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舞絽倶 日本文化と服・小物 http://zipangu.cocolog-nifty.com/blog/

みやび(雅)わび(侘)さび(寂)いき(粋)いなせ(鯔背)を受け継ぎ、お召しものを通して語る舞絽倶。

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2005/08/15

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  • 興福寺奏状→建永の法難 894

    貞慶起草の「興福寺奏状」を興福寺首脳(官僧)が朝廷に提出。*官僧・・・朝廷に仕える僧侶法然を糾弾する...

  • 大原問答→興福寺奏状 893

    法然(1133~1212法然房源空)は専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教え。子細は「法然上人とお念仏」...

  • 高貴女性お気持ち出家に異変? 892

    平安時代後期にも高貴な女性が「お気持ち出家」されます。世は「冠位十二階」→「唐模倣律令制国家」→「令...

  • 高貴女性のお気持ち出家 891

    奈良時代の光明皇太后・孝謙帝さんらの受戒、平安時代の東三条院・定子・上東門院さんらの剃髪・出家。これ...

  • 倫子・彰子同年に二度目の出家 890

    彰子さん、二度目の出家と同じ年(1039年)、倫子さん、二度目の出家を一足先にされてます。倫子さん...

  • 彰子出家し上東門院に 889

    倫子さんの二度目の出家(1039年)以前に彰子さんが出家してますのでこちらを先に挟みます。「上東門...

  • 源倫子一度目出家は法成寺落成前 888

    倫子さんの二度目の出家(1039年)に「法成寺」と記されています。(大鏡裏書)*法成寺平安中期、京都...

  • 源倫子なな何と二度出家 887

    「この世をばわが世とぞ思う望月の虧(かけ)たることもなしと思えば」(1018/10/16)を成し遂げ...

  • 「この世をば」創成 源倫子 886

    1000年の時点で彰子さん(988~1074)(大河演 見上愛)は13歳。彼女の母は源雅信(920~...

  • 1000年 定子 女児出産も崩御 885

    先週、「大進生昌が家に宮の出でさせ給ふに(中宮行啓)~」を紹介しましたのでもう一つ一条帝と定子さんの...

  • 999年 定子は男児出産 彰子は入内 884

    藤原道長のお嬢さん彰子(988~1074 87歳)(大河演 見上愛)は999年霜月12歳で一条帝(2...

  • 定子落飾も一条帝へ再入内 883

    藤原道隆のお嬢さん定子(977~1000 24歳)(大河演 高畑充希)は990年14歳で一条帝(11...

  • 光る君へ 詮子円融帝崩御後出家 882

    「令和6年能登半島地震」で被災された方々に呉々もお見舞い申し上げます。本日より前回の続きの展開にな...

  • 戒壇院正式受戒尼僧は不在 881

    自誓・受戒した覚盛は「律宗(戒律死守・実践にて成仏)」復興努力の途上、比丘尼(女性僧)不在の事態を憂...

  • 授戒は戒壇院→自誓・受戒へ 880

    覚盛らの行った「*自誓・受戒」について仏語。仏の定めた戒律を受けること。出家、在家を問わず、教団には...

  • 比丘僧 転じて比丘尼に 879

    「太子伝聖誉抄」の中宮寺・信如房さんに関しては先週で終了です。ところが、信如房さんがお過ごしになった...

  • 信如さん 中宮寺 中興の祖に 878

    いよいよ「太子伝聖誉鈔(抄)」の最後になります。タイトル 繍帳正文云々「歳在辛巳十二月廿一日癸酉日...

  • 曼荼羅解読 間人皇女忌日確定 877

    ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。お話を元に戻します。信如房さんはご縁を使い...

  • 霊山定円法印と卜部兼文さん 876

    ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。超知識人のもうお一人は「(霊山)の定円法印...

  • 乱脱も亀甲文字発見 875

    ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。文永十一年甲戌二月廿六日⇒1274年2月2...

  • 曼荼羅発見 大悦びの信如房 874

    ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。法隆寺より「蔵開放」の連絡を貰い、信如房さ...

