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2022/10/30

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  • 影と祈りの地下鉱脈──村上春樹作品を貫く「父」と〈仏教的無意識〉文字数:2632

    影と祈りの地下鉱脈──村上春樹作品を貫く「父」と〈仏教的無意識〉1書かれなかった「生々しい原因」『文藝春秋』に寄せられた手記で、村上春樹ははじめて父の戦争体験――中国での捕虜斬首の現場――に言及した。僧侶であり国語教師でもあった父は、木魚を打ちながらガラス箱に入った観音像へ勤行を欠かさなかった。息子はその姿に説明のつかない嫌悪と距離を覚え、やがて四十代から六十代にかけて二十年以上にわたり父子は疎遠となる。不仲の「生々しい原因」は手記で伏せられたままだ。沈黙こそが逆説的に最大の告白である。だが、文学はしばしば“書けないもの”を迂回して浮上させる。春樹の長編には父と子の葛藤が繰り返し変奏されてきた。『海辺のカフカ』――父殺しと母の失踪をめぐる呪的迷宮『ねじまき鳥クロニクル』――戦争体験を語る老人=擬似父との対...影と祈りの地下鉱脈──村上春樹作品を貫く「父」と〈仏教的無意識〉文字数:2632

  • ギャツビーの祈り──「それは私事にすぎない」という謎のひとこと

    ギャツビーの祈り──「それは私事にすぎない」という謎のひとこと『華麗なるギャツビー』のなかで、語り手ニックの前に、ギャツビーはとつぜんひとつのことを言い切る。「ちょっとのあいだくらい、あの男を愛したこともあったかもしれない。結婚した当座はね。でもその頃だって、あいつなんかより私の方をより愛していたことは確かだ。そうとも」そして、こう付け加える。「ともあれ、それはただの私事にすぎない」この最後のひとことは奇妙である。あたかもデイジーの感情のすべてを自分の信仰の中で処理しようとするかのように、ギャツビーはその真実を「私事」として密閉してしまう。ここで語られているのは、「愛したか、愛されなかったか」ではない。「どちらをより強く愛していたか」でもない。ギャツビーがそこに見出そうとしているのは、愛の真実をめぐる神話...ギャツビーの祈り──「それは私事にすぎない」という謎のひとこと

  • 影と意識の核──ショーペンハウアー、阿頼耶識、そして〈世界の終り〉文字数:1669

    影と意識の核──ショーペンハウアー、阿頼耶識、そして〈世界の終り〉ショーペンハウアーを魅了したのは、古代インドに由来するブラフマン–アートマンの思想だった。ブラフマンとは宇宙全体を貫く原理であり、アートマンとは個の深奥にある最終的な源泉である。この二つは本来、梵我一如として同一のものと見なされ、時間を超えた不変の絶対的現実であるとされている。だが、我々が生きる現実世界は絶えず移り変わり、その変化の只中にあって我々は物事を経験する。この現象世界のすべては、実はマーヤー、すなわち幻影に過ぎないのだという。この構造は、ショーペンハウアーの哲学における「意志」と「表象」の関係に酷似している。表象の世界、すなわち我々が五感を通じて知覚するすべては、根源的な「意志」によって形作られている。だが、その意志そのものは、捉...影と意識の核──ショーペンハウアー、阿頼耶識、そして〈世界の終り〉文字数:1669

  • 般若経の空と村上春樹 文字数:1264 写真未完

    村上春樹といえばランナーが思い浮かぶ。一体祈りとランナーなんの関係があるのだろうか。実はランニングも村上春樹の祈りなのだと気が付いた。神仏に祈るばかりが祈りではない。ランニング行為によって頭を空白にしてニュートラルを保つ。これも今風の大いなる祈りなのだ。そしてこの祈りの形態も村上春樹の文学的成功でその効果は著しいことが覗える。村上春樹は地下二階(精神の)に下りて行って小説を書く。そしてこれは相当危険な行為だと述べている。ニュートラルを保つしっかりとした方法論がないと真似をしてはいけないと彼の著作で注意していた。だからこそ数十年間毎日朝2時過ぎに起きて仕事をしてそのあとはランニングに向かう。あたかも修行僧の生活だ。彼に千日回峰は似合わない、ランニングを祈りに変えることで現代の祈りを実行しているとみている。彼...般若経の空と村上春樹文字数:1264写真未完

  • 影とともに立つ ウユニにて 文字数:1115

    影とともに立つ──ウユニにて影が長く伸びる瞬間を、私は2006年、ボリビアのウユニ塩湖で捉えた。薄い夕陽が乾いた塩の大地を染めるころ、私と、そしてたぶんつれあいの影が、はるか先まで地を這っていた。15年が経った今も、その影は私の記憶のなかで生きている。影は年齢を写さない。しわも、体重の変化も、薄れゆく記憶の濃淡さえも、影には反映されない。そこにあるのは、ただ“存在”の黒い輪郭だけである。ふと、村上春樹がアンデルセン文学賞のスピーチで語った「影」の話を思い出す。アンデルセンの『影』──自分の影が知恵と力を持ち、自分を追い越し、やがて主人の座を奪う物語。「影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません」この言葉は、ウユニの光の中でぐっと実感を帯びる。この真っ白な世...影とともに立つウユニにて文字数:1115

