今年も関西平和美術展に参加します今回は空間絵画の最新の境地を出展する予定です色包是空空包是空この新たな空のイメージを絵画に落とし込んだ作品で、来年1月の個展に向けて制作中の壁画の一部全120枚のうち6枚の展示です出展は写真の左側6枚を予定新しくリニューアルした天王寺美術館での初めての展示です関西平和美術展に参加します
簡単お絵かきソフトで遊びながら、しあわせにいて考えています。あなたもやってみませんか?
「のしてんてん」というタイトルで鉛筆絵画を描き続けています。 ずっと白黒の世界なので、パソコンでは色を使った抽象絵画を楽しんでいます。 楽しむことで癒しの空間が生まれればという思いで、 アートセラピーというサイト名をつけました。
自分という感覚はワンネスである私達は自分が健康な時、決して自分の身体を分解してその一つ一つを個別に認識して自分を考えることはないのである。ところがこのワンネスは実は低次元のワンネスなのである。人間はもっと高度なワンネスを体験する力を持っているのだ。それが五次元思考である。五次元思考によって自分を考えると自分というのは身体と空体の二つから成り立っているのが分かる。肉体と空間はどんなことをしても切り離せない存在なのである。空間が無ければ私達は生きて存在することはできない。そんなことは分っていながら人間はそれ以上考えることをしなかった。その大きな原因は空間を認識できなかったからだ。五次元はスケールの概念によって空間を認識することが出来る。空間を認識することによって私達はさらに高度なワンネスを体験することが出来る...スケールの概念とワンネス(2)
ワンネスという言葉は一体性を意味する言葉で心の議論の中では悟りの世界を言い表すことが多い。悟りを開いた者が見るワンネスとはどういうものだろうかそう考えると、ひらめきが起こった。その最も身近で誰もが納得できるワンネスの感覚それは自分だと気づいたのだ。ワンネスとは例えば「私」を意識するその意識そのものを考えてみるといいのだ。無条件に私達は「私」を一つの存在と考えている否、考える前からそれは大前提のこと一切の違和感も異質感もない個人それが「私」なのである。そうでなかったら分裂症か身体のどこかに病を抱えていることになる。だから古来何故とは問われなかった。何故「私」は1と考えるのかそれはもとからそうだからである。そう答えるしかないだろう。つまりこれがワンネスの感覚なのだと気づいたのだ。それは理由も検証も何もいらない...スケールの概念とワンネス(1)
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今年も関西平和美術展に参加します今回は空間絵画の最新の境地を出展する予定です色包是空空包是空この新たな空のイメージを絵画に落とし込んだ作品で、来年1月の個展に向けて制作中の壁画の一部全120枚のうち6枚の展示です出展は写真の左側6枚を予定新しくリニューアルした天王寺美術館での初めての展示です関西平和美術展に参加します
ヒルマ.アフ.クリント10の最大物NO10ヒルマの作品は長い間一般公開されることなく、商業的にも拡散されないまま現在も財団によって守られています。それが最近になって海外に巡回され、日本にも初めての大回顧展が開かれており、この機会に鑑賞してきました。画商との縁がないため、作品展示に自由さが感じられ撮影自由。大作を座って鑑賞する。これはありがたかったです。ヒルマは生涯内面の探究のために創作を続けた作家で、心という見えない世界を絵画に描く情熱を燃やした人でした。必然的に画面は具象が消え、線や色による抽象画となったのです。これは・カンディンスキーが抽象画を描き始めるよりも半世紀も早く表れた抽象画家だったのです。心を描く私に共通するテーマの作家、その作品はどんなものなのか美術館で対面した作品群は静かで暖かな空間を感...ヒルマ.アフ.クリント展に行ってきました
眼覚めると自分と世界が戻ってくる眠りの中から抜け出して意識の世界が繰り返される意識が自分だったつい最近までの人生が意識は自分と神の合体だと知って変わったこれを悟りと呼べるかそんなことはどうでもいいことなのだがそれからは私の半分は神になった目も耳も鼻も舌もこの身体もそこから起こる感じも思いも私と神が縄跳びの回し手になって全てが楽しく踊っている私と神がいなければダンスは始まらない心の重心2
