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プロフィール
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hn2043さんのプロフィール

住所
中国
出身
茅ヶ崎市

このブログのほかに、 「上海日本語教師日記」 http://blog.alc.co.jp/blog/honda2043 と 「開国後の日本」 http://blog.livedoor.jp/honda2043/ というブログも書いています。 どのブログも内容・傾向がまったく違い面白いと思います。是非三つともお気に入りに登録してお楽しみください。

ブログタイトル
人在日本身不由己
ブログURL
http://hn204.livedoor.blog/
ブログ紹介文
長年にわたり中国上海で日本語教師をやっていました。2018年暮れに本帰国しましたがその後も時々中国に出かけています。 日中での日々の生活の様子を紹介していきたいと思います。
更新頻度(1年)

351回 / 364日(平均6.8回/週)

ブログ村参加:2008/04/10

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hn2043さん
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hn2043さんの新着記事

1件〜30件

  • 神野(かの)歴史散歩 ① 神野群衆塚と道祖神

    米本地域散歩に続いて、米本地区の北東側に広がる神野(かの)地区の歴史散歩を始めたいと思います。先ずは神野群衆塚に。庚申塔や青面金剛と刻まれた石柱があるが風化が進んでいて年号等が殆ど読めない。辛うじて、庚申塔が慶應三年(1867年)と読めた。慶應三年と言えば大

  • オッ! あれは何だ?

    先日、京浜急行品川駅で泉岳寺方面に向かう電車に乗り換えるために1番線ホームで待っていると、何やら線路脇に記念碑のような物が見えました。それが、これ。「1988」という数字と共に「km」の文字が見えます。円柱の断面がゼロを意味しているみたい。現在では、京浜急行は

  • 晩春と初夏の花 その2

    昨日の続きです。相変わらず名前の分からない花が多いです。^^;白花のヒメアラセイトウかな、それとも白花のユウゲショウとか?これはクサノオウだと思います。流石にこれは分かります。ジャガイモの花ですね。ホタルブクロも分かります。(笑)初めて見ましたがカシワバ

  • 晩春と初夏の花 その1

    ここ数ヶ月、主に地域の散歩記事を書いてきましたが時々目に付いた草花などの写真も撮っておきました。数は多くないし、名前の分からない花も多いのですが順次紹介したいと思います。先ずは八千代市の市民の森周辺で見かけた花達です。これはナガミヒナゲシみたいです。こち

  • 海は広いな大きいな

    湘南海岸の真ん中、茅ケ崎で生まれ育ったので、目の前に遮るものが無い広々とした海が大好きなんだけど、千葉市に引っ越してからは千葉港や臨海工場の見える海で我慢しています。その海にも外出自粛で中々行けないので、先日江戸川区の西葛西まで買い出しに行った帰りに市川

  • 久し振りに食べた生ライチ

    上海にいる時には毎年良く食べていた果物の一つがライチ(荔枝)です。日本ではスーパーなどで偶に見かけますが滅茶苦茶高いですよね。昨年は、我慢できずにネットで冷凍ライチを買いました。その時の記事は http://hn204.livedoor.blog/archives/875218.htmlで、今年はネッ

  • さっぱり系それとも酢っぱ味系

    蒸し暑い日が多くなると、どうしても口当たりの良い飲み物に手が出てしまいますね。最近、飲んだ物は梅味のさっぱりした飲み物と・・・レモン味の酸っぱいドリンク類が多いな。昔懐かしい味のカルピスや限定復刻した三ツ矢サイダーも美味しかった。毛色の変わったフルーツ系

  • 米本地域散歩 ⑩ 山谷の石造物群

    米本の道祖神から「すわり地蔵」方面に戻り、大通りに戻ったら約350mほど南下すると江戸時代の高札場跡に出る。今は民家になっていて、その面影はない。丁字路を東に100mほどの三差路脇に文化十年(1813年)の道祖神があった。その道祖神から更に300mほど東に向

  • 本日は雨の特異日

    毎日蒸し暑く、ジメジメした鬱陶しい季節になりましたね。本日は天気予報通り朝から雨が降っています。実は、本日は「雨の特異日」だったのです。我が家のベランダの手すりも雨で濡れ、・・・庭の草木もすっかり雨水を被り、家の前の通りにも水溜りが出来ています。ところで

