10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
よみ人しらずさつきまつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする今日は四月の晦日明日からは五月だ○○研究会今月二度目の受講そして三年ぶりの講義を受ける再開は教科書の一番はじめから勉強する先生の講義がありその後会員が教科書を読んでいく本を読み上げるのを聞いているとだんだん教科書に集中して雑念が消える先生の仰っていることが自然に染み込む気がするその教科書とは「茶碗の基礎知識」確か二冊持っているはず家中探しに探したこっちとあっちの本棚無かった他のありそうなところを探したが無い出てこない見つからないあきらめて日本の古本屋で買ったそれが今日何気なく先生のところの棚の片隅に置いてあったここかいくら探してもなかったはずだそういえば思い出した重たい本なので特別に置かせて頂いてあった事をすっかり忘れていた三年ぶりにあった会...昔の人の袖の香ぞする
掛けものは伊勢物語伊勢物語は私の文の会で長らく音読しているのだが突然目の前に現れてもなんだかわからないようやくむかしと読めた伊勢物語91段昔。月日のゆくさへなげく男。三月つごもりがたにをしめどもはるのかぎりのけふの日の夕暮れにさへなりにけるかなアイさんから電話明日、川口で茶会があるけど、来られませんかって残念明日は用事がありましてでも茶会に行けるほどお元気なんですねアイさんは今年89歳次は是非ともご一緒にそれから久しぶりに友人に元気かしらと電話したら毎日ブログ見てるわよって嬉しいね大したこと書いてないのに有りがたいがんばろ今日でブログ開設より5272日年365日で割ると14.44年書くのを忘れた日もあるけれど基本は毎日書くように努力でもなかなかどうして書く材料も力量も無いその上写真を撮るのは忘れてばかりが...春のかぎりの今日の日の
寂然ジャクネン和歌・歌人149秋は来ぬ年もなかばにすぎぬとや荻吹く風のおどろかすらん吹く風に花橘やにほふらん昔覚ゆる今日の庭かなさらぬだに重きが上の小夜衣わがつまならぬつまな重ねそ寂然ジャクネン生没年未詳1118-?,平安時代末期の官人、歌人。「じゃくぜん」とも。俗名は藤原頼業フジワラノヨシナリ。勅撰集『千載和歌集』以下に47首入集藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の四男。官位は従五位下・壱岐守。今日は金曜日ゆっくりのんびりできるかな写真はうちのミーちゃん寂然ジャクネン
朧の夜五右衛門風呂にうなる客夏目漱石今日は木曜稽古掛けものは一行洛陽牡丹新吐蘂ラクヨウノボタンアラタニズイヲハク牡丹は中国で約1500年の栽培の歴史を持っている。紀元前から薬用植物として栽培され『神農本草経』にも記載されている。唐の長安(洛陽)で盛んに栽培された。秋さんに聞くと洛陽の牡丹は有名ですよとのことこの一行は対句になっている一口吸盡西江水イックニキュウジンスセイコウノミズ洛陽牡丹新吐蘂柴山全慶編『禅林句集』によると「悟りの上の自由なはたらき。又妄念を掃蕩し盡し、脱落の妙境に入るを牡丹に喩う」とある。むーずかし利休居士は古渓和尚に参禅し、「一口吸盡西江水」によって大悟したという写真はお弟子様アイテラ氏からの芍薬朧の夜オボロノヨ
伊勢水の面にあや織みだる春雨や山の緑をなべて染むらむ今日は水曜稽古朝から雨庭の木々は枝葉を伸ばす狭い道がますます狭くなりこの雨ではちょっとでも触れると衣服が濡れてしまう新聞を取りに出たとき椿や水木の伸び出た枝を切った羊歯も大きく伸びて足元を邪魔する急遽、花鋏でチョキチョキ雨が降ってるので私はびしゃびしゃと濡れたけど少しさっぱりしたかも雨の中を順にお弟子様が見える今日のお菓子は山路のツツジとわらび餅山の緑をなべて染むらむ
