さし向きの目処は米寿や竹の秋ひよどり一平(さしむきのめどはべいじゅやたけのあき)・・・・・・・ゴロがいいので、「めどは米寿」と言い続けていたら、ほとんど米寿になってしまった。かなり長生きをしたものだ。だからと言って、「もう結構です」と言っているわけではない。妙な言い分だが、両親が早く逝ってしまった残りの年齢も考慮に入れて、まだ暫くは頑張ってみるつもりだ。指し向きの目処
難聴のわれに菜の花咲きにけりひよどり一平(なんちょうのわれになのはなさきにけり)・・・・・・・「おおいに弱っている」というほどの難聴ではない。が、今の私にとって難聴問題は、ひとつの重大なテーマかもしれない。なにしろ我が家の山の神どのは、かなり聴力が立派らしい。だからテレビの音量を絞りたがる傾向にある。その点、私の聴力はダメだ。テレビのチャンネル権などはどうでいいのだが、どうせ視聴するなら、音量は十分に確保したいと思っている。キレギレに聞こえるようなテレビなら、観ないほうがよほどマシ。菜の花とビルと耳
俯いて土手行く男春寒しひよどり一平(うつむいてどてゆくおとこはるさむし)・・・・・・・まだまだ名前のみの春だ。土手を吹く風は寒い。ポケットに手を突っ込んだ男が、土手の道を足早に歩いている。鬱屈する思いがあるのだろうか。土手行く男
いぬふぐり女に見せたいから元気ひよどり一平(いぬふぐりおんなにみせたいからげんき)・・・・・・・気に入りの野原に行ってみた。まだ季節には早そうに思ったが、オオイヌノフグリがちらほらと可憐な花を咲かせていた。季節に先駆けて咲いてくれる野の花だ。膝を折ってシャッターを押した。まだ二輪しか咲いていなかったので、まあまあの感じで撮れた。沢山咲くとなかなか焦点が合わない。みんなを綺麗に撮ろうと思うからかもしれない。「すべての花をよく摂ろうと思わずに、その中の一つに思いを込めて撮ってみなさい」以前、プロの写真家から、同じようなことを言われた。・・・・・・・俳句も同じようなものかもしれない。欲張りはいけないのだ。人間様に対しても同じこと。・・・・・・・明日は野暮用で都心へ。多情多恨はまずい?
まんさくや辺り構わぬ子等の声(まんさくやあたりかまわぬこらのこえ)・・・・・・・久し振りの柔らかい日和だった。子供たちの声が遠慮なく辺りへ響きわたった。子供たちの目は、目立たないまんさくの花に気を取られていなかった。花が咲いているという意識もなかったかもしれない。当のまんさくもそれで十分に満足だった。それで満足
鷹化して夫婦の鳩となりにけりひよどり一平(たかかしてめおとのはととなりにけり)・・・・・・・暦の上では三月の半ばころ、鷹が鳩に変身してしまうのだそうだ。夫婦の鳩の写真があったので、少し早かったのであるが、鷹の変身としてしまった。・・・・・・・冬の五輪が真っ盛りだ。運不運による勝敗の行方を、じっくり見させてもらっている。鷹化して鳩に
晩節の覚束なしや春の雪ひよどり一平(ばんせつのおぼつかなしやはるのゆき)・・・・・・・なんとも覚束ない日々を送っている。何がどうと言うことはないが、とにかく覚束なくて、頼りないのだ。コロナの所為だとは思っているが、そんなことばかりを言ってもいられない。ここのところ幾日かは、日に数千歩を目途として歩くことにしている。歩けば歩いただけの効果はあると思っている。暫くの間は、歩くことにポイントを置いて動いて見たい。効果はあるのだが、雪や雨や風やその日の気分によって、サボることがある。それが問題なのだ。雪や雨や風の日には、心のブレーキがかかってしまう。それはそれで、危険予知が正常に働いているのだと思い、自粛している。ある若い友人は、毎日、スポーツジムへ通っているとのこと。年齢やコロナのことを考え、私には無理かも知れないと...春の雪
晩節の覚束なさよちゃんちゃんこひよどり一平(ばんせつのおぼつかなさよちゃんちゃんこ)・・・・・・・まさに覚束ない日々を送っています。お狐さんの纏っているものをちゃんちゃんこに見立てた一句です。晩節
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