  • 信如房さん天寿国繡帳発見 873

    いよいよ「天寿国繡帳」の亀の甲400文字が発見されます。「信如房悦テ夢見タル尼衆ヲツレテユキ二人自...

  • 綱封蔵に盗人侵入 蔵解放 872

    ここからの現本写本は「夢見たる同法の尼衆」でご確認下さい。物語は一挙に好転します。何と翌年、1274...

  • 法隆寺へ駆けつける信如さん 871

    「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」原文写本の続き。「夢見タル同法ノ尼衆ヲツレテ 則日法隆寺ニ参リ 宗...

  • 間人皇女御忌日は法隆寺綱封蔵内 870

    「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」の写本の複写はこちらから。信如さんは中宮寺の長老ゆえにどうしても中...

  • 太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因 869

    次は中宮寺・法隆寺に於いての「天寿國曼荼羅起因」について。「中宮寺ハ太子四十六箇ノ伽藍ニハ 太子ノ...

  • 信如さんの中宮寺復興・修復 868

    信如さんが比丘尼になった後の中宮寺復興・修復の事はタイトル「中宮寺」別枠で記述されています。「天寿...

  • 少輔得業璋円の娘 出家し信如房 867

    今日は奇しくも「重陽の節句」も「太子伝聖誉抄」の記述を追います。先ず、信如さんについて「笠置ノ解脱上...

  • 膳三穂娘 聖徳太子伝私記 866

    法隆寺綱封蔵から天寿国繡帳の発見が1274年です。それに関わる「信如」さんを聖誉鈔は120年~150...

  • 聖徳太子平氏伝 聖誉抄 865

    皆さんお元気でしたか?待ち遠しい秋空ですが・・・・・。それでは前回からの続きです。「中宮寺 由緒 信...

  • 法王帝説 皇前曰啓の記載有無 864

    先週の「皇前曰啓」の有無の件について有→中宮寺本と松下見林本無→国宝知恩院本、及び、狩谷棭斎本(法王...

  • 再び 中宮寺 亀の甲400文字 863

    ところで、「知恩院蔵上宮聖徳法王帝説」、及び、「法王帝説證注」ですが亀の甲400文字の内、「皇前曰啓...

  • 天寿国繍帳 法隆寺資財帳に不在 862

    狩谷棭斎(望之)さんの「法王帝説證注」での注意書きに「法隆寺資財帳(法隆寺伽藍縁起并流記資財帳)」に...

  • 天寿国曼荼羅繍帳は最初法隆寺に 861

    「帷(帳)二張」についての注意書きです。思うに、この帳の「残片」は「中宮寺」の蔵にある。「天寿国曼荼...

  • 天寿国繍帳は最初法隆寺に 860

    天寿国曼荼羅繍帳の由来が記述された「亀さん100匹」。偶々、「上宮聖徳法王帝説」が書き残して下さって...

  • 天寿国繍帳 人間模様 859

    「天寿国繍帳 亀の甲四文字1」の天寿国繍帳の亀甲刺繍文字紹介の方々を分かり易くする為、日本書紀等の表...

  • 天寿国繍帳 亀の甲四文字3 858

    「歳在辛巳十二月廿一癸酉日入 孔部間人母王崩 明年二月廿二日 甲戌夜半太子崩 于時多至波奈大女郎 悲...

  • 天寿国繍帳 亀の甲四文字2 857

    天寿国繍帳の亀の甲四文字「部間人公」が出現しました。橘大女郎さんはお婆さんの推古帝にお願い、職人さん...

  • 天寿国繍帳 亀の甲四文字1 856

    先週、中宮寺の「天寿国繍帳」について紹介しました。もう一度「亀の甲(羅)の部分刺繍」をご覧下さい。「...

  • 三度 中宮寺 聖徳太子二歳像着替え 855

    今週、「中宮寺~聖徳太子二歳像公開~」イベントがありましたので急遽、こちらの話題を差し込みます。以前...

  • 法隆寺資財帳の「王后」表記 854

    先週お話ししましたように「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」と「法隆寺 金堂 薬師・釈迦如来像光背銘文」と...

