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光の風 https://blog.goo.ne.jp/ys0322art/

〜画家すずきゆきおの世界〜  夢と希望に癒しの芸術を 生み出す画家の日々の、つぶやき

画家。夢と希望の癒しの芸術と呼称されています。 主にデパートでの個展を発表の場にしています。

すずき ゆきお
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神奈川県
出身
東京都
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2006/06/08

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  • 味噌は味噌くさいのがいちばん良い。

    作家の山本周五郎の言葉に、「味噌は味噌くさいのがいちばん良い!味噌くさくない味噌というのを信頼できるか。」という言葉があるそうです。そして第三者から見たら、どんな生業をしている人種に見られたいか!という問いに、山本周五郎は「私は小説家に見られたい」と答えたそうです。生業を長い間に従事していると、その仕事からくる生き方、考え方が自ずと醸されることを言っているのだと思う。小説家に見られたい!というのは、強い誇りがなければ、なかなか言えない。人は普段どんな考えをしているかどんな仕事をしているかは、具体的に喋って説明しなくても雰囲気から分かってしまうものです。仕事の種類によって仕事人のカラーは出てしまうし、何々らしいは一人前の社会人として当然なことです。山本周五郎の言葉を記憶の底から思い出したのは、昨年、12月、普段使...味噌は味噌くさいのがいちばん良い。

  • 歳相応になっているのか?

    年末に軽い怪我をした影響も少なく、相も変わらずの正月でした。娘たち家族とゆっくり過ごした他は、2日から制作をスタート。正月は朝からお酒が入っている。画家という零細企業は休みがあるようで休みは無い。正月といえども描いている。いつもと違うのはアルコールが伴走しているくらいです。たとえば10年前と比べたら1日の制作時間は少なくなった。疲れるのが早くなっているので、こんな時に年齢(今年3月に74歳)の壁を感じる。同年齢あるいは、その前後の人からの年賀状に、体調不良を、あるいはどこかが病んでいるわけではないが、以前と比べて歳を感じているとのコメントが多かった。それらのコメントを読むと、なおさら、私は自身の終末を見つめてしまう。画業を集大成することを可能にするには、何が必要なのか、これからの歳月を大事にしていかなければと思...歳相応になっているのか?

  • 足元を見つめすぎ!

    今年もあと数日になり慌ただしい年末です。一年を振り返ってみると、私個人に限っては、のっぺりとした印象しか残らない。たぶん個展の開催が無かったことが大きい。2019年初頭の、ブログの文章は「足元を見つめなおす!」自らが立つ地点の確認という思いのタイトルでした。個展が無い一年をじっくりと自分自身を見つめたいと思ったわけです。「生育史を見つめなおす、祖先を見つめなおす、日本の文化史を、特に古典絵画を見つめなおす。」ようするに充電期間としたわけですが、変わることなく制作は日課そのものでした。しかし、新しい知識が増えるのに比例して、直観力の働きが鈍くなってきたような気がしてきた。制作をすることは、ある意味においては激しい独り善がりの思いこみの強さが必須であり、無意識から生じる道しるべに従って意識が追っていく。その双方が交...足元を見つめすぎ!

  • 歳を取って見たら!

    96歳で亡くなった父が、70過ぎぐらいの頃、歳を取って見い!分かるから。と呟いたのですが、これが第一声だったと思う。最初に聞いた時は、なんだか意味不明に感じたものです。それからしばらく聞かなくなっていたが、たぶん85歳頃から、時おり、歳をとって見い!と言うようになったものです。無口の父は、あまり事細かに説明しないのですが、身体が辛い時にもっぱら言っていたように思う。察してほしいということのようでした。若い人に分らないと思うが、歳をとって見て初めて分かることがある。父が言ったことの一番の名言は、歳を取って見い!分かるから。私は近頃、この名言の確かなことを実感するようになってきた。要するに歳を取ってきた。老人になってきた!です。自覚の第一歩は晩酌の量が自ずと減ったことです。体力もそれに比例している。しかし、マイナス...歳を取って見たら!

  • 生徒から力をいただく!