  • 旅の記憶 断章 文字数:1587

    旅の記憶断章フィッシュラダーとアザラシチッテンデン水門。川を遡るサーモンのために設けられた階段状の通路。そこに一匹のアザラシがいた。遡上を夢見る魚たちを前に、彼は水中の影のように佇んでいた。白豚とケルンの広場ケルン大聖堂の影の下、ピカピカに磨かれた白い豚にハーネスをつけ、男が歩いていた。あまりにも堂々と、誇らしげに、その豚はまるで神殿の生き証人のようだった。古城のバスガイドドイツの古城巡りで、日本人だけが後ろの座席に追いやられた。窓際に座ろうとすると、ガイドは冷たく「ノー」と言った。降りると言ったら、彼女はなにかつぶやいた。言葉の壁より、心の壁が痛かった。王宮の皿ソウルの王宮料理。金属の小皿がびっしりと並び、冷麺もキムチも、どこにもなかった気がする。料理というより儀式のような静けさ。子供マネキンの顔ボロー...旅の記憶断章文字数:1587

  • 歴史の壁のかけら 1989年、ベルリンにて

    歴史の壁のかけら1989年、ベルリンにて壁を削る音が静かに続いていた。人々は夢中でコンクリートをこそぎ、かけらをポケットに入れる。その破片は、ある者にとっては自由の証、またある者にとっては失われた秩序の断片だった。私は屋台風の店で、小さな破片が入ったビニール袋を買った。土産物のように扱われていたが、それは確かに歴史そのものだった。だが、いま再び、ウクライナ危機という名の「壁」が立ちはだかっている。壁の形が変わっただけで、人類はまたしても分断と暴力に引き寄せられているのだ。“歴史は繰り返す”というより、“歴史を忘れる力”を人類は持ってしまったのかもしれない。希望と絶望のはざまで、私たちはどちらを選び取るのか。──「幼年期の終わり」のように、超越存在による導きが必要なのかもしれない。それでも私は、子どもたちの...歴史の壁のかけら1989年、ベルリンにて

  • 27年前の米国独立記念日 1994年7月4日 ラビニア公園にて

    27年前の米国独立記念日1994年7月4日ラビニア公園にてこの写真は、1994年の米国独立記念日、シカゴ郊外のラビニア・ジャズフェスティバルに訪れた際の一枚だ。K君の案内で、奥様と小さなお子さんも一緒だった。まだナビもない時代、車の窓を開けて通りがかりの人に道を尋ねながら、ようやく目的地に辿り着いた。公園には色とりどりのシートとワインを手にした家族連れが陣取り、祝祭の時間を待ちわびていた。日が暮れる頃、さりげなく響き始めたのは、オスカー・ピーターソンのピアノだった。「酒とバラの日々」が流れ出すと、彼は頭を揺らしながら終始笑顔で弾き続け、まるでそれが人生そのものだと言わんばかりだった。この日のラビニアは、まさに「酒とバラの日々」の体現だった。花火が夜空に咲き、笑い声と音楽が混ざり合う。トム・クルーズ主演の『...27年前の米国独立記念日1994年7月4日ラビニア公園にて

  • 夕暮れのスミニャック交響曲 時を刻む色と音 文字数:1202

    夕暮れのスミニャック交響曲時を刻む色と音午後四時。バリの一日はまだ街の鼓動に包まれている。バイクの排気、売り子の掛け声、真っ赤なサンバルの匂い。空港を行き交うジェット機の咆哮さえ、生活のリズムに溶け込む。浜辺に立つ私は、その雑音を背に受けながら潮と光の劇場へ歩み出す。16:30光が少し傾き、砂はダークブラウンから柔らかな白へ。海はブルー・パープルに沈み、波打ち際には白い花がひとひら流れ着く。誰が捧げた祈りだろう。17:00世界は一面の銀。シャッター速度を上げると、跳ねる波が写真の中で時を失う。銀の静寂の中心に、私はただ立っている。17:30シルバー・グレーがシルバー・ゴールドへ移ろう。光は饗宴の第二楽章へ。海面に散った金の粒が、まだ見ぬクライマックスを予感させる。18:00ライト・ゴールドが砂を染める。ビ...夕暮れのスミニャック交響曲時を刻む色と音文字数:1202

  • スミニャックの浜で 光と家族の記憶 文字数:757

    スミニャックの浜で──光と家族の記憶夕暮れのスミニャック、潮が引いた浜は空をそのまま映していた。水平線のあたりに沈もうとする太陽が、雲間に滲み、やわらかな金と紫を砂の上に落としている。空と海、そして大地の境界が曖昧になり、すべてが一体となって、静かに輝いていた。この浜で、私たちは毎夕、家族とともに遊んだ。小さな足音が波の音に溶け、笑い声が風に舞う。子どもはまだ言葉もたどたどしかったが、その分、世界ともっと直接につながっていた気がする。濡れた砂の上を自由に走り、母のもとへ向かっていく。その姿を見ているだけで、何か大切なものが胸の奥でじんわりと熱を帯びた。一日一日の終わりが、こんなにも美しい場所で迎えられるということ。それは、ただの贅沢ではなく、人生の一つの“祝福”だったのかもしれない。スミニャックの浜辺には...スミニャックの浜で光と家族の記憶文字数:757

