chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
おやじのつぼ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/11/07

arrow_drop_down
  • 成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

    しばらく国道歩き。「→東庄町役場・・・」直売・苺狩り。営業中の「林いちご園」。バス停「菰敷青年館」。横道に入ると、水田が広がる。遠くに「筑波山」(↓)。「笹川」。右手奥に、「レストランだんだん」。若い娘さんが幟を立てていたので、「さりげなく」声をかけて先に進みます。バス停「一本松」。大きな石碑。「日本名山霊地巡拝大乗修養碑」。この隣の塀の中に、「水準点」。海抜4.4m。直線の道が続く。バス停「寺前」。左手奥に「忠魂碑」。右に「新宿青年館」。お店が並ぶ交差点に。山裾には住宅地が広がっています。高速バス「橘」。「バスターミナル東京八重洲」行きのバスの停留所です。「利根川大橋入口」交差点。右手では県道の拡幅整備工事中。「←常陸川大橋鹿嶋↑利根かもめ大橋銚子」。(現在)南東から接続する県道は未完成。成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

  • 成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

    天保水滸伝。歌川芳虎〈1828~87頃〉「於下総国笠河原競力井岡豪傑等大闘争図」(「城西国際大学水田美術館」より)さて、街道歩きに戻ります。「桁沼川」(下流方向)。上流方向。「国道356号(利根水郷ライン)」に合流します。来た道を振り返る。通りの向こうに石塔。近づくと「飯沼観世音江五里」。残り20㎞。成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

  • 成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

    5月17日(金)。快晴。今回「椎柴駅」まで行く予定でしたが、一つ手前の「下総豊里駅」で終了。あと1日でゴールの銚子・飯村観音までたどり着けるか、微妙に。成田線「笹川駅」。素朴な駅舎。アーケードをくぐって街道に復帰。「御大典記念築堤」碑。「諏訪神社(大神)」境内。坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、悪神退散を祈願して建てた一祠が当社の始まりとされ、大同2年(807年)に創建されたといわれており、須賀山明神とも称された。東国鎮護の神社として国司武将等の崇敬篤く、特に大江維時は社殿を造営し、源頼朝は建久2年(1191年)東重胤に命じて社殿を改築した。その後天正19年(1591年)に徳川家康が朱印地10石を寄進し、享保3年(1718年)には神階正一位を授けられた。当社の春の例祭には、神前の神楽殿で「笹川の神楽」が演ぜられ...成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

  • JR「船橋」~「銚子」~銚子電鉄「犬吠」。その2。(「銚子街道」番外編。)

    車両の顔。「澪つくし号」。※澪標(みおつくし)通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭。水深の浅い河口港に設けるもの。古来、難波のみおつくしが有名。和歌では「身を尽くし」との掛詞で用いられることも。「わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王「小倉百人一首」)この電車。マニアの方にはどこで使用されていた車両かはご存じでしょうが、・・・。終点・外川に向けて走り去る電車。ホーム。「最高だぜ!ちょうしアイドルマスターSideM」。「ありがとうとかわ」。駅前広場。駅舎。「犬吠埼灯台」に向かって歩きます。右手の眼下に大海原が広がってきます。「銚子グランドホテル」。高浜虚子句碑。犬吠の今宵の朧待つとせん左手奥に「犬吠埼灯台」。周辺観光案内図。郵便ポストも白色。上に上るか?い...JR「船橋」~「銚子」~銚子電鉄「犬吠」。その2。(「銚子街道」番外編。)

  • JR「船橋」~「銚子」~銚子電鉄「犬吠」。その1。(「銚子街道」番外編。)

    「佐原銚子街道」がまだ完歩していませんが、その前に、一番小さな孫と銚子電鉄で犬吠埼灯台まで。5月25日(土)。曇りのち晴れ。父親のザックだそうで、大きく、重そう。行きは、特急「しおさい」。帰りは成田線経由で京成電車。半日の慌ただしい旅。孫も小型のカメラで撮っています。こちらは、それを気にせず、地域鉄道の鉄道事業経営は時代の流れと共に年々厳しさを増しております。弊社は幾度とない経営危機を迎えましたが、どんな逆境にもあきらめない想いと、ぬれ煎餅の製造販売に代表されるような、常識にとらわれないチャレンジ精神で、必死に鉄道事業を守り続けてきました。⇒倒産の危機を救った奇跡のぬれ煎餅銚電ストーリーはこちらをクリックしてご覧ください。⇒奇跡濕仙貝(ぬれ煎餅)物語也是拯救銚子電鐵從因財務困境而差點倒閉狀況中起死回生的最...JR「船橋」~「銚子」~銚子電鉄「犬吠」。その1。(「銚子街道」番外編。)

