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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • うき寝すずしき夏の短夜

    藤原定家釣船にはかなくあかす旅人のうき寝すずしきなつのみじか夜今日は水曜稽古朝のうちは雨が降っていたがまもなく上がった今日五月の晦日ミソカ五月三十一日は業平が富士見の日伊勢物語東下りは始め三河の八橋カキツバタを読み込む折句唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふつぎは駿河の国宇津の山を越える時知りあいの修行者にあう駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけりそして五月の晦日ツゴモリには富士の麓フモトを通るのだ旧暦だと6月半ばから7月比叡の山を二十ばかり重ね上げたような高い高い山山頂には白く雪がまだ残る時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむそしてなほ行き行きて武蔵の国と下つ総の国との中の隅田川の渡し舟に乗る名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと...うき寝すずしき夏の短夜

  • 古しと人は思へれど

    大伴家持鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこのやど今日は食事会つやつやの胡麻豆腐一緒の倍さまとカラシ様は掛け汁も飲んでいた確かに美味しいけど五月の八寸色々チマキ凄く美味し煮物椀はハモとじゅんさい美しいお造り揚げ物加茂茄子の揚げ煮と伊勢牛焼物イサキの塩焼とこごみの天麩羅下ろし胡瓜ご飯はトウモロコシ青豆ご飯に干し海老なめこのみそ汁と香の物お菓子は金団美味しいものを食べて辛いことは忘れよう古しと人は思へれど

  • 花橘の宿かれて

    時鳥花橘の宿かれて空にや草の枕ゆふらん京極為兼キョウゴクタメカネ京極為兼きょうごく-ためかね1254-1332鎌倉時代の公卿,歌人。建長6年生まれ。京極為教の子。持明院統の伏見天皇に信任され,京極派をひきいて歌壇で活躍。一時佐渡に流される。のち権大納言。正二位。二条為世との論争にかち,「玉葉和歌集」撰者となる。晩年土佐に流され,元徳4=元弘2年3月21日河内で死去した。79歳。「続拾遺和歌集」以下の勅撰集に132首はいっている。今日はお弟子様のお茶事何回がお茶事に伺った先生より「こんどはお茶事に呼んでほしい」とのお言葉今わが家では茶事をすることはできないまずは茶事をやりとげる、気力がないのだそこで毎月茶事を披いているお弟子様の所へ横流しわたし目はお弟子様の用意した懐石をただ茶事の順番に熱くしたり冷たくし...花橘の宿かれて

  • むらさきと白と菖蒲

    与謝野晶子むらさきと白と菖蒲は池に居ぬこころ解けたるまじらひもせで今日は文の会いつものイタリアンでランチ土曜日は予約しないと席はないグラスワインとおつまみパスタを二種類ランチなのでサラダが付くお腹はちょうど良い家に戻って夏みかんとカステラ珈琲2杯和菓子ひとつお薄二服おしゃべり止まず文の会の伊勢物語を読むはほんの少しだけ読んだむらさきと白と菖蒲

  • 小侍従 コジジュウ

    小侍従コジジュウ和歌・歌人151待つ宵のふけゆく鐘の声きけばあかぬ別れの鳥はものかは(新古1191)こじじゅう【小侍従】平安末期の女流歌人。女房三十六歌仙のひとり。石清水八幡宮別当紀光清の娘。二条天皇、のち高倉天皇に仕えた。平家物語の月見の章に、藤原実定との和歌の贈答により「待宵まつよいの小侍従」とよばれた挿話がある。家集「小侍従集」。生没年未詳。写真は旧芝離宮恩賜庭園令和5年5月24日(水)~5月27日(土)18時30分~21時30分(最終入園21時)ライトアップイベントを開催とテレビで放映された幻想的だ小侍従コジジュウ

