新潟県の下越と中越が分かれるあたり、日本海を見下ろす弥彦山は標高こそ634mと、東京スカイツリーと同等ですが、越後国一の宮である弥彦神社が東麓に鎮座し、山…
新潟県の下越と中越が分かれるあたり、日本海を見下ろす弥彦山は標高こそ634mと、東京スカイツリーと同等ですが、越後国一の宮である弥彦神社が東麓に鎮座し、山…
今はいわゆる佐渡ケ島全島をその市域としている新潟県佐渡市。平成16年の大合併以前は1市7町2村の10の自治体に分立する中で北岸の両津市が唯一の市であり、合併後…
佐渡島の玄関口と言ってまず多くの方が思い浮かべるのは恐らく北海岸の両津港でありませう。平成の大合併以前は佐渡島内唯一の市であり、県都である新潟港からフェリー…
新潟県中越地方の西方30kmほどの所に浮かぶ佐渡島。その面積は850平米に及び、北方領土を除く日本の離島の中では沖縄本島に次ぐ広さを誇ります。近世以前は一…
今回も始まりはトザイ、トーザイ。相撲における東と西にまつわる話の3回目です。前回の中編では番付の話にて終わりまして、その記載法においても東が優位である、と述べ…
さて、改めましてトザイ、トーザイ。大相撲の東西を巡る2回目でございます。前回は東西が陣営(方屋)として意味を持っていた、といふ所から余談などを差しはさんで終わ…
トザイ、トーザイ。さて、今回は相撲における東西の謎を取り上げたいと思います。相撲の東西と申しますと単に方位を表わす言葉ではなく、取組上、または番付上で重要な意…
前編では主に昭和の吊り名人を取り上げましたが、時代は平成、そして令和へ―。 平成以降の土俵で先陣を切るのが大関の霧島です。ウェイトトレーニングを取り入れた筋骨…
それは昨年の3月のこと。元関脇・明武谷の明歩谷清さんが亡くなったと聞いて不躾にもびっくりしてしまいました。引退後は一時、親方となっていたものの昭和52年に協会…
皆様、改めましてあけましておめでとうございます。今年は巳年。蛇といふと今日では余りいいイメージでは語られませんが、古来よりその不思議な姿形や生態、さらに毒を持…
新年あけましておめでとうございます。昨年は年明け早々、災害や事故が相次ぎ、何かと暗澹たる気持ちのスタートでした。年末も航空機の事故が相次ぐなど落ち着かない年で…
さて、前編の最後では朝鮮の城について概説致しました。山頂付近を石塁で囲んだいわゆる鉢巻型に谷間を囲む包谷式、山上から麓にかけて囲むもの・・・。長岩城の構造は石…
日本国内に3万とも4万ともある城ですが、その中には個性的にして異形なる城がいくつかあります。その代表例は函館の五稜郭であり、あるいは埼玉県の杉山城や静岡県の…
‹大手門付近より石崎川越しに。中央の森が広瀬神社› 広瀬城は明治2年、佐土原藩の新たな藩庁として島津忠寛の命で築かれた城です。明治2年というと廃藩置県を2年後…
宮崎県の西部、熊本県と県境を接する西米良村は日向灘に注ぐ一ツ瀬川の源流域に位置する、深山幽谷の地としてご存知の方も少なくないのではないでせうか―?公共の交通…
熊本県の阿蘇といえば阿蘇五岳と呼ばれる主峰群の周りを直径25kmに及ぶ外輪山が囲む巨大カルデラであることがつとに有名です。このカルデラは27万年前から9万年…
全長94kmといふ長大な路線を誇る第三セクターの秋田内陸縦貫鉄道。北の鷹巣駅と南の角館駅とを結ぶ鷹角線として着工された路線は長らく比立内~松葉間が未成のまま…
さて、花輪線の旅を続けてまいりましたが、鹿角市を出てさらに西へと進んでいきませう。錦木塚最寄りの十和田南駅で進行方向を逆転させた列車は米代川に沿って末広、…
秋田県の大湯といえばその響きから連想されるやうに大湯温泉と言ふ温泉街がある所ですが、何といっても縄文時代の遺跡である大湯環状列石で全国的にその存在が知られて…
