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  • 「正宗」磁器製酒樽

    ウォーキング途中でみかけた2種類の磁器製酒樽については以前に紹介したが、かつての家納喜酒造の前身である丸亀商店の支配人に宮城春悟の名がみられる。(大正10年(1921)~昭和7年(1932))また、昭和7年(1932)頃には以前紹介した幸橋モニュメントの地に宮城春悟の和洋酒類の商店があったようである。これらからみていくと丸亀商店の登録商標の正宗を宮城商店でも販売していたようである。「正宗」磁器製酒樽

  • マタタビの葉が白化

    ウォーキング途中の道路脇の山には白い花が咲いたようにマタタビの葉が白くなっていた。花を付ける頃に葉の表が白化して受粉をしてくれる昆虫を誘うためのようで葉の裏側は緑のままである。以前にマタタビの実を焼酎に入れてマタタビ酒を作って物入れの奥に置いていたのを忘れており下画像のようになっていた。古酒となったがもう飲めないだろうか・・・マタタビの葉が白化

  • 麦秋

    ウォーキング途中にみられる麦畑で毎年この時期に紹介しているが、小麦が実っているようでありもうすぐ刈り取りをされるのではなかろうか。この小麦を使って味噌も作っておられるようで以前に頂戴したことがある。下画像は今月初めに訪れた出雲平野の麦畑である。麦秋

  • 各地の厳島神社⑱-養老厳島神社

    今治市波方町養老にある厳島神社で江戸期の地誌「愛媛面影」にはみられず由緒などについては定かでない。看板表示によると厳島神社のある地は中世来島家の居館波方館の別館養老館があった地のようである。各地の厳島神社⑱-養老厳島神社

  • 平良丘陵開発土地区画整理事業の今

    昨日、平良丘陵開発予定地内の広池地区を通っていると催し場用の大型テントの設営がされていた。本日か明日に関係者による地鎮祭が行われるのではなかろうか。平良丘陵開発土地区画整理事業の今

  • ヒペリカム

    ウォーキング途中で民家の片隅に見たことが無いようなヒペリカムの黄色い花が咲いていた。上画像は23日に撮影しており、昨日よくみると黄色い花と思っていたが、花びらや黄色の実もあり赤くなり始めている実もみられた。ヒペリカム

  • 五日市港の車両運搬船

    昨日の午前中、五日市港に2隻の車両運搬船が停泊していた。右側の船はパナマ船籍の「アクアマリンエース」で収容力は18772トンDWTで、次の寄港地はシンガポールのようである。左側は「日昇丸」で収容力は5030トンDWTで、次の寄港地は苅田港のようである。五日市港の車両運搬船

  • 各地の厳島神社⑰-弘化台厳島神社

    高知市を流れる鏡川と国分川の合流付近にあった小嶋の弘化台に厳島神社が祀られていたようであるが、弘化台埋立地の築造に伴って小嶋の弘化台は掘削されたようである。現在は弘化台中央卸売市場の片隅に小さな厳島神社が祀られていた。(下画像-今昔マップより)各地の厳島神社⑰-弘化台厳島神社

  • 平良丘陵開発予定地俯瞰

    上画像のような平良丘陵開発が行われる予定地の山々を山陽自動車道宮島サービスエリア下り線の展望所先端部からパンニング俯瞰。4枚目画像の海の向こう遠くにG7広島サミットで各国首脳が訪れた宮島が見られる。平良丘陵開発予定地俯瞰

  • 市道堂垣内広池山線道路改良工事の今

    平良丘陵開発地域への市道堂垣内広池山線のルートで可愛川の東側部分(下画像赤丸ケ所)では道路の一部が築造されていた。上画像の山方面に道路が向かうと以前紹介した旧石州街道がある所に向かう。中画像の可愛川には橋が架けられて向うの国道433号線の陽光台南交差点に接続するようになる。(廿日市市地図情報システムより)市道堂垣内広池山線道路改良工事の今

  • 「正宗」磁器製酒樽

    ウォーキング途中の畑の隅に珍しい磁器製の酒樽が置かれており、酒樽には「廿日市丸亀支店正宗第六号」とあった。丸亀支店とあるのはかつての家納喜酒造創業者である丸亀小六に関係があるものとみられるのである。丸亀小六は大正7年(1918)に丸亀商店、大正9年(1920)に家納喜酒造を創業している。下画像には丸亀酒場とあり丸亀支店・丸亀酒場は丸亀商店創業以前のものであろうか。「正宗」磁器製酒樽

  • ピラカンサの花

    平良丘陵開発予定地内の広池地区をウォーキングしていると道端にピラカンサの花が咲いていた。秋には赤い実がびっしりとなっているのを車での通りがかりに何年も見ていたのであるが、花が咲いているのは歩いていて初めて気が付いた。ここは開発予定地内であり赤い実がなるまでには取り除かれてしまうのではなかろうか。ピラカンサの花