  • 成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

    「第二佐原銚子街道踏切」。「笹川駅」方向。「小見川駅」方向。「国道356号(利根水郷ライン)」。右手に「高橋いちご園」。この地域でも、房総特有の槇の生け垣が続きます。タイヨー東庄店。向こうに水田が広がる。利根川の対岸には、鹿島臨海工業地帯(神栖)の高い煙突群。バス停「新切(しんせつ)」。雪洞風の街灯。右手奥に「笹川駅」。今回はここまで。駅に向かいます。「水の里風ロマン東庄町」というアーケード。成田線「笹川駅」。駅前の広場。右手の駐輪場にあるモニュメント。タイトルは「積雲の彼方へ」。葉と人と鳥が融合したかたち。足下に、「天井にツバメのお家があります。ご注意下さい。あたたかく見守ってね」見上げると、小見川とここと、ツバメに出会いました。跨線橋から。銚子方向。南東側。上りホーム。次回はこの駅から。成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

  • 成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

    左折し、直畝道を進みます。この道筋は大きな桝形(曲尺手)?街道沿いに集落。この付近の今昔。(現在)左折した後、成田線沿いに進む。(1880年代)阿玉川の集落。舟運のための道が見える。広く大きな屋敷。「飯沼観音江六里」。銚子駅まであと24㎞弱となります。ということは、あと6時間。軟弱な小生。あと2.5日ペース。成田線沿いの直線道になります。左手下には水田が広がる。眼下は成田線の線路。「黒部川」、その向こうに「利根川」。北西遠くに「筑波山」(↓)。利根川歩きのときは、筑波山を眺めながらの歩きでしたが、振り返るときにのみ。「東庄(とうのしょう)町」に入ります。成田線。右手は森。色褪せた看板。「ようこそ東庄へ。これよりいちご街道」。成東駅から歩いたときにも「いちご街道」がありましたが、東庄町でもイチゴ栽培が盛んな...成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

  • 成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

    国道356号に合流します。左折し、国道歩き。この通りが「(旧)佐原銚子街道」になっています。頭上を何羽ものツバメが飛び交っています。このお店の「デ」の上に巣がありました。(↓)近所の工場に毎年、ツバメがやってきましたが、近年はまったく見なくなりました。久々のツバメの姿を見ました。ツバメ(「Wikipedia」より)・・・「燕尾服」の由来となったオスの尾羽は長ければ長いほどモテる?!全長17cm。オスメス同色ですが、尾は長い方がオスです。空中を飛んでいる虫を餌にしていますので、農薬を使っていなかった昔は稲作の害虫を食べてくれる大切な鳥でした。そのためツバメを大切にするような言いつたえが各地にありました。日本で繁殖をしたツバメは台湾を経由してフィリピン、マレーシアで越冬する事が知られています。ツバメは南の国か...成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

  • 成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

    古代、小見川の大部分は海であり、陸地部には縄文人が住み着いていた。そのため現在でもその地域には貝塚が多数存在している(白井、阿玉台、木内、内野、良文等)。4〜6世紀には、日本の他地区と同様、小見川でも古墳が作られた。100基程見つかっており、代表例として三ノ分目大塚山古墳や、城山古墳群が挙げられる。鎌倉時代に入ると、千葉氏の勢力が強まり、その一族である粟飯原朝秀が小見川城を築いた。一方で、西地区の一部(織幡など)は香取神宮が領有を主張していた。粟飯原氏はその後も、源氏、足利氏、北条氏と密接に関わり地域を支配していた。しかし、やがて千葉氏の勢力が衰え、天文21年(1552年)に正木時茂により小見川城が攻略されると、粟飯原氏一族は離散した。また、香取神宮も天正19年(1591年)の太閤検地によって多くの社領を...成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

  • カルガモ4羽。梅の実も大きく。かるみや。やまあじさい。緑が濃くなった「向島百花園」。立葵。

    すっかり緑が濃くなった「向島百花園」。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1d/e850474d7fc25041cfe89b7957dbcd85.jpg">5月18日(土)。このところ、不思議と土曜日に晴れるの日が続きます。その後のカルガモは?いました!2組のつがい?池を思い思いにスイスイ。あやめ。水辺も初夏らしく。梅の実も大きく、色づきつつ。「とうばい」。「しろかが」「べにすずめ」。「かるみや」。カルミアはコンペイトウのような形をした、色濃い蕾を持っています。花が開くと皿形になり、色は薄く模様が入って、蕾の様子とは全く異なった印象を受けます。開いた花をよく見てみると、雄しべの先は花弁のくぼみの中に収まっています。この雄しべは、飛来した昆虫など...カルガモ4羽。梅の実も大きく。かるみや。やまあじさい。緑が濃くなった「向島百花園」。立葵。