秋田県鹿角市に所在する名所・錦木塚の最寄り駅として前回記事でJR花輪線の十和田南駅について説明しましたが、この名称は青森県境に位置する十和田湖へのアクセ…
大相撲の錦木をひとしきり説明した所で、その由来となった秋田県鹿角市の古跡・錦木塚についてご説明いたしませう。 錦木塚は謡曲「錦木」の舞台であり、多くの文人・墨…
大相撲の錦木という力士をご存知でしょうか?伊勢ノ海部屋に所属する幕内力士で、岩手県盛岡市出身にして最高位は小結。力の強さと腰の重さが持ち味で、土俵を降りれば分…
大相撲で65歳の停年後に希望すれば70歳まで再雇用される、いわゆる「年寄再雇用制度」が導入されてより今年で丸10年。この問題に関しましては制度の導入時(201…
前編では直近の伊勢ケ濱部屋と武蔵川部屋の事例を見てまいりましたが、それ以前はどうでしょうか。まずは時計の針を昭和30年へと巻き戻してみてみませう。昭和30年代…
大の里の歴史的快挙に沸いた令和6年の五月・夏場所。初土俵より所要7場所での栄冠はまことに新時代の幕開けをも予感させるものでしたが、何といってもその2か月前―、…
ウィアン=環濠都市から見るチェンマイの成立(後編・タイ王国チェンマイ県)
さて、前編ではウィアン・ジェット・リン、ウィアン・クム・カームといふ二つの環濠都市からチェンマイ成立の前史を概覧してまいりました。これより述べるチェンマイの成…
ウィアン=環濠都市から見るチェンマイの成立(前編・タイ王国チェンマイ県)
‘北のバラ‘の雅称を持ち、タイ北部屈指の城塞都市として知られるチェンマイ。かつてラーンナータイ王国の都が置かれ、南部とは異なる文化が花開いた一帯にはウィアン(…
スコータイ王朝、アユタヤー王朝、あるいはラーンナータイ王国・・・。ここまで13~14世紀に勃興したタイ族のムアン(国・都市)についてのキーワードが何度か出て…
‹王宮跡に立つナレースアン祠堂› 前回取り上げたスコータイから東におおよそ50km。バンコク―チェンマイを結ぶ鉄道の中間にして、スコータイへはバスで1時間ほど…
‹スコータイ都城の中心にあるワット・マハータート› さて、今回からはいささか趣向を変えてタイ王国の城を取り上げてまいりませう。昨年もカンボジアのアンコール遺跡…
愛媛の県都・松山市街から西へ5kmほど、瀬戸内海に面して三津浜の港があります。ここは古くより道後・松山の外港として重きをなされ、近年ではレトロな街並みが残…
今治市を出発したしまなみ海道は概ね大島―伯方島―大三島―生口島―因島―向島と架橋して、サイクリングロードの場合は最後は渡船で尾道へと渡るルートです。私は今治…
前回、ご紹介した能島は現在は今治市となっていますが、平成の大合併以前の平成14年までは越智郡宮窪町に属していました。今治の市街地と向かい合い、能島や鵜島を従…
海賊、あるいは水軍といふ言葉にはどこかロマンをかき立てる響きがある。愚拙が仮の住処とする関東にも里見水軍や三浦水軍、伊豆の水軍などが跋扈し、いわゆる水軍城な…
去る令和5年12月17日、元関脇・寺尾の錣山親方が逝去されました。言わずと知れた井筒三兄弟の末っ子ですが、令和に入ってから次兄の元逆鉾の井筒親方、長兄の元鶴嶺…
皆様、新年あけましておめでとうございます。ようようコロナ禍も明けて新春のお慶びを申し上げたい所ではございますが、世の中を見渡すとコロナによって隔絶された関係が…
今夏から連載を始めたアンコールシリーズ。途中、大関・霧島についての記事を挟んで、今回を含めると7本目の記事となり、はや年の瀬を迎えてしまいました。今回、いよい…