  • アグン山、赤く裂ける アメッドからの帰路 文字数:808

    アグン山、赤く裂ける──アメッドからの帰路アメッドからの帰り道、夕暮れの空がまだ茜色を残していた頃だった。視界の先にそびえるアグン山、その黒い稜線の中腹から、一本の赤い筋が流れていた。それは、紛れもなく溶岩だった。夜の帳が降りかけた山肌を、火の線がゆっくりと下っている。煙がたなびき、光が脈打つようにちらつく。あまりに静かな炎の動きに、思わず言葉を失った。自然の大いなる呼吸のように、何かが地下から解き放たれているのを感じた。バリに長く暮らしていても、こうした光景に出会うことはめったにない。だが、この島では神の山が動くということが、いまなお日常の延長にある。アグン山はただの火山ではない。ヒンドゥの宇宙観においては、聖なる軸であり、島全体の中心だ。この火を「恐怖」としてだけ見ることはできなかった。むしろ、畏れと...アグン山、赤く裂けるアメッドからの帰路文字数:808

  • 作家の生原稿コレクション 文字数:8591

    神奈川近代文学館それほど期待せずに入館すると作家の生原稿が展示されている。作家の生原稿コレクション文字数:8591

  • 清流と人参 スバックの村にて 文字数:856

    清流と人参──スバックの村にてタバナンの高台を走っていると、棚田の間を流れる一本の小川が目に留まった。その清流のほとりで、赤いシャツを着た若者が腰をかがめ、人参を洗っている。掘りたての土がまだこびりついた人参を、両手で丁寧にこすりながら、ひとつずつ流れにくぐらせている。朱の色が水面のきらめきに溶けて、まるで光そのものを洗っているようだった。思わず声をかけて、何本か分けてくれと頼んだ。彼は笑って応じてくれた。その穏やかさの背景には、この村の土地と水をめぐる長い歴史がある。この地域の水は、スバック(Subak)と呼ばれる伝統的な水利組合によって支えられている。スバックとは、ただの用水システムではない。稲作とともに築かれてきたバリ独自の農業共同体であり、水を神からの恵みとして公平に分け合うための知恵と祈りの結晶...清流と人参スバックの村にて文字数:856

  • 魚を追う午後 タバナンにて 文字数:724

    魚を追う午後タバナンにて途中、タバナンの道端で今夜のバーベキュー用の魚を買うことにした。バリのこの地域では、海の恵みよりも淡水魚の方が好まれる。理由を問う必要もない実際に食べてみればわかる。白身でクセがなく、焼いても煮ても深い旨味が残る。田んぼの奥、緑の風景のなかにぽっかりと開けた養殖池がある。注文を告げると、赤いシャツの男がズボンの裾をまくって、ためらいもなく池に入っていった。手には長い棒と、片手の網。水音を立てながら、魚の群れを追い込んでいく。その様子を木陰で見ていると、モロッコの山中で鶏を追いかけて捕まえてくれた老人のことを思い出した。あれもまた、「いま、ここで命をもらう」という行為だった。冷蔵も冷凍も経ず、すぐに食卓へ向かう魚。この新鮮さは、都市のスーパーでは手に入らない贅沢だ。今夜はこの魚を、プ...魚を追う午後タバナンにて文字数:724

  • 花火360度 バリの大晦日、雷雨のあとで 文字数:841

    花火360度──バリの大晦日、雷雨のあとで年が明けるその直前、空は稲光で切り裂かれた。昨夜のバリは、まるで何かを洗い流すかのような雷雨に包まれていた。黒い雲が空を塞ぎ、光と音が交互に世界を叩く。年越しの夜に、こんなふうに雷が鳴るとは思わなかった。やがて雨が止み、湿った空気の向こうからパン、パンッ!と乾いた破裂音が鳴り始めた。雷のあとの花火。この国の年越しは静けさとは無縁で、祝祭の音で始まる。近くの海岸からは一斉に花火が上がる。ビラの屋上に出てみると、なんと360度、ぐるりとすべての方向に花火が咲いている。光の花は遠くの住宅地からも、丘の向こうからも、ホテルの裏手からも、時間差で、競うように夜空に広がっていく。花火の数も、持続時間も、まるで誰かが限界に挑んでいるようだ。爆音はときに耳に刺さるほどで、もはや「...花火360度バリの大晦日、雷雨のあとで文字数:841

