最近はホットプレートを使った料理にはまっているが、今度はチェリーピザに挑戦した。先ずは必要な材料を用意する。 よく混ぜ合わせ、手でこねて薄く延ばしピザ生地をつくる。ホットプレートで生地を焼き、ピザペーストを塗っていく。更にチーズものせていく。ある程度焼け
長年にわたり中国上海で日本語教師をやっていました。2018年暮れに本帰国しましたがその後も時々中国に出かけています。 日中での日々の生活の様子を紹介していきたいと思います。
このブログのほかに、 「上海日本語教師日記」 http://blog.alc.co.jp/blog/honda2043 と 「開国後の日本」 http://blog.livedoor.jp/honda2043/ というブログも書いています。 どのブログも内容・傾向がまったく違い面白いと思います。是非三つともお気に入りに登録してお楽しみください。
先日、所用で恵比寿まで出かけた。恵比寿には何度か来ているが今回は初めて駅の東側方向を歩いた。明治通り方向に歩くと橋が見えてくる。渋谷川にかかる一本橋だ。 ン? 川の中に人が見えるぞ!良く見ると、川底を浚っているようだ。橋の反対側はもう終わっているようだ。
先日、所用で池袋に出かけた折、時間調整で入ったのが池袋北口前にある「伯爵」と言う名の喫茶店。いつもは西口方向に歩きだしてしまうので、駅前にこのような喫茶店があるのには気が付かなかった。入り口は表通りから階段で上がった2階にある、レトロな感じの喫茶店だ。店
名古屋から岐阜市内に移動し、用事を済ませて後は帰るだけ。来る時は東名高速を利用したが、帰りは東海北陸自動車道から中央道経由で帰ることにした。丁度、昼食時間帯だったので東海北陸自動車道川島PAに立ち寄った。初めて立ち寄ったPAである。東海北陸自動車道の川島PA
先日、所用で池袋駅東口まで出かけた。JR山手線の線路に沿って、北側の大塚方面に歩くと駅前公園がある。公園内に二棟の社があったので御参りしてきた。向かって、左側には池袋四面塔稲荷大明神と書かれていた。右側には四面塔の石柱がある。江戸時代、享保の頃に17名もの辻
名古屋城を後にして、八事にやって来たのは上海で知り合ったYさん夫婦と4年ぶりの再会を果たすため。Yさんの仕事が終わるまで、奥さんのRさんとコメダでお茶して時間調整。ウィンナーコーヒーを注文し、シロノワールはシェアーした。で、仕事が終わったYさんの車で小さなレス
先日、JR神田駅の近くまで所用で出かけた。用事が済んだ後、折角なので近くを散歩してみた。先ず見かけたのは小川町の地名由来板。江戸時代は鷹匠たちが住んでいたので元鷹匠町だったが、第五代将軍の徳川綱吉の生類憐みの令で町名が小川町に変更になった。その後、何度も変
八事山興正寺の門前町だった八事に来たからにはお寺へお参りしなくっちゃ。興正寺は真言宗の寺院で創建は貞亭5年(1688)に弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞圓照和尚により開山された。尾張藩二代目藩主・徳川光友が帰依して、尾張徳川家の祈願所になり、「尾張高野」とも呼ばれ
早いもので4月も下旬になってしまった。3月から4月にかけて色々な桜の開花を楽しんできたが・・・(3月8日 河津桜)(4月1日 染井吉野)(4月9日 八重桜)4月22日にはもう鯉幟がならんでいた。時間の経つのは早いものだな~。時間がたつのが早いと言えば、3月24日に細長い
名古屋城を後にして地下鉄名城線で八事まで出かけた。上海時代の知人Yさん夫婦が住んでいる街だ。コロナ禍前だから、もう4年前になるが千葉市に来てもらって以来の再会だ。八事のことは今回来るまで全く知らない街だったが、江戸時代に開山された八事山興正寺の門前町だった
先日、都内に出かけた帰り、日暮里駅でJRから京成本線に乗り換えることにした。昼間は忙しくて昼食をとる時間が無かったので、日暮里で遅めの昼食にした。入ったのは駅前にある「天丼てんや」。で、何時も迷うのは注文を何にするかだ。どれも美味しくて選ぶのに困る。海老蔵
名古屋能楽堂脇の駐車場の前が正門である。手前には外堀が空堀状態で残っている。今回は時間もなく、天守閣は工事中と言う事だったので外回りを見tるだけにした。ここが正門にあたる旧大手門(旧榎多門)。少し奥に西南隅櫓が見える。説明板だけ読んで帰ってきた。本来の大手
先日、東十条に住む知人宅を訪問することになった。都内に長年住んでいたが東十条駅に降り立つのは初めてのこと。撮り鉄ではないが、思わず何枚か記録用に写真を撮ってしまった。京浜東北線の駅であるが線路名称上は東北本線なのだそうだ。勿論、停車するのは京浜東北線の電
五条橋を越えて東側にある国道を北へ、名古屋城方向に行くことにした。外堀通りを越えると、名前のとおりに深くて大きな空堀がある。途中、丸の内中学を超えたあたりに乙女像があった。名古屋能楽堂近くまで来ると大きな加藤清正像が見えてくる。傍で見ると大変な大きさであ
先日、所用で西武拝島駅まで出かけた。JR山手線高田馬場駅で西武新宿線に乗り換え出かけたが、西武新宿線そのものも遥か昔に1,2度乗ったような気がする程度。今回は終点の西武拝島駅まで各駅停車でのんびりと出かけた。隣にはJRの電車が走っている。拝島駅には青梅線、五日
