■知識的徳があるかという問い真に価値として認識できるのは、知識的徳と貢献的徳のみだ(徳=善=価値=肯定=肯定的感情、理性的動機、モチベーション、自らの内部の充実した活力)。本質的には、「その行為には、知識的徳/知性的徳があるかどうか」、という問い
敵も味方も同じで、1馬力編成(キャリーする優秀な人が1名程度と、その他のキャリーされる複数で編成されるチーム)なので、味方が勝ちやすくするためには(正確には、勝率を上げるというよりは、ここぞというときに勝って効率よくポイントを稼ぐためには)、2馬力編成(
人生の幸福を《他者より成功すること》に置くと、成功しなかったときに幸福の屋台骨が崩れ、運良く立ち直すことができない場合は、人生や世の中に失望したり絶望することになる。そうでなくても、"いつ(年齢とともに衰えていく)自分よりも優秀な者が現れて自分の評価が
性交渉というのは、相手と互いの性欲(肉体的な性的快楽を得たいという、人類種の生存本能として備わった欲望)を満たしあう行為であり、性交渉が特別なものであればあるほど、性欲を満たしたことによる強い自己肯定感が得られる。肉体的な面だけでなく、互いの精神的な
言語化して意識するのはいいが、いざ活動するというときには、意識が中心的にならないようにせよ。言語化したからといって安心するな。動くときは無意識を起点にして動くのが良い。言語化して安心して、意識の浅い部分から体を動かせば、気持ちが入らず、ぎこちなく
人に競争心を持つな。人に上下関係を意識するな。その価値観は、成果主義、競争社会、お受験教育の弊害だ。自己を特別に秀でたものと見做す競争という価値観は、利己的であり、(死ぬまでずっと競争に勝ち続ける豪運がない限りは)必ずどこかで優秀な他者が現れて不幸
人があなたに対して何を考えているかではないし、あなたが人に対して何を比べたり、考えたり、言うかではない。それは利己であり、利己的な不満(欲望の自己肯定感を失うこと)と不快を生む。即ち不幸となる。あなたと人との人間関係でのやりとりは、基本的に欲望(
自分を特別だ(特別でありたい)と思うことは利己である。自分は特別ではないので、このような利己的な考え方だと不幸(特別でありたい理想と特別ではない現実とのギャップにより自己肯定感を失うこと)になってしまう。自分は特別ではなく、その他大勢と同じく人類の対等な
ポイントを失わないという理想を諦めることポイントを失うという現実を当たり前だと受けいれること。負けないという理想を諦めて負けることもあるという現実を当たり前だと受け入れること眠れたという理想を諦めて眠れなかったという現実を当たり前だと受け入
人生がうまくいかない人の特徴とは、人生がうまくいかないことに不満を持っている人のことです。この不満は、外に向ける(他責)か内に向ける(自責)かしかないので、どちらにせよ不幸(他責の孤独か自責の抑うつ)になってしまうでしょう。即ち、その不満を、他
質問:自暴自棄型の“ローンオフェンダー”にならないためにはどうしたらいいですか?中野市4人殺害事件回答:自己肯定感を失わなければ厳しい環境でも何とかなるでしょう。自己肯定感を失えば、誰でもこの犯人のように(自分には価値がないと思って自暴
勝ち負けではなく(利己、獲得、批判、攻撃、他責、上下関係)練度を上げること(利他、貢献、理解、優しさ、自責、対等)をプレーの目的とすること。これで運悪く負けることでのイライラはなくなる。勝ち負けにこだわらないとは、・味方運が良く負けることが
《対応の前提》・うるさい人を不快だからといって黙らせられるかどうか(相手が謝罪して黙る選択や判断をするか否かは)他者課題であること→自分ではコントロールできないことだと知ろう。・相手がわざとかうっかり(無自覚)かは分からないこと→わざとでもうっかりで