  • 風の季節 ブーゲンビリアとプールの冷たさと 文字数:1749

    風の季節──ブーゲンビリアとプールの冷たさと雨季と乾季の境目は、空の色よりも風のかたちでわかる。このところ、バリでは風が強い。昼も夜も絶え間なく、どこか定まらない方向から吹きつけてくる。湿った熱気を残したまま、しかし乾き始めた空気の兆しを含んでいる風だ。ベランダのブーゲンビリアがそれに敏感に反応する。鉢植えにしていた一本が、昨日の昼過ぎ、ぐらりと傾いているのに気づいた。花はなおも鮮やかに咲いているが、根元があやしい。細く、柔らかい茎では、この季節の風には勝てないらしい。何か、しっかりとした支えが要る。風を完全に遮ることはできなくても、「支える」ということなら人間にもできる気がする。夕方、いつものようにプールに入ってみた。ひと掻きした瞬間、いつもより冷たい。思わず息が止まりそうになった。水温が下がった理由は...風の季節ブーゲンビリアとプールの冷たさと文字数:1749

  • 乾季の朝と五キロの鰹 文字数:744

    乾季の朝と五キロの鰹今朝、いつものように浜沿いを自転車で流していると、まだ湿り気を帯びた砂の上で、一人の漁師が銀色の獲物をぶら下げていた。近づいてみれば、それは見事な形の鰹。腹は張り、背はたくましく、陽を浴びて墨のまだらがきらめいている。値段を聞くより先に「買う」と口をついて出たのは、魚との相性のようなものだろうか。持ち帰って台所に吊るす。重さはざっと五キロ。包丁を入れる前に、思わず写真を一枚撮った。銀と黒のグラデーションに、こちらの顔がぼんやり映り込む。腹を割くと、小魚が未消化のままぎっしり詰まっていた。さらに大ぶりの卵巣が続き、生命の循環という言葉が頭をよぎる。血合いの赤は濃く、脂は少なめで締まっている。乾季の海で動き回った鰹は、身が張り、味が筋肉に染み込んでいるようだ。ここ数日、風が乾き、朝の空気が...乾季の朝と五キロの鰹文字数:744

  • 正月の数の子とタトゥー ヌサドゥア日航バリ 文字数:1252 写真未完

    正月の数の子とタトゥーヌサドゥア日航バリ元旦は、昨年と同じくヌサドゥアの日航バリにある和食レストラン「弁慶」へと向かった。バリの1月1日は特段これといった行事もなく、道路の喧騒も、空の青さも、昨日と変わらない。だからこそ、ほんのひとときでも「正月らしさ」を味わいたいという思いが、私をこのホテルへと向かわせる。弁慶の正月膳には、数の子、黒豆、紅白なますといった定番の品が並ぶ。だがどうしたことか、肝心のごまめ、つまり田作りが姿を見せない。板前の理解が足りなかったのか、あるいは日本からの入手が困難なのかはわからない。ただ、皿の上の数の子と黒豆を前にすると、舌よりも先に脳が反応する。とりたてて美味いというわけでもないが、噛んだ瞬間に「ああ、正月だな」と記憶の奥から声がする。刺身の盛り合わせは、赤身のマグロ、甘海老...正月の数の子とタトゥーヌサドゥア日航バリ文字数:1252写真未完

  • 年末の魚市場 バリの「築地」 文字数:1102

    年末の魚市場バリの「築地」にて年の瀬の魚市場は、世界中どこでも似たような熱を帯びる。ここバリでも例外ではない。早朝、まだ日の光が市場に届ききらぬうちから、人の波がせり出し、床には海水と魚の血が交じって広がっている。赤いスナッパー、こちらでは「カカップ」と呼ばれる魚が氷の上にずらりと並び、その横で買い手たちが目を光らせている。ひと目でわかるのは、彼らの顔が真剣だということ。年末ということもあるのか、どの顔も少しだけ張りつめている。今日は“いい魚”を仕入れなければならないそんな気概が全身から伝わってくる。値段を問う声、身を押して確かめる手、ざくざくと音を立てる包丁の音。築地の場内を思い出す。スナッパー(和名フエダイ)は、バリでは人気の魚だ。刺身にするには骨が多く、日本人には少し扱いづらいが、煮ても焼いても美味...年末の魚市場バリの「築地」文字数:1102

  • 雨季のプール 静けさを映す水面の記憶 文字数:814

    雨季のプール静けさを映す水面の記憶バリの雨季、朝のプールはしんと静まっている。ヤシの葉がしなるたびに、雫がはらりと落ちる。ジャグジーの縁には水がたまり、冷たい雨に打たれて波紋が重なる。誰もいないデッキチェア。泳ぐ者も、笑う声も、今はない。けれど私はこの光景が好きだ。なぜならここに、かつての自分たちの姿が、淡く浮かんでくるからだ。あの頃、私はよくこの水の中で語り合った。朝の光を受けて泳ぎ、昼はぷかぷかと漂い、夕方にはジャグジーで背中を丸めながら、たわいない話をした。ときには黙って、水の中を歩くだけの日もあった。言葉がいらない日もあるのだ。雨が降ると、すべてが沈黙する。プールも庭も人の気配を失うが、私はその静けさに包まれるのが好きだった。葉音と水音が交錯し、水面には空と雨と時間がすべて映り込む。晴れた日の喧騒...雨季のプール静けさを映す水面の記憶文字数:814

