信州松本から篠ノ井線で1つ目の駅、田沢駅で降りて、 北へ向かって歩いていくと、 目指す光城山(ひかりじょうやま標高912m)が見えてきました。 山麓からはけっこうな急登でしたが、 山頂についたら、あたり一面が桜満開!! さらに、木々の間からは、まだ真っ白な雪に覆われた 後立山連峰の大パノラマが広がっていました。 ……それにしても、山頂はお花見登山の人たちで、いっぱい!!! 山頂でお花見しながら、松本駅で途中下車して買いに行った 「開運堂」の”さくら餅”を食べてから、 さらに峰伝いにトレッキングコースを歩いて…… 去年だか「ぶらタモリ」でロケしていた 絶景スポットの長峰山へ。 うう~ん、たしかに…
5月2日、朝7時15分、位ヶ原山荘をスタートし、 雪面の状況・風の強弱・天候の変化に 十分注意を払いながら…… 大雪渓手前まで登ってくると、 もう山頂を踏んで下山してくる青年に出会った。 で、思わずカメラを渡して撮ってもらった最高の記念写真。 この後、私たちも、あの2つのピークを越えて、 3025mの白銀の乗鞍岳山頂に立てたのは、 まことに幸運というか、ハッピーであった。
信仰と人気の山、大山の表参道ルートは、 おそらく人のオシリを見ながら登るような状況なので、 ほとんど登る人もいないバリルートから南尾根を登っていくと、 大きな倒木があり、 ここで一休み……早春の陽だまりと、静かさを楽しみました。
このGWに、久しぶりに東京湾フェリーに乗って、 房総半島の「里見八犬伝」の伝説がのこる山、 富山(とみさん)に日帰りで登ってきました。 が、事前に「ヤマレコ」で調べて、 かなりアップダウンの激しい尾根とは知っていたけど、 西尾根というバリエーションルートを登ったら…… もう、「え~い、またかい!」と 弱音が出てしまう程の難行苦行で…… でも、ようやくたどり着いた山頂の展望台で、久しぶりに食べた、 黒糖かりんとうの美味しさに、なんとか癒やされたのでした。
このシーンは、もう今から28年も前の春休み。 高校生だった子供たちと愛犬を連れて 登った矢倉岳の山頂です。 金時山と並んで、”絶景大富士”の展望台ですが、 数珠つなぎのような登山者で賑わう金時山に比べ、こちらは 我がファミリーで独占の山頂でした。
尾根を覆っていたガスが切れ始め、 山頂が見え始めた五竜岳と、霧氷に見舞われた尾根の 雪庇との対比を描きたかったんですが……。 もう二人とも、こんな経験は出来ない と思われるので、 まあ、回想記念的水絵画とでもいいましょうか。
家の居間のカレンダーをめくったら、2月は雪の山の連なりと、 手前には樹氷原が…。 (う~ん、この山並みは、いつかどこかで見たことがあるな~)と 下に小さく出ている撮影場所を見てみたら 「八甲田山 小岳から」とあった。 私達が実際に、その小ピークに立ったのは、紅葉の季節。 あの場所が、真冬には、こんな情景になってしまうんだー、と なんか感慨深かったので、描いてみたくなりました。
雪の塔ノ岳に登ったのは… もう、いつのことだったかハッキリ覚えていないほど昔。 でも、いつもは登山者で賑わっている山頂には、 わずかな足跡しかなく 純白の雪の原が、まぶしかった記憶だけが残っている。
もう今から30年以上前、結婚15周年記念ということで、冬のスイスへ スキー・バカンスに行ったんですが……うちの奥さんスキーは 一応SAJ2級の足前だったので、ご覧の大滑降(?)の シーンを撮影できました。
♪ 雪は消えねど 春はきざしぬ 風はなごみて 陽はあたたかし 氷河のほとりを~~ ~~紫におう 都をあとに 山に憬れ 若人の群れ ♪ 何故か最近、YouTubeでこの歌をよく聴いている。 この歌を聴くと、 若くて、瞳を輝かせて、 いくつもの高山の頂きを越えて歩いていたあの頃の、 アルピニストの自分を思い出す。
前日は、スイスのローザンヌに泊まり、 今日は山岳展望列車で国境を超え、最初の停車駅で下車。 ロープウエイで、この国境の峠まで登ってきました。 で、予定していた山小屋にチェックイン しようと思ったら……なんと、まだ営業していませんでした! でも、この景観です。 圧倒的な岩壁でそそり立つドリュー、天までとどくような純白のモンブラン ゆっくりピンチフードを食べた後、 山麓までのトレッキングコースを下りました。
父が80歳になった時、突然「北アルプスに登って、 槍ヶ岳を眺めてみたい」と言いだした。 しかも、登山ルートは北アルプス3大急登といわれる合戦尾根を登って、 燕岳に立って眺めたいと。 母や息子たちが無理だから止めるように言っても、 どーしても登りたいと止めようがない。 仕方なく、私と当時大学のワンゲル部員だった息子と二人 2人で、ちょうど水戸黄門様御一行のように、 前後からサポートしながら登ることになったのだが。 前日に、山麓の中房温泉に1泊し、翌早朝に出発。 もともと父は山ヤさんだったが、 もっぱら中低山や沢登りをしてきた”ヤブこぎ派”で、 まあ、ふつーの80歳よりは健脚だとは思うけれど、 な…
