5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その5。なんじゃもんじゃの木。多摩川五本松公園。海から24.2K。六郷用水取り入れ口。
木が生い茂るところも。その先に、「調布排水樋管」。ランニングロードの距離標示。左手のお店「薪窯ピッツァ」裏手にある「なんじゃもんじゃの木」が満開!ヒトツバタゴ。ナンジャモンジャは、特定の場所に生えている見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称。すなわち、特定の植物の種名ではない。ヒトツバタゴを指すことが多いが他の樹種の場合もある。あんにゃもんにゃとも呼ばれる。「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々である。「ナンジャモンジャ」と称される理由について、民俗学では、元々は占いや神事に利用されていたもので、植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないか、とみる説などがある。一説では、神木の前を通りかかった水戸黄門が「この木はなん...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その5。なんじゃもんじゃの木。多摩川五本松公園。海から24.2K。六郷用水取り入れ口。
京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その4。海から26K。上河原堰・二ヶ領用水中野島取入れ口。
左手に大きなグランド。「電気通信大学多摩川グラウンド」。「海から26K」。「上河原堰」。右岸(川崎側)には、「二ヶ領用水中野島取入れ口(上河原取水口)」が見えます。豪快な水音がします。下流方向。魚道。アユが遡上するようです。この付近の今昔。1880年代のようす。2010年代のようす。先に進みます。対岸。水鳥の姿が。上流を望む。河原が広がる。振り返る。よみうりランド(↓)が遠くに。京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その4。海から26K。上河原堰・二ヶ領用水中野島取入れ口。
京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その3。都県境。ナヨクサフジ。京王閣競輪。多摩川橋梁。
対岸(右岸)を望む。「多摩川原橋」上流から稲城市方向を望む。ここから下流に向かいます。都県境を望む。川崎市側はグランド。水辺の草花。ナヨクサフジ。ナヨクサフジは紫色の花を咲かせるマメ科の越年草。ヨーロッパ原産です。元は飼料として輸入されたものが日本で帰化したと言われています。空き地や河原、その他いろんな場所で野草として見かけることの多い花です。ナヨクサフジの英名はsmoothvetch(スムースベッチ)、あるいはwintervetch(ウィンターベッチ)。vetch(ベッチ)とは、ソラマメの仲間を指す英名です。葉の先端からつるを分岐させて、周囲の植物に絡みつきながら生長します。草丈50cm~1m以上まで大きくなり、よく繁茂します。花付きが良く、花期には紫色の濃淡のある花をいっぱいに咲かせます。ナヨクサフジ...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その3。都県境。ナヨクサフジ。京王閣競輪。多摩川橋梁。
京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その2。矢野口の渡船場跡。多摩川原橋。都県境は多摩川を下る。海から(まで)28K.
右に折れて進むと、「渡船場跡碑」。矢野口の渡しは矢野口と調布を結ぶ渡船場で矢野口村と菅村で運営されていた。渡し場は多摩川原橋のやや下流にあった。昭和10年の多摩川原橋の完成で下菅の渡しと統合され菅の渡しとなった。矢野口の渡しは新田義興が謀殺された矢口の渡しとする説もある。※多摩川にあった渡し場川に橋を架けるということは、近代以前では大変難しく、有力な街道の渡河点でも橋がなく、多くは渡し舟によっていました。1600(慶長5)年に東海道が多摩川を渡る六郷では、長さ120間(約218m)の六郷大橋が架けられましたが洪水のために何回も流れ去り、一時仮橋の時代があったものの、結局明治7(1874)年まで六郷の渡しとして橋のない状態が続きました。また、甲州街道の日野の渡し、日光街道の拝島の渡しのほか、大山街道の二子の...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その2。矢野口の渡船場跡。多摩川原橋。都県境は多摩川を下る。海から(まで)28K.
京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その1。「三沢川」。複雑な都県境をクリアー。川崎市上下水道局第2取水系 (かんがいさく井)」。旧渡船場道馬頭観世音塔
いよいよ多摩川に向かいます。「よみうりランド」から越えてきた都県境は、「三沢川」を渡り、「多摩川」方向へ。かなり、はしょりましたが、やっと。(「気象協会」HPより借用)○の複雑な都県境。主に東京都町田市と神奈川県相模原市、横浜市、川崎市との境界線。初めに「境川」沿いを歩き、その後、多摩丘陵を上がったり、下ったりしてここまでたどり着きました。駅前の案内図。4月21日(金)。晴れ。「京王よみうりランド駅」下車。大勢の若者が集まっています。「よみうりランド」に向かうのでしょうか?都県境標示のところへ。「三沢川←神奈川県横浜川崎治水事務所→東京都南多摩東部建設事務所」。対岸の標示。「よみうりランド」方向。崖になっています。「三沢川」(下流方向)。ここからスタート。多摩川に向かいます。対岸の深い森を背に、京王線のガ...京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その1。「三沢川」。複雑な都県境をクリアー。川崎市上下水道局第2取水系(かんがいさく井)」。旧渡船場道馬頭観世音塔
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その7。「よみうりランド」。ゴンドラ スカイシャトル・空中散歩。都県境を空から?
坂道を下り、右に折れると、「よみうりランド入口」へ。左側が稲城市。都県境は、目の前の「丘の湯プラザ」敷地内を抜け、「よみうりランド」、「ジャイアンツ球場」等へ進みます。その先、北東に広がる「小沢城址特別緑地保全地区」から「三沢川」へ向かいます。賑やかな歓声が響く「よみうりランド」。バスターミナルで小休止し、さてどうするか?膝も痛くなってきたので、ここでリタイヤー。空から都県境付近を眺めることにします。(「よみうりランド」HPより)「ゴンドラスカイシャトル」に乗って、「京王よみうりランド駅」まで空中探訪、ということに。「片道300円」。ジェットコースターが間近を通過します。「慶友病院」脇が都県境。「よみうりランド妙見堂」。左手を回り込むように都県境が続きます。「ジャイアンツ球場」。二軍戦を開催中、大きな声援...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その7。「よみうりランド」。ゴンドラスカイシャトル・空中散歩。都県境を空から?