  • 洞爺湖サミット記念館

    本日から広島サミットが開催される。以前訪れた北海道洞爺湖畔には平成20年(2008)7月に開催された洞爺湖サミットを記念した洞爺湖サミット記念館が設けられていた。記念館内には各国の首脳たちが意見を戦わせた会議テーブル等が保存展示してあった。洞爺湖サミット記念館

  • 装荷線輪装置用「ケーブルハット」跡

    大竹市小方の旧西国街道の苦ノ坂峠手前に残されている逓信省時代の装荷線輪装置用「ケーブルハット」跡で、ケーブル心線による電話回線は通話能力が減衰するために装荷線輪をケーブル亘長1830m毎に設置したようで、「ケーブルハット」はこの装荷線輪装置を収納していた所のようである。以前に紹介した畑口橋交差点近くにあるレトロな逓信省看板は苦ノ坂の「ケーブルハット」と同じ長距離電話ケーブル関連の施設のようで、これらから長距離電話ケーブルは旧西国街道沿いに設置されたようである。(資料-東京神戸間長距離電話「ケーブル」工事の概要より)装荷線輪装置用「ケーブルハット」跡

  • 閂(かんぬき)

    今ではあまり見ることが無い閂(かんぬき)が昨日紹介した木野厳島神社境内にある神輿庫でみられた。倉庫や物置などの大きな開口部の両開き戸や折畳み戸などの施錠のための横棒を閂というが、現在はシャッターなどが設けられて見かけることが殆どないのである。閂(かんぬき)

  • 各地の厳島神社⑯-木野厳島神社

    木野集落の後背山斜面に建立されている厳島神社で旧称は氏野大明神と称されていたようである。江戸期の地誌には「氏野社とあり瀛津姫命を祭る、境内に末社五宇あり」とある。現在一段高い所に摂社・末社の恵比須神社・天満宮・祇園神社・稲荷神社・金比羅神社・人丸神社が祀られている。各地の厳島神社⑯-木野厳島神社

  • 小瀬川沿いぶらり-木野小学校跡

    小瀬川(木野川)沿いの木野集落にある木野小学校跡で平成23年(2011)3月に廃校となったようで、学校跡には体育館が残されており隣接して木野集会所が建てられている。集会所脇には昭和14年(1939)2月11日に寄付建立された二宮金次郎像と昭和51年(1976)に建立された創立百周年記念碑「創造」が残されている。小瀬川沿いぶらり-木野小学校跡

  • 小瀬川沿いぶらり-乙瀬小学校跡

    昨日紹介した宗玄寺の少し上流側の小瀬川(木野川)沿いに比較的新しい校舎の乙瀬小学校跡があった。狭い前庭には昭和62年(1987)3月に建立された開校百周年記念の乙女像が残されていた。この学校は平成13年(2001)に小瀬小学校に統合され休校していたが平成26年(2014)に廃校となったようである。小瀬川沿いぶらり-乙瀬小学校跡

  • 小瀬川沿いぶらり-宗玄寺の喚鐘

    小瀬川(木野川)沿いの岩国市乙瀬地区にある護念山宗玄寺の本堂に架けられている喚鐘で、銘文によると宝永3年(1706)8月2日に廿日市鋳物師の山田貞能が鋳造している。山田貞能の鋳造作品は梵鐘・喚鐘など14口の鋳造をしたことが判明している。以前に、何時の時代のことかは不明であるが当寺の梵鐘を近くの小瀬川河原で鋳造したとの話を聞いたことがある。小瀬川沿いぶらり-宗玄寺の喚鐘

  • 出雲路ぶらり-出雲大社③

    神楽殿の大注連縄で出雲大社のHPによると長さ13.6メートル、重さ5.2トンとあり日本最大級の注連縄といわれている。かつて訪れた福岡県福津市にある宮地嶽神社の大注連縄(下画像)はHPによると「当神社の注連縄は直径2.6m、長さ11m、重さ3トンの日本一の大注連縄で当社のシンボルである」とある。出雲路ぶらり-出雲大社③

  • 出雲路ぶらり-出雲大社②

    かつて拝殿の西側には上画像のような、神社建築の社殿が建ち並んだ境内に異彩を放った斬新な鉄筋コンクリート造の庁舎があったが現在は下画像の木造庁舎が建てられていた。旧庁舎は著名な建築家菊竹清訓氏が設計したものであるが、老朽化や耐震問題などのために建替えとなったようである。出雲路ぶらり-出雲大社②

  • 洞雲寺-境内社厳島神社

    洞雲寺本堂脇の池の中にある小祠で古くは鎮守堂と記されており、寺院の土地、境内、建物の護り神として当寺と関わりの深い厳島神社を分祀して祀ったものとみられる。江戸期の辛未紀行(文化8年-1811)に「鎮守厳島社、寺ノ左ニ有、弘安四年寄附ノ鰐口・・・」、洞雲寺誌に「鎮守堂、ひわだ葺」とあり、現在は小祠であるが江戸期には桧皮葺の堂で向拝に鰐口が吊るされていたようである。この鰐口は願主が海田庄中金屋とあるので現在の奥海田で鋳造活動をしていた中金屋が寄進したようである。洞雲寺-境内社厳島神社

