博多をあとにしたサハチ(尚巴志)とヒューガはサンルーザの故郷、対馬の土寄浦に着きます。 サンルーザの五男のシンゴと仲よくなったサハチは、イトという娘と出会います。 イトの父親は船乗りで、琉球に何度も行っていて、サハチの事をイトに話していました。 サハチはイトと仲よくなります。 サハチが対馬に来て半月が過ぎた頃、サンルーザは五十隻もの船を率いて明国へと出掛けて行きます。生きていくために、倭寇として…
歴史について、気の向くままに書いてみます。
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◇尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 14.ヤマトゥ旅 サハチ(尚巴志)が乗ったサンルーザの船は伊平屋島を出帆して、永良部島(沖永良部島)、徳之島、奄美大島、トカラ列島の宝島、中之島、口の島、口之永良部島を通って、薩摩の坊津(ぼうのつ)に着きます。 ヤマトゥの国はサハチが思っていたよりもずっと遠くにありました。途中に島がまったく見えない事もあり、海の広さを改めて感じ、海が荒れた時は、このまま死んでし…
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博多をあとにしたサハチ(尚巴志)とヒューガはサンルーザの故郷、対馬の土寄浦に着きます。 サンルーザの五男のシンゴと仲よくなったサハチは、イトという娘と出会います。 イトの父親は船乗りで、琉球に何度も行っていて、サハチの事をイトに話していました。 サハチはイトと仲よくなります。 サハチが対馬に来て半月が過ぎた頃、サンルーザは五十隻もの船を率いて明国へと出掛けて行きます。生きていくために、倭寇として…
志佐壱岐守(しさいきのかみ)の船に乗って、サハチ(尚巴志)とヒューガは博多に着きました。 サンルーザの船は九州探題の今川了俊に睨まれていて、博多には入れなかったのです。 博多に滞在したサハチは何を見ても驚いていました。 色々な物を売っている市場に驚き、大きなお寺の建物に驚き、出陣して行く兵士たちの立派な鎧や武器に驚き、男装した女たちの華麗な舞にも驚きます。 夜更けに一文字屋の屋敷に盗賊が攻めて来て…
坊津(ぼうのつ)で一文字屋と取り引きを済ませ、サハチ(尚巴志)たちは甑島(こしきじま)を通って五島列島の福江島に着きます。 福江島にはサンルーザの弟の早田備前守がいました。 福江島から島伝いに北上して、宇久島から壱岐島に向かいます。 壱岐島にはサンルーザの娘婿の早田藤五郎がいました。 サハチはヒューガと一緒に壱岐島を散策して、昔、察度の配下だったという老人と出会い、若い頃の察度と泰期の話を聞きます…
◇尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 14.ヤマトゥ旅 サハチ(尚巴志)が乗ったサンルーザの船は伊平屋島を出帆して、永良部島(沖永良部島)、徳之島、奄美大島、トカラ列島の宝島、中之島、口の島、口之永良部島を通って、薩摩の坊津(ぼうのつ)に着きます。 ヤマトゥの国はサハチが思っていたよりもずっと遠くにありました。途中に島がまったく見えない事もあり、海の広さを改めて感じ、海が荒れた時は、このまま死んでし…
サンルーザの船に乗ったサハチとヒューガは今帰仁に寄ってから、伊是名島、伊平屋島へと向かいます。 伊平屋島では大叔母の我喜屋ヌルから曾祖父(与座の若按司)と若き日の祖父(サミガー大主)の話を聞きます。 曾祖父の与座若按司は父親を伯父の島尻大里按司に殺され、伊平屋生まれの家臣に連れられて伊平屋島に逃げて来ます。 父の敵を討とうとしますが、家臣たちには裏切られるし、なかなか討つ事はできません。 やが…
フジと別れて奥間をあとにしたサハチ(尚巴志)たちは、名護まで戻り、東海岸に出て南下します。 伊波グスクに寄って、マチルギと試合をして、サハチは紙一重の差でマチルギに勝ちました。 伊波から西海岸に出て、読谷山の宇座に行き、宇座按司(泰期)と会います。 宇座按司は広い牧場で馬を育てていて、サハチたちを歓迎してくれました。 宇座按司との出会いはサハチの生き方に大きな影響を与えます。 サハチたちが宇座…
サハチ(尚巴志)たちは今帰仁グスクから羽地に戻り、北上して奥間という村に着きます。 奥間村の長老に歓迎されたサハチたちは半月余りを奥間で暮らします。 奥間村はヤマトゥ(日本)から渡ってきた鍛冶屋集団が住み着いた村で、琉球中の鍛冶屋を仕切っていました。 鍛冶屋だけでなく、炭焼き、木地屋、猟師、杣人、研ぎ師などの職人たちも奥間とつながっていました。 クマヌのお陰で、奥間村とつながりを持ったサハチは…