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その6。ゴルフ場沿いの道が長く続く。川崎授産学園・ソレイユ川崎。よみうりゴルフ倶楽部。
住宅地の道がなくなり、急にフェンスの中に。雨水用の溝でしょうか、鉄製のふたがかかった細道に。行けそうなので、歩いてみます。右手下の住宅地が見下ろせます。高台を歩いています。ひょっこり広い道に。左手に、「新ゆり展望の丘墓苑」。「TYCCコース管理事務所」。「東京よみうりカントリー倶楽部」のようです。左手一体にコースが広がっています。しばらく都県境になっているフェンス沿いの道を進みます。道の右には、「不法投棄厳禁」という川崎市の掲示板。左には、稲城市のものが。。(手前)川崎市と(向こう)稲城市のマンホール?この先で、都県境は、ゴルフ場の中に進んでいきます。振り返る。ゴルフ場沿いに進みます。右手の森。「向原の森公園」。「川崎授産学園」。川崎授産学園は、国際障害者年(1981年・昭和56年)に『人間の尊厳と社会的...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その6。ゴルフ場沿いの道が長く続く。川崎授産学園・ソレイユ川崎。よみうりゴルフ倶楽部。
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その5。麻生区金程。満開の藤の花。平尾山王橋児童公園。
川崎市麻生区金程。前方に、「東京都稲城市」。振り向くと、「川崎市麻生区」。通りを渡って「麻生川」沿いに進みます。右手が川崎市、左手が稲城市。すてきな満開の藤の花。横に這わせています。「金程調整池」。川沿いに進みます。曲がりくねった道を進む。左に「平尾山王橋児童公園」。緩やかな上り坂。この先、山道風になります。左手が「宅地造成工事地域(稲城市)」。「よみうりランド」が造成主。都県境標。川崎市と稲城市の連名(→)。左手が川崎市に。森を抜けると、住宅地に。「よみうりゴルフ倶楽部」の広大なゴルフ場の脇をたどります。フェンス沿いに進む。(「今昔マップ」より)○が「新百合ヶ丘総合病院」、→が都県境。京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その5。麻生区金程。満開の藤の花。平尾山王橋児童公園。
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その4。新百合ヶ丘総合病院。麻生(あさお)川。
住宅の脇の細道を進みます。都県境標。右手の畑地と奥の森。川崎というと臨海のコンビナート、大きな工場が立ち並ぶ印象(「京浜急行(京急)を利用して出かけることが多いため)が強いのですが、こうした農業地帯が広がっていることに驚きました。振り返る。東電の送電線。稲城市側(左)にも畑が広がる。「新百合ヶ丘総合病院」の裏手に出ます。都県境は、この先、左に折れていきます。病院を回り込みます。右手の森の中を都県境が続いています。「麻生(あさお)川」に出ます。下流方向。上流方向。森からの道が都県境?その道の東側に、稲城市平尾。振り返ると、川崎市側。この先からしばらくは、「麻生川」が都県境になります。左は、稲城市。多摩ナンバー。川の向こうは、川崎市。麻生川沿いに進みます。京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その4。新百合ヶ丘総合病院。麻生(あさお)川。
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その3。「平尾入定塚」・「平尾十三塚」。畑地。
しばらく山道が続きます。右が川崎市、左下が稲城市。稲城市平尾。都会境標。右手には竹林や雑木林が。山道が終わり、公道に。この奥の森へは立入禁止区域。都県境にあたるの森の左手には、「平尾入定塚」跡、さらにその先には、「平尾十三塚」があります。「平尾入定塚」は、見逃してしまいましたが、「平尾十三塚」解説板。奥の森。平尾十三塚(ひらおじゅうさんづか)東京都稲城市平尾二丁目と、神奈川県川崎市麻生区五力田の境にある十三塚。東京都内で唯一、13基の塚全てが現存している十三塚である。稲城市平尾は多摩丘陵を造成して平尾団地が建設されるなど、丘陵地帯だが開発が進んだ地域である。平尾十三塚は、この平尾団地南側の造成を受けていない区域にあり、稲城市と川崎市との境界をなす丘陵稜線上に13の塚がほぼ東西向きに整然と並んでいる。一般的...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その3。「平尾入定塚」・「平尾十三塚」。畑地。
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その2。栗木台見晴し緑地。。平尾外周通り。
道なりに山道を上がっていくと、ひょっこり、畑に出ました。農作業中の方に話を聞くと、「ここは、稲城だよ。右の森の向こうは、黒川。この辺一帯は、黒川と言っていたんだ。」「この先はどう歩けば?」「この先を進むと、十字路の道に出会うから、そこを左に曲がっていけばいいよ。」ということで、一安心。案内板。「あさお(麻生)ウオーキングマップ」。川崎市の立てたもの。「栗木台見晴し緑地」から階段を下りて住宅地へ。見上げると、けっこう急な階段。都県境は森の中に続きます。右上に「栗木台まみ沢公園」。都県境は左上から右下へ。そして、通りを横切ります。この道を上がります。川崎市の境界標。左は、稲城市若葉台。眼下は川崎市。振り返ると、右が稲城市に。黄色いガードが目印?稲城市のマンホール。右が川崎市、左が稲城市。振り返ると、右が稲城市...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その2。栗木台見晴し緑地。。平尾外周通り。
京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その1。若葉台駅北口。三沢川。稲城市マンホール。
4月14日(金)。曇り。「晴れ」の予報でしたが、黄砂のため薄曇り、ということに。京王線「若葉台駅」北口下車。駅前は、都県境が入り組んでいます。右手の店舗は川崎市麻生区黒川、左手のマンションは、稲城市若葉台。左手に、一部が都県境になっている建物。「ローソン」の裏手が都県境。都県境。「若葉台駅」を望む。北が「東京都稲城市」。南が「川崎市麻生区」。境界標。東京都のマーク(↓)。稲城市のマンホール。市章と市の木イチョウの葉。都県境は、正面奥、三沢川を越えて、南東に向かいます。「三沢川」。上流方向。三沢川は多摩丘陵内を流れて多摩川に注ぐ川であるが、三沢川の左岸は若葉台、向陽台という多摩ニュータウン地域となっている。三沢川流域の多摩ニュータウン開発に際して最も問題となったのは、多摩ニュータウンの雨水の処理方法であった...京王線「若葉台駅」~「京王よみうりランド駅」。その1。若葉台駅北口。三沢川。稲城市マンホール。
小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その5。弓の橋。丘の上広場公園。多摩市・稲城市、川崎市。若葉台駅。
ようやく東端に。「弓の橋」。「多摩東公園」(東京都多摩市諏訪)を結ぶアーチ橋。通りの向こうは、「多摩東公園」。「丘の上広場公園」(多摩市)。都県境界にある公園。「よこやまの道」の東順路の終点です。ここを右折し、京王線「若葉台駅」へ向かいます。この道が都県境になっています。境界標石。多摩市聖ヶ丘。右手は稲城市になります。「介護老人保健施設デンマークイン若葉台」(稲城市)。デンマークインとは?正式名称「デンマークINN」とは高齢者福祉先進国であるデンマークが掲げる「高齢者福祉3原則①自己決定の尊重②残存能力の活用③生活の持続性」を守り、「INN(小さなホテル)」のように気楽に高齢者の方々が宿泊し、食事をし快適な生活を送れるようスタッフ一同がおもてなしをする気持ちでサービスを提供することを願って名付けたものです...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その5。弓の橋。丘の上広場公園。多摩市・稲城市、川崎市。若葉台駅。