    籠る日々を続けようと思ったわけではないが、やはり行動半径はアトリエを中心にして5~6キロ。驚くほどの地元だけの生活が2ケ月。画壇の仙人と言われた熊谷守一さんは、晩年の76歳から約20年間は自宅の小さな庭から一歩も外出しなかったそうです。それと比べても仕方がないが、私の行動半径は熊谷守一さんより広い。制作に読書を中心の日々は、心の中の旅路は広く深く行動半径は充実していると思っている。実際に出かける時は新幹線、飛行機、等々で遠くにいきますから。出かける時節には、一気に出かけますが、時節の到来がまだのようで、行動半径が5~6キロです。もっぱら路線バスのお世話になっている。文章の脱線はこのへんにして、タイトル、「生徒から力をいただく」に、話題をうつします。絵画塾も、あと2年ぐらいで止めようと思っていたのです。制作は生あ...生徒から力をいただく!

  • 行動半径

    この1ヶ月(9月)地元のみの狭い行動半径は、たぶん5キロ!しかしながら孤立している高齢者ではない。場合によっては3日連続で我が家から一歩も出ないのに、孤立していないとは?3日連続で古書店に行った。長女や次女の家に行くのは孫守り。絵画教室の指導に2日。お彼岸でお寺さんに墓参。教会でミサに与る。年上のKさんの病院通院の付き添いも今月もありました。生きがいの心理学の勉強会。上記は毎日連続ですることではないので、月単位でスケジュールを手帳で見ると我ながら驚くほど行動は希薄。しかしながら、制作は休むことなくしているので、このスケジュールを縦軸としてみると実に忙しい。さらに狭い行動半径でも、心の内面の実感は遠い旅路をしたように思えるのは、制作もさることなく、読書も深く影響しているような気がする。この9月は、内村鑑三の著作に...行動半径

  • 何にもしないという充電方法!

    数日前、いきなり電池切れになった。正確に言いますと電池切れのようになった!もうすこし適切な譬えが言えないものかと思いながら、やはり、電池切れ!状態としか言えない。何にもしたくない。オンともオフとも違うその中間地帯。スマホならば充電すればすむことですが、最も良い対処法は、無為にして何にもしないことが、良いのは体験的に分かっている。何にもしないというのが充電になる。本当に何にもしないのです。気分転換に出かけるとかもしない。ひたすらに何にもしない。年に、1ないし2回ほどある電池切れ。予測できないから前もって対処不能。ただひたすらに何にもしないと決めていると、充電が完了する。このたびは2日で完了(笑)ご心配おかけしました。誰も心配していないか!(笑)これから早めの昼食、沖縄ソバを食べてから、30号の作品等、数枚をゼロか...何にもしないという充電方法!

  • 手仕事をしている職人

    画家は手仕事をしている職人だという意識がある。絵を描く人、一昔前だと絵描きさん!という呼び名が使われていたと思う。自分の仕事を他人に紹介する時は、絵描き、もしくは画家、という。決して今風にアーティスト、もしくは芸術家とは言わない。いつからなのか、気がついてみると、表現者は自らを芸術家とか、アーティストを名のるようになってきた。何でも良い、何かを表現したら、それを作品と言うのではなく、芸術だという。レベルのいかんを問わずに表現された作品を芸術だという。昔の考えだと、最高の表現がされた極致のみを芸術と言っていたと思う。技術だけでなく普遍的な哲学を含んだものである。ですから、そんなに多くは芸術と呼称されるものは生まれないものです。それなのに、今の時代は芸術の安売りの感がある。表現したら芸術家という。弁えもなくなってい...手仕事をしている職人

  • ブログ開設から5千日

    ブログ開設から5千日!だそうです。gooblogからのお知らせで分かった。2005年11月26日がブログの初めの一歩でした。ここ数年はFBに投稿するとブログを書くのを怠けてしまう。FBをやる前は、わりとマメに投稿していたことを考えると、近頃は休眠中に近い。どんなにとるに足らない日々の呟きでも、たえず投稿していると、物の観察も行き届き、その結果として制作の下拵えとなって、たぶん深み厚みも、あるいは軽みも膨らんでいるような気がする。画家としてブログに呟くことは良いこと尽くしならば、投稿を心がけたら良いと思っているが、そこが、なかなかそうは簡単にいかないのが悩ましい。投稿しない言い訳をせずに、毎日とはいかないが、五千日前の初心に返って、呟きの頻度を元に戻そう。次の五千日後まで、とぼとぼと歩くように、呟いて行くことにし...ブログ開設から5千日

  • 雑感177(理念)

    前回のブログで何か忘れ物をしているような気がしてならない。それが何であるか皆目、見当がつかないと呟いてから一ヶ月経とうとしている。古稀を過ぎてから老いを少し感じるように、それと比例して過去にしなければならない、大事な事を忘れてしまった。具体的な行動だろうか?いくら考えても分からないので、まあ、そんなにギシギシと悩まなくても良いと思うことにした。まあ、制作も日々、休まずにしていることで、それだけで満足とする。しかし、どこか心の奥底で、ワスレモノはどこですか?ワスレモノを見つけましたか?先日、数年前のブログを遡って読んでいた。昔は頻繁にブログを更新していた。それに比べて今は呟くこともしなくなった。昔のブログを読んでいると過去の平凡な日々を思い出してくる。それに浸るのは単なる懐旧かもしれないが、たまには、そんな気分に...雑感177(理念)

  • 雑感176(もしかして忘れ物?)

    近頃、しきりに何か忘れ物をしているような気がしてならない。制作中心の実に変化の少ない日々、人との約束事も自慢ではないが、かなり少ない。ですから少ない約束を忘れる確率はゼロに近いほどに無いと断定できる。手帳をめくって見たりしても、何かを忘れている粗相もない。探し物を見つけてくれる聖アントニオ様さんにお願いすることもないと思っていても、100%!大丈夫ともいえない。そこでホワイトボードも使うことにした。約二ヶ月後にわたる約束事を、そして処理しなければならない懸案事項を、書き込んでおけば可視化される。終了したものは順次消していき、新たなものを書きこんでいく。これで予定をもれなくチェックできる。さらに、ふとアイデアが浮かんだら、書き込んでおけば重宝だと思っている。手帳✙ホワイトボード!これで万全かと思いきや、それでも、...雑感176(もしかして忘れ物?)

  • 雑感175(変貌)

    「日に新たなり、日々に新たなり」という言葉がある。今日という日は、大きく宇宙的に視野を広げても、日常的に視野を狭めてもどちらにしても初めて迎える日だと思うと、決して昨日と同じわけがない今日という日。制作していると如実にそれを感じる。意識してマンネリに陥らないように心がけなくても、無意識下においても自ずと新たなものが現れてくるのを待っている。正確に言うと無意識をもとにして意識化とコラボしている。制作ウンヌンを言葉化しようとすると、理屈が過ぎてしまうが。ここからはジョークです。制作に行き詰まったりすると、過去の作品の写真を見たりすることがある。わずか数年前でも違いがある。本質は変わっていないが随分と違うと思う。さらに遡って10年前の個展時に撮った作品のスナップ写真を見ると、今と比べて作品の本質は変わっていないが、や...雑感175(変貌)

  • 雑感174(人格の遠近法)

    私のような作風は一見して遠近法を考えていないと思うかもしれない。しかし、画面の奥へといざなうための表現を心がけているし、成功したと思われると完成です。一般的な写実、あるいは具象的な表現の作風の、遠近法とは違ったものかもしれないが、かなり遠近を意識して制作をしている。写実、あるいは具象画の絵は、画面の中の遠近を、つまり近くの物は近くに、遠くの物は遠くにあるように表現されている。それらは一見して遠近法があるように感じられるが、必ずしも、それがあるわけではないから鑑賞は難しい。抽象画でも、あるいは書道の字でも、遠近が作品の中にあるものです。遠近法がある作品は、画面から、その奥へといざなう、見る人を受け入れて大きく包んでくれる。見る人を讃えて受け入れてくれる。人はたぶん誰でも自らの存在を良しとして、受け入れてほしいと思...雑感174(人格の遠近法)

  • 雑感173(手と意識)

    久しぶりのブログです。ブログのアップが滞ってしまうのは、犬の散歩が無くなったのが大きい。朝晩の散歩で季節の移ろいを感じたりする時間は、発想が固定せずに自由に流れていた。その流れを止めようとせずに、流れるままにしていると、本流が支流になったり支流が池になったり、風の動きを感じると雲になったり、犬の視線に誘われて見れば小さな草花を見たり、とどまることは無い。作画のヒントにしようという小賢しい思いはなくても、それらの日々の集積が、哲学でもあり、美学になったりしていたような気がする。外見は同じ散歩でも日々に違うわけですから、マンネリではないから面白い。他からみたら単調な犬の散歩に見えても、日々、その内容はまるで違う。制作をしている日々の姿は、いつもと変わり映えがないと思うはずですが、その内容が、まるで違うのは、キャンバ...雑感173(手と意識)

  • 雑感172(ガンジーの言葉から)

    「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ」(ガンジーの言葉)いい言葉と思ってメモ書きしておいた。メモ帳はパソコンのところにも、テーブルのところにもメモ帳がある。ふと思いついたりした時、または本を読んでいて感銘を受けた言葉に出会うと、すぐにメモ帳に書き記したりしているが、あちらこちらにメモが散乱しているので、つまり書き散らしていて収拾がつかない。ふと、このガンジーの言葉を記したメモが出てきた。親しい友人が亡くなったり、私の年齢を起点として前後10年の人の訃報を聞いたりしていたので、ガンジーのこの言葉の強さ重さが心の中に、しっかりと落ちてきた。老若問わず人はいつ彼方に行くかは誰もわからない。まして私はもうすぐ73歳になる。しかし追究するその先は深くて遠いと思うから、読書もさかんにするし、あーでもないこ...雑感172(ガンジーの言葉から)

  • 雑感171(体調D)

    今日は洗濯日和です。朝、洗濯したものが日当たりの中、気持ちよさそうに風に吹かれている。手帳に起床後1時間の体調を記している。別に体温を測ったりするとかではなく、何となくの主観による体調を、アルファベットで体調の良し悪しを表示している。最良がA、良がb、普通がC、悪いがD、最悪がE今朝はD。オフにしようかと思ったが、洗濯をしたり干したりしたが、掃除はパス。埃では死にませんと!と私の生徒たちに口をそろえて言われている。彼女たち、主婦で初老のお姉さん達。世の主婦たち、掃除は手抜きなのかどうかは速断はしないが、たしかに、したくない時はあるね。私は戌年のせいか、躾けられた芸は真面目にしてしまう。私は分担の家事をしているうちに、描きかけの上手くいかない作品が気になって仕方がないので、制作を始めたら、体調はD~Cへと移行した...雑感171(体調D)

  • 雑感170(両刀遣い)

    私のブログのサブタイトルの一節に、日々の呟き!とあることに、ふと気がついた。それにしても今は呟いていないではないか!FBがそれを代行しているのでブログのアップが滞っているのかもしれない。ワンコがいた時は散歩しながら感じたことを、そのままブログにその呟きをアップしていた。今はワンコが天国。呟くことが出来ない理由をいくら上げても意味はない。キャンバスに向かっている時だけが制作ではなく、呟く中に自ずと哲学的な思考があったりする。呟くことが作品の下塗りともいえる。この歳まで絵を描いていると、自動的に作品が生まれてしまうものですが、対象物を見てそのまま再現させる描き方ではないからこそ、私なりの哲学的思考と制作はリンクしている。作品を意識的に変えようと思わなくても、数年前とは違ってくるのですから、何を考えているかが影響され...雑感170(両刀遣い)

  • 雑感169(18年後)

    はたから見たら私の生活は、実に代わり映えのない日々だろうな?本人からしたら変化のある日々。制作をしていると予測できないものが現れたり、または計算通りに事が進んだりして、それらこもごもを統御していくのが単調であるはずがない。ユーチユウブで、あちらこちら見てまわっていると、たとえば、歌を聴いたりする。恋と愛の歌がほとんどですね。70を過ぎた今の私には無縁。かつて経験のある感情であるから共感できることでもあるが、恋と愛から卒業したというか引退したからこそ、若い人とは違った捉え方、感じ方で深く分かる。歳をとってみて初めて、より分かるということなのか?二十歳前後の頃は、人生いかに生きるべきかと悩み人生論の類の本を読んだりしたものです。その頃の50年前の本には、若い人に人生70年と言う。これからの長い人生を生きていく知恵と...雑感169(18年後)

  • 雑感168(人との縁)

    90歳をとうに越えている方の年賀状に、達筆な筆の字で、「今年かぎりで年頭の御挨拶を欠礼させていただきます」と書かれていた。年齢からしたら納得できます。それに比べて、年賀状を欠礼するというのを、働き盛りの年齢の方からいただくと、敗戦後すぐに生まれた私の感覚からすると、「それは少し早くないですか」と思ってしまう。人と人との繋がりの中に人生はある。過去に一度しか会っていなくても、年賀状の往還があるのは、それなりの思い出を共有するからであり、全然、何も無い結びつきでは年賀状の往還はありえない。働き盛りの世代は、仕事において人間関係は良くも悪くも重要である。そんな事は百も承知だと言われるかもしれない。仕事に結びつかない人間関係は、益にならない煩わしいと考えていれば、年賀状の欠礼の挨拶になるのだろうか。爺さんの繰り言ですが...雑感168(人との縁)

  • 雑感167(足元を見つめなおす)

    新年の挨拶をする孫に今年の抱負を聞いてみた。孫に聞いた時、さて私はどうか?今年の抱負はどうかと自動的に考えたものです。さて私の今年の抱負は?その前に昨年はどうだったか?昨年、元気がなかったのは、たぶん過ぎ去った日々をバックミラーで眺めることが多かったからだと思う。若い時は前方を凝視して左右も注視して、ひたすら目指すものに向かって走っていたようだ。走るスピードが速いのでバックミラーで、過去を振り返るのは当然少なくなる。それに比べると、年齢とともにスピードがどんどん遅くなり、周りの景色を眺めたり、バックミラーを見てることが多くなっていた。若い恋人達が夕日を眺めて語らうとすると、明日への希望でしょうが、高齢者の夫婦が夕日を眺めたら、終活のことを意識してしまうかもしれない。たぶん歳をとると、自らの希望を語るのは少なくな...雑感167(足元を見つめなおす)

  • 雑感166(光と影の落差)

    今年を振り返ってみて一言で表せば、例年になく光と影の落差が大きかった。個展があった7月上旬までは、身心とも絶好調の光そのものだった。8月に入ると少しずつ光が漸減し始めてきた。夏の暑さ光りが日差しの強さに影の部分がことさらに目立つという、自然現象の四季による夏の日差しのせいではない。今にして思えば、本心を隠しているなんて、人生で初めての経験が、心の不調が引き金をひいて腹痛を起こしたとも言える。なぜならば、精密検査の結果は、悪いところは無かった。制作も今年の前半は絶好調それが一転して後半は不調そのものだったが、師走の12月に入って、不調が嘘だったかのように新しい境地の作品が生まれた。制作と比例するように体調も良くなってきた。なぜ、こんなに身心の不調に悩まされたかを、考えると自分自身の本心を見失っていたからだと分った...雑感166(光と影の落差)

  • 雑感165(隙間?)

    朝は起床5時、制作は午前中で終えてしまう。日々、ほとんど変わらない過ごし方。ここのところ制作のペースが落ちてるような気がしてならない。落ちている分が読書の量に比例しているのか?それはそれなりに以前と同じく過ごしているにせよ、1日の時間に隙間が生じていると感じてしまう?何か、大事な忘れ物を、しなければならない用事があったように感じてしまう。マロン、ヤエが亡くなって、1日に2回の犬の散歩が無くなったその時間が、隙間として感じられているのか?そうでもあり、そうでもない。今年の個展後、ほんの一時、体調を崩していた夏でした。もしかしてある年齢になると、有るという年齢の壁からくる、一時の不調だったのかも知れない。ふと、時間の隙間を感じたり、何かやるぺき事を忘れていると心配して、手帳を確かめたりする漠然とした不安。何よりも制...雑感165(隙間?)

  • 雑感164(こだわり)

    隣町の今は無いKデパートに、母に連れられて見に行った「山下清・展覧会」確か私は11歳。黙々とサインをする山下清さんを、何か変わった大人だと思った。その後、山下清の絵を真似て描こうとするが、点々の細かい表現が難しくて、自分の絵が描けなくなったので、すぐに真似をするのは止めた。子どもの頃から絵にこだわりを持っていたのですね?山下清展から、61年も経った遠く過ぎた日のことです。ついでに昔話をしますと、山下清展から約1年後の小学6年生の時です。初めて図工の専任の先生に教わることになった。図工のT先生は長髪でいかにも芸術家の雰囲気。展覧会で賞を取っているとのウワサもあった。T先生の授業は、しばらくは楽しかったが、すぐにつまらなくなった。隣の席にいた友達が、T先生にウケる絵は簡単だよと言う。友達は画用紙に絵具を垂らして、筆...雑感164(こだわり)

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