孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
指先と眼のトレーニングを兼ねて、朝の珈琲屋の卓で、新聞の折り込み広告を手札版くらいの大きさに折り畳み重ねるという、他人が見たら何をしているのかという阿呆な事が 日課と言うのか 朝課 朝の課題になってい
戦乱の世より、戰の無い平和な時代が良いのに決まっている。 我々日本人の大多数は、戦争は過去の出来事 再び戦争はしてはいけない事と教え込まれてきた。 事実其の教え通り他国と戦火を交える事は無かった。誠
世間一般的には。完全引退の歳 後期高齢者も もう直 三年目の七十八歳が近づいて来た。 既に七十八歳になった中学校同級生だつたM君が訪ねてきた。友を訪ねるというのは 何処かへ出掛けようというより 「元
先日 朝の珈琲屋で出た話題は、『しっかい屋さん という言葉を昔はよく聞いたのですが どういうお商売ですか?』と尋ねられた。『着物の洗い張りや染め直しを取り次いだり 自分でもするという 今風に言うと着
柳居子の店が在る 姉小路界隈は、人や鳥 飼い犬 猫だけがおおっぴらに住む所では無くなった様だ。 市街地中心部と思っていても、猪が我が物顔で走り回ったという。最終的には姉小路東洞院辺りで捕獲されたと報
自分の余命を知らされたり、自ら感得した人が、人生最期の散髪と決めてお越しになるのは、迎える方も気の重い事になる。 先日も『長い間 お世話になったねぇ』と言われると 終りの挨拶 今日この日この散髪が
立秋を過ぎ 夜明け・夕暮れは、確実に長い夜の季節を迎える時期の到来を知るのだが、現実は熱い日が続く。 昔 父柳居が頑張っている頃は。冷房は無く扇風機が頼り 夏は地獄の職場と思いきや そう汗だくで仕事を
海外からお越しの客人が相変わらず多い。 昨日お迎えした人は白人の背高ノッポ 頭を0.1ミリの丸刈 髭剃りが大仕事だった。 朝の珈琲屋仲間から貰った英語表記の地球儀が理容椅子の前に置いてある。其れを柳居
公立 最初からお上が建てた学校の場合。時代に合わせてどの様な展開になつても、学校に通わす保護者や地域の人は何も言わないと思うのだが。京都の場合 市立とは言っても、開校当初は、地元の篤志家の寄附とか
諡号『弘法大師』と柳居子の本名『國弘』の「弘」の一字が同じという 極単純な理由から。空海に親しみを覚え 空海関係の本を数多く読み 又 其の時代の人にしては、信じられないほど 自筆も含めて数多くが残っ
昨日お越しの客人との会話 来店歴はそう長くは無い。お帰りの際 必ずブログのプリント版を何枚か差上げる。どんな人間 何を考えているのか判らない男に、大事な首から上を託して頂くのだから、こちらの思う事
先日「歌は世に連れ 人も連れ」というタイトルの記事を書いた。 流行り歌は、其の時代を懐かしく思う人々のナビゲーターの働きをするという内容だった。 昨日の早朝か深夜か 午前三時からのNHKの歌番組は、
先日真夜中に、大雨による緊急避難勧告を告げる知らせがスマホに入って起された。柳居子の自宅直近は、全く問題は無いのだが、少し離れた山裾に近いところは、過去にも大きな災害が起きたそうで、学校に避難され
三年ぶりの大文字の送り火を 特別の感慨を持って迎え拝まれた人が多かったのではと思う。 点火直前の豪雨は、この侭降り続けると久し振りの送り火も覚束ないと 半ば諦めていたから。やはり京都の夏は、大文字
このところ 本サイトは。ローカル且つ瑣末な話題の記事が続くが、終戦間際に起こった事で、一寸面白い考えさせられる様な事に気付いた。 京都の町は戦禍に遭わずに済んだ。 一面焼け野原になった他の都市に
終戦の日の 地元紙朝刊の一面トップには、懐かしい人の顔写真と記事が載っていた。郷土史家の田中緑紅氏に付いての記事である。 今年三月 京都大学の菊池暁助教(民族学)が、古物商から買い求めた 名前
