さて、ここでもう一度、泉親衡の乱から和田合戦に至る流れを、別の角度から振り返ってみると別の側面が見えてくる。 まず、反逆軍として和田義盛とともに戦った武士達…
鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
九条兼実はさらに鎌倉方の影響縮小を図る道を選んだ。 鎌倉方における地方統治の要となっている地頭について、朝廷の名で鎌倉に対処を求めたのである。 文治四(一一…
九条兼実は鎌倉方の力を利用して後白河院を牽制しつつ、院政前の時代を取り戻そうとしていた。しかし、全てが鎌倉方の言いなりというわけではなく、九条兼実は源頼朝の…
平泉で藤原秀衡が亡くなってからおよそ半月、畠山重忠の釈放から一ヶ月以上を経た文治三(一一八七)年一一月一五日の夜、鎌倉で騒動が起こった。 畠山重忠に謀叛の疑…
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奥州藤原氏の当主交代があったという知らせが京都に届いたであろう頃、京都では摂政九条兼実の主導する時代の復旧が進んでいた。平家政権も、源平合戦も無かったことで…
能力は問題なくとも血縁に問題のある兄の藤原国衡。 血縁は問題なくとも能力に問題のある弟の藤原泰衡。 この二人のどちらを後継者に指名しても問題が起こることは目…
藤原秀衡死去の様子を、吾妻鏡の文治三(一一八七)年一〇月二九日の記事はあっさりとした記載で済ませている。藤原秀衡が陸奥国平泉で亡くなったこと、そして、既に病…
文治三(一一八七)年一〇月四日、源頼朝は一つの決断をした。畠山重忠の軟禁状態を終了させ、武蔵国の所領へ戻ることを許したのである。ただし、没収した所領について…
鎌倉で畠山重忠がハンガーストライキに突入していた頃、京都では摂政九条兼実が憂鬱に襲われていた。この頃の九条兼実の日記を読むと、自らの思い描いている政務を執り…
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奥州藤原氏に対するさらなる追い風が吹いたのが文治三(一一八七)年九月二七日のことである。この日、畠山重忠の所領四ヶ所が没収となり、千葉常胤の長男である千葉胤…
奥州藤原氏のもとに源義経がいるという話を、藤原秀衡が公的に認めたわけではない。鎌倉では源義経が平泉にいるのは既定路線となっていたが、京都ではまだ源義経が平泉…
京都は治安悪化についての対処を一通り終えた源頼朝のもとに東北地方から不穏な知らせが飛び込んできたのは文治三(一一八七)年九月四日のことである。 源頼朝は源義…
四つと記しておきながら三つしか記していないと思うかもしれないが、四番目はしっかりと存在する。それも、何よりも最優先で対応しなければならないこととして存在して…
結論から言うと、畠山重忠に対する処罰は九月まで引き延ばされた。安田義定のときと違い、畠山重忠の家臣についての実情を調べなければならなかったことに加え、他の問…
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鎌倉武士のやらかしの第二弾の記録として他に残っているのは、文治三(一一八七)年六月二九日の出来事である。 このときに責任を追及されたのは、畠山重忠。ただし、…
もっとも、鎌倉側のほうにも京都から見下されるに値する理由がある。源平合戦の勝者となった鎌倉の御家人達がやらかしていたのである。 文治三(一一八七)年五月二六…
この里内裏である閑院の復旧工事を、源頼朝が資材を投入し、人員も用意して再建すると発表したのだ。源頼朝は既に東大寺再建工事について木材を提供すると公表しており…
ここまではいいのだが、政権にかかわる人物が九条兼実の政策に同意するかどうかではなく、後白河法皇にとりいって役職と位階を求めることを優先させる人物だらけである…
だからこそ、歴代の摂政や関白、そして院は、自らの意見の代弁者となり人物を、最低でも議政官の過半数を占めることができるだけの規模で用意している。これを貴族の立…
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京都では、摂政九条兼実が主軸となった政治の立て直しが進みつつあった。源頼朝の推薦した一〇名の貴族を中心に、それまでの後白河院政から、藤原道長の時代を理想型と…
まず中原基兼についてであるが、この人が奥州藤原氏のもとにいたのは、鹿ヶ谷の陰謀の際に平清盛によって陸奥国への配流となったことが理由である。しかし、源平合戦に…
平泉に源義経がいることを奥州藤原氏は隠しきれなくなっているものの、あくまでも公的には認めていない。鎌倉にしても、平泉に源義経がいることを把握していながらも、…
以下、吾妻鏡に記している面会の様子である。尋問ではなく源頼朝と聖弘との一対一の会談の様子である。 まずは源頼朝。 「源義経は日本を破滅させようとしているテロ…
藤原秀衡が公的に認めているわけではないが、奥州藤原氏の根拠地である平泉に源義経がいるらしいことは確実である。 ならば平泉まで誰かを派遣して源義経を連れ戻せば…
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さて、ここでもう一度、泉親衡の乱から和田合戦に至る流れを、別の角度から振り返ってみると別の側面が見えてくる。 まず、反逆軍として和田義盛とともに戦った武士達…
さて、何度も繰り返しているが、この時代の情報伝達網は鎌倉と京都の間が片道七日往復半月である。つまり、建暦三(一二一三)年五月二日にはじまり三日に終わりを迎え…
建暦三(一二一三)年五月七日、今回の和田合戦での報償の打ち合わせが始まった。反逆軍の面々の保有していた所領を幕府軍の一員として戦い、戦功を残した者に配ること…