  • 焼き豚の午後 椰子殻炭の火と、手のひらの記憶 文字数:1267

    焼き豚の午後椰子殻炭の火と、手のひらの記憶バリの十月は、まだ乾いた光を残しつつ、庭の芝にほんのり湿気を含ませてくる季節である。ある日の昼前、冷蔵庫の奥から誕生日会の名残で眠っていた豚肩ロース五〇〇グラムとラム肉七〇〇グラムを取り出した。輸入ハムは高価で、安物は“ソーセージ味”がする──そんな小さな不満が火種となり、「だったら自分で焼き豚を作ればいい」という単純な結論に火が着いた。仕込み肉はまだ凍ったまま、表面にバリ塩と粗挽きのチリフレークを揉み込む。塩はサヌールの揚げ浜で作った粒の大きいもの、チリは市場で瓶詰めにした乾燥品だ。解凍を待つあいだ、炭起こしの準備をする。椰子殻炭は火がつくと赤々しく長く燃える。値段は一キロあたり百円前後、これだけでいい火が買えるのだからありがたい。火ばさみで空気を送り、炭が白く...焼き豚の午後椰子殻炭の火と、手のひらの記憶文字数:1267

  • デンパサール市場 混沌の中の鼓動

    デンパサール市場混沌の中の鼓動バリに長く滞在していると、リゾートの静けさよりも、街の喧騒のほうに惹かれるようになる。観光客の歩かない路地、庶民の声が交差する朝市、埃と香辛料のにおいが入り混じる市場そこにこそ“生きている島”の顔がある。デンパサール市場もそのひとつだった。暑さはすでに朝から全開。バイクの排気と果物の甘い香りが混ざり、湿った空気が喉にまとわりつく。無数のパラソルがひしめき合い、下では手慣れた売り子が果物を並べ、客が値を探り、バイクが通り抜ける余地すらないほど道を埋め尽くす。轟音、笑い声、遠くで鳴るホーン。一歩踏み込んだだけで、世界の密度が違った。私は何十枚も写真を撮った。果物の艶、裸足の少年の眼差し、鍋の湯気、老婆の背中どれも記録に残したかった。だが、あとになって選んだのはこの一枚だった。バイ...デンパサール市場混沌の中の鼓動

  • バビグリン バリの祝祭が香る焦げ色の豚 文字数:780

    バビグリン──バリの祝祭が香る焦げ色の豚バリ島を歩いていると、店先に突如現れるこの光景丸焼きにされた豚の頭部が、ガラス瓶とともに大皿に乗せられている。艶やかに焼き上がった皮は赤銅色に輝き、鼻先から耳の先まで火が通ってパリパリと音がしそうだ。これがバビグリン。バリ・ヒンドゥー文化における特別な料理であり、儀礼食であると同時に、日常にも根を張った味覚のアイコンでもある。結婚式や祭礼の際にふるまわれる一方、街角のワルン(食堂)でも提供され、旅人にも広く親しまれている。中には香辛料をたっぷり詰めて、じっくり回し焼きにされる。レモングラス、バワン・メラ(赤小玉ねぎ)、ターメリック、唐辛子バリの香りの精鋭たちが腹に詰め込まれ、皮の内側からもじわじわと火が通る。皮は薄くパリッと仕上がり、箸で触れると割れるほど。その下か...バビグリンバリの祝祭が香る焦げ色の豚文字数:780

  • 波と遊ぶ バリの子どもたちのサーフィン風景 文字数:770

    波と遊ぶ──バリの子どもたちのサーフィン風景バリの海は、いつ見ても飽きることがない。空と波が混ざり合い、寄せては返す白い縁どりが、昼下がりの浜辺にリズムを刻んでいる。ふと視線を沖へ向けると、子どもたちがボードを抱えて波と戯れていた。肌の色と一体化するような濃い海の中、細い腕が力強く水を掻いている。小さな体が波に浮かび、沈み、また浮かぶ。大人の目には「かなり荒れている」と思えるような波だった。だが彼らには恐れなど微塵もない。むしろ波を待ち構え、ぶつかり合い、タイミングを見計らって乗ろうとする。海が怖いのではなく、海は遊び相手なのだ。それはきっと、生まれたときからこの音、この重さ、この塩気のなかで育ってきたからなのだろう。彼らにとってサーフィンは、スポーツというより、生活の延長であり、午後の遊びにすぎない。ボ...波と遊ぶバリの子どもたちのサーフィン風景文字数:770

  • バリの台所──浜辺の魚と包丁捌き 文字数:356

    バリの台所──浜辺の魚と包丁捌き夕暮れの散歩道、氷箱を積んだ行商のおばちゃんとすれ違った。覗き込むと、真紅にして斑点をまとう「コッカ」が揺れている。目玉はまだ潤み、鰭にはかすかな動き。体長四十センチを超える大物を八百円で手に入れ、急ぎ家へ持ち帰った。まず薄造り用に三枚に下ろし、透明な身を引く。刺身の残骸となった頭と中骨は兜焼きに回し、余った身は小分けにして冷凍。後日、白粥に放り込むと淡白な甘みがじわりと溶け、まるで蟹の旨味を思わせた。深海の魚が持つ、上品で厚みのある脂ゆえだろう。バリの台所──浜辺の魚と包丁捌き文字数:356

