スコータイ王朝、アユタヤー王朝、あるいはラーンナータイ王国・・・。ここまで13~14世紀に勃興したタイ族のムアン(国・都市)についてのキーワードが何度か出て…
‹スコータイ都城の中心にあるワット・マハータート› さて、今回からはいささか趣向を変えてタイ王国の城を取り上げてまいりませう。昨年もカンボジアのアンコール遺跡…
愛媛の県都・松山市街から西へ5kmほど、瀬戸内海に面して三津浜の港があります。ここは古くより道後・松山の外港として重きをなされ、近年ではレトロな街並みが残…
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スコータイ王朝、アユタヤー王朝、あるいはラーンナータイ王国・・・。ここまで13~14世紀に勃興したタイ族のムアン(国・都市)についてのキーワードが何度か出て…
‹王宮跡に立つナレースアン祠堂› 前回取り上げたスコータイから東におおよそ50km。バンコク―チェンマイを結ぶ鉄道の中間にして、スコータイへはバスで1時間ほど…
‹スコータイ都城の中心にあるワット・マハータート› さて、今回からはいささか趣向を変えてタイ王国の城を取り上げてまいりませう。昨年もカンボジアのアンコール遺跡…
愛媛の県都・松山市街から西へ5kmほど、瀬戸内海に面して三津浜の港があります。ここは古くより道後・松山の外港として重きをなされ、近年ではレトロな街並みが残…
今治市を出発したしまなみ海道は概ね大島―伯方島―大三島―生口島―因島―向島と架橋して、サイクリングロードの場合は最後は渡船で尾道へと渡るルートです。私は今治…
前回、ご紹介した能島は現在は今治市となっていますが、平成の大合併以前の平成14年までは越智郡宮窪町に属していました。今治の市街地と向かい合い、能島や鵜島を従…
海賊、あるいは水軍といふ言葉にはどこかロマンをかき立てる響きがある。愚拙が仮の住処とする関東にも里見水軍や三浦水軍、伊豆の水軍などが跋扈し、いわゆる水軍城な…
去る令和5年12月17日、元関脇・寺尾の錣山親方が逝去されました。言わずと知れた井筒三兄弟の末っ子ですが、令和に入ってから次兄の元逆鉾の井筒親方、長兄の元鶴嶺…
皆様、新年あけましておめでとうございます。ようようコロナ禍も明けて新春のお慶びを申し上げたい所ではございますが、世の中を見渡すとコロナによって隔絶された関係が…
今夏から連載を始めたアンコールシリーズ。途中、大関・霧島についての記事を挟んで、今回を含めると7本目の記事となり、はや年の瀬を迎えてしまいました。今回、いよい…
前回は土俵とアンコールの世界観の共通性を縷々として述べてまいりましたが、遺跡内を巡っていてもう一つ、相撲を想起させるものがあることに気がつきました。それはアン…
さて、この夏はアンコール・ワットやバイヨン寺院を中心としたカンボジアのアンコール遺跡を都城といふ視点から取り上げてまいりました。コロナ禍もようやく落ち着きを見…
さて、後編ではいよいよ皆さんご存知の二人の大関・霧島を取り上げてまいりますが、その前に地名としての霧島について少し説明いたしませう。 霧島といってまず思ひ浮か…
去る令和5年の5月場所、陸奥部屋の関脇・霧馬山が前の場所で優勝した勢いもそのままに11勝の好成績で大関に昇進しました。これを機に四股名も師匠の名である霧島を継…
802年、ジャヤヴァルマン2世の即位に始まるアンコール王朝。当初は現在のロリュオスに当たるハリハラーラヤ都城を都としていましたが、889年に即位した4代王・ヤ…
前回記事ではアンコール王朝揺籃の地であるハリハラーラヤ都城について主に見てまいりましたが、今回はいよいよ遺跡の中核のアンコールに舞台を移します。取り上げるのは…
さて、前回は巨大な城壁と堀に囲まれた完全無欠の宗教都城・アンコール・トムを取り上げましたが、実は802年から1431年まで長きに渡って続いたアンコール王朝にあ…
見晴るかす森の中に石造りの塔が浮かぶ悠久の都の遺址―。アンコール遺跡はクメールの花である。 カンボジアの北東部、トレンサップ湖の北に広がるアンコールの平原に初…
さて、前回記事で取り上げた舎人城について―。城主は舎人氏とされていますが関係資料に乏しく、詳らかなことはわかっていません。明らからしいのは近隣の宮城氏同様、岩…
東京都足立区に舎人といふ地名があります。足立区の位置は区名から察せられる通り、現在の埼玉県中原東部を中心とする足立郡に属していたとあって東京都の中でも北側にあ…
元大関・若嶋津の先代・二所ノ関親方が停年を迎えるにあたり、新たに元稀勢の里の荒磯親方が名跡交換により二所ノ関を襲名したのは昨年(令和4年)の2月のことです。二…
さて、前回に引き続き白河の関についてもう少しお話いたしませう。 実はいにしえより白河の関の場所についてはいくつか説があったようで、白河神社の地と共にもう一か所…
卯の花をかざしに関の晴れ着かな 時に元禄2年(1689)のこと―。松尾芭蕉と共に奥州の関門・白河関址を訪ねた俳人・河合曾良の発句です。ご存知、『奥の細道…
JR常磐線で福島県最北の駅・新地駅から西へ歩いて数分の所に谷地小屋城(要害)と呼ばれる城址があります。永禄6年(1569)、相馬盛胤によって築城され、近…
前回記事、権現堂城がある浪江町の南に隣接する双葉町。より福島第一原発に近いこの町は震災後しばらくは埼玉県加須市に町役場を移転したことでも知られています。 …
福島県の東部、いわゆる浜通りの中ほどに位置する浪江町―。恐らくB級グルメの浪江やきそばでその名をご存知の方も多いのではないでせうか。 平成23年3月の東日…
前回記事で東通村の将木館を紹介し、北東北に分布する防御性集落に関して簡単な説明を致しました。既に述べたやうに将木館を訪ねたのは斗南藩史跡の近くであったとい…
むつ市街地より県道のむつ尻屋崎線を東へ進むと東通村へ至ります。東通村といえば原発及びその関連施設で知られていますが、今回はもちろん古城を訪ねるのが目的―…
皆様、新年あけましておめでとうございます。旧年中は弊ブログにお立ち寄りいただきありがとうございました。 昨年の投稿の実績を簡便にまとめますと記事数が26本で、…
さて、今回も前回に引き続いてむつ市の城館より。蠣崎から路線バスに揺られることしばし、マサカリでいえば刃の付け根に相当する部分に広く平坦な土地が続きますが、…
青森県の北東部、津軽海峡に向かってマサカリの如く突き出た下北半島―。本州の最北端にして北は海峡を挟んで函館と相対しています。 今日、この半島の北部へ達す…
さて、前回まで坂東武者と相撲の関わりについて見てまいりましたが、この時代のヒーローと言って忘れてはならぬ存在が何といっても九郎ホーガンこと源義経です。鎌倉幕府…
前編では鎌倉期の相撲に関して概説いたしましたが、鎌倉幕府成立の前後には相撲で名を挙げた剛の者が少なからずおりますので、以下、個別にご紹介いたしませう。 ◎俣…