建暦三(一二一三)年五月四日、和田常盛と横山時兼は甲斐国大菩薩峠で自ら命を絶ったとの知らせが届いたと同時に、この二人の首も鎌倉に届けられた。この二人を含め、…
建暦三(一二一三)年五月三日の寅刻、現在の時制にして午前四時頃、和田義盛らとともに反逆軍に加わる予定であった横山時兼が、娘婿の波多野盛通や甥の横山五郎らを引…
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足利義氏は別箇所で奮闘していたものの朝比奈義秀に見つかり、足利義氏は立ち向かえないと考えて逃亡を図るも、政所の前にある筋替橋のそばで朝比奈義秀に捕まりそうに…
建暦三(一二一三)年五月二日の申刻、現在の時制に直すと午後四時頃、和田義盛がいきなり挙兵し、源実朝のいる大倉御所への襲撃を目的に動き始めた。 最初に和田義盛…
さらに、三浦兄弟は北条義時の側に立つと告げたことで、北条義時は御所に向かう時間を確保できただけでなく、御所に向かった後に源実朝を護衛しながら法華堂へと向かう…
この流れで重要なのは、別働隊となる三浦義村らである。三浦義村とその弟の三浦胤義は和田義盛の求めに応じて、御所の北門の制圧をすることについて起請文を記していた…
和田合戦は本来であれば、建暦三(一二一三)年五月三日に挙兵する予定であったのに、実際にスタートしたのは五月二日の夕方。横山時兼が軍勢を率いてやってきたのが五…
建暦三(一二一三)年四月二七日、源実朝がはじめて和田義盛謀反の噂に対する行動を見せた。この日、源実朝が宮内兵衛尉公氏を和田義盛の屋敷へと派遣した。謀反有無の…
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さらに、泉親衡の乱に関与して拿捕された和田義盛の二人の息子は助命できたが、甥の和田胤長は助命どころか後ろ手に縛られて和田義盛の前に付き出されたが、この待遇の…
ここで視点を北条義時に向けると、これはもう、穏やかな話ではなくなる。自分を敵とし、自分を武力で倒そうという勢力が誕生しているのだ。同じ権力争いであっても、選…
和田義盛の孫の和田朝盛が、父の追放に悲しむ六歳の幼女のために和田胤長を演じたことは既に記した。 ここで泉親衡の乱における和田一族を振り返ると、少なくとも三名…
鎌倉において泉親衡の乱の中心人物と扱われた和田胤長、すなわち和田義盛の甥は流罪となったが、一族もろとも流罪となったのではなく一人だけが流罪となっている。つま…
現在のカレンダーは、どんなに大雑把なものでも月、日、曜日がわかるようになっている。少し細かなカレンダーを見ると、日付だけでなく月の満ち欠けや旧暦の日付、そし…
正治二(一二〇〇)年二月二二日、中原広元と三善康信の両名によって、梶原景時の鎌倉からの逃亡と上洛未遂が後鳥羽上皇のもとに伝わったこと、この知らせを受けた後鳥…
一見するとあまりにも無謀な計画に見えるが、吾妻鏡によると実際に計画された話だという。また、かなり都合のいい展開が続いたならばという条件が付くが、越後国の城一…
梶原景時が討ち取られたが、事件はそれで終わるわけではない。 正治二(一二〇〇)年一月二四日、鎌倉幕府は安達親長を使者として京都へ派遣した。梶原景時が討ち取ら…
しかし、一月二〇日に風雲急を告げるようになる。 梶原景時が討ち取られたという知らせが飛び込んできたのだ。 辰刻というから、現在の時制に直すと午前八時頃、原宗…
朝廷で九条家の復権が見えていた頃、鎌倉では梶原景時が話題を独占していた。 梶原景時とその家族が鎌倉から発って寒川神社に向かったことは鎌倉中に知れ渡っており、…
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鎌倉で梶原景時弾劾が始まっていた頃、建久七年の政変から三年を経て、その際に地位や権力を失った者の名誉回復が始まってきていた。 名誉回復の目的としては、土御門…
その選択肢の最初に浮かんだのが三浦義村である。結城朝光はすぐに三浦義村の屋敷に向かって梶原景時の讒言によって自分が何かしらの処罰を受ける可能性があることを告…
視点を鎌倉に移すと、正治元(一一九九)年八月までゴタゴタはあったが、その後は平穏であるかのように映っていた。しかし、正治元(一一九九)年一〇月二五日に鎌倉で…
鎌倉でゴタゴタがあった頃、後鳥羽上皇は自身の二つの趣味界への傾倒を深めていた。 一つは和歌、もう一つは熊野詣。 どうやら正治元(一一九九)年八月頃から、後鳥…
その人物は、北条政子。 彼女は息子の不祥事を母として窘(たしな)めるため、二階堂行光を使者として源頼家に思いとどまるように示した。なお、ヒートアップしている…
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吾妻鏡は安達景盛の派遣以後の源頼家について、同意しがたい行動を書き記している。 安達景盛を三河国に派遣した隙に安達景盛の愛人を奪ったというのだ。 以前から源…
源頼朝によって京都と鎌倉との間の情報伝達が七日間まで短縮されたこともあり、正治元(一一九九)年六月二二日に京都で起こった大幅な人事刷新の情報は六月末までに届…
ただし、藤原氏内部の近衛家と九条家の争いはさらに悪化させている。摂政近衛基通の長男である近衛家実が二一歳の若さで右大臣に就任したのである。 内大臣九条良経が…
その頃京都では、ようやく源頼朝死去に伴う混乱が収束したばかりであった。 これでようやく落ち着きを取り戻し、しばらくは安泰であると誰もが考えた。 その安泰を後…
こうした源頼家の政治姿勢は、亡き父である源頼朝の政治姿勢を踏襲したものである。ただし、源頼朝が源平合戦の勝利者として、すなわち、源頼朝の行使できる武力でもっ…
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