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  • 菊花紋の墓碑 ②

    島根県吉賀町金山谷集落の通称観音山に建立されている小椋余右衛門妻の墓碑で、弘化2年(1845)の刻銘があり墓碑上部に16弁菊花紋が陰刻されている。木地屋の人達は惟喬親王を業祖と仰いでおり親王に随伴した人達の末裔として菊の御紋を使用するようになったものとみられ墓碑に刻されている。(廿日市の文化第24集所収・西中国山地の木地屋参照)菊花紋の墓碑②

  • 洞雲寺の紅葉

    上画像はJR廿日市駅の裏手にある洞雲寺の昨日の風景画像で、イチョウの葉がきれいに黄葉していた。次画像は2008年11月に撮影したものであり参道のモミジの紅葉もあり絵になる風景であった。また、春も冬も絵になる風景であったが・・・洞雲寺の紅葉

  • 菊花紋の墓碑

    遥か昔、昨日紹介した折居の厳島神社前を通って、室谷地区の山中にある菊花紋のある墓碑を発見した人に案内してもらったことがある。墓碑の主は元治元年(1864)に葬られたようであるが俗名は刻されていなかった。山中であり菊花紋がみられるので山中で稼業していた木地屋の墓碑と思われるが、この地での木地屋の挽造活動についての資料は見当たらないのである。(西中国山地の木地屋参照)菊花紋の墓碑

  • 各地の厳島神社㊲-折居の厳島神社

    浜田市折居町の国道9号線から県道303号線(一の瀬折居線)に向かって行くと道路脇に祀られている厳島神社で、弁天島と称されていたようであるが由緒などについては定かでない。ここの本殿も出雲大社の影響を受けているものとみられ本殿は大社造りに似た造りとなっている。各地の厳島神社㊲-折居の厳島神社

  • 各地の厳島神社㊱-青原厳島神社

    浜田市金城町七条に祀られている青原厳島神社で石見国神社記によると仁安3年(1168)9月17日安芸厳島より勧請したようである。明治43年(1910)に火災で全焼のため現在の社殿は大正6年(1917)に再建されたようで、本殿は出雲大社本殿と同じような大社造りで造られている。各地の厳島神社㊱-青原厳島神社

  • 抹茶碗で一服⑤-芸州焼

    佐伯区楽々園で作陶されていた芸州焼西本瑛泉さんの夏茶碗を求めたもので、鶴首花瓶も同作者のものである。21日付の中国新聞文化欄に芸州焼を継承されている西本直文さんの東京での個展についての記事が掲載されており、西本瑛泉さんの作品も展示されているようである。(下画像)抹茶碗で一服⑤-芸州焼

  • 厳島神社絵図の絵馬

    以前に訪れた岩国市周東町祖生にある新宮神社の絵馬の中に厳島神社を描いた絵馬が掲額されている。明治18年(1885)に奉納されたものであるが、絵図には本地堂や鐘楼が描かれており廃仏毀釈以前の様子が描かれているのである。(厳島を描いた木版画参照)当神社は江戸期の地誌によると安芸の厳島勧請で祭神は三女神とあり、厳島神社との関わりがあったようである。厳島神社絵図の絵馬

  • 平良丘陵開発の今

    宮島サービスエリアから久しぶりに見た平良丘陵開発の現在で、展望所からみるとクレーターのような大きな穴がみられ徐々に埋め立てられているようであった。西側方面(下画像)の手前現場では法面の工事が行われているようであった。平良丘陵開発の今

  • 山陽自動車道の法面雑木伐採

    山陽自動車道の側道脇に立てられてい電柱の電線に黄色い養生がしてあり何の為だろうかと思っていた。ウォーキング途中に見てみると法面の雑木が伐採されているためのようであった。山林を崩し多くの樹木を伐採して自動車道が築造されたのであるから法面の雑木はそのままにしておけばと思ったのであるが・・・山陽自動車道の法面雑木伐採

  • 河野原大歳神社の今

    時折り紹介している上平良河野原地区にある大歳神社の昨日のイチョウの紅葉状況で、もう少し先に見頃となりそうだ。近くの田んぼでは稲のひこばえに実がついているがこれから寒くなるので実ることはないだろう。河野原大歳神社の今

  • カリン(花梨)

    親の時代に田んぼの減反政策で梅やカリンの木を植えていた。古くなったカリンの木に今年も5~6個のカリンの実がなっていた。カリンは芳醇な香りをもっているが、生で食べようにも硬くて渋いため食べれないので、毎年ほったらかしにしているのである。カリン(花梨)

  • 米俵づくり②

    袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に二周回して男結びとする。突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引で結んで完成である。新米の米俵は今年も元気であった証としてしかるべき所に・・・米俵づくり②

  • 米俵づくり①

    今年もやっと秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作りはじめた。まず稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。藁のくずをアクタと親から聞いているが、地方によると藁すぼといわれ藁の芯を藁しべというそうである。俵の胴体部になるコモを編む自作機具で、ヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。編みあがったコモを筒状に編み紐で結んで中に筒型を入れ、コモの片端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていき袋状にする。米俵づくり①

  • 速谷神社境内の今

    速谷神社境内の昨日の紅葉状況であるが、モミジもイチョウももう少し先が見ごろになるのではなかろうか。境内には七五三参りのお子さん連れの参詣者が多く見られた。速谷神社境内の今

  • 遊びの菜園-陸稲・陸植2代目黒米の今

    以前に棹干ししていた陸稲・陸植2代目黒米を少量であり機械は使用できないので手作業で脱穀した。上画像は陸稲で籾摺り・精米すれば少しは食べられそうである。下画像の陸植2代目黒米は空籾が多く、来年の陸植3代目黒米は無理かもしれない。黒米は水田に植えるものだ。遊びの菜園-陸稲・陸植2代目黒米の今

  • 抹茶碗で一服④-耶馬渓焼

    ブログのネタが枯渇気味、一服飲んで・・・はるか昔、若い頃に耶馬渓の青の洞門や羅漢寺を訪れた時に、吉村松月園・耶馬渓焼の窯元があったので訪れた記念に求めていたものである。抹茶碗で一服④-耶馬渓焼

  • まぼろしの江波焼皿

    上画像・中画像は、かつて江波の二本松、瀬戸内の舟、安芸の小富士を描いた江波焼であるといわれていた皿で、一時江波焼に関心を寄せる人たちが多くコレクターも多くいた。しかし、佐賀県嬉野市塩田町の窯跡から採集された焼物片の中に、以前に江波焼とされていたものが含まれていたのである。また志田焼展にも江波焼であるといわれていた絵柄の皿がみられたのである。まぼろしの江波焼皿

  • 衣羽神社

    広島市中区の江波山の東斜面に祀られている衣羽神社で、祭神は宗像三神(市杵島姫神・多紀理毘売神・多岐都比売神)のようである。当神社は安芸国神名帳にみられる佐東郡廿前・三位七前の衣羽明神とされているが、江戸期の地誌には明神社と記されている。旧暦6月17日に行われる厳島神社の管弦祭に江波の漕ぎ伝馬と阿賀の舟が管弦船を曳いており、看板表示によると当神社では漕ぎ伝馬に曳行される御座船と暗夜の火炎が織りなす火祭神事が旧暦6月29日に斎行されるようである。衣羽神社

  • 各地の厳島神社㉞-尾浜の厳島神社

    江津市後地町尾浜地区の高台に祀られている厳島神社であるがどのような経緯でこの地に祀られたのかは定かでない。本殿脇には大岩があり古くは磐座信仰がされていたものではなかろうか。各地の厳島神社㉞-尾浜の厳島神社

  • サルノコシカケ

    親の時代に植えていた梅の木が枯れて数年になり、昨日草刈りをしていたら2本の枯れ木にサルノコシカケが出来ていた。また、草の中に下画像のようなクソナバが生えていたのでGoogleレンズで検索してみるとヒイロタケによく似ているが・・・サルノコシカケ

  • 広島はつかいち大橋の今

    時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の昨日の進捗状況である。現在見る限り橋梁の各ジョイント部分の工事と各橋脚上部部分の工事が行われているようである。看板表示によると来年4月14日までの工期のようである。広島はつかいち大橋の今

  • 歯磨き粉空き缶

    子供の頃に使用した上画像のような歯磨き粉(今は缶のみ)を知っている人は少ないであろう。現在は歯磨き粉と言えばチュウブ式のものが主流である。歯磨き粉のおかげで現在24本の歯が健在であり歯科衛生連絡協議会から8020達成記念の記念品・表彰状を頂戴した。歯磨き粉空き缶

  • 遊びの菜園-陸稲・陸植2代目黒米の今

    時折り紹介していた陸稲と陸植2代目黒米を刈り取って棹架けをしている。右側の3束陸稲は稲穂がなんとかついているが、左側の陸植2代目黒米は稲穂が実っているものが少なく陸植3代目は無理だろう。黒米は水田に植えるものだ。遊びの菜園-陸稲・陸植2代目黒米の今

  • 各地の厳島神社㉝-熊野神社境内社の厳島神社

    山形県南陽市にある東北の伊勢・熊野大社といわれている熊野神社境内には30柱の祭神が祀られているようであり、そのうちの境内社に厳島神社がある。看板表示によると祭神は市比島姫命、水難除けの神と記されていた。遠く離れたこの地にどのような経緯で祀られているのかは定かでない。各地の厳島神社㉝-熊野神社境内社の厳島神社

  • 市道堂垣内広池山線工事の今

    市道堂垣内広池山線の工事で可愛川に架かる橋の西岸橋脚を設ける(橋脚下部工事)ための準備作業が行われているようである。市道中央線の東側でも道路改良工事が行われている。市道堂垣内広池山線工事の今

  • 各地の厳島神社㉜-出羽三山神社境内の厳島神社

    山形県鶴岡市羽黒町の羽黒山にある出羽三山神社への参道を登り切って鳥居があり、すぐに出羽三山神社御開祖を祀った蜂子神社に並んで厳島神社(中画像左側)が祀られている。看板表示によると祭神は宗像三神(多紀理比売神・市寸島比売神・多岐津比売神)と津速魂神が祀られているようである。どのような経緯でこのような地の当境内に祀られたのかは定かでない。各地の厳島神社㉜-出羽三山神社境内の厳島神社

  • 速谷神社の境内

    昨日もしめ縄づくりの準備作業を行ったが、連休初日でもあり神社には七五三参りのお子さん連れの人達が多く見られた。境内のモミジやイチョウの紅葉はもう少し先のようである。速谷神社の境内

  • 速谷神社のしめ縄準備作業

    年末に速谷神社へ奉納する注連縄を作るための稲わら藁そぎ(藁のあくた取り)が、温かいうちにとOld俱楽部の人達や有志などにより始まった。拝殿、斎館、儀式殿、注連柱、岩木神社、稲荷神社などに架ける大小8本の注連縄i用の準備作業である。速谷神社のしめ縄準備作業

  • デコ芝居-はったんがえし

    昨日紹介したデコ芝居といわれる説教源氏節人形芝居で、三味線や太鼓のお囃子に合わせて襖が次々と左右に引かれ御殿座敷がいくつもあるようにみせる「はったんがえし」という舞台装置が見どころである。デコ芝居-はったんがえし

  • デコ芝居-説教源氏節人形芝居

    昨日触れた民俗芸能伝承館で眺楽座により演じられた演目は石井常右衛門「土手八丁五人斬りの段」で、語り太夫の独特の節回しで三味線太夫の三味に合わせ物語を語っていくのである。デコ芝居-説教源氏節人形芝居

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