「日本は古(いにしえ)の倭奴である」~「官には十二の等級がある」と「その風俗は椎髻」~「貴賤を明らか...
みやび(雅)わび(侘)さび(寂)いき(粋)いなせ(鯔背)を受け継ぎ、お召しものを通して語る舞絽倶。
「日本は古(いにしえ)の倭奴である」~「官には十二の等級がある」と「その風俗は椎髻」~「貴賤を明らか...
先週の新唐書 東夷 日本の読み解きです。以下は力強い生成AI「Gemini」の日本語訳になります。日...
本日から「巻二百二十 東夷 日本」です。先ずは原文になります。「日本 古倭奴也 去京師万四千里 直...
「新唐書」撰は1060年ですので北宋(960~1127)成立から100年後。既に、君主独裁・官僚体制...
残りの旧唐書は遣唐使情報のみ。804年留学生として「橘逸勢(はやなり)」・「空海」、806年判官とし...
帰国を諦めた朝衡(仲麻呂)は唐で過ごし唐で亡くなってます。御年73歳との事。(770年1月没)但し、...
753年朝衡(仲麻呂)にとって久方ぶりの日本への帰国旅。朝衡(仲麻呂)の乗せた藤原清河の大使船は揚州...
「偏使朝臣仲満」とは阿倍仲麻呂(698~770)です。以前、楊貴妃についてお話した際、彼女の時系列に...
717年の遣唐使の記事で遣使は儒学講義を唐朝政府に要請してます。誰が受講したかは不明。続日本紀を紐解...
「開元初又遣使来朝~開成四年又遣使朝貢」の「Gemini」訳「開元初年、再び使者が朝廷にやってきて、...
「日本国者 倭国之別種也~山外即毛人之国」の「Gemini」訳「日本国は倭国の別の種類である。 その...
中国史書で倭奴国表記の初出は「後漢書 東夷倭伝」になります。「建武中元二年 倭奴国奉貢朝賀 使人自称...
ここで驚く事を。何と、この史書、旧唐書を「Gemini」が日本語に訳せるのです。以下、貞観五年(63...
945年、後晋の劉昫等撰「旧唐書」の倭国・日本国についての著述。倭国者古倭奴国也 去京師一万四千里...
五代後晋にて端折りましたので今回紹介します。唐~北宋間の江南(華中・華南 北漢除く)十王朝「十国」に...
皆様におかれましては、良いお年をお迎えの事と思います。それでは、本日より前回の続きになります。「安...
ここで少し中国王朝の「宦官」について。(成り立ち・生い立ちについてはここでは触れません。)そもそも、...
「晩年益肥壮 腹垂過膝 重三百三十斤 毎行以肩膊左右抬挽其身 方能移歩 至玄宗前 作胡旋舞 疾如風焉...
玄宗と楊貴妃ついて触れてきましたがこのお二人には(否、唐王朝にとっても)もう一方、大事な方が存在。「...
式部の「源氏物語 桐壺」でのこれが最後の「長恨歌」からの引用。「太液芙蓉未央柳 芙蓉如面柳如眉」(国...
次に引用したのは「比翼連理」。式部はそのまんま使用してます。「七月七日長生殿 夜半無人私語時 在天願...
お次は「長恨歌」から源氏物語第一帖「桐壺」に導入したの道士・魂。「悠悠生死別経年 魂魄不曾来入夢 臨...
一方、式部は漢詩文・中国史を父から伝授されていた間(14~23歳)「男性から、詩お届け・お声がけ・お...
藤原為時は986年6月~995年12月迄(38~47歳間 無位無冠)。式部は14~23歳。既に女性に...
式部(973?~?)に漢籍に興味を抱かせた父・藤原為時(949?~1026?)。彼の表面に出ている僅...
先週の源氏物語に記載されている「楊貴妃・長恨歌」の文言。紫式部は白氏文集の「長恨歌」を読み込み創造を...
「白氏文集」(当然、長恨歌も含まれてます)は「枕草子」に「書(ふみ)は(白氏)文集・文選(もんぜん)...
楊玉環(719~756)さんの情報は中華王朝の正史「旧・新唐書」では基本的に妃での僅かな分量のみ。只...
楊玉環を見いだし、宮廷に導き入れたのは玄宗の妃「武恵妃」さん。彼女はご子息の寿王(→李琩)のお嫁さん...
武則天・周時代、彼女に取り立てられ、石淙岩肌に刻まれた宰相のお一人姚崇(ヨウスウ650~721)は玄...
先週、NHK BS 3の「中国王朝 英雄たちの伝説 則天武后」から官僚達の話を紹介しました。今週はそ...
先週は武則天の女性官吏登用の素敵さでしたが、今週は武則天の男性官吏登用のの革新性について。以前、隋の...