小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その4。諏訪ヶ岳」の三角点。都県境。小田急線「はるひ野駅」。
いったん下って、広場に出ます。「よこやまの道」碑。「瓜生黒川道」案内板。「多摩よこやまの道」に交差するこの山道は、川崎市麻生区の黒川と多摩市永山の瓜生を結んでいた江戸時代頃から近代にかけての往還道で、昭和の初めまで黒川の特産品であった「黒川炭」や「禅寺丸柿」などを八王子方面や江戸市中に運ぶ近道でもありました。また、武蔵六所宮(現大国魂神社)の神前に供える汁物を調整していた黒川の汁守神社前からこの尾根までの間に、「街道」を意味する「海道」の字名が今でも残っています。※町田市真光寺には、「飯守(いいもり)神社」という神社があり、ここは汁守神社の汁物に対して「飯物」を調製したと伝えられている。尾根道から黒川に向かう山道。「黒川はるひ野」解説板。「黒川」の名の由来は、川の水が澄んで川底が黒く見えたためと言われてい...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その4。諏訪ヶ岳」の三角点。都県境。小田急線「はるひ野駅」。
小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その3。防人見返りの峠。「都県境」境界標。「古代東海道と丸山城」。
「よこやまの道」解説板。左手の視界が開けてきました。前方の丘に向かいます。「防人見返りの峠」「防人見返りの峠」。右手は畑になっています。農作業中の人の姿も。「都県境」境界標?「よこやまの道」を歩いていて、初めて確認できました。右手には、深い森が続きます。「古代東海道と丸山城」。解説板からは、「よこやまの道」を南北に抜ける旧「鎌倉街道」が何本か通り、さらに東西を貫く「古代東海道」などの古道が残っている、とのこと。小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その3。防人見返りの峠。「都県境」境界標。「古代東海道と丸山城」。
小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その2。よこやまの道。川崎市の最西端。西側順路・東順路分岐点。
農作業が進む田畑の路を歩き、山道に入ります。この先、国士館大のところで、都県境と再会します。この道を向こうから親子が自転車でやってきので、ビックリ!谷戸の最奥付近。都県境にもなっている「よこやまの道」に出会います。「よこやまの道」「よこやまの道」は、万葉集において多摩の横山と詠われた多摩丘陵の尾根部に位置し、「多摩の自然と歴史にふれあう道」を基本テーマに整備が進められてきました。既存の山路や尾根沿いに残された自然や緑を積極的に活かしながら、樹林内の散策路や休憩広場、多摩市域を一望できる展望広場等が整備され多摩丘陵や多摩ニュータウンの風景とともに、四季折々の自然に親しみ地域に残る史跡や伝説の歴史文化にふれあうことのできる全長約10kmの遊歩道です。よこやまの道の由来この万葉集は「赤駒を山野の中に放牧して捕ら...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その2。よこやまの道。川崎市の最西端。西側順路・東順路分岐点。
小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その1。真光寺公園。町田いずみ浄苑。布田道。
4月1日(土)。快晴。前回、最寄り駅だった小田急線「黒川駅」から歩き、尾根道まで上がって「真光寺公園」まで歩こうと思いましたが、上り坂をまた上がるのは、と・・・。小田急線「鶴川駅」から「真光寺公園」までバスで向かうことにします。「真光寺公園」。大きな公園。満開の桜の下、スロープの芝生で親子連れが走り回っています。正面の森の向こうに都県境があります。付近の案内図。東側(上)が川崎市、西側(下)が町田市。公園を回り込んで、都県境に向かいます。「川崎市麻生区」。振り返ると、「東京都町田市」。山道から「真光寺公園」へ続いた都県境は、道路を横断して進みます。町田市側を望む。急な階段を下ると、大きな墓苑が広がります。「町田いずみ浄苑」。広大な敷地。町田市と川崎市の境にある。桜の園らしく満開の桜。北側の道が都県境となっ...小田急バス「真光寺公園」~京王線「若葉台駅」その1。真光寺公園。町田いずみ浄苑。布田道。
東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その7。真光寺緑地。川崎市黒川青少年野外活動センター。黒川駅・読響。
先に進みます。オッとつまずきそうになった!都県境石。「真光寺緑地」。都県境の尾根道は、この先、「真光寺公園」まで続きます。のんびりと尾根歩き。町田市真光寺地区。2つ並んだ境界標。散った桜の花びらと共に。散歩には、ほどよいアップダウンの道。しかし、尾根道を横切るのは、急な坂が左右に。左手下は住宅地、右手下は工業団地に。高圧電線の鉄塔。さて、そろそろ黒川駅への分岐点に。ありました!反対方向から歩いていると、目につきますが。都県境(尾根歩き)。今回は、ここまでに。右手の山道を下ります。四阿のところで、小休止。緑濃き尾根道。新緑の季節はもうじき。下りもけっこう急な坂道。左手に「しゃべりっちょ牧場」。子ども達の声が聞こえてきます。すると、山道を上ってくる若い会社員。大きな鞄を持って、あえぎあえぎ。「真光寺公園の向こ...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その7。真光寺緑地。川崎市黒川青少年野外活動センター。黒川駅・読響。
尾根道が続きます。鶴川方面。左、眼下に住宅地。下り坂になり、一般道に。鞍部に。右手は「(川崎市)麻生区栗木」。左手側は、「町田市(広袴)」。再び尾根道に戻ります。右手の川崎市側。しばらく行くと、右手に「桐光学園」。左・眼下は、町田市。サッカーグランドでは、試合中。「桐光学園」は、サッカー、野球などの強豪高。勉強の面でも、神奈川県内のトップレベル。※卒業生に中村俊輔がいます。東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その6。桐光学園。
東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その5。リニア新幹線工事現場。
田園風景が広がる。一転、大きな工事風景に。リニア新幹線の工事現場。《関連工事区間》①多摩川から町田市東部境まで→大深度地下トンネル(非常口を概ね5キロ間隔で設置)②町田市西部境から相模川まで→大深度ではない地下トンネル③相模川から山梨県境まで→山岳トンネル(相模川、串川、道志川は橋りょうで渡河)《車両基地》相模原市緑区鳥屋付近このうち、①の区間関連工事のようです。神奈川県内にできる新駅は、「橋本駅」付近になるようで、駅前では大規模な工事が続いています。「平和台北」バス停付近。地域の開発、発展、影響など、反対の動きもあって、まだまだ全線の完成、運用が見通せないようですが。この先で山道に入ります。振り返る。大きなグランドやテニスコートがあったところ。畑地。「美しい里山を守ろうたぬき一同」。川崎市側。町田市側。...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その5。リニア新幹線工事現場。
東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その4。住宅地をジグザクに進む都県境。ウグイスの姿を初めて確認。
