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  • 錦川鉄道・錦川清流線

    錦川清流線は岩徳線の川西駅から錦川沿いを走り錦町駅に至る鉄道路線であり、昭和62年(1987)に旧国鉄二次特定地方交通線の岩日線を第三セクター鉄道に転換された鉄道路線である。途中駅の河山駅はかつて河山鉱山の鉱石積み出し駅であり、廃線路脇には当時の名残りの手動転轍機がみられた。錦町街並みに大衆食堂岩日線と看板があり、古い時代の鉄路名が・・・錦川鉄道・錦川清流線

  • 西岩国駅舎

    先日、赤字が続く「錦川清流線」について存続のあり方を検討する会議が開かれたと新聞報道されていた。錦町には何度も車で訪れているが鉄道には乗ったことがないので、西岩国駅から錦川清流線に乗って錦町広瀬地区をぶらりと散策してみた。西岩国駅舎は昭和4年(1929)に岩徳線部分開業時の終着岩国駅として設置されたようであり、登録有形文化財に指定されているようである。西岩国駅舎

  • SPレコードの世界

    一昨晩NHKラジオの深夜便で「昭和100年~大衆を魅了したSPレコードの世界」と題して蓄音機でのSPレコードの音源が流されていたが途中から寝てしまった。当方懐かしいSPレコードを数十枚所持しており、先人から保存するよう託された蓄音機があるので何時か聞いてみたいものである。SPレコードの世界

  • 中ノ谷滝

    宮島サービスエリア東側の中ノ谷を流れる谷川にある滝を久しぶりに訪れたが、今時分水量が少ないので画像のような状態であった。(下画像は以前訪れた時の画像)仮称中ノ谷川は現在造成されている平良丘陵開発用地を流れる広池川の一支流であるが川名はない。中ノ谷滝

  • 平良丘陵開発の今

    時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、宮島サービスエリアからの遠望で上画像は商業用地の西側部分であり現在水路が設けられているのであろうか。下画像で以前クレータのような穴があったが現在は逆四角睡のような穴がみられる。平良丘陵開発の今

  • 平良小学校にある謎の石柱

    昨日紹介した記念樹を探している途中で、プール脇に2本の石柱が置かれていた。この石柱は元平良体育館(旧平良小学校体育館)の脇に置かれていたが(下画像)、体育館が取り壊された時に移転されたようである。長い石柱に「大正十年一月吉日」と刻されていたのを確認できたが、重量物でありその他は確認できていない。元あった付近には旧平良小学校と旧平良村役場があった所であり、これらに関係する何らかの石柱だったものとみられるのである。平良小学校にある謎の石柱

  • 平良小学校創立150周年記念樹-せんだん

    一昨日、市議会議員選挙の投票場所である平良小を訪れて運動場脇の庭園に植樹されている記念樹を見に行った。創立150周年記念式典については以前に紹介したが少し遅れての2代目せんだんの記念樹が植樹された。当ブログ主が小学生の頃、元の小学校校庭に大きなせんだんの木があった。(平良小全景画像の赤丸ケ所)(せんだんの木画像-この我が平良小百二十九年より)この栴檀の木からPTA新聞名が「せんだん」と名付けられたのであるが知っている人は少ないであろう。平良小学校創立150周年記念樹-せんだん

  • 平良丘陵開発の今

    時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、久しぶりに五庵山西麓方面からの遠望である。かつての山や谷、畑であった部分が広い平地とされつつあり、完了した部分の大きな法面がみられる。平良丘陵開発の今

  • 広島はつかいち大橋架橋工事の今

    時折り紹介している広島はつかいち大橋の架橋工事の進捗状況で、工期は来月14日までなので何の工事が行われているのか分からないが大詰めの工事がされているのであろう。開通までにはまだ何らかの工事が行われるのであろうか。広島はつかいち大橋架橋工事の今

  • 高圧線鉄塔工事の今

    以前から平良地区内の高圧線鉄塔で工事が行われていることを紹介しているが、昨日ウオーキング途中宮島サービスエリア近くの高圧線鉄塔上で数人の方が作業をされており、なんと線の上で作業をされている人もみられた。この鉄塔より西側で宮園団地にある鉄塔間の張替え工事が行われているようである。高圧線鉄塔工事の今

