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  • ぐい呑みでぐい-と ‼

    ‼当ブログ主は酒が飲めない体質でありぐい-と呑むことはないが・・・若い頃、萩や北九州などにある窯元を訪れた記念にと当窯のぐい呑みを求めていた。萩焼の萩では岡田裕や無名の作品、深川萩では坂田泥華、田原陶兵衛、山口萩では大和松緑などのぐい呑みを求めた。また、上野焼では高鶴元、熊谷保興、企救焼では熊谷光峰などのぐい呑みを求めていた。正月に一同が会した時に使用するのみ以外は物置入れの片隅に眠っているのである。ぐい呑みでぐい-と‼

  • 各地の厳島神社㉘-国分の厳島神社

    山口県美祢市大嶺町東分の国道435号線脇に祀られている厳島神社である。江戸期の防長寺社由来に当神社についての記述がみられないので由緒など定かでない。各地の厳島神社㉘-国分の厳島神社

  • 各地の厳島神社㉗-住吉神社境内社の厳島神社

    下関市一の宮住吉にある長門国一ノ宮の住吉神社は「日本三大住吉」の1つに数えられているようであり、本殿は国宝に指定されている。鳥居を過ぎると神池があり中島に厳島神社が祀られている。江戸期の寺社由来には厳島社御池ニアリ、明治期の長府史料には厳島の社、本社の南池中の島に在りて市杵島姫命を祭るとあるのみであり由緒など定かでない。各地の厳島神社㉗-住吉神社境内社の厳島神社

  • 延命寺

    昨日ふれた宮島口2丁目の延命寺は寺伝によると、洞雲寺9世の全室宗用が延命寺開山のようである。2世は瑞雲泰龍、3世は溢道義充、4世は華蔵誓厳で洞雲寺25世の大透祖関が5世となっている。延享度曹洞宗寺院本末牒によると延命寺は洞雲寺の末寺となっている。延命寺

  • 延命寺の石垣

    先日来紹介している、かつての山陽鉄道宮島駅から宮島渡航の桟橋までの参道部分には大墓地があったようである。延命寺の石垣にみられる墓石は参道改修に伴った墓地の移転での無縁墓の墓石が使用されたものとみられる。延命寺の石垣

  • 元宮島口参道の石鳥居

    明治30年(1897)に開通した山陽鉄道の宮島駅から宮島渡航の桟橋までの参道に、明治31年(1898)1月1日厳島の人々の寄進で建立された鳥居である。駅前参道の道路拡幅に伴って取り除かれたものが地御前神社に移設されたようである。元宮島口参道の石鳥居

  • 元宮島口参道の注連柱

    明治30年(1897)に開通した山陽鉄道の宮島駅から宮島渡航の桟橋までの参道に、明治44年(1911)5月広島市の手拭改良元祖桑原政助が、創業25周年紀念で奉納建立したものである。駅前参道の道路拡幅に伴って新しく開発された宮浜温泉の逢瀬橋手前に移設されたようである。元宮島口参道の注連柱

  • 宮浜温泉源泉掘削工事

    宮浜温泉地内で「新しい源泉を掘削しています-宮浜温泉3号源泉掘削工事」と表示した看板が掲げられていた。しかし現地では仮囲いの工事が行われているのみであるが、この地で源泉の掘削工事が行われるのであろうか。下画像は現在の源泉地である。宮浜温泉源泉掘削工事

  • オイコ・ニコが !

    農業用物置に親時代に農作業や山仕事で使用していた懐かしいオイコがあったが、背負い紐と背覆いが無くなっている。かすかな記憶ではオイコやニコと呼称していたようである。オイコは枝木のある木を加工して作っており枝木部分は荷を乗せる腕木としている。オイコ・ニコが!

