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2008/07/22

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  • 過去の発言

    過去の発言を蒸し返され、今の言葉と比較して、ブーメランだなんだと炎上する政治家やタレントを見聞きするたびに、同情の念を禁じ得ないぼくなのである。だったら常に「ブレない」ことを念頭に置き、自らの言動を律すればよいではないかと考える向きもあるかもしれないが、そもそも、自分の考えやその発露である言葉がブレない人間など存在しないとぼくは思っている。もし居るとしたら、それはあらかじめ自分で書いたシナリオに沿った発言しかしないか、どこかの新興宗教団体やどこかの教条主義的政治組織に所属して、その原理にがんじがらめになっている人しかないのではないだろうか。現にこのぼくなどは、過去の言動を蒸し返されたり掘り返されたりすると、ぼうぼうと燃え盛ってしまうことマチガイなしだ。幸いそれをするのは、今のところわが妻ぐらいしかないので...過去の発言

  • 二兎物語

    「なぜこの人たちは、ぼくに次から次へと仕事を持ち込むのだろうか?」と疑問を抱いた人がふたりいる。いや、その他にもいないではないのだが、「特に」という意味でのふたりである。そのひとりは、ぼくが杜の都仙台ではたらいていたときの直属の上司(その後、その会社を独立したぼくたちはパートナーとなった)。もうひとりは、妻子とともに高知に帰ってきたぼくを雇ってくれた会社の上司(その後、彼は社長となった)。ひとりは数十年にわたって音信不通で、もうひとりは故人となってしまったので、今となってはまったく行き来のないふたりだから、「いる」という現在形ではなく「いた」という過去形で、そのふたりは、こちらの事情に斟酌することなく(少なくとも、当時はそのように思えた)ぼくを使った。といっても、そのことを恨んでいるわけではない。現在進行...二兎物語

  • 慣れ

    ある「飲み」の席である。「じゃあ喋ってくれますか?」談笑しているなか、話の流れの必然としてそう依頼されたAくんは、苦笑いしながら否定するようなそぶりをした。「いやマジよ、ねえ?」ぼくが相槌を求めると、当然のように依頼主がうなずく。「もちろん」逃げられないと観念したのか、Aくんが問う。「時間はどのぐらいですか?」ほぼ同時にぼくたちが答えた。「90分」「1時間半」「ムリムリ」顔の前で手のひらを左右にふりながらAくんが否定した。そんな無体な、と言わんばかりの勢いである。「そう言いたい気持ちはよ~くわかる。けどね、そんなの慣れやキ、、、な・れ」もちろん「慣れ」というひと言で片づけられることではないが、場数を踏むことで得られるものや身につくものは数多い。「人前でしゃべる」という行為は、それがもっとも顕著なもののひと...慣れ

  • 「変な」おじさん

    「コイツ、変なプライドがあるから」と、口の端をゆがめて笑いながら言ったその人は、ぼくの当時の雇い主。まだ二十代半ばだったぼくは、その目の前にいた。コイツとはもちろんぼくのことだ。「変な、は余計だろうが」そう思うぼくはしかし、声には出さなかった。だが、当然の如く顔にはその不満があらわれていたはずだ。今になって考えると、それこそが「変なプライド」の表出なのだろうが、当時はそれほど成熟した受け取り方ができない。そして、プライドは人一倍あったが、それが「変な」ものであるとは自覚していなかった。その場面を、四十年ほどが経過した今でもハッキリ思い起こすことができるということは、たぶん、そのような表現をされたのが初めてだったからではないか。では「変なプライド」とはどのようなものか。「変な」プライドと言うからには、「変じ...「変な」おじさん

  • 小人(しょうじん)

    ぼくのなかで理想の年寄りとは、いわゆる大人だ。オトナではない。タイジンである。大人。デジタル大辞泉には、「3.徳の高いりっぱな人。度量のある人。大人物」とあるが、ぼくが考える大人とは、たとえばこのような人を指す。些末なことに心を動かされることなく、柳に風と受け流し、危機に際しても泰然として動ぜず、好機と見るや的確な助言をする。天を敬い、人を愛し、先達には礼をもって接し、目下のものは慈しむ。怒らず恐れず悲しまず、一喜一憂することなく、すべてにおいて大局観をもって対処する。ところが現実のぼくはいくつになってもこれとは対極にいる。些末なことで動揺し、胸に受けとめて思い悩み、危機に際してはあっちへウロウロこっちでオロオロ。のべつ幕なしに口を出し、部下を閉口させる。雨が降るといっては天を呪い、暑いといっては地を蹴り...小人(しょうじん)