私は包まれている生まれる前も生まれたときも苦悩にもがくときも喜びのさなかでさえやがて死ぬその時も私は包まれたまま新たな命となるいついかなる時も神は私を手放すことはない心の重心
(F10号6枚作品)1枚で独立した作品を100枚を並べて壁画にする計画を遂行中来年1月に個展展示すべく現在50枚上の図はその1部分です私達現代人は科学的な世界認識が体に沁み込んでいる科学的な空間理解と物質観で自分を観ているのである。このことを加味して般若心経を見ると「色包是空」「空包是空」という時代に即した言葉が必要になってくる「色包是空」とは物質は空間に包まれているという意味であり「空包是空」は空間もまた空間に包まれているという意味になる言い換えれば空包是空とは心もまた空間に包まれているということである。例えば人間の存在は二つの空間から出来ている。一つは人体を構成する素粒子空間でありもう一つは人体を包んでいる宇宙空間である。もちろんこれらは同じ空間であるのだが互いにスケールの違う二つの空間なのである。素...色包是空空包是空(現代人の悟りの言葉)
色包是空:科学的に世界を見ると空間の中に物質が存在する物質はその周りに空間が無くては存在できないし、成り立たないこれがすなわち色包是空なのであるもし物質に空間と接していない部分がわずかでもあったとしたら物質はその部分から未知の存在が広がり人知の存在にはなり得ないのである万物は一つの例外もなく空間に包まれて存在している人もまた同じだろう空包是空:スケールの概念で空間を見ると空間の中に空間が存在することが分かるそれを科学的に言えばエネルギーの波動である波の大小はスケールの概念で認識できるということだ原子を引き付けている強い空間はそれよりも弱いゆるやかな空間に包まれて初めて存在出来るのである空包是空とはこのことを言っているのであるこの関係は思考エネルギーも同じであるすなわち人間の思考=苦悩もまた例外ではないとい...スケールの概念とワンネス(5)
ワンネスは思考を越える五次元思考はスケールの概念で世界を認識するのだがその行きつく先は思考そのものを包んでいる空間があると云うことだった。思考を包む空間とは己の思考を越える存在ということなのであるもはや多くの言葉はいらない己を越える存在があって初めて私は私であり得るのである私はただ私の思考を包んでいる存在に感謝するしかない例えばこういうことだ苦がやって来たら苦に染まった私を無条件に包み抱き抱えてくれている存在を空間にイメージして意識することが出来るということなのである思考が進み物質が空間に浮かぶという思考から空間が空間に浮かぶという思考に移った時私達は初めて思考(言葉)を越えて己を包む存在に意識を向けるのである。ここに眞のワンネスがある。ただ深い感謝しかない。この五次元思考の結末に対して私は般若心経の経文...スケールの概念とワンネス(4)
ワンネスとは一体性や調和を意味する言葉であるが私は自分の存在そのものをワンネスと考えている。つまりここで展開しているワンネスの考察は自分という存在をどこまで拡げて考えることが出来るのかという挑戦である。結論から言えば自分存在は宇宙そのものにまで拡張してゆくことが出来る。自分という存在は宇宙に等しいのである。この前回までの考察は身体を、肉体(物質)と空体(空間)の二面性を考えれば理解できる。それを再確認すると、①肉体は物質がつくる存在であり、この身限りの存在が限界として実感できる。すなわち私達は有限なのだ。しかし認識をさらに広げると、②物質が肉体を創るのは空間の力である。空間無くして肉体はあり得ないという事実に行き当たる。すなわち肉体に対して、それを生かしている空体が存在する。つまりワンネスとは肉体と空体の...スケールの概念とワンネス(3)
