『亀鏡文』に見える「五観の偈」

『亀鏡文』に見える「五観の偈」

江戸時代に刊行された『寮中清規』を入手して、読んでいた所、次の一節を見つけた。己れが徳行の全缺を忖って供に応ずるは、街坊化主に報ずる所以なり。功の多少を計り彼の来処を量るは、園頭磨頭荘主に報ずる所以なり。『亀鏡文』『亀鏡文』は元々、『禅苑清規』に収められているもので、同清規の著者である雲門宗・長蘆宗賾禅師によって編まれた。それで、或る意味この両句は、「五観の偈」第二句・第一句目の解釈法の1つであるといえよう。前後の文脈を読んでも、何故ここに、「五観の偈」の、それも最初の二句だけが使われているのか良く分からない・・・その上で考えてみると、この二句は、自分が何故、このような観法(一応「五観」なので)を行うのか、その理由を考えていることになる。そして、その対象が、叢林の経済・経営を支えていた当事者であると思われ...『亀鏡文』に見える「五観の偈」

2025/04/17 09:38