前回は土俵とアンコールの世界観の共通性を縷々として述べてまいりましたが、遺跡内を巡っていてもう一つ、相撲を想起させるものがあることに気がつきました。それはアン…
さて、この夏はアンコール・ワットやバイヨン寺院を中心としたカンボジアのアンコール遺跡を都城といふ視点から取り上げてまいりました。コロナ禍もようやく落ち着きを見…
さて、後編ではいよいよ皆さんご存知の二人の大関・霧島を取り上げてまいりますが、その前に地名としての霧島について少し説明いたしませう。 霧島といってまず思ひ浮か…
去る令和5年の5月場所、陸奥部屋の関脇・霧馬山が前の場所で優勝した勢いもそのままに11勝の好成績で大関に昇進しました。これを機に四股名も師匠の名である霧島を継…
802年、ジャヤヴァルマン2世の即位に始まるアンコール王朝。当初は現在のロリュオスに当たるハリハラーラヤ都城を都としていましたが、889年に即位した4代王・ヤ…
前回記事ではアンコール王朝揺籃の地であるハリハラーラヤ都城について主に見てまいりましたが、今回はいよいよ遺跡の中核のアンコールに舞台を移します。取り上げるのは…
さて、前回は巨大な城壁と堀に囲まれた完全無欠の宗教都城・アンコール・トムを取り上げましたが、実は802年から1431年まで長きに渡って続いたアンコール王朝にあ…
見晴るかす森の中に石造りの塔が浮かぶ悠久の都の遺址―。アンコール遺跡はクメールの花である。 カンボジアの北東部、トレンサップ湖の北に広がるアンコールの平原に初…
さて、前回記事で取り上げた舎人城について―。城主は舎人氏とされていますが関係資料に乏しく、詳らかなことはわかっていません。明らからしいのは近隣の宮城氏同様、岩…
東京都足立区に舎人といふ地名があります。足立区の位置は区名から察せられる通り、現在の埼玉県中原東部を中心とする足立郡に属していたとあって東京都の中でも北側にあ…
志村城といえば東京23区内(板橋区)にあって珍しく土塁や空堀を残す城址の一つとして比較的知られた存在です。都営地下鉄・三田線の志村山一丁目・・・もとい志村…
東京は町田市の北西部に小山田といふ地名があります。多摩の横山と称された多摩丘陵を北に背負って多摩市・八王子市と隣接し、南は境川を隔てて神奈川県の相模原市と…
去る6月3日、国技館にて元横綱・鶴竜の引退相撲(断髪式)が挙行されました。令和3年3月場所の引退より丸2年―。通常は引退後、半年から1年以内に執り行われるもの…
この令和5年の5月場所で話題となったのが二所ノ関部屋に入門した幕下10枚目格付出しの大型新人の大の里。本名は中村泰輝で、アマチュア横綱に2年連続で輝くなど華々…
松鳳山、千代大龍、豊山…。これは昨年末から今年にかけて引退した力士たちの名前です。いずれも三役、もしくは幕内上位で活躍した力士たちであり、本来であれば相撲協会…
さて、前編にて近年における相撲部屋の継承事情について概説いたしましたが、そもそも部屋が継承されないことの問題は奈辺にあるのでせうか―? まず第一に考えられるの…
元大関・若嶋津の先代・二所ノ関親方が停年を迎えるにあたり、新たに元稀勢の里の荒磯親方が名跡交換により二所ノ関を襲名したのは昨年(令和4年)の2月のことです。二…
さて、前回に引き続き白河の関についてもう少しお話いたしませう。 実はいにしえより白河の関の場所についてはいくつか説があったようで、白河神社の地と共にもう一か所…
卯の花をかざしに関の晴れ着かな 時に元禄2年(1689)のこと―。松尾芭蕉と共に奥州の関門・白河関址を訪ねた俳人・河合曾良の発句です。ご存知、『奥の細道…
JR常磐線で福島県最北の駅・新地駅から西へ歩いて数分の所に谷地小屋城(要害)と呼ばれる城址があります。永禄6年(1569)、相馬盛胤によって築城され、近…