伊波グスクをあとにしたサハチ(尚巴志)たちは西側の海岸を北上して名護に行き、運天港に行き、今帰仁へ行きます。 高い石垣に囲まれた今帰仁グスクを見たサハチは驚きます。 今帰仁では研ぎ師のミヌキチの家にお世話になります。 今帰仁グスクは山北王の帕尼芝(はにじ)の居城。 先々代の今帰仁按司の娘婿の羽地按司は、先々代が亡くなったあと、義兄の今帰仁按司を攻め滅ぼして、今帰仁按司となり、1383年、明国に朝…
年が明けて16歳になったサハチ(尚巴志)は、浮島(那覇)から浦添グスク、中グスク、越来グスク、勝連グスクと見て、伊波グスクに行きます。 伊波グスクで、剣術に夢中になっている伊波按司の娘、マチルギと出会います。 浦添グスクは中山王、察度の居城です。 サハチはクマヌから、察度が慶良間の島で密かに兵を育て、その兵を使って浦添グスクを攻め落とした事を知ります。 浦添グスクの略年表 1187年、ヤマトゥの…
サハチ(尚巴志)はクマヌ、サイムンタルー、ヒューガと一緒に旅に出ます。 佐敷から玉グスク、糸数グスク、八重瀬グスク、島尻大里グスク、小禄グスクを見て、浮島(那覇)に渡ります。 初めて佐敷から出たサハチは何を見ても驚いてばかりいます。 玉グスク按司、垣花按司、知念按司、糸数按司は婚姻で結ばれていて、島添大里按司と対抗しています。中心になっているのが玉グスク按司です。 中山王となった察度に滅ぼされ…
大(うふ)グスク按司が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)に滅ぼされたあと、大グスク按司になったのは島添大里按司の次男のシタルーでした。 佐敷按司は島添大里按司が攻めて来ると守りを固めていましたが、島添大里按司が攻めて来る事はなく、大グスク按司になったシタルーが度々、佐敷グスクにやって来ました。 島添大里按司は有能な者は殺さないとシタルーは言い、同盟したいと言いますが佐敷按司はきっぱりと断りま…
1385年2月、14歳になったサハチ(尚巴志)は大事件を経験する。 島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)と大(うふ)グスク按司が合戦を始め、信じられない事に、大グスク按司が敗れてしまったのだった。 佐敷グスクで留守を守っていたサハチは、出陣して行ったた父が無事に帰って来たので喜んだが、大グスクは焼け落ち、多くの者たちが戦死してしまった。 登場人物 ・サハチ(尚巴志) サミガー大主の孫。父は佐敷按…
12歳になったサハチ(尚巴志)はヤシルーを師として弓矢の稽古に励んでいます。 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクが八重瀬按司(えーじあじ)に奪われたあと、父の苗代大親(なーしるうふや)は大グスク按司に命じられて、佐敷にグスクを築いて、佐敷按司になりました。 大グスク按司に仕えていた、兼久大親(かにくうふや)、屋比久大親(やびくうふや)、与那嶺大親(ゆなんみうふや)の三人が重臣として佐敷按司に仕える…
9歳になったサハチ(尚巴志)は友達と海に潜って遊んでいます。 馬天浜の西にある島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで家督争いの戦が始まり、サハチは母と一緒に祖父のサミガー大主の屋敷に避難します。 祖父の屋敷には浜の者たちが全員、避難して来て、ウミンチュたちは武器を持って守りを固めます。 四日後、ようやく戦も終わり、避難していた人たちも解放されます。サハチは友達と一緒に海に行きますが、そこで、無残…
首里(すい)の高台に立って浮島(那覇)を眺めながら過去を振り返る中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)。そこに明国への使者として行っていた義弟の泰期(たち)が来る。察度はいつの日か、首里にグスクを築こうと泰期に相談する。 当時、那覇は浮島と呼ばれる島でした。琉球にやって来た中国人や日本人が交易の拠点として住み始め、日本人が住む村を若狭町(わかさまち)と呼び、中国人が住む村を久米村(くみむら)と呼んでいまし…
6歳になったサハチ(尚巴志)は母と妹のマシューと一緒にサミガー大主(うふぬし)の屋敷に遊びに行きます。 サミガー大主の屋敷の離れには各地から集まって来た居候が暮らしています。 サハチは旅から帰って来たクマヌというヤマトゥ(日本)の山伏から旅の話を聞きます。 この離れはサミガー大主がヤマトゥから来る船乗りたちのために建てたものです。ヤマトゥの商人は冬の北風に乗って琉球に来て、夏の南風に乗ってヤマトゥに…