自分という感覚はワンネスである私達は自分が健康な時、決して自分の身体を分解してその一つ一つを個別に認識して自分を考えることはないのである。ところがこのワンネスは実は低次元のワンネスなのである。人間はもっと高度なワンネスを体験する力を持っているのだ。それが五次元思考である。五次元思考によって自分を考えると自分というのは身体と空体の二つから成り立っているのが分かる。肉体と空間はどんなことをしても切り離せない存在なのである。空間が無ければ私達は生きて存在することはできない。そんなことは分っていながら人間はそれ以上考えることをしなかった。その大きな原因は空間を認識できなかったからだ。五次元はスケールの概念によって空間を認識することが出来る。空間を認識することによって私達はさらに高度なワンネスを体験することが出来る...スケールの概念とワンネス(2)
ワンネスという言葉は一体性を意味する言葉で心の議論の中では悟りの世界を言い表すことが多い。悟りを開いた者が見るワンネスとはどういうものだろうかそう考えると、ひらめきが起こった。その最も身近で誰もが納得できるワンネスの感覚それは自分だと気づいたのだ。ワンネスとは例えば「私」を意識するその意識そのものを考えてみるといいのだ。無条件に私達は「私」を一つの存在と考えている否、考える前からそれは大前提のこと一切の違和感も異質感もない個人それが「私」なのである。そうでなかったら分裂症か身体のどこかに病を抱えていることになる。だから古来何故とは問われなかった。何故「私」は1と考えるのかそれはもとからそうだからである。そう答えるしかないだろう。つまりこれがワンネスの感覚なのだと気づいたのだ。それは理由も検証も何もいらない...スケールの概念とワンネス(1)
空間絵画の頂点に向けて私のテーゼが確立しました以下その内容を掲載して広く世界に問いたいと思います空間具象宣言空間絵画を新たな芸術運動に位置付ける理論を日本から世界に発信したい。それは抽象画ではなく、具象画の中に新たな論理的なジャンルをつくることである。本来の具象画は見えるものを対象にして描く。物質を通して心を描く手法であり、これを物質具象と呼ぶ。そして新しい具象画のジャンルをこう呼ぶ。すなわち空間具象と!空間具象は思考を逆転させる。これまで背景に押しやられていた空(くう)を主体とし、物質は空の果実として描く手法となる。では形のない空をどう描くのか。その論理的基礎は正しいのか。それは現代科学の証明する宇宙の法則と、心を解き明かす般若心経の経文にある感動的な一致点から導き出される空の概念を使うのである。色即是...空間具象宣言
邂逅展は奈良の新春を祝うように連日盛況に会場が埋まっていますこの20人の作家ジャンルはてんでばらばら時間さえ超越した展覧会です若くして亡くなった新進気鋭の作家がいます彼は天国から両親の身体を借りて今もなお作品を発表し続けたくさんの人を魅了していますそんな20人が他人を気にすることなく思い思いに自分を主張する個展としてギャラリーの壁面を埋めているのです無手勝流がほぼ無計画に集まって不思議なほど調和する会場お正月です邂逅展はあと二日を残して12日に最終日となります。邂逅展今年も盛況のうちにあと2日になりました
恒例の新春小品展です今年は小品による空間絵画で参加します新春恒例小品展ギャラリー由芽(三鷹市)参加します
2025年のスタートここから始まります皆様のご多幸心よりお祈り申し上げますあけましておめでとうございます
第8回邂逅展のご案内新年早々奈良で邂逅展を開きます今回は空間具象宣言を引っ提げて空間絵画の展示を試みます明日24日作品搬入・飾り付け将来の1000枚連結絵画を見越してその展示方法を探る飾り付けの予定新年は奈良に初詣そして邂逅展にお運びください新年早々の邂逅展ご案内
思考が宇宙につながるときそれは悟りの真っただ中にいる悟りとは選ばれた者だけが味わう特権ではない全ての人間に与えられた生きる姿自由なる命の形なのだ思考が生まれたとき思考は宇宙そのものだった思考が己に気付き始めるとそれは宇宙からの独立に向かった思考が独立すると同時に孤独が恐ろしいもののように思えるようになるそして問わずにはいられなくなる私は何者なのかと・・・それは逆の意味でこの世界を知ろうと思考が働くようになるそうして人は世界と自分の完全なる分断が人間の完成と考えるこの、転倒した思考がいわゆる思春期と言っていいそれが思考の終着点だと思い込むしかしそれは実のところ思考が成長するための折り返し点だ思考と宇宙が最も乖離した地点明晰な孤独の実感それは思考の悲鳴だ苦悩はもつれた思考のリアリティ宇宙はもはや目に入らない程...思考が宇宙とつながるとき5