「グラウンド」を迂回します。当時は満開の桜の下。ぐるりと回り込むと、グラウンド内から進んできた都県境と再び出会います。右から来た都県境は左へ。都県境の道を進む。大きなお屋敷。「片平中町遺跡公園」。都県境の道沿いにあります。この階段の上にありますが、パス!川崎市のマンホール。住宅地をけっこう上り下りします。柿生駅方面を望む。能ヶ谷大地の丘緑地。右奥が都県境となります。住宅の右手に都県境があります。階段を下って右の道(都県境)に。道なりに進みます。道の向こうは、川崎市。奥は、川崎市麻生区、手前は、町田市能ヶ谷。農場に突き当たり、そこを左に。正面は、川崎市麻生区片平。すると、「ホーホケキョ」とさわやかな声が響いてきます。見上げると、〇。ウグイスの姿が。よく見ると、電線にとまっています。姿を見せない、といわれるウ...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その4。住宅地をジグザクに進む都県境。ウグイスの姿を初めて確認。
東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その3。町田市能ヶ谷。商船三井柿生グラウンド。
迂回し、小田急線の踏切を渡ります。前方に、「川崎市麻生区」。振り向くと、「東京都町田市」。線路の向こうに都県境?(↓)。この建物「二輪屋」さんの先を上がって行きます。町田市能ヶ谷住居表示。白い部分は、川崎市麻生区。しばらくは町田市能ヶ谷内を進みます。都県境は、かなりジグザクです。この付近の今昔。2010年代のようす。住宅がびっしり。1970年代のようす。丘を切り崩して住宅地に。けっこう急な上り坂。高台の上に建物。崖の上が川崎市麻生区?右手の「イトーピア東公園」のすぐ東側に都県境。この先で、都県境は、西にジグザクのコースを進んでいく。「商船三井柿生グラウンド」。この大きなグランドの中をジグザクに進む都県境があります。(「マピオン」より)ジグザグの線が都県境。この先もジグザクに住宅地を進む「都県境」(町田市、...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その3。町田市能ヶ谷。商船三井柿生グラウンド。
東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その2。麻生川。都県境の水路。フェリシア高等学校。
右岸側に都県境の標示。左岸側。「河川管理境界鶴見川」。左側の塀に沿って都県境(町田市と川崎市)が続くようです。都県境は、鶴見川から麻生川(「あそう」ではなく「あさお」)に移ります。鶴見川方向を望む。左が川崎市麻生区、右が町田市三輪町。麻生川に沿って進む。左が町田市、右が川崎市。麻生川(あさおがわ)主に神奈川県川崎市麻生区を流れる河川。鶴見川水系の支流である。東京都稲城市平尾と神奈川県川崎市麻生区金程との境界付近に源を発する。途中で小田急線の柿生駅の西150mの地点で片平川が流入し、神奈川県川崎市麻生区下麻生において鶴見川に合流する。一部で東京都町田市と麻生区の都県境を流れる他はほとんど麻生区内を流れる。・・・小田急小田原線の新百合ヶ丘駅~柿生駅間とほぼ並行して流れる地域の沿岸1.1kmに渡って桜並木があり...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その2。麻生川。都県境の水路。フェリシア高等学校。
東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その1。恩廻公園。旧流路沿いの都県境。
今回は、「寺家(じけ)ふるさとの村」の水車小屋付近から森の中に進んで都県境が、森から出たところから。前回の最寄り駅・東急線「市が尾駅」からバスに乗車、「下麻生」バス停で下車。帰りは、「小田急線「黒川駅」まで。鶴見川に架かる「水車橋」。橋を渡って右へ向かいます。「恩廻(おんまわし)公園」へ。右から合流する「真福寺川」。桜が満開。「恩廻公園」。「恩廻(おんまわし)公園建設の由来」。鶴見川は、以前蛇行しながらこの公園の敷地を流れていましたが、神奈川県は地元の方々の用地の提供、家屋の移転など多大なご協力を得て、昭和48年度(1973年)から昭和51年度までの間に河道を整備し、現在の姿にしました。県は、この河川改修工事によって生じた延長800㍍、面積2㌶の旧河川敷地に憩いの広場を建設するため、昭和52年度より工事に...東急バス「下麻生」~小田急線「黒川駅」。その1。恩廻公園。旧流路沿いの都県境。
小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その5。じけのたんぼぼう。「大池」。都県境の道。水車小屋。四季の家。東急田園都市線「市が尾」駅。
「都県境」(町田市と横浜市)は、左手奥の方から進んできます。そこまで歩きます。じけのたんぼぼう。たんぼぼうって?たんぼぼうは横浜市青葉区寺家町にある、ふるさとの森のむじな池のすぐそばにあります。休耕田となってからは、大人の背より高い葦が生い茂り、太い樹も生えていました。そこをお借りしました。それから、子どもの様々な体験ができる場にすべく、草刈り、水路作り、ビオトープづくり、生き物調査に、ザリガニの駆除などをしています。そして環境が整えば、併合して稲作も行って農体験も行う予定です。それを当初から行なっているのは、子どものワークショップの会員の子どもたちとそのご家族と、ボランティアのみなさんです。目的は●子どもが自然と人に主体的に関わって喜びをつくり出せる環境をつくる。●子ど︎もの時にしか得られない貴重な体験...小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その5。じけのたんぼぼう。「大池」。都県境の道。水車小屋。四季の家。東急田園都市線「市が尾」駅。
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5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
神保町に出かけたついでに酒屋さんへ。この酒屋さんは全国の地酒を置いてあります。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ea/48d17bea432009ba28d8ae497f58e483.jpg">「呼友(こゆう)」。x
今度は、左の方の源流をたどっていきます。・・・生息地へ流れ込む生活排水は約千五百世帯分で、日量約千立方メートルだ。その生活排水を県と民間養鱒場から放流する日量約二万立方メートルのきれいな水で希釈しているのが現状なのだ。水質測定結果から、生活排水による汚濁の進行が明らかとなり、稚魚や餌となる甲殻類への影響が懸念されている。このままでは近い将来、絶滅のおそれもある。絶滅させないためには、この区域に最低三kmは生活排水を流入させない対策が急務である。京都府と兵庫県の一部に生息し絶滅したミナミトミヨの二の舞になることは、是が非でも防がなくてはならない。世界で唯一熊谷市にしか生息していない希少種ムサシトミヨを守れるとすれば、それは、流域住民の意志と行政の決断にかかっている。(この項、「埼玉新聞」より)この記事のうち...c
<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d1/46ecbb9c96ed82474989a87876322445.jpg">z
すぐ下は、吾妻川の渓谷。右には断崖絶壁が連なる。ここに鉄道と旧国道が通っています。狭間によく鉄道を敷いたものです。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/28/8819281773775eef0c1760fb7dfab12a.jpg">z