  • 米本地域散歩 ⑨ 奥津城と道祖神

    すわり地蔵から東に100mほど行くと墓地があるが、墓地の中に幾つか鳥居が見えた。扁額には家名が書かれているだけ。墓石には家名の下に奥津城とある。奥津城は「おくつじょう」ではなく、「おくつき」とよむ。奥都城(おくつき)とは、上代の墓のこと。またそこから神道

  • 米本地域散歩 ⑧ 松輪の石造物群から「すわり地蔵」へ

    米本稲荷神社を後にして、更に南へ向かう事に。稲荷神社のすぐ南にある三差路には石の道標がある。昭和3年(1928年)に立てられたものだ。道標から200mほど南に行くと道の西側に石造物群がある。青面金剛の庚申塔が多いが、二十六夜塔もあった。市内の月待塔は十九

  • 米本地域散歩 ⑦ 米本稲荷神社

    米本十善講が建てた追分の大師札所祠から南に500mほど行くと米本稲荷神社がある。住宅地と道路に挟まれた細長い境内の奥に社殿が見える。鳥居の扁額には狐も刻まれている。稲荷神社にしては赤い鳥居は二つだけ。境内には幾つかの石祠などがあった。手水石は慶応4年(1868

  • 米本地域散歩 ⑥ 西福寺から大師札所祠まで

    水神社から北東に約300mほど行った三差路の角にあるのが西福寺。真言宗の寺で山号は竜休山である。廃寺では無さそうだが、境内は草ぼうぼうで寂びれた感じだった。西福寺から南に300mほど行くと、道路脇に真新しい馬頭観音があった。何と、平成3年(1991年)の

  • 米本地域散歩 ⑤ 薬師堂から水神社へ

    日宮神社を後にして北へ200m足らずの所にあるのが薬師堂。もっとも、地図には薬師堂となっていたが、境内の手入れをしていた地元男性によれば子安堂だという。一体どっちなんだろう?確かに、境内の石仏は子安観音だった。年号の読み取れる石仏には文化十年(1813年)と

  • 米本地域散歩 ④ 米本の石塔群から日宮神社へ

    浅間神社を後にして北東方向に移動し、国道16号線を越えて暫く歩き、米本団地方向に向きを北西に変えて600mほど行ったところで、ランドマークの米本無線中継所を目指す。米本無線中継所を見ながら北に向きを変え、300m程行った所に石塔群があり、道を挟んで道祖神

  • 米本地域散歩 ③ 浅間神社

    ほたるの里と乳清水(ちっこしみず)神社の通りを隔てた東側にあるのが浅間神社。山の上に鎮座している。ほぼ真西に向いた社殿。縁起を記した碑によれば「弘化年間(1844-1847年)に米本割菱講として発足、嘉永元年(1848年)にお祭りせし者・・・云々」とあるので江戸末期の

  • 米本地域散歩 ② ほたるの里と乳清水(ちっこしみず)

    御嶽(おんたけ)神社から下の道路に戻り、北上する事約200m程で「ほたるの里」に着く。道路脇の茂みの中で清水が湧きだし、林内の流れとなってトンボ池に流れ込んでいます。環境省では、さまざまな命を育む豊かな里地里山を、次世代に残していくべき自然環境の一つであ

  • 今日のスウィーツ その71

    書庫「今日のスウィーツ」の記事も何時の間にか71回目を迎えました。思えば良く食べたものですが、どちらかと言うと和菓子系より洋菓子系の方が少し多いような気がします。コロナ騒ぎで外出は控えていましたが、おやつ類や食材は近所のスーパーで時々買っていました。最後

  • 米本地域散歩 ① 御嶽(おんたけ)神社

    米本地区については、以前に村上地区を紹介した際「城攻め 米本城」で一部触れました。今回は、その際触れた長福寺の北西約400mの所にある、山の上にある御嶽(おんたけ)神社から歩き始めることに。同じ漢字名でも御岳(おんたけ)神社と御嶽(みたけ)神社があります

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑫ 浅間神社から寺台の石塔群へ

    高本八幡神社を後にしての帰り道、東へ約1Kmほど戻ったところに県立八千代西高校があり、その東隣に鎮座しているのが浅間神社。境内の板碑によれば、土地の売買によって何回かの移転の後に、現在地に遷座したそうである。祭神は浅間大神で境内に青面金剛像と御嶽大神の石碑

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑪ 高本八幡神社

    高本の馬頭観音から西に約300mほど行った所にあるのが高本八幡神社。鳥居の手前右手(東側)には多くの庚申塔が立っている。寛政六年(1794年)の庚申塔は青面金剛王と刻まれている。寛政六年には浮世絵界に東洲斎写楽が現れ、10ヶ月後に姿を消したことが知られている。

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑩ 高本の馬頭観音ほか

    旧国蔵院を後にして南西に約300mほど行った東側道路脇に馬頭観音があった。嘉永六年(1853年)四月とある。この年の6月にはアメリカの東インド艦隊ペリー提督が4隻の黒船を率いて浦賀沖に到着し、いわゆる黒船騒動が起こり幕末の風雲急な動きが始まった。斜め北側の公園

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑨ 旧国蔵院

    古峯神社の向かいにあるのが高本農業協同館。ここは旧国蔵院で吉橋大師第33番札所でもある。大師像を祀る祠だけでなく、石塔の祠もあった。旧国蔵院時代の墓石だけでなく、沢山の石塔が所狭しと並んでいる。狭い間隔で石塔を向かい合わせに並べてあるのは初めて見た。旧境

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑧ 高本の弁天宮から古峯神社へ 

    旧勢至堂の寺台公会堂を後にして、北西方向に向かったのは茨城県阿波大杉神社の分社とされる大杉神社だったが・・・(画像は 「伝承の祭」 より拝借)平成14年当時は未だ、上の写真のように通りに面した素木の鳥居をくぐり参道を左に曲がると本殿が見えたそうだ。18年

  • もう、外食しても大丈夫?!

    7日の日曜日に、久しぶりに外へ食事に行きました。コロナ騒動が始まってから外で食事をするのを自粛していました。やはり、3密は避けたほうが良いですからね。でも、緊急事態宣言も解除になり、休みの続いていたトレーニングジムも再開したので久しぶりにファミレスに出か

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑦ 駒形大明神から旧勢至堂へ

    吉橋城二郭のあった貞福寺を後にして、県道61号線(県道船橋・印西線)を目指して西へ向かうと畑の中に墓地があり、その一画に駒形大明神があった。台座部分に安原とあるので、吉橋城主・高木(高城)氏の四天王の一人、安原蔵人の末裔が建立したのであろう。安永7(1778年

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑥ 城攻め・吉橋城 二郭(貞福寺)編

    昨日紹介した、吉橋城主郭と切通しを挟んだ南側に広がるのが二郭で現在は貞福寺境内になっている。切通しの上り口に、西に向かって貞福寺への階段があるが、かつての二郭の竪堀の跡と言われている。階段右手脇の小さな石仏。「〇政十」年の年号が読み取れるが年号に「政」が

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ⑤ 城攻め・吉橋城 主郭編

    吉橋城の詳細は不明ですが、高木(高城とも)伊勢守胤貞(たねさだ)の居城で、天文年間に北条氏との合戦で落城したという伝承があります。高城胤貞は、一時は北条氏についていたようですが結果的には北条氏に滅ぼされたことになります。城址の遺構としては、主郭の南側にあ

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ④ 尾崎大師堂

    前回紹介した第88番札所の堀米薬師堂は、廃寺となった医王寺の跡に再建された薬師堂ですが、そこから花輪川を挟んだ対岸に尾崎大師堂があります。吉橋大師第一番札所は、廃寺になってしまった吉祥院跡に建つ尾崎大師堂です。境内の西側には多くの墓石や石仏、石碑などが並

  • 地域歴史散歩 吉橋地区 ③ 堀米薬師堂

    旧来福院から坂を東に下り、花輪川を越えて北東に暫く行くと堀米薬師堂がある。薬師堂下の分かれ道に立っていた古い道標。文政7年(1824年)と刻まれていた。文政7年と言えば、前年の6年にはシーボルトが出島のオランダ商館にやってきており、翌年の8年には江戸幕府が異国

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