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2022/11/07

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  • 総武本線「旭駅」~「飯岡刑部灯台」。その6。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

    そろそろ昼飯時。旭駅周辺で買い物ができず、ここまで。帰りのバス時間も考え、刑部灯台から帰途へ。「上永井公園飯岡刑部岬展望館~光と風~」。この展望館は、千葉県立九十九里自然公園内に位置し、自然とふれあう活動の場として平成13年3月にオープンしました。展望館のある刑部岬からの眺望は、「日本の夕陽百選」「日本の旭百選」「日本夜景遺産」「日本夜景百選」「ちば眺望百景」「関東の富士見百景」に選定されています。空気の澄んだ晴天時には、水平線に浮かぶ富士山や夕陽に映える富士山のシルエットを見ることができます。特に2月下旬には父子山頂に夕陽が沈む「ダイヤモンド富士」という珍しい現象が見られます。ここ刑部岬からいすみ市太東岬に至る約66㎞の九十九里浜は、ハマヒルガオなどの植物群落のある美しい海岸として「日本の白砂青松100...総武本線「旭駅」~「飯岡刑部灯台」。その6。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その5。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

    飯岡漁港・刑部岬付近の今昔。(現在)砂州が沖に伸びています。(1880年代)岬のような地形ではありません。100年間の海岸地形の変化は著しい。港湾施設の建設などで潮流の変化があったことも、大津波の一因になったのでは?「・・・自宅兼店舗は、海に向いた玄関から津波が入り周囲の壁を壊して突き抜けていた。幸い家族は避難して無事だったので、しばらくは友人やボランティアの力を借りて私は週末だけ帰り片付けを手伝った。再建に時間がかかったが12月にオープン。私は郷里に戻り父と二人で店を経営してゆく決心をした。経営は難しいが、私なりにインスタグラムやフェイスブックなどを活用して、会席料理をもっと気軽に若い人に楽しんでもらえるよう頑張る。」「大地震の日は飯岡中学校で帰りのホームルームの最中だった。津波が来るかもしれないと言う...総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その5。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その4。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

    断崖絶壁の下は、大海原が広がる。刑部岬の先端。「屏風ヶ浦と刑部岬」。飯岡台地が断崖となって太平洋に落ち込む屏風ヶ浦は、高さ60m、現在地には飯岡灯台がたち、刑部岬と呼ばれている。灯台周辺は公園に指定されており、水平線と九十九里浜が織りなす眺望は、昼夜を問わず絶景であり人気が高い。ここ刑部岬から銚子市名洗にかけて、高さ40~50mの絶壁が屏風のように約10㎞にわたり続いており、屏風ヶ浦は俗に「東洋のドーバー」と呼ばれています。太平洋の荒波が直接打ち寄せるため、その浸食により形成されたもので、700年余りに約6㎞近く陸地が後退したといわれています。平安時代末期にはこの地に源義経の四天王の一人、片岡常春が佐貫城をかまえていたが、その城跡は激しい浸食による海岸線の後退で今では海中に没してしまい、昔の姿はありません...総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その4。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その3。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

    眼下に「飯岡漁港」が広がります。飯岡の町並み。右奥の遊歩道を上がってきました。遠く九十九里浜が連なる。けっこう高台に上がってきます。左手奥が刑部岬の先端。「飯岡刑部岬展望館」が正面に。屏風ヶ浦先端に立つ「刑部灯台」。眼下に広がる大海原。「希望の鐘」。「打ち上げ花火下から見るか横から見るか」ロケ地。「東日本大震災により大きな被害を受けた本作のロケ地と東日本復興への願いをこめて」と、2011年7月22日から8月31日まで岩井俊二の公式サイトにて、無料で動画配信された。※Aパート、Bパートがあるようです。Bパート足をぶつけることなく勝った典道はなずなに「花火大会に二人で行こう」と誘われ、男友達にも「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか?平べったいのか?」と誘われるも、ギリギリまで粘った典道はなずなとの約束を優先し...総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その3。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その2。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

    飯岡漁港付近の今昔。(1880年代)銚子港への道は、飯岡村(飯岡漁港)を抜けて、北東に向かいます。(現在)飯岡漁港付近は港湾施設が整備され、道筋は変化していますが、東側には旧道が残っています。刑部灯台を望む。釣り船が出航。灯台の方へ向かいます。この道はかつての往還道。現在は、遊歩道になっています。山を回り込みながら進む。右に「海津見神社」。通称「永井の妙見様」。急な石段を上っていきます。坂道を振り返る。かつての往還道になっている。50mほどの高さを一気に上がり、灯台に向かう舗装道路に出ます。銚子に向かう旧道はここから台地の縁を東に進みますが、次回に回すことにして、刑部灯台に向かいます。この付近の今昔。(1880年代)(現在)〇が分岐点。灯台への上り坂を行くと、絶景が待っていました。総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その2。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その1。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

    今回は、もう一つある「銚子往還道(従銚子港至千葉町道)」を歩く、その前に。旧道に連なる「飯岡漁港」から刑部岬・灯台付近を探訪します。4・19(金)。晴れ。「旭駅」から旭市コミュニティバスを利用して、「玉崎神社」下車。(ここまで運賃100円。)※小学生、75歳以上、運転免許返上者は100円。通常は200円。数人乗ってきました。飯岡漁港まで歩きます。道路が整備され、新築のおうちが目立ちます。実は、それには背景があったのですが、後で知ります。さらに、19日に出かけた翌日、整髪に行ったとき。行きつけの床屋さん、飯岡の「三川」出身だということが判明。「昨日、歩きましたよ。旭駅からバスに乗って、飯岡漁港から刑部灯台まで」「高校まで三川に住んでいました」そこから、話が弾んで、玉崎神社までのコミュニティバスの停留所を停留...総武本線「旭駅」~「刑部灯台」。その1。(「銚子往還」をゆく。第7日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その6。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

    総武本線・上りの電車。古い石塔。旧道沿いの街並み。「塙廣屋」。屋号?「柴崎町」交差点。国道356号「利根水郷ライン」を横切る。※利根水郷ライン=千葉県銚子市から、我孫子市に至る全線に渡って利根川右岸に沿う。角に大きな記念碑。「銚子市立海上幼稚園」。奥に「海上小学校」。海上=うなかみ。海上村(うなかみむら)は、千葉県海上郡に存在した村。現在の銚子市の、おおむね松岸駅と椎柴駅・猿田駅の間の沿線に位置していた。海上は広域地名であり、1954年から2005年まで存在した海上町(現旭市)は本村と位置も異なる別の自治体である。銚子市立海上小学校などにその名をとどめている。いよいよゴール地点へ。正面は、「藤兵衛支店」。来た道を振り返る。「銚子信用金庫松岸支店」。佐原方面から利根川沿いを進む「銚子街道」と出会う(追分)。...総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その6。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

  • 久々の「向島百花園」。4・20。ツツジ・サツキ。サクラソウ。タケノコ。タムケヤマ。カルガモの姿が。

    すっかり春めいた今日この頃。小さな花が咲きそろっています。近所のおうちの車庫前の溝にも小さな花が。風で運ばれてきたのか、車で出かけたときにタイヤについてきたのか?土もなさそうなところに、けなげに咲いています。路地裏にも、これは我が家の鉢植え。そういえばサクラソウの咲く時期。毎年、百花園でも地元の方々が丹念に育てた「展示会」が開かれるはず、今年も、と出かけます。ところが、今年は中止。暑さで生育が思うようにいかなかった、とのこと。今年は園内で育てた花のみが。それでも、様々な色合い、姿のサクラソウが咲いています。満開のサツキ。ツツジとサツキは、それぞれ似た特徴をもった植物のようです。では、どうやって見分ければいいのでしょうか。「ツツジとサツキはどちらも花が非常に良く似ていることから、間違えてしまうことも多い植物...久々の「向島百花園」。4・20。ツツジ・サツキ。サクラソウ。タケノコ。タムケヤマ。カルガモの姿が。

  • 総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

    収穫済みのキャベツ畑。平地が広がる。「標高8.5m」。約50m下がってきたわけです。前方遠くには「JR線」。東方向。西方向。キャベツ畑。JR総武本線踏切。「柴崎街道踏切」。銚子方向。旭方向。成田線「柴崎踏切」。佐原方向。銚子方向。この際、まとめて路線図。成田線総武本線佐倉駅から北へ分岐し、成田駅を経て、利根川南岸に沿って、再び総武本線との合流駅である松岸駅へ至る本線と、成田駅から分岐して我孫子駅に至る支線(我孫子支線)と、成田駅から約2km北の地点で本線と分岐し空港第2ビル駅を経て成田空港駅に向かう支線(空港支線)を持つ路線である。本線の佐倉駅-松岸駅間では総武本線よりも13.4km営業キロが長い。成田線の正式な起点駅は佐倉駅であるが、千葉駅を発着する成田線発着・経由列車は、総武本線成東駅方面行きの列車と...総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

    三叉路に石碑などがいくつか。小さな集落に入ります。右手には畑が広がります。路傍には明るい色のキク科?の花々が。ガーベラ?この花の名は?右手下にも住宅が。剪定された見事な槙。県道に合流します。その手間に作業所。ダイコンを水洗いながら先端を切り落としています。カートに山積みされたダイコン。その作業所の前に、木彫りの熊?振り返る。合流地点に記念碑。この付近、旧道の道筋ははっきりしません。(1880年代)丘陵と丘陵の間を進む。(現在)黄線が県道。白線が旧道。西側には畑が広がる。この道が旧道の一部?東総台地の北端から下り坂にかかります。台地に上った分、下るわけです。坂の途中に古い石碑。右手は谷筋。前方が開けてきます。平地に降り立った印象。来た道を振り返る。<imgsrc="https://blogimg.goo.n...総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

    銚子市内に入っても、畑地が大きく広がる。収穫時期をずらしてのキャベツ畑。収穫済みとこれからのもの。こちらでは、ダイコンの収穫が盛んにおこなわれています。何を植えるのでしょうか?どういう工場・施設だったのか?廃業になっているようです。ダイコン畑。シートをかけた畝。これから大きくなるキャベツ。奥には、成長したキャベツ。キャベツもダイコンも収穫時期をずらすことで、年間を通しておいしい野菜が収穫できます。また、露地植え、といういところにこの地域の特徴があるようです。遠くの方まで、風力発電所の風車(プロペラ)が。シートを外したダイコン畑。緑濃きキャベツ。キャベツ畑が遠くまで続いています。県道から右にそれて進みます。小さな集落へ。ハウスから軽トラにいくつも苗を載せています。「何の苗ですか?」「メロンの苗でしすよ。」メ...総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

    大きな風車(プロペラ)の下にも畑。千葉県の北東部、銚子市や旭市などの東総地域には、東総台地という標高40~50mの台地が広がっています。関東平野から太平洋へと突き出しているこの地域は、東南北の三方を海に囲まれており、1年を通して風速6m/s前後の強い風が吹いていることから、旭市から銚子市にかけての東西約10kmの範囲に、過去10年以上にわたって累計40基もの風車が建設されました。車で成田空港方面から国道296号線を東進し、さらに匝瑳市で国道126号線に入って旭市へと向かうと、まず左手の台地の上に飯岡風力発電所(850kW×5基)が見えてきます。そこから更に銚子方面へと走ると、銚子市内に入ってまもなく、丘の向こうに八木風力発電所(1,500kW×6基)が見え、海側には銚子小浜風力発電所(1,500kW×1基...総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

  • 総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

    4月13日(土)。晴れ。今回。総武本線「旭駅」で下車し、総武本線と成田線が合流する「松岸駅」から帰途に、という計画。歩くとかなり時間がかかり、途中、北総台地を越えていくことになります。膝の具合もよくないので、途中までタクシーを利用、台地の南端まで行き、そこから歩くという算段。けっこう安易な歩きになりそうです。この付近の今昔。(現在)道筋はほとんど変わらない。(1880年代)「従銚子港至千葉町道」。塙新町。まとまった集落になります。ここまではカーブが続く、緩い上り坂。振り返る。塙十字路。左の角に「塙十字路祠」。集落から次第に離れていくと、左右が開けてきます。風力発電の大きなプロペラが目に入ってきます。起伏にとんだ丘陵。緩やかな上り坂を進みます。右には谷に降りる細道。谷の向こうに雄姿を見せる巨大なプロペラ。振...総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

  • 総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

    「安中藩太田陣屋跡」。解説版。明和4年(1767)、上野安中藩の下総領二三ヵ村、およそ1万石の土地を支配する拠点として設けられた陣屋の跡。・・・安中藩はここ太田村に陣屋を置き、代官2名、与力数人を常駐させて、支配地の年貢の収納、治安などを行わせた。周囲に堀をめぐらし、南に長屋門をおき、奥に間口八間・奥行四間の役所があった。堀は排水溝程度のもので粗末なものだった。明治初年、廃藩になるまでのおよそ100年間を支配したが、江戸時代末期にアメリカのペリーが江戸湾に来航し、海防の必要から藩より30数人の武士が派遣増員された。廃藩後、陣屋の施設は撤去されたが、部下たちのなかには安中に帰らずにこの土地に残った者もあり、現在もその子孫が市内で生活している。県道に戻ります。旭市のマンホール。太平洋から昇る朝日と市の木クロマ...総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

  • 総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

    カフェ&レストラン「グレコ」。開けたところに出ます。角に「セブンイレブン」。旭の市街地に向かいます。すでに水が張られた田んぼ。「沖縄を楽しみましょう三線ライブもやっています」。昼間、お店は閉まっていますが。しばらく進んで旧道へ。旧家の趣。すぐ県道に復帰。来た道を振り返る。路地の奥に趣のあるおうち。「宿天神青年館」との看板が。7月27日、旭市太田の宿(しゅく)天神(てんじん)地区にある八坂神社祇園祭、通称「太田(おおた)祇園(ぎおん)」の夜に演じられるつく舞を、地元では「太田のエンヤーホー」と呼んでいる。つく舞は、長さ9間の柱と、その前に組まれた2間四方、2段の舞台で演じられ、動物の面を付けて舞台上段で無言劇を演じる「地(じ)舞(まい)」部分と、登り獅子がつく柱に登っての曲芸部分から成ります。地舞では赤獅子...総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

  • 総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

    園芸店[園芸店「川嘉園」。県道は、整備されたようです。カーブごとに注意喚起の表示。用水路と古仏。道路整備に伴って移転?槙の生垣が続く。槙の生垣が連なる様子は、房総半島によく見られる風景。趣ある門のおうち。匝瑳市から旭市に入ります。左の旧道に入ります。県道に、「小久保畳店」。「一針入魂」。国道に合流します。沿道沿いのおうち、鉢植えのチューリップが満開。趣のある門構え。内裏神社。社伝によれば、祭神耳面刀自媛(弘文天皇の妃)は関白太政大臣の藤原鎌足の娘で、白鳳元年に壬申乱が起り、妃は悲運にも弘文天皇と共に近江の露と消えゆる所を、逃れて東国に下りました。途中海難に遭い現在の匝瑳市野手の内裏塚浜に漂流し、不幸にもそこで病歿し、従者などが媛を葬り墳土を築きました。妃の従者の子孫の美敷が天慶3年(940年)に野手の墳土...総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

  • 総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

    銚子方向。車の通りも少ない旧道を進む。古い石塔。判読不能。バス停「新宿」。1880年代の古地図では民家がなく、「新宿」(しんじゅく・にいじゅく)という地名はありません。八日市場町が発展するにしたがって、「新宿」と名付けたものと思われます。※かつて、この地域には沼地・湿地帯が広がっていました。ここにも同じような古い石塔。「四国八八ヵ所巡礼・・・記念碑」?用水路と田畑が広がる。廃業となったビジネスホテル。ソテツがたくさん。通りの向こうに「水準点」。7.0m。田植えの準備中。この付近の今昔。(現在)(1880年代)↓の部分が直線化されている。左側の歩道が旧道?かなり幅広い。バス停「東谷入口」。家並みが続く地区へ。「匝瑳市立平和小学校」。「庚申塔」「西国参拝記念碑」など、まとまって古仏が置かれています。両側に家並...総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

  • 総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

    「銚子往還」歩きも5日目になりました。3月30日(土)。晴れ。今回は、総武本線から離れて歩きます。「旭駅」が街道近くにあるので、そこまで歩くことに。駅でいうと、2駅になります。「八日市場駅」。銚子往還(旧道)に「復帰します。看板建築。モルタル仕立て。バス停「法務局前」。「←八日市場青果地方卸売市場」。バス停「篭部田(かごべた)」。水準点。地中に埋めてあるケースもあるようです。9.0m国道126号に合流します。(「篭部田」三差路)左手奥に「市役所」、右に「八日市場ドーム」。この先、斜め右に入っていきます。「大利根用水西幹線用水路」大利根用水(おおとねようすい)千葉県北東部の利根川沿岸地域の排水と、九十九里平野北部の地域への農業用水の供給を目的とした用水路。疏水百選に選定されている。千葉県香取郡東庄町で利根川...総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

  • JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

    街道沿いに家並みが続くようになります。バス停「砂原」(八日市場イ)。バス停「仲町」。「裁判所→」。「千葉地方裁判所八日市場支部」。「塚本弓具店」。なかなか素敵な店構え。八日市場の中心街に入ってきます。ところで、「八日市場町」とは?かつて毎月八日に市が開かれ、市場町として発展した。「八日市場」の名はこれにちなむ。似た市名としては、滋賀県の八日市市(ようかいちし、現東近江市)があった。また、匝瑳(そうさ)市に改称後もかつてのイ〜ホの前に「八日市場」の名が付いている。(「Wikipedia」より)匝瑳市は、平成18年1月23日、八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生した市です。市の名称については、八日市場市・野栄町合併協議会において、15歳以上の住民を対象に両市町の名称を除いて行ったアンケート調査で1位であった...JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その5。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

  • 隅田川・お花見客でいっぱい。満開の桜のもと。ユリカモメもたくさん。曇り空の下。

    一昨日からPCの調子が悪く、電源を入れても起動しない。「ようこそ」がかなり長く(何分どころではない)続く。そのまま画面が動かず。再起動して先達の指示などを参考にして、あれこれ(例えばF8キーを押す)試みてもダメ。ますます事態は悪化(したのだろう)。PCにしてみればごちょごちょやりすぎだろ、爺さん!改善されない。HPで問い合わせてもらちが明かない。相手はおそらくAI。やり取りしても、行き違う。結局、PCを初期化することに、意を決して。昨日、5時間くらいかかって初期化。それで済むはずもなく、なんだかんだ我が家のPC様もご機嫌斜め。何とか再起動はしたが、今度は、メールやウィルス対策ソフトが起動しない。ここまでは、昨日夜。これらは、「明日できることは、今日するな」という原則に則って、今日に持ち越し。今朝。メール。...隅田川・お花見客でいっぱい。満開の桜のもと。ユリカモメもたくさん。曇り空の下。

  • JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

    この先、旧道は、いったん消滅します。国道126号に合流します。バス停「」。「飯倉」=「いいぐら」と読む。(→)※国道の東奥に総武本線「飯倉駅」があります。「飯倉」。来た道を振り返る。左手。右手には「九十九里ホーム病院」。残り少なくなったキンカンの実。国道から左手の旧道へ。バス停「米倉三叉路」。すでに匝瑳市内に入っていました。(←)房総でよく見かける屋根の建物。「高橋本店」。商家らしい建物。バス停「米倉分校跡」。来た道を振り返る。用水路と古仏。「御菓子司処鶴屋」。水準点。9.9m。八日市場の町場に入っていきます。JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その4。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

  • JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

    集落に入っていきます。左角に記念碑?が。田畑が広がります。山裾沿いに家並みがあり、東側には田んぼが続く。立派な門構え。水準点。かつては重要な道筋だったことが分かります。標高7.1m。山裾では畑作業。直進。けっこう新しいのおうちが目立ちます。農道の向こうに「総武本線」。↓長い路地の先のおうちの佇まい。旧家らしい雰囲気。左手の奥にも。満開の真っ白な花。梅ではなさそう、いったい何という木でしょうか?隣では宅地?の造成中。「子安神社」の常夜燈。田植えに備えて?「お菓子のたいよう本店」。昭和26年創業、千葉県匝瑳市(そうさし)を拠点に近隣市町村に5店舗の直営店を運営している、地元の小さいお菓子屋です。落花生せんべいをはじめ、どら焼き、苺大福、慶弔まんじゅう・赤飯などの和菓子から、バウムクーヘン、マドレーヌ、クッキー...JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その3。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

  • JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

    旧道らしいカーブが続く。踏切を越えます。「第二千葉銚子街道踏切」。総武本線・銚子方向。西方には田園風景が広がる。国道126号に合流します。この付近、旧道が失われています。「横芝光IC入口」。国道からすぐ旧道に入ります。左に「銚子連絡道路」造成中。歩いた後、「横芝光町芝崎(横芝光IC)~匝瑳市横須賀(県道八日市場野栄線)」が3月31日に開通しました。この向こうに進みます。「銚子連絡道路」。「国道126号」のバイパス的役割。この付近の今昔。(1880年代)大きな沼を巻いて北へ進む旧道。(現在)沼地を埋めて鉄道や国道が建設されている。田んぼが広がります。「成田国際空港」を離陸した飛行機の姿が(↓)。田植えの準備が進む。JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その2。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

  • JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

    「横芝駅」。銚子往還4日目。あと何日で銚子までたどりつけるか?3月24日(日)晴れ。ところで、横芝光町(よこしばひかりまち)千葉県の北東部に位置し、山武郡(さんぶぐん)に属する町。成田空港の南側、九十九里浜に面する自然豊かな町で、千葉県内の町村では人口規模が最大。現・九十九里町にて生誕した伊能忠敬が、現・香取市佐原に婿養子にいくまでの少年・青年期を過ごした町としても知られている。千葉県北東部に位置し、千葉市から約35キロメートルの距離、東京都の都心から60-70キロメートル圏内である。太平洋に面し、九十九里浜および九十九里平野のほぼ中央に位置する。町の北部は標高が高い場所もあるが起伏は大きくなく、中央部を九十九里平野最大の河川である栗山川が流れている。2006年(平成18年)3月27日に匝瑳郡光町と山武郡...JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その1。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

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