10月1日。晴れ。八ッ場ダム建設で廃線となった「吾妻線」沿線(「川原湯温泉駅」~「岩島駅」)を歩きました。一時の暑さもおさまった感のする一日。家を出たときは雨がポツポツ、しかし、高崎付近あたりでは、すっかり晴れ渡ってきます。沿線の田んぼも稲刈りが進み、秋の田園風景。約ひと月ぶりの「吾妻線」です。今回、「八ッ場ダム」から「岩島駅」(「川原湯温泉駅」の一つ渋川駅寄り)まで歩く予定です。「川原湯温泉駅」に12時ころ到着。前回同様、今回も小生一人、下車。八ッ場ダムまで歩きます。思ったよりも汗をかきました。※「八ッ場ぐるりんバス」12:06発のバスを利用すれば、わずか8分ほどで八ッ場ダムに着きます。無理して歩く必要はありません。旧線路が眼下に見えます。エレベータで下まで降り、通路を歩くと、一気にダム下に。この橋から...a
高麗川駅に近づきます。住宅と田畑と。緩やかな丘陵地帯。豊かな緑の中に住宅が。畑が広がっています。「高麗川駅」に到着。隣のホームから「八王子行き」。スムーズに乗り換え。当駅の所属線である八高線と、当駅を終点とする川越線の分岐駅となっている。八高線は当駅を境に八王子方面が電化、高崎方面が非電化となっており、運転系統が分断されている。また、川越線も電化されており、川越線の川越方面と八高線の八王子方面で当駅を経由して直通運転が行われている。また八高線には、かつて当駅から青梅線を経由して中央線直通で東京駅との間を結ぶ電車も設定されていた。八高線は八王子駅から当駅までが八王子支社、当駅から北の区間が高崎支社、川越線は大宮支社の管轄となっており、当駅は八王子支社の管轄となる。※川越線埼玉県の県庁所在地であるさいたま市か...z
しだいに雨も上がり、青空が広がってきます。住宅が増えてきます。「明覚(みょうかく)駅」。埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠(ばんしょう)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。ときがわ(都幾川)町にある唯一の鉄道駅で関東の駅百選にも認定されている。※当時の村名が「明覚村」であったことにちなむとする説と、当時「妙覚寺」というお寺があり、それが「明覚」に転訛したという説がある。1988年(昭和63年)11月9日:午前3時頃出火し、駅舎が全焼。1989年(平成元年)9月18日:現駅舎完成。駅舎は旧・都幾川村の木を使用して建築された。1995年に駅舎がグッドデザイン賞受賞。1997年(平成9年):「関東の駅百選」第1回選定駅になる。選定理由は「地元産の丸太で造り、周辺の山とマッチしたカナダ風ログハウスの...x
「児玉駅」。埼玉県本庄市児玉町児玉にある。1931年(昭和6年)7月1日:鉄道省八高北線(現・八高線)児玉駅-倉賀野駅間開通時に終着駅として開設。盲目の国学者塙保己一塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時に病気のために失明し、15歳になって江戸に出て当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。保己一は当道座での修業を積み苦労を重ねて立身し、晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。保己一は国学者としても著名であり、「群書類従」や「続群書類従」の編さん、さらには和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績を残しています。中でも群書類従の編さんは41年を費やした大事業であり、正編666冊、続...z
倉賀野駅を過ぎると、踏切が二う。一つは「日光例幣使街道」、その次に「旧中山道」を過ぎていきます。二つとも歩いて通過しましたが、どのあたりだったか、確認できず。「ザ・ガーデンゴルフクラブ」。烏川河川敷。「烏(からす)川」。烏川は、その源を群馬、長野の県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し、榛名山の西と碓氷丘陵の東の斜面境を東南方向に流れ、平野部に入ってから碓氷川、鏑川、神流川の西毛の三大河川を合わせて利根川に合流しています。流域面積は470km2、流路延長は61.8kmです。(「国土交通省」HPより)※烏川の名の由来水源の地形が唐臼(中国の臼)に似ており「カラウス川」と呼ばれたとの説、また傷ついた日本武尊を烏が現在の烏川水源に導いて救ったから・・・など、烏川の名の由来には諸説がある。「北藤岡駅」先で、高崎...z
8月22日から8月25日まで、「向島百花園」で「虫ききの会」が行われています。江戸時代から続く伝統行事「虫ききの会」。この期間は、夜の9時まで開園。相変わらず蒸し暑い一日。そんな中、昨日(23日)、夕涼みがてら、行ってきました。荒川・四ツ木橋より。遠くにスカイツリー。向島百花園。園内から放された「スズムシ」の涼しげな音が聞こえてきます。ひとときの安らぎ。風鈴の音が響く。カルガモの姿はありませんが、虫たちの展示。遠くにスカイツリー。しだいに暮れなずむ空の下、さまざまな色彩に変化する「スカイツリー」を紹介。別の場所から。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/2e/52cfa81eec5e648ba585da51406b35ad.png">園内からのス...「虫ききの会」。8月23日・向島百花園。夕涼みがてら。
「「訳者あとがき」より抜粋そもそもナチスは、ヒトラーに取材するフランス人を厳選していた。自国の世論において、かなりの発言力と影響力をもっていた退役軍人たちを利用したのだ。フランスの場合、第二次世界大戦での死者(約二一万人、市民約四〇万人、計約六〇万人)よりも第一次世界大戦の死者(一三六万人)のほうがはるかに多い。悲惨な戦いを経験したフランス人にとって、戦争を二度と繰り返したくないと願うのは自然だろう。それゆえに、ヴェルサイユ条約でドイツを追い詰めることを危惧する向きすらあった。こうした切なる平和への願いをもとに、フランス人退役軍人とナチスのフランス通が友好関係を築き上げた結果誕生した仏独委員会が、フランス人に対するナチスドイツの窓口になる。ヒトラーにお目通りがかなうのは、ナチス側のもはやいいなりだった仏独...「ヒトラーへのメディア取材記録」
q。「物語は、「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」という主人公エマの言葉に始まり、同じ言葉で終わる。主人公であるエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカのことが大好きで、心から尊敬していたが、祖母の死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知り、摂食障害が日ごとに悪化していくことに・・・。その古い日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。読む権利などないと思いつつ、どうしようもなく惹きつけられて開いてしまった日記には、ナチの武装SS、ヒトラー、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、絶滅収容所、鉄条網、監視塔、ガス室、エヴァ・ヒルシュバウムとその息子シモン・・・。嘔吐と過食を繰り返し、身も心もぼろぼろに...「ジャック・デロシュの日記」。「ショアーの歴史」。
何を見つけたのか?それも飽きて、今度はジジをくわえ(お気に入りの獲物?)、うなり声を上げて歩き回る。※ジジ魔女の宅急便の主人公キキの相棒の黒猫。よくキキの話し相手をしている(これは、キキの数少ない能力の1つ)。どこか人間臭いネコで、ある届け物の受取人の少女の不機嫌そうな「あたしこのパイ嫌いなのよね」発言に「感じ悪い」と非難し、あかんべーをしていたりする。キキの相棒だが、その信頼ゆえか、ぬいぐるみの身代わりにされたり、ピンチになる場面もあった。この時ばかりはキキに愚痴を漏らしている。しかしある日、白猫のリリーに一目惚れした結果、キキのもとにあまり居付かなくなる(尚、リリーはおソノさん夫婦が経営するパン屋の常連の女性の飼い猫で、当初はすました態度を見て「いけ好かない」と発言していた)。エンディングでは、その白...記事がない時のソウタ頼み。その2。
