39.内視と想像と妄想 「視覚イメージ」ということについて。 まず、普通にものを目で見る、そのことについて考えてみますと、我々は、当初は、単純にそのものがそこにあり、それを自分たちは「見ている」と思っていたのではないでしょうか。その時は、何人かで同じも
45.はたらきの分類と学習能力 波動の科学によると、結びついた波動の波形から事物が生ずる、「気」の運動から宇宙が形成されるということです。 時空間の広がりと様々なはたらきは、その運動の現われということになります。そこで、その運動というのが、「上下」「左
44.経絡の測定と陰陽五行と科学 本山氏の著書には、機器を使用して、エネルギーの流れを測定したことをもとに、経絡のはたらきを解き明かし、陰陽五行説をもとにした中国の経絡医学との結びつきを整理して表にしたものが載っています。 そこで、先の「体癖論」とそ
43.宗教と科学の壁を超える さて、例えば、手・足のどこかに歪みがあると、それが何らかの疾患をもたらすとして、その歪みを防ぐ正しい使い方があるとします。そういうことを、例えば、礼とか作法とか言われて、それを子供たちに伝える、それが科学的に説明できない、伝
42.手・足と神経を介してのつながり 「からだ」のつながりを科学的に説明するものとして、「リフレクソロジー」があります。「リフレクソロジー」というのは、「リフレックス(反射)」と「ロジー(学問)」をつなげた「反射学」のことで、例えば、手足とカラダのある
41.整体やヨガなどの科学的根拠「からだ」と「こころ」と言われるものの間のつながりについて、それが全て科学で明らかになっているものではありませんが、しかし、それを科学的に説明しようという努力を否定するものではありません。そういう試みがいろいろあるようです
40.「自ら」による、「理法」による「学び」 その「学び方」というのは、その人が自身の「からだ」を通して、それと自分の「こころ」とどうつながっているかを確かめ、自分なりにそこに潜んでいる「理」を知ることではないか、ということです。 仏教の「自灯明」と「
39.からだの修正と能力 磯谷先生とは、一度、話したことがあります。電話で一回だけです。亡くなられて30数年たちますから、ずいぶん前の話で、細かいことは忘れてしまいましたが、そのとき、「股関節の重要性が理解されていないこと」への憤懣を漏らされた、その語
38.磯谷療法―股関節の歪みと矯正の理解 股関節の重要性というと、思い浮かぶのは、1958年礒谷公良氏によって創始された磯谷礒谷療法です。その説明の一部を紹介しておきます。股関節の重要性の理解の参考にしてください。 礒谷療法は、股関節を矯正することにより両
37.「真向法」の「行法」と股関節の使い方と呼吸 「座法」がきまれば、次は、「行法」です。 一種から三種までは、前に倒します。四種の体操し、後ろに倒します。 その際、「股関節」を中心に倒すことと、息を吐きながらゆっくりやることです。そして、体を起こす、
36.「立腰」を組み込んだ「真向法」 腰と直接関係するのは、骨盤です。そして、その骨盤とつながっているのが下肢です。 そこで、そのつながりを理解するのに役立つのが「真向法」です。 塾で「立腰」を指導していて、骨盤周りに難がある生徒がいると、場合によっ
35.「体癖」を正すこと そこで、正しい姿勢に考えるうえで、参考にしたいのが、「体癖論」です。それのいきつくのは、重心としての腰椎ですが、一応簡単に触れておきます。 「体癖」については、いろんな人が述べています。野口氏は、12に分けていますが、その中の
34.正しい姿勢が蔵す「中庸」 そこで、ここでいう「中庸」とはどういうことか、この言葉はどこからきているかですが、アリストテレスの言葉としても有名ですが、普通に考えれば、経典の一つに「庸」がある儒教でしょう。 そこで、「中」は「偏らない」、「庸」は「庸
33.「見当違いの対応」 さて、前回の「見当違いの対応」についてです。 前回紹介した「脳機能学」に基づく、ADHD(注意欠陥多動性障害)や自閉症などへの対応に目を通すと、その原因となる脳機能に対する本人の意識や行動の用い方の指導が主で、薬とか言語を用いての治
32.「情動」の理解の参考に―「整体」と「脳機能学」から 整体協会の創始者・野口晴哉の書いたものに目を通すと、「こんなことが解るのか」ということがいくつも出てきます。体を見て、普通にいう「こころ」の問題をみてとるのです。それが、間違っていないから、操法の
31.「情動」の偏りの現われ 情動が偏るとはどういうことか、食べ物の消化吸収を例に取り上げてみます。 その過程の最初の「摂取」に偏ると、どうなるか、病気で言えば、「過食症」のようなことが起きます。そうすると、それは次の「消化」に過大な負担をかけることに
30.「怒りを遷さず」とは「怒り」というと、「論語」にでている孔子の言葉を思い浮かびました。こんな内容です。哀公(あいこう)問ふ、「弟子(ていし)孰(たれ)か学を好むと為(な)す」と。孔子対(こた)へて曰く、「顔回(がんかい)といふ者有り。学を好み、
