chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 2月3日は「諭吉忌」

    2月3日は「諭吉忌」。福沢諭吉先生のご命日。幼稚舎から大学まで、塾員の多くが墓参に向かいます。向かう先は、今は港区麻布十番の善福寺、私が在籍していた頃は品川区大崎の常光寺でした。なんでかというと、福沢諭吉のご遺体は、品川の常光寺から港区の善福寺に改葬されたのです。なんでか。福沢諭吉が亡くなったのは1901年2月3日のことで、葬儀は菩提寺の善福寺で行われました。葬儀には1万5千人が参列したといわれます。善福寺は浄土真宗本願寺派。善福寺は東京では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹で、幕末から明治にかけてアメリカ領事館が置かれ、領事たちの宿所になっていました。それで福沢諭吉は度々善福寺を訪れ、菩提寺と定めていました。しかし、当時、東京市は土葬を認めなかったため、東京市郊外の大崎村にある常光寺に土葬で埋葬されたのです。ここ...2月3日は「諭吉忌」

  • 2月4日は赤穂義士切腹の日

    2月4日は私の誕生日昭和23年生まれ。今年75歳。2月4日今日は何の日赤穂浪士47名が切腹した日でも、もうテレビの話題にものぼならなかった。浅野内匠頭が、勅使下向の接待役を命ぜられたのが元禄14年(1702)の2月4日。そして、内匠頭が江戸城松之廊下で吉良上野介に斬り付けた刃傷事件が3月14日。内匠頭は即日切腹。上野介はお咎めなし。この「片手落ち」の裁決に異議申すカタチで、浪士47士が吉良邸に討ち入り、本懐を遂げたのが、翌元禄15年(1703)の12月14日。1年と9カ月後のこと。そして年開けて元禄16年の2月4日。46人が切腹。47士の内、足軽の寺坂は、討ち入りの前後に、故あって立ち退いていて、後自首したがお咎め無しとなっている。しかし今、泉岳寺には寺坂と、討ち入りに参加する前に自害した萱野重実の墓もあ...2月4日は赤穂義士切腹の日

  • 「暖簾に胡坐かくな」

    今日の学びは「暖簾(のれん)に胡坐(あぐら)かくな」です。モーニングのお仲間は、名古屋に先代から住んでいる方ばかり。「どこどこの店は、美味しい」とか、いろいろな情報交換の場になっています。今朝は、「老舗」の店が、2代目、3代目になると、創業者の真摯な心が失われ、顧客離れが進んでいるというような話が出ました。「和菓子の○○の2代目は“暖簾(のれん)”に胡坐(あぐら)をかいて、客に対する態度が横柄」だとか、「値段ばかり高くて、菓子の味も落ちた」と。また、「ひつまぶし(鰻料理のひとつ)の△△は、以前は、切った鰻(うなぎ)をきちんときれいに並べてあり、見た目にも美しかったが、今は、ただご飯の上に乗せてあるだけ。そのご飯も柔らかかったり、固かったり、冷たかったりで、客が減った。「客が減り、売り上げが落ちたのは、鰻の...「暖簾に胡坐かくな」

  • 「体」から一本抜くと

    有漏路より無漏路に帰る一休み風吹かば吹け、雨降らば降れ一休と一路の出会い「万事休す、一休とはこれいかに」「万方路あり、一路とはこれいかに」「体」から一本抜くと

  • 4×9=36 8×8=64 36+64=100

    4×9=368×8=6436+64=100

  • アンパンマンが許さないこと

    FB「名言の宝庫」より転載させていただきました。【アンパンマンが許さないこと】アンパンマンは「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言わない。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!またイタズラしたな!許さないぞ!」だ。悪いのはバイキンマンという「人格」ではなくイタズラという「行為」であるということ。人格の否定ではなく、行いを注意する。「罪を憎んで、人を憎まず」です。作者のやなせさんが、アンパンマンとバイキンマンの関係を通して、どうしても子供たちへ伝えたかったメッセージだと思います。アンパンマンが許さないこと

