に居ぬこころ解けたるまじらひもせで今日は文の会いつものイタリアンでランチ土曜日は予約しないと席はないグラスワインとおつまみパスタを二種類ランチなのでサラダが付くお腹はちょうど良い家に戻って夏みかんとカステラ珈琲2杯和菓子ひとつお薄二服おしゃべり止まず文の会の伊勢物語を読むはほんの少しだけ読んだむらさきと白と菖蒲
小侍従コジジュウ和歌・歌人151待つ宵のふけゆく鐘の声きけばあかぬ別れの鳥はものかは(新古1191)こじじゅう【小侍従】平安末期の女流歌人。女房三十六歌仙のひとり。石清水八幡宮別当紀光清の娘。二条天皇、のち高倉天皇に仕えた。平家物語の月見の章に、藤原実定との和歌の贈答により「待宵まつよいの小侍従」とよばれた挿話がある。家集「小侍従集」。生没年未詳。写真は旧芝離宮恩賜庭園令和5年5月24日(水)~5月27日(土)18時30分~21時30分(最終入園21時)ライトアップイベントを開催とテレビで放映された幻想的だ小侍従コジジュウ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日は木曜稽古でもなぜか今日はお弟子様が少ない午前に二名午後は二名そして夜は一名二ヵ所で点前をするので、わりと早く終わってしまう。まあのんびりして、気楽だ今月で月次ツキナミの茶会が終了した必ず覚えなければならない点前もない茶会があれば道具を調べておかないと席中での挨拶はできないが茶会がなくなったので覚えなければならないこともないからリラックスそれは私も同じ次の道具を考えなくてもよいし使った道具の片付けも不要リラックス中だし次に頑張ればよいことにしようにたりやにたり水の影
今日の掛物は白雲影裏笑呵呵ハクウンエイリカカトワラウ影裏とは光の当たらない所。また、物陰。かげうら。筆者は金閣寺住職の村上慈海ムラカミジカイ就任期間は昭和39年1月~昭和55年3月明治35年、愛知県に生まれる。大正5年、鹿苑寺にて得度。大谷大学哲学科を卒業後、天龍寺僧堂で修行。昭和10年、鹿苑寺住職となる。相国寺派宗務総長、慈照寺特命住職などを歴任し、(財)禅文化研究所理事長に就任。この一行は碧巌録ヘキガンロク第七十四則金牛和尚キンギュウオショウ呵呵笑カカトワラうの中の白雲影裏笑呵呵、兩手持來付與他。若是金毛獅子子、三千里外見訛。意味は白い雲が輝く下で、はっはっはと笑い、両手で持ってきて、他人に与える。もし菩薩であるならば、三千里の彼方の下心がわかるぞ。というが頭に入ってこない【碧巌録】ヘキガンロ...白雲影裏笑呵呵ハクウンエイリカカトワラウ
西行サイギョウ和歌・歌人150道のべの清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ西行[生]元永1(1118)[没]文治6(1190).2.16.平安時代末期の歌人。姓,藤原。俗名,佐藤義清(のりきよ)。父は左衛門尉康清。母は監物源清経の娘。北面の武士として鳥羽上皇に仕え,左兵衛尉にいたる。23歳のとき出家,法名,円位,また西行と呼ばれた。真言宗に属し,多く高野山に住み,奥羽,中国,四国などを遍歴,勧進などに従った。晩年は伊勢に移り,2度目の奥州旅行から帰ったのちは河内国弘川寺に住み同地で没した。在俗時代から和歌を詠み,出家後は修行のかたわら作歌に精進,寂念,寂然,寂超ら大原三寂,藤原俊成と親交があり,次第に歌名も上がった。しかし,宮廷やその周辺の貴族の家などで行われた歌会や歌合には参加していない。旅先で...西行サイギョウ
橘曙覧タチバナアケミほとゝぎす一鳴なきてくゞりつる枝見るたびになつかしの陰橘曙覧【たちばなあけみ】江戸末期の歌人。姓は井手。号は志濃夫廼舎(しのぶのや)など。生家は福井石場町の紙商。初め日蓮宗の僧明導に仏教学・詩歌を学ぶ。以後国学を志し,飛騨高山の田中大秀に入門,本居宣長の学統を承継。勤王の歌人。35歳のとき家業を離れ,赤貧に甘んじた。今日は月曜日平日なので病院に行くついでに郵便局で振込ついでにみどりの窓口で新幹線の切符を買う今日の用事は済んだねほとゝぎす一鳴なきて