四間道周辺には色々な商店があり、ぶらぶら歩くだけでも楽しくなる。子守地蔵尊の手前にあった「江戸うさぎ」という店もその一つ。名前からして面白いが、元芸者長屋を利用した江戸着物店で、貸座敷で「芸者遊び」も出来るとのこと。四間道に面した地球堂は骨とう品店で、古
早いもので、もう4月も半ば。喉が渇いた時に飲むドリンク類も、今まで飲んでいた暖かい物は段々に減るだろうな。それにしても、各メーカーはマイナーチェンジで新製品に見せて売り上げを伸ばしたいみたい。紅茶系も美味しいね。勿論、日本茶も負けていない。乳酸菌系は、これ
浅間神社から五条橋方向に北に向かって四間道を歩き始めた。白壁の土蔵が並んでいる、昔の四間道のままの風景。横道に入った角にあったのは・・・屋根神様の祠が屋根の上にのっている。社を作る土地が無かった庶民が疫病や火災から身を守るために屋根の上に祠を設置したと言
月に一度くらい行かないとヤクが切れたみたいになっちゃう海老蔵です。何がって・・・はま寿司でエビの握りを食べること。勿論、軍艦なども注文しますが・・・月に一度くらいは、はまい!しなくっちゃ。(笑)良かったらポチして下さい。にほんブログ村
江戸時代初期の1610年(慶長15年)名古屋城築城の天下普請に際して、徳川家康の命により福島正則が、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削したのが堀川と呼ばれている川のルーツとされている。堀川が作られた頃に架けられた橋を堀川七橋と呼び、上流の
ソメイヨシノの桜前線はずっと北に行ってしまい、千葉市では花弁が散ってすっかり葉桜状態。しかし、桜の最後は八重桜がしんがりを務めている。自宅近くの公園では八重桜が満開になっていた。ピンク色の花が多いが、中には白い花もある。いずれにせよ、桜シーズンの最後を飾
四間道の入り口に鎮座する神社が浅間神社だ。創建は不詳のようだが、「尾張志」(1844年)によれば正保四年(1647年)に、この地に遷座したとあるので相当古くからある神社のようだ。参道の正面に社殿がある。社殿前の鳥居の脇に境内配置図と末社一覧があった。末社の一つ、
最近は手軽に何時でも食べられるので袋菓子を買うことが多くなった。味付けの濃いものを食べることが多くなった感じ。昔懐かしい「黒糖かりんとう」もたまには良いもんだ。懐かしいと言えば、揚げせんべいも。バーベキュー味とか、焼肉味なんて言うのも出てきた。同じ袋菓子
名古屋散策の第一歩は名古屋駅東側の大通り、さくら通りから四間道に向かうことにした。堀川に架かる桜橋。桜橋の名前通りに橋灯や高欄などに桜をモチーフにした装飾が施されている。桜橋の手前を北に、名古屋城方向に向かうと四間道の街並みがある。名古屋の城下を流れる堀
以前、名古屋に来た時に幾つかのマンホール蓋を紹介したことがある。以前の記事は:2014年9月22日 これぞ原点! : 人在日本身不由己 (livedoor.blog) 今回も同じマンホール蓋にも出会ったが、新たに幾つかのマンホール蓋にも出会ったので紹介しておこうと思う。先ずは前回
先日、小雨の降る中、所用で東京ビッグサイトまで出かけた。過去に来た時には画像正面に見える入り口から入る東ホールだったが・・・今回は反対方向にある南フロアー入口へ。「ゆりかもめ」の線路西側に見えるビルは如何にも風水を考慮した建物だ。上海時代、現地では良く見
名古屋2日目の朝も、素泊まりだから喫茶店でモーニングを食べることに。2日目に利用したのはホテル近くにあったコメダ珈琲店。コメダ珈琲店は名古屋発祥のフルサービス型喫茶店で、街のリビングルームを目指しているそうだ。これが2日目のモーニング。ジャムトーストとサラダ
今回の名古屋ではホテルは素泊まりにして、食事は外で食べることにした。と、言う事で朝ホテルを出て駅前まで行くことにした。途中で見た建物には・・・三楽座とあった。藤本邦楽学園という如何にも邦楽関係らしい建物であった。10分ほど歩いて名古屋駅まで行ったが、1回部分
先月、長野の自宅から千葉に戻るとき関越道が渋滞していたので、途中から一般道に下り、圏央道・東北自動車道と乗り継いで千葉の家に帰ってきた。夕食時間になってしまったので東北自動車道蓮田SAに立ち寄った。以前、日光に行く時、下り車線で利用したことがあったが今回は
3月後半に所用で岐阜まで出かけたが、通り道なので名古屋で1泊し市内見物してきた。名古屋は過去に数回訪れているが見ていない所だらけである。千葉市内の家を早朝に出て、東関道、首都高、東名高速と乗り継いで、浜名湖SAで朝食にした。NHKの大河ドラマにあやかって街の宣伝
ぽかぽか陽気だった昨日、数日続いた雨で落花が心配だったが花見川の土手の桜を見に行って来た。心配は杞憂で、大半の桜が枝に残り、葉桜は極僅かだった。毎年のことだが桜のトンネルに癒される。満開の桜を堪能して土手をそぞろ歩きする人が多い。川面には水鳥がのんびりと
普段、京成本線を利用しているので日暮里駅は通過駅またはJR山手線への乗換駅でしかなかった。谷中散歩の最終回として、厳密には谷中ではないが紹介しておこうと思う。JR南改札から見える京成日暮里駅。小さいが、京成線にも南改札口はある。高架橋「もみじばし」の東端は階
最近は以前ほど出歩かなくなったので、花との出会いも少なくなってしまった。本日は3月最終日なので、今月出会った花をメモしておこうと思う。先ずは、上旬に出会ったのは河津桜。八千代市新川土手の千本桜が満開だった。続いて、中旬に出会ったのはハクモクレンとコブシ。直