  • 法隆寺流記資財帳の薬師・釈迦如来 853

    斑鳩寺→法隆寺の仏像光背銘文から607年(丁卯年)斑鳩寺(→法隆寺)に薬師如来像安置623年(癸未年...

  • 法隆寺伽藍縁起并流記資財帳 852

    以前、「中宮寺弥勒菩薩像」で聖徳太子のゆかりお寺で、厩戸大王(皇子)建立した云われている「聖徳太子建...

  • 607年斑鳩寺建立・薬師如来安置 851

    先週の「大王天皇と太子は一体どちら様・・・?」の件。因みに、この薬師如来像光背銘文は不可思議です。5...

  • 法隆寺 金堂 薬師如来像 850

    前々々回は法隆寺 金堂 釈迦三尊像、前々回は中宮寺 寺宝 天寿国繡帳に触れました。今日取り上げるのは...

  • 再び、中宮寺弥勒菩薩像 849

    4/8は「灌仏会(かんぶつえ)=花祭り お釈迦様の誕生を祝う日」。先週、「中宮寺」の「天寿国繡帳」に...

  • 中宮寺 天寿国繡帳 848

    厩戸大王(皇子)の薨去に伴う情報がもう一つあります。それは厩戸の奥様のお一人、位奈部橘王(=橘大郎女...

  • 厩戸の母・妻・上宮の相次ぐ崩御 847

    今週は「上宮聖徳法王帝説」を紹介します。この「上宮聖徳法王帝説」に「法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘文」が...

  • 厩戸豊聡耳皇子命薨去 高麗僧惠慈追う 846

    とうに昔々の2008年8/31に「中宮寺 母なる弥勒菩薩像」で穴穂部間人皇后について触れました。その...

  • 菟道貝蛸皇女 飯蛸の桜煮 845

    先週、厩戸大王(皇子)の父母・妻子を紹介しました。この情報は「聖徳太子伝暦」に依っています。当然と云...

  • 厩戸大王 妻3名子女14名 844

    今回は厩戸大王(皇子)の父母・妻子について整理してみます。ここからの情報は以前、「厩戸皇子 甲午年(...

  • 熊本城跡出土鉄刀 甲子年604年 843

    取り急ぎ、日本書紀への戯れ言はこれ位にして厩戸大王(皇子)の御代に戻ります。今年の1月に何と昨年4月...

  • 辛酉年春正月庚辰朔 神武帝即位 842

    更なる戯れ言の続きでありんす。因みに、古事記では「高天原」は一途最初に登場します。「天地初発之時 ...

  • 鸕野讃良皇女=高天原広野姫天皇 841

    戯れ言の続きでありんす。鸕野讃良皇女・藤原不比等さん、お二人はめでたく大願成就します。鸕野讃良皇女さ...

  • 日本書紀 天皇表記 戯れ言 840

    ここからは戯れ言でありんす。先週紹介しました日本書紀(720年完成)で「裴世清帰国」の際、楊広(=...

  • 東天皇V.S.西皇帝(もろこしのきみ) 839

    釈迦・孔子の教えを思いっきり学び実践したと思われる厩戸大王(皇子)さん。720年に完成した日本書紀に...

  • 厩戸大王(皇子)法華義疏 838

    新型コロナ禍に依る「行動制限」が解除・緩和され、3年振りの国内・国外大移動と思いきや、意外な赴き感が...

  • 楊広(煬帝)と厩戸大王(皇子) 837

    楊広(煬帝)は厩戸大王(皇子)より五歳年上です。お二人の状況・情況を比べてみました。年表楊...

  • 江都(揚州) 美女の二十四橋 836

    東都洛陽から江都揚州まで「龍舟(豪華クルーズ舟)」で大運河を下る舟旅に煬帝は内乱、及び、風雲急を告げ...

  • 高句麗 朝貢せず三度征伐不成功 835

    煬帝は高句麗の降伏申し入れの報を受け、この状況を導いた将軍、来護児に帰還するよう伝えます。しかし、来...

  • 煬帝 高句麗征伐三度出動 834

    先週紹介しました高句麗の不穏な動き。「(607年)八月壬午 車駕発榆林 乙酉 啓民飾廬清道 以候乗...