今日は昨日のブログを読んでくれた従姉のガゼータさんからの矢車菊の追加のはなし下記はガゼータさんのメール矢車菊学名説明ありがとう!早速ギリシア神話事典やら、ハーブ図鑑を引っ張り出しました。そう!ケンタウロスは半身半馬ケンタウロス属の中でも一番の賢者はケイロン。なかにはいやらしい奴もいる。あるときケイロンはヘラクレスの矢で傷つき、馬だから川に行き、たくさん生えていた矢車菊で傷を癒やした。ケイロンは医学の心得もある。ギリシア最大の英雄輝ける神アキレウス。ケイロンから武術と学問を授けられた英雄イアソン。ケイロンに出生時から育てられ、医学の父といわれている医神アスクレピオス。長々と書いてしまって失礼しました。○○ちゃんのブログで目が覚めました✌️🐱😽知りませんでした。有難う御座いました。ガゼータさんまた教えて下さい...矢車菊の話し
竿揺れつ矢車迅き幟ノボリかな爽雨ソウウ皆吉爽雨ミナヨシソウウ福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1946年に「雪解」を創刊・主宰。(ウィキペディアヨリ)今日はお弟子様の秋さんの所で初心者の茶事の稽古一汁五菜一から懐石料理をつくる味噌汁向付煮物椀焼物預鉢進肴小吸物八寸香の物準備が出来たら主客わかれて茶事の稽古写真はヤグルマギク野生種は青紫色で、種名の「cyanus」は「あさぎ色の」という意味である。属名の「Centaurea」は、ギリシャ神話のケンタウルスから。古代エジプトでは青い花が魔除けとされミイラの胸のところに飾られていた。古代エジプトのツタンカーメン王の墓からも発見された。矢車菊ヤグルマキク
鉄線の花さきこむや窓の穴龍之介今日は火曜日と同じくお弟子様の茶事の水屋火曜日と同じく茶事の流れにそって一汁五菜前回は温かいもの熱すぎたらしい今回はほどほどにご飯を炊きあらかじめ決めておいた一文字を盛る時間が迫ってきたでも主客の挨拶がなかなか終わらないもうそろそろ終わりにしてご飯が出来上がってしまう手をぐるぐる回したらわかった様子一文字の芯が少しある御飯ちょうど良い具合まずは無事に終わって安堵写真は若い友達が送ってくれた名前がわからないのでグーグルの写真検索で調べたクレマティス・プリンセスダイアナ原産は北アメリカキンポウゲ科属:クレマチス(プリンセスケイト)開花は晩春から初夏頃に最も沢山の花が咲き、秋まで散発的に花が開花する事がある。鉄線の花
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日は木曜稽古朝九時半から三時半頃迄昼間の稽古は四名そして夜には三名の生徒さんが見えるその間は一休みおやつを食べて一眠りスッキリしたところで早めの夕御飯を食べよりハッキリ夜七時やってきたお弟子様のうちの二名のお稽古は少なくて月に一度か二度だでも休まず続ければそれなりに上達お点前の言葉が通じるようになりお点前も早くなったすこぶる快適である機会があれば一緒に茶会に行こうねお茶の楽しさを知って欲しいから写真はゴイサギほぼ全国の水辺に広く生息する、ずんぐりしたシルエットの中型のサギ。本州では一年中見られる留鳥。特徴は頭頂から背中にかけての紺色と、顔から腹側の白い羽毛。翼や尾は薄い灰色なので一見、紺と白のツートンカラーに見える。くっきりした紺色と白のコントラスト、後頭部から伸びた白い冠毛...杜若似たりや似たり
大悟不拘於小節ダイゴショウセツニコダワラズ大いなる悟りも瑣末なことにこだわっていては得られない筆者は萬輝宗旭バンキソウキョク宝永4年(1707)~天明3年(1783)近江の人。徳禅寺の天渓紹策の法嗣。宝暦7年(1757)、出世開堂して大徳寺370世となる。東海寺の輪番をつとめる。今日は水曜稽古大悟不拘於小節
さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介今日はすこし暑かったお弟子様のお茶事に行く私はその水屋だ今日は妹さんが手伝ってくださり楽チンだった「準備はみんなやっといてね」「出汁を取ったらそのついでに、味噌汁、煮物椀の汁を作っておいてね」「仕事をわざわざ残しておかなくて良いからね」とまあ言いたいことを言うまあまあお弟子様は私の懐石のお弟子でもあったからいちおう何でも出来るはず頑張れ森金さん今日朝九時に到着あとは冷蔵庫や材料をチェック粛々とすべきことをしてお客様をお待ちするお客様四名お越しくみ出しのあと腰掛けを用意したベランダへベランダからはすぐ下に川を見下ろすまた遥か向こうには頭が白い富士山が少しだけ見える知らなかったあんなに真ん中に見えるなんていい景色だ一汁五菜風炉になればお椀他にも露を打つご飯は一文字芯の少しある状...さ庭べの草けむりおる
箒目ホウキメのあやまつ足や若楓蕪村今日は法事がありお寺へ行く午後からは雨の予報コロナ禍で久しくお参りに行けなかった母は平成29年8月に逝った今年は七回忌それと同じ年7月に亡くなった従妹のノンちゃんも七回忌合同での法事お焼香の聞きなれた香りが広がる天井の高い本堂にながながとご住職の読経の声が響いてるこうしてお経の終わるのをじっと待っているのも久しぶりだ信仰心のようなものが全くない信仰心とは神や仏、そのほかの絶対者をあがめとうとぶ気持ち写真はお寺若楓
北原白秋山川とをさなかりける我さへやまさしく老いぬ人は知らずも今日は雨が降ったり止んだりでも出かけよう今日は朝日カルチャーへ藤原俊成のお勉強藤原俊成ふじわらの-としなり1114-1204平安後期-鎌倉時代の公卿,歌人。永久2年生まれ。藤原俊忠の3男。母は藤原敦家の娘。正三位,皇太后宮大夫。五条三位とよばれる。藤原基俊(もととし)に歌学をまなび,源俊頼に私淑。幽玄美をとなえ,子の定家ら「新古今和歌集」の歌人をそだてた。「千載和歌集」の撰者で,歌は勅撰集に四百余首はいっている。元久元年11月30日死去。91歳。初名は顕広。法名は釈阿。家集に「長秋詠藻」,歌論書に「古来風体抄」など。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)人は知らずも
与謝野晶子ああ皐月サツキ仏蘭西フランスの野は火の色す君も雛罌粟ヒナゲシわれも雛罌粟ヒナゲシこの歌の雛罌粟とは異なる花でよく道端に咲いているポピーに似たオレンジの花はナガミヒナゲシと言う外来種黄色い汁に毒性があり注意素手でさわらないように繁殖力も強く他の植物が回りに咲かないような物質も出すらしいどこかで摘んで庭に植えたりしないことにしよう増えたら大変だ今日は風姿花伝のお勉強観阿弥へ世阿弥が質問しそれに答える観阿弥の教えを世阿弥が子孫のために残したもの風姿花伝というと「秘すれば花」芸事の秘伝書であり代々金春流に秘蔵されていたものを明治時代に歴史学者が発表して一般も読めるようになったとある能楽書ではあるが一般にも通ずる含蓄のある言葉に魅了される写真は鍾馗様君も雛罌粟われも雛罌粟
虚無僧コムソウに犬吠えかかる桐の花漱石今日は木曜稽古今月五月から風炉の点前に変わった使う炭は炉の時よりはるかに小さい炭斗も小ぶりで可愛い香合は炉の陶器製から風炉は木のもの軽やかになった濃茶点前も中仕舞いがなく覚えやすいだろうしスッキリしている午後なにやら暗くなったとおもったらすごい雨が降ってきた雷が鳴り大音響と共にどこやらへ落ちた様子大自然の脅威写真の筆者は福田浩湖福田浩湖ふくだ-こうこ1883-1959明治-昭和時代の日本画家。明治16年3月14日生まれ。佐竹永湖にまなび,文展などに出品,日本南画院同人となる。同院解散後は大東南画院に属した。戦後は南画院をつくり,文人画の興隆につくした。昭和34年5月19日死去。76歳。東京出身。名は浩治。別号に三応子。作品に「竹窓閑話」「幽渓積翠」。犬吠えかかる