  • 出雲路ぶらり―出雲大社巨大神殿柱跡

    出雲大社に参詣する八足門前の石段下に大きな円形の文様のような表示がされているが、参詣する人で気に留める人はほとんど見られない。この円形文様は平成12年(2000)に巨大神殿の柱束の遺構が出土した跡で、当時新聞のトップニュースとなっていた。当時何度か訪れたが画像が見当たらない。出雲路ぶらり―出雲大社巨大神殿柱跡

  • 出雲路ぶらり―大田の大アナゴ

    アナゴといえば瀬戸内と思っていたが・・・大田市でのアナゴの水揚げ量は全国有数の漁獲量のようで、商工会議所が中心となって「大田の大あなご」ブランド化推進しているようである。以前に何度か食したことを紹介したが、夕食をと思ったが観光地近くでなく大きな街でないのでどこも早く店仕舞いをされていた。大あなご料理店一覧の店で何とか穴子天ぷら丼を食することが出来た。出雲路ぶらり―大田の大アナゴ

  • 出雲路ぶらり―日御碕神社

    日御碕灯台からの帰り道久しぶりに日御碕神社へ参詣した。楼門を入って正面に下の宮の日沉宮が祀られており、高台に上の宮の神の宮が祀られている。境内には数多くの摂社・末社が祀られており、こられ社殿の多くが国の重要文化財に指定されているようである。出雲路ぶらり―日御碕神社

  • 出雲路ぶらり―波根西の珪化木

    大田市波根西の海岸にみられる化石になった樹木で、国の天然記念物に指定されている珪化木を見に行った。古い時代の火山噴火で埋没した樹木が化石化したものであり、周辺の地層の中には枝であったものとみられる細い炭化石もみられた。出雲路ぶらり―波根西の珪化木

  • 出雲路ぶらり―日御碕灯台

    日御碕灯台は明治36年(1903)3月15日に完成し、4月1日に点灯したようである。この灯台は石積み造りで内壁には煉瓦積みがされており、今では築造出来ないような高い組積造の灯台である。発光部を支えている鋼管が過去に門司港駅舎でみかけたような鋳造鋼管であり築造の時代を感じさせる。出雲路ぶらり―日御碕灯台

  • 椎茸 植菌

    昨秋に切り置いていたドングリの木(クヌギ)に一昨日椎茸菌400個を植菌した。今まで栽培の流れで仮伏せを適当にしていたので一昨年植菌したほだ木から椎茸はほとんどできなかった。今回は栽培手引き通りに仮伏せをしたが・・・椎茸植菌

  • ジャガイモ植付け 三者三様

    先日、ジャガイモの植付けをしたが当方は親がしていたようなやり方で上画像のような現状である。隣接して二人の方が畑づくりをされており、片方の方は中画像のように植付されて、もうひと方は下画像のように植付されていた。ジャガイモ植付け三者三様

  • 出雲路ぶらり―日本最古級の電車

    出雲大社前駅ホーム内には日本最古級の電車デハニ50形・52号車と表示されている電車が展示公開されていた。デハニ50形は1928~1929年に製造され52号・53号の2両が現存しているようである。この電車は中井貴一主演の「RAILWAYS49歳で電車の運転士になった男の物語」の映画に登場した電車のようである。出雲路ぶらり―日本最古級の電車

  • 出雲路ぶらり―出雲大社前駅ホーム

    一畑電車の出雲大社前駅ホームに出れるようになっており、ホームに出ると丁度電車が到着してきた。上屋の骨組みは古レールを加工したものであり木造トラスもみられ開設当初のもののようである。またホームに設置してあるベンチもレトロな木製のものであった。出雲路ぶらり―出雲大社前駅ホーム

  • 出雲路ぶらり―出雲大社前駅

    神門通りにある一畑電車の出雲大社前駅の前を過去に何度も通っているが立ち寄ることはなかった。が今回孫達とは別行動で駅舎内を訪れてみた。この駅舎はRC造で昭和5年(1930年)に建てられたようで、半円型の屋根や室内にはステンドグラス風の窓が設けられており、半円型の切符売り場など洋風的な建築である。この建物は登録有形文化財として登録、近代化産業遺産に認定されているようである。出雲路ぶらり―出雲大社前駅

  • 出雲路ぶらり-稜威砲・神風砲

    出雲大社の宝物殿入り口脇に稜威砲・神風砲と称される二門の大砲が置かれている。説明表示によると天正8年(1580)に毛利輝元が寄進した銅鳥居を弘化2年(1845)に松江藩主の松平斉貴が大砲に鋳造したようである。大砲を鋳造した鋳物師は松江の村松幸左衛門忠清である。鳥居を鋳造した天正頃の安芸国の鋳物師は廿日市鋳物師しか鋳造活動が確認できないので銅鳥居は廿日市鋳物師が鋳造したのかもしれない。出雲路ぶらり-稜威砲・神風砲