  • にたりやにたり水の影

    杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日は木曜稽古でもなぜか今日はお弟子様が少ない午前に二名午後は二名そして夜は一名二ヵ所で点前をするので、わりと早く終わってしまう。まあのんびりして、気楽だ今月で月次ツキナミの茶会が終了した必ず覚えなければならない点前もない茶会があれば道具を調べておかないと席中での挨拶はできないが茶会がなくなったので覚えなければならないこともないからリラックスそれは私も同じ次の道具を考えなくてもよいし使った道具の片付けも不要リラックス中だし次に頑張ればよいことにしようにたりやにたり水の影

  • 白雲影裏笑呵呵 ハクウンエイリ カカトワラウ

    今日の掛物は白雲影裏笑呵呵ハクウンエイリカカトワラウ影裏とは光の当たらない所。また、物陰。かげうら。筆者は金閣寺住職の村上慈海ムラカミジカイ就任期間は昭和39年1月~昭和55年3月明治35年、愛知県に生まれる。大正5年、鹿苑寺にて得度。大谷大学哲学科を卒業後、天龍寺僧堂で修行。昭和10年、鹿苑寺住職となる。相国寺派宗務総長、慈照寺特命住職などを歴任し、(財)禅文化研究所理事長に就任。この一行は碧巌録ヘキガンロク第七十四則金牛和尚キンギュウオショウ呵呵笑カカトワラうの中の白雲影裏笑呵呵、兩手持來付與他。若是金毛獅子子、三千里外見訛。意味は白い雲が輝く下で、はっはっはと笑い、両手で持ってきて、他人に与える。もし菩薩であるならば、三千里の彼方の下心がわかるぞ。というが頭に入ってこない【碧巌録】ヘキガンロ...白雲影裏笑呵呵ハクウンエイリカカトワラウ

  • 西行 サイギョウ

    西行サイギョウ和歌・歌人150道のべの清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ西行[生]元永1(1118)[没]文治6(1190).2.16.平安時代末期の歌人。姓,藤原。俗名,佐藤義清(のりきよ)。父は左衛門尉康清。母は監物源清経の娘。北面の武士として鳥羽上皇に仕え,左兵衛尉にいたる。23歳のとき出家,法名,円位,また西行と呼ばれた。真言宗に属し,多く高野山に住み,奥羽,中国,四国などを遍歴,勧進などに従った。晩年は伊勢に移り,2度目の奥州旅行から帰ったのちは河内国弘川寺に住み同地で没した。在俗時代から和歌を詠み,出家後は修行のかたわら作歌に精進,寂念,寂然,寂超ら大原三寂,藤原俊成と親交があり,次第に歌名も上がった。しかし,宮廷やその周辺の貴族の家などで行われた歌会や歌合には参加していない。旅先で...西行サイギョウ

  • ほとゝぎす一鳴なきて

    橘曙覧タチバナアケミほとゝぎす一鳴なきてくゞりつる枝見るたびになつかしの陰橘曙覧【たちばなあけみ】江戸末期の歌人。姓は井手。号は志濃夫廼舎(しのぶのや)など。生家は福井石場町の紙商。初め日蓮宗の僧明導に仏教学・詩歌を学ぶ。以後国学を志し,飛騨高山の田中大秀に入門,本居宣長の学統を承継。勤王の歌人。35歳のとき家業を離れ,赤貧に甘んじた。今日は月曜日平日なので病院に行くついでに郵便局で振込ついでにみどりの窓口で新幹線の切符を買う今日の用事は済んだねほとゝぎす一鳴なきて