下町風俗資料館付設展示場から、言問通りと分かれて都道452号沿いに、谷中霊園方向に北上することにした。谷中界隈は、店名や店構えに下町の雰囲気が残っている。愛玉子(オーギョーチイ)の看板を出している店があった。愛玉子は台湾にのみ生育しているイチジクの仲間の植物
先日、所用で両国駅と新小岩駅まで出かけが、新小岩駅を利用したのは初めてだった。両国駅は以前にも来たことあるが、駅構内の横綱の写真をじっくり見たのは初めてのこと。テレビで相撲観戦していても関取達は皆大きいが、背比べしてみるとその大きさが良く分かる。アンコ型
物価高騰による消費者離れを防ごうとするかのように、メーカー各社も新製品を売り出してきた。カップ麺類も例外ではない。ラーメンからタンメンに変えたり・・・ご当地ラーメン風にしたりすることも有る。「焼きそば」は今までもあったが「焼うどん」に変えたり「生姜焼き」
言問通りを東から西に向かって歩くことにした。スタート地点は笠森稲荷のある養寿院から。養寿院は徳川歴代将軍の菩堤寺であった寛永寺の子院で、寛永年間初期に創建された寺。明治以後、江戸百観音の札所として信仰を集めていた当院に笠森稲荷尊が遷された。門前に美人で評判の
過日、小田原に出かけた際に見かけたマンホール蓋を紹介しておこう。同じデザインでカラー版もあるそうだ。歌川広重の浮世絵、東海道五十三次のうち「小田原・酒匂川」をモチーフにしたマンホール蓋で、右下のふんどし姿の人影は、当時、旅人や荷物を担いで酒匂川を渡った「
谷中霊園を通り抜け、南側の言問通りまで出てきた。角にあるのが八万四千体地蔵で知られる天台宗寺院の浄名院である。東叡山寛永寺の塔頭であり、「寛永寺三十六坊」の一つで四代将軍徳川家綱の生母宝樹院の菩提所でもある。江戸六地蔵の一つ富岡八幡宮の別当寺だった永代寺
そう言えば、前回サイゼリアに行ってから2年以上経っていた。家の近くにあれば、もっと利用していたと思うけど・・・で、今回は車を車検に出していた為に、隣人がサイゼリアのランチメニューが安いので一緒に行こうと誘ってくれた。9種類(スパゲッティ、米料理、グリル)か
枡形のある馬出門から馬出門土橋を渡り城下に出ることにした。この他、二の丸広場から学橋を渡ることも考えられるが、工事中で学橋全体に覆いが被せられていたので止めた。馬出門と馬出門土橋の間にモニュメントが置かれていたが説明がなかったのが残念。二の丸隅櫓が目の前
近くの児童公園にある、高木に白い大きな花が咲いていた。この大きな花はハクモクレン。モクレンはモクレン科モクレン属の植物。すぐ隣の高木にも白い花が咲いている。こちらはモクレン科モクレン属のコブシ。同じ、モクレン科モクレン属だから似ているのは当たり前だけど・
徳川家墓地を参拝した後は、やや北東寄りにある渋沢家墓所に行くことにした。中央東広場の東側に渋沢家の墓所がある。この広場も渋沢家から都に寄進され整備されたそうだ。渋沢家墓所の一角には学問の師でもあった従兄(いとこ)の尾高惇忠(おだかあつただ)の墓もある。谷
ぽかぽか陽気が続き、東京では桜の開花宣言が出ていたので油断していた。先週、車を車検に出した時、ついでにタイヤをスタッドレスタイヤからノーマルタイヤに変えてもらい、東名高速を使って名古屋と岐阜に出かけた訳だが・・・帰りがけ、長野の家により地元の温泉で露天風
銅門から住吉橋を渡って馬屋曲輪に出てきた。馬屋曲輪の南東隅にあった二重櫓跡。二重櫓への石段は、雁が並んで飛んでいる様子に似ているので雁木と呼ばれている。曲輪跡には切石敷井戸跡があった。徳川将軍家用の馬屋で用いるための井戸だったと考えられているそうだ。城外
現役時代と異なり、社会生活が減るに従い物を贈ったり、頂いたりが減ってきているが、それでも、時々頂くことがある。最近では、海苔とお茶のセットとか、箱詰めのお菓子セットなど頂いた。時には可愛いパンダ菓子や、和紙で作った、文庫本用のブックカバーなど。何時も、送
先日、所用で晴海に出かける用事があったが昼食には間があったので、丁度見かけたサンマルクカフェで軽食を取ることにした。カフェラテとジャガバタデニッシュで小腹を抑える事に。午後、用事を済ませたら今度は夕食を食べるには早すぎる時間だった。で、都営浅草線「新橋」
谷中霊園の、さくら通りから離れて、東側にある徳川慶喜の墓所に行くことにした。スカイツリーが良く見える。途中、東京都指定旧跡があったので、立ち寄ってみた。大原重徳とは、幕末・維新期の公武合体、反幕派の公家(くげ)。享和(きょうわ)元年10月16日生まれ。1858年(安
本丸攻めの後は、本丸広場から常盤木門へ向かうことにする。常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていた。多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として用いられていたとのこと。常盤木門から二の丸広
先日、上野駅近くの湖南料理店に上海時代の教え子たちが集まり同窓会を開いてくれました。2018年に本帰国してから4回目の同窓会ですが、コロナの影響で3年間集まれなかっただけに久々の再会で話が盛り上がりました。会場はJR上野駅近くにある湖南料理の店。勿論、ガチ中華で