  • 作家 吉野誠作品展

    さくらぴあ1階のプティ・ギャラリーで、当ブログ主の七尾中学校時代美術の恩師である吉野先生の作品展が昨日より開催されている。通路脇のプティ・ギャラリーには数々のアルミオブジエ作品が展示されており、9月30日まで展示されるようである。当方美術はさっぱりだった。(光禅寺境内の原爆慰霊碑)作家吉野誠作品展

  • 遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今

    時折り紹介している廿日市19代目桜島大根(上画像)と廿日市9代目切葉松本地大根(下画像)の花が満開である。花が実ってその種を採って来シーズンには廿日市20代目桜島大根(上画像)と廿日市10代目切葉松本地大根を栽培する予定である。2005年2月に鹿児島方面を車で旅行した時に桜島大根の種を買ってから栽培し続けているものである。遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今

  • 極楽寺橋

    山陽自動車道に架かる極楽寺橋で極楽寺参道(廿日市参道)の橋だったが、現在開発中の平良丘陵開発のために通行止めとなっている。銘板によると昭和60年(1985)2月に築造されたようである。自動車道の上画像は上り方面で、下画像は下り方面で右端と左端の路線は宮島サービスエリアに出入りの路線である。極楽寺橋

  • 107段のブロック階段

    従来の極楽寺参道(廿日市参道)は平良丘陵開発で消滅してしまった。現在は宮島サービスエリア上り線の側道を進んで107段のブロック階段を登っていくと従来の参道となる。ブロック階段脇には名も知れない(当ブログ主が知らぬだけかも)小さな花がたくさん見られた。107段のブロック階段

  • 春爛漫

    ソメイヨシノは葉桜となりつつあるが、ウォーキング途中では八重桜やウコン桜がみごろであった。また道中では白やピンクのハナモモや細い花びらの集合体花のベニバナトキワマンサクなども花盛りであった。春爛漫

  • 路傍の花

    ウォーキング途中の道端でみかけた花で上段は休耕地の田んぼに沢山のタンポポの花が咲いていた。中段の花は荒れ地に生えていたもので、Googleレンズで検索するとグラジオラストリスティスという長い名前の花のようである。下段の花はムラサキハナナのようである。路傍の花

  • 市道堂垣内広池山線工事の今

    市道堂垣内広池山線で可愛川に架かる橋脚工事の進捗状況で東側のコンクリート躯体工事はほぼ終わっているようで周辺整備が残っているようであった。コンクリート護岸の下流側で狭まっているのだろうか・・・市道堂垣内広池山線工事の今

  • 速谷溜め池

    上平良堂垣内地区にある速谷溜め池で昭和18年(1943)に築造されており、灌漑面積は5町(5ha)だったようである。現在流域は市街地化して田んぼはほとんどないような状態である。先日の新聞報道で災害リスクを無くするために2か所の溜め池を廃止していくとのことであったが、この溜め池はどのようになっていくのであろうか。速谷溜め池

  • 笹藪のキャデラックが!

    ウォーキング途中、以前にも紹介したが道路脇の笹藪にある米国ゼネラルモーターズのキャデラックの現在の状態で注意して見ないと通り過ぎてしまいそうである。下画像は以前の状態であり見た感じでは朽ちかけたような状態ではなくレストアすればレトロな車で町中を走っていると振り向かれそうであるが・・・笹藪のキャデラックが!

  • メゴ(目籠)が!

    ウォーキング途中で古い納屋を取壊しされておりそばに懐かしいメゴ(目籠)があった。親の時代には農作業の運搬に使用しており、メゴを制作していたのも覚えている。下画像は遥か昔にメゴ造りの詳しい方に教えて貰いながら、あずって作った直径25㎝の小さなメゴであるがどうやって作ったのかもう覚えていない。メゴ(目籠)が!