  • 矢車菊の話し

    今日は昨日のブログを読んでくれた従姉のガゼータさんからの矢車菊の追加のはなし下記はガゼータさんのメール矢車菊学名説明ありがとう!早速ギリシア神話事典やら、ハーブ図鑑を引っ張り出しました。そう!ケンタウロスは半身半馬ケンタウロス属の中でも一番の賢者はケイロン。なかにはいやらしい奴もいる。あるときケイロンはヘラクレスの矢で傷つき、馬だから川に行き、たくさん生えていた矢車菊で傷を癒やした。ケイロンは医学の心得もある。ギリシア最大の英雄輝ける神アキレウス。ケイロンから武術と学問を授けられた英雄イアソン。ケイロンに出生時から育てられ、医学の父といわれている医神アスクレピオス。長々と書いてしまって失礼しました。○○ちゃんのブログで目が覚めました✌️🐱😽知りませんでした。有難う御座いました。ガゼータさんまた教えて下さい...矢車菊の話し

  • 矢車菊 ヤグルマキク

    竿揺れつ矢車迅き幟ノボリかな爽雨ソウウ皆吉爽雨ミナヨシソウウ福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1946年に「雪解」を創刊・主宰。(ウィキペディアヨリ)今日はお弟子様の秋さんの所で初心者の茶事の稽古一汁五菜一から懐石料理をつくる味噌汁向付煮物椀焼物預鉢進肴小吸物八寸香の物準備が出来たら主客わかれて茶事の稽古写真はヤグルマギク野生種は青紫色で、種名の「cyanus」は「あさぎ色の」という意味である。属名の「Centaurea」は、ギリシャ神話のケンタウルスから。古代エジプトでは青い花が魔除けとされミイラの胸のところに飾られていた。古代エジプトのツタンカーメン王の墓からも発見された。矢車菊ヤグルマキク

  • 鉄線の花

    鉄線の花さきこむや窓の穴龍之介今日は火曜日と同じくお弟子様の茶事の水屋火曜日と同じく茶事の流れにそって一汁五菜前回は温かいもの熱すぎたらしい今回はほどほどにご飯を炊きあらかじめ決めておいた一文字を盛る時間が迫ってきたでも主客の挨拶がなかなか終わらないもうそろそろ終わりにしてご飯が出来上がってしまう手をぐるぐる回したらわかった様子一文字の芯が少しある御飯ちょうど良い具合まずは無事に終わって安堵写真は若い友達が送ってくれた名前がわからないのでグーグルの写真検索で調べたクレマティス・プリンセスダイアナ原産は北アメリカキンポウゲ科属:クレマチス(プリンセスケイト)開花は晩春から初夏頃に最も沢山の花が咲き、秋まで散発的に花が開花する事がある。鉄線の花

  • 杜若 似たりや 似たり

    杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日は木曜稽古朝九時半から三時半頃迄昼間の稽古は四名そして夜には三名の生徒さんが見えるその間は一休みおやつを食べて一眠りスッキリしたところで早めの夕御飯を食べよりハッキリ夜七時やってきたお弟子様のうちの二名のお稽古は少なくて月に一度か二度だでも休まず続ければそれなりに上達お点前の言葉が通じるようになりお点前も早くなったすこぶる快適である機会があれば一緒に茶会に行こうねお茶の楽しさを知って欲しいから写真はゴイサギほぼ全国の水辺に広く生息する、ずんぐりしたシルエットの中型のサギ。本州では一年中見られる留鳥。特徴は頭頂から背中にかけての紺色と、顔から腹側の白い羽毛。翼や尾は薄い灰色なので一見、紺と白のツートンカラーに見える。くっきりした紺色と白のコントラスト、後頭部から伸びた白い冠毛...杜若似たりや似たり

  • 大悟不拘於小節

    大悟不拘於小節ダイゴショウセツニコダワラズ大いなる悟りも瑣末なことにこだわっていては得られない筆者は萬輝宗旭バンキソウキョク宝永4年(1707)~天明3年(1783)近江の人。徳禅寺の天渓紹策の法嗣。宝暦7年(1757)、出世開堂して大徳寺370世となる。東海寺の輪番をつとめる。今日は水曜稽古大悟不拘於小節