尚巴志の誕生と尚巴志の父、サグルーの久高島での剣術修行の話です。 尚巴志の誕生の時に光ったツキシルの石は、その後も何度か光ります。 尚巴志は琉球を統一した英雄で、1372年に生まれました。日本は南北朝の時代で、将軍は足利義満でした。中国では明国が始まったばかりの頃です。 尚巴志の名はサハチで、サハチが中山王世子として明国との交易を始めた時、サハチに「尚巴志」という漢字を当てました。尚巴志以後、尚を…
去年の正月、「尚巴志伝・第三部」を完成させたいと書きましたが、色々な事があって17章しか書けませんでした。 今年も完成できそうもありませんが、なるべく書こうと思います。 「尚巴志伝・第三部」の構想は次の通りです。 1416年、中山王の奄美諸島の平定。 1418年、尚巴志の長男サグルーが戦死する。 1419年、対馬が朝鮮に攻められ、ユキが活躍する。 ササたちが明国に行き、吉備津姫を探す。 …
今年は琉球を統一した英雄、尚巴志の生誕650年になります。 「尚巴志伝・第三部」を完成させたいと思っています。 長い物語になりましたがお楽しみください。
第二部はササの活躍でかなり長い物語になってしまいました。 第一部が原稿用紙にして1500枚だったので、第二部は2000枚くらいになるかなと思って書き始めたのですが、伸びに伸びて、5000枚を超えてしまいました。 第二部は護佐丸が準主役を務めるような気がして、若き日の護佐丸が叔父の尚巴志に会いに行く場面から書き始めました。馬天ヌルの娘のササを登場させたのは、ちょっと変わった娘で護佐丸と同い年な…
1385年2月、14歳になったサハチ(尚巴志)は大事件を経験する。 島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)と大(うふ)グスク按司が合戦を始め、信じられない事に、大グスク按司が敗れてしまったのだった。 佐敷グスクで留守を守っていたサハチは、出陣して行ったた父が無事に帰って来たので喜んだが、大グスクは焼け落ち、多くの者たちが戦死してしまった。 登場人物 ・サハチ(尚巴志) サミガー大主の孫。父は佐敷按…
12歳になったサハチ(尚巴志)はヤシルーを師として弓矢の稽古に励んでいます。 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクが八重瀬按司(えーじあじ)に奪われたあと、父の苗代大親(なーしるうふや)は大グスク按司に命じられて、佐敷にグスクを築いて、佐敷按司になりました。 大グスク按司に仕えていた、兼久大親(かにくうふや)、屋比久大親(やびくうふや)、与那嶺大親(ゆなんみうふや)の三人が重臣として佐敷按司に仕える…
9歳になったサハチ(尚巴志)は友達と海に潜って遊んでいます。 馬天浜の西にある島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで家督争いの戦が始まり、サハチは母と一緒に祖父のサミガー大主の屋敷に避難します。 祖父の屋敷には浜の者たちが全員、避難して来て、ウミンチュたちは武器を持って守りを固めます。 四日後、ようやく戦も終わり、避難していた人たちも解放されます。サハチは友達と一緒に海に行きますが、そこで、無残…
首里(すい)の高台に立って浮島(那覇)を眺めながら過去を振り返る中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)。そこに明国への使者として行っていた義弟の泰期(たち)が来る。察度はいつの日か、首里にグスクを築こうと泰期に相談する。 当時、那覇は浮島と呼ばれる島でした。琉球にやって来た中国人や日本人が交易の拠点として住み始め、日本人が住む村を若狭町(わかさまち)と呼び、中国人が住む村を久米村(くみむら)と呼んでいまし…
6歳になったサハチ(尚巴志)は母と妹のマシューと一緒にサミガー大主(うふぬし)の屋敷に遊びに行きます。 サミガー大主の屋敷の離れには各地から集まって来た居候が暮らしています。 サハチは旅から帰って来たクマヌというヤマトゥ(日本)の山伏から旅の話を聞きます。 この離れはサミガー大主がヤマトゥから来る船乗りたちのために建てたものです。ヤマトゥの商人は冬の北風に乗って琉球に来て、夏の南風に乗ってヤマトゥに…
尚巴志の誕生と尚巴志の父、サグルーの久高島での剣術修行の話です。 尚巴志の誕生の時に光ったツキシルの石は、その後も何度か光ります。 尚巴志は琉球を統一した英雄で、1372年に生まれました。日本は南北朝の時代で、将軍は足利義満でした。中国では明国が始まったばかりの頃です。 尚巴志の名はサハチで、サハチが中山王世子として明国との交易を始めた時、サハチに「尚巴志」という漢字を当てました。尚巴志以後、尚を…