  • 各地の厳島神社㉘-佐々井嚴島神社

    安芸高田市八千代町佐々井に祀られている厳島神社で、看板表示によると正和2年(1312)にはすでに鎮座していたようである。昨日紹介したように毛利氏は厳島明神を崇敬しており毛利輝元は木材を寄進して社殿を造営させているようである。ずらりと並んだ石燈籠は新しい時代に寄進されたものであるが圧巻である。各地の厳島神社㉘-佐々井嚴島神社

  • 各地の厳島神社㉗-長屋嚴島神社

    安芸高田市吉田町長屋に祀られている嚴島神社で、元就卿御教訓状に「・・・厳島を皆々御信仰肝要本望たるへく・・・」とあり、毛利氏は厳島明神を崇敬していたようで看板表示によると天文10年(1541)9月に毛利元就が勧請した一社のようである。本殿内には江戸前期の面影を残した玉殿が安置されているようである。各地の厳島神社㉗-長屋嚴島神社

  • 吉田町の町並み

    先日訪れた吉田町の旧道沿いは現在シャッター通り化しており、かつての賑わいを彷彿とさせる胡子神社が先日紹介した高林坊近くの四辻に祀られている。また、胡子神社近くの町並みには本うだつが設けられている町屋がみられた。下画像は古い町屋の造りではないが見たことが無いような造りなので紹介する。吉田町の町並み

  • 河野原大歳神社の桜

    時折り紹介している上平良に祀られている河野原大歳神社の桜も満開であった。当社殿は画像ではしっかりしているように見えるが老朽化が進んでおり、氏子数も少なく信仰心の薄れた現在、修復の目処が立たないようであり先行きが危惧されるのである。※当ブログを平成18年(2006)6月22日に開設してから本日で6500日となりました。老化防止のために万人向けではないがもう少し続けていきたいと思いますので御来訪のほど宜敷くお願いいたします。河野原大歳神社の桜

  • ウォーキング途中の桜

    ウォーキング途中にみられる桜でどこも満開であった。ふれあいライフ原(旧国立原病院)の門柱脇の古桜、ボンボリが吊り下げられた伊勢神社の桜の下ではお花見をされていた。原市民センター前の枝垂れ桜と立善寺の桜、元原村役場跡(現橋本集会所)の桜などどこも満開であった。ウォーキング途中の桜

  • 高林坊の喚鐘

    吉田町の町並みの中にある高林坊を久しぶりに参詣した。本堂に架けられている喚鐘の銘文には「天保15甲辰年5月上旬・・・」「冶工廿日市山田氏」などと刻されており、現在判明している廿日市鋳物師山田氏の鋳造作品の中で最後のものである。高林坊の喚鐘

  • 吉田・清神社参詣

    毛利元就の里、吉田に祀られている清神社に参詣したところ境内の桜は満開であり見頃であった。毛利元就の三矢の教訓に因んだ清神社守矢(サンフレッチェ)を授かるのが目的で参詣した。春休みで博多からの三人孫兄弟の一人が今日帰っていくので三矢の教えのように願って・・・吉田・清神社参詣

  • 市道堂垣内広池山線工事の今

    市道堂垣内広池山線で可愛川に架かる橋脚工事で久しぶりに訪れてみた。コンクリート護岸が築造されており橋脚との関連性が・・・堂垣内広池山線の予定地内にあった旧家が無くなっており先に見える民家も道路予定地内であろうか。市道堂垣内広池山線工事の今

  • 厳島島廻り

    厳島の島廻りの七胡子で当ブログ主が参詣した杉ノ浦神社、鷹巣浦神社、腰少浦神社、、須屋浦神社、御床浦神社を紹介した。大元神社の拝殿には島廻りをした記念に奉納さた絵馬が数多く掲額されている。厳島島廻り

  • 島廻り-七胡子③

    厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成28年(2016)3月20日に大野町の対岸に祀られている第六拝所である須屋浦の須屋浦神社、第七拝所の御床浦の御床神社に参詣したときの画像である。須屋浦までには開拓地跡などがあり途中大野瀬戸が見え隠れする長い道のりであった。(絵図画像-厳島名所しるべより)島廻り-七胡子③

  • 島廻り-七胡子②

    厳島の島廻りが行われる七胡子のいわれる七浦にある神社のうちで平成22年(2010)4月24日に第一の拝所である杉の浦に祀られている杉の浦神社を参詣したときの画像である。(絵図画像-厳島名所しるべより)島廻り-七胡子②

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