孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
交遊録と書くと 何か対等 仲良く一緒にと言うイメージだが、伏原春男先生との関係はどちらかと言うと師弟 弟子の出来が悪いから師弟の関係でも無い。 一方的にお世話になったという関係である。年齢は柳居子よ
昨日午後 初めてお迎えした客人は、東部カナダとアメリカの境界辺りの出身と言っていた。日常会話レベルの日本語を喋る言が出来るから、色々と話しながらの仕事面白かった。 『日本語上手ですね。』と言うと『仕
ウェブログ 途切れず記事の連載と云う事には、拘りが有るのだが、読者カウント アクセス数と云うのは余り関心が無いのだ。掲示された数字に信頼性を疑う様な事が有った。 調べて 裏を取って 日数掛けて書き上
本サイトに取り上げる事躊躇う程の瑣末な事。 ご近所の骨董屋さん 去年か一昨年 御主人が長い闘病の末亡くなって、骨董の仕事は開店休業の模様 勿論今は目当てとする観光客も姿見せず 今店頭に並んでいるのは
コロナの発生が伝えられて直ぐ、柳居子は、百余年前に地球上席巻したスペイン風邪の事を思い 兵器を持たない姿を見せない敵に翻弄されるで有ろうと これは姿なき敵に対する「第三次世界大戦」と断じた、 戦時中
人の色・恋と云うのは、掃いて捨てるほど有ると思うし 他人がとやかく言う事では無いと思うのだが、読売新聞〖人生案内〗欄に載った千葉県の男性 『70代男性 看護師に片思い』誰にも相談できず今も天に祈ってま
コロナ禍が納まって、元通り 同じ生活が戻るか如何かは、正直言って判らない。戦後の復興期から今に至まで 好・不況は有ったにせよ 経済規模は右肩上がりに大きくなってきたと思うし 外貨準備とか 特に在外資産
人は十人よれば十色 百人寄れば百態の性格の違いとか差の様なものが有る。 子供の頃の性格 元々の性質(たち)は、成人して社会に出ると 多少世渡りの都合で 修正される事も有るが、仕事を退いて何もする事が無
病に対処するのが医師の本分と思うに、ワクチン接種の医師が不足して ワクチン接種が当初予定通り出来ない不思議な事態になっている。 医師総数の国際比較を、厚生労働省発表のデーターで見ると 人口1000人あた
昨日 初めてお越しの客人との会話は、愉しかった。 長年ご贔屓の客人は、いよいよ数が減って来て、特にこのコロナ禍 バスや電車でお越しの方は、ご家族がもうそんな遠い所まで 散髪に行く事も無いと仰るのか
我が国の戦後教育の一番の歪(ひずみ)と言うのか 問題点は、戦前日本は、侵略戦争に明け暮れしていた。領土を増やして搾取を続けていたという戦勝国のシナリオに沿った教育が為されたが、日本人小悪を刷り込むと云
誰もが 自分の本職の仕事以外に、愉しみにする事を持っている。趣味とか嗜好 たしなみを持つことは、その人の生活と云うより人生其の物を豊かにするファクターでもある。 写真撮影 カメラも多くの人が趣味
過去にも今回のコロナウイルス禍の様な、侵略と言えるような騒動が 度々繰り返されてきたのだと思う。伝染病の認識は古くから有ったと考えられる。 今は病原となるウイルスが特定され 効くと信じて受けるワクチ
花便りと云うのが 柳居子にとっては 季節を知る一番判り易い目に見える実感となっている。自宅庭の梅の木 山茶花 又違える事無く確実にその日の到来を知らせてくれる彼岸花 曼珠沙華 もうこの季節なのかと知
『無学文盲』と云うと 学が無く文字も書けない読めない事を表わす言葉で、どちらかと云うと蔑み 軽蔑 蔑視の対象である。其れは文盲という言葉とセットして使うから 学の無い人の意味が決定するのだが、『無学