今日は水曜稽古掛けものは一行歩歩是道場ホボコレドウジョウ歩む一歩一歩、言動の一つ一つがすべて仏道の修行であり、我々は常に心理の真っただ中で生活しているという自覚を得よということ。その上での修行の積み重ねがあってはじめて悟りの絶対境「百尺竿頭ヒャクシャクカントウ」に達することが可能になる。『成語林』百丈竿頭とは→到達すべき最高点、向上しうる極致のたとえ。歩歩是道場
木がくれて名誉の家の幟ノボリ哉蕪村今日はお習字の日新人が参加端午の節句に鯉のぼりを建てたとのことお孫様は元気元気の男の子らし明日はお茶のお稽古なのでまずはそのしたく風炉二つに灰型を押さねばならずなんとか仕上げたインスタントの珈琲をいれお菓子を食べるどんなときも十時と三時は欠かさずお習字の日だったが次は頑張ろう木隠れて
藤原定家影ひたす水さへ色ぞみどりなるよものこずゑのおなじ若葉によも→【四方】東西南北の四つの方向。転じて、まわり。諸方。歌仙絵とは、優れた歌人の和歌とその肖像を表わしたやまと絵の一つです。平安時代中期、藤原公任キントウが編んだ『三十六人撰』にもとづく「三十六歌仙絵」、鎌倉時代前期、後鳥羽院が編んだ『時代不同歌合』にもとづく「時代不同歌合絵」などがある。今日は○○研究会お昼を食べてないので駅近くのパン屋カフェでサンドイッチと珈琲のセットあっという間に食べ時間に間に合うように向かう写真は渋谷のスクランブル交差点影ひたす
点心はまづしけれども新茶かな龍之介毎年、今ごろになると新茶が届く先輩が贈ってくださるのだすぐにお電話するいつもなら受話器から弾けるような声がかえってくるのに何となくお疲れの感じだ腰痛とのこと受話器をおくとき少し悲しかった写真は薄茶のお菓子干菓子を盛るときは絵を描くようにと習った新茶が届いた
若山牧水いつしかに春は暮れけりこころまたさびしきままにはつ夏に入る今日は朝日カルチャーの「くずし字の読み方」の講座へ出かける今日読んだのは十巻本歌合の和歌の二首十巻本歌合は日本最初の歌合集成。仁和年間から天喜4年に至る約170年間の46度の歌合を収める。平安時代中期に編纂された。企画は藤原頼通。源経信が編纂。全46度の歌合のうち、38が完存、6が部分的に残り、2が散逸した。一日中風が強かった昨日は能登半島で大きな地震があり不安な塊が自分のどこかに住み着いたような感じでもでも食欲はあるから大丈夫大丈夫写真は横浜そごうのイートインたいめいけん完食満腹こころまたさびしきままに初夏に入る
すこしある五月五日の残り酒青畝今日は端午の節句端午の端は「はじめ」五月最初の午ウシの日のこと。午ウマの音が午(ご)とい五に通じるので、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着した。と。ネットでみた。明日は立夏国際ノーダイエットデーゴムの日コロッケの日さくらパンダの日コロコロの日宮古港海戦の日ふりかけの日アクティブシニアの日コロネの日鎌倉五郎の日熱中症対策の日こだますいかの日手巻きロールケーキの日メロンの日万太郎忌春夫忌高級食パン文化月間いろいろある写真は今日のランチ初めてのイタリアンの店コースで2,390円五月五日の残り酒
良暹法師リョウゼンホウシつくま江の底の深さをよそながらひけるあやめのねにてしるかなつくま江は筑摩江琵琶湖にある入江。歌枕。よそながらとは余所乍ヨソナガラ遠く離れた所にいながら。他の所にいて。この和歌の良暹リョウゼンとは良暹(生没年不明)平安時代中期の日本の僧侶・歌人。出自・経歴については不明。比叡山(天台宗)の僧で祇園別当となる。その後大原に隠棲、晩年は雲林院に住んだといわれている。一説では、康平年間(1058年-1065年)に65歳ぐらいで没したともいわれている。1038年(長暦2年)9月の「権大納言師房家歌合」などいくつかの歌合に出詠している。百人一首の70番は誰もがご存知さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮良暹法師リョウゼンホウシ今日は木曜日今日も心地よい一日連休でもお茶は...つくま江の