夏休み皆さんお元気でした? それでは前回からの続きで~す。武則天は官吏登用にも変革をもたらします。そ...
彼女はとかく「悪女」とされてますが、然に非ず(さにあらず)。とても「先進的」な女性。何せ、脈々と続い...
唐は618~907年、289年続いた王朝。唐王朝時代で素敵な女性は「則天武后(武則天)」と「楊貴妃」...
ところで、この間、とんだ所まで行ってしまいました。「隋書倭国伝」→「厩戸皇子(大王)聖徳太子」→「天...
先週「高貴女性のお気持ち出家」についてお話ししました。彼女らは「正式受戒(東大寺・延暦寺受戒)」され...
先月で今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は半分終了。尼寺・中宮寺を中興した「尼僧・信如房」さんから親...
ところで、恵信尼・覚信尼親子は「尼」とご自分を表現しています。お二人は以前お話しましたように「親鸞に...
先週の「恵信尼さんの最後のお手紙」をZIPANGU風に。《裏端書》には、この書をしたためた日時晩春...
恵信尼さんが王御前(後の覚信尼)さんに送った最後のお手紙になってしまったと思われる文面抜粋です。(1...
先週紹介した「恵信尼消息」ついて。文は全て「恵信尼文書の研究」からの抜粋です。又、文書順は「真宗聖典...
「三善為教女法名恵信(日野一流系図)」→「恵信御房(口伝鈔)」1551年→1331年より遡ること75...
先週、恵信尼と親鸞のお子さん達についてお話ししましたがこちらの資料「日野一流系図」は1541年作成の...
恵信尼さんと親鸞との婚姻が「建永の法難還俗配流」の後の場合は僧籍を剥奪されてますので破戒にならず全く...
皆さんお元気でお過ごしでしたか?本日より、前回からの続きです。ところで、親鸞の連れ合いに「恵信尼(1...
還俗・配流の宣旨(1207/02)により(1211/11赦免)親鸞(1173~1262)は35歳で越...
貞慶起草の「興福寺奏状」を興福寺首脳(官僧)が朝廷に提出。*官僧・・・朝廷に仕える僧侶法然を糾弾する...
法然(1133~1212法然房源空)は専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教え。子細は「法然上人とお念仏」...
平安時代後期にも高貴な女性が「お気持ち出家」されます。世は「冠位十二階」→「唐模倣律令制国家」→「令...
奈良時代の光明皇太后・孝謙帝さんらの受戒、平安時代の東三条院・定子・上東門院さんらの剃髪・出家。これ...
彰子さん、二度目の出家と同じ年(1039年)、倫子さん、二度目の出家を一足先にされてます。倫子さん...
倫子さんの二度目の出家(1039年)以前に彰子さんが出家してますのでこちらを先に挟みます。「上東門...
倫子さんの二度目の出家(1039年)に「法成寺」と記されています。(大鏡裏書)*法成寺平安中期、京都...
「この世をばわが世とぞ思う望月の虧(かけ)たることもなしと思えば」(1018/10/16)を成し遂げ...
1000年の時点で彰子さん(988~1074)(大河演 見上愛)は13歳。彼女の母は源雅信(920~...
先週、「大進生昌が家に宮の出でさせ給ふに(中宮行啓)~」を紹介しましたのでもう一つ一条帝と定子さんの...
藤原道長のお嬢さん彰子(988~1074 87歳)(大河演 見上愛)は999年霜月12歳で一条帝(2...
藤原道隆のお嬢さん定子(977~1000 24歳)(大河演 高畑充希)は990年14歳で一条帝(11...
「令和6年能登半島地震」で被災された方々に呉々もお見舞い申し上げます。本日より前回の続きの展開にな...
自誓・受戒した覚盛は「律宗(戒律死守・実践にて成仏)」復興努力の途上、比丘尼(女性僧)不在の事態を憂...
覚盛らの行った「*自誓・受戒」について仏語。仏の定めた戒律を受けること。出家、在家を問わず、教団には...
「太子伝聖誉抄」の中宮寺・信如房さんに関しては先週で終了です。ところが、信如房さんがお過ごしになった...
いよいよ「太子伝聖誉鈔(抄)」の最後になります。タイトル 繍帳正文云々「歳在辛巳十二月廿一日癸酉日...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。お話を元に戻します。信如房さんはご縁を使い...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。超知識人のもうお一人は「(霊山)の定円法印...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。文永十一年甲戌二月廿六日⇒1274年2月2...
ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。法隆寺より「蔵開放」の連絡を貰い、信如房さ...
いよいよ「天寿国繡帳」の亀の甲400文字が発見されます。「信如房悦テ夢見タル尼衆ヲツレテユキ二人自...
ここからの現本写本は「夢見たる同法の尼衆」でご確認下さい。物語は一挙に好転します。何と翌年、1274...