なぜ、登山道から外れた、こんな危なっかしい岩に登ったのか? なぜ、変な木のツエを持っているのか? 今となっては、よく思い出せないのですが ……鳳凰三山を縦走したときは、 快晴涼風の3日間で まさに夏山の醍醐味を満喫しました。 背景の雲にかかった一番高い峰が 日本第2位の北岳。 (で、振り返ると、後ろには富士山が)
先日、TVのニュースで焼岳周辺で群発地震が1ヶ月に 100回以上続いていて、 ついに震度4が起きて、 岳沢で大ナダレが発生している映像を見たことで、 この絵を描きました。 正面上方の奥穂高岳あたりから、 ナダレが滝のように落ちていましたが…… (私たちが登ったのは、3年前のGWです)
まだ4年前の、ゴールデンウイークには、こんな雪山に登っていたのが、 今では信じられないくらい。それに、奥さんはピッケルも持たず、 4本爪のアイゼンとスキーストックで山頂まで登って、無事に降りてきたんですから……いえ、けっして無謀登山ではありませんよ。 その日の天候予測や、刻々と変わる斜面の雪質、 雪面登降の技術などを注意深く判断し「これなら、行ける!」と、私が判断したんです。
丹沢で一番見事な紅葉スポットと言ったら、 ユーシン渓谷と言われているんですが…… そこへ至る林道に大規模な岩盤崩落が起きてから、 ここ何年も通行不可が続いているんです。 (途中まで通れるようになりましたが) この回想画は、もう17年も前のものですが、今でも、その鮮やかな紅葉シーンが目に焼き付いているようです。
前日に、人・人・人の尾瀬ヶ原の草紅葉を見ながら、竜宮小屋に泊まり。 次の日は、マイナールートを歩いて(クマが出るので、必ず鈴を鳴らしながら来てくださいと言われた) 長蔵小屋まで行ったのだけれど。 その途中には、まさに人知れぬ、 そして尾瀬ヶ原より、より鮮やかな草紅葉が広がっていました。 ………いつまでも、ここに留まっていたい気持ちを、 振り切っているところ。
2006年10月9日朝目覚めると、 蓼科山山頂にある山小屋付近は、ときならぬ寒波襲来で一面の霧氷が。山頂まで行って、360度の展望を楽しんでいましたが…… 新雪で、山頂付近が白く見えていた御嶽山で、 私の住んでいた町の若い山好きの歯医者さんが、 まさかの疲労凍死という悲しいニュースを、 下山してから知りました。 (これは、その朝の南アルプス方面の展望を描いたものです)
初冬を思わせる、キーンと冷えた大気と、 ホホを叩くように吹き付ける寒風にさらされながらもなぜか嬉しくなってくるのは、 やはり新雪の白馬三山の素晴らしい景観のせいでしょうか。 わたし、長い山用マフラーで、ほっかぶりしているんですが、 帽子をかぶるとなんだか、ベテランの山ガールみたい……
"百名山"の人たちが登ったという八甲田山(大岳)は、 中腹までロープウエイで行けて、しかも たくさんの登山者が数珠つなぎのように登っているという有様なのに…… 私達が登った(高田大岳)は、ご覧の富士山のような山容で、 しかも登山道が(フツーはジグザグについているものなのに) ほぼ一直線の直登で、相当にハードなものでした。 で、この絵は、山頂から下って、鞍部で振り返ったところなんですが… さらに、あとひと山越えて、硫黄の匂いがする不気味な谷を下って、 酸ヶ湯温泉までたどり着かなければなりません。 一瞬、映画「八甲田山 死の彷徨」のシーンが思い浮かびましたが、 幸いこの日は夕方まで晴天で、 「天は…
いろいろな山に登ってきましたが、 この飯豊(いいで)連峰を、一人で、食料寝具などを担いで、 3泊4日で縦走した思い出は、とりわけ強く印象に残っています。 北アルプスなどと違って、数えるぐらいの登山者にしか会わず、後半は雨とガスの山稜をひたすら歩いて…… 山麓の温泉につかった時の、なんとも言えない充実感。 今でも、残雪の遥かなる山稜が、まぶたの裏に浮かんできます。
草紅葉の尾瀬ヶ原は、 水芭蕉やニッコウキスゲの、あの人出の多い頃と違って ゆっくりと木道を歩けるのと 透明感のある大気が、なんとも心地よいのです。 山小屋も空いていて、静かでアットホームな夜が過ぎていきました。
鳥海山では、台風通過の影響でひどい目にあったけれど…… 続けて、月山に登ったらご覧のような、晴れやかな空模様で、穏やかな月山の山稜と合わせてのんびりと東北の夏山を楽しむことができました。