戦争はなくならない。戦争とは、増えすぎてリソースが枯渇した人類が、生き残るために互いのリソースを奪い人減らし(殺しあい)をする仕組みだからだ。人口増によるリソースの枯渇に対する人口調整の仕組みとして、人類に自然に備わる「人口増加と人口調整のシステム」
身近な他者を責めたり、他者の悪口を言ったり、他者にマウントをとらないことだ。身近な他者との人間関係を上下関係だと勘違いしないことだ。人間関係とは対等だ。役割が違うだけだ。これらは欲望(承認欲求)による利己的な行動だ。利己では幸せ(自分には価値があ
不快なこと(自己肯定感が下がるようなこと)があったら、次のことを思いだそう。不快なことがない理想は諦めるしかなく(不快な環境が変わることを一時的に待つのでもよい)、不快なことがある現実を当たり前だと受け入れるほかないということ。(不快の諦めや受け
メンヘラは、かまってちゃんとなって、相手に圧をかけることで(相手に対してメンヘラへの拘束を要求し、相手から期待どおりの承認を得ようとコントロールしようとして)、主導権を握ろうとしている。相手は、主導権を奪われることで(精神的にも時間的にも拘束されるこ
【大前提】これらの不快な提灯記事があることについては、不快なものがない理想を諦めて、不快なものがある現実を当たり前だと受け入れるほかないのだ。不快な誰かを責め立てたり、不快な何かを攻めても仕方がない(利己や欲望が満たされることはない)。自己肯定感を得るに
アンガーコントロールとは、・利己(欲望)を満たすという理想(利己的な理想)を諦めて、・利己(欲望)を満たせないという現実(利己的な現実)を、そのまま受け入れることだ。そのようにして心の平穏に至るのがシンプルなやり方である。怒りや焦りという感情の高
自分が不快を感じたら、何でもハラスメントと言う世の中だ。自分が辛さを感じたら、何でも病気(自己を否定しすぎない程度の軽めの精神疾患)と言う世の中だ。自分の不快感の原因や自分の抱える辛さの源が、実は当の自分にあることに気づけない人が多く存在している
無意識の深いところにある記憶を使って動かないと、うまく体を動かせない。意識の浅い部分を使うのでは、練度が浅く、うまくいかないゲームも、ピアノも、仕事も、歌も、無意識で動けてからが本番だ。そこからようやく意識がハンドル操作に専念できる。無意識で
お金の量については、お金の量が多い方が(それだけ恵まれているので運が)良いことである。ただし、お金の量が多いとか少ないとかを(他人と比較して考えるように)幸福感に結びつけない方がよい。お金の使い方については、価値が、自分の内に向いているなら利己的
利己は欲望利他は理性利己は性悪説利他は性善説人間は、利己と利他の二面性の矛盾を持つ存在だ利己は自分(主体)を上におき利他は他者(客体)を上におく利己は内側へ向くベクトルを持ち利他は外側へ向くベクトルを持つ利己は縮小的で利他は拡
人のことを、気持ち悪い、臭い、顔が醜い、頭がおかしいなどと悪く言って、それを聞いた周りの人間に不快感を与えるような人に、誰が親しくなろうと思うのか。人を傷つけたり攻撃する言葉を口にするような、不快感を感じる人と、わざわざ同じ空間にいようとは思わないの
うまく話せないのは当たり前常に周りに対してイライラしている潜在的に危ないおじさんやじいさんがいっぱいいるのも当たり前将来の不安を煽って、無用で無駄な投資をさせる悪徳業者がいるのも当たり前不安を煽って特定のサービスや事業、投資に利益誘導するステ
対戦ゲームは、基本的に負けるようにできているので、自己肯定感を下げるからイライラしやすいFIREは、経済的な社会関係から自身を切り離すことに伴い、人間関係が少なくなり、自己肯定感が下がることもなくなるが(ストレスが少なくなるが)、社会に貢献する機会も一緒
《立ち回り》場の全体を見渡して、・敵への牽制、陣地整備・デスしない・敵の隙を窺う・味方のカバー ↓人数有利なら、前に出る ↓人数不利なら、後に下がる《負けて当たり前》味方が前に出るなら勝てるし味方が前に出ないなら負ける味