  • アンパンマンが許さないこと

    FB「名言の宝庫」より転載させていただきました。【アンパンマンが許さないこと】アンパンマンは「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言わない。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!またイタズラしたな!許さないぞ!」だ。悪いのはバイキンマンという「人格」ではなくイタズラという「行為」であるということ。人格の否定ではなく、行いを注意する。「罪を憎んで、人を憎まず」です。作者のやなせさんが、アンパンマンとバイキンマンの関係を通して、どうしても子供たちへ伝えたかったメッセージだと思います。アンパンマンが許さないこと

  • お釈迦様と悪口男

    FB「しあわせになるレシピ」から転載させていただきました。【お釈迦様と悪口男】お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせようと、その男は、お釈迦様を群集の中で口汚くののしってやることにしました。「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」そして、その日が来ました。男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?...お釈迦様と悪口男

  • 神仏の加護

    〇〇苑の会合で、「交通事故に遭い、内臓破裂で医師からも『助からない』と診断されたが、奇跡的に快復した」という話が出され、それをきっかけに、私も私もと体験談が語られた。朝起会でも「突然車が飛び出してきて、もうダメと思った瞬間、自転車ごとファッと宙に浮いたようになって、衝突を避けられた」と。それぞれ「お力をいただいている」と感謝の心だ。そういえば私も、もう20年も前になるが、バイクに乗っていて、交差点で出会い頭に、車とぶつかった。ぶつかる直前に身体がファーと空中に浮いて、一回転して地面に落ちた。救急車が来て、病院に運ばれ、レントゲンを受けたが、「異常ありません」だった。着ていた服はズタズタ、バイクはへし曲がって修理不能の事故だったのにである。今思うと、直前に宙に舞い上がったのは、神仏の加護だったかと思う。これ...神仏の加護

  • 「もうこりた(忘己利他)」「捨身飼虎」

    日めくりカレンダーら瀬戸内寂聴の言葉。93歳の時、たんのう癌の手術をして一時は寝たきりになり、「神も仏もあるものか」とさえ思った。その入院生活から、またまた奇跡の復活。そして悟ったのは、「もうこりた」。「天台宗の教義は何か」と問われて、一言で答えるならば「もうこりた」です。。「もう懲りた」ではありません。「忘己利他」と書くんですと。「己を忘れて、他に利する」。つまり「自分の都合や損得勘定を離れて、相手の立場に立ってものごとを見、対処していく態度や生き方」。宮沢賢治は「法華経」を信奉し、「雨ニモマケズ」で言っている。「アラユルコトヲ自分ヲ勘定ニ入レズニヨク見キキシ、ワカリ」と。そして「忘己利他」の極みが、法隆寺の「玉虫の厨子」に描かれている「捨身飼虎」。飢えた虎のために、わが身を餌として与えるという話。そう...「もうこりた(忘己利他)」「捨身飼虎」

  • 昔は 支払いは「掛け売り」。月末払いだった

    今朝Yさんの話。「私の夫は、床屋に行っても、買い物をしてもお金を払ってこない。私がいつもあとから払いに行っていた」と。子どもの頃を思い出した。毎年夏休みは父母の実家の会津で過ごした。母の実家には毎日魚屋さん、八百屋さんが、リヤカーをひいてやってきた。魚屋さんは調理場で魚をさばいて帰って行く。床屋さんも来た。祖父は四畳半ほどの鏡の間で床屋さんに髪を刈ってもらう。祖母は日本髪の髷を結ってもらっていた。隣りはヤクルトの販売店。窓から手を出せば、ヤクルトをもらえた。どれも支払は月末払い。そこで生まれ育った従兄弟はこの世に“お金”というものが存在することを、小学校2、3年まで知らなかったようだ。向かいの駄菓子屋で欲しいものがあれば「これちょうだい」で、お金を払わないで貰ってこれたからだ。こんな話も。戦争中「牧原」と...昔は支払いは「掛け売り」。月末払いだった

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、虚無僧一路さんをフォローしませんか?

ハンドル名
虚無僧一路さん
ブログタイトル
一路の虚無僧日記
フォロー
一路の虚無僧日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用