お盆休みの後半に、 檜枝岐のバンガローに泊まって、会津駒ヶ岳に登ったんですが こんな珍しいというか、神のお告げ(?)のような秋の雲に出会いました。山頂付近のお花畑も、もう夏の花はほとんど終わっていました。
これは3年前に、東北の大朝日岳に登った時のショットなんですが、動画だと、稜線から湧き上がるガスと上空の雲とのコラボがわかるんですが……大きな岩の上で、奥さんがザックから取り出そうとしているのは、山形駅で買ってきた、そう、採れたてのサクランボです。
昔、北アルプスの峰々に登っていた頃に知った、 信濃の登山家百瀬慎太郎の言葉で ”山を想えば人恋し 人を想えば山恋し” という想いが今頃になって、なんだかわかるような気がします。 (イメージ画のようですが、前穂高の奥又白池付近の実景です)
今だったら、(よく、あんなところを登ったなぁ…)と思う、 鎖場だらけの真教寺尾根を登って、山頂直下にある赤岳頂上山荘に泊まった翌朝。 目覚めてホールへ行って見た、日の出前の情景が忘れられません。まさに、天空の山小屋って感じでした。
”日本のエーデルワイス”とも言われる「ハヤチネウスユキソウ」を見に、岩手県の早池峰山に登ったら、思いもよらぬ絶壁で驚きました。でも、この壁の登山道の岩陰に、可憐に咲くハヤチネウスユキソウを見つけて「来たかいあったネ~」と喜んだのでした。
今から19年前の10月、八ヶ岳の赤岳鉱泉に泊まった翌日は、 思いがけなくも夜のうちに降った新雪が、 硫黄岳山頂付近をうっすらと覆っていた。 これから、夏沢峠まで下って根石岳を超え、前方に見える天狗岳までの予定なんだけど、まあ、このぐらいの積雪ならツボ足でも大丈夫だろうと、余裕で歩き始めたところ
これほどに圧倒的な紅葉&黄葉の色彩は、いままで見たことがなかった。それに夏と違って、すれちがう登山者もまばらで、 まるで2人のために輝いていたような槍沢カール。……背中の重いザックも、しばし忘れる心地だった。
NHKの番組「山の歌」で紹介された、 北アルプス・剣岳の奥にある「仙人池ヒュッテ」の 名物オバアちゃんに会いたくて、女房とふたり。 ザンザン降りの雨の中、怖い大雪渓をくだり、ゴウゴウと流れる激流の脇をへつ って(2日前に落ちて行方不明者あり)ようやくヒュッテにたどり着いた。 なんと、お風呂とおトーフが出迎えてくれて感激! さらに翌朝は、絵のような日本晴れになったのでした。
日頃の行いが悪かったのか、早朝4時20分、明るくなり始めた小屋の周囲は濃いガスで何も見えなかった。……待ったが、あきらめて下山の準備をしながら、窓の外を見るとガスの切れ間から、残雪の峰々が見えだした。「やったア、行くぞ、アタック!」50分後、私たちは強風の中、標高2956mの残雪の木曽駒ヶ岳の山頂に立っていた。が、下山途中で、再び濃いガスと冷雨が容赦なく襲ってきた。
TVドラマ「氷壁」のロッククライミング・シーンの撮影が行われた三つ峠へ。 山麓は、色とりどりの花が咲き乱れ 山頂では、まだたっぷりの残雪がのこる南アルプスの、 大パノラマが出迎えてくれた。
数えきれないほど、たくさんの日の出をみてきたけれど やはり高山の、まったく音のない世界の中で、息を詰めながら見つめた地平線と 天空の色彩の変化していくさまは、……神々への合掌。
ある程度は予想していたけれど、これほどたくさんの雪が積もっているとは、標高747mの仏果山を甘くみてしまった。けれど、白い雪のまばゆさと、冬木立の明るさと、どこかでえさえずる小鳥たちの声があたりを包んでいて……とっても気持ちのいい休日を過ごすことができた。オマケは、下山してから山麓の温泉宿にフロだけ入りに行ったら、予約の人しかダメですと断られてしまった。でも、「そこを何とか、お願いできないでしょうか?」と、頼み込んで。広い男女別浴槽に、ひとりずつ、貸切り気分でつかって………ああ、ゴクラク極楽。
蝶が岳の山頂にあと少しというお花畑に、老人が1人うずくまっていた。声をかけると、「胸のポケットからカプセルを出して、飲ませてくれ…」と死にそうな声でうめいた。飲ませてしばらくすると、上半身を起こし「名古屋から1人できたんだけど、…どーしても登るんだったらって、医者がクスリを持たせてくれて…」と言う。小屋まで担いで行くか、従業員を呼んできましょうか?と聞くと、「もう大丈夫だから、先に行ってくれ…」とニガ笑いで答えた。私たちが小屋に着いてから、40分も過ぎたころ、その老人がようやくたどり着いた。で、すぐに売店に行きウイスキーの小瓶を買ってくると、コップを2つ出し、なみなみとついで「ありがとう助かっ…
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