ということで、ソウタ君。「ソウタ」と「あんず」。あんずはパッといなくなるので、写真がなかなか撮れない。暑さでぐったり。そこへ大きな箱の届け物が。さっそく、ところが、意外に最初に入ったのは、あんず。においをかぐソウタ。ソウタに譲って、あんずは、遠目で。飽きたと見えて、ゴロンと。今度は窓から暑い日差しの外を眺め、それも飽きて、テーブルの下でゴロン。そのまま静かにしているかと思ったら、記事がない時のソウタ頼み。
白岡市のマンホール。抽象的な「家族」を中央に配置。その周りを市の花「梨の花」と市の木「松」のつぼみで飾り、「創造と希望」がコンセプト。「篠津一号橋」。「星川」。星川の上流(右手)に「星川と隼人堀川の立体交差」があります。橋を渡って星川沿いに進もうとしましたが、その土手は草が生い茂っていてちょっと歩きにくい。そのため、工場の脇を迂回せざるをえません。けっこうな回り道。「蓮田白岡環境センター」。右手に流れる「隼人堀川」の脇を進んで、やっと元荒川に戻ります。蓮田白岡環境センターの煙突。産廃工場などがあり、狭い道路を大型車などが行き交う。星川までの桜並木もなくなり、蒸し暑い中、汗をかきはじめます。上流に橋が見えてきます。橋の手前で右に折れ、隼人堀川沿いに。「根金小橋」。※隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?ところが、どこを見渡してもいません。親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。園内には、風鈴が涼しそうな音色を響かせています。足下には木漏れ陽。炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。そしてザクロの実が一つ。朝顔展の準備が始まっています。売店には「氷」の旗が。この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。アゲハチョウの姿が(↓)。遠くにスカイツリー。今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになる...7月27日(土)。酷暑の向島百花園。カルガモたちの姿が見当たらない池。風鈴。朝顔。そして、隅田川花火大会(開催前の隅田堤)
7月19日(金)。曇りのち晴れ。朝はまだ日差しも強くなく、歩き始めました。「八幡橋」方向。かなり蒸し暑いですが、なんとか予定通り歩けそうかな?と「さくらロードガーデン」。川べりも歩けそうです。左手に解説板があります。「茅野(かやの)の渡し」。現在の元荒川は、河川改修や西地区の区画整理などにより、かつての自然や地形などの面影は少なくなりました。この元荒川の白岡・篠津には二カ所の渡し場がありました。この付近は「茅野の渡し」があり、下流の八幡橋付近には「八幡の渡し」がありました。茅野の渡しは、町内の篠津地区と蓮田市貝塚地区を結ぶものです。この渡し場の瀬は蓮田側がきゅうに深くなっていて篠津側は浅くなっていました。舟は対岸には直接着くことができましたが、篠津側は砂の上を少し歩いてから岸に上がりました渡しは対岸の二軒...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
「東北新幹線」。白岡町(白岡市)の表示が。※「白岡市」白岡市は、関東平野の中ほど、東京都心まで約40キロメートルであり、総面積は24.92平方キロメートルで、東西は9.8キロメートル、南北は6.0キロメートルと東西に長い市域です。昭和29年に日勝村、篠津村、大山村(上大崎を除く)の合併により町制を施行し、白岡駅を中心に発展を期するという計画のもと白岡町と改称しました。当時の世帯数は2,678世帯、人口15,679人でした。誕生から56年後の平成22年国勢調査では、世帯数が17,869世帯、人口が50,272人となるまでに成長しました。このため、市制施行に向けた準備を進め、埼玉県による白岡町を白岡市とする決定を受けて、平成24年10月1日の市政施行により、白岡市が誕生しました。交通面では、都心まで40分程度...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
日差しが強くなってきます。木々があるので、歩くのにはちょうどいい。ここでも炎天下でゴルフを楽しむ人たち。次の橋に近づきます。振り返る。この先には運動公園はなさそう。広い県道に出ます。元荒川へ流入する用水路。「新今宮橋」。下流方向。上流方向。大きくて見事なサボテン。水管橋。蓮田市のマンホール。市の木ハナミズキ。「今宮橋」・今宮けやき通り。下流方向。上流側から橋を望む。川沿いには桜などが植えられているが、車道を歩くしかない。これがけっこう長い。この付近から白岡市入り。対岸に東北新幹線。この付近の今昔。(1880年代)周囲は、田畑。上部に渡船場。(現在)川の西、南側は蓮田市。東北側に白岡市。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
右手は工業団地。「元荒川水管橋」。※元荒川水管橋は城北大橋から500m上流に架けられている。元来は水管橋(元荒川の上を水道水を渡らせるためのもの)だったが、平成14年に改修され、歩行者も渡れるようになった。上流方向。下流方向。土手沿いの道を進みます。「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事です。由来は200有余年前に集落内に悪い病が入り「魔除け、災難除け、疫病除け」として『大蛇(だいじゃ)』を作り、集落境界の2ヶ所に立てたと言われています。集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線も東武線からJR線になります。「東岩槻駅」。東武線鉄橋の上流へ出ます。「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。この付近の今昔。(現在)東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。(1970年代)元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。土手沿いの道(左岸)を歩きます。右手は住宅地。上流に「慈恩寺橋」。河川敷に畑が広がっています。(1880年代)河川敷が広がっています。(現在)かつての河川敷が農地となっています。水道橋が左手奥に。畑の正面に「水道橋」。「城北大橋」。下流の水道橋を望む。この先に人も歩ける「元荒川水管橋」があります。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。下流方向。上流に「新曲輪橋」。「国道16号線」は首都圏の幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。(「」より)春日部方面。「新曲輪(くるわ)橋」。右岸奥周辺が「岩槻城址公園」。岩槻は「日光御成街道」歩きのときに通りました。※「本郷追分」で中山道と分かれ、「幸手」で日光街道と合流する。モニュメントの人形。旧岩槻市のマンホール。蓋を三等分し、上部には岩槻城黒門と桜の花、右には園内の池にかかる朱塗りの八つ橋、左には岩槻城鐘楼と市の花「ヤマブキ」がデザインされている。汚水蓋。「岩槻橋」。岩槻橋は、第二次緊急輸送道路である主要地方道さいたま春日部線(都市計画道路岩槻中央通り線)と一級河川元荒川の交差箇所に位置し、さいたま市の副都心である岩槻駅周辺地区を横断する路線の...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
