孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
父 柳居は、大正五年生まれだから 昭和十一年の現役召集。直ぐに中国大陸に渡って 支邦事変 日中戦争に従軍して、兵・下士官としては誉の高い 金鵄勲章を貰った人。 太平洋戦争では 陸軍海軍と言われた 船
今年に入って 昨日までで、肌色が違ったり 日本語を話さない遠来の客人が 35人にもなった。仕事中は殆ど会話を交わす事は無いのだが、終ってからは拙い英語と 音声自動翻訳機の助けも有って 話しを交す。ご
昨日は、ご高齢で店までお越し頂けない方のご自宅まで 出張の散髪に出掛けた。 東山区の馬町の坂道を上ってお寺の楼門の直ぐ傍がご自宅。数十年この坂を上り下りして 柳居子の店まで通い続けて頂いた事を思うと
かれこれ 二十年近く お付き合いのある女性 カールフレンドと云うより 娘 京都のお父さん感覚か? 店にやって来た 未だ結婚前 京大の院の時代か 博士論文が 京都市内の終戦間際の強制疎開がテーマだっ
朝の珈琲屋 柳居子の来店歴を物語る一枚の写真が在る。旧いアルバムの 17歳の時の写真 この店で珈琲を飲み干している一枚。誰が撮ってくれたのか記憶は無い。 79歳から17引くと62年間 この店に通って
真夏だと、早朝と感じる午前四時・五時台も 今の季節は未だ漆黒の闇夜の感じがする。毎朝この時間帯に自宅から店に向かうから。年間通しての 町の定点観察 時間軸での観察をする事が出来る。 本サイトご覧
深夜ラジオの歌番組が、山口百恵の特集を組んでいた。流れる曲は耳にした曲も有れば そうでない曲も有ったが、『ひと夏の経験』という曲が流れだした時、眼が点になるが如くに 耳が点になった。其の歌詞と謳い方
昨 二十三日 満 七十九歳となり 大勢の方から お祝いのメッセージや お祝いの品をお送り頂いたり お届け頂き、誠に有難うございました。 本来ならお一人毎 お礼の返事をせねばならないのですが、略儀 本
朝の珈琲屋へは、交される会話が面白いと思う人が居るのか 京都へ来たついでに、常連席にわざわざ座りに来る東京本面からやって来る人が 途切れない。大変なキャリア 東京大学法学部卒と云う人も 柳居子の隣
ブログ記事を 書きはじめて、三日めの 2006年4月27日。国で頑張っていた人の事を書いた。 今 彼は 生まれ故郷の 京都で 頑張りたいと。頑張っている。 2006.04.27 行革委員会 カテゴリ:カ
たまに出逢って『元気にしてるかー?』という問いかけは、我々の世代になると、生き死にの話しになる事が多い。 例によってブログプリント版配達先 玄関家の鍵が潰されていた。真向かいに住んでいる 中学
お名前はと聞かれ、國弘のヒロは、弘法大師の「弘」ですと答える様になつて、弘法大師に興味を持ち、随分沢山の本を読み、伝記だけでは無く 大師の書かれた物にも眼を通してきた。 勿論 四六駢儷体が読める訳で
神社の 創建 建立の由来は、色々と有る。不遇の内に亡くなった人の御霊を弔うとか 慰める目的で建てられたのが 御霊神社や 北野天満宮 御蔭神社等・・悪疫退散 病気平癒 流行り病を祟りと考えるのは医学知
久し振りに銭湯に出掛けた。寒中しては暖かいし 、湯冷めする事も無いだろうと 自転車で出掛けた。 家の風呂は隙間風だらけ いつもシャワー替わり 瞬間体を温めるだけのもの。 銭湯育ちは 風呂と云
老いこんだという事を、実感する事が 多くなってきた。 何年も前に、庭の塀 土塗りが、元の色が判らない程 汚れてきたので、高圧洗浄機と云うのを買いもとめて、其れこそ新築の塀の様に綺麗になったのだが
時々『京都の事 何でもよくご存知ですね。』と、言われる事がある。 生れ育って 八十年近く過ごしていると、その間に見知る事はあっても、自分の生活の範囲内の事 又 興味の向く部分だけ 其れも学術的な検証
京都の街が『国際文化都市』の名乗りに対しては。歴史的な実績が有り。又伝統文化とか 産業と云うのも保持してきたと思う。しかし現況は、そういう文化 伝統行事 又産業が、この先同じように続くのかという保証