記事を読んで知識を仕入れるのは意識(窓口・表層)の仕事。仕入れた情報から、思惟により良い有益な意見を生み出すのは無意識(中層・深層)の仕事だ。良い意見はいつも無意識から出てくる。すぐ出てくる良い意見は、あらかじめ(過去に)無意識から出てきた意
これから日本周辺で起こりそうな戦争。ウクライナ・ロシア戦争の終結/停戦(ロシア領土拡大:ロシアの勝利)↓アメリカの分断と内部崩壊(不法移民、貧困層の増大、薬物蔓延、IT事業の行き詰まりで国力低下←中露の対米戦略による)↓アメリカの対中・対露戦略
誰かが誰かに具体的に攻撃している記事は少ない。記事を読んだ当事者(読者=自分)の不安を煽る(自己肯定感を下げる)ような意図の記事が多い。というより、無料の記事は、ほとんどがそれだ。この場合の攻撃者は、ライターであり、被攻撃者は、読者となる。ラ
自己肯定感を奪う人とは、精神的な関係を作らないことだ。利害のみの関係で十分だ。そして、世の中は、そういう人ばかりである現実を受け入れること。自己肯定感を奪わない人とか、自己肯定感を与えてくれる人がいたら、運が良い、有り難い存在なので感謝すること。そ
日本人に多いのは、・自分が基本的に下であることを認めていて(なので一見、謙虚だったり、消極的に見える)・しかし、自己肯定感が低くて、精神的に辛いから、・上の人を攻撃して、少しでも評価を下げて、自分の自己肯定感が低いことによる辛さを緩和しようとたり
Q:子供が連休明けに学校に行きたくないと言うので、学校に行けと言ったら、ホリエモンが学校行かなくていいって言ってると返された。どう説明すればいいか。A:学校に本当に行きたくないなら、無理して行けとは言わないけれど、学校に行かなかった人に対して、世間の人はす
勝てたときの快感が忘れられず勝てることを期待して、負けて、不快になる(自己肯定感が下がる、精神的な負債がある)のがギャンブル。負け続けて、スッカラカン(経済的な負債)になるのもセットでついてくる。負け続けて、ストレス(自己肯定感の低下)という
人間関係が豊かな方がいいというけれど、むやみに交友関係を広げればいいというものではない。人間関係を厳選する意識や自信を持ってないなら、むしろ人間関係は少ない方が絶対によい。人間関係なんて、ほぼほぼ9割9分がストレスになる人ばかりだからだ(得られる利
不平不満や悪口を言うような不幸な人が目の前にいたせいで、不快感(自己肯定感の低下)を感じたとしても、そういう人が目の前にいない理想を諦めて、そういう人が目の前にいる現実を受入れて、私欲を捨てて(自己肯定感の低下を回避して)、心の平穏を得よう。
《嫌なら見るなという人の心理》自分が作った作品自分の好きな作品↓批判する・ダメ出しする人↓作品を否定されて、自分も否定された(見下された)と感じる↓不快感↓不快な発言を聞きたくない自分の(好きな)作品を認めない不快な人を見たくない
思うに、察して系の人(私の気持ちを察してと言っちゃう自意識の高い人)も、HSPの人も、人から認めてもらいたい気持ち(承認欲求)が強いだけなんだと思う。どれだけ本人が他人に尽くそうとも、それ(本人が尽くしたこと)に他人が応じ(てくれ)るかどうかは、他人の判
気づい(てあげ)た:自分の意志で理解し(てあげ)た:自分の意志で与え(てあげた)た:自分の意志で優しくした:自分の意志でという自己肯定感自分の意志で、優しくしてあげたことがトリガーーーー↑↑↑↑ーーー勝った(勝ちたい)注目された(
1.生きづらさを感じるおじさんの正体近頃は、周囲にイライラしているおじさんや老人が増えている。人が多い場所では、そういう輩が(感情を爆発させてしまい)トラブルを起こす可能性があるので、刺激しないように気を付けよう。距離を置こう。イライラおじさ