前回記事、権現堂城がある浪江町の南に隣接する双葉町。より福島第一原発に近いこの町は震災後しばらくは埼玉県加須市に町役場を移転したことでも知られています。 …
福島県の東部、いわゆる浜通りの中ほどに位置する浪江町―。恐らくB級グルメの浪江やきそばでその名をご存知の方も多いのではないでせうか。 平成23年3月の東日…
前回記事で東通村の将木館を紹介し、北東北に分布する防御性集落に関して簡単な説明を致しました。既に述べたやうに将木館を訪ねたのは斗南藩史跡の近くであったとい…
むつ市街地より県道のむつ尻屋崎線を東へ進むと東通村へ至ります。東通村といえば原発及びその関連施設で知られていますが、今回はもちろん古城を訪ねるのが目的―…
皆様、新年あけましておめでとうございます。旧年中は弊ブログにお立ち寄りいただきありがとうございました。 昨年の投稿の実績を簡便にまとめますと記事数が26本で、…
さて、今回も前回に引き続いてむつ市の城館より。蠣崎から路線バスに揺られることしばし、マサカリでいえば刃の付け根に相当する部分に広く平坦な土地が続きますが、…
青森県の北東部、津軽海峡に向かってマサカリの如く突き出た下北半島―。本州の最北端にして北は海峡を挟んで函館と相対しています。 今日、この半島の北部へ達す…
さて、前回まで坂東武者と相撲の関わりについて見てまいりましたが、この時代のヒーローと言って忘れてはならぬ存在が何といっても九郎ホーガンこと源義経です。鎌倉幕府…
前編では鎌倉期の相撲に関して概説いたしましたが、鎌倉幕府成立の前後には相撲で名を挙げた剛の者が少なからずおりますので、以下、個別にご紹介いたしませう。 ◎俣…
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がいよいよ大詰めを迎えています。鎌倉幕府成立前後を北条義時を中心とした御家人の視点から描いた群像劇は大いに好評で、従来は余…
令和4年2月、元旭天鵬の友綱親方と元魁輝の大島親方が名跡を交換、これに伴い元旭天鵬が師匠を務めていた友綱部屋も大島部屋と改称しました。これは先代の大島親方であ…
‹川の合流部に突き出たポンカンカンチャシ› 今回の北海道旅行の目的と致しましては既に述べたとおり、廃線が決まった函館本線のうちのいわゆる‘山線‘小樽~長万…
さて、ここまで長万部を中心に話を進めてまいりましたが、新千歳空港に降り立った私は実はまずは未だ訪ねたことのなかった小樽に向かい、ここから長万部→苫小牧→新千歳…
鉄道とかにめしの町・長万部―。函館方面からの列車はここで通称・山線こと俱知安・小樽経由の函館本線と、海線こと登別・苫小牧経由の室蘭本線に分かれますが、古き…
鉄道とかにめしの町・長万部―。‘凍りついた線路は今日も~‘でおなじみの函館本線から室蘭本線が分岐する駅であり、その乗り換え客や停車時間を利用して多くの人々…
さて、交代寄合・伊那衆を巡る陣屋巡りはいよいよ佳境―。今回は喬木村の阿島陣屋を訪ねます。 喬木村が位置するのは飯田市の中心部名地のある天竜川右岸(西)で…
下伊那の中心・飯田市の市街地より南へ10kmほど下った所に伊豆木といふ集落があります。西は阿智村、南は下條村との境目に近く、昭和の大合併(昭和33年)以…
前回の松岡南城に続き、長野県下伊那郡高森町の城址から―。天竜川に沿って遡上すること4kmほど、右岸の河岸段丘上に位置する山吹陣屋を取り上げたいと思います。…
長野県南部、諏訪湖等を水源とする天竜川を中心に展開している伊那地方。東西に3000m級の山々が居並び、発達した河岸段丘上には飯田城などの規模な大きな城の存…
以上、2回に渡って5つの視点から横綱・白鵬に迫ってまいりました。すでに述べたように横綱としての前提条件は強さにあり、その点、白鵬は過去の横綱と比べても際立って…
上編で①強さ、②研究熱心と見てまいりました横綱・白鵬について考える第2弾です。今回は3ヶの視点から検証してまいります。 ③自尊心 モンゴルでは英雄視されるブ…
今更ながらではございますが、横綱・白鵬が昨年の9月場所後に引退いたしました。優勝45回、幕内勝利数など数々の記録―。朝青龍が引退した平成22年以後は白鵬の一強…
清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする―。 御存知、清水次郎長門下で、大政兄ィと並び称される小政。共に政五郎を名乗っていたために大兵の大政に対し、小柄であった…
天保13年(1842)の花会の盛況ぶりを見た飯岡助五郎はいよいよ笹川繁蔵の日の出の勢いに危機感を強めたに違いない。かねて飯岡方は笹川一家の襲撃を受けており、そ…
時は江戸も末期の18世紀中頃、人々の耳目を大いにさらった『天保水滸伝』といふ話があります。簡単に申しますと今の千葉県北部、旧下総を舞台にした侠客一家の抗争劇で…
間もなく東日本大震災より11年―。東北地方を中心に甚大たる被害がありましたが、実は関東地方においても津波による大きな被害があった場所があります。それが千葉…
年頭にご紹介した須賀山城と同じく東庄町にある沼闕城。闕とは中々見慣れない漢字ですが、‘ケツ‘とか‘か‐ける‘などの訓があり、沼闕全体では‘ぬまがけ‘と読みま…
1月15日、トンガ近海で起きた海底火山の噴火は約8000km離れた日本にも衝撃波によるという津波をもたらせるほどの大規模なものでした。南太平洋に浮かぶ島嶼国家…
前回、須賀山城の項にて建保6年(1218)に東氏が森山城を築いて移った旨をご紹介しましたが、今回、取り上げますのはその森山城です。須賀山城とは同じ島状の丘…
千葉県の北東部、今はすたれてしまった感があるがかつては映画や講談で人気を博した『天保水滸伝』の舞台となった東庄(とうのしょう)という町があります。町域の中…
皆様、あけましておめでとうございます。旧年中は弊ブログにお立ち寄りいただき誠にありがとうございました。昨年も同じやうなことを書いた気が致しますが、いまだコロナ…
前回、ヨーロッパを中心に概観したブルク系地名について。ラテン語やゲルマン人の言葉を軸として各地に敷衍した模様ですが、実はこのやうなブルク系の地名が見られるのは…
皆さんはブルクと聞いて何を思い浮かべるでしょうか―。答えとして想定されるのは概ね二つのパターンで、一つはそのものズバリ、城といふもの。もう一方は、ハンブルクや…
SLの運行など鉄道の動態保存で有名な大井川鐡道はJR東海道線の金谷駅に端を発し、その名の通り大井川を北上して千頭駅に至るまで約40kmの道程です。但し千頭…
‹金時山方面から見た足柄峠› 西の駿河から関東へ入る場合の交通路として一般によく知られるのは旧東海道が通過する箱根越えでありましょう。正月には駅伝で大賑わ…
桃太郎に続き、今回も昔話のヒーローから。鉞担いで金太郎~その人についてです。金太郎と言えばおかっぱ頭に赤い腹かけがトレードマークで、腹かけには大きく‘金‘の文…
さて、この所、妖怪やら怪物やらの話が続きましたので、今回は昔話のヒーローから題を取りたいと思ひます。むかしむかし、おじいさんは・・・で始まるご存知、怪傑・桃太…
前編では三人の「怪物」を紹介しましたがと、そのいずれもが学生相撲出身といふ共通点がありました。野球における「怪物」の例を見ると大体、甲子園やその予選での活躍か…
『稲生物怪録』ではありませんが、世間では妖怪や心霊にまつわる怪談がいつの世でも花盛りです。そうといえば相撲の歴史を俯瞰してみると時折、怪物が現れることがある。…
2回に渡って広島県三次市の城を紹介してまいりましたが、前回記事の比熊山城と関連する江戸時代の怪談に「稲生物怪録」という話があります。土台、城にまつわる怪談はあ…
江の川、馬洗川、西城川の三つの河川が合流する中州のやうな場所を中心市街とする三次。ただし、その立地は中州ではなく、三角形に形成された沖積地であり、その後背…
広島県北部にある山間の町・三次市。広島駅より鉄道で1時間ほどの所にあり、地図で確認すると広島方面からの芸備線の他、岡山県の新見市から同じく芸備線、福山市か…
岡山県岡山市といえばいかにも備前といった印象ですが、政令指定都市にもなるほどの広い市域の一部は備中に属していました。 近世、池田氏の独占支配状態であった…
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新潟県の下越と中越が分かれるあたり、日本海を見下ろす弥彦山は標高こそ634mと、東京スカイツリーと同等ですが、越後国一の宮である弥彦神社が東麓に鎮座し、山…
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日本国内に3万とも4万ともある城ですが、その中には個性的にして異形なる城がいくつかあります。その代表例は函館の五稜郭であり、あるいは埼玉県の杉山城や静岡県の…
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全長94kmといふ長大な路線を誇る第三セクターの秋田内陸縦貫鉄道。北の鷹巣駅と南の角館駅とを結ぶ鷹角線として着工された路線は長らく比立内~松葉間が未成のまま…
さて、花輪線の旅を続けてまいりましたが、鹿角市を出てさらに西へと進んでいきませう。錦木塚最寄りの十和田南駅で進行方向を逆転させた列車は米代川に沿って末広、…
秋田県の大湯といえばその響きから連想されるやうに大湯温泉と言ふ温泉街がある所ですが、何といっても縄文時代の遺跡である大湯環状列石で全国的にその存在が知られて…
秋田県鹿角市に所在する名所・錦木塚の最寄り駅として前回記事でJR花輪線の十和田南駅について説明しましたが、この名称は青森県境に位置する十和田湖へのアクセ…
さて、前編ではウィアン・ジェット・リン、ウィアン・クム・カームといふ二つの環濠都市からチェンマイ成立の前史を概覧してまいりました。これより述べるチェンマイの成…
‘北のバラ‘の雅称を持ち、タイ北部屈指の城塞都市として知られるチェンマイ。かつてラーンナータイ王国の都が置かれ、南部とは異なる文化が花開いた一帯にはウィアン(…
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‹王宮跡に立つナレースアン祠堂› 前回取り上げたスコータイから東におおよそ50km。バンコク―チェンマイを結ぶ鉄道の中間にして、スコータイへはバスで1時間ほど…
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皆様、新年あけましておめでとうございます。ようようコロナ禍も明けて新春のお慶びを申し上げたい所ではございますが、世の中を見渡すとコロナによって隔絶された関係が…
今夏から連載を始めたアンコールシリーズ。途中、大関・霧島についての記事を挟んで、今回を含めると7本目の記事となり、はや年の瀬を迎えてしまいました。今回、いよい…
前回は土俵とアンコールの世界観の共通性を縷々として述べてまいりましたが、遺跡内を巡っていてもう一つ、相撲を想起させるものがあることに気がつきました。それはアン…