自宅に居て クーラーを掛けると、光熱費は経費としては認めてくれないが、店で掛けるクーラーは、全額水道光熱費として処理する事が出来る。 逆に水道代は、基本使用料にも達しない自宅に店用の使用済みタオルを
まつりごと〖政〗を託する人の事など、選挙の時に其の名前を記す以外は、新聞・テレビ報道や SNSに上がる情報に頼るのみ 直接政治の何かを知るという機会は皆無 政治家同士間の関係など知る由もない。 只
早朝 夜明け前後によく出逢う ゴミ収集のお兄さん。 柳居子の姿を見ると、片手運転 挙手の礼を取る。 『日本の町は清潔 自分の出したゴミは自宅へ持ち帰ると 国際的に評判が高いと言うが、持ち帰ったゴミを処
昭和三十年代 地元紙 京都新聞が『古都再見』というタイトルで、多分夕刊の一面掲載だったと思うが、写真と地元の名の有る人と組んで 写真に文を添えたか 其の逆だったか 掲載の一部を製本されたのを掛蔵し
勉強不足でも無ければ、好奇心の衰えでも無く 只 其れを知る機会や環境に居ないというだけの話し。日常生活の中で、カタカナで言い表される言葉の多い事 時々 如何いう意味と聞き返すがその説明の中に またカ
朝の珈琲屋仲間の 滋賀県湖西の別荘の庭に出来る生り物 筍・茗荷等を 季節ごとに頂く。常連席円卓に座る余禄が時々ある。 柳居子は概ね頂く方が多いのだが、時々手作りの一品 沢山造った時 振舞う。
時々 面と向かって『京都通ですね。』と言われると、面がゆい思いがする。どの程度の知見を身に付けると通(つう)と呼ばれる人になるのか? 以前 京都人という記事を書いた事が有る。知っていることをペラペ
『賀茂神主補任史』という本を,三十年程前に、著者である 藤木正直氏から頂戴した。 歴代の上賀茂神社の神主の事を詳らかに書いてあり、其々の代に起こった事 神社の内外事を、社家に伝わる古文書を基に 数十冊
取り立てて見たい番組が 有る訳でも無いと、テレビが壊れた時 新しいのを買い替えずに十年を越えた。 朝の珈琲屋の話題もテレビ番組の話しが出ると、聞くだけスルー 十年間の空白は大きく どんどん時代に取り
昔語りとは言っても、柳居子の記憶に残っている範囲の事だから、戦後の事になるのだが、建物が其の侭残っていると、住む人や店舗が変っても 旧い記憶が甦るものだが 建物が建て替えられると。何もかもが闇の彼方
東北・北陸地方を襲った今回の大雨の被害は、頑丈に出来ている極みと思われる鉄橋が流される等 大凡 想像の付かない被害が出ている様だ。絶えず大風・大雨 台風の来る九州や四国では 雨・風を想定しての家づ
随分長い間ご贔屓頂いている客人。七回目の周り年 寅年生まれと仰っていたから八十四歳。 若い時は百貨店の店頭に立つ背の高い好男子だった。 何時も身なりは,社命と云うより 多くの人や客に接するから 印象
地元紙に、京都大学大学院准教授 社会学の「柴田悠」氏が、父親の体験も含めて 旧盆京都の地蔵盆の事を寄稿されていた。父君は戦中の生まれだから 柳居子と ほぼ同年代 大阪の大空襲を逃れ京都に移り住んで
事更 改まって自然観察なんてする訳でも無いのだが。この夏少し気になる事が一つある。 群れ為す雀の事である。 いつもの年に比べて雀の個体数が著しく多い様に難じるのだ。 街中で 雀の目撃体験は こ
歳を重ねる毎 今・いまの事よりも、懐かしい昔の事に頭を回らす事が多い様に思う。 流行り歌と云うのは其の時代 一つの時代を思い出させてくれるナビゲーターの役柄も有る様に思う。 朝の珈琲屋の卓でも、
祇園八坂地区に住む友人から『東山区詳細図』と云うモノを頂いた.有済・粟田・弥栄自治連合会区域図 東山区は、下京区から分区して今年九十周年だという。東山区域で見る『仁丹』の琺瑯(ホウロウ)の看板は
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の