「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」原文写本の続き。「夢見タル同法ノ尼衆ヲツレテ 則日法隆寺ニ参リ 宗...
「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」の写本の複写はこちらから。信如さんは中宮寺の長老ゆえにどうしても中...
次は中宮寺・法隆寺に於いての「天寿國曼荼羅起因」について。「中宮寺ハ太子四十六箇ノ伽藍ニハ 太子ノ...
信如さんが比丘尼になった後の中宮寺復興・修復の事はタイトル「中宮寺」別枠で記述されています。「天寿...
今日は奇しくも「重陽の節句」も「太子伝聖誉抄」の記述を追います。先ず、信如さんについて「笠置ノ解脱上...
法隆寺綱封蔵から天寿国繡帳の発見が1274年です。それに関わる「信如」さんを聖誉鈔は120年~150...
皆さんお元気でしたか?待ち遠しい秋空ですが・・・・・。それでは前回からの続きです。「中宮寺 由緒 信...
先週の「皇前曰啓」の有無の件について有→中宮寺本と松下見林本無→国宝知恩院本、及び、狩谷棭斎本(法王...
ところで、「知恩院蔵上宮聖徳法王帝説」、及び、「法王帝説證注」ですが亀の甲400文字の内、「皇前曰啓...
狩谷棭斎(望之)さんの「法王帝説證注」での注意書きに「法隆寺資財帳(法隆寺伽藍縁起并流記資財帳)」に...
「帷(帳)二張」についての注意書きです。思うに、この帳の「残片」は「中宮寺」の蔵にある。「天寿国曼荼...
天寿国曼荼羅繍帳の由来が記述された「亀さん100匹」。偶々、「上宮聖徳法王帝説」が書き残して下さって...
「天寿国繍帳 亀の甲四文字1」の天寿国繍帳の亀甲刺繍文字紹介の方々を分かり易くする為、日本書紀等の表...
「歳在辛巳十二月廿一癸酉日入 孔部間人母王崩 明年二月廿二日 甲戌夜半太子崩 于時多至波奈大女郎 悲...
天寿国繍帳の亀の甲四文字「部間人公」が出現しました。橘大女郎さんはお婆さんの推古帝にお願い、職人さん...
先週、中宮寺の「天寿国繍帳」について紹介しました。もう一度「亀の甲(羅)の部分刺繍」をご覧下さい。「...
今週、「中宮寺~聖徳太子二歳像公開~」イベントがありましたので急遽、こちらの話題を差し込みます。以前...
先週お話ししましたように「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」と「法隆寺 金堂 薬師・釈迦如来像光背銘文」と...
斑鳩寺→法隆寺の仏像光背銘文から607年(丁卯年)斑鳩寺(→法隆寺)に薬師如来像安置623年(癸未年...
以前、「中宮寺弥勒菩薩像」で聖徳太子のゆかりお寺で、厩戸大王(皇子)建立した云われている「聖徳太子建...
先週の「大王天皇と太子は一体どちら様・・・?」の件。因みに、この薬師如来像光背銘文は不可思議です。5...
前々々回は法隆寺 金堂 釈迦三尊像、前々回は中宮寺 寺宝 天寿国繡帳に触れました。今日取り上げるのは...
4/8は「灌仏会(かんぶつえ)=花祭り お釈迦様の誕生を祝う日」。先週、「中宮寺」の「天寿国繡帳」に...
厩戸大王(皇子)の薨去に伴う情報がもう一つあります。それは厩戸の奥様のお一人、位奈部橘王(=橘大郎女...
今週は「上宮聖徳法王帝説」を紹介します。この「上宮聖徳法王帝説」に「法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘文」が...
とうに昔々の2008年8/31に「中宮寺 母なる弥勒菩薩像」で穴穂部間人皇后について触れました。その...
先週、厩戸大王(皇子)の父母・妻子を紹介しました。この情報は「聖徳太子伝暦」に依っています。当然と云...
今回は厩戸大王(皇子)の父母・妻子について整理してみます。ここからの情報は以前、「厩戸皇子 甲午年(...
取り急ぎ、日本書紀への戯れ言はこれ位にして厩戸大王(皇子)の御代に戻ります。今年の1月に何と昨年4月...
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「日本は古(いにしえ)の倭奴である」~「官には十二の等級がある」と「その風俗は椎髻」~「貴賤を明らか...
先週の新唐書 東夷 日本の読み解きです。以下は力強い生成AI「Gemini」の日本語訳になります。日...
本日から「巻二百二十 東夷 日本」です。先ずは原文になります。「日本 古倭奴也 去京師万四千里 直...
「新唐書」撰は1060年ですので北宋(960~1127)成立から100年後。既に、君主独裁・官僚体制...