29.「構え」は「勢い」を溜め込んだ「姿」 「姿」というのが、「勢い」の現われとすると、その「勢い」があるところでそのまま居座ると、それが「姿」に反映するということになります。 この関係を川の「形」と水流の持つ「勢い」の関係に擬してみるとします。川の
28.「姿」と「勢」 今月号の「月刊全生」(「整体協会」の会報)の、野口晴哉師による巻頭言が、「姿と勢」となっていました。ここで取り上げている「姿勢」のことなので、それを紹介してみます。 整体は姿勢を正すことだと言う人がいる。行為を外側からみればもっとも
27.情動と脳のはたらき 「情動」をどう分けるかについては、いろんな分け方かあるでしょうが、その中でよく使われるのが、大きく「五つ」に分けての説明です。そこで、ある脳科学者が、五つの調節ホルモンと結び付けて説明していますが、それを基に、「自主学習とやる気
26.こころは脳のはたらきを超えるか? 「学習能力」と「情動」の関りが、「脳科学」の対象となっているということにふれる前に、「こころ」と「脳のはたらき」の関りについて触れておきます。 「こころ」という言葉が何を指すかということで、「こころは脳のはたらき
25. 「感情」と「情動」 例として取り上げた女生徒は、学習を始める前の「立腰」で、姿勢を直そうとして肩に触れるとガチガチで、その後の母親との面談で、父親がこの子にすごく厳しく、本人が反発していて、それが原因ではないか、というようなことでした。 「感情
24.「つながり」のもたらす効果 さて、ここまで読んで、「手」で書くことがでてきたところで、「怒り肩」の女生徒の例を再び取り上げてみるとします。 この中2の女生徒は、「頑張るけれど、成績が上がらない」、父親と関係がよくなくに反発している、肩が上がり首が
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39.内視と想像と妄想 「視覚イメージ」ということについて。 まず、普通にものを目で見る、そのことについて考えてみますと、我々は、当初は、単純にそのものがそこにあり、それを自分たちは「見ている」と思っていたのではないでしょうか。その時は、何人かで同じも
38.「内と外を合わせる」こと 我々は運動する際、骨とか筋肉を使用します。その際、筋肉で言えば、表層筋と深層筋を使います。ところが、表層筋は外から見えますから、その動きを言葉で伝えるのは易しいわけです。ところが、深層筋の動きを共有するのは非常に難しいわけ
37.「内の現実」を視る―「内視」について 「目だけの経路」を使用する視覚イメージの形成を「目視」とよぶとすると、我々が(「視る」ことは全て「目視」である)と考えると、学習能力についての判断を間違うことになりかねません。 そこで、その「目視」以外の「視る
36.「『現実』を視る」ことと「目を使う」こと 「視覚イメージ」が意識にあがるケースにはいろいろあります。 現に目の前のものを視ること以外にもいろいろあります。その見たものをいったん記憶し、それを再生するケースがあります。また、コトバとか文字を介して生
35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
24.一定期間をかけての遡及学習 できなかったり誤ったりしたことの原因として、特定の事項というより、単元毎とかし小単元毎とか、そういう知識が欠けていることがあります。それは、本来、学校などで学習済みのもので、その知識の欠落がどの程度の規模のものか、本人
23.短期・中期・長期の取り組み 誤りの原因について、大雑把に言えるのは、まず「知識」の問題というのは、比較的短期に対応できるようです。例えば、あることについての理解が間違っていた、それを正しく理解し直す、それをその日の時間内にやる、そういうことが多い
22.原因と能力の結びつき 学習はうまくいかないことの「原因分析」について、「和訳学習」を例に学習の過程を取り上げたわけですが、無論、それだけで、そのまま「修正」につながるわけではありません。 その「過程」を前提とすれば、例えば「和訳学習」での単語の
21.教科学習のプロセス化 修正学習では、「解らない」「出来ない」の原因を明らかにする「原因分析」をやるわけですが、その原因分析の第一歩は「学習の経過」を明らかにすることで、そのために通常の学習の中で、その「学習の経過」のとらえ方を身につけるということで
20.過程の意識化から過程の無意識化へ さて、誤りが既成の学習によってもたらされたものとすれば、まず、その原因を知る必要があります。そのためには、まず、その学習の過程を意識に上げ、それを基に原因を特定し、それを正す学習を考え実行することになります。そして
