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  • 尾道ラーメンと備中国分寺と横溝映画 -瀬戸内しまなみ海道の旅その4-

    自転車を室内に置きたいと言うと、フロント係は、快く応じてくれた。そして、ベッドの足下にビニールシートを敷いてくれた。ベッドの足下は、自転車を置くには、ちょうど良いニッチなスペースだった。 福山駅前の繁華街に出た。駅前の路地を歩いて、少し迷って、お目当ての店を見つけた。『尾道ラーメン 一丁』である。ネット評によると、地元では知らない者はないぐらいの超の付く人気店という事だ。カウンターだけの店は、すでに満席だった。待ち客までいる。ハッキリ言って店は狭い。しばらくすると席が空いた。 入口付近にある発券機で食券を買う方式である。注文は、ラーメンとチャーハンのセット。 背油が浮いた深い色の醤油ラーメンが出てきた。チャーシューと刻みネギが乗っている。麺はストレート。入口に製麺所と書いてあったので、自家製麺だろう。たちまち平らげた。おいしゅうございました。 ホテルに戻って、もう一度風呂に入った。今日の走行距離は、ここしばらくなかった運動量である。オヤジはハリキリ過ぎである。どうやら代謝が追い付いて無いようだ。身体は疲れていたが、老廃物を出すためか、どんどん発汗していた。 ビールを飲んで、ベッドに横たわった。スマホで、別に心配していないだろうが、家人に無事を報告したり、明日の天気を見たりした。それも束の間。睡魔の懐に呼ばれるのに時間は掛からなかった。 朝起きると、汗を掻いて寝たせいか、身体は軽かった。ホテルを出て、関西で言うマクドで朝食を食った。備蓄はたくさんあるのに、朝から腹は減っていた。 県道と国道を走って、広島県から岡山県に入った。川沿いを走り、橋を渡り、宿場町で補給した。 草原と花畑と五重塔。ネットの記事で何度か見ていた風景だ。岡山県総社市にある備中国分寺は、いつか訪れたいと思っていた寺である。花畑ではちょうどレンゲが咲いて、翌日から「レンゲ祭り」が開催されるようだった。しかし、残念ながら青空はない。見事な曇天である。

  • 多々羅の龍と尾道と渡船フェリー -瀬戸内しまなみ海道の旅その3-

    多々羅大橋には龍が棲んでる。橋の中ほどの愛媛と広島の県境を過ぎて、しばらく進むと、多々羅鳴き龍というスポットがある。そこは、橋のワイヤーを束ねる主塔の根本にあたる。そこでパンと両手を叩いた。すると、ヴァン、ヴァン、ヴァン・・・と音が響鳴して空へ昇っていった。これが鳴き龍である。 伯方島の塩、生口島の檸檬、因島の除虫菊、その他諸々、しまなみには名産やグルメが多くある。しまなみ海道の見どころは、多くのメディアで紹介され、しまなみ海道を特集した雑誌は数知れない。今や、サイクリスト達から、最も注目される観光地となっている。注目は国内だけとは限らない。行く先々で相当数の外国人サイクリストを見かけた。 瀬戸内海はその名の通り、日本列島の内海である。穏やかで温暖な気候。すべては海と太陽の恩恵の上にある。自転車で走れば、かいま見える島の生活や文化が示唆的である。どうしようもない都会の価値観に毒された頭には良薬だ。島と島を繋いだ道は、海と空を貫いて延びる。時速20キロで見る景色が命を洗濯してくれる。 向島。最後の島である。向島と本土を隔てているのが、尾道水道である。向島から尾道へ架かる橋もあるが、これは渡らない。どうするのか。観光案内などで、自転車乗りに勧められているのは、渡船フェリーである。船代は1人100円、自転車乗りは110円だ。これがなかなかご機嫌だった。渡れば、石段の都町、尾道である。 映画『転校生』(大林宣彦 監督)は、神社の石段を転げ落ちた中学生の男女の身体が入れ替るというストーリーで、その舞台が尾道だった。だいたい尾道という地名を知ったのは、この映画があったからである。一昨年頃、大ヒットした映画『君の名は。』息子たちと観たのだが、これも少年と少女が入れ替るというストーリーだった。 夕暮れ時、宿を取っていた福山駅前にたどり着いた。ビジネスホテルである。なんだかんだと、愛媛の東予港から130キロ弱を走った。クタクタだった。ハッキリいって頑張り過ぎである。風呂に入って、半ば朦朧としながらも考えるのは、今夜何を食おうかという事だった。 おそらく続く。