空間絵画NO109(キャンバスに鉛筆)F10号空間具象宣言空間絵画を新たな芸術運動に位置付ける理論をこの日本から世界に発信したい。それは抽象画ではなく、具象画の中に新たな論理的なジャンルをつくることである。本来の具象画は見えるものを対象にして描く。物質を通して心を描く手法であり、これを物質具象と呼ぶ。そして新しい具象画のジャンルをこう呼ぶ。すなわち空間具象と!空間具象は思考を逆転させる。これまで背景に押しやられていた空(くう)を主体とし、物質は空の果実として描く手法となる。では形のない空をどう描くのか。その論理的基礎は正しいのか。それは現代科学の証明する宇宙の法則と、心を解き明かす般若心経の経文にある感動的な一致点から導き出される空の概念を使うのである。色即是空・空即是色{見えるもの(物質)は空であり、見...空間具象宣言とその新たな芸術運動
私とは何かその境界線はあるのかそう問われば答えは見つからない私と私でない部分はあるのかこの身体が境界線なのだろうか呼吸が止まれば生きていけないのが私だこの身体に境界線を引いたら命の気(空気)は分断されるこの命が私だとすれば私の境界線は空間の彼方まで伸びていく空気は空間があってエネルギーがが与えられるその空を追って境界線を探して追って行けばそれは宇宙の果てまでつながったままだ夢と現の間に境界線があるのか冥界や霊界があって現の私はその間に境界線を観るのだろうかそれもまた否と言うほかはない夢と現言葉に表せない感覚、感性、感情世界を感じている一切のものそれを感じさせるものはただ一つだ私を知らしめる意識である夢と現に境界などないあるのはたった一つの意識であってそれが私と云うしかないだろう意識に境界線はない故に夢と現...思考が宇宙とつながるとき4
自分とは何かリアルタイムで私は自分の心に見える私を伝えてきたそれはアートであり己の風景である自分という体があって家や地域、国や世界があり太陽や星が瞬く宇宙の中で私は生かされているそれが風景となって自分という体が認識されるのである宇宙の中にあって私は肉体という個から出ることはない肉体は空間の片隅のどこかに存在しているのであるそして肉体には心が宿っている心は肉体から出ることはなくたまに幽体として体を離れることはあってもそれは特殊な事と思われている自分という風景は広大な宇宙の中でささやかな命の花を咲かせている野菊のようだだがある時スケールで自分を観ると自分は宇宙の片隅にあるのじゃないことが分かった片隅どころか宇宙の中心にあって自分の存在が空間の中で無限に拡がっていくのであるスケールを素粒子に合わせて観ると私の1...思考と宇宙がつながるとき3
時間を主軸にして世界を思い描くこの思考世界を四次元と呼ぶ四次元の主体は肉体(物質)であり移り行く肉体の変化を時間の思考で理解するこの認識が人間の限界であるならその認識の外にあるものは人間にとっては無なのである。この四次元の認識世界こそ現在の人間が生きている心の世界なのである。0次元1次元2次元3次元4次元・・と心はその次元の数によって進化し現在に至っているのだが興味深いことに苦は4次元から発生したのである。なぜなら苦の本質は時間そのものだからである時間の概念が苦をもたらしたと言っていいだろう。四次元の苦その最も深刻はものは牢獄であろう強固な疎外感である。人知れぬ地下深くに埋められた洞窟出ることも助けを呼ぶことも出来ない窒息して、もがいても誰も知る者もなく闇の中に閉じ込められているどうあがいてもこの身の出口...思考と宇宙がつながるとき2
本月29日(土曜)豊中市文化芸術センター中ホールにて劇団愛は永遠に公演「夕焼け空」にのしてんてん五次元龍壁画が特別コラボ展示することが決定しました全体S30号27枚組作品(壁画)2730×8190「夕焼け空」は龍を題材にした物語で、劇団の団長であり脚本演出主題歌まで手掛ける須賀氏の依頼により実現した絵画と演劇のコラボレーションとなります。会場の都合により壁面を利用できませんので3枚のキャンバスを縦につなぎ合わせて9枚のパネルにしたうえ9枚を繋ぎ合わせて床に立たせ、裏から人形立てで抑える手法をとって要望に応えることが出来ました。安全性は予行実験済み同じ大きさのものを舞台に持ち込んで緞帳のように釣り上げた経験はありますが今回はロビーの床に自立させる初めての経験なので今から緊張気味ですのしてんてん絵画が演劇とコラボ