  • 逆なひと

    「世論の逆がおおむね正しい」と喝破したのは西部邁である。めいっぱい天邪鬼を意識していた少年時代や、眦を決してツッパっていた若いころならいざ知らず、今のぼくにそれほどガチガチの反骨心はない。なのに、気づいてみれば多数派の考えに与しない自分がいる。広く地球問題や世界情勢しかり。狭く地域社会の問題しかり。ぼくの直観が右と判断すれば世は左。この場合はなんだか右の方が怪しいぞと思えば世間は右。ことさら逆目を張っているつもりも、「世論に反対」しているつもりもないのに、「世論の反対」となっている。コレハドウシタコトダ。とは思うが、かといって自説がマチガッているとは思わない。もちろん、マチガイをマチガイと認識したそのときは、潔く自説を撤回する。それぐらいの柔軟さは持ち合わせているつもりだ。だが、多くの場合で、自分の考えを...逆なひと

  • 痛みの後先

    あれは二十歳前後のころだったか。胸、といっても横隔膜あたりが痛くなることがしょっちゅうあった。いつのまにかならなくなったのだが、その原因は未だにわからない。胸の痛みといえば少年期から六十代まで、折に触れては訪れた。これの原因はハッキリしている。もちろん、若いころには恋する少年としての胸の痛みもないではなかったろうが、たいていは不整脈である。生来の不完全右脚ブロックに、年をとってからは心房細動が加わった。三年前に手術をして心房細動由来のものはなくなったが、時おりやって来るのはたぶん、一生つきあっていくしかないと宣告されている右脚ブロックの異常ゆえだろう。三十代後半の数年間は、アレルギー性鼻炎に起因する慢性副鼻腔炎によって眉間や目の周りにたまった膿が発する鈍痛が、わが身を苦しめた。これを解消したのは医者通いで...痛みの後先

  • 愛想笑いと営業スマイル

    「つくり笑い」というと、まず九分九厘がところ、肯定的な意味で用いられることがない言葉である。だが、これにはふた通りあるというのがぼくの考えで、必ずしも否定的にとらえるものばかりではないとぼくは思っている。まずひとつは、「(おかしくもないのに)わざと笑う」という一般的な意味での「つくり笑い」で、「そら笑い」とも呼ぶ笑顔。その代表的なものが「愛想笑い」である。これには「つくり笑い」よりさらに悪いイメージがある。「おせじ笑い」とも言う。機嫌をとるための笑いだ。もうひとつの「つくり笑い」は、いわゆる「営業スマイル」である。仕事において、自らの気分や心持ちがどうあれ、笑顔をつくりそれを維持することを言う。なんだ、おなじではないか。大方の人はそう思ったのではないだろうか。だが、「あくまでぼくのなかでは」という括弧付き...愛想笑いと営業スマイル

  • 失態の理由(わけ)

    『二兎を追う』と題した意味不明のテキストを垂れ流していたことに気づいたのは今朝の8時すぎ。投稿日時を見ると14日の21時すぎだったから、ほぼ1日半にわたって晒していたことになる。即刻「下書き」に戻して保存したから今となっては人目に触れることはないが、失態に気づいたときは、恥ずかしさのあまり思わず頬が赤くなった。そこにあったのは、単語と文節の羅列。予備知識なしに見ると、全体的には何を主張したいのかわからないでもないだろうが、ぼく以外の誰ひとりとして理解できないであろう箇条書きもあり。種を明かすとそれは、ここ半年ほどの「下書き」おおよそ約30篇を拾い集めて、使えるやつには陽の目を見せてやろうと、ぼちぼちと加筆修正していたなかにあった。その多くが産まれたのは夜である。つまり、酔って鋭敏になった感覚のまま、生じて...失態の理由(わけ)

  • ◯◯の恩返し

    近ごろ、「恩返し」という言葉が好きだ。恩返しといえば想起するのが日本の昔話だ。代表的な「鶴の恩返し」は言うに及ばず、そこには「恩」という贈与に対しての返礼の物語が数多ある。近ごろのぼくに、ことさらのようにその言葉が沁みるのは、かつては当たり前のようにそこらじゅうにあったそれが、希少なものになってしまったかのような感覚を抱いているからだろう。恩を受けたならば返さなければならない。それは必ずしも直接的な返礼である必要はなく、その受け渡しの当事者以外の人にパスをするのも、立派に恩返したり得る。いやむしろ、贈与と返礼のパス&レシーブの循環がもっともそれらしく純粋に表出するのはそちらの方だろう。それもこれも含めての「恩返し」という心持ちが、なんだかとても希薄になってはいないか。そんな気がしてならない今日このごろであ...◯◯の恩返し