  • しまなみ海道とお遍路文化

    オレンジフェリーは定刻通り、朝6時に東予港に到着した。たまに響く船のスクリュー音を聞きながらの一夜だった。浅い眠りから目覚めた私は、身支度をして、組み立てたロードバイクを引いて船を降りた。 生まれて初めて四国に足を踏み入れた。輪行して四国に入るという、ここ数年の希望が叶った朝だった。曇り空で気温は相当低い。ショートのレーパンではちょっと寒い。予報によれば晴れになるハズである。 瀬戸内沿岸をトレースする予讃線を横目に国道を漕ぎ進んだ。目指すは、しまなみ海道の起点、今治市である。 四国には「お接待」という文化が根付いている。お接待とは無償でお遍路さんにお菓子や飲み物などを施すことを言う。四国の人々が、旅人を助ける文化は、お遍路に限った事ではないようだ。それは、四国の地に降り立って早々、ヘルメットにサングラス、半レーパン姿という私にも向けられた。四国の人の心に触れる出来事だった。 道の駅の今治湯ノ浦温泉に寄った時のこと。暖かい珈琲でも買おうと、自動販売機に向かってトボトボ歩く私の背中を誰かが呼び止めた。振り返ると野菜や食べ物を売る露店の店主だった。私よりだいぶん年輩者である。 「それじゃ寒いじゃろうが。どこから来た」 「京都から来ました。今朝のフェーリーで着きました」 「船でか。寒いからこっち来て、これ食え」 呼ばれるままに、露店に行くと、中で奥さんらしき人が、ストーブで餅を焼いていた。焼きたての餅を一つもらった。有難いことである。私はサングラスを取って、ご夫婦にお礼を言った。 今治の市街地に着いた頃には、天気予報の通り晴れていた。なにより晴天の下、しまなみ海道を渡れる事に安堵である。 今治城は瀬戸内海を臨む港の一角に建つ。堀には海水が引かれている。海に浮かぶ美しい城砦である。 今治のどこかで、うどんを食べようと思っていた。しかし、まだ早くてどこも開いていない。大方の店が開くのはお昼前のようだ。開店を待つという手もあったが、諦めた。夕方までにしまなみ海道を渡り切るのが先決だ。後ろ髪を引かれながら、先に進んだ。 そこそこの勾配がある坂道を上ると来島海峡大橋と瀬戸内海が現れた。同大橋は、総延長4.1kmの3つの吊橋からなる。世界初の三連吊橋として有名で、しまなみ海道の目玉となる橋だ。今治市側からは、馬島とを結ぶ第三大橋を始まりに、第二大橋、第一大橋と渡ることになる。

  • 旅の支度とオレンジフェリー -瀬戸内しまなみ海道の旅その1-

    旅は準備している時間が楽しい。まだ見ぬ風景や食べ物に思いを馳せてゴソゴソやるのが至福の時である。知らない町を走ってみたい。遠くへ行きたい。そんな飽くなき放浪欲求が、懲りない自転車オヤジの原動力である。しかしながら、妄想の中では、なかなかのアスリートだがら、しばしば調子に乗って、大風呂敷な計画を立ててしまう。でもそれは禁物だ。若い頃とは違うのだ。自分の体力と鈍脚を思えば、距離は程々にして、安全第一を肝に命じなければならない。ひとり旅はなお更だ。 ロードバイクを逆さに置いて、2本のホイールを外す。外れた2本のホールでフレームを挟んで固定する。このとき私は、マジックテープ付きのゴムバンドを使う。これを輪行袋に収めれば、大方は完了である。輪行バッグにはボトルとサイクルシューズも収納した。 長旅だし、身体は重いし、荷物はできるだけ軽くしたい。バックパックの中身は、チューブ2本、ボンベ、小型ポンプ、ミラーレス一眼、タオル、最低限の衣類、携帯の充電コードなどである。それから財布には健康保険証のコピーを入れた。備えあれば・・である。 平成最後の金曜日の夕刻。輪行バッグを肩から下げて、バックパックを背負って、阪急電車に乗った。大きな輪行バッグを抱えて、帰宅ラッシュ時の電車に乗り込むのは、気を使うし、何かと大変だった。乗り換えた御堂筋線なんぞは、まさに"鮨詰め"である。車両の端っこで、輪行バッグを両手で抱えて、何とか居場所を確保した。 悪戦苦闘、4度の乗り換えを経て、たどり着いたのは、大阪南港のフェリーターミナル駅である。駅前のコンビニで、ビールと水とツマミを少々買ってから、船に乗り込んだ。オレンジフェリー、22時発の愛媛県東予港行きである。 オレンジフェリーの船内は、ネットの評判通り奇麗だった。入船口から一歩入ると、ロビーでクルー達が出迎えてくれる。吹き抜けと螺旋階段があって、なかなか豪華だ。レスランや大浴場もある。公衆wifiもあるようだ。予約したシングル船室は、ベッド、ドレッサー、コンセントがある。旅の一泊目はこの船室である。ベッド脇のスペースでロードバイクを組み立てる事ができた。必要十分な広さである。

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