  • 成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

    用水路脇を歩きます。明照保育園。左手が開けてきます。と、そちらを眺めながら歩いていたので、「飯沼観音七里道標」を見逃してしまいます。「COCO'S小見川店」と反対側の国道沿いにあった!「城山公園」に向かう道の角に、「御大典記念碑」。「北大倉村津之宮方面西分郷神里村方向」「東小見川町笹川町銚子町方面」※1928年(昭和3年)11月10日、京都御所で挙行された昭和天皇の即位式を記念したもので、全国にある。この石碑は道標にもなっている。※「城山公園」城山の名前のとおり鎌倉時代から戦国時代末期にかけて、豪族粟飯原氏の城が築かれたところで、今でも城跡の一部が残っているほか、古代の古墳群もあります。現在では70種余り、約6,000本のさまざまな樹木が植えられ、四季を通じていろいろな花木が楽しめる公園となっています。中...成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

  • 成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

    5月10日。快晴。佐原銚子街道歩きの続き。水郷駅。下車客1名。「一の分目(いちのわけめ)」※地名は新田開発に伴う地割に関係するものと思われます。「三の分目(さんのわけめ)」という地名も同様か。この付近の今昔。(現在)現在も水田が広がる。赤い線が「国道356号」。(1880年代)街道は、集落に沿って続く。利根川は、周囲の河川、沼地などで流路が狭くなっていた。後、大規模な河川改修がなされ、現在のような流れに。バス停「水郷駅」。右手に「前方後円墳」。「三ノ分目大塚山古墳」。解説板。香取市一ノ分目・三ノ分目・富田地区の利根川に沿った微高地上には10基以上の古墳が確認されており、「豊浦古墳群」と総称されている。中でも最大の本古墳は、墳丘の全長が123mの前方後円墳で、後円部の径68m、高さ9.5m、前方部の幅62m...成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

  • JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

    狭い歩道。家などのところでは下りたり上がったりで、けっこう膝にこたえます。車の行き来も多い。車道を歩いたり、歩道に上がったり・・・。もうじき「水郷駅」のはずですが。右手に立派な長屋門。左手には「旧大倉小学校」。2022年3月末をもって、香取市立大倉小学校(千葉県香取市大倉501)が閉校します。1879年に千手院を仮校舎として大倉小学校が創設。ここが当校の創立起源となります。水田地帯が広がる自然環境に恵まれた同校は、児童数35名の小規模校。この地域では梨栽培が盛んなため、学校の校庭でも梨が育てられています。自然と触れ合う授業が多いことでふるさとを知る機会となっているそうです。また授業間の時間には縄跳びを行ったり、昼休みに「ロング昼休み」を実施したりと楽しく体力づくりにも励んでいます。143年間に渡りこの地区...JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

  • JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

    右手、線路の向こうは丘陵。成田線・国道356号は台地の裾を縫うように進む。バス停「側高(そばたか)青年館」。この先に、「側高神社」の大きな看板。左手は利根川堤に続く田んぼ。水準点。これも民家の敷地内にある。「海抜2.0m」。「側高神社入口」。奇祭「髭撫祭(ひげなでまつり)」で知られる側高神社は、香取神宮第一の摂社です。香取神宮の祭神である経津主命と縁故の深い神を祀った神社ですが、その主祭神は神秘とされて明らかにされていません。鳥居をくぐって拝殿へと向かう石段の脇には、「四季の甕」と呼ばれる石段が並んでいます。石段の側から春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕といい、夫々の甕の水量が四季折々の降水量を示すとされています。この神社は利根川を見下ろす台地に建立されていますが、はるか昔は香取ヶ浦と呼ばれる広大な内海が眼下...JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

  • JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

    田植えの時期。来た道を振り返る。バス停「かわじり橋」。「川尻」。利根川沿いに進んできた国道356号「利根水郷ライン」に合流。国道に入ってすぐ左手に、「香取神宮一ノ鳥居(津宮鳥居)」。ここは、利根川歩きのときに立ち寄っています。大鳥居と「与謝野晶子歌碑」があります。バス停「津の宮」。国道356号線「利根水郷ライン」を進みます。この先からは、利根川河畔と少し離れていきます。この国道は、銚子・小見川・対岸にある鹿島臨海工業地帯への幹線道路。大型トラックなどがひっきりなしに行き来します。路肩も狭く、けっこう歩くのに苦労します。信号も少なく、スピードを出して通り過ぎるので、恐い!バス停「香取駅」。駅までは、かなり歩きます。バス停「堀川」。遠くに鹿島線の利根川橋梁。「鹿島線」の高架をくぐります。振り返ると、右に「鹿島...JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

  • JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その3。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

    「香取神社入口」交差点を左折します。交差点を振り返る。右手が佐原の中心街。すぐ右折。枡形(曲尺手)になっていて、「佐原宿」から離れていくことになります。この道「佐原銚子街道」を香取駅を経由、水郷駅へ。「御神燈」。「○内安○」。香取市のマンホール。市の花「アヤメ」の咲く水郷での鮒釣りをデザイン。※2006年3月27日に佐原市、香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、香取市となった。バス停「仁井宿(にいじゅく)」。仁井宿は佐原で最も古い町内の一つです。嘉永5年(1852年)に製作された2代目の漆塗りの幣台(やだい)は、完成から既に150年近くが経過しており傷みが激しくなりましたので、平成10年の春に現在の幣台(やだい)が新造されました。仁井宿では3代目の幣台(やだい)にあたります。飾り物は「大鷹」です。この巨...JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その3。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

  • JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その2。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

    看板建築の一つ。木造モルタル造り。なかなかおしゃれです。メインストリートに向かいます。蔵造りのお店が並んでいます。この界隈は、以前来たときに歩き回りました。今回は、あっさりと歩きます。観光客もたくさん。外国人の姿も結構見かけます。(伊能)「忠敬(ただたか)橋」。「小江戸さわら舟めぐり」で有名な「小野川」。これから先、佐原は、「あやめ祭り」でも賑わいます。「佐原銚子街道」を歩きます。「さわら十三里屋」。栗(九里)より(四里)うまい芋製品。※「くりよりうまい」は、埼玉・川越が江戸(中山道・板橋宿)より13里(半)の距離があることになぞらえたうたい文句ですが、このお店の屋号にもなっているわけです。重厚な土蔵造りの建物が連なります。「癒しの雑貨らぱん」。「佐原三菱館」。レンガを積みあげて建てられた2階建ての洋館で...JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その2。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

  • JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その1。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

    まだまだ「銚子往還」歩きが続きます。今回から「佐原」~「銚子」まで。「東金線」、「総武本線」を利用しての銚子往還。今回から「成田線」を利用しての銚子街道となります。銚子街道起点:我孫子市寿1丁目旧水戸街道我孫子宿、成田街道我孫子ルート重複終点:銚子市飯沼町「観音前」交差点国道356号が現在踏襲している利根川沿いに整備された街道である。なお、厳密に起点は決定されておらず、木下街道と接続する木下付近を起点とする説や佐原を起点とする説もある。江戸時代には我孫子宿(我孫子市寿1丁目16、追分石碑)で旧水戸街道と接続していた成田街道(印旛郡栄町安食「安食」交差点までの国道356号の一部、県道18号・松崎街道)と共に印旛への輸送路・開発路として役割も果たした。また、水運と共に発達し、明治期には水戸街道(現在の国道6号...JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その1。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

  • 旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その6。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

    国道沿いにある「イオンモール銚子」。ここまで歩きました。大型店舗で、駐車場もけっこう満車。ここから銚子駅へのバスに乗り、「春日町」バス停で下車。国道126号から右、直線の旧道を歩きます。街道沿いらしい町並みではありません。総武本線「清川町踏切」。銚子駅方向。この道をまっすぐ進むと、佐原方向からの「銚子街道」と合流します。右に折れて銚子駅前へ。銚子駅。「国木田独歩」碑。交差点を右に曲がると、水準点。銚子の街歩きはここまで。発車時間が近づき、銚子駅に向かいます。(何しろ1時間に1本なので逃すとタイヘン!)総武本線の車窓より。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/58/dec68f121473859c6ee11ba415f6647d.jpg">利根川沿...旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その6。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

  • 初夏の「向島百花園」。緑が一段と濃くなってきます。カルガモたち。

    久々の「向島百花園」。年間パスポートを購入(280円)。緑が濃くなった百花園。スカイツリー。カルガモの姿。何羽もカルガモがいます。番が何組か。百花園の池は一組の親子が棲みつくだけ(のはず)。今年は、どういうわけ?先陣争いなのでしょうか?去年の雛が成長して戻ってきて・・・「楽焼づくり」。梅の実。みやこわすれ。ばしょう。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/66/b001f26fb25e6ef0be2e76bb468ecd6b.jpg">新しい葉っぱが。初夏の「向島百花園」。緑が一段と濃くなってきます。カルガモたち。

