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  • 「自分でやること」の理解

    47.誰かが教えることと、人々が互いに学び合うこと「科挙」がたどった歴史から知りえたのは、それが「名」による確かめに導かれる「教え込み」ということになることが、「実」の空洞化につながる、つまり、本人の中に本来の意味を形成することにはならないということでし

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    46.科挙という試験朱子は「為己の学」と比べて、「科挙」を度々批判していますが、一方で、朱子自身も若いころ、「科挙」を受けて合格しています。無論、その科挙というのは、朱子学が採用される以前のものですが。この本(講談社「朱子」)の中に、次のような箇所があり

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    45.学ぶ側の受け止め方 なぜ「教えられる」ことが問題なのかは、それが「教える」という他者の、多くは「ことば」を使っての行為を「受けいれる」ことを意味するからです。それを自ら求め自分のものとする「学習」、「学びて時に習う」、学習者の行為とは違うからです

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    44. 学ぶ対象から教えられる知識へ さて、本来「為己の学」である朱子の思想は危険思想として弾圧されることになりました。その後の朱子学がたどった運命について、この書から抜き出して紹介しておきます。 朱子は過酷な弾圧の最中に世を去ったが、彼の死後、その

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    43.朱子学の官学化前回述べたことを別な角度から取り上げてみます。 講談社の「朱子」で、朱子学の骨格にあるのは儒学の経典である「大学」であるということが記されています。その中で「大学」の8条 目と言われるものがあります。物を格(ただ)して后(のち)知至

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    42.朱子学と朱子の思いは別?朱子学というのは、南宋の朱熹(1130年-1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系で、その中核をなすのが、「理気説」です。朱子学では、おおよそ存在するものは全て「気」から構成されており、一気・陰陽・五行の不断の運動によっ

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    41.「学ぶ」と「教えられる」 さて、「自分でやること」について、「学ぶ」と「教えられる」を混同していないか、ということを考えてみたいと思います。 先に、「 西洋の教育」と「東洋の学習」という言葉を使いました。 なぜそういう使い方をしたかと言うと、その「

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    40.やっていることのつながりここでのタイトルは「自分でやることの理解でした。その例の一つして「動く」ということを取り上げたわけです。それで「自分で動くということ」を、「体を動かす」ということだけではなくて、それが「頭を働かす」ことでもある、そういうに

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    39.自分でやることの理解を深める「東洋医学」の「養生」のところで、高齢者の健康のことが取り上げられていました。また、養生で大切なこととして、食事と睡眠、そして運動が挙げられていました。その中で、高齢者の場合、特に問題なのは、運動のことです。高齢化で

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    38.本人のやることと健康の結びつきの理解 前回、「医学の本で『本人の意思力』があまり言われていないことが気になる」と述べたことについて、触れておきます。 東洋医学では、病気がある、その前に未病というのがある、更にその前に養生というのがある、そういうふ

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    37.東西医学の統合の可能性「東洋医学の基本帳」という本の話をしましたが、その中で東西医学について、その違いとは別に、それが統合に向かう基になるものがあるとして、2つばかり述べています。1つは、西洋医学の源流であるギリシャ医学の医者のヒポクラテスの学説に

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    36.東西の医学と二つの脳 さて 「東洋医学のきほん帳」という本に、東洋医学と西洋医学の違いについて触れた一章があります。その中で、その違いを人間の左脳と右脳の違いから説明した箇所があります。 そういうふうに単純化してとらえることにはむ異論もあると思われま

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    35.養生は「自分でやること」 さて、養生というものを取り上げてみると、それは基本的には、それぞれが自分でやることです。それをきちんとやれば、そもそも病になることがない、簡単に言うとそういうことです。 例えば、我々は目が悪いとお医者さんに行って、場合に

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    34.養生が視野に入る 東洋医学の本を読むと、「養生」という言葉が出てきます。これは、医学を超えたものですが、その延長上にある生きかただとも言えるでしょう。 つまり「病気を治すことではなくて病気にならないことを重視する結果、養生という考え方が生まれた」

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    33.未病が視野に入る 病について、時間的にどんどん視野を広げると、病気が健康状態とつながってきます。 そこで、その間が視野に入ってきます。それを東洋医学では未病と言っています。それは「未だ病ではない」、つまり、病気になっていないが病気になる可能性のある

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    32.ものの見方を広く長く東洋医学が、道路の例で言えば全体の地図をみる、それに対し、西洋医学というのは、特定の地域について詳しく具体的にみる、そういう広い狭いということを言ったわけです。しかし、それは空間的にというだけでなくて時間的にも言えるのではないか

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    31.分析的と包括的この本(「カラダを考える東洋医学」)の中で 西洋医学と東洋医学の違いをまとめた表が載っています その中で取り上げると 分析的と包括的、心身二元論と心身一如、抽象論的と現象論的、既病を治すと 未病を直す、生活の質と養生、と言った 違いが取り上

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    30.造物主と八百万の神 西洋と東洋という分け方が正しいかどうかはともかく、生活の基盤の違いが人々の考え方を分かつということについて、ひょっとしたら、その宗教観にも表れているのではないか、と思えることがあります。よく言われるのが、西洋の方は自然界にある

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    29.ことばの共通性我々にとって、西洋医学について考えると、それぞれの専門のお医者さんがいて、それを自分で選ぶのが普通です。目が悪いから眼医者に行くとか、耳が悪いから耳のお医者さんに行くとか、それを選ぶのが分かりやすいし、それと治療のつながりについての説

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    28.病のとらえ方の違い 前回述べたことの続きとして言いたいことは、西洋と東洋といっても、細かく分けていけばきりがないのですが、一般的に言われているのは、「簡単に言うと片方が狩猟採集経済、他方が農耕経済を基にした生活の上に築かれた社会である」、単純化して

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    27.医学の生まれの違い狩猟採集経済というのは、動物を狩り、自然に育った植物を採って、それを食べて生活する、そういう経済です。それに対し、農耕経済というのは、自分たちが耕し育てたものを取り入れて食べて生活する、そういう経済です。そこで、人々が村というか

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    26.製品に関わるか、商品に関わるか さて、現代の人々が東洋医学に接すると、それが西洋医学の知識体系というものを比べて違い過ぎるのに、戸惑いを感じると思います。そこで、その近いが何から生まれたかを考えることは、我々が「自分でやること」の理解を考えるの

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    24.「動き」を軽視している現在の教育 この本(「この自然な動きが脳と体に効く―最新科学が明かす『人間本来の動き』の力」)は、心身二元論を超える内容になっています。 「心身一如というように心と体は繋がっている、筋力を鍛えるだけで自己評価が高まり、 精神

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    23.呼吸という運動 さて次は呼吸の話です。呼吸についての我々の理解は、空気を吸って吐いて、酸素と二酸化炭素とかを、肺とか細胞で交換する、そういうことでしょう。 そこで、この本は、我々がする呼吸というものの別な面についての理解を促すことになります

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    21.リズムがもたらす結びつき この本では、次に、リズムと動きについて取り上げています。 音楽のリズムは人と人との動きを結びつけます。それは脳と脳の共鳴をもとに動きを協調させる、そういうふうになっているのではないでしょうか。そして、それは同時にその個

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    20.からだに映し出されるトラウマ トラウマ(心的外傷)の理解が、我々の心身二元論を克服するのに役立つこととして、この本から少し外れますが、整体での診断のことを取り上げてみます。 東洋医学では、その治療の前提として、「証」ということをいいます。 整体で

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