いつも変らぬ日曜日と書くと、常と変らぬ日曜日という意味になるのかな? いつも通りの日曜日と書いた方が良いのか。 営業日は外をウロウロ出歩く事が無いから 日曜日に無碍外出が集中する。 ご招待の催事も
皇后杯を目指して、全国女子駅伝が、今日京都で開催される。四十七回を数えると云うから 伝統行事と云う事になる。 京都での開催が恒例になっている様だ。 都・道・府・県 持ち回りの開催でも良さそうと思う
昨日 ご年輩の客人を、階下までお見送りをして、 二階に戻ろうとした時、年輩の御婦人に声掛けられた。 全く見覚えの無い人だった。相手も其れをご存知の様で、直ぐに名乗りをされた。 同じ町内 東の方に居
過って 京都市内では、お寺・神社から 観光税の名目で 金を徴収するという騒動が二度有った。 一番最初に言い出したのは 高山義三市長だった。当時市の商工局長㋾されていた 上田氏(柳居子の店の客
亡くなった八代亜紀さんの歌唱は、少し好みから外れるので 余り聞く事も無かったが、流れ出てくる曲はしっかり覚えているから 何曲かは知っている。 亡くなった事を知って、いつ来るか判らない客人を待つ間 ユ
世の中 大きく変わりつつ有る事を、実感する事が有った。 左耳の具合が悪く 時々 塗り薬を処方して貰いに 耳鼻咽喉科の開業医に通っていたのだが、ここ暫くご無沙汰だった。老先生が若先生に入替った様だ。
オーバーツーリズムが、大きく問題視されている。 住む人の居住環境の劇変は、大きな問題では有るが、押し寄せる観光客で 大きく潤っている業界とか余禄を受ける人も居る事も確かな事である。 老舗の京料理
五十一歳の娘と、七十七歳の父親親子が 共に今回の地震で 潰れた家の下敷きになって 閉じ込められた。落命するか生き残りの狭間と云うのは、時・空間を越える 何かが有るのだろうと考える。 生き残りの限
地元紙「現代のことば」欄に、慶応大学名誉教授の 阿川尚之氏が 『アクセントが違うと』という一文を寄せておられた。 京都に生まれ育って 何の違和感も無く使っている言葉のアクセントの違いは、 外から見れば
年賀状を頂き乍 返礼も出さず 放っておいた幼馴染 小学校同窓だった女性から 電話が入った。『元気に、生きてるか?-』が開口一番 最初の口上だった。 彼女は、一年間起こった出来事を、悉く年賀状
年末にお越しになった遠来の客人は、仕事全てが 終わって 恒例のメッセージ帳にも 長文のコメントを書いて貰い 来店記念写真も撮り終わって 帰り際 握手を求められた。 ツルツルの顔剃り体験が余程気に入っ
地震 津波 火事 避難生活・・・ 幾たびこの光景を見続けてきた事か? 地震の体験談とか 同時代の出来事と記憶に残るのは、日本人皆が持つ国民性とでも言える事かと思う。 関東大震災の起った大正十二年
元旦から始まる三日間を『正月三ヶ日』という言い方が有った。年末に造った御節料理で過ごしたが 今は事情が違う・ 正月を他家を『お年始』と言って訪問する事が、女性たちに過重な負担を掛けていた。 其れが世
昨日 京都でも地震の揺れを感じた時、丁度電話が掛って来た。正月恒例の申告の準備書類の整理をしていたのだが、『散髪をして頂きたい』少々たどたどしい日本語の電話 今日は正月休みと 言下に断る事も出来た
何一つ変わる事無く 新しい年を迎えられた事を有り難く思う。 大晦日は 新橋のお茶屋の大女将の所へ、立寄った。客の未だ来ないと思われる時刻 お茶を淹れますと上に招じられた。 個々にはお互い親しく
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の
今の時代 物事が多数決で決まる。我々の参政権の行使 なり代わって代表として選出する 議員とか首長の選出も 例え一票の差であっても 多数決という前提の決まりで、物事が動いて行く。 論議を尽くしたと
昨日やって来た 地元紙の記者との会話は、遊廓の話しで盛り上がった。 『今を生きる人の眼から見ると、方々に存在した遊廓を、昔の人は余程好色漢だったと考えるかも知れないが、誰もが有る一定の年齢になると、
ことわざと、格言の使い分け、これから「ことわざ」を喋りますとか これは格言ですと、説明する様なシーンは無いから、あえて分類する事でも無いのだが、昨日迄で 6633日 毎日何か一文を書き連ねていると