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  • 地方自治の本旨

    最近、つくづく思うのは、政治というと国政の動きだけに興味、関心が集まり、地方自治に対する理解が、あまりにも、なさすぎる。これは、政治家のみならず、学者、マスコミの責任でもあると思う。特に、日本の政治学者は、どうして、もっと地方自治の問題に関心を持ち取り

  • 地方自治の理解を妨げる三つの誤解①

    まず「地方自治は民主主義の学校」は、せめて「地域の自治は民主主義の学校」と言わないと本来の意味が伝わらない。「地方」ではなく、「地域の」と考えないと誤解をしてしまう。 市町村だけでなく、都道府県も地方自治体という言い方をする。だから、市町村と市町村議

  • 地方自治(民主主義)の理解を妨げる三つの誤解

    「地方自治は民主主義の学校」、「地方自治の本旨」、「二元代表制」ということばは、本来、地方自治を理解するために重要なことば、概念だか、逆に、これらのことばが、地方自治の理解を妨げているのではないかと思うようになった。 例えば、「地方自治は民主主義の学校」

  • 今こそ福澤諭吉の「分権論」を5ー⑤

    戦前はリベラルな言論人として活躍し、戦後は総理大臣も務めた石橋湛山は福澤諭吉を生涯敬愛してやまなかったという。石橋湛山は大正十三年に「東洋経済新報」の社説に「行政改革の根本主義 中央集権から分権主義」と題してこんなことを書いている。(一部抜粋) 元来

  • 今こそ福澤諭吉の「分権論」を5-④

    地方分権の必要性はその通りだとしても、ただ、実際になると、地方自治体にはその能力がない。地方には人材がいないと言って異論を唱える人が今でも多い。それについても福沢はこう反論している。 今の平民士族、有志の者は事を執るの習慣に乏しと。この言は全く無証拠

  • 今こそ福澤諭吉の「分権論」を③

    福澤は、国のすべき仕事(政権)と地方がすべき仕事(治権)を明確に分けることが大切で、その両方を中央政府に集めてはいけないと強く主張する。それでは、なぜ、福澤は中央政府に権限が集まること、そして中央政府が地方の仕事にまで関与してはいけないと考えていたのだ

  • 今こそ福澤諭吉の「分権論」を②

    しかしながら、明治時代に福澤の提言は取り入れられなかった。日本の地方制度の原型は、一八八七年から一八八九年にかけて、山県有朋によって作られた。山県は福澤とは正反対の考えをもっていた。(詳しくは拙書「地方議員 消えた県議からのメッセージ」の第四章に整理し

  • 今こそ福澤諭吉の「分権論」を5-①

    福澤諭吉の「分権論」を読んで、福澤の先見性に改めて驚かされた。どうしてこの福澤の分権論が多くの人に理解されてこなかったのだろう。 福澤諭吉の「分権論」は一八七六年(明治九年)に書かれている。一八七六年と言えば、廃刀令がだされ、秋月の乱、萩の乱が起こった

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