  • 出雲路ぶらり-出雲大社

    昨日は孫の運転する車に便乗して出雲路を訪れた。出雲大社に参詣するのは2年ぶりであろうか。日曜日であり神社や門前町は大勢の参詣者・観光客がみられた。出雲路ぶらり-出雲大社

  • 鰐口釜

    昨日紹介した芸藩通志の古器図にみられる鰐口釜の銘文に施主廿日市とあり、荒胡子神社の鰐口は廿日市の有力町人が寄進したものとみられ廿日市鋳物師が鋳造したのは間違いないであろう。江戸期、茶の湯の隆盛時代に芦屋釜などと同様に廿日市の鋳物師が鰐口釜を量産していたものとみられるのである。今のところ画像の4口の鰐口釜が確認できたのである。鰐口釜

  • 荒胡子神社関連の鰐口釜

    昨日紹介した厳島神社の五重塔下に祀られている荒胡子神社に架けられていた鰐口を模して鰐口釜が鋳造されていた。江戸期の芸藩通志に「永正十二年に鋳たる鰐口、昔は社に懸けしや、今は本願金剛院にあり」とあり、これを模した鰐口釜の図が掲載されているが鰐口は残されていないのである。荒胡子神社関連の鰐口釜

  • 荒胡子神社

    荒胡子神社恵美須宮厳島神社の五重塔下に祀られている荒胡子神社で、この神社を中世初め頃に分祀して愛媛県内子町に祀られ、当地での御開帳日の廿日の市が地名として定着していったのである。内子町の恵美須宮について江戸期の『大洲旧記』に「治承養和の頃か、厳島を平家取立、夫を学て河野氏五十崎へ宮床を取立、厳島の荒えびすを勧請して廿日市へ鎮座す。厳島は開帳なし。廿日市は、毎月市日に一日宛開帳有。依遠方より参詣多し。弥以廿日市繁昌す」とある。荒胡子神社

  • 巨大あやとりが!

    先日、高圧線鉄塔の上で作業をされていたと紹介したが、鉄塔間に高圧線ではなさそうな細い線が多くか架け渡されて所々の垂直方向につなぎ材が設けられていた。巨大なあやとりのようだ!巨大あやとりが!

  • ソノシートが!

    物置の片隅に今では見ることもないソノシートがあった。1964年10月10日に開催された第18回の東京オリンピック協賛のソノシートのようであるが、どのようにして手元にあるのか覚えていない。ソノシートが一般的な呼び名であろうが「コロムビアコロ・シート」と記されていた。ソノシートが!

  • 林道玖島川末線開設工事遠望

    ウォーキング途中にみられる林道玖島川末線開設工事で上側にみられる泉水峠側と下側にみられる川末側の工事ケ所の遠望画像である。現在どのような作業が行われているのかは定かでないが、下画像は2021年1月頃の泉水峠の工事ケ所画像である。林道玖島川末線開設工事遠望

  • 吉野山の高圧線鉄塔関連工事の今

    上画像の右向こう側の鉄塔が以前紹介した建て替えられた吉野山の鉄塔で、一昨日中央の鉄塔上部(中画像)で4人が高圧線の張替えの準備作業をされていた。左手前側の鉄塔(下画像)は以前に岩木神社元宮を紹介した時には撤去されていたが、新しく高い鉄塔が建替えられており上部で作業をされていた。吉野山の高圧線鉄塔関連工事の今

  • ハゼ架けが!!

    久しぶりに原地区をウォーキングしているとなんと田んぼにハゼ架けが残っており、稲束が架けられたままになって周辺には藁束が散乱していた。稲束先の籾は無くなっており、脱穀後に架けられたものか雀などがたべたのであろうか。通常の状態ではないがどうされたのであろうか。ハゼ架けが!!

  • 市道堂垣内広池山線工事の今

    時折り紹介している市道堂垣内広池山線の可愛川に架かる橋の橋脚工事の進捗状況で、現在橋台立ち上がりの工事と周辺の護岸の工事が行われているようである。可愛川の流域の地中にはなんと大小の岩がゴロゴロとしているものだ。市道堂垣内広池山線工事の今

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