青梅線昭島駅南口近くに「富士塚・惣十稲荷」があるというので行ってみた。住宅地の一角に赤い鳥居が見えた。ここが惣十稲荷だ。境内に入ると、昭島市教育委員会が設置した説明版があった。二の鳥居の奥が小高くなった富士塚だ。朱塗りの社殿は狛犬では無く狐像になっている
長年にわたり中国上海で日本語教師をやっていました。2018年暮れに本帰国しましたがその後も時々中国に出かけています。 日中での日々の生活の様子を紹介していきたいと思います。
このブログのほかに、 「上海日本語教師日記」 http://blog.alc.co.jp/blog/honda2043 と 「開国後の日本」 http://blog.livedoor.jp/honda2043/ というブログも書いています。 どのブログも内容・傾向がまったく違い面白いと思います。是非三つともお気に入りに登録してお楽しみください。
「ブログリーダー」を活用して、hn2043さんをフォローしませんか?
青梅線昭島駅南口近くに「富士塚・惣十稲荷」があるというので行ってみた。住宅地の一角に赤い鳥居が見えた。ここが惣十稲荷だ。境内に入ると、昭島市教育委員会が設置した説明版があった。二の鳥居の奥が小高くなった富士塚だ。朱塗りの社殿は狛犬では無く狐像になっている
そう言えば、最近はマクドナルドに行かなくなったな~と思っていた。 そんなこともあって、通りがかりにあったMcの店に立ち寄ったみた。しかし、それ程空腹ではなかったのでハンバーガーは注文せず別のものにした。 それが、これ。マックのベーコンポテトパイ。ちょっと暑
普明寺を後にして、円福寺に向かったが途中にある大日堂や日吉神社は既に「大日堂 ①、②」、「日吉神社」としてブログ記事で紹介済みなので今回はパスした。ただ、大日堂寺域内にある「おねいの井戸」は未紹介だったので立ち寄ってきた。戦国時代、滝山城主の重臣石川土佐
食パンを利用して簡単に作れる菓子に挑戦してみた。① 先ず、食パンの耳を切り取る。② 食パンにつなぎの小麦粉をまぶし、団子状に丸める。③ 団子状に丸めたものを油で揚げ、こんがりと焼き色になるまで加熱する。④ 焼き上がったらグラニュ糖をまぶす。⑤ 生クリーム
普明寺は天正元年(1573年)創建の天台宗寺院で本尊は大日如来。東京都史跡指定の大日堂の別当寺で大日堂八坊の一つ。大日堂を中心に普明寺、本覚院(拝島大師)、円福寺、日吉神社を含む拝島山の寺域は都指定の史跡になっている。普明寺は奥多摩街道から少し北側に入った所
時々行く地元の温泉。入浴後の楽しみは・・・手羽先やソフトクリームを食べてまったり。勿論、日によってはメニューから選ぶものを変えて・・・チョコベリーフルーツパフェにしたりすることもある。まあ、カロリーを気にしないでもないが偶には良いか?!(笑)良かったらポチ
龍津寺を参拝した後は、境内の南側下にある「下の川湧水群」を見に行った。龍津寺の南側には、多摩川から取水している昭和用水(農業用水)があり、龍津寺など数か所からの湧き水も流れ込んている。下の川に流れ込む龍津寺の湧水は東京都から「東京の名湧水57選」に選ばれて
この春の桜の季節は東京では終りに近く、殆どが葉桜になってしまった。近所の桜を見に行った時に初めて聞いた名前の桜があったのでちょっと調べてみた。日本の国花の一つとしても馴染み深い桜。桜といえばまずソメイヨシノを思い浮かべるが、実は日本には自然に生え育った原
啓明学園を後にして、奥多摩街道を東に向かうと街道に面して龍津寺の入り口があり、南に向かう参道が見える。「昭島市史」によれば、龍津寺(拝島町)は玉応山と号す曹洞宗の寺院で、天文年間(一五三二~一五五五)に開創されたとある。山門近くには六地蔵がある。山門を潜
新し物好きにとって、新商品に出会える事ほど嬉しいことは無い。最近出会ったのは、このフルグラたち。抹茶あずき味とトロピカルココナッツ味。食品メーカーも売り上げを伸ばすために苦労しているんだな~。初めて見たと言えば、このようなカップラーメン麺にも出会った。お
拝島天神社を後にして南側にある奥多摩街道(都道29号線)にでる。少し西に向かい、上宿の大曲りと呼ばれている奥多摩街道のカーブ地点に、東向き地蔵尊が立っている。奥多摩街道の東にある拝島大師入り口近くにある地蔵尊が西を向いていて、拝島宿の東西から地域を見守っ