先週の続き、長慶寺山門の金剛力士像その右側に立っているのが阿形のお姿開いた窓から見える姿は丸顔でちょっと剽軽なのだが☟それが正面の格子窓から覗くと☟こう見えるのがどうにも不思議なのだ剽軽な丸顔が面長の精悍な顔立ちになる目つきの鋭さ、引き締まった口元など横から見た姿とは別人のようだ視覚がそうなのだからそれ以上に思考は多岐にわたる別世界を創り出す何が正しいかではなく問うたところで意味はなく表層的な答えしか出てこないつまり思考は何を信じるかであろういや信じる信じないの前に否応なく思考は生まれてくる思考を判断する基準があるわけでもなく信じるに足る確証があるわけでもないそれなのに喜怒哀楽、あらゆる感情の波が思考と共に現われてくるそれはまさに海原の波ようだ科学は自らが設定した(1+1=2みたいな)枠の中だけの世界だし...のしてんてん(心の世界)2
泉南市長慶寺山門力士像(左)毎朝長い階段を上って本堂に至る本堂では毎朝信者さんが集まって長い読経の行が行われている私は雲水をまねて本堂の外縁に座り読経を聞きながら同じ時間瞑想するささやかな千日行を思い立ったのが3年前それが700日を越えた頃からなんとなく心が変化を始めた気がするのである毎朝上り下りする階段の途中に山門、☟ちょうど100段の70段目あたりにある☟山門の両側に金剛力士像が立っておられるのだが☟それが不敬ながらちょっと滑稽なお姿だと毎日思っていたどちらもユウモラスな表情と柔らかいポーズであるな金剛力士像右金剛力士像左これは格子戸が開けられた山門の内側から眺めたお姿だったのであるところがある日、山門の正面の格子窓から覗いてびっくりしたのが今日の扉の写真なのである再掲☟全く別人のような見事な金剛力士...のしてんてん(心の世界)1
生誕1250年記念特別展簡単な弁当を作って奈良へ天気良好でシカは相変わらずのんびりしていました空海展は工夫がされて見やすかった子ども向けに解説が付けられており今までなかったような展示方法に好感が持てました大きな胎蔵曼荼羅を観ながら五次元宇宙を思い起こすとたくさんの仏達の姿が素粒子に思えて人間の思い描く世界観は何年年を経ても変わらないと思いました思考は空海の時代から同じように動いているその仕組みをさらに深く理解したら人間の思考はまだまだ進歩の余地があるのではないかそう思えたのですもし空海がスケールの概念を意識して曼荼羅を描いたらどうなっただろうと聞いてみたくなりました空海展に行ってきました
道は進むほどに狭くなっていくそんな実感が今の私にはある思考の立体化とは面白いことを考え付いたものだと自身思うのだがなんのことはない、思考のただなかにあってその方向をベクトルに言い変えただけだったのだ。何故至福は長く続かないのかその思いは今も私の中にあって、それだけのことなのである。一方でこんなこともある至福がやって来るとその大きさに破裂しそうになって胸が苦しくなる至福もまた苦という訳だ。自然体とは違うということだろう。自然体(実在)と思考は違うそこには渡り切れない溝があるならば跳ぶしかない。跳んで着地した地点に思考はあるのか無ければ至福もまた存在しないだろう。しかしまあ、そんなことは分からないし、どうでもいいことだ。ただ私のアプローチは実在と思考の堀を思考の構造を変えることで埋めていけないかという試みなの...空の思想7(思考の立体化)
面白いものだなあと、ふと笑えてしまうことがありました前回の思考の立体化について考えた図のことです一週間も経つと意味のない図表に変わってしまいました作成したときの、心が膨らみすぎて破裂しそうな喜びはもうありませんではあれは嘘だったのか?そうではないと思います。これが人間の心の姿なんだと思えるようになったすると繰り返しやって来る苦悩の姿につい笑いも出てくるというものです愛苦悩そのものが虚なのです真実という混沌の中に虚像の世界を作り上げるのが人間の心悲劇も喜劇も絶望も救いもそれは虚構にほかなりませんしかし大事なことは、そこにある真実のことです前回の記事の顛末を考えると至福と巡り合ったのは確かです。そして露と消えたのも、つまり何が真実なのかというと、至福というのは、一瞬でも思考が実在に触れた瞬間に起こるものなので...空の思想6(思考の立体化)