  • グラミ(淡水魚)の黄金色は食欲をそそる 文字数:711

    炭を白く起こした小さなコンロの上、グラミ(淡水魚)の黄金色の腹がぱちぱちと音を立てている。切れ目に塗り込んだサンバルのターメリックが熱で艶を増し、煙はほんのり甘く、どこか草の香りを帯びて立ちのぼる。バリの若者なら誰でも心得ているという下ごしらえ鱗を落とし、背と腹に斜めの切り込みを入れ、塩とライムで軽く締める手際を終えた魚は、薄い金網に挟まれて自在にひっくり返される。海に囲まれた島でありながら、バリの人々が淡水魚を愛する理由は、このグラミの身をひと口ほぐせばすぐにわかる。白身は脂控えめで淡く甘く、サンバルの辛味と酸味を受け止めてもなお清らかな味が残る。海魚の力強い旨味とは別の、田の水を通り抜ける風のような爽やかさ。口に運ぶたび、舌の上で身がほろりと崩れ、細い骨からするりと外れる。焼き上がりは外側が香ばしく、...グラミ(淡水魚)の黄金色は食欲をそそる文字数:711

  • ジンバランのイカンバカール 文字数:631

    ジンバランの浜に立つと、潮と炭の匂いがまじりあった煙がまず鼻をつく。市場で買ったばかりの魚を抱え、この掘っ立て小屋めいた焼き台に持ち込めば、後は男たちの手だ。鉄網の上で赤黒く燃える椰子殻の炭火、その上に魚を放り込み、うちわ代わりの扇風機を回して勢いよく煙を立てる。火力は荒っぽく、だが計算されている。脂が滴るたびに炎が跳ね、鱗の間からじゅっと音が弾ける。日本の塩焼きは身をふっくらと保つために火を遠ざけるが、ここでは真逆だ。強火で表面を焦がし、身の水分を一気に閉じ込める。出来上がった魚は皮こそ黒く荒々しいが、骨際まで香りが染み込み、素手で引き裂くと湯気と同時に海の匂いが立ちのぼる。そこへサンバルを豪快にかける。唐辛子、トマト、バワン・メラ(赤小玉ねぎ)、ライム甘さも酸味も辛味も一度に舌へ飛び込んでくる。そして...ジンバランのイカンバカール文字数:631

  • キキ特製ソト・アヤムとバリ風から揚げ 文字数:3170

    キキ特製ソト・アヤムとバリ風から揚げ――早朝5時に届けられた“幸福のランチボックス”の再現法――1.材料(4人分)区分材料目安量備考肉鶏もも肉600g骨付きがおすすめ芳香野菜しょうが親指大1片皮ごと粗切りガランガル(オレンジ色の生姜に似た根茎)親指大1片現地名ラオス/クンチュールにんにく4片スパイスバリ塩小さじ2精製塩なら1.5倍量白こしょう(粒)小さじ1黒こしょう(粒)小さじ1フェンネル&アニスのミックス小さじ½インド料理店の会計横に置かれている甘い口直し用スパイスハーブレモンリーフ(ダウン・サラム)4枚手に入らなければライムリーフで代用油ココナッツオイル100mL+揚げ油適量仕上げ赤小玉ねぎ(シャロット)5個スライス小口ねぎ適量トッピング用フレッシュチリ2本種付きのまま小口切り調味春雨80g水で戻す「...キキ特製ソト・アヤムとバリ風から揚げ文字数:3170

  • ナイト・マーケットの宵 再会とサテ・カンビン

    ナイト・マーケットの宵再会とサテ・カンビン旅先の夕食どきというのは、どこか浮き立つような、そして少し寂しい時間でもある。どこで何を食べようかそれは楽しい悩みであると同時に、ちょっとした孤独の選択でもある。ひとりで入って落ち着ける店がいい。けれど、いつも同じ店ばかりでは飽きてしまう。そんな思いを察したかのように、宿のオーナーが声をかけてきた。「ナイト・マーケットは行ったことがあるか」「いや、シンドゥのナイト・マーケットにはまだ」「行ってみなよ。安くてうまい。サテ・カンビンもあるぞ。レストランなら700円のところが、400円で食える」その言葉に背を押され、夕方6時過ぎ、シンドゥ・マーケットへ向かった。いつもの市場の駐車場が、日が落ちるとともに屋台村に姿を変えていた。裸電球の明かりが照らす青い屋台の数々、立ちの...ナイト・マーケットの宵再会とサテ・カンビン