公園内の釣り堀。賑わっています。森の中の下道。公園内に。森に囲まれ、体育館やグランド、大きな池などが広がっています。案内図。「グリーンアドベンチャー岩槻文化公園コース」。この木の名は?この地域はかつては元荒川沿いの微高地でした。(1880年代)(現在)駐車場の向こうに元荒川の流れ。川沿いの小道。足下の草むらをトンボが。全身真っ黒で蝶々のようにひらひら羽を動かし、ヒラヒラ飛んでいます。○のところにとまっている。中川歩きの時に見た「ハグロトンボ」。ハグロトンボ(羽黒蜻蛉カワトンボ科のトンボ。別名ホソホソトンボ。東アジア(日本、朝鮮半島、中国、ロシア)、北米に分布する。日本国内では東北・本州・四国・九州に分布する。成虫の体長は57-67mm、後翅長35-44mmほどで、トンボとしてはやや大型。雌の方が雄より若干...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
溜井が大きく広がる。桜並木。右手は緑濃き、水田。「武蔵第六天神社」の境内地に入ります。川原に下りられる階段がありますが、今は水底に。「夏越の祓」茅の輪がある。先に進みます。まだ「岩槻市」のまま。※現在は、さいたま市に編入「さいたま市岩槻区」。田んぼが広がります。土手の道が途切れ、たんぼの中の道を進みます。上流に赤い橋。振り返る。久々な経験。農家の脇に、カボチャ。枝豆。県道に出ます。上流に見えていた赤い橋に向かいます。「大野島水管橋」。※大野島水管橋は、昭和52年(1977)竣工。三連アーチのランガー補剛形式で70m。口径600mmの管が2本設けられ、元荒川の上を水道水が横断している。大野島水管橋は歩行者も渡れる。下流方向。上流方向。橋を渡り、右岸に。振り返る。上水道管。「岩槻文化公園」の脇の道を進みます。東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「末田須賀堰(すえだすがせき)」が目の前に。さいたま市岩槻区の永代橋の脇には、「末田須賀堰」があります。堰とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物です。元荒川は古くから農業用水路として用いられており、全部で4カ所の堰が設けられていて、末田須賀堰はその一つです。4月から9月にかけて、農業用水の確保のため水門が閉まります。また、水門の脇には魚道が設けられていて、水門が閉じている時期でも魚が遡上できるようになっています。(この項、「」HPより)「永代橋」。モニュメント。この付近の今昔。(現在)中央に堰。川幅が大きく広がっている。(1880年代)現在の堰付近の流れが複雑になっている。上流方向。広がりを見せる。旧永代橋の架橋記念碑。周囲には古い親柱、中柱が残されている。1926(大正15)年の建...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
暑いせいか、涼しさを求め、家の中を転々とする猫たち。だから、二人が鉢合わせをすることも。6日には、窓際に。あんずが窓際に乗ると、ソウタは、あんずがいなくなると、その後を目で追うソウタ。という猫たちを横目で見ながら、「向島百花園」へ。7月6日。「小暑」の日の午後。いました!親が。親の後をくっついて泳いだり、歩いたりしていたヒナは?親から離れ、自由気ままに泳いでいます。親はそんなヒナたちを目で追い、守っているようす。そして親子一緒に。前来たときは7羽のヒナ。見ると5羽、残りのヒナは?気になります。もみじあおい。にっこうきすげ。やまゆり。寺島なす。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/87/2ff6d8ff92a04e21bf1b674e796011d...あんずとソウタ。そして、向島百花園のカルガモたち。花も咲き、緑も濃く、夏らしい雰囲気。
「〆切橋」を渡り、右岸を歩きます。こちら側にも農地が。ここにもネムノキの大木。上流に「大砂橋」が見えてきます。「元荒川緑道(上流部)散策案内」。「大砂橋」を振り返る。けっこう緑が深い。路傍に何体かの古仏。元荒川の流れ。農地が続きます。菊の栽培。左手には畑作地が広がる。イチゴ。サツマイモ。咲き始めている菊。川沿いから離れて進みます。右手灌木の右に、元荒川。一面、青々とした田んぼ。「三野宮橋」。上流方向。橋を渡り、左岸へ。「元荒川」沿いの、車の行き来が激しい県道を進みます。「補修境界←さいたま市北部建設事務所→越谷県土整備事務所」。さいたま市に入ります。この辺りも「さいたま市」?さいたま市埼玉県の県央部に位置する市。埼玉県の県庁所在地で、人口は約135.0万人と県内最多。政令指定都市の一つ。また財政力指数は政...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「国道4号線(現日光街道)バイパス」を渡ります。.元荒川橋から下流を望む。川沿いには歩道がないので、県道を進みます。この標識板には、「↑越谷国道4号線→春日部←上野」とあります。左手に「元荒川」。「〆切橋」(人道橋)。越谷市においては最も歴史の古い橋である。江戸時代(宝永年間)には橋が架けられ、明治時代には長さ約29メートル、幅員約3メートルの土橋が架かっていた。また、1924年(大正13年)には先代の橋が架けられていた。現在の橋は1937年(昭和12年)竣工のRC橋で、市内の元荒川に現存する橋の中でも古い部類。橋長54.6メートル、幅員4.15メートル。老朽化に伴い、大砂橋開通後の2005年(平成17年)度以降は橋の両詰めに車止めが設置され、人道橋として歩行者のみの通行が許されている。元荒川はかつて〆切...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
元荒川歩き、2日目。往復とも東武線内の乗り降りです。北越谷駅西口。「元荒川」土手。前回に続き、左岸を歩くことに。森の脇に進みます。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)中央に「宮内庁埼玉鴨場」。現在、宮内庁が管理している鴨場は、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり、両鴨場のそれぞれ約12,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には、毎年2千羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。鴨場は、鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に、天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では、野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。我が国では、古くから網や鷹を使っ...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
東武線のガードをくぐって先に進みます。越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)東武線鉄橋方向を振り返る。左岸のようす。桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。ところどころ、花壇があり、ベンチなどもあります。前方に「神明橋」。中央の車道部分は古そうなトラス橋振り返る。この橋を渡り、左岸に移ります。桜並木の下。河川敷には耕作地が広がっています。対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。前方には「出津橋」(人道橋)。文教大学越谷キャンパス。出津橋。学生たちが通行中。今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