  • 旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

    風力発電所。畑の向こうに。振り返る。ダイコン畑。広大な畑地と風力発電所。収穫時期の異なる畑。ソバの花。風車から次第に遠ざかる。住宅地に入り、正面を左折。国道126号に合流します。銚子方向。旭方向。「イオンモール銚子」に向けて歩きます。この付近の今昔。(現在)国道への道が不明になっている(1880年代)集落はなく、田畑の一本道。旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

  • 旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

    キャベツ畑が広がる。集落はまだ先まで続きますが、銚子往還は右折します。ここで右に折れます。急坂を下ります。振り返る。頭上に、道を横切るように、しめ縄、タコ(右)やイカ(左)などの作り物が渡されています。「道切り」。道切り(みちきり)とは、村(地域)の出入り口にあたる道や辻で行われる民俗習慣のひとつ。辻切り(つじぎり)とも称される。日本の村落においては、村と山の境界にあたる野良(ノラ)、あるいは村と村の境(サカイ)には古くから魔や疫病をはやらせる神などが出入りすると考えられていた。出入り口にあたる道には魔を防いだり、追い払うために道祖神が祀られたり、注連縄(または藁で作った蛇)を張ったり草履や草鞋が供えるなどの道切りが行われていた。関西地方では近畿地方を中心として、村境や辻、寺社の境内などに注連縄を渡す勧請...旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

  • 旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

    「磯見川」に向かって下ります。来た道を振り返る。けっこうな急坂です。左手小高い丘の上に、「日本ペット診療所」。右手遠くに海。かつてはもっと向こうに陸地が続いていたのでしょうね。ソバ畑。白い花が咲いています。「磯見橋」。河口付近に「通蓮洞」がありました。・・・今回ご紹介する「通蓮洞」は、「磯見川」の河口付近にある「洞窟(どうくつ)」のことで、「名所」として賑わい、「通漣洞」、「通漣坊」、「潮漣洞」とも読み書きしていました。「千葉縣海上郡誌」の「潮漣洞」の「項」には、「豊岡小浜磯見川の河口にあり、一名「通漣坊」ともいう。潮汐(ちょうせき)沿岸を洗い、岩石為めに穿(うが)たれて一の大なる竈(かまど)形の空洞を生ず。一洞崩壊すれば、随(したがって)って一洞を生ず。世俗之(これ)を「延命淵」と称す。数十年前には、川...旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

  • 旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その2。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

    静かでのどかな道。谷戸の風景。田んぼや畑。多摩丘陵、三浦丘陵、狭山丘陵、房総丘陵、武蔵野台地、下総台地といった関東の丘陵地・台地の縁辺部が、長い時間をかけて浸食され形成された谷状の地形は、谷戸・谷津・谷地などと呼ばれている。これらの表記および読みは地域により分布に差が見られ、同様の地形を表す際にも、千葉県などでは「谷津」(やつ)を、神奈川県および東京都多摩地域では「谷戸」(やと)または「谷」(や)を、東北地方では「谷地」(やち)を使う場合が多い。これらの経緯については史料が少なく詳細は分かっていないが、いずれの場合も意味は同じで、浅い浸食谷の周囲に斜面樹林が接する集水域であり、丘陵地の中で一段低くなった谷あいの土地であることを表している。多摩丘陵・三浦丘陵における谷戸地形の成因は、主に約2万年前の最終氷期...旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その2。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

  • 旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その1。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

    今回から、もう一つの銚子往還道(「従銚子港至千葉町道」)を歩くことにします。旭駅からコミュニティバスに乗って刑部灯台の手前まで。そこから銚子駅を目指して歩きます。途中から国道126号を歩くので、国道沿いにある「イオンモール銚子」まで歩き、そこから千葉交通バスに乗ることに。旧道の今昔。(現在)上永井から東北に向かい、小浜町から三崎に向かう道が旧道。※通蓮洞は、すでに崩壊している。(1880年代)「従銚子港」「至銚子港」として存在している。立体地形図だと、台地の縁を旧道が通っている。・・・さて歩き始めます。「海抜59.6m」。右手にキャベツ畑が広がります。左手は住宅。時折、農作業用の軽トラや耕運機が通るだけ。一面、畑やハウスが広がる。この道が下の畑に下りる道?遠くに田畑が。旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その1。(「銚子往還」をゆく。第8日目)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?

ハンドル名
おやじのつぼさん
ブログタイトル
おやじのつぶやき2
フォロー
おやじのつぶやき2

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用