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  • オヤジのあくび620

    大野一雄「舞踏譜」を読む 何だかよくわからないから読み始めたのに、読むほどに余計わからなくなってしまうようだ。例えれば音楽を言葉で言い換えることが結局は不可能なように、舞踏も言葉に置き換えることが困難なようだ。生命、宇宙、胎児、様々な言葉で「感じていたい根幹」を書いている。しかし、日常が具体表現の世界に浸かっている身としては、なかなか理解が進まない。 思うに、この書は大野一雄氏の舞踏表現に接した方に対して「いったい、あの動きは何をイメージして表現していたのか?」を本人が語ったものなのだ。だから実際に舞台を鑑賞する方が先立たないと解説だけ読んでも分かりにくい。 一般に演劇なら脚本を、音楽なら楽譜…

  • オヤジのあくび619

    森直実「大道芸人」を読む 凡人の予想をはるかに上回る凄い芸人、野毛大道芸で活躍したパフォーマーが次から次へと登場する。しかも彼らの紹介文を執筆しているのは、名のある作家たちなのだ。一人ひとりの列伝の中に命を張った芸に賭ける生き様が見て取れる。綱渡りをしながらの火吹きなど、一歩間違えば即救急車なのだ。 どんな芸人さんが出ているかって? 三味線の伊藤多喜雄さん。中学生に「南中ソーラン」の歌手と言えば、どこでも通じる人だ。帽子芸の早野凡平さん。秒刻みで仕切られているテレビより大道芸の空気感ががお好きらしい。「落ちぶれて大道芸に出ている」と呟いていた観客がいたそうだが、それは違うだろう。大道芸のライブ…

  • オヤジのあくび618

    畑中圭一「紙芝居の歴史を生きる人たち」を読む2 画家の佐藤正士良氏の聞き書きでは、氏が戦前東宝映画で働いていた話が出てきて、遠近法やモンタージュなど映画から影響を受けた技法が紙芝居の絵にも活かされていると語る。話の中には武部本一郎の名前も出てきて、錚々たるメンバーが紙芝居に関わっていた時代があったことがわかる。映画になぞらえるなら、演者は一人で演出と俳優をこなしているわけで、こんなに演じる甲斐があり、独自の劇空間をアドリブも含めて創造できる表現が今や風前の灯なのは実にもったいない。 しかしながら、仕事として生活を支えるとなると様々な課題がありそう。子どもが学校から帰ってくるのが、午後3時。その…

  • オヤジのあくび617

    畑中圭一「紙芝居の歴史を生きる人たち」を読む1 ボクは20代の頃、児童演劇評論家 富田博之氏のところで児童劇用の脚本を勉強していた時代があるのですが、その頃紙芝居について富田氏が「戦争中の活動について、戦後きちんとした総括がなされていない」と発言されていたことを覚えています。 まず紙芝居と一口に言っても、色々ござんす。この本で取り上げているのは、路上や広場で子どもたちに水飴を売りながら演じた街頭紙芝居。もはや朧げな記憶しかないけれど、ボクより少し上の世代であれば覚えていらっしゃる方もいるでしょう。 紙芝居用のケースに入れて子どもたちの目を集中させて演じる紙芝居の前は、立ち絵。今のペープサート劇…

  • オヤジのあくび616

    菊池清麿「評伝 服部良一」を読む3 朝ドラのタイトルにもなっている「ブギウギ」のリズムは、戦中上海に渡っていた服部良一が李香蘭のステージですでに使っていた。まるで戦後の音楽を預言するかのように。 そして笠置シヅ子がステージ狭しと踊り歌った「東京ブギウギ」。ボクはいわゆる「鉄」なのだけど、最近の電車は音が静かで揺れが少ないことに感心しています。特に車内で合唱団の楽譜を見たい時は、モーター音がないサハに乗る。東京ブギウギの楽想が思いついたのは、中央線の電車内で吊り革につかまっていた時だそうだ。車輪が線路の継ぎ目で奏でるリズムが名曲に変化していくのだから、いやはや大したものであります。ちなみに作詞者…

  • オヤジのあくび615

    菊池清麿「評伝 服部良一」を読む2 戦前の良一作品を代表する曲が、昭和12年淡谷のり子による「別れのブルース」。低いGから歌い出すため、本来コロラトゥーラソプラノの淡谷のりこは一晩中タバコを吹かして低く魂がこもった声が出るしたという。ボクサーの減量を思わせるような凄まじいエピソードです。 本書は副題が「日本のジャズ&ポップス史」とされていて、服部良一さんの人生を追いかけた文章の中に往年の名プレーヤーが登場する。その一人がトランペッターの南里文夫さん。横浜元町商店街から代官坂を上がると南里文夫さんが活躍していたダンスホール「クリフサイド」がそびえている。ボクはこの坂の先にある元街小学校に勤めてい…

  • オヤジのあくび614

    菊池清麿「評伝 服部良一」を読む1 朝ドラで「梅丸少女歌劇団」が華麗なダンスを披露していたように、大阪は今も昔とエンターテイメントの街だと思います。日本初のジャズバンドは、井田一郎さんによるラフィングスターズで、大阪・神戸にジャズの音色が響きます。服部良一さんの音楽人生の振り出しは、大正後期に活動していた出雲屋少年音楽隊。ここでサクソフォンファミリーのリーダーとして活躍します。やがてロシアから招かれたメッテルに大阪フィルで出会う。管楽器の技量を見込まれてクラシックのオーケストラでも演奏していたのだ。メッテルにはリムスキー・コルサコフの音楽理論を学ぶ。好対照に見えるけど、同門に指揮者の朝比奈隆さ…

  • オヤジのあくび613

    石濱匡雄「インド音楽とカレーで過ごす日々」2 カレー好きの方には、当たり前のことなのでしょうが、インドのカレーと言っても地方毎に味の特徴が違う。コルカタはアッサム茶やダージリン茶の本場だから、チャイを飲みながら人と語らう場面がたくさん登場する。本書にはシタールと同じくらい飲食の話が出てくる。 石濱さんはシタールを学ぶためにコルカタに留学していたはずだが、寝ても覚めても音楽一辺倒でないところが、生き方としてとても素敵だ。もちろん楽器練習に膨大な時間は必要なのだけど、興味関心が幅広い方向に散らばっているのだ。 留学当時の体験として、インドとパキスタンが一触即発の有事になった時のことを語っている。核…

  • オヤジのあくび612

    石濱匡雄「インド音楽とカレーで過ごす日々」1 楽器や音楽との出会い方は、人さまざまでしょう。ボクは琵琶という今の日本ではマイナーな楽器に関わっているので、なぜ琵琶をやっているのか? 尋ねられることがあります。石濱少年の場合は、中学の頃からギターを始めたものの、母親から「お師匠さん」に付いて教わりなさいとの一言。楽器教室を探しているうちに見つけたのが「シタール教室を始めます」のチラシ。ギターとシタールはだいぶ違う気がしますが、石濱少年のシタール教室通いが始まります。 一応小学校で音楽を教えていた経験があるので思うのですが、楽器や音楽は理屈で教えようとするからつまらなくなるのです。理屈? の代表選…

  • オヤジのあくび611

    柳家花緑「落語家はなぜ噺を忘れないのか」を読む タイトル通り、噺の覚え方・練り上げ方が書かれています。花緑さんのスタートはノートへの丸写し。18歳の頃志ん朝師匠に教わった「愛宕山」は語り口をそのままノートに写して読んでいたといいます。20歳になり小三治師匠に「船徳」を教わるのですが「俺は噺に小三治という装飾を施している」と言われます。自分なりに咀嚼して自分なりの演出をしてこそ、本当にその噺を身につけたことになる。 もともと噺は面白く作られている。古典落語であれば何百年も同じ噺が演じられ、今に残されてきたのですから。クラシック音楽やボクが教わった琵琶歌にも似たようなことは当てはまると思います。ウ…

  • オヤジのあくび610

    米山文明「声の呼吸法」を読む 以前米山先生の「声と日本人」を読んで、オヤジのあくびに投稿した気がします。(何だか記憶がごちゃごちゃしていますが・・)あとがきでは、その延長線上に本書を書きましたとおっしゃる。より実践的な方向に進展させて・・とのこと。ところが序章では、ヤツメウナギやピラルクが登場して、まず脊椎動物の呼吸の進化について、続いてヒトの話になっても胎児から新生児の呼吸に紙面を割いている。ちょっとまどろっこしい語り口な気がするのですが、呼吸や声に関する諸器官は、元々は何であったのか? 生まれてからどのように動き始めるのか? まずそのことを知っておくべきでしょう! という米山先生独特の論法…

  • オヤジのあくび609

    茂木健一郎・羽生善治「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本を読む。 脳はその人がチャレンジできるギリギリのものに挑戦している時が、楽しいのです。 確かにボクのことで言えば、仕事を辞めてボーッと毎日を過ごしていると、つまらなくなってしまい、また何か始めてしまう。妻曰く「泳いでいないと死んでしまうマグロ状態」だそうだ。少し似ているのかも? 新たなチャレンジが脳を刺激すると言っても、不安が踏み出そうとしたはじめの一歩を足止めさせます。その時に不安を乗り越えるユーモアが人を後押しすると言います。テレビではお笑い芸人が大活躍中ですね。昔だって日本人はとんち話や古典落語に接してきたのですから、ユーモアと無縁…

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