  • ビンタンの泡、星の記憶 バリの浜辺で 文字数:1318

    ビンタンの泡、星の記憶──バリの浜辺にてバリのビーチに腰を下ろし、グラスの底からゆっくりと立ちのぼる気泡を眺める。乾いた喉に、黄金色の液体がしみわたる。バリで飲むビールといえば、やはりビンタンだ。瓶のラベルには赤い星。インドネシア語で“星”を意味するこの銘柄は、どこか牧歌的で、素朴な響きがある。だがその味には、いつも少しばかりの不安がある。冷蔵庫から出したばかりの瓶でも、泡立ちが悪く、どこか芋のような匂いが鼻につくことがある。最初は不思議に思っていたが、何度か飲むうちに法則に気づいた。新しいものは旨い。古くなると気が抜けて芋臭くなる。つまり、これは瓶の栓の締めが甘いのだと結論づけた。それでも、数ある地元ビールのなかで、私はやっぱりこの星印のビールに戻ってしまう。バリ・ハイ、アンカー、アンカー・スタウトいく...ビンタンの泡、星の記憶バリの浜辺で文字数:1318

  • 煙の向こう サヌールのサテ焼き場にて 文字数964

    煙の向こう──サヌールのサテ焼き場にて夕方、サヌールの舗道を歩いていると、ふわっと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。振り返ると、路肩に腰を下ろした女が、炭火の上でサテ・アヤムつまり鶏の串焼きを焼いている。煙がゆるく流れ、女の手元でせわしなく串がひっくり返されていた。だが、そのすぐ背後にあるのは火葬場だ。バリではよくあることだが、この場所はとりわけガベンバリ独特の盛大な葬儀が行われることで知られている。日本人の感覚では、火葬場のそばで食べ物を売るというのは、どこかためらわれるかもしれない。私も、子供の頃に感じたあの独特の臭いが記憶を呼び起こし、つい身構えてしまうところがあった。だが、バリの人々は違う。煙が上がるたびに、すれ違う地元の人々がふっと立ち止まり、串を数本買っていく。おばさんはそれをバナナの葉に包み、横...煙の向こうサヌールのサテ焼き場にて文字数964

  • アメッドの塩──太陽と風と、にがりの話 文字数:1602

    アメッドの塩──太陽と風と、にがりの話バリの東、アメッドの浜に並ぶ木の槽。陽に照らされた長い半筒の中には、黄色く光る塩水が静かに揺れていた。これは塩をつくるための“桶”であり、海と太陽と人間の知恵が出会う場所だ。アメッドは、バリ三大名塩の一つ。そのなかでもこの集落の塩は、私にとって一年分の台所を支えてくれる大切な品だ。去年の5月、乾季のはずが季節の巡りが遅れていたのか、いつもの塩工房はまだ稼働していなかった。今年はようやく10キロの塩を手に入れることができた。これでしばらくは安心だ。塩を10キロも?と笑われるかもしれないが、こちらの使い方を見れば納得してもらえるかもしれない。バリでは野菜や果物の農薬を落とすのに、魚のぬめりを取るのに、惜しげもなく塩を使う。洗い物にたっぷりの塩。それが日常なのだ。精製された...アメッドの塩──太陽と風と、にがりの話文字数:1602

  • チリの話──ラメランと多幸感のからくり 文字数:1505写真未完

    チリの話──ラメランと多幸感のからくりバリでの日々、何かと世話を焼いてくれたドライバーのラメランは、毎食10本の唐辛子を平然と食べていた。最初に見たときは、冗談かと思ったが、本気だった。小皿に山と盛った生のチリを、一本また一本と、さも当然のように口に運んでいく。「辛いのが好きなんだな」と言ったら、ラメランは笑って、「いや、これは幸せになるためだよ」と真顔で返してきた。幸せになるため?なんのことかと聞き返すと、「唐辛子を食べると、体の中がポカポカしてきて、ふわっと気分が良くなる。笑いたくなるんだ」と説明してくれた。なるほど。そう言われてみれば、思い当たることがある。昔、タイでカプサイシン入りのマッサージオイルを試したことがあった。塗った瞬間は地獄だった。焼けるような刺激が皮膚に広がり、思わず声が出た。だが数...チリの話──ラメランと多幸感のからくり文字数:1505写真未完

  • プールサイドの夕暮れ(フィクション) 文字数:1320写真未完

    プールサイドの夕暮れ──バリ、もう戻らぬ時間たちあの頃、バリ島の片隅にあるヴィラに家族と共に滞在していた。日々のなかで、最も楽しみだったのは、夕暮れ時に自然と始まるプールサイドでの語らいだった。泳ぎを終え、タオルを肩にかけたまま濡れた足を乾かしながら、男たちは語り合った。国籍も背景も違うが、どこか似た体温を持った四人だった。集まったのは、スペイン人のミゲル、スウェーデン人のラース、アメリカ人のネイサン、そして当時60歳の私。みな酒を飲まなかったのは、酔えないからではなく、プールでエクササイズ中だったからだ。体を保つことが、それぞれの暮らしと誇りに結びついていた。ミゲルは、いかにもスペイン的な、陽気で人懐っこい男だった。笑顔を絶やさず、冗談を連発し、抜群にモテた。ヴィラには日替わりのように女性が訪れたが、あ...プールサイドの夕暮れ(フィクション)文字数:1320写真未完