残りの旧唐書は遣唐使情報のみ。804年留学生として「橘逸勢(はやなり)」・「空海」、806年判官とし...
帰国を諦めた朝衡(仲麻呂)は唐で過ごし唐で亡くなってます。御年73歳との事。(770年1月没)但し、...
753年朝衡(仲麻呂)にとって久方ぶりの日本への帰国旅。朝衡(仲麻呂)の乗せた藤原清河の大使船は揚州...
「偏使朝臣仲満」とは阿倍仲麻呂(698~770)です。以前、楊貴妃についてお話した際、彼女の時系列に...
717年の遣唐使の記事で遣使は儒学講義を唐朝政府に要請してます。誰が受講したかは不明。続日本紀を紐解...
「開元初又遣使来朝~開成四年又遣使朝貢」の「Gemini」訳「開元初年、再び使者が朝廷にやってきて、...
「日本国者 倭国之別種也~山外即毛人之国」の「Gemini」訳「日本国は倭国の別の種類である。 その...
中国史書で倭奴国表記の初出は「後漢書 東夷倭伝」になります。「建武中元二年 倭奴国奉貢朝賀 使人自称...
ここで驚く事を。何と、この史書、旧唐書を「Gemini」が日本語に訳せるのです。以下、貞観五年(63...
945年、後晋の劉昫等撰「旧唐書」の倭国・日本国についての著述。倭国者古倭奴国也 去京師一万四千里...
五代後晋にて端折りましたので今回紹介します。唐~北宋間の江南(華中・華南 北漢除く)十王朝「十国」に...
皆様におかれましては、良いお年をお迎えの事と思います。それでは、本日より前回の続きになります。「安...
ここで少し中国王朝の「宦官」について。(成り立ち・生い立ちについてはここでは触れません。)そもそも、...
「晩年益肥壮 腹垂過膝 重三百三十斤 毎行以肩膊左右抬挽其身 方能移歩 至玄宗前 作胡旋舞 疾如風焉...
玄宗と楊貴妃ついて触れてきましたがこのお二人には(否、唐王朝にとっても)もう一方、大事な方が存在。「...
先週、恵信尼と親鸞のお子さん達についてお話ししましたがこちらの資料「日野一流系図」は1541年作成の...
恵信尼さんと親鸞との婚姻が「建永の法難還俗配流」の後の場合は僧籍を剥奪されてますので破戒にならず全く...
皆さんお元気でお過ごしでしたか?本日より、前回からの続きです。ところで、親鸞の連れ合いに「恵信尼(1...
還俗・配流の宣旨(1207/02)により(1211/11赦免)親鸞(1173~1262)は35歳で越...
貞慶起草の「興福寺奏状」を興福寺首脳(官僧)が朝廷に提出。*官僧・・・朝廷に仕える僧侶法然を糾弾する...
法然(1133~1212法然房源空)は専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教え。子細は「法然上人とお念仏」...
平安時代後期にも高貴な女性が「お気持ち出家」されます。世は「冠位十二階」→「唐模倣律令制国家」→「令...
奈良時代の光明皇太后・孝謙帝さんらの受戒、平安時代の東三条院・定子・上東門院さんらの剃髪・出家。これ...
彰子さん、二度目の出家と同じ年(1039年)、倫子さん、二度目の出家を一足先にされてます。倫子さん...
倫子さんの二度目の出家(1039年)以前に彰子さんが出家してますのでこちらを先に挟みます。「上東門...
倫子さんの二度目の出家(1039年)に「法成寺」と記されています。(大鏡裏書)*法成寺平安中期、京都...
「この世をばわが世とぞ思う望月の虧(かけ)たることもなしと思えば」(1018/10/16)を成し遂げ...
1000年の時点で彰子さん(988~1074)(大河演 見上愛)は13歳。彼女の母は源雅信(920~...
先週、「大進生昌が家に宮の出でさせ給ふに(中宮行啓)~」を紹介しましたのでもう一つ一条帝と定子さんの...
藤原道長のお嬢さん彰子(988~1074 87歳)(大河演 見上愛)は999年霜月12歳で一条帝(2...
藤原道隆のお嬢さん定子(977~1000 24歳)(大河演 高畑充希)は990年14歳で一条帝(11...
「令和6年能登半島地震」で被災された方々に呉々もお見舞い申し上げます。本日より前回の続きの展開にな...
自誓・受戒した覚盛は「律宗(戒律死守・実践にて成仏)」復興努力の途上、比丘尼(女性僧)不在の事態を憂...
覚盛らの行った「*自誓・受戒」について仏語。仏の定めた戒律を受けること。出家、在家を問わず、教団には...
「太子伝聖誉抄」の中宮寺・信如房さんに関しては先週で終了です。ところが、信如房さんがお過ごしになった...