藤原定家春なつのおのがきぬぎぬぬぎかへてかさねしそでを猶をしむかな今日は祭日の水曜日祭日でもお茶は休まない午前中から五月の風が吹き抜ける心地よい初風炉だ五日は端午の節句端午の節句は菖蒲の節句ともいわれ、古くは邪気を祓う花として宮中では帝に菖蒲を献上し薬玉クスダマを下賜されたという。薬玉は菖蒲や蓬を束ね麝香ジャコウ、沈香、丁子、竜脳などが入った香袋を合わせて,五色の糸を長く垂らす。その薬玉は悪気を祓い長命を得るとして、重陽の節句まで柱や御帳にかけたり、肘に掛けて携帯したりした。そして九月九日の重陽の節句になると茱萸袋グミフクロに掛け変えるのだと。薬玉や茱萸袋も絵に描かれているそれぞれ掛物なら待合に宜しいものそう言えば先生から頂戴した蒔絵の折敷にとても優美な薬玉の蒔絵があったはず今度確認してみよう春夏の
若山牧水森出でてあをき五月の太陽を見上ぐる額のなにぞ重きや今日は読売カルチャー茶話指月集の勉強宗易が、盛阿弥に、棗は漆の滓カスをまぜてざっとぬれ、中次は念を入れて真にぬれ、といいし。記三・与三が棗は、塗りみごとすぎておもくれたり。中次は秀次・藤重をよしとす。と今日の「茶話指月集」にあった。木戸から玄関までのほんの何メートルか歩くのに邪魔する伸びた枝葉を切る大きな袋に二袋あをき五月
和泉式部桜色に染めし衣をぬぎかへて山ほととぎすけふよりぞまつ五月になった時鳥が和歌に登場しはじめる五月の異名・仲夏(ちゅうか)・夏五(かご)・梅天(ばいてん)・早苗月(さなえづき)・午夏(ごか)・鶉月(じゅんげつ)・皐月(さつき)・南訛(なんか)・皐月(こうげつ)・盛夏(せいか)・橘月(きつげつ)・月不見月(つきみぬつき)・皐月(さつき)・菖蒲月(あやめづき)先週のことだ知らない人がピンポンして屋根の瓦が外れているから直してもらいなと言いにきたWi-Fiの工事をしたら屋根が見えて瓦の外れてるのがあったよとそういうのだ瓦のはなしはこれで三回目またいい加減な話しだろうとも思ったが一応いつもの大工さんにお願いして今朝9時にきてもらったベランダから屋根に登って屋根をぐるりと見て回るどこも大丈夫変なところはありませ...山ホトトギス今日よりぞ待つ
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
青うめをうてばかつ散る青葉かな蕪村今日は水曜稽古新聞を取りに木戸を開けようと歩くと両脇から木々が迫り狭い通路が益々狭く前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない花鋏を取りに戻って伸びてる枝をパシパシ切っていく新聞を取ると帰りも左右を切って戻る時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み掃除は又だ木槿がまだ咲かずアジサイもうちにはない水引が順次かわいい花をさかせてはいるが主にはならない半夏生も白くなり始めたそれに今年始めてさいた松明草の三種でお弟子様に花をいれてもらった木槿がさかないと毎回花には不自由する公園の木槿は咲き始めたようだが我が家は日陰のためまだまだ花を何にするかいつも苦労する友人宅では野草園のように茶花を育てていたが狭い狭い庭では限られたものだけ日頃の回りの植物は良く観察...散る青葉
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会