フライドポテトといえば湖池屋が有名ですよね。しかし、湖池屋といえども新製品を次々と発売しなくては競争に負けてしまう厳しい現実。先日、近所のスーパーで見かけたのはフライドポテトならぬ、プライドポテト。(笑)国産芋100%の神業触感を謳っている製品が並んでいた。
谷中には幸田露伴の「五重塔」で有名な天王寺の五重塔が昭和30年代まであったが、昭和32年7月6日に男女の心中による放火で焼失してしまった。現在は焼け跡が公園として残っている。焼失前の姿は写真でしか見ることが出来ない。天王寺の境内にある釈迦如来坐像については既に
小田原と言えば神奈川県の西外れ、箱根の玄関口で箱根駅伝では中継点の場所のイメージが強い。元、神奈川県民だが静岡方面や新幹線での通過点で、今まで一度も下車したことはなかった。^^;特に、小田原城は東海道線や東海道新幹線の車窓からは何度も目にしていたが、戦後
昨日、八千代市新川土手の河津桜を見に行ってきた。「新川千本桜まつり」が行われていた。川をゆっくり下る船の先には見なれぬ二色の旗が・・・。何の船だろう?で、土手には河津桜が満開で人々の目を楽しませていた。平日にもかかわらず、予想以上に人出があったので、土日
新宿散歩の最終回は毘沙門天を祀る善國寺(ぜんこくじ)。善國寺は、東京都新宿区神楽坂にある日蓮宗の寺院であり、通称として「神楽坂毘沙門天」・「神楽坂の毘沙門さま」として知られている。旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善國寺という。開基は徳川家康、開山は日惺上
谷中霊園には多くの有名人の墓地などがあることで知られている。先ずは、さくら通りと呼ばれている霊園の中央にある通り沿いに歩いてみた。護国山天王寺の山門脇にある地蔵堂から歩き始め、中央通りを南に向かう。歩き始めると直ぐに「不思議な几号水準点(きごうすいじゅん
先日、ケアハウスに入居している従姉の見舞いに熱海に行ってきた。暖かな陽気に恵まれ、駅前をのんびりとブラついた。サックスを吹くストリートミュージシャンが・・・。家康お前もか!、と言いたくなる大河ドラマ便乗観光の足湯。昼食は居酒屋「笑笑」のランチセットで「茄
本日は暖かい日差しに誘われ上野まで出かけてきた。用事が終わり、上野公園入口まで来たら何と、東側の桜が綺麗に咲いているじゃありませんか!蜜を求めて、何羽もの小鳥が潜り込んでいた。公園入口の西側に目をやると東側ほどではないが、細い枝の先まで花が咲いている。時
都営大江戸線牛込柳町駅前の経王寺を後にして、大久保通りを東に向かうことにした。途中、牛込警察署の敷地内に大きな銀杏の木があった。新宿区みどりの文化財に指定されている大銀杏で樹高17mもあるとのこと。更に歩いて行くと箪笥町の表示があった。珍しい名前なので、家
JR日暮里駅の南口跨線橋から谷中の天王寺に抜ける坂(現在は石段だが・・・)が紅葉坂だ。正面に天王寺毘沙門天と書かれた標柱が見える。谷中七福神の毘沙門天を祀る寺である。名前の由来は、昔は天王寺周辺の紅葉が綺麗だったことによるらしい。坂下にはJRの線路と日暮里駅
本日、久しぶりに「はま寿司」に行ってきた。海老蔵の注文はいつも通りエビの握りが中心だったけど・・・期間限定の一口チーズ餃子なる物があったので頼んでみた。揚げたてで、中々美味しかった。同じく、期間限定の黄金カレイフライと言う物もあったので、これも注文。タル
一昨日の月曜日に、所用で京浜急行梅屋敷駅近くまで出かけた。昼までに用事が終わったので帰り際、梅屋敷公園に立ち寄ってみた。思い起こせば、前回来たのは何と4年前のことだ。第一京浜国道に面した入り口には明治天皇行幸所蒲田梅屋敷と刻まれた石柱がたっている。公園の
先日、小田原城に行ってきた。城内の様子は別に報告するとして、今回は梅の話だけ。本丸を後にして、常盤木門から常盤木橋を越えて二の丸跡に下りてくると、本丸東堀の近くに梅の木が花をつけていた。白梅が多いような感じだった。それでも白梅に交じってピンク色の梅も幾つ
三寒四温には未だ少し早い気もするが、日によっては大分暖かい日もある。家の近所の公園にある梅も大分咲いてきて、紅梅の蕾も大分膨らんできている。白やピンクの枝垂れ梅が綺麗だ。他で見た梅も順次報告する予定だ。良かったらポチして下さい。にほんブログ村
「新宿散歩⑯紅皿の墓のある大聖院と西向き天神社」で太田道灌に山吹の花を手渡した紅皿の墓が大聖院にあることを紹介したが、その「山吹の里」が何処なのかについては諸説あるようである。過日、JR日暮里駅前に太田道灌の像があるのを見つけた。像の前に「回天一枝」の碑が
抜き弁天通り(職安通り)を東に向かい大久保通りと名前が変わる、地下鉄都営大江戸線の牛込柳町駅の向かいにあるのが経王寺。新宿山ノ手七福神めぐりの大黒天を祀る日蓮宗の寺である。慶長3年(1598年)、武蔵国豊島郡市ヶ谷田町(現・新宿区市谷田町)に日法(鎌倉時代・南
お寺の多い谷中だが、養傳寺の近くにも長安寺と観音寺があった。先ずは長安寺。臨済宗妙心寺派の寺院だが当初は曹洞宗だったそうだ。山門脇に台東区史跡としての狩野芳崖墓と板碑の説明板がある。画家狩野芳崖は、文政十一年(1828年)の生まれ。伝統的な狩野派の画風に西洋