  • 隋王朝への高句麗朝貢模様 833

    「京杭大運河開通」目的の一つ、高句麗遠征について。(高句麗の隋書の表記は「高麗」になってます。)58...

  • 598年楊堅 高句麗征伐失敗 832

    598年、日没処天子様(隋王朝初代皇帝楊堅)が高句麗へ征伐侵攻しますが、悪天候・兵糧不足等に見舞われ...

  • 610年煬帝 京杭大運河完成 831

    隋王朝が成し遂げた偉業の二番目は黄河~淮水~長江を横切る「京杭大運河」の完成です。(610年)これに...

  • 隋楊堅 九品官人法廃止 科挙へ 830

    後漢末、黄巾の乱(184年~)に始まる多元国家時代を経て漸く、約400年後、北・南中国大陸を一元国家...

  • 遣倭使 日本書紀と隋書の違い 829

    「於是設宴享以遣清 復令使者隨清来貢方物 此後遂絶」この文章が「隋書倭国伝」の最後になります。裴世清...

  • 厩戸大王と裴世清 相見える 828

    「倭王遣小徳德阿輩台 従数百人 設儀仗 鳴鼓角来迎 後十日 又遣大礼礼哥多毗 従二百余騎郊労 既至彼...

  • 徐福来倭?蓬莱山→浦嶋子伝説 827

    会稽東冶県(現在の福建省福州市)の東の海に「夷洲島」、そこから遙か絶遠に「亶洲(澶洲)島」があり、そ...

  • 徐福(徐巿)蓬莱山伝説 続編正史 826

    徐福(徐巿)の蓬莱山伝説のファンタジー物語は「史記」の約173年後、班固により記述された次の正史「(...

  • 始皇帝の夢にも出る徐福(徐巿) 825

    「史記」に「徐福(徐巿)の蓬莱山伝説」は更に叙述されています。「又使徐福入海求神異物 還為偽辞曰 ...

  • 秦王国住人は徐福(徐巿)の末裔 824

    先週紹介しました「又東至秦王国 其人同於華夏 以為夷洲 疑不能明」の件。裴世清ら倭国派遣団員一行らが...

  • 煬帝(日没処天子)は太っ腹!? 823

    「明年(608年) 上(煬帝)遣文林郎裴清(裴世清)使於倭国 度百済 行至竹島 南望耽羅国 経都斯麻...

  • 日没処天子様 お元気でした? 822

    「隋書倭国伝」の倭による第二回遣隋使からの叙述になります。「大業三年(607年) 其王多利思比孤遣...

  • 上宮・廐戸・豊聡耳・太子に 821

    久方ぶりのお出かけ・お遊びで皆さんお疲れ気味ですか?それでは、心機一転前回からの続きです。「厩戸皇子...

  • 593年4月弱冠二十歳 厩戸大王 820

    額田部皇女→豊御食炊屋姫(554~628)を基準に日本書紀から571年 敏達帝の奥様に(18歳)58...

  • 豊聡耳法大王は確固たる倭王 819

    厩戸皇子→豊聡耳法大王は確固たる「倭王」との最大の根拠は「倭王姓阿毎 字多利思比孤 号阿輩鶏弥」この...

  • 厩戸皇子 甲午年(574年)生誕 818

    上宮聖徳法王帝説を紐解くと「上宮聖徳法王 又云 法主王 用命天皇紀同 甲午年産 敏達天皇三年 壬午...

  • 厩戸皇子→豊聡耳法大王・法王大王 817

    厩戸皇子の伊予(=道後)温泉にて。こちらの情報は「伊予国風土記」に記載されていたのです。但し、この風...

  • 獲加多支鹵大王→雄略帝 816

    先週の日本書紀「大王(おほきみ)」から「大王」表記の出現は仁徳帝が最初になります。又、仁徳・允恭・雄...

  • 日本書紀の「大王(おほきみ)」表記 815

    日本史で超メジャーな「607年遣隋使の派遣」の前に「600年阿毎多利思比孤が遣隋使」で詮索しませんで...