無煙熱風調理器を使って焼き菓子を作ってみた。① 先ず、小麦粉を練ってパン生地を作る。② 出来上がりをイメージしてパン生地で棒状にする。③ もう一度、薄く延ばして餡をのせて端から巻いていく。餡の他にマーマレードでもやってみた。④ 生地の表面に卵黄を塗ってか
仕事の関係で昭島市内を車で移動することがある。日頃、車窓から見て通過するだけの所が多いので、じっくり見て回ることにした。拝島天神社は、文禄年間(1592-1595)に谷保天満宮から分霊を勧請して創建、明治40年に八幡日吉神社を合祀したと言われている。境内にあった大ケ
福生神明社は、明治7年(1874)にこの地にあった両体権現社に村内各部落の鎮守を合祀し、福生村の村社として創建されたとのこと。元は西側が表参道だったようである。画像は旧表参道だった西側の一の鳥居。一段高くなった境内に、二の鳥居が見える。鳥居の北側には堂川湧水が
新奥多摩街道沿いの福生消防署の向かいに鎮座する神明社を参拝した。入り口脇の琵琶の木に実がなり始めていた。現在の社殿は昭和47年に新たに造営し、社殿の向きを南側にしたという。本殿東側の神楽殿は扉が閉まっており、内部の様子は見られなかった。本殿前には芭蕉の句碑
最近は野山を歩いて花を探すなんてことが減ってきた。せいぜい、街中の公園で見かけるくらい。 今回も、そんな街中で見かけた春の花たちだ。白い花はノースポールかな? 黄色や青紫色のパンジーも地元の小学生たちが植えたと書いてあった。 春の花の代表はチューリップ
昭島市のエコパークの桜が満開になったというので、日曜日に花見に行ってきた。昭島市のHPによれば、「エコ・パークは、環境コミュニケーションセンターを取り囲むエコロジカル(生態系に配慮した、環境にやさしい)な公園として位置づけ「武蔵野の自然環境再生のシンボル拠
各地から桜の満開が伝えられているので、弁当を持って花見に行こうということに。で、弁当は簡単に出来る「稲荷寿司」に決定。稲荷寿司用の油揚げと「すしのこ」を用意し・・・ご飯に「すしのこ」を混ぜ酢飯を用意する。半分に切った「稲荷寿司」用の油揚げに酢飯を入れてい
福生市登録文化財一覧に「加美平西公園の石造物」とあるのが、福生警察の裏の「加美平西公園:通称=警裏(けいうら)公園」に安置されている4体の石造物である。説明版には、この安置場所の小屋を指して「千佛地蔵堂」と書いてある。説明版によると、以前は他の場所にお祀
塩豆大福や葛餅などの和菓子も良いけど・・・飲み物がコーヒーや紅茶だったら・・・生クリームたっぷりのホットケーキの方が似合いそう。良かったらポチして下さい。にほんブログ村
先日、JR神田駅の近くまで所用で出かけた。用事が済んだ後、折角なので近くを散歩してみた。先ず見かけたのは小川町の地名由来板。江戸時代は鷹匠たちが住んでいたので元鷹匠町だったが、第五代将軍の徳川綱吉の生類憐みの令で町名が小川町に変更になった。その後、何度も変
八事山興正寺の門前町だった八事に来たからにはお寺へお参りしなくっちゃ。興正寺は真言宗の寺院で創建は貞亭5年(1688)に弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞圓照和尚により開山された。尾張藩二代目藩主・徳川光友が帰依して、尾張徳川家の祈願所になり、「尾張高野」とも呼ばれ
早いもので4月も下旬になってしまった。3月から4月にかけて色々な桜の開花を楽しんできたが・・・(3月8日 河津桜)(4月1日 染井吉野)(4月9日 八重桜)4月22日にはもう鯉幟がならんでいた。時間の経つのは早いものだな~。時間がたつのが早いと言えば、3月24日に細長い
名古屋城を後にして地下鉄名城線で八事まで出かけた。上海時代の知人Yさん夫婦が住んでいる街だ。コロナ禍前だから、もう4年前になるが千葉市に来てもらって以来の再会だ。八事のことは今回来るまで全く知らない街だったが、江戸時代に開山された八事山興正寺の門前町だった
先日、都内に出かけた帰り、日暮里駅でJRから京成本線に乗り換えることにした。昼間は忙しくて昼食をとる時間が無かったので、日暮里で遅めの昼食にした。入ったのは駅前にある「天丼てんや」。で、何時も迷うのは注文を何にするかだ。どれも美味しくて選ぶのに困る。海老蔵
名古屋能楽堂脇の駐車場の前が正門である。手前には外堀が空堀状態で残っている。今回は時間もなく、天守閣は工事中と言う事だったので外回りを見tるだけにした。ここが正門にあたる旧大手門(旧榎多門)。少し奥に西南隅櫓が見える。説明板だけ読んで帰ってきた。本来の大手
先日、東十条に住む知人宅を訪問することになった。都内に長年住んでいたが東十条駅に降り立つのは初めてのこと。撮り鉄ではないが、思わず何枚か記録用に写真を撮ってしまった。京浜東北線の駅であるが線路名称上は東北本線なのだそうだ。勿論、停車するのは京浜東北線の電
五条橋を越えて東側にある国道を北へ、名古屋城方向に行くことにした。外堀通りを越えると、名前のとおりに深くて大きな空堀がある。途中、丸の内中学を超えたあたりに乙女像があった。名古屋能楽堂近くまで来ると大きな加藤清正像が見えてくる。傍で見ると大変な大きさであ
先日、所用で西武拝島駅まで出かけた。JR山手線高田馬場駅で西武新宿線に乗り換え出かけたが、西武新宿線そのものも遥か昔に1,2度乗ったような気がする程度。今回は終点の西武拝島駅まで各駅停車でのんびりと出かけた。隣にはJRの電車が走っている。拝島駅には青梅線、五日
四間道周辺には色々な商店があり、ぶらぶら歩くだけでも楽しくなる。子守地蔵尊の手前にあった「江戸うさぎ」という店もその一つ。名前からして面白いが、元芸者長屋を利用した江戸着物店で、貸座敷で「芸者遊び」も出来るとのこと。四間道に面した地球堂は骨とう品店で、古
早いもので、もう4月も半ば。喉が渇いた時に飲むドリンク類も、今まで飲んでいた暖かい物は段々に減るだろうな。それにしても、各メーカーはマイナーチェンジで新製品に見せて売り上げを伸ばしたいみたい。紅茶系も美味しいね。勿論、日本茶も負けていない。乳酸菌系は、これ
浅間神社から五条橋方向に北に向かって四間道を歩き始めた。白壁の土蔵が並んでいる、昔の四間道のままの風景。横道に入った角にあったのは・・・屋根神様の祠が屋根の上にのっている。社を作る土地が無かった庶民が疫病や火災から身を守るために屋根の上に祠を設置したと言
月に一度くらい行かないとヤクが切れたみたいになっちゃう海老蔵です。何がって・・・はま寿司でエビの握りを食べること。勿論、軍艦なども注文しますが・・・月に一度くらいは、はまい!しなくっちゃ。(笑)良かったらポチして下さい。にほんブログ村
江戸時代初期の1610年(慶長15年)名古屋城築城の天下普請に際して、徳川家康の命により福島正則が、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削したのが堀川と呼ばれている川のルーツとされている。堀川が作られた頃に架けられた橋を堀川七橋と呼び、上流の
ソメイヨシノの桜前線はずっと北に行ってしまい、千葉市では花弁が散ってすっかり葉桜状態。しかし、桜の最後は八重桜がしんがりを務めている。自宅近くの公園では八重桜が満開になっていた。ピンク色の花が多いが、中には白い花もある。いずれにせよ、桜シーズンの最後を飾
四間道の入り口に鎮座する神社が浅間神社だ。創建は不詳のようだが、「尾張志」(1844年)によれば正保四年(1647年)に、この地に遷座したとあるので相当古くからある神社のようだ。参道の正面に社殿がある。社殿前の鳥居の脇に境内配置図と末社一覧があった。末社の一つ、
最近は手軽に何時でも食べられるので袋菓子を買うことが多くなった。味付けの濃いものを食べることが多くなった感じ。昔懐かしい「黒糖かりんとう」もたまには良いもんだ。懐かしいと言えば、揚げせんべいも。バーベキュー味とか、焼肉味なんて言うのも出てきた。同じ袋菓子
名古屋散策の第一歩は名古屋駅東側の大通り、さくら通りから四間道に向かうことにした。堀川に架かる桜橋。桜橋の名前通りに橋灯や高欄などに桜をモチーフにした装飾が施されている。桜橋の手前を北に、名古屋城方向に向かうと四間道の街並みがある。名古屋の城下を流れる堀
以前、名古屋に来た時に幾つかのマンホール蓋を紹介したことがある。以前の記事は:2014年9月22日 これぞ原点! : 人在日本身不由己 (livedoor.blog) 今回も同じマンホール蓋にも出会ったが、新たに幾つかのマンホール蓋にも出会ったので紹介しておこうと思う。先ずは前回
先日、小雨の降る中、所用で東京ビッグサイトまで出かけた。過去に来た時には画像正面に見える入り口から入る東ホールだったが・・・今回は反対方向にある南フロアー入口へ。「ゆりかもめ」の線路西側に見えるビルは如何にも風水を考慮した建物だ。上海時代、現地では良く見