元荒川歩きを再開します。カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。※伏越(ふせごし)用水施設や排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの。用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)振り返る。右が葛西用水。「新宮前橋」。「宮前橋」。「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。東の方に「久伊豆神社」があります。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
「溜井(逆川・葛西用水)」。花しょうぶが満開。「元荒川」。「越谷市役所」・「越谷市中央市民会館」が見えてきます。「平和橋」(葛西用水)「新平和橋」(元荒川)。越谷市中央市民会館。平和橋・新平和橋。いったん、東武伊勢崎線「越谷駅」に向かい、小休止。「越谷・松伏水道企業団」のマンホール。「越松水」「仕切弁」。※越谷市の花、松伏町の花が共に菊です。旧日光街道。日光街道歩きのときに通過しました。日本橋から3番目の宿場・越谷宿。越谷駅。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸の河原。「瓦曽根堰(かわらぞねせき)スポット広場」。正面は、「しらこばと橋」。解説板。「葛西用水」の成立享保(1719年)すでに開削されていた幸手領用水(万治3年1660年)の利根川の川俣圦樋が増設され、琵琶溜井・松伏溜井・瓦曽根溜井・亀有溜井を連結させた十ヶ領、三百村、領石高13万3千石(年貢米)の大用水が成立し、葛西用水と呼ばれた。「葛西用水」流路図。「利根川」から取水された「葛西用水」は、「大落古利根川」、「逆川」を経て、ここまで流れ、この後は、「元荒川」から離れ、八潮市、足立区、葛飾区、墨田区まで続くことになります。※「溜井」は河川を堰き止めて洪水対策や農業用水とした施設。近世初頭に瓦曽根溜井が建設され、中期以降に石堰が設けられた。中土手(元荒川と溜井を分ける土手)には竹を植えたり畑があった。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸沿いに大きく広がる「遊水地」。南方に「越谷レイクタウン」があります。「越谷レイクタウン」の今昔。(現在)大規模な商業施設、住宅地となっている。(1970年代)ほとんど、田んぼや畑であった。※市街化調整区域左岸の大きな建物。「越谷東高校」。舗装された道なので、照り返しがけっこうキツイ。早く木陰の下に。ほっと一息。「大相模スポット広場」。所々にこうした小公園風な施設がある。「不動橋」が見えはじめる。「不動橋」のたもとに、「相模町スポット広場」。木陰が涼しい。水分補給などで小休止。「元荒川緑道(下流部)散策案内」。来た道を振り返る。「不動橋」。※「不動橋」の由来は沿岸にある「大聖寺(大相模不動尊)」から。「しらこばと橋まで1,050m」。「動端落し(どうばたおとし)スポット広場」。流入口。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
雨降りの午後。向島百花園。アジサイには、雨が似合う。降ったりやんだりのお天気。入園者も少なく、のんびりと散策。ヤマユリ。リンドウ。ハンゲショウ(半夏生)。ネムノキ。カザグルマ。カルガモたちはどうなったか?四阿で雨宿りをしていると、現れました。親鳥とヒナたちがスイスイと水面を。ヒナは、合計7羽。親鳥のあとをついていきます。正面の叢に。雨脚が強くなってきました。親子であちこちウロウロ。天敵の野良猫がうろつかないうちに。ヒナたちが叢の中に。そのうち姿が見えなくなりました。さて、帰ろうかとすると、「オナガ」が。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/0f/35390b3509d0b0685431b98cec8dc837.jpg">※オナガ水色の美しい鳥実を...雨降りの午後・日曜。「向島百花園」。アジサイ。リンドウ。ハンゲショウ。カルガモ・ヒナ。オナガ。・・・
中川の一つ上流にある「吉川橋」。その先で、元荒川が中川に合流する。左手が「元荒川」、右手が「中川」。付近は、工事中。左手に「中島橋」。越谷市内のマンホール。「越松水消火栓消防士ガーヤちゃん」。越谷特別市民「ガ-ヤちゃん」が消防士にふんしたデザイン。元荒川の最下流に架かる「中島橋」。中川方向を望む。上流に向かって歩き始めます。右岸の「元荒川緑道」を歩きます。「飯島排水機場」からの流れ。その先に「大成スポット公園」。緑道には、休憩ベンチ・簡単な運動器具・トイレなどが整備されています。左手に土手状の盛り土が続いています。この付近の今昔。(1880年代)元荒川沿いの微高地で自然堤防が形成されている。(現在)住宅地や畑地などになっている。土手沿いに水路。対岸のようす。国道4号線・「大成橋」。「水道管橋」その先に、「...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
今回から「元荒川」を「中川」との合流地点から水源まで遡ることにします。ただ流域は暑さが並みではないところ。熱中症に気を付けながら、歩く距離も短めに。5日くらいかけて歩くつもり。また上流は最寄り駅が遠いので、バスを利用する予定。本数があまりなさそうですが。「元荒川」現在、埼玉県熊谷市久下にある熊谷市ムサシトミヨ保護センター内に源を発する。おおむね南東方向に流れ、行田市、鴻巣市、久喜市、桶川市、蓮田市、白岡市を経由する。途中、鴻巣市袋付近で武蔵水路と、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で見沼代用水と立体交差する。白岡市西付近で星川が合流すると川幅を大きく広げ、さいたま市岩槻区を経由し、越谷市中島で中川に合流する。かつての元荒川は1955年(昭和30年)頃までは荒川扇状地の湧水を水源としていたが、高度経済成長期に水源が...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
6月16日(日)。13回忌法要を済ませて、帰宅。息子夫婦から父の日のプレゼント。やはり、ビール。サントリーのセット。箱から出した途端、ソウタがすぐ、底の浅い箱に入っています。よほど箱好きなようです。入りきれないしっぽ。そのうち箱もつぶれて、そして、昨日。この格好は?頭は?しっぽは?<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/45/37d01859d03c8e7e1fc05c60f5915302.jpg">ソウタ。家人が出かけると、ジジを咥え、雄たけびをあげながら、家の中を走り回るようです。帰ってくると、必ずジジがそばに。家に来たときはこんな小さかったソウタ。ふだんは、一方のあんずは3歳になっても大きくなく、「可愛いわね」と声を掛けられる存在。家人の姿が...ソウタとあんず。我が家の猫たち。
賑やかな町並みに入ります。漁港らしいお店なども。「鈴木海苔株式会社」。しばらく進み、「国道356号」に合流し、「銚子大橋」に向かう交差点へ。左に「銚子大橋」。利根川最下流の橋。ここが「銚子往還(飯岡灯台~)」との追分になります。総武本線「旭駅」の先で二手に分かれた「銚子往還」。松岸町での追分と併せて二カ所の追分にたどり着きます。右に行くと「銚子駅」。この先は、前回、行きました。しばらく歩いた左手に「飯沼観音」(今回の「佐原銚子街道」のゴール)があります。ここまでで旅の終わりとします。この「あぶら屋」さんも関連がありそうです。銚子駅から成田線で帰途につきます。「下利根漁業協同組合」。利根川一帯も漁業の盛んな土地柄であることがわかります。「下総豊里」駅。この駅で下車して「佐原銚子街道」を歩きました。約12㎞。...成田線「下総豊里駅」~総武本線「銚子駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第4日目。)