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2022/11/07

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  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    東武線のガードをくぐって先に進みます。越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)東武線鉄橋方向を振り返る。左岸のようす。桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。ところどころ、花壇があり、ベンチなどもあります。前方に「神明橋」。中央の車道部分は古そうなトラス橋振り返る。この橋を渡り、左岸に移ります。桜並木の下。河川敷には耕作地が広がっています。対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。前方には「出津橋」(人道橋)。文教大学越谷キャンパス。出津橋。学生たちが通行中。今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    元荒川歩きを再開します。カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。※伏越(ふせごし)用水施設や排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの。用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)振り返る。右が葛西用水。「新宮前橋」。「宮前橋」。「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。東の方に「久伊豆神社」があります。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    「溜井(逆川・葛西用水)」。花しょうぶが満開。「元荒川」。「越谷市役所」・「越谷市中央市民会館」が見えてきます。「平和橋」(葛西用水)「新平和橋」(元荒川)。越谷市中央市民会館。平和橋・新平和橋。いったん、東武伊勢崎線「越谷駅」に向かい、小休止。「越谷・松伏水道企業団」のマンホール。「越松水」「仕切弁」。※越谷市の花、松伏町の花が共に菊です。旧日光街道。日光街道歩きのときに通過しました。日本橋から3番目の宿場・越谷宿。越谷駅。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    右岸の河原。「瓦曽根堰(かわらぞねせき)スポット広場」。正面は、「しらこばと橋」。解説板。「葛西用水」の成立享保(1719年)すでに開削されていた幸手領用水(万治3年1660年)の利根川の川俣圦樋が増設され、琵琶溜井・松伏溜井・瓦曽根溜井・亀有溜井を連結させた十ヶ領、三百村、領石高13万3千石(年貢米)の大用水が成立し、葛西用水と呼ばれた。「葛西用水」流路図。「利根川」から取水された「葛西用水」は、「大落古利根川」、「逆川」を経て、ここまで流れ、この後は、「元荒川」から離れ、八潮市、足立区、葛飾区、墨田区まで続くことになります。※「溜井」は河川を堰き止めて洪水対策や農業用水とした施設。近世初頭に瓦曽根溜井が建設され、中期以降に石堰が設けられた。中土手(元荒川と溜井を分ける土手)には竹を植えたり畑があった。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    右岸沿いに大きく広がる「遊水地」。南方に「越谷レイクタウン」があります。「越谷レイクタウン」の今昔。(現在)大規模な商業施設、住宅地となっている。(1970年代)ほとんど、田んぼや畑であった。※市街化調整区域左岸の大きな建物。「越谷東高校」。舗装された道なので、照り返しがけっこうキツイ。早く木陰の下に。ほっと一息。「大相模スポット広場」。所々にこうした小公園風な施設がある。「不動橋」が見えはじめる。「不動橋」のたもとに、「相模町スポット広場」。木陰が涼しい。水分補給などで小休止。「元荒川緑道(下流部)散策案内」。来た道を振り返る。「不動橋」。※「不動橋」の由来は沿岸にある「大聖寺(大相模不動尊)」から。「しらこばと橋まで1,050m」。「動端落し(どうばたおとし)スポット広場」。流入口。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • 雨降りの午後・日曜。「向島百花園」。アジサイ。リンドウ。ハンゲショウ。カルガモ・ヒナ。オナガ。・・・

    雨降りの午後。向島百花園。アジサイには、雨が似合う。降ったりやんだりのお天気。入園者も少なく、のんびりと散策。ヤマユリ。リンドウ。ハンゲショウ(半夏生)。ネムノキ。カザグルマ。カルガモたちはどうなったか?四阿で雨宿りをしていると、現れました。親鳥とヒナたちがスイスイと水面を。ヒナは、合計7羽。親鳥のあとをついていきます。正面の叢に。雨脚が強くなってきました。親子であちこちウロウロ。天敵の野良猫がうろつかないうちに。ヒナたちが叢の中に。そのうち姿が見えなくなりました。さて、帰ろうかとすると、「オナガ」が。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/0f/35390b3509d0b0685431b98cec8dc837.jpg">※オナガ水色の美しい鳥実を...雨降りの午後・日曜。「向島百花園」。アジサイ。リンドウ。ハンゲショウ。カルガモ・ヒナ。オナガ。・・・

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    中川の一つ上流にある「吉川橋」。その先で、元荒川が中川に合流する。左手が「元荒川」、右手が「中川」。付近は、工事中。左手に「中島橋」。越谷市内のマンホール。「越松水消火栓消防士ガーヤちゃん」。越谷特別市民「ガ-ヤちゃん」が消防士にふんしたデザイン。元荒川の最下流に架かる「中島橋」。中川方向を望む。上流に向かって歩き始めます。右岸の「元荒川緑道」を歩きます。「飯島排水機場」からの流れ。その先に「大成スポット公園」。緑道には、休憩ベンチ・簡単な運動器具・トイレなどが整備されています。左手に土手状の盛り土が続いています。この付近の今昔。(1880年代)元荒川沿いの微高地で自然堤防が形成されている。(現在)住宅地や畑地などになっている。土手沿いに水路。対岸のようす。国道4号線・「大成橋」。「水道管橋」その先に、「...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

    今回から「元荒川」を「中川」との合流地点から水源まで遡ることにします。ただ流域は暑さが並みではないところ。熱中症に気を付けながら、歩く距離も短めに。5日くらいかけて歩くつもり。また上流は最寄り駅が遠いので、バスを利用する予定。本数があまりなさそうですが。「元荒川」現在、埼玉県熊谷市久下にある熊谷市ムサシトミヨ保護センター内に源を発する。おおむね南東方向に流れ、行田市、鴻巣市、久喜市、桶川市、蓮田市、白岡市を経由する。途中、鴻巣市袋付近で武蔵水路と、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で見沼代用水と立体交差する。白岡市西付近で星川が合流すると川幅を大きく広げ、さいたま市岩槻区を経由し、越谷市中島で中川に合流する。かつての元荒川は1955年(昭和30年)頃までは荒川扇状地の湧水を水源としていたが、高度経済成長期に水源が...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

  • ソウタとあんず。我が家の猫たち。

    6月16日(日)。13回忌法要を済ませて、帰宅。息子夫婦から父の日のプレゼント。やはり、ビール。サントリーのセット。箱から出した途端、ソウタがすぐ、底の浅い箱に入っています。よほど箱好きなようです。入りきれないしっぽ。そのうち箱もつぶれて、そして、昨日。この格好は?頭は?しっぽは?<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/45/37d01859d03c8e7e1fc05c60f5915302.jpg">ソウタ。家人が出かけると、ジジを咥え、雄たけびをあげながら、家の中を走り回るようです。帰ってくると、必ずジジがそばに。家に来たときはこんな小さかったソウタ。ふだんは、一方のあんずは3歳になっても大きくなく、「可愛いわね」と声を掛けられる存在。家人の姿が...ソウタとあんず。我が家の猫たち。

  • 成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

    賑やかな町並みに入ります。漁港らしいお店なども。「鈴木海苔株式会社」。しばらく進み、「国道356号」に合流し、「銚子大橋」に向かう交差点へ。左に「銚子大橋」。利根川最下流の橋。ここが「銚子往還(飯岡灯台~)」との追分になります。総武本線「旭駅」の先で二手に分かれた「銚子往還」。松岸町での追分と併せて二カ所の追分にたどり着きます。右に行くと「銚子駅」。この先は、前回、行きました。しばらく歩いた左手に「飯沼観音」(今回の「佐原銚子街道」のゴール)があります。ここまでで旅の終わりとします。この「あぶら屋」さんも関連がありそうです。銚子駅から成田線で帰途につきます。「下利根漁業協同組合」。利根川一帯も漁業の盛んな土地柄であることがわかります。「下総豊里」駅。この駅で下車して「佐原銚子街道」を歩きました。約12㎞。...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

  • 成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

    「松岸」。ここを右に曲がって進むと、「松岸駅」に。「松岸駅」は「総武本線」(千葉~銚子)と「成田線」(成田~松岸)が合流する駅。「金井商店」。街道筋らしいお店。実は、この道は利根川歩きのとき、土手が工事中のため、途中から通った道です。利根川の土手に行ってみましたが、相変わらず工事中(何年越しでしょうか)でした。この先、街道から少し右に入ったところに、石碑「飯沼観世音江一里」。残り4キロ。残りわずかに。石仏などが一か所に集められています。銚子市のマンホール。図柄は「犬吠埼灯台」と「カモメ」と市の魚「イワシ」。利根川沿い・銚子港の一角。街道に戻ると、「木内旅館」。この先、桝形になっています。この付近の今昔。(現在)〇が桝形の部分。赤い線が国道356号線(利根水郷ライン)。(1880年代)街道は利根川・銚子港沿...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

  • 成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

    しばらく進んだ右手に、石碑「飯沼観世音江二里」。あと8キロ。その先、右手に入る道が旧道です。田畑が広がります。遠くには風力発電所。国道356号線に復帰。田んぼが広がる。右に入る道も旧道のようですが、省略し、国道をそのまま進みます。「高田川」。利根川方向。上流方向。バス停「余山(よやま)」。「余山貝塚」は、利根川に注ぐ高田川東岸の標高約7メートルの浜提上の集落によって形成された長軸約140メートル、短軸約70メートルの広がりを持つ貝塚です。貝塚は縄文時代後期から晩期を中心にして形成されていますが、弥生、古墳、奈良・平安時代に至る遺構や遺物も出土しており、原始から古代の長期間にわたって継続した遺跡です。余山貝塚は明治時代中ころから多量の人骨や遺物が出土することで考古学界に知られるようになり、考古学史上著名な貝...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

  • 成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

    銚子市立椎柴小学校。見事な槙の生垣。右左折します。桝形のような形状の道筋ですが。かつては利根川沿いの道だったので、それと関連があるか、と。庭一面に「かきつばた」。バス停「野尻」。左手に大きな長屋門が見えてきます。「滑川家住宅母屋・長屋門」。滑川家住宅主屋滑川家住宅は集落内で最も有力な家のひとつで江戸時代には、代々「藤兵衛」を名乗っていました。主屋は奥行が深く、座敷部を別に構えるなど規模が大きくその家格を示していることに加え、座敷部の室内意匠や仕様を上級武家住宅風になっています。多くの河岸問屋が存在していた野尻河岸において、明治6年(1873)に建てられた主屋が現存し、舟運で栄えた集落の往時の様子を示す家として貴重な存在です。近年においても薬局店、塩、煙草商店として広く地域住民に親しまれた歴史が伺えます。滑...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

  • 成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

    周囲に広がる田園地帯を、「成田線」上り電車が通過中。左手に牛舎があります。真っ黒な体に目が光る。久々に見ました。バス停「」。家並みが続くようになります。落ち着いた街並み。石碑。忠魂碑?詳細不明。地元の方はおわかりでしょうが。遠くの踏切を下り電車が通過中(↓)。久々に木漏れ陽の中を歩きます。水準点。海抜6.8m。この付近、小さなな上り下りがある道筋。風力発電所の風車が見えます。「利根かもめ大橋有料道路」。利根かもめ大橋は、利根川に架かる利根川河口から数え2番目の橋です。慢性的な渋滞が激しい銚子大橋の混雑解消と、千葉県東総地域と茨城県鹿行地域を結ぶ幹線道路として両県の地域発展に寄与するものです。(この項、「」HPより)この先、道はジグザグに進みます。この付近の今昔。(現在)ジグザクな道筋。利根川の流域整備がさ...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

  • 成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

    6月8日(土)。晴れ。「佐原銚子街道」の最終回(むりやり)。「下総豊里駅」。跨線橋からの眺め。「利根川」を望む。さすが大河。佐原方面を望む。街道に復帰します。田園風景が広がる。千葉交通バス停「森戸西」。一日朝夕2本ずつ。15分くらい歩いた右手に、石碑「飯沼観世音江三里」。「水準点」=海抜10.0M。個人のお宅の一角にあります。ゴールまで約12㌔。道なりに左にカーブ。成田線の踏切を渡ります。「第三佐原銚子街道踏切」。下総豊里駅方向。椎柴駅方向。利根川に注ぐ小川。けっこう深い谷になっています。右手が開けてきます。振り返る。バス停「忍町」。忍町の集落に入っていきます。露地でイチゴの栽培。日本人に交じって、若い外国人労働者が手作業していました。眺めていると、長く伸びた芽(枝?)を手で取って、小さな鉢に移し替えてい...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)

  • 我が家の猫たち。あんず・ソウタ。その2。マロン。(附)ベイブレード。(Days with Cats)

    椅子の下、頭がぶつかるアンズ。細長い箱では、何となく不安そう。2階にも1階にも箱がいくつも置いてあります。「取扱注意」。箱が壊れそう。小学生の孫たちが遊び疲れた、この中にも。右奥にベイブレード。ところで、孫たちがはまっている、この遊びは?「ベイブレードX」。『ベイブレードX』という名前のオモチャと言うのか遊び道具というのか、これを説明するには少々時間がかかるかもしれません。もともとは当時の『ベーゴマ』が発祥で、現代版のベーゴマといってしまえばそれでおしまい・・・では面白くないので、ちょこっと調べてみました。大体ベーゴマってなんや?と言うところから調べてみると面白いことが分かりました。・・・それは、江戸時代までさかのぼります。当時、巻貝の中に砂などを入れてそれをコマのようにまわしてぶつけたりして遊ぶ遊びがあ...我が家の猫たち。あんず・ソウタ。その2。マロン。(附)ベイブレード。(DayswithCats)

  • 我が家の猫たち。久々に。あんず・ソウタ。相変わらず箱好き。その1。(Days with Cats)

    久々の猫たち。「あんず」と「そうた」。小柄のあんず。3㎏。その代わり、相変わらずすばっしこい。なかなか写真に納まりません。洗濯機の中に。そうた。5.6㎏。相変わらず「ジジ」をくわえて、ベッドの上で寝転ぶと、でかい!頭はどこ?<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e6/4f5b0d7c75f32ce66a96b67c6f572b9c.jpg">寝るところ選ばず。納戸。箱好きがますます嵩じて、小さな箱に大きな図体。我が家の猫たち。久々に。あんず・ソウタ。相変わらず箱好き。その1。(DayswithCats)

  • 水元公園。葛飾区菖蒲まつり。開会セレモニー。屋台もたくさん。

    6月1日(土)午前。「水元公園」に出かけました。自転車もたくさん、人もたくさん、出店もたくさん。「葛飾区菖蒲まつり」の開会式が始まるようです。屋台も大賑わい。地元野菜の即売会も大繁盛で、次々と買い求める人々。ところで、花菖蒲の方は?開花は、まだまばらな印象。それでも大輪の花が。開会式の日からいよいよ始まり!今日は、屋台の方に大勢の人。睡蓮の花が池に浮かんでいます。対岸は、三郷市。水元公園にはアジサイもたくさん植えられています。ガクアジサイ。メタセコイヤの森も見事です。樹高が20mにもなるメタセコイアの木々が、晩秋の色に染まる様子は圧巻。森の外縁の日当たりの良い木々は紅葉が進んでいます。ちなみにメタセコイアの紅葉は、赤色ではなく「レンガ色」と表現されます。内側から輝くようなまぶしさを持つ色で、円錐形のメタセ...水元公園。葛飾区菖蒲まつり。開会セレモニー。屋台もたくさん。

  • 堀切菖蒲園。「葛飾しょうぶ祭り」。5月31日(金)。曇りのち晴れ。江戸花菖蒲や肥後などの花菖蒲が種類豊富に。

    ぐずついたお天気も少し回復してきた5月31日。花しょうぶの咲き具合はどうかな、と。愛用の折り畳み自転車で出かけます。まだ5分咲きというところでしょうか?それでも、晴れ間を縫って大勢の見物客が続々訪問。さまざまな花菖蒲が咲き始めています。それぞれに絶妙なネーミング。これはユニークな花のようですが。言いえて妙です。個人的にけっこう気にいった花菖蒲。紫色が目立ちますが、白い花も魅力的。ここで、「あやめ」、「かきつばた」、「花しょうぶ」、「しょうぶ」の違いは?花の基が「白」か「黄色」か「網目」か。「しょうぶ湯」の菖蒲との違いも。育つ場所の違いもあります。堀切三姉妹。「堀切の夢」。「花菖蒲かがやく雨の走るなり」中村汀女全景。綾瀬川をはさんで、首都高の高架線。周囲を住宅に囲まれながらも、よく整備された菖蒲園です。堀切菖蒲園。「葛飾しょうぶ祭り」。5月31日(金)。曇りのち晴れ。江戸花菖蒲や肥後などの花菖蒲が種類豊富に。

  • 成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

    のどかな田園地帯。「この場所は標高10M」。集落に入ってきます。左手線路際に大きな石碑。「銚子市立豊里小学校」。道路脇に「紀念碑(忠魂碑)」(大正7年建立)。「千葉若潮牛」。「豊かな自然と温暖な気候のもとで、心を込めて育てあげました。」左に折れると、「下総豊里駅」。右手にある建物。「銚子速算塾」。以前は、商家だった?「下総豊里駅」。ホームから改札口を見ると、「新国立劇場舞台美術センター」の案内図。ここで製作しているのですね。車窓から広がる水田や麦畑を眺めながら、帰途に。そして、筑波山(↓)。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ee/0356b180eb73f06ceddd43721590257a.jpg">次回は、ゴールしたいと思いますが、なか...成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

  • 成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

    右手、街道脇に「飯村観音江四里」碑があるのですが、確認せずに通り過ぎてしまいます。※(「Wikipedia」より)右手前に「道標」があったはず!実は、「歴史的農業環境閲覧システム」では、この道標付近から、旧道は東に向かい、利根川沿いに進むようになっています。(現在)旧道は線路を越えて東南に進んでいた。現在、道筋は部分的に不明瞭もしくは消失している。(1880年代)顕著な道筋になっている。※1880年代の街道は集落をつないでいる様子です。今回のコースは「下総豊里」付近に顕著な集落があるのみ。今回歩いている道は、そのまま南下する道筋。1880年代の道筋とは、「下総豊里駅」付近で合流します。※「今昔マップ」では、明治後半・大正には、今回歩いた道になっています。「利根川」流路の整備に伴って、新しい道路整備があった...成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

  • 成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

    先に進みます。振り返る。店先にスイカ。今年初めて見ました。それよりも、玉ねぎがたくさん、大きい袋に入ったまま並べられているには驚きました。右手には田畑が広がる。左手に高橋農園・いちご園。来た道を振り返る。道標。「・・・観世音壱丁」。詳細不明。※丁=町約100m。「↑銚子→下総橘駅」。右手の奥、丘の上には、「東庄町国民健康保険東庄病院」・「保健福祉総合センター」バス停「石出」。「トゥーノーイシデショウ(旧東庄町立石出小学校)」。やってみたい!が見つかって、やってみた!が得られる場所千葉県香取郡東庄町では、2020年3月31日をもって、5つあった小学校が1校に統廃合され、4校(石出小学校、神代小学校、橘小学校、東城小学校)の校舎が使われなくなってしまいました。そこで、東庄町出身者を中心に設立されたオンラア未来...成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

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