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神話探偵団 第1作 スサノオを捜せ https://blog.goo.ne.jp/konanhina

古代史大好きの7人が神話時代の英雄を訪ねる推理小説。天皇家の歴史前の、スサノオ〜大国主神話を解明。

日本人にとって漢字は全て当て字であり、例えば、「ひみこ」は「日(霊)御子」「日(霊)巫女」「卑弥呼」と、「ひと、ひこ、ひめ」は「日(霊)人」、「日(霊)子」「日(霊)女と書くことができる。「ひつぎ」は「日(霊)継」「日(霊)続」「棺」「柩」などと書ける。 7人の男女は、ネット上の研究会で、霊人(ひと)の「霊(ひ)の国」の神話時代の謎解きに挑戦している。

日南虎男
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住所
埼玉県
出身
兵庫県
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2008/11/23

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  • スサノオ・大国主ノート159 『太陽を南から登らせる』邪馬台国畿内説

    わが国の古代史研究は「天皇家建国論」が大勢を占めているように思いますが、私は記紀・風土記と魏書東夷伝倭人条分析を通して、スサノオ・大国主7代による百余国の「葦原中国・豊葦原水穂国」=「委奴国(ふぃなのくに)」の建国からこの国の古代史研究は始めるべきと分析を続けてきました。―『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』等参照そして未だに決着がついていない邪馬台国論争については、百余国の「委奴国(ふぃなのくに)」から乱により30国が分離し、この30国は「相攻伐歴年」の後に卑弥呼を共立して「邪馬壹国連合」の「倭人国」となり、70余国の「天鄙国(あまのひなのくに)」と並立状態となり、卑弥呼の後継者争いに敗れた男王派のニニギは薩摩半島南西端の笠沙・阿多に逃げ、その4代目の山人(やまと)族の若御毛...スサノオ・大国主ノート159『太陽を南から登らせる』邪馬台国畿内説

  • 「縄文ノート197 『縄文アート論』メモ」の紹介

    はてなブログに「縄文ノート197『縄文アート論』メモ」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/岡本太郎氏紹介の「火焔型土器」の強烈なインパクト、大阪万博の「太陽の塔」(生命の樹)と「黒い太陽」、「縄文に帰れ」「沖縄に本土が復帰するのだ」のメッセージ、猪風来氏の縄文野焼きイベント(2回目は金城実氏も参加)、仕事でよく通った群馬県片品村の金精様と砂糖ツメッコ、群馬県榛東村の耳飾り館、長野県・山梨県の妊娠土偶と女神像など、縄文文化との出合いを振り返りながら、「縄文アート」がどう現代に引き継がれているか、考え続けています。本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文海人族の沖縄から北海道までの対馬暖流にのった交易・交流での出雲の位置、縄文の神名火山(神...「縄文ノート197『縄文アート論』メモ」の紹介

  • 158 縄文・古代郷土史のすすめ

    gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」で連載を始めた「スサノオ・大国主建国論」は7で中断したままですが、「2私の古代史遍歴」(221013)で全国各地の郷土史の問題点について次のように書きました。全国各地の仕事では市町村史を必ず見てきたが、不思議だったのはどこにでも必ずある縄文・弥生遺跡の次は朝廷支配が及んできた記述となり、各地にあるスサノオ・大国主一族の神社が示す歴史についてほとんど触れていないことであった。祖先霊を祀る宗教施設であるスサノオ・大国主系の神社があり、しかもスサノオ・大国主に関わる伝説がある以上、スサノオ・大国主王朝の影響が及んだに違いないのであるが、大和中心・天皇中心史観の郷土史家たちは無視しているのである。元:スサノオ・大国主建国論2私の古代史遍歴-ヒナフキンのスサノオ・大...158縄文・古代郷土史のすすめ

  • 157 温羅(うら)は「吉備王・占(うら)」

    「縄文ノート125播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論」(220226)において、私は次のように書きました。祖母の住んでいた「浦部」集落は揖保川町史によれば「占部」の可能性が指摘されており、五十狭芹彦(大物主の妻で箸墓に葬られた百襲(ももそ)姫の弟。後の吉備津彦)に殺されたと伝わる吉備の「ウラ(温羅)王」も「占王」であり、対馬・壱岐をルーツとした「占部氏」由来の地名・人名ではなかったかなどと考えていました。1温羅(うら)は「吉備王・占(うら)」岡山空襲で焼け出された父母は、吉備津神社の「温羅」の首を埋めたとされる「御竈殿(おかまでん)」の真横の借家に疎開しており、そこで私は小学生になる前まで御釜殿から回廊(スケーターで下るとスリルがある)にかけてよく遊んでいましたが、播磨の「浦部」と吉備の「温羅...157温羅(うら)は「吉備王・占(うら)」

  • 156 始祖神は「天照(あまてる)」か「産霊(むすひ)」夫婦神か?

    アイヌの人たちは自分たちを「カムイ(自然神)」に対して「アイヌ=人間」と読んでいます。これに対して、倭人は自分たちを霊(ひ)を受け継ぐ「霊人(ひと)」と呼びました。古事記序文は「二霊群品の祖」と書き、人々(群品)の始祖神を「産霊(むすひ)夫婦神」とし、出雲大社本殿の正面には「御客座五神」として天之御中主(あめのみなかぬし)と産霊夫婦神は祀られています。「客座」に祀られていることからみてこの5神は出雲土着の神ではなく、日本書紀一書(第三)がこの3神を「高天原に生まれた神」としていることからみて、そのルーツは壱岐・対馬の「海原(あまのはら)」の海人族と考えます。私たちの祖先は、子どもが親や祖父母に似るというDNAの働きを「霊(ひ)」が受け継がれると考え、死者の記憶がいつまでも残り夢にも現れることから、死者の肉...156始祖神は「天照(あまてる)」か「産霊(むすひ)」夫婦神か?

  • 155 スサノオ・大国主建国論の方法論

    考古学は遺跡・遺物の「物」からの帰納法により古代史を推理し、歴史学は主に「文献」から古代史を解明しますが、私はそれらに加えて現代に継承されている「文化・伝承」から古代史を仮説演繹的に推理してきました。前2者は科学的とみなされますが、限られた「発見物」「文献」からの推理という大きな限界があり、「未発見物」への推理を欠くことから、「新発見物」により容易にそれまでの定説がパアになる危険性があります。一例をあげると、出雲にめぼしい遺跡がないことから記紀に書かれた出雲神話は8世紀の創作とされてきましたが、荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡でのかつてない大量の銅器(銅槍・銅矛・銅鐸)の発見により、記紀に書かれたスサノオ・大国主一族の建国が物証により裏付けられました。八百万神信仰により「銅槍圏(通説は銅剣圏)・銅矛圏・銅鐸圏の統...155スサノオ・大国主建国論の方法論

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