引退したが、新聞社の幹部を務めていた友人が、柳居子の交遊関係とか人脈と云うような事で、「何故? 何故」と言った事が有った。 新聞社の幹部ともなると、職業上 実に多彩 数多い人と知り合いになり 名刺交換
鬼門除けという風習は、余程昔から人々の心の中を支配してきたと思われる。 中国の陰陽道五行説に因む。鬼が出入りする方角、不吉な方角 丑寅(うしとら)東北の方角を指す。今でも敷地内鬼門の方角は、其の位置
随分昔の 歌謡曲番組 テレビかラジオか記憶も定かでない時代 番組の冒頭『歌は世に連れ 世は歌に連れ』という番組のオープニング・ナレーションが有った。意味を深く解する事も無く聞き流していたが。時代が流れ
砲弾の飛び交わない第三次世界大戦は、全世界を巻き込んで一向に終息の気配すら見せず、人類をあざけ笑うように一方的に攻め込んでくる。眼に見えない敵ほど始末の悪いモノは無い。 只 この大戦が未曾有 人類
過日 東京での『床屋談議』お喋りの中で、板前の寿司屋のカウンター横の隙間からゴキブリが出てきて、寿司屋の店主の対応 顛末を話したのだが、ゴキブリと言うのは 概して嫌われモノ 生命力が強いのか? 人間と
昨日午前中にお越しの客人は、ブログ記事の連載を始めた頃からのご愛読者。来店の時ブログに載せた記事を中心に会話が弾む。五年・十年・十五年とか 三千・四千・五千連載節目の時は、朝の珈琲屋へ出掛けるのは
京都の やり方とか方法 手段と言えば判り易いのかも知れないと思う事に『おもてなし』が有る。其の精神を発揮する場 機会が他の町に比べて圧倒的に多いのではと考える。 接客 其の物が「おもてなし」文
随分前 大阪から定期的にやって来ていた 出入りの理容材料商が、在庫一掃セールを開きますので、一寸距離が有りますが、お買い上げの分については。次 京都に参ります時にお届け致します。という事で出掛ける事
極道という言葉は、当節は 外れ者の意味で使われる事が多いと思うのだが、極めるという本来の意味以外に、端(はし)先が無いという意味も有る。 極地 南極・北極とか 人が住める極限という形容にも使うし 極
ジュリーの世界 ポプラ社刊 増山実著を、読み飛ばした部分も有るが読了した。タイトルにある ジュリーとは、1970 ・80年代 京都の繁華街 河原町や新京極を居場所と定めたホームレスの話。 本の帯には「あ
錦小路のMさんから、今年も沢山の筍を頂いた。第一弾 弐弾に次いで第三弾を昨日頂戴した。毎週 滋賀県の別荘の裏山竹藪に、食べきれない程の筍が採れるから おすそ分け おすそ分けとは言い難い量を頂くから
昨日は、一日中鬱陶しい天気だった。陽が射したと自転車で出掛けると 直ぐに大粒の雨 雨宿りしても 止みそうもないから 傘借りて店に戻る。 暫くパソコンのご機嫌伺いをしていると、ガラス窓越し差し込む光り
改めて、夕刊とは云え 京都新聞一面に柳居子の 東京に於ける『京語り』に付いて載った記事の反響の大きさに吃驚している。 京都新聞東京支局の記者の書いた記事は、当日の取材では無く、ユーチューブで配信され
父 柳居が現役引退を決意した日の事をよく覚えている。七十一歳の春の某日 当時 父・柳居子・弟の三人で仕事をしていた。理容の椅子は三台 三人がフル稼働すると結構な売り上げになった。若い時父は業界の重鎮
随分前に、「流れに棹(さお)さす」と言う言い方が、流れに抵抗して船を操るという意味では無く 流れに従って船を川下へ下す。周囲の成り行きに順応すると言うのが正しい解釈と載せたと思う。 敬語と言うの
『傘と提灯(ちょうちん)は、戻らぬつもりで貸せ』という成句が有る。いまどき 提灯というと 若い人には説明の要る様な言葉だが、柳居子が応援団長をしている 京舞篠塚流の年中行事には 祇園祭 神輿のお迎え提
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から