  • ジンバラン魚市場から我が家の流し台まで 文字数:893

    ジンバラン魚市場から我が家の流し台まで流し台の上で揺れる四キロのタコ。バリ島の年の瀬は、大晦日の朝八時半、ジンバランの魚市場から始まる。夜明けの潮の匂いをまとった漁師の船が到着すると、氷箱の蓋が跳ね上がり、赤黒い斑点を散らしたコッカ(ハタ)、深い朱に縁どられたスナッパーが次々に現れる。買い出し人の顔が一瞬硬くなるのは、真剣に正月の主役を選ぶからだ。タコを持ち上げるずしりと腕にくる。「塩で徹底的に揉み洗いして、三分だけ茹でるんですよ」市場で教わった通りに、荒塩をひと掴みずつ振っては、ぬめりを洗い落とす。茹で上がった脚は赤銅色に締まり、重労働の報酬として台所に磯の甘い蒸気が立つ。薄造りにすれば刺身包丁が吸い込まれるようだ。ハタは“魚の王者”だという。灰色のまだら模様は不格好でも、骨の際についた身まで甘い。頭は...ジンバラン魚市場から我が家の流し台まで文字数:893

  • イミグレーションにて 文字数:727

    イミグレーションにてバリのイミグレーション。何の変哲もない青い椅子が並ぶ待合室に腰掛けていると、時計の針の進みだけが遅くなったように感じる。涼しい空調と、時折交わされる無愛想なインドネシア語。番号が呼ばれるたびに、人々が無表情に立ち上がる。だが、ここには旅人たちの人生が凝縮されている。リタイアメントビザ取得の手続きのとき、私は10本の指すべてにインクを押しつけられた。役所仕事らしい無骨な力で、親指、小指、また親指と、順番に押しつけられる。終わったときには手が真っ黒だった。石器時代の通過儀礼のように。前の席に座った初老の男が、パスポートに挟んだ何枚かの紙幣を窓口で差し出すと、無言で突き返された。バリの役人たちは、見かけよりずっと誇り高い。それでも、ただの待合室が、小さなドラマの舞台になることがある。子連れの...イミグレーションにて文字数:727

  • ビアワが来た日 文字数:686

    ビアワが来た日バリに長く滞在していると、思いもよらぬ訪問者がやってくる。人ではない。人なら門を叩くが、彼はそういうものを持たない。音もなく、ぬっと現れる。ある日の午前、日差しがきらきらと差し込むタイルの床に、灰色の長い影が滑り込んできた。大きなトカゲいや、「ビアワ」だと後に知った。体長はゆうに1メートルを超えていた。尻尾は鞭のようにしなやかで、黒い斑のある肌が陽の光を鈍く照り返す。家族は大騒ぎだった。声を上げる者、バスタオルを掴んで追い払おうとする者。ビアワはそのどれにも動じず、目を細めるようにして、ただしばらくそこにいた。警戒しているというより、観察していたのかもしれない。後で聞けば、ビアワはこの島では割と身近な存在だという。稀に市場では串焼きにもされるとか。とはいえ、彼らは基本的にはおとなしく、人に危...ビアワが来た日文字数:686

  • サヌール、マクベン通い 文字数:1170

    サヌール、マクベン通いサヌールに滞在するたびに足が向く店がある。滞在しているヴィラのすぐ隣まるで導かれるように朝の空腹とともに辿りつく。あるいは夜更けてから。マクベンという店。聞けば創業は1941年というから、第二次大戦のさなかから脈々と受け継がれてきた味ということになる。メニューはいたってシンプル。魚のから揚げと、魚スープだけ。それだけでよくぞここまで、というほど一日中行列が絶えない。朝7時半、開店と同時に客が集まる。観光客の姿もあるが、ほとんどは地元の人々。彼らが口にするものにハズレはない。座れば何も言わずとも料理が出てくる。魚の切り身はからりと揚げられ、サンバルがきりりと添えられる。スープは唐辛子の辛味が効いているのに、やさしく身体に沁みる。澄んだだしに魚の奥行きまさしく「うまみ」という言葉が似合う...サヌール、マクベン通い文字数:1170

  • 浜辺のとうもろこし──サヌールの小さな夕暮れ 文字数:941

    浜辺のとうもろこし──サヌールの小さな夕暮れ夕方になっても、腹が減らない日がある。そういう日は、大概、昼に少し張り切って食べ過ぎた時だ。ナシゴレンかバビグリンか、はたまたミークアだったか。いずれにせよ、身体がもう食事の重さを欲していないときは、ただ海へと向かう。缶ビールを一本、バッグに放り込み、それから必ず醤油ボトルをポケットに入れる。これはちょっとした儀式だ。誰にも強制されないが、これがないと海辺の「夕餉」は始まらない。浜に出ると、いつものおばちゃんがいる。小さな炭火台の前で、とうもろこしを焼いている。顔を見せると、向こうもニヤリと笑う。こちらが醤油の小瓶を持っているのを知っていて、どこか可笑しがっているふうでもある。焼きとうもろこしの上からたらりと垂らし、それをもう一度炙る。香ばしい匂いが立ちのぼる。...浜辺のとうもろこし──サヌールの小さな夕暮れ文字数:941

  • ウブド、美しい風景を眺めