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柳居子徒然 https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/

六十歳を過ぎた 若くは無いが、年寄りでもない。要は気持ちの持ち様だ 好奇心未だ衰えず。

柳居子徒然
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住所
京都府
出身
京都府
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2008/03/18

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  • 時代に 阿(おもね)無かった 人

    父 柳居は、大正五年生まれだから 昭和十一年の現役召集。直ぐに中国大陸に渡って 支邦事変 日中戦争に従軍して、兵・下士官としては誉の高い 金鵄勲章を貰った人。 太平洋戦争では 陸軍海軍と言われた 船

  • 遠来の客人 面白かった二人

    今年に入って 昨日までで、肌色が違ったり 日本語を話さない遠来の客人が 35人にもなった。仕事中は殆ど会話を交わす事は無いのだが、終ってからは拙い英語と 音声自動翻訳機の助けも有って 話しを交す。ご

  • 出張

    昨日は、ご高齢で店までお越し頂けない方のご自宅まで 出張の散髪に出掛けた。 東山区の馬町の坂道を上ってお寺の楼門の直ぐ傍がご自宅。数十年この坂を上り下りして 柳居子の店まで通い続けて頂いた事を思うと

  • 朗報

    かれこれ 二十年近く お付き合いのある女性 カールフレンドと云うより 娘 京都のお父さん感覚か? 店にやって来た 未だ結婚前 京大の院の時代か 博士論文が 京都市内の終戦間際の強制疎開がテーマだっ

  • 常連席の、高齢化

    朝の珈琲屋 柳居子の来店歴を物語る一枚の写真が在る。旧いアルバムの 17歳の時の写真 この店で珈琲を飲み干している一枚。誰が撮ってくれたのか記憶は無い。 79歳から17引くと62年間 この店に通って

  • 午前 四時・五時の風景

    真夏だと、早朝と感じる午前四時・五時台も 今の季節は未だ漆黒の闇夜の感じがする。毎朝この時間帯に自宅から店に向かうから。年間通しての 町の定点観察 時間軸での観察をする事が出来る。 本サイトご覧

  • 経験と初体験

    深夜ラジオの歌番組が、山口百恵の特集を組んでいた。流れる曲は耳にした曲も有れば そうでない曲も有ったが、『ひと夏の経験』という曲が流れだした時、眼が点になるが如くに 耳が点になった。其の歌詞と謳い方

  • 有り難い事

    昨 二十三日 満 七十九歳となり 大勢の方から お祝いのメッセージや お祝いの品をお送り頂いたり お届け頂き、誠に有難うございました。 本来ならお一人毎 お礼の返事をせねばならないのですが、略儀 本

  • 他人を見る眼 視点とか角度

    朝の珈琲屋へは、交される会話が面白いと思う人が居るのか 京都へ来たついでに、常連席にわざわざ座りに来る東京本面からやって来る人が 途切れない。大変なキャリア 東京大学法学部卒と云う人も 柳居子の隣

  • 些事

    ブログ記事を 書きはじめて、三日めの 2006年4月27日。国で頑張っていた人の事を書いた。 今 彼は 生まれ故郷の 京都で 頑張りたいと。頑張っている。 2006.04.27 行革委員会 カテゴリ:カ

  • 些事

    たまに出逢って『元気にしてるかー?』という問いかけは、我々の世代になると、生き死にの話しになる事が多い。 例によってブログプリント版配達先 玄関家の鍵が潰されていた。真向かいに住んでいる 中学

  • 字の達人

    お名前はと聞かれ、國弘のヒロは、弘法大師の「弘」ですと答える様になつて、弘法大師に興味を持ち、随分沢山の本を読み、伝記だけでは無く 大師の書かれた物にも眼を通してきた。 勿論 四六駢儷体が読める訳で

  • お参りの利得

    神社の 創建 建立の由来は、色々と有る。不遇の内に亡くなった人の御霊を弔うとか 慰める目的で建てられたのが 御霊神社や 北野天満宮 御蔭神社等・・悪疫退散 病気平癒 流行り病を祟りと考えるのは医学知

  • 原初記憶

    久し振りに銭湯に出掛けた。寒中しては暖かいし 、湯冷めする事も無いだろうと 自転車で出掛けた。 家の風呂は隙間風だらけ いつもシャワー替わり 瞬間体を温めるだけのもの。 銭湯育ちは 風呂と云

  • 些事

    老いこんだという事を、実感する事が 多くなってきた。 何年も前に、庭の塀 土塗りが、元の色が判らない程 汚れてきたので、高圧洗浄機と云うのを買いもとめて、其れこそ新築の塀の様に綺麗になったのだが

  • 維新後の京都

    時々『京都の事 何でもよくご存知ですね。』と、言われる事がある。 生れ育って 八十年近く過ごしていると、その間に見知る事はあっても、自分の生活の範囲内の事 又 興味の向く部分だけ 其れも学術的な検証

  • 担い手

    京都の街が『国際文化都市』の名乗りに対しては。歴史的な実績が有り。又伝統文化とか 産業と云うのも保持してきたと思う。しかし現況は、そういう文化 伝統行事 又産業が、この先同じように続くのかという保証

  • いつもと変らぬ日曜日

    いつも変らぬ日曜日と書くと、常と変らぬ日曜日という意味になるのかな? いつも通りの日曜日と書いた方が良いのか。 営業日は外をウロウロ出歩く事が無いから 日曜日に無碍外出が集中する。 ご招待の催事も

  • 好条件の 開催地

    皇后杯を目指して、全国女子駅伝が、今日京都で開催される。四十七回を数えると云うから 伝統行事と云う事になる。 京都での開催が恒例になっている様だ。 都・道・府・県 持ち回りの開催でも良さそうと思う

  • 些事

    昨日 ご年輩の客人を、階下までお見送りをして、 二階に戻ろうとした時、年輩の御婦人に声掛けられた。 全く見覚えの無い人だった。相手も其れをご存知の様で、直ぐに名乗りをされた。 同じ町内 東の方に居

  • 古都税

    過って 京都市内では、お寺・神社から 観光税の名目で 金を徴収するという騒動が二度有った。 一番最初に言い出したのは 高山義三市長だった。当時市の商工局長㋾されていた 上田氏(柳居子の店の客

  • 八代亜紀さん逝く

    亡くなった八代亜紀さんの歌唱は、少し好みから外れるので 余り聞く事も無かったが、流れ出てくる曲はしっかり覚えているから 何曲かは知っている。 亡くなった事を知って、いつ来るか判らない客人を待つ間 ユ

  • 時勢

    世の中 大きく変わりつつ有る事を、実感する事が有った。 左耳の具合が悪く 時々 塗り薬を処方して貰いに 耳鼻咽喉科の開業医に通っていたのだが、ここ暫くご無沙汰だった。老先生が若先生に入替った様だ。

  • オーバー ツーリズム もう一つの視点

    オーバーツーリズムが、大きく問題視されている。 住む人の居住環境の劇変は、大きな問題では有るが、押し寄せる観光客で 大きく潤っている業界とか余禄を受ける人も居る事も確かな事である。 老舗の京料理

  • 死と生還の狭間

    五十一歳の娘と、七十七歳の父親親子が 共に今回の地震で 潰れた家の下敷きになって 閉じ込められた。落命するか生き残りの狭間と云うのは、時・空間を越える 何かが有るのだろうと考える。 生き残りの限

  • 『アクセントが違うと』

    地元紙「現代のことば」欄に、慶応大学名誉教授の 阿川尚之氏が 『アクセントが違うと』という一文を寄せておられた。 京都に生まれ育って 何の違和感も無く使っている言葉のアクセントの違いは、 外から見れば

  • 『元気に、生きてるか?-』

    年賀状を頂き乍 返礼も出さず 放っておいた幼馴染 小学校同窓だった女性から 電話が入った。『元気に、生きてるか?-』が開口一番 最初の口上だった。 彼女は、一年間起こった出来事を、悉く年賀状

  • 手の温度

    年末にお越しになった遠来の客人は、仕事全てが 終わって 恒例のメッセージ帳にも 長文のコメントを書いて貰い 来店記念写真も撮り終わって 帰り際 握手を求められた。 ツルツルの顔剃り体験が余程気に入っ

  • この国に生きる定め事か

    地震 津波 火事 避難生活・・・ 幾たびこの光景を見続けてきた事か? 地震の体験談とか 同時代の出来事と記憶に残るのは、日本人皆が持つ国民性とでも言える事かと思う。 関東大震災の起った大正十二年

  • 三が日

    元旦から始まる三日間を『正月三ヶ日』という言い方が有った。年末に造った御節料理で過ごしたが 今は事情が違う・ 正月を他家を『お年始』と言って訪問する事が、女性たちに過重な負担を掛けていた。 其れが世

  • 元旦の、初仕事

    昨日 京都でも地震の揺れを感じた時、丁度電話が掛って来た。正月恒例の申告の準備書類の整理をしていたのだが、『散髪をして頂きたい』少々たどたどしい日本語の電話 今日は正月休みと 言下に断る事も出来た

  • 接客業

    何一つ変わる事無く 新しい年を迎えられた事を有り難く思う。 大晦日は 新橋のお茶屋の大女将の所へ、立寄った。客の未だ来ないと思われる時刻 お茶を淹れますと上に招じられた。 個々にはお互い親しく

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