経験が浅いときは(若いときは)、新しければ(未経験であれば)、欲望が刺激されれば、何でも(特別なものなので)面白いと思う。 ↓より新しく刺激的な作品を求めておけばよい(そういった新しい・流行の・その場限りの作品を与えられておけば満足する)。 ↓と
「ブログリーダー」を活用して、Ya suさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
■知識的徳があるかという問い真に価値として認識できるのは、知識的徳と貢献的徳のみだ(徳=善=価値=肯定=肯定的感情、理性的動機、モチベーション、自らの内部の充実した活力)。本質的には、「その行為には、知識的徳/知性的徳があるかどうか」、という問い
どのみち、今無いものを手に入れる・認識する・積むという、本能から逃れられないならば(神経的刺激の生理システム)、・自分の内に知識善を積むこと(知識的徳)・自分の外に貢献善を積むこと(貢献的徳)で、その今に無い「善=価値あるもの」を積めば/認識すれば
否定する(失敗や批判)↓自己否定=苦しさ↓自己防衛=承認欲を満たそうとする(①自責か②他責又は両方)↓①自責:注目の承認欲を満たす・自分を下げて注目されたい =過度な自己卑下、自虐・他人を上げて注目されたい =過度な自己犠牲、ゴマす
■本質(探究という目的)と形(記録という手段)の関係本質は形(言葉など)にすると、形への執着となり、本質(形ではとらえきれなかった概念を含む全体)から離れてしまう。本質は(探究の)目的であり、形は(記録の)手段であって、形にすると、形(記録の手段)
■徳を積むについて自分の時間を差し出して自分の内や外に善を作る(善を作る=徳を積む)与えられることは諦めて(与えられることは無いから・なお、"一方的に"与えることでもない)徳を積む=善を作ること積む徳、作る善を、自己が認めれば、些細な肯
全ては、無を「否定する」ことから始まり(一切皆苦であり)、継続するものなので、意識し、無を「否定せず」、受け入れることだ(無を否定する苦しみを打ち消す方法)自動的に、無を否定するとしても、意識し、無を否定しない→まずは無意識の否定の対消滅無い
無の荒野・与えてくれる(都合のいい)他者は居無い・与えられる(都合のいい)自己の特別性も無い例えば、全くの見返りなしで、新規性もなく、誰かに1万円を渡す/寄付する行為があって(それは行動の善であるが)それに善さ、価値、善い神経的刺激、
自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
日々のことに、何も無いなら、何も無いことが当たり前で中庸である。日々の行動は知るためだけにあって、知ることにしか価値と肯定はない。
イヌはボールをぶつけられると、ボールを敵と見做して吠える。ボールを自分にぶつけた者やぶつけた原因を見る=知ることはしない。これは、イヌだけでなく(それなりに知能があると思い込んでいるだけの)ヒトにも同じことが起こる。
皆が本能的に感じている否定の苦しみを放置したままにしておくと、自己否定の鬱や自暴自棄、他者否定の攻撃性(からの孤立や孤独)に繋がって、徐々に壊れてい(き、自己否定に起因する鬱病・アル中・薬物依存、他者否定に起因する誹謗中傷、暴言暴力や犯罪行為へエスカレー
他人を責めたり自分を責めたところで現状が変わるわけがないただ承認欲を求めているだけだ自分の内に善(価値)を生まなければ、自己肯定の変化(自己成長・自己変革)もない------否定も刺激であるし受容も刺激であるし肯定も刺激である否
自分は特別だと思うことが、認知の歪み(本当は特別ではないのに、そう思い込んでいる)の根源なんだよこの本能的な(承認欲求に起因する)歪みのせいで人間は苦しむようになっている(特別なはずの自分が、現実では特別扱いされないという承認欲の否定の苦しみ)この自己
究極的には、肯定感は、知性的卓越性(知の善)で得るしかないし、否定感は、倫理的卓越性(中庸)で消すしかない。ただし、否定も日々の行動のトリガーとしては必須。否定と苦しみがなければ、考えることもなく、動くこともしなくなり、受容のカタルシスも得られない
人生はいずれ無に帰すが、無を否定したとしても(無を否定したままにせず)、無を受け入れて、無から「何か」を生み出して肯定することだと思っている。身の回りに有る物や事が、この何か(誰かが残した善さ)から構成されている以上は、その分だけは意味があると捉える
前向きになるんじゃなくて、まずは無になるんだ何も無いのに前向きになれるはずがないだろう無理に前向きになろうとするから、(何も無いことに対して)後ろ向きになるんだよ~~~~~~~~~どうやって何も無いことを受け入れるかどうやって何も無いこ
『意識を仕直すこと』《無意識の否定に対して》①自己否定したとしても、否定したままにせず、②自己受容できること③そのうえで、自己肯定できること《無意識の期待/肯定の期待に対して》①承認欲の期待が生まれたとしても、他者運も無く、才能運も無いか
そうやって現実を否定する(のは仕方がないとしても、否定したままだ)から、自分は(自己否定で)苦しいし、他人も(他者否定で)苦しくて離れていく。人生が苦しいのは一切皆苦であるし、孤独になるのは因果応報/自業自得なんだ。
犯人の心理を5段階で解説(自己否定の苦しみを抱えている人は現在『非常に多い』ので、今後も事件は発生)する。①現実否定=自己否定で苦しい(生き苦しい)↓②他責思考=苦しいのは周囲や社会のせい↓③他者攻撃=人を攻めて気持ちよくなろうとする(承認欲/
No.0 詳細(無と中庸と善)No.1 全体(否定➡受容➡肯定)No.2 無知の知_知の探究_知の幸福No.3_意識の不連続_No.4_無意識の否定の仕組み_No.5_無の荒野
ある事件や事故を起こした人の問題行動の理由を説明するのに・優秀な人だから・真面目な人だから・金持ちだからという、特定の目を引く性質を理由に問題行動を起こした、と言うのは間違っている。これらの不快な記事は、ライター側が読者の関心を引くために仕掛け
①外から与えられたものはすべて喜ぶ、感謝する・空即是色(自分の外には何も無く空であるなら、すべてのものは奇跡的な幸運の産物であり、よって、すべての物欲はすでに満たされている)・欲望の幸福(外から与えられる幸福)の『幸運に』感謝する・幸運とはなかな
この世の全てが「 」(無や空)であるならば、この世の全ての物が有ることは全て奇跡(幸運)の産物であり、愛情の対象となる。有ることが難しい奇跡的な物への(有り難うという言葉のとおりの)感謝や慈しみとなる。物欲(客体への欲望)も、無や空がベース(本来の、根
①色即是空:物(色)への欲(物欲)は苦痛しか生まないため、物欲が生まれたら、これを、自分より外から与えられるものは無く、すべてが空であるとして捨て去る。すべての物(色)が無いとすれば、(理想や願望も空であり、現実(もまた空であるから)とのギャップも生
□欲望を捨て去るために欲望を完全に捨て去るなら、自分の外から入ってくるものは、全くないものと思い(外には何も無い)、自分の内から外へ出ていくものしかない(自分のみが確実に有る)、と思うほかない。ゲームだって、無から考えれば、ゲームがあって、
■承認欲の強い人は必ず苦痛を感じ不幸になる人から認めてもらいたい欲求(承認欲求)を持ってしまうと、自分の力で自分のことを認めることができなくなって、自分だけでは、自分に価値があると思えること(自己肯定感を得ること)ができなくなってしまう。代わりに、
真面目な人が、ストレスのせいで問題行動を起こして転落するのではなくて、(承認欲求が強いせいで、外面が良くて)真面目な(ように見える)人が、承認欲求の苦痛のせいで問題行動を起こして転落していくのだ。しかし、本当に真面目に会社のために頑張って貢献しようと