82.「深言」ということば三層フローチャートに書き込みをやる、言葉を書き込むわけです。その言葉について、外言と内言という言葉があります。 内言とは、音声を伴わない自分自身のための言語であり、思考時に使用される。 一方、外言とは音声言語であり伝達の機能を果
81.三層間の移行三層フローチャートの書き込みを同じテーマで何人かがやるとします。その時、同じ過程を「行動」と「意識」と「深層」の各欄にどう振り分けるか、人によって違いが出てきます。我々は「意識」と「深層」の間が固定されているように考えがちですが、それは
80.深層に焦点を当てる現在の教育に問題があるなどと言えば、よくある民間による公教育の批判として受け止められるかもしれません。個々の学習過程を、三層フローチャートで分析することをやります。一人一人が書き込むことですから、全て同じにならないのは当然ですが
79. 自・他に「みえる」「みえない」さて、この三層フローチャートをなぜ研修の最初に持ってきたかと言うと、その行動と意識と深層と書き分ける、そのそれぞれについて、大雑把な違いをまず把握することです。「行動」は、自分にも他にも「みえる」。「意識」は、自分
78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも
77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ
76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その
75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事
74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。
73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう
72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から
71.「山は山にあらず」から「山は山」へ。 その意味的凝結体を使用する場合とそれが溶け合って流れる場合では、経験することが違ってきます。我々は、例えば同じものを「見る」とします。そうすると同じ経験をしているというふうに思いがちです。しかし、その「見る」
70.意味的凝結体の溶解 「対話と非対話」では、その分割された名前を持ったもののことを、意味的凝結体と言っています。そして禅の修行はこれを溶かしてしまうことだということで、禅問答もそうですが、座禅についても、「座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して
69.「山は山にあらず」 さて、禅問答の「山は山にあらず」を例に、禅が問題にする言語の意味的分節化について、 説明するとします。ですから、元の本にあるものではありません。 我々は、本来繋がったものごとに意識を焦点化するために「ことば」を使います。このこ
68.ことばの意味による拘束から抜け出す さて、言語による「意味的範疇の枠組みから抜け出す」ということについて、この書では、「山」と言う言葉について、「山は山にあらず」という禅での問答を取り上げています。 ここでは、以前、「能力の受け止め方21」で、「
67.禅の言語観について前回述べたことのあと、更に、禅の言語観として、次のように述べています。禅が内蔵するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第一義的には,一種の認識 パターンである、つまり、本来何の区別もなく、何の線も引かれていない、絶対無
66.言語を使うことによる自由の喪失さて、「喋りすぎること」の何が問題か、次のように続きます。 禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質を持っている点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずのうちにその言
65.人間は「喋りすぎる」?さて、ここまで井筒俊彦氏の著作といってきましたが、それは「意識と本質」の中にある「対話と非対話」という文章です。これには、「禅問答についての一考察」という副題がついています。その、禅問答を取り上げる前に、現代の言語理論が「対話
64.日英の「文法」の違い 「和文英訳」の学習です。最初にやる「日本文」の「論理化」については、先に取り上げました。 その後は、その「論理化された文」を「句切り」、それを「句順変換」して、「中間日本語」化します。これは、「和訳」でやったことの逆操作ですが
63.対話の可能性 そこで、井筒俊彦氏の著作の続きで、その言語による文化の伝達の楽観論を主張する人々の考え方について触れた箇所を取り出してみます。 このような悲観論に反対して楽観的な立場を取る人々がおります。この人たちの思想の背後には人間精神についての