思考の立体化とは何かそれは自分の中に生まれてくる思考を立体的に捉えるということです何故そんな考えが生まれたかというと、思考にはベクトルがあると気づいたことからでした。悟りに向かおうとする意志の元に現れる思考にはベクトルがあるということです。そして前回書いたように、様々な入り口から悟りに入りながらその直後から忘れ去っていく事実がありました。その忘れ去ってしまう事実を真っすぐ見詰めているうちに一つの原因が見えてきました。消えていく悟りは、実は単なる悟り気分だったのです。それは、消えた悟りに向かった思考のベクトルを考えるとすぐに分かりました。それが下の図です。悟りとは思考が実在の核に至ることだと考えると、悟りを願う心と実在の間には、実在の核に向かうベクトルが存在するのです。思考が実在に至った時、私達はその核に至...空の思想5(思考の立体化)
私にとってこの数週間は転換点を感じる時期となりました。PCからも遠ざかって、五次元を再確認する機会にもなり、一歩階段を上った実感があるのです。それを確かめる期間はまだ少ないのですが、いつものように達観が薄れて、再び這い上がる日常から解放された気がいたします。そのきっかけが、思考を立体的に捕えることに気が付いたことです。不思議なことに、その気付きにまつわる思いの中にZIP様がおられました。この数週間、ZIP様を意識しない日はありませんでした。それは「中動態」を教えて下さり、それについて議論させていただいた記憶のことです。そしてようやく記事をと思ってPCに向かった時に長らくコメントのない私の記事に、一人だけZIP様のコメントを発見して、目に見えぬ人の繋がりを感じてしまいました。ZIP様、ここでまず御礼申し上げ...空の思想4
心出発点が空だとしたら私達に何もないのは当たり前のことさあさ考えてみよう何もないことに恐れを持っていなかったか何もないことに焦りを感じていなかったか何もないことに未熟を感じてなかったか何もないことにいら立ちがなかったか何もないことに恥辱はなかったか何もないことは苦だろうか何もないことそこから逃げようとしていないか逃げようとしたら、追ってくる邪悪を自分が作り出さねばならず、苦悩を演じなければならず、おかげで心は死んでしまう自分で作り出した恐れが現実になり、それもまた己の作り出した妄想なのに、不幸の主人公を真実のように演じることになる苦しい、悲惨だ、不幸だ、だって何もない理解者はいない、財産もない、ないないずくめが楽しいわけがない恥ずかしい違う!違う!!すべて逆なんだ!!!空という真実を知れば人生は逆転する握...空の思想3
人間とは何なのか今、知り得る人間像を内照して自らを観る::観自在菩薩(般若心経)と科学的宇宙観*得体のしれない感覚もあるこれらは予期なく発生し意味なく私を去っていくしかし内観を鋭く見つめれば得体のしれない感覚は発生し去るのではないことが分かるそれは一つの同じ波なのだ⁑不生・不滅それは一つの波エネルギーの実相であるそして人間という実像はこのエネルギーに好き勝手な色を付ける好むと好まざるにかかわらずまるで宿命のように色を付ける色は人間の知識と共に膨れ上がるそれが思考だ⁂意識だけの思考感覚による思考感情による思考論理による思考感性による思考思考は宇宙の意識に根を張って人間独自の幹と枝を広げるのだそして人は己の葉っぱに色を着け始めるこれが色の思想というものだそれは苦と共に育つ色の思想を遡るとエネルギーの実相にたど...空の思想2
大リーグの彼が降ってわいたような渦中にさらされた心技体の心が動揺して待望のホームランが出ない空の思想はそんな彼を救えるのだもちろん救うのは私ではない彼自身である彼が己の空を意識するだけですべてのしがらみから解放される心が広大無辺の空と一心同体だという事実に気付いたら心は自然に囚われから解放され無になって技と体を自由に働かせることが出来るしがらみの心が空の心に入れ替わったら能力があふれて心技体が最高の形で整うだろう彼は自分を取り戻す降ってわいたような世間の問題にからめとられた心を彼は彼自身の力で絡んだ心の糸を解き放ち断ち切ることが出来るだろうそもそも彼の超人的な能力はすでに空の思想の持ち主だと私には思えるのだ希望と喜びを世界の人々に与え続けてほしい人類はこんな人が必要なのだから空の思想
思考思考という言葉を目覚めて意識するすべての感覚にまで広げて考えると自分が幸せかどうかはすべて思考にかかっているしそれ以外にはないすると思考の出発点が物(色)なのか空間(空)なのかによってその人の生涯が苦にまみれるか福に至るのかが決まるつまり思考は頭脳が引き起こす以上に物の思考を父とするか空の思考を母とするかによるその意識が重要なのだそれを誰かのせいにするのは永遠に苦の原野をさまようだろう永遠の幸福は存在そのものを幸福と感じるのか存在の外に幸福を求めるのかによってつかめる人とつかめない人に分かれるつまり人間の都合による産物なのだ空間絵画新たなる挑戦7
のしてんてん「希望」サムホール2024/3/14::空間絵画が少しずつ心を納得させてくれる質を持ち始めて来たかもしれない新たなものが現れるのか否か作家の活力が私の中にあるのか❓空間絵画新たなる挑戦6
遺跡は抜け殻だろうか遺跡は静寂だろうか遺跡は過去だろうか遺跡は物質だろうか遺跡は過去だろうか遺跡は私ではないのだろうか遺跡は忘れ去られたものだろうか遺跡は捨て去られたもの達だろうか遺跡はただ記録だけのものだろうか遺跡に命はないというのだろうか遺跡に心はないのだろうか遺跡は愛だろうか遺跡は過去と今を結ぶのだろうか空間絵画新たなる挑戦5
永い眠りから薄い意識が現れるまるで岩のようだった私の存在の表面になんとなく気付くかすかな線革命の象徴気付いたときにはすでに爆発のごとく動き始めるのだ線は強くなりくっきりと表れたと思う間もなく亀裂となり段差が生まれ破断面となり激しい勢いで壊れていく剥がれ落ち飛び散るものつい今しがたまで私だったものが冷たい物質に還っていく悲鳴が歓喜となり歓喜が消えると残されたものがまるで地表から立ち上がるように土筆の姿だ意識の神は・・・・・私は今意識しない神としてこの地上に降り立ったのだ・・・・・消えたのだ空間絵画新たなる挑戦4
生まれるそれは循環の最初のインパクトだそこには役割を終えるものと役割を担うものの一瞬の邂逅があるだがその奥に邂逅を眺めるものが大いなる気付きを与えているその正体は空その実体は波波はつながりそれは今あるあなたの眼と心に至るのだよくも悪くもあなたの波動そして気付きだ空間絵画新たなる挑戦3
空間とは人生そのものであるそう考えたら空間絵画の進む道が見えてくる人生のすすむ方向に希望があるということである空間絵画新たなる挑戦2
人の真似をしない自分の真似をしない具体の思想だ存在のすべての意味がこのテーゼに込められている空間絵画新たなる挑戦
早朝の空に吉兆あり光の龍を見てそれが天空の月が見せてくれた龍だと知った時私の吉なる人生が始まった龍の個展あえてそう呼ぼう「発心」と「求道」「涅槃」は「発心」から至る画廊ぶらんしゅは吉の巣であった初めて全景を目にして三週間それはこの龍の図の仕上げに要する製作時間だったアトリエではわからなかった力んで描きすぎになって調和を乱していたそれを消すのに要した時間そして完成した吉兆の人が龍と熱心に対話していた最終日前日の夜景ぶらんしゅの産道と称した入り口から借景のガラス窓に虚像と実像が一体になった風景が見えたこれ以上の吉兆はないそう思えた今日その最終日である2024年2月4日感謝ぶらんしゅすべての人生は吉であるそれが五次元の答だった吉兆のしてんてん五次元龍絵画展最終日
奇跡のコラボレーション五次元龍絵画展が第二週目に入り、今日は週末の土曜日です私の前に現れたのは端正な若者学生かと思ったら、何やら遠慮がちに菓子袋を差し出すではありませんか。初めての来場者が手土産をもってきてくれるなんて考えられないので戸惑って、なぜ?あなたは?私がおどおどしていると折師ですアッ!!!!私は心と声が同時に出て、思わず目を見張りましたブログ仲間の折師さん!東京での展覧会に何度も来てくれて実際にお会いもし、当ブログでもコラボしていただいた新進の折り(紙)探求されているその折師さんだったのです。関東から大阪の地に来られるのは大変なことだし何より風貌が東京でお会いしたより若々しかったので目の前の若者が瞬間、折師さんだとは思いもしなかったわけです。お話を聞くとここで詳しくは書けませんがいくつのも偶然が...個展第二週目の奇跡