承認欲求とは、子供が生き延びるための本能であるから(自活できない子供が、親や周りの他者から、可愛い子供であると認知されて、食べる物などを与えられて生き残るための欲望であるから)、自活できる(ようになる代わりに子供の持つ可愛さを失う)大人がいつまでも持つよ
気分の浮き沈みがあるとしたら、それは、・欲望が満たされたから一時的に気分が良くなっているか(自己肯定感がある・高い)、・欲望が満たされなかったから気分が悪くなっているか(自己肯定感がない・低い)、のどちらかの心理状態を、日常生活の中で揺れ動いている
点を取りたいから勉強をするのではなくて(点を取って他者よりも上に立ちたいという欲望ではなくて)、この世の中の仕組みを理解し(てあげ)たいから勉強をする(理解をしてあげる、知識を身につけて役に立てるという理性である)ことだ。点数がとれるかどうかは、そ
日本を含む先進国で精神疾患が多い理由は、欲望(承認欲、金銭欲、名誉欲など)を満たすことが人生の幸福である、という価値観が推奨され広く浸透しているからです。しかし、幸運に恵まれ(続け)ない限りは、欲望を満たし続けることはできないので、欲望の幸福の屋台骨
○行為だって、自分の欲望を満たすからではなく、□の役に立つという理性を満たす気持ちでやることだ。□を理解する・□に優しくする・□に興味を持つ・□に愛を感じてもらう・□にひとりではないと感じてもらう。○欲は、欲望なので苦痛と不幸にしかならない。
欲望は苦痛しか生まないから捨て続けること。この世の全て(外界から自分に入ってくるものは)利己的・欲望的なものだ。よって幸運や他者課題に恵まれなければ、欲望の不満の苦痛により不幸(欲望を満たせない自分には価値がないと思う状態)となる。利他的・理性的
欲望とは、欲望の苦痛を自分に与えて、欲望の理想へ向かう行動を強制させ続ける仕組みである。そして、欲望の理想を獲得するには、幸運や他者の評価・人脈などの他者課題が必要となる。よって、人間は、生きている限り、欲望の苦痛に苛まれ続ける。生まれながらに
!欲望は苦痛になるので、勝ち負けは考えない。負け続けることもあるのが当たり前の事実だと現実を受け入れる。苦しみたくなくば欲望を捨てよ。!自分の技量を実行すること、技量を確認することだけを快感とする。技量が行えれば(行えなければ)、その結果で勝とうが
この世の全て(外界から自分に入ってくるもの)は利己的なもので溢れている。よって幸運がなければ、欲望の不満の苦痛により不幸となる。利他的なものとは、自分から外界に対して出していくものだけだ。自分の意志と善の活動により、役に立てる、理解してあげる、優
現代社会で各種ハラスメントやうつ病患者が増えている理由について、そのメカニズムを以下に記載しておく。■人は不満があれば簡単に他責や自責をしてしまう他者からの関心、注目、評価をもらえず、承認欲求が満たされないと、人から注目されない自分には価値がな
幸福になるというのに、愛嬌やコミュ力が必要だと考えていると、運悪く自分より愛嬌や能力がある他者が出てきたり、運良く理解者があらわれなかったり、自分が愛嬌や能力を保てなくなったら、幸福の屋台骨が崩れて、すぐに不幸の沼に沈むというのに、そんな(承認欲求という
円安も増税も貧困も、自分では制御できない外的要因である。自分の力が及ばない運要素に頼るものについて悩んでも仕方がないし、不満をためるだけ思考と時間の損だ。①利己の幸運があったことに感謝する②利己は捨てる(幸運がある理想の諦め、幸運がない現実の受
■他責他者を責めて(下げて)、自分の方が特別に優れていると思い、他者の関心(尊敬、恐れ)を引こうとする承認欲求の表れ■自責自分を責めて(下げて)、自分のことを特別に悲劇的だと思い、他者の関心(同情、憐れみ)を引こうとする承認欲求の表れ■他責と