中学のバスケット部のキャプテンだったMとは、浅からぬ縁がある。小学校らか大学まで同じ学校に通った。大学は学部まで一緒。バイトも一緒にした。同じ空気を吸って大人になった。そんな間柄の我々は、音信が途絶えた時期もあったが、よわい50代半ばに達した今も、着かず離れずの関係でいる。 その友と待ち合わせたのは、京都伏見の中書島である。なんだか得体の知れない『令和』という時代が迫る今にあって、昭和の匂いがする町である。我々は、数年に一度、中書島で飲むのが恒例のようになっている。 中書島は町と川が融合した場所である。戦国時代の末期、伏見の城下に、宇治川の流れを引き込み、水路を築いたのは、豊臣秀吉である。天下人が、治水こそが国家運営とばかり、伏見の地に創ったのは、人や物資が行き交う内陸の港湾都市だった。そこには当然のように遊女たちも集まった。それから400年、中世、近代、戦後の売春防止法まで、中書島の色町としての歴史は長い。一時期は、吉原、島原を凌ぐ歓楽街だったという。いろいろな意味で、魅力的で由緒正しい土地である。 腹ごしらえに商店街の居酒屋で少し食べて飲んだ。例によって、Mと私のオヤジ二人かと思いきや、その夜は違った。嬉しい事に仲間が来てくれた。みんな旧友たちである。ポツリ、ポツリと人が増えて、スナックになだれ込んだ時には、紳士淑女6人になっていた。 中書島駅前通り。酒場の灯りは、なんとも叙情的だ。他に焼肉店や中華料理店もある。ただ、いい意味でどの店もくたびれている。駅へと続く目抜き通りは、昭和が薫るノスタルジックな通りだ。小さなスナックの止り木に昭和の雀6羽が止まった。それにしても、スダレ禿の言う『令和』とは何の事だ。いったい何を言っているのか。今も我々の胸中にあるのは昭和の郷愁である。 「街の灯りちらちら霧が降る泣き出してしまいそうな長いマツゲで見覚えのあるレインコートの恋人が街角で濡れてあなたを殺していいですか♪」 大変である。楽しすぎて酸欠になりそうだった。文字通り、飲んで歌って夜は更けた。焼酎を2本空にした。言っておくが、みんな健全なる既婚者である。酒蔵の脇を流れる疎水では、平成最後のソメイヨシノが満開を迎える夜だった。
スダレ頭のいけ好かないオヤジが『令和』と書いた額を掲げたその週末、京都市内の桜が咲き揃った。節目を迎えるという意味では、桜の開花は、我々に特別な感情を抱かせる。とりわけ今年の場合は、新元号による新時代の到来というオマケ付きだ。平成最後の桜の開花である。 大原野の峻峰、小塩山の中腹に『花の寺』と呼ばれる山寺がある。正式な名称は勝持寺(小塩山大原院勝持寺)という。創建は白鳳8年(西暦679年)というから、とんでもない古刹である。パンフレットの能書きを読んでも、もう神話のような話ではないか。最近は有名になってしまって、桜が咲くと、ドッと人がやって来る。私はひとり自転車に乗って、春となく、秋となく、上って来るのだが、この日は、自動車を運転して、インチキ風水こと家人を連れて二人で来た。桜が彩る山門と青空があった。 境内には幾本ものソメイヨシノが咲いていた。まだ午前中だが、既に多くの見物客がいた。咲いたばかり、山寺の桜は美しい。書院では抹茶席が催されていた。寺は急峻な渓筋に建っているが、敷地は歩きやすく整備されている。何よりひっそりとした古刹の良さがある。拝観料は400円也。 勝持寺の山門を出てすぐに石段がある。下りで急勾配の石段だ。それを下ると大原野神社に出る。つまりが勝持寺の下階部分に大原野神社がある。両者はそんな位置関係にある。もちろん大原野神社でも桜は満開である。満開騒ぎに乗じてか、烏もカーカーと鳴いている。大原野も今しばらくは賑やかである。
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