  • 倭国の刑罰・捜査・風俗・文化等々 814

    「其俗殺人強盗及姦皆死 盗者計贓酬物 無財者没身為奴 自余軽重 或流或杖 毎訊究獄訟 不承引者 以木...

  • 多利思比孤の倭国情報 813

    「有軍尼一百二十人 猶中国牧宰 八十戸置一伊尼翼 如今里長也 十伊尼翼属一軍尼 其服飾 男子衣裙襦 ...

  • 600年阿毎多利思比孤 遣隋使派遣 812

    「開皇二十年 倭王姓阿毎 字多利思比孤 号阿輩鶏弥 遣使詣闕 上(文帝=楊堅)令所司訪其風俗 使者...

  • 隋書 邪馬臺→邪摩堆(ヤマタイ) 811

    分かり易くする為、以後、隋書俀(倭)国伝は新字体に変更します。「倭国 在百済新羅東南 水陸三千里 ...

  • 隋書 俀(倭)国伝 810

    「推古帝」の御代を描いた「隋書」と「日本書紀」。先ずは隋(581~618)王朝の正統性を記した「隋書...

  • 宣化帝の崩御月日が二つ 809

    先週日本書紀の編纂者が継体帝の崩御年を特定不可と。その継体帝のお子さんが後に3人「帝位」についていま...

  • 継体帝崩御 527・531・534年? 808

    「日本書紀 継体帝」最後の記述です。「廿五年春二月 天皇病甚 丁未 天皇崩于磐余玉穗宮 時年八十二...

  • 日本書紀 継体帝 時系列 807

    以下、日本書紀に記載されている年月日順です。507年01/24 男大迹王が樟葉宮(くすはのみや)に...

  • 応神帝5世孫・垂仁帝7世孫 806

    先週、紹介した「釈日本紀一云」で中略にした箇所になります。《継体帝 応神帝5世孫》凡牟都和希王(応...

  • 釈日本紀一云に応神帝5世孫詳細 805

    日本書紀で「応神帝5世孫」情報は古事記に比して格段と増えました。しかし、応神帝から継体帝に連なる方々...

  • 日本書紀 継体帝 記述抜粋 804

    次に日本書紀の「継体帝」記述を。「男大迹天皇更名彦太尊 譽田天皇五世孫 彦主人王之子也 母曰振媛 ...

  • 古事記 継体帝 記述抜粋 803

    「今生天皇」のご先祖様(父系)に当たる「継体帝」について。古事記の記述が簡潔ですので先ずこちらから。...

  • 日本書紀・古事記の崩御年違い 802

    先週、飯豊皇女の件で日本書紀の不甲斐ないお話をしました。ここで日本書紀が展開する雄略帝~推古帝の在位...

  • 飯豊皇女は顕宗・仁賢帝の叔母・姉? 801

    以前紹介しましたが、雄略帝~継体帝に至る著述は「続守言」です。「続守言・薩弘恪 日本書紀を執筆」「日...

  • 隋・文帝と倭国・推古帝の接触 800

    「宋書」の「武=雄略帝」による倭遣使上表を紹介して無理筋で、478年迄進んだ格好になっていますがとて...

  • 武遣使上表から倭の五王は 799

    478年「武」の遣使に託した「上表」に「自昔祖禰 躬擐甲冑 跋涉山川 不遑寧處」とあります。《昔より...

  • 宋書 倭遣使上表 華麗な文体 798

    今週は、昨年の年末から今年にかけて頭を痛めた宋書・梁書の「倭の五王」が「日本書紀」と全く比定不可につ...

  • 日本書紀 各巻執筆順序 797

    《日本書紀 各巻 執筆者、及び、採用暦》を再度ご確認下さい。先週、日本書紀巻第◯一 神代上~巻第十三...

  • 日本書紀神代→安康帝 698年~執筆 796

    今週は「日本書紀」の暦についてです。《日本書紀 各巻 執筆者、及び、採用暦》にて各巻の採用暦が下記の...

  • 山田史御方 日本書紀57%を執筆 795

    先週紹介しました《日本書紀 各巻 執筆者、及び、採用暦》、唐からの渡来人「音博士」お二人以外の執筆者...

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