  • さ庭べの草けむりおる

    さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介今日はすこし暑かったお弟子様のお茶事に行く私はその水屋だ今日は妹さんが手伝ってくださり楽チンだった「準備はみんなやっといてね」「出汁を取ったらそのついでに、味噌汁、煮物椀の汁を作っておいてね」「仕事をわざわざ残しておかなくて良いからね」とまあ言いたいことを言うまあまあお弟子様は私の懐石のお弟子でもあったからいちおう何でも出来るはず頑張れ森金さん今日朝九時に到着あとは冷蔵庫や材料をチェック粛々とすべきことをしてお客様をお待ちするお客様四名お越しくみ出しのあと腰掛けを用意したベランダへベランダからはすぐ下に川を見下ろすまた遥か向こうには頭が白い富士山が少しだけ見える知らなかったあんなに真ん中に見えるなんていい景色だ一汁五菜風炉になればお椀他にも露を打つご飯は一文字芯の少しある状...さ庭べの草けむりおる

  • 若楓

    箒目ホウキメのあやまつ足や若楓蕪村今日は法事がありお寺へ行く午後からは雨の予報コロナ禍で久しくお参りに行けなかった母は平成29年8月に逝った今年は七回忌それと同じ年7月に亡くなった従妹のノンちゃんも七回忌合同での法事お焼香の聞きなれた香りが広がる天井の高い本堂にながながとご住職の読経の声が響いてるこうしてお経の終わるのをじっと待っているのも久しぶりだ信仰心のようなものが全くない信仰心とは神や仏、そのほかの絶対者をあがめとうとぶ気持ち写真はお寺若楓

  • 人は知らずも

    北原白秋山川とをさなかりける我さへやまさしく老いぬ人は知らずも今日は雨が降ったり止んだりでも出かけよう今日は朝日カルチャーへ藤原俊成のお勉強藤原俊成ふじわらの-としなり1114-1204平安後期-鎌倉時代の公卿,歌人。永久2年生まれ。藤原俊忠の3男。母は藤原敦家の娘。正三位,皇太后宮大夫。五条三位とよばれる。藤原基俊(もととし)に歌学をまなび,源俊頼に私淑。幽玄美をとなえ,子の定家ら「新古今和歌集」の歌人をそだてた。「千載和歌集」の撰者で,歌は勅撰集に四百余首はいっている。元久元年11月30日死去。91歳。初名は顕広。法名は釈阿。家集に「長秋詠藻」,歌論書に「古来風体抄」など。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)人は知らずも

  • 君も雛罌粟われも雛罌粟

    与謝野晶子ああ皐月サツキ仏蘭西フランスの野は火の色す君も雛罌粟ヒナゲシわれも雛罌粟ヒナゲシこの歌の雛罌粟とは異なる花でよく道端に咲いているポピーに似たオレンジの花はナガミヒナゲシと言う外来種黄色い汁に毒性があり注意素手でさわらないように繁殖力も強く他の植物が回りに咲かないような物質も出すらしいどこかで摘んで庭に植えたりしないことにしよう増えたら大変だ今日は風姿花伝のお勉強観阿弥へ世阿弥が質問しそれに答える観阿弥の教えを世阿弥が子孫のために残したもの風姿花伝というと「秘すれば花」芸事の秘伝書であり代々金春流に秘蔵されていたものを明治時代に歴史学者が発表して一般も読めるようになったとある能楽書ではあるが一般にも通ずる含蓄のある言葉に魅了される写真は鍾馗様君も雛罌粟われも雛罌粟

  • 犬吠えかかる

    虚無僧コムソウに犬吠えかかる桐の花漱石今日は木曜稽古今月五月から風炉の点前に変わった使う炭は炉の時よりはるかに小さい炭斗も小ぶりで可愛い香合は炉の陶器製から風炉は木のもの軽やかになった濃茶点前も中仕舞いがなく覚えやすいだろうしスッキリしている午後なにやら暗くなったとおもったらすごい雨が降ってきた雷が鳴り大音響と共にどこやらへ落ちた様子大自然の脅威写真の筆者は福田浩湖福田浩湖ふくだ-こうこ1883-1959明治-昭和時代の日本画家。明治16年3月14日生まれ。佐竹永湖にまなび,文展などに出品,日本南画院同人となる。同院解散後は大東南画院に属した。戦後は南画院をつくり,文人画の興隆につくした。昭和34年5月19日死去。76歳。東京出身。名は浩治。別号に三応子。作品に「竹窓閑話」「幽渓積翠」。犬吠えかかる

  • 歩歩是道場

    今日は水曜稽古掛けものは一行歩歩是道場ホボコレドウジョウ歩む一歩一歩、言動の一つ一つがすべて仏道の修行であり、我々は常に心理の真っただ中で生活しているという自覚を得よということ。その上での修行の積み重ねがあってはじめて悟りの絶対境「百尺竿頭ヒャクシャクカントウ」に達することが可能になる。『成語林』百丈竿頭とは→到達すべき最高点、向上しうる極致のたとえ。歩歩是道場

  • 木隠れて

    木がくれて名誉の家の幟ノボリ哉蕪村今日はお習字の日新人が参加端午の節句に鯉のぼりを建てたとのことお孫様は元気元気の男の子らし明日はお茶のお稽古なのでまずはそのしたく風炉二つに灰型を押さねばならずなんとか仕上げたインスタントの珈琲をいれお菓子を食べるどんなときも十時と三時は欠かさずお習字の日だったが次は頑張ろう木隠れて

  • 影ひたす

    藤原定家影ひたす水さへ色ぞみどりなるよものこずゑのおなじ若葉によも→【四方】東西南北の四つの方向。転じて、まわり。諸方。歌仙絵とは、優れた歌人の和歌とその肖像を表わしたやまと絵の一つです。平安時代中期、藤原公任キントウが編んだ『三十六人撰』にもとづく「三十六歌仙絵」、鎌倉時代前期、後鳥羽院が編んだ『時代不同歌合』にもとづく「時代不同歌合絵」などがある。今日は○○研究会お昼を食べてないので駅近くのパン屋カフェでサンドイッチと珈琲のセットあっという間に食べ時間に間に合うように向かう写真は渋谷のスクランブル交差点影ひたす

  • 新茶が届いた

    点心はまづしけれども新茶かな龍之介毎年、今ごろになると新茶が届く先輩が贈ってくださるのだすぐにお電話するいつもなら受話器から弾けるような声がかえってくるのに何となくお疲れの感じだ腰痛とのこと受話器をおくとき少し悲しかった写真は薄茶のお菓子干菓子を盛るときは絵を描くようにと習った新茶が届いた

  • こころまたさびしきままに初夏に入る

    若山牧水いつしかに春は暮れけりこころまたさびしきままにはつ夏に入る今日は朝日カルチャーの「くずし字の読み方」の講座へ出かける今日読んだのは十巻本歌合の和歌の二首十巻本歌合は日本最初の歌合集成。仁和年間から天喜4年に至る約170年間の46度の歌合を収める。平安時代中期に編纂された。企画は藤原頼通。源経信が編纂。全46度の歌合のうち、38が完存、6が部分的に残り、2が散逸した。一日中風が強かった昨日は能登半島で大きな地震があり不安な塊が自分のどこかに住み着いたような感じでもでも食欲はあるから大丈夫大丈夫写真は横浜そごうのイートインたいめいけん完食満腹こころまたさびしきままに初夏に入る

  • 五月五日の残り酒

    すこしある五月五日の残り酒青畝今日は端午の節句端午の端は「はじめ」五月最初の午ウシの日のこと。午ウマの音が午(ご)とい五に通じるので、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着した。と。ネットでみた。明日は立夏国際ノーダイエットデーゴムの日コロッケの日さくらパンダの日コロコロの日宮古港海戦の日ふりかけの日アクティブシニアの日コロネの日鎌倉五郎の日熱中症対策の日こだますいかの日手巻きロールケーキの日メロンの日万太郎忌春夫忌高級食パン文化月間いろいろある写真は今日のランチ初めてのイタリアンの店コースで2,390円五月五日の残り酒

  • つくま江の

    良暹法師リョウゼンホウシつくま江の底の深さをよそながらひけるあやめのねにてしるかなつくま江は筑摩江琵琶湖にある入江。歌枕。よそながらとは余所乍ヨソナガラ遠く離れた所にいながら。他の所にいて。この和歌の良暹リョウゼンとは良暹(生没年不明)平安時代中期の日本の僧侶・歌人。出自・経歴については不明。比叡山(天台宗)の僧で祇園別当となる。その後大原に隠棲、晩年は雲林院に住んだといわれている。一説では、康平年間(1058年-1065年)に65歳ぐらいで没したともいわれている。1038年(長暦2年)9月の「権大納言師房家歌合」などいくつかの歌合に出詠している。百人一首の70番は誰もがご存知さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮良暹法師リョウゼンホウシ今日は木曜日今日も心地よい一日連休でもお茶は...つくま江の

  • 春夏の

    藤原定家春なつのおのがきぬぎぬぬぎかへてかさねしそでを猶をしむかな今日は祭日の水曜日祭日でもお茶は休まない午前中から五月の風が吹き抜ける心地よい初風炉だ五日は端午の節句端午の節句は菖蒲の節句ともいわれ、古くは邪気を祓う花として宮中では帝に菖蒲を献上し薬玉クスダマを下賜されたという。薬玉は菖蒲や蓬を束ね麝香ジャコウ、沈香、丁子、竜脳などが入った香袋を合わせて,五色の糸を長く垂らす。その薬玉は悪気を祓い長命を得るとして、重陽の節句まで柱や御帳にかけたり、肘に掛けて携帯したりした。そして九月九日の重陽の節句になると茱萸袋グミフクロに掛け変えるのだと。薬玉や茱萸袋も絵に描かれているそれぞれ掛物なら待合に宜しいものそう言えば先生から頂戴した蒔絵の折敷にとても優美な薬玉の蒔絵があったはず今度確認してみよう春夏の

  • あをき五月

    若山牧水森出でてあをき五月の太陽を見上ぐる額のなにぞ重きや今日は読売カルチャー茶話指月集の勉強宗易が、盛阿弥に、棗は漆の滓カスをまぜてざっとぬれ、中次は念を入れて真にぬれ、といいし。記三・与三が棗は、塗りみごとすぎておもくれたり。中次は秀次・藤重をよしとす。と今日の「茶話指月集」にあった。木戸から玄関までのほんの何メートルか歩くのに邪魔する伸びた枝葉を切る大きな袋に二袋あをき五月

  • 山ホトトギス今日よりぞ待つ

    和泉式部桜色に染めし衣をぬぎかへて山ほととぎすけふよりぞまつ五月になった時鳥が和歌に登場しはじめる五月の異名・仲夏(ちゅうか)・夏五(かご)・梅天(ばいてん)・早苗月(さなえづき)・午夏(ごか)・鶉月(じゅんげつ)・皐月(さつき)・南訛(なんか)・皐月(こうげつ)・盛夏(せいか)・橘月(きつげつ)・月不見月(つきみぬつき)・皐月(さつき)・菖蒲月(あやめづき)先週のことだ知らない人がピンポンして屋根の瓦が外れているから直してもらいなと言いにきたWi-Fiの工事をしたら屋根が見えて瓦の外れてるのがあったよとそういうのだ瓦のはなしはこれで三回目またいい加減な話しだろうとも思ったが一応いつもの大工さんにお願いして今朝9時にきてもらったベランダから屋根に登って屋根をぐるりと見て回るどこも大丈夫変なところはありませ...山ホトトギス今日よりぞ待つ

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