間食は余りする方ではないと思っているが、それでも時々口寂しくなり、おやつ類を買ってしまう。洋菓子、和菓子に拘らず何でもありだが・・・最近食したものは・・・先ずは和菓子類から。すあまや串だんごも有れば・・・せんべいも食べる。対して洋菓子類はカップに入ったテ
紅皿の墓のある大聖院と西向き天神社から大通りの職安通り(抜き弁天通り)に戻った。次の目的地は「七福神めぐり」の永福寺(福禄寿)だ。抜き弁天の交差点の北側にある。交差点のそばから西北西に分かれて下る久左衛門坂の頂上に永福寺の入り口がある。境内には像高1.7mの
観音寺の築地塀を見た後は近くにある下村観山の墓に御参りすることにした。築地塀の向かい側の路地を南に少し入った安立寺に下村観山の墓がある。下村観山は明治から昭和初期にかけての日本画家で、本名は晴三郎。岡倉天心の日本美術院創立に参加し、菱田春草、横山大観らと
新宿中央公園を散策中に目にしたマンホール蓋。今まで見たことの無い物だったので写真に収めた。弱電、強電とあるので電気関係のマンホール蓋であることは予想できたが・・・蓋の下部にKITAKANTO FOUNDRYと会社名が入っている。調べたら北関東工業と言う会社のようだ。また、
専福寺の月岡芳年の墓をお参りした後は、抜き弁天通りから文化センター通りの坂を下り、西向き天神社と紅皿の墓のある大聖院に向かった。坂の下に西向き天神社の鳥居があり、石段を上った正面に社殿がある。名前の通り、社殿正面は西に向いている。祭神は菅原道真公で、安貞
岡倉天心記念公園から南に向かうと「防災広場 初音の森」がある。初音という名は谷中の山あい、長明寺がある一帯が「初音の森」と呼ばれていたことに由来する。「初音」というのは年初に鶯(ウグイス)の初鳴きの声が聞こえるという意味で、現在でも谷中にはJR鶯谷駅がある
小腹が空いたときに手軽に食べられるのがカップ麺で重宝している。店で食べるラーメン類でも担担麺を注文することが多いが、カップ麺にも最近は担担麺があって時々食している。メーカーによってサイズやスープの違いがあるがピリ辛好きにはラーメンよりは担担麺の方が良い。
法善寺のすぐ隣は月岡芳年の墓がある専福寺なので立ち寄り御参りしてきた。専福寺は真宗大谷派の寺院で白蓮山専福寺といい、寛永八年(1631年)市谷に創建し、正保二年(1645年)現在地に移ったとのこと。専福寺には、幕末から明治中期にかけて活躍した浮世絵師月岡芳年の墓(区指
「よみせ通り」を南に向かい、途中で東側に折れて岡倉天心記念公園に向かった。岡倉天心記念公園は、東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡で、「岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地」碑が入り口脇にある。明治3
ドリンク類の紹介をする度に思うのだが、良くもまあ次々と新顔が出てくるものだと感心する。勿論、全くの新顔もあるが多くはリニューアル版で、新製品と思わせる作戦。まあ、分かっていながら試しに飲んでいるだけなのだが・・・先ずは午後ティーの新顔から。他の紅茶系も頑
抜き弁天の厳島神社から南に入る一方通行の道を100mほど行くと右側に法善寺がある。【法善寺】日蓮宗の寺院で、正式名を「春時山法善寺」といいます。新宿山ノ手七福神のひとつ『寿老人』を祀るほか、本堂には保存状態も良好な彩色の『七面明神像』(区指定有形文化財)が安
幸田露伴旧宅跡から御殿坂の表通りに出て、「夕やけだんだん」に向かった。「夕やけだんだん」という変わった名称は、この階段から美しい夕焼けを眺めることが出来、一般公募によって命名されたそうだ。坂の手前に、左側に下がる七面坂と言う別の坂があり、台東区と荒川の境
最近は自宅での食事が多く、余り外食していないが、それでも時々街に出て食事することがある。最近食べた物では・・・美味しいトンカツで有名な「かつ波奈」で、エビフライとヒレカツ、ロースカツセットを注文。豚汁も美味しい。寿司が食べたくなったら、注文品がいたずらさ
職安通りを鬼王神社前の信号から東に向かい、抜き弁天通りと呼ばれるところまで来ると、変則的な交差点の角に厳島神社がある。祭神は市杵島姫命だが、これが仏教の弁才天と習合したため、新宿山ノ手七福神の弁財天を祀る神社として知られている。境内参道が南北に通り抜けで
御殿坂の経王寺の向かい側にある通りを南側に入った。少し歩くと通りに面して朝倉彫塑館がある。残念ながら、この日は休館日で入場できなかった。朝倉彫塑館は、彫刻家 朝倉文夫のアトリエと住居だった建物です。朝倉は東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時に谷中
二十四節気の一つに啓蟄(けいちつ)があり、「冬ごもりをしていた虫たちが土の中から出てくる頃」という意味で、啓蟄は毎年3月6日頃~3月20日頃にあたるが年によって多少のずれがある。2023年の啓蟄は、3月6日から3月20日なのだが・・・庭を見たら・・・庭の至る所に小山が
昨夕、買い物帰りに近くのグランドまで来たら満月が綺麗に輝いていたので、思わずカメラに収めた。三脚無しの手持ちながら、何とかズームアップしてここまで撮れた。さて、旧正月後の満月の日は小正月(旧暦一月十五日)で、中国では元宵節と言ってこの日までが正月の期間と
靖国通りの、かめわり坂に面して成覚寺の隣にある浄土宗の寺院が正受院である。明了山願光寺と号し、信蓮社教誉正受乗蓮が当地に文禄3年(1594)創建したそうだ。モダンな造りの本殿前にある、弘化五年(1848年)に奉納された手水石の右側一文字目が読めない。手書き検索や画
月見寺の本行寺を後にして、更に御殿坂を上がると次にあるのが経王寺だ。経王寺は明暦元年(1655年)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られている。経王寺の大黒天は旧谷中七福神のひとつである。慶応四年(1868年)の上野戦争
新宿散歩 ⑪ 悲しき飯盛り女たちの投げ込み寺だった成覚寺(じょうかくじ)
太宗寺を参拝した後は北に向かい靖国通りの、かめわり坂に面した成覚寺に向かった。因みに、かめわり坂と言われているがどう見ても傾斜のある坂道には見えない。(笑)成覚寺は浄土宗の寺院で正式名は十劫山無量寿院成覚寺という。文禄三年(1594年)の創建と伝わる。江戸時
JR日暮里駅北改札口東口前の坂が御殿坂と言う事は前回紹介したが、坂を挟んで北側が荒川区、南側が台東区になっている。景勝地だったことから「月見寺」とも呼ばれた本行寺は荒川区側にある。山門には山号扁額「長久山」が掲げられている。東京都旧跡として、市河寛斎・米庵
三遊亭圓朝旧居跡から西に向かって400mほど行った所に太宗寺がある。太宗寺は内藤新宿の閻魔様として江戸庶民の信仰を集め、内藤新宿の名所として発展してきた浄土宗の寺院で文化財の多い寺院でもある。先ず、境内入口近くに鎮座する銅造地蔵菩薩坐像が参拝者を出迎えてくれ
京成本線からJR山手線への乗換駅として度々使用している日暮里駅だが、下車して外へ出るのは初めてのことで新鮮な気持ちだった。何時もは京成本線の到着ホームからJRへの連絡改札口を通って、山手線ホームに行くが、今回は直接外へ出た。高架橋の途中にJR日暮里駅の南改札口
地下鉄丸ノ内線新宿御苑駅の北側近くに新宿区立花園公園がある。画像左上に少し見えるのが・・・三遊亭圓朝旧居跡の碑。区立花園公園・小学校一帯は、明治の東京落語界を代表した三遊亭円朝が、明治21年から28年まで住んだ場所です。屋敷地は、およそ1000平方メートル。母屋
昨28日の土曜日、東京上野で3年振りの東京麻辣会が行われた。コロナ禍で大人数での会食が開けなくなってから、久々の開催だった。会場となった中華レストランはアメ横近くの撒椒小酒館というガチ中華の店。店内の大型テレビでは中国の映画が流れ、店員はほぼ100%、客も90
小泉八雲終焉の地に行く時に通った、区役所通りと職安通りの交差点が鬼王神社前という交差点だった。と、言う事で区役所通りの東端近くにある神社の稲荷鬼王神社を参拝に訪れた。「新宿山の手七福神めぐり」では恵比寿神である。これが刀傷の残る水鉢。境内社の三島神社は「
と言う分けで、上野界隈散歩最終回は湯島の白梅で有名な湯島天神へ。東京大学鉄門から南に下がる坂道を辿ると、春日通りの湯島天神の前に出る。春日通りを越えて、唐門から境内に入った。境内を一回りし、拝殿前から・・・表鳥居(銅鳥居)に一旦抜けてみた。この鳥居は銅製
1月は所用で新宿の都庁近くまでに出かけることが何回かあった。オフィスビル街で困るのが昼食をどうするかと言う事。サラリーマンやOLなら外でテイクアウト弁当を買って会社に戻って食べたり、天気が良ければベンチに座って食べることも有りだろうけど、たまたま出かけた自分
所用で都庁近くまで出かけたが昼食時間が50分しか取れなかった。レストランに入ってゆっくり食事している訳にいかなかったので、モノリスビルの地下1階にあるサンマルクカフェのランチセットで済ますことにした。注文したのはホットサンド ハムチーズセット。ブレンドコーヒ
常圓寺と常泉院を参拝した後は甲州街道を南下し、歌舞伎町弁財天に行くことにした。歓楽街歌舞伎町のど真ん中にある小さな歌舞伎町公園内に歌舞伎町弁財天が祀られている。お堂の前にある石碑には由来が書かれている。それによると、この辺一帯は「大村の森」と呼ばれ、広大
無縁坂を登りきった所にある鉄門から、東大構内に入り、医学部附属病院に沿った大学構内を走るバス通りを弥生門方向の北に向かって歩いた。大学構内にキッチンカーが止まり、テイクアウトランチを販売しているのには驚いた。管理研究棟の前には日本近代医学の創成期に活躍し
昨日、久しぶりに上野公園噴水前広場に行ってきた。目的は1月20日の金曜日から本日日曜日までの3日間やっている「ウエノ de PANDA 春節祭」に参加する為。久しぶりに立った上野公園入口。会場は噴水前広場。多くの人がゾロゾロと歩いて行く。会場内の麻辣菜を中心とした中国
1月に入り、午前中から都内に出かける用事が増えてきた。時間が無い時に、一寸小腹を抑えるのに都合よいのが喫茶店のモーニングセット。出先の直ぐ近くにあったドトールコーヒーでモーニングセットを注文。ドトールのモーニングセットには3種類あるけど、「ホットモーニング
成子天神社から青梅街道沿いに南下すると新宿大ガード手前にある寺院が常圓寺だ。日蓮宗の寺院で山号は福聚山。創建年代は不詳だが1585年(天正13年)頃、渋谷区幡ヶ谷近辺より青梅街道沿いの現在地に移されたと言われているそうだ。常圓寺の境内の一角には1819年(文政2年)
「ブログリーダー」を活用して、hn2043さんをフォローしませんか?
最近はホットプレートを使った料理にはまっているが、今度はチェリーピザに挑戦した。先ずは必要な材料を用意する。 よく混ぜ合わせ、手でこねて薄く延ばしピザ生地をつくる。ホットプレートで生地を焼き、ピザペーストを塗っていく。更にチーズものせていく。ある程度焼け
日枝神社の南側100mほどの所にある寺院が龍田寺である。 山王山と号す曹洞宗の寺院で、開山は拝島の龍津寺二世南室宗丹の手による。元和元年(1615年)の開創といわれている。本尊は釈迦牟尼仏の木坐像である。(「昭島市史」より)扁額の山王山の片方の山の書き方が特
相変わらず新製品が出てきますね~。新し物好きにとっては嬉しい限りですけどね。(笑)ラーメン以外でも新顔が出てきている。と、言ってもラーメンの方が多いけどね。担担麺も時々見かけるようになっているね。良かったらポチして下さい。にほんブログ村
惣十稲荷を参拝した後は南に400mほど行った所にある日枝神社に向かった。南側に畑が残る傾斜地にある。昭島市史によれば「日枝神社(上川原町)『新編武蔵風土記稿』には「山王権現」と記され、また、弘化四(一八四七)年の『寺社御改二付書上帳』(指田方吉家文書)に
最近ケーキ類を食べてないので無性に食べたくなってきた。 で、買ってきたのがこちら。抹茶ケーキとチーズケーキ。 1日1個にしようと思っていたが・・・結局2個とも食べっちゃった。^^;良かったらポチして下さい。にほんブログ村
青梅線昭島駅南口近くに「富士塚・惣十稲荷」があるというので行ってみた。住宅地の一角に赤い鳥居が見えた。ここが惣十稲荷だ。境内に入ると、昭島市教育委員会が設置した説明版があった。二の鳥居の奥が小高くなった富士塚だ。朱塗りの社殿は狛犬では無く狐像になっている
そう言えば、最近はマクドナルドに行かなくなったな~と思っていた。 そんなこともあって、通りがかりにあったMcの店に立ち寄ったみた。しかし、それ程空腹ではなかったのでハンバーガーは注文せず別のものにした。 それが、これ。マックのベーコンポテトパイ。ちょっと暑
普明寺を後にして、円福寺に向かったが途中にある大日堂や日吉神社は既に「大日堂 ①、②」、「日吉神社」としてブログ記事で紹介済みなので今回はパスした。ただ、大日堂寺域内にある「おねいの井戸」は未紹介だったので立ち寄ってきた。戦国時代、滝山城主の重臣石川土佐
食パンを利用して簡単に作れる菓子に挑戦してみた。① 先ず、食パンの耳を切り取る。② 食パンにつなぎの小麦粉をまぶし、団子状に丸める。③ 団子状に丸めたものを油で揚げ、こんがりと焼き色になるまで加熱する。④ 焼き上がったらグラニュ糖をまぶす。⑤ 生クリーム
普明寺は天正元年(1573年)創建の天台宗寺院で本尊は大日如来。東京都史跡指定の大日堂の別当寺で大日堂八坊の一つ。大日堂を中心に普明寺、本覚院(拝島大師)、円福寺、日吉神社を含む拝島山の寺域は都指定の史跡になっている。普明寺は奥多摩街道から少し北側に入った所
時々行く地元の温泉。入浴後の楽しみは・・・手羽先やソフトクリームを食べてまったり。勿論、日によってはメニューから選ぶものを変えて・・・チョコベリーフルーツパフェにしたりすることもある。まあ、カロリーを気にしないでもないが偶には良いか?!(笑)良かったらポチ
龍津寺を参拝した後は、境内の南側下にある「下の川湧水群」を見に行った。龍津寺の南側には、多摩川から取水している昭和用水(農業用水)があり、龍津寺など数か所からの湧き水も流れ込んている。下の川に流れ込む龍津寺の湧水は東京都から「東京の名湧水57選」に選ばれて
この春の桜の季節は東京では終りに近く、殆どが葉桜になってしまった。近所の桜を見に行った時に初めて聞いた名前の桜があったのでちょっと調べてみた。日本の国花の一つとしても馴染み深い桜。桜といえばまずソメイヨシノを思い浮かべるが、実は日本には自然に生え育った原
啓明学園を後にして、奥多摩街道を東に向かうと街道に面して龍津寺の入り口があり、南に向かう参道が見える。「昭島市史」によれば、龍津寺(拝島町)は玉応山と号す曹洞宗の寺院で、天文年間(一五三二~一五五五)に開創されたとある。山門近くには六地蔵がある。山門を潜
新し物好きにとって、新商品に出会える事ほど嬉しいことは無い。最近出会ったのは、このフルグラたち。抹茶あずき味とトロピカルココナッツ味。食品メーカーも売り上げを伸ばすために苦労しているんだな~。初めて見たと言えば、このようなカップラーメン麺にも出会った。お
拝島天神社を後にして南側にある奥多摩街道(都道29号線)にでる。少し西に向かい、上宿の大曲りと呼ばれている奥多摩街道のカーブ地点に、東向き地蔵尊が立っている。奥多摩街道の東にある拝島大師入り口近くにある地蔵尊が西を向いていて、拝島宿の東西から地域を見守っ
無煙熱風調理器を使って焼き菓子を作ってみた。① 先ず、小麦粉を練ってパン生地を作る。② 出来上がりをイメージしてパン生地で棒状にする。③ もう一度、薄く延ばして餡をのせて端から巻いていく。餡の他にマーマレードでもやってみた。④ 生地の表面に卵黄を塗ってか
仕事の関係で昭島市内を車で移動することがある。日頃、車窓から見て通過するだけの所が多いので、じっくり見て回ることにした。拝島天神社は、文禄年間(1592-1595)に谷保天満宮から分霊を勧請して創建、明治40年に八幡日吉神社を合祀したと言われている。境内にあった大ケ
福生神明社は、明治7年(1874)にこの地にあった両体権現社に村内各部落の鎮守を合祀し、福生村の村社として創建されたとのこと。元は西側が表参道だったようである。画像は旧表参道だった西側の一の鳥居。一段高くなった境内に、二の鳥居が見える。鳥居の北側には堂川湧水が
新奥多摩街道沿いの福生消防署の向かいに鎮座する神明社を参拝した。入り口脇の琵琶の木に実がなり始めていた。現在の社殿は昭和47年に新たに造営し、社殿の向きを南側にしたという。本殿東側の神楽殿は扉が閉まっており、内部の様子は見られなかった。本殿前には芭蕉の句碑
先日、所用で恵比寿まで出かけた。恵比寿には何度か来ているが今回は初めて駅の東側方向を歩いた。明治通り方向に歩くと橋が見えてくる。渋谷川にかかる一本橋だ。 ン? 川の中に人が見えるぞ!良く見ると、川底を浚っているようだ。橋の反対側はもう終わっているようだ。
先日、所用で池袋に出かけた折、時間調整で入ったのが池袋北口前にある「伯爵」と言う名の喫茶店。いつもは西口方向に歩きだしてしまうので、駅前にこのような喫茶店があるのには気が付かなかった。入り口は表通りから階段で上がった2階にある、レトロな感じの喫茶店だ。店
名古屋から岐阜市内に移動し、用事を済ませて後は帰るだけ。来る時は東名高速を利用したが、帰りは東海北陸自動車道から中央道経由で帰ることにした。丁度、昼食時間帯だったので東海北陸自動車道川島PAに立ち寄った。初めて立ち寄ったPAである。東海北陸自動車道の川島PA
先日、所用で池袋駅東口まで出かけた。JR山手線の線路に沿って、北側の大塚方面に歩くと駅前公園がある。公園内に二棟の社があったので御参りしてきた。向かって、左側には池袋四面塔稲荷大明神と書かれていた。右側には四面塔の石柱がある。江戸時代、享保の頃に17名もの辻
名古屋城を後にして、八事にやって来たのは上海で知り合ったYさん夫婦と4年ぶりの再会を果たすため。Yさんの仕事が終わるまで、奥さんのRさんとコメダでお茶して時間調整。ウィンナーコーヒーを注文し、シロノワールはシェアーした。で、仕事が終わったYさんの車で小さなレス
先日、JR神田駅の近くまで所用で出かけた。用事が済んだ後、折角なので近くを散歩してみた。先ず見かけたのは小川町の地名由来板。江戸時代は鷹匠たちが住んでいたので元鷹匠町だったが、第五代将軍の徳川綱吉の生類憐みの令で町名が小川町に変更になった。その後、何度も変
八事山興正寺の門前町だった八事に来たからにはお寺へお参りしなくっちゃ。興正寺は真言宗の寺院で創建は貞亭5年(1688)に弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞圓照和尚により開山された。尾張藩二代目藩主・徳川光友が帰依して、尾張徳川家の祈願所になり、「尾張高野」とも呼ばれ
早いもので4月も下旬になってしまった。3月から4月にかけて色々な桜の開花を楽しんできたが・・・(3月8日 河津桜)(4月1日 染井吉野)(4月9日 八重桜)4月22日にはもう鯉幟がならんでいた。時間の経つのは早いものだな~。時間がたつのが早いと言えば、3月24日に細長い
名古屋城を後にして地下鉄名城線で八事まで出かけた。上海時代の知人Yさん夫婦が住んでいる街だ。コロナ禍前だから、もう4年前になるが千葉市に来てもらって以来の再会だ。八事のことは今回来るまで全く知らない街だったが、江戸時代に開山された八事山興正寺の門前町だった
先日、都内に出かけた帰り、日暮里駅でJRから京成本線に乗り換えることにした。昼間は忙しくて昼食をとる時間が無かったので、日暮里で遅めの昼食にした。入ったのは駅前にある「天丼てんや」。で、何時も迷うのは注文を何にするかだ。どれも美味しくて選ぶのに困る。海老蔵
名古屋能楽堂脇の駐車場の前が正門である。手前には外堀が空堀状態で残っている。今回は時間もなく、天守閣は工事中と言う事だったので外回りを見tるだけにした。ここが正門にあたる旧大手門(旧榎多門)。少し奥に西南隅櫓が見える。説明板だけ読んで帰ってきた。本来の大手
先日、東十条に住む知人宅を訪問することになった。都内に長年住んでいたが東十条駅に降り立つのは初めてのこと。撮り鉄ではないが、思わず何枚か記録用に写真を撮ってしまった。京浜東北線の駅であるが線路名称上は東北本線なのだそうだ。勿論、停車するのは京浜東北線の電
五条橋を越えて東側にある国道を北へ、名古屋城方向に行くことにした。外堀通りを越えると、名前のとおりに深くて大きな空堀がある。途中、丸の内中学を超えたあたりに乙女像があった。名古屋能楽堂近くまで来ると大きな加藤清正像が見えてくる。傍で見ると大変な大きさであ
先日、所用で西武拝島駅まで出かけた。JR山手線高田馬場駅で西武新宿線に乗り換え出かけたが、西武新宿線そのものも遥か昔に1,2度乗ったような気がする程度。今回は終点の西武拝島駅まで各駅停車でのんびりと出かけた。隣にはJRの電車が走っている。拝島駅には青梅線、五日
四間道周辺には色々な商店があり、ぶらぶら歩くだけでも楽しくなる。子守地蔵尊の手前にあった「江戸うさぎ」という店もその一つ。名前からして面白いが、元芸者長屋を利用した江戸着物店で、貸座敷で「芸者遊び」も出来るとのこと。四間道に面した地球堂は骨とう品店で、古
早いもので、もう4月も半ば。喉が渇いた時に飲むドリンク類も、今まで飲んでいた暖かい物は段々に減るだろうな。それにしても、各メーカーはマイナーチェンジで新製品に見せて売り上げを伸ばしたいみたい。紅茶系も美味しいね。勿論、日本茶も負けていない。乳酸菌系は、これ
浅間神社から五条橋方向に北に向かって四間道を歩き始めた。白壁の土蔵が並んでいる、昔の四間道のままの風景。横道に入った角にあったのは・・・屋根神様の祠が屋根の上にのっている。社を作る土地が無かった庶民が疫病や火災から身を守るために屋根の上に祠を設置したと言
月に一度くらい行かないとヤクが切れたみたいになっちゃう海老蔵です。何がって・・・はま寿司でエビの握りを食べること。勿論、軍艦なども注文しますが・・・月に一度くらいは、はまい!しなくっちゃ。(笑)良かったらポチして下さい。にほんブログ村
江戸時代初期の1610年(慶長15年)名古屋城築城の天下普請に際して、徳川家康の命により福島正則が、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削したのが堀川と呼ばれている川のルーツとされている。堀川が作られた頃に架けられた橋を堀川七橋と呼び、上流の
ソメイヨシノの桜前線はずっと北に行ってしまい、千葉市では花弁が散ってすっかり葉桜状態。しかし、桜の最後は八重桜がしんがりを務めている。自宅近くの公園では八重桜が満開になっていた。ピンク色の花が多いが、中には白い花もある。いずれにせよ、桜シーズンの最後を飾