藤原定家くれぬなりあすも春とはたのまぬに猶のこりける鳥のひとこゑ友人からエビネを貰った明日は間違いなく雨というから今日中に植えようと庭に出る網戸を開けたが履物がないサンダルをとりに行こういやいや開けたままだとわが猫が外に出てしまうかもしばらく猫の姿は見なかったがやはり締めておこうと戻ってみるとわが猫のミーちゃんがすでに濡れ縁に出てエアコン室外機の匂いを嗅いでいるではないかえっうそいつきたのか知らない間にきてもう外に出ているそっと逃げないで逃げないで私も忍び足で近付いた猫が外に出てしまうと大変戻ってくるまでずっと心配なんだからね後ろからそっとエイヤっと捕まえたやれやれ写真は植えたばかりのエビネあすも春とはたのまぬに
拂水柳花千萬點隔樓鶯舌兩三聲元稹低翅沙鷗潮落曉亂絲野馬草深春菅丞相人無更少時須惜年不常春酒莫空小野篁劉白若知今日好應言此處不言何源順いたづらに過ぐる月日は思かれど花見て暮す春ぞすくなき藤原興風今日は四月末だが今日は薄ら寒い3年ぶりに再開した○○研究会へかつて行きなれた道を歩く途中の家々の様子が変わっている三年の間の変化だ写真は帰りに寄ったいつものイタリアンちょいのみセットとパスタ調子にのってちょいのみなんて頼んだが和漢朗詠集暮春
朧の夜五右衛門風呂にうなる客漱石いつものイタリアンで待合せバイ様とワインとおつまみパスタを2種頼んでシェアしたけっこう満腹今日は伊勢物語の音読ちょっとお腹に力をいれないと声が出ない内容を考えながら読むが読み下しを読まないと何なのか理解できない文字を見て声を出すことが眼目朧の夜
物好や匂はぬ草にとまる蝶芭蕉蝶の羽の幾度越る塀のやね芭蕉今日は気持ちの良い大気気分の良いみどりの風が吹く薫風自南来わが庭にも蝶が来た写真の今、掛けてある軸は一応大和絵らしいが内容は不明公卿と武士が相対しているきっと意味があるのだろうでも内容は不明わからないものを解き明かしていくこと半年でわかるか10年でもわからないかそれも不明匂はぬ草にとまる蝶
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけり〈ませ〉とは竹・柴を荒く編んでつくった垣。まがき。 今日は木曜稽古透木釜ともうひとつの炉には自在と手取釜手取釜の名称は室町時代末以後の茶会記に数多く見受けられ、この頃、天命(現在の栃木県佐野市)で盛んに鋳造されていた。とネットに見つけた写真は庭の二人静千両科。センリョウ属・2本の花穂の先に米粒のような白い花をつける。花穂は1本や3本、4本のときもある。・静御前とその亡霊の舞姿にたとえた。<静御前>源義経の側室で、吉野山で源頼朝に捕らえられ、鎌倉の鶴岡八幡宮で義経を慕う歌を歌いながら一人で舞を舞った。似ている植物に一人静があるこれも千両科。センリョウ属花にむつれて飛ぶ蝶の
紀貫之池水に咲きたる藤を風吹けば波の上に立つ波かとぞ見る今日の掛けものは大徳寺510世の上田義山「無」「無」と言えば趙州ジョウシュウ和尚、因チナみに僧問う、「狗子クシに還って仏性有りや無しや」。州云く、「無」。これは無門関の第一則「趙州無字」犬にも仏のいのちがありますか、または無いのでしょうか。趙州答えていわく、「無」。この無とはあるなしの無を超越した無だというがさてさて難しい池水に咲きたる藤
春の川橋を渡れば柳哉漱石今日は食事会薫風自南来の軸がかかる難しいことは何も考えずお喋りをしながらお料理を食べるしあわせ写真はその内の一品信楽の長皿に桜鱒の木の芽味噌海老のあられ揚げ蕗の薹の天麩羅白魚シソ巻き天麩羅海老の頭空揚げ渡れば柳
行く春や鳥啼トリナキ魚の目は泪芭蕉今日はお招きを受けてお友達の華甲の茶事へ想窓庵様とわがお弟子様三名と私目寄付は蟹の画賛蓋置は笹蟹干菓子に和三盆の蟹これで蟹が三つ。そして菊の意匠や赤色のものが登場す華甲なればこそ目出度いめでたいお肴にと私目が謡を謡う鶴亀お恥ずかし後座の床の花は紫蘭と椿ともうひとつ何だろうと写真を撮った白糸草かなシライトソウ・百合科シライトソウ属・ブラシのような白い花穂が特徴。・西日本地方に多く分布する。行く春や
線香の灰やこぼれて松の花蕪村【松の花】は春の季語松はマツ科・マツ属。開花期4~5月。別名:(千代木)チヨキ(時見草)トキミグサ(常磐草)トキワグサ花言葉:「不老長寿」「同情」「哀れみ」「慈悲」「勇敢」「向上心」「かわいそう」「永遠の若さ」色々ある今日は日曜日しなければならない片付けがあるのだがお天気病がきつい午前中はやる気が皆無二時頃少しずつ回復あとはのんびり明日のしたくをしよう写真は雨ごとに枝葉を伸ばす木戸のいろは紅葉松の花
藤原俊成草も木もあまねく芽ぐむ春雨に袖は濡れてもかひなかりけり朝から雨が降っている全く止む気配はない低気圧で体が重いいや食べ過ぎで重いのか昨日も寝落ちブログを書けなかった寝落ちは糖のとりすぎと広告ひびく写真は庭の黄エビネエビネは・開花時期は4/15~5/15頃。・日本原産。・名の由来は、地下に連なっている茎と、そこから生えている根の様子が、まるでエビの頭を指でつまんで持ち上げたように見えるところから。1600年代の書物にはすでに海老根の名が出ているほど、昔からよく知られた花。・黄色の「黄海老根」(きえびね)もある。また、エビネの仲間はほとんどが春に咲くのに対して、真夏に咲く「夏海老根」という種類もある。と(季節の花300ヨリ)あまねく芽ぐむ春雨に
吉野山かすみの奥わ知らねども見ゆるかぎりはさくらなりけり知紀画も今日は木曜稽古掛けものは八田知紀八田知紀ハッタトモノリ1799-1873江戸後期-明治時代の歌人。寛政11年9月15日生まれ。薩摩鹿児島藩士。京都詰めの間に香川景樹にまなび,桂園派の有力者となる。維新後,宮内省にはいり,歌道御用掛をつとめた。明治6年9月2日死去。75歳。通称は喜左衛門。号は桃岡(とうこう)。家集に「志能布久佐(しのぶぐさ)」,歌論に「しらべの直路タタジ」など。(日本人名大辞典ヨリ)吉野山
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へばうらうらに→○春の日光が美しくのどかなさま。うららか。○蒸気がのどかにのぼるさま。今日は水曜稽古木戸を開けると外の紅葉の若い枝葉が驚くほどに伸び垂れ下がってるわが家の狭い狭い庭だが足元には日陰を好む春の野草が群れてる葉はまだ柔らかく黄緑とうす緑天気はまあまあだが風が強めだその風が揺らす鳴子百合と宝鐸草スミレも見える奥には二人静いい気分まだ虫も蚊も出てこない通り抜ける風も気持ちが良いうらうらに
流れ来て清水も春の水に入蕪村今日は火曜日お習字の日だでもでも今日はお片付けせねば明日のお稽古に間に合わないお習字はまたにしてひたすら道具をしまう準備そこへタクシーから降りてきたサカチカさんちょうど良いところ片付けを手伝ってもらった明日はお稽古透木釜と竹自在に手取釜もう釣り釜の鎖はしまってもいいかな椿の花はもう終り何か探そう清水も春の水に入
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけりませ→間狭(ませ)、籬垣(ませがき)今日は勉強会駅で待ち合わせお昼をまだ食べてないので近くのモスバーガーへ入った注文をするのに言葉で直接言えず今どきは画面に打ち込むのか店内かお持ち帰りか店内を選ぶ品物を選んで決定支払方法を選び決定次に番号を打ち込む画面そこでハタと止まった戻るを押してやり直しそれを何度かするのだがわからない一緒のA子さんが教えてくれた右横に置いてある番号札を手に取りその番号を打ち込むのだとなるほどすると最後まで進み注文が通ったようだ写真はその品物内容はわからずじまいで適当なセットを押した結果のハンバーガーセット焦って食べたので美味しいがなんの味かわからず味覚も衰え始めたかしらん羨ウラヤマしきもはかなかりけり
紀貫之さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちけるもう桜もおしまい写真は狩野勝川院雅信カノウショウセンインタダノブ狩野雅信かのうただのぶ、文政6年(1823)~明治12年(1879)狩野養信オサノブの子。木挽町狩野家10代目で最後の当主にあたる。名は雅信タダノブ。号を勝川、素尚斎、尚古など。弘化元(1844)年に法眼に叙され、万延元(1860)年に法印となる。橋本芳崖の師として知られる。水なきそらに浪ぞたちける
中務ナカツカサさけばちるさかねばこひし山桜思ひたえせぬ花のうへかな今日は友人のお茶事へ雨が降ると言う曇り空一応傘を持って行くが雨コートは持たず出掛けた予定より早めにしたくができたすぐに出掛ければよいのにお湯を沸かし珈琲をいれた猫舌なのですぐには飲めず飲みごろを計ってのろのろしてたらどんどん時間が経っていく乗るべき電車が決まっていたので、駅まで早足駆け足で向かうどうにか目的の電車に間に合った反省余らした時間は自宅で消化しないとりあえず出かけるべきだ駆け足で向かった茶事は美味しい懐石とお菓子お道具も素晴らしく席中は盛り上がり話題につきない茶事が一番楽しい写真はうちの庭の宝鐸草若々しいね咲けば散る
藤原定家をちかたや花にいばえて行く駒のこゑも春なるながき日ぐらしをちかた(彼方・遠方)→遠くの方。向こうの方。あちら。いばえて→馬が鳴く。いななく。春の季語日永ヒナガとは春になり、昼の時間が伸びて来ることをいう。実際は夏のほうが春より日が長いが、心理的には冬に比べて、春は日が長く感じられる。似ている言葉に【日がな一日】ひがな‐いちにち→朝から晩までずっと。一日じゅう。終日。今日は何もない日雨が降ったり止んだり庭の草木の成長に目を見張る朝ドラは牧野富太郎先生のお話し朝ドラはあまりみないが今回は見ることにしている好きな植物を研究する何もかも忘れて没頭できる好きなものあるといいね花にいばえて行く駒の
烏丸光広手折りつるこの一枝に袖触れてゆくとも風に花をまかせし写真は烏丸光広の和歌短冊烏丸光広カラスマミツヒロだと思っていたがウィキペディアやコトバンクなどではからすまるみつひろからすまでなくカラスマルらしい天正7(1579)~寛永15没(1638)安土桃山時代~江戸時代初期の歌人,書家。号,烏有子(うゆうし)。従一位光宣の子。宮廷人としての官職を歴任,晩年は権大納言正二位まで昇進。和歌は細川幽斎に師事,古今伝授を受けた。狂歌,俳諧,書画を好み,特に書にすぐれる。書は初め青蓮院流を習い,のち30代から40代なかば頃定家流を,40代後半より光悦流を学び,晩年に独自の書風を完成した。俵屋宗達と交友し,宗達の『蔦細道図屏風』などに賛や奥書を記す。著書は歌文集『黄葉和歌集』(1636),歌論書『耳底記』(02?),...風に花をまかせし
煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚夏目漱石今日は読売カルチャーの講座へ場所は横浜そごうの9階横浜駅改札口を出ると人がいっぱいで今までで一番多い感じ平日なのに春休みだからかも今日も茶話指月集を勉強したなんとか上巻をの「修了した一人では必ず挫折するだろう来月は下巻から始まるガンバろう煮て食ふか
志貴皇子石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりのけるかも昨日の先生のお話しにあった「茶筅の清め方」お茶のお点前が終わったら、すぐに茶筅を清めて整えよう。茶筅の外側は竹の表なのでつるつるしているが、裏はざらざら。そこに特にお抹茶が残ってしまう。指で挟んで、静かに元の形になるように一周。付いてるお茶をしごいて取る。水をかけて、もう一度静かに一周させて、お茶を取る。それを竹釘にかける。と。自分の稽古場では、ブラシがあるのでそれで清めて、茶筅立てに戻すようにしているが。指で清める方が綺麗になるかも、次から早速やってみようではないか。今日は月曜日お習字をする日森金先生が見えてお習字をするお習字をする日なのだがお昼だからとりあえずお湯を沸かしカップラーメンを食べてお喋りをして食後の珈琲を飲み森金先生のお持たせの豪華...早蕨の萌え出づる春になりのけるかも
佐川田昌俊サカワダマサトシ吉野山はな待つ頃の朝な朝な心にかかる夢の白雲今日は朝日カルチャーへ先生の講義を拝聴する四規七則のお話し四規は和敬清寂七則は茶は服ふくのよきように、炭すみは湯の沸わくように、夏は涼すずしく冬は暖あたたかに、花は野にあるように、刻限は早めに、降ふらずとも雨の用意、相客あいきゃくに心せよやさしく説明をしてくださるおっしゃることは至極尤もその通りなるべくそのように励みましょう写真は近所のチューリップ満開だ心にかかる夢の白雲
春雨や蓬をのばす艸の道芭蕉昨日はブログを書きはじめた途中で寝てしまったんー歳だね今日は土曜日お弟子様の秋さんちで茶事の教室懐石の準備ができたら御客様亭主半東水屋と別れる御客様は待合に見立てたソファーでお休み汲み出しでベランダに設定した腰掛へ亭主の迎付席入挨拶のあとはすぐ懐石折敷を運び「お箸のおとりあげを」燗鍋を運び一献飯器で汁替煮物椀で一献焼物預鉢進肴小吸物八寸香の物と湯桶箸を落として膳を引き菓子を出す写真はその菓子とらや製だ懐石の協力して準備してから役に別れるのだが亭主をすると懐石のしたくより点前は慣れているこんなときに無心で力の抜けた良い点前になるのだ懐石が大変なほどそのギャップで点前すれば気分がよくなる春雨や
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
青うめをうてばかつ散る青葉かな蕪村今日は水曜稽古新聞を取りに木戸を開けようと歩くと両脇から木々が迫り狭い通路が益々狭く前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない花鋏を取りに戻って伸びてる枝をパシパシ切っていく新聞を取ると帰りも左右を切って戻る時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み掃除は又だ木槿がまだ咲かずアジサイもうちにはない水引が順次かわいい花をさかせてはいるが主にはならない半夏生も白くなり始めたそれに今年始めてさいた松明草の三種でお弟子様に花をいれてもらった木槿がさかないと毎回花には不自由する公園の木槿は咲き始めたようだが我が家は日陰のためまだまだ花を何にするかいつも苦労する友人宅では野草園のように茶花を育てていたが狭い狭い庭では限られたものだけ日頃の回りの植物は良く観察...散る青葉
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会