  • とお-んじ

    昨日は「とおーんじ」の日だった。廿日市駅裏にある洞雲寺の花まつりの日であるが「とおーんじ」といっても分かる人は少ないであろう。洞雲寺の縁日は「とおーんじ」で極楽寺の縁日は「かんのんさん」、小中学生の頃は授業が早く終わっていたので小銭をにぎって行っていたものだ。かつて洞雲寺の縁日(花祭り)には山陽本線脇の参道入口から鐘楼門前までずらりと露店が並んでおり植木露店が多いのが特徴的であった。現在は門前マルシェが開催されておりかつて植木露店や一般露店がずらりと並んで賑わっていた頃を彷彿とさせる。とお-んじ

  • 出雲路ぶらり-出雲大社

    石見路から急遽コースを変えて何年ぶりであろうか久しぶりに出雲大社へ参詣のため訪れた。お参りをする八足門手前の石段下には過去に行われた発掘調査で出土した巨大な本殿跡の柱根元部分を表したマークがみられる。下画像は平成12年(2000)4月29日付の読売新聞一面で、トップ記事に巨大な柱根元部分の出土を報じている切り抜きである。出雲路ぶらり-出雲大社

  • 石見路ぶらり-大田市駅跨線橋②

    上画像は大田市駅跨線橋の渡り通路の小屋組みで見たことが無いような鋼材の組み合わせの小屋組みである。下画像は江津駅跨線橋の小屋組みであり山形鋼を組み合わせてリベット接合したもので、昭和期中頃まで採用されていた工法である。大田市駅は大正4年(1915)に開業、江津駅は大正9年(1920)の開業であり、年数の隔たりは少ないのに小屋組み形状が異なっているのは昨日ふれたように大田市駅跨線橋が他所から移築されたのではないかと思われるのである。石見路ぶらり-大田市駅跨線橋②

  • 石見路ぶらり-大田市駅跨線橋

    大田市駅跨線橋江津駅跨線橋JR大田市駅の跨線橋で階段登り口両側の柱や渡り廊下の柱が珍しい鋳鉄製柱で造られている。登り口の柱脚部分には「MAKERSKOBE1890」とあり明治23年(1890)に鋳造されたようであるが、当駅は大正4年(1915)に開業しているので他所から移築されたものであろうか。看板表示には帝国鉄道庁神戸工場で製造されたとあるが、帝国鉄道庁は1907年に設置されている。下段画像は以前に訪れて紹介したことがある江津駅の跨線橋で階段登り口の柱脚正面に「鉄道院」側面に「明治四十五年横河橋渠製」と鋳造文字が見られる。それ以前の英字鋳造文字のある大田市駅跨線橋柱は外国で製造されたものかも知れない。石見路ぶらり-大田市駅跨線橋

  • 出雲路ぶらり-大アナゴ

    島根県はアナゴの漁獲量日本一でその半分は大田市で水揚げされているようであり、久しぶりに穴子料理を食べに大田市に向かった。GW期間中メニューとなっていたが穴子丼と連れ添いは穴子天丼を食した。大雑把な配膳であったが瀬戸内ではみられないようなボリュームたっぷりの穴子料理を堪能したのである。出雲路ぶらり-大アナゴ

  • ダイガラ

    以前にダイガラの一部である踏柄と先端部に杵がついたものを紹介したが、ウォーキング途中に別の場所で同じような踏柄と先端部に杵がついたものがあった。下画像は2014年3月に岩国市本郷町の町家で見かけたダイガラである。ダイガラ

  • 各地の厳島神社⑮-新狭島厳島神社

    高知市御畳瀬にある新狭島厳島神社でかつて浦戸湾への航路途中にあった狭島に祀られていたが、昭和30年代に船の航行のため掘削撤去され現在地に築島を造って遷座したようである。(地図参照-今昔マップより)(2016.12.17撮影)各地の厳島神社⑮-新狭島厳島神社

  • NTT公衆電話が!

    ウォーキング途中の原地区橋本集会所前に設置されているNTTの公衆電話ボックスがあるが、告知張り紙によると今月23日に廃止撤去されるようである。原地区の国実にもう一カ所公衆電話ボックスがあるがここはどのようになるのであろううか。NTT公衆電話が!

  • 平良丘陵開発土地区画整理事業の今

    平良丘陵開発予定地内を通っている極楽寺廿日市参道で小野の登り口と山陽自動車道に架かる極楽寺橋の袂に通行止めの柵がしてあり、下平良から山陽自動車道までの廿日市参道は通れなくなっていた。廿日市参道沿いには下絵図のように石仏や里程碑があるのだがどのようになるのであろうか。(廿日市参道の石仏や里程碑について廿日市の文化第21集に詳述している)平良丘陵開発土地区画整理事業の今

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