  • 関係性のなかで生きる

    人は他者との関係性のなかで生きている。他者との関係性のなかでしか生きられない、と言ってもいい。他者とつながることで、人は自己を確立し、発展させることができ得るのである。にもかかわらず、自己完結型の円環に閉じこもるというのは、自らの存在を認めないというのに等しい。自分というものが他者との関係性のなかでしか存在しないものであるならば、「自分らしさ」などというものは、他者との関係性のなかで決定されるものであり、そこに自分自身の選択が入る余地はない。といえば極端に過ぎるか。ではこう言おう。選ぶことはできる。だが、「自分らしさ」を選択したいのであれば、そこでは他者との関係性を考慮に入れる必要がある。そうしないと、自らの行く先を誤ってしまうだろう。自らの行く先をまちがえないためにも、「他者とのつながり」を大切にするこ...関係性のなかで生きる

  • よそはよそ

    「よそはよそ、うちはうち」子どもにとって、耳にしてこれほど憎たらしい言葉はない。もちろんその発信元は親である。今になって考えれば、何かの要望をかなえようとするときに、「〇〇ちゃんとこ(という表現であらわされる他者)」や「みんな(という表現であらわされる多数)」を持ちだして、「だから(必要だとか欲しいだとか)」と展開するのが、じつは親にとっては「飛んで火に入る夏の虫」なのは自明のことで、それなのに毎度毎度おなじ轍を踏むのは、まさに学習をしないひと以外の何者でもないのだけれど、子どもだったぼくにはそれがわからなかった。だから挑んではすぐにへし折られる。「よそはよそ、うちはうち」たしかにそれはそうに違いない。それぐらいのことは、何度も何度も繰り返すうちに理解していた。だが、こちらの意を汲もうともせず、それだけで...よそはよそ

  • まゆつばもの

    「これをすればすべてが解決」とか「これをやればすべてが上手く行く」とか、そういう謳い文句は、眉に唾つけて聞かなければならないし、そういう物言いをする人は疑ってかからなければならない。四捨五入すれば七十年も生きてきたぼくの経験から言わせてもらうが、それは、まず外れることがないという意味で真理である。予感や予想を外すことが少なくないぼくだが、これだけは自信をもって言える。ところが厄介なことに「今という時代」は、その手のキャッチーな物言いにあふれている。たしかに多くの場合のそれは、人を惹きつけるために、あえて用いているのだろう。ぼくとてウブな少年ではない。それはよくわかる。だが、その「つかみはオッケー」的発想、あるいは「土俵に上げたらコッチのもの」的手法と、扇動的かつ煽情的な物言いは、知らず知らずのうちに自らの...まゆつばもの

  • (生成AI的)胆石の記 〜エッセイにして〜

    さて、報告書はできた。次はちがう形式の文章にしてもらおう。冒頭と締めの文を指定することで希望の文体も読みとってくれるのではないか、という期待のもと、以下のように注文をした。みやうち次は、この件についてエッセイを書きたい。書き出しは、「昨夜、これまでに体験したことがない痛みがぼくを襲った。やっとのことで布団を這い出し、別の部屋で眠る妻に助けを求めた」。締めくくりは、「そんなこんなを含めた上で、手術をすることに決めた。あとはどうにかなるだろう」で。さあ、如何相成りますことやら、と期待に胸をふくらませながら待つこと数秒。返ってきたのが次の文章だ。ChatAI昨夜、これまでに体験したことがない痛みがぼくを襲った。やっとのことで布団を這い出し、別の部屋で眠る妻に助けを求めた。秋の穏やかな夜が突如として恐怖と不安で長...(生成AI的)胆石の記〜エッセイにして〜

  • (生成AI的)胆石の記 ~報告書作成(その2)~

    さて、「上の報告書を、患者である私がことの顛末を所属する会社の上司に報告する形式にしてほしい」と依頼したぼくへのGPT4.0の回答である。ChatAI以下に、その情報を基に会社の上司に報告する形式で記述します。---件名:私の健康状態と今後の調整についてお疲れ様です。私、[あなたの名前]より重要な報告がございます。私の健康に関連する問題が発覚し、これにより所定の業務に影響が出る可能性があるため、以下に詳細を述べさせていただきます。2023年1月26日の未明、私は突然の腹部激痛に見舞われ、自力での移動が困難な状態となりました。家族に支えられ、以前入院した経緯のある昭和大学江東豊洲病院に適切な治療を受けるために搬送されました。診療の結果、急性の胆石発作と診断され、治療を受けることとしました。病院での検査では私...(生成AI的)胆石の記~報告書作成(その2)~

  • (生成AI的)胆石の記 ~報告書作成(その1)~

    ぼくが発したいくつかの問いと、それに対するChatAIの回答が繰り返されたあと、つづいてAIにお願いしたミッションがこれだ。みやうち以下に経緯を記すので、上記の回答を含めた上で報告書を作成してほしい。(上の文につづいて一昨日のテクストhttps://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/e772d4d0ef971a5a977341771ce405abをそっくりそのままコピー&ペースト)いつものように、即座に出力された答えを以下に記す。AIChat#医療報告書**患者の状況と経過**2023年1月26日の午前2時頃、患者は突然の腹部激痛を経験しました。初めての体験であったこの痛みは、その強烈さから自立での移動が困難な状況に至りました。救急車ではなく、身内により昨年入院した昭和大学江東豊洲病院...(生成AI的)胆石の記~報告書作成(その1)~

  • (生成AI的)胆石の記 〜胆石問答〜

    ということで、ぼくの胆石発作についてAIChat(GPT4.0)にいくつかたずねてみた。みやうち昨夜、胆石発作が起こった。これまでに体験したことがないような激痛だった。ところが、少しするといくらかおさまった。推測するに、体勢を変えたことがよかったような気がする。この推測に理論的根拠はあるか?AIChat胆石発作(胆石症)は確かに非常につらいものです。激痛が少し和らいだのは、胆石が胆道を塞いでいたものが動いたかもしれません。体の体勢を変えることで、胆石の位置が変わり、胆道の一部が開放された場合、痛みが和らぐ可能性があります。しかし、これは主に一時的な解決策であり、胆石発作の本質的な問題は依然として存在します。長期的な解決策としては、飲食能力を増やす、肥満を避ける、適切な運動をするなど、ライフスタイルの改善が...(生成AI的)胆石の記〜胆石問答〜

  • (生成AI的)胆石の記 〜事実の顛末〜

    先々週末、2泊3日で入院していた。以下、その顛末である。1月26日。夢うつつで感じはじめた腹部の痛みはやがて激痛となり、矢も盾もたまらず半身を起こし時計を見る。午前2時ちょうど。起き上がり、やっとの思いでトイレまで行ったが何も出ない。そのうち痛みは治まるどころか、あぶら汗をともなってより一層ひどくなる。これまでに体験したことがない激痛だ。どうする?苦悶のなかで自問してみたが、いずれにしてもその前に妻に知らせねば。立とうとしたが、力が入らず崩れ落ちる。兎にも角にも声が届くところまでは、と這いずり出る。「おーい」別室に向かって声をかける。力のない声が情けない。二度目か三度目の声かけで異変を察知した妻が、あわててかけよってくる。息も絶え絶えに事情を説明すると、救急車ではなく、彼女が運転して昨年入院した総合病院へ...(生成AI的)胆石の記〜事実の顛末〜

  • サーフィンする相撲取り

    「サーフィンするダース・ベイダー」という言葉を「ダース・ベイダー」で展開して画像を生成してみた一昨日だったが(→『サーフィンするダース・ベイダー』)、となるともちろん、「サーフィン」つながりという展開も考えられる。はて、誰にサーフィンをさせたらおもしろいか?さほど考えることもなく浮かんだのが照ノ富士だった。そう、第73代横綱照ノ富士春雄である。ということで、AIChatによる「サーフィンする照ノ富士」。「照ノ富士」という固有名詞がどういう人物を指しているのかわからないのか、肝心の顔がのっぺらぼうだ。そして、その不安をあらわすように人物がごくごくちいさい(実際のところは、生成AIに感情はないので不安もないのだけど)。これではまったく話にならない。さしずめ「照ノ富士」という固有名詞ではダメなのだろうと見当をつ...サーフィンする相撲取り

  • サーフィンするダース・ベイダー

    とある教育関係の会合があった。クルマで家から40分ほどかかる道中の供はいつもの如くAudible。『ChatGPT対話型AIが生み出す未来』(古川渉一、酒井麻里子)を聴きながら会場へと向かった。到着したのは開会の約30分前、わが業界ならば既に半数以上はそろっている頃合いだが、あにはからんやそこには誰もいない。自分の所属が指定されている席につき、読みかけの本を読みながら待つことにした。と、次のようなフレーズに興味をひかれる。******Diffusersv0.15.0では、さらに強力な「Text-to-Video」の機能が追加され、「サーフィンするダース・ベイダー」などといったテキストから動画を生成することができるようになりました。(『教養としての生成AI』清水亮、p.181)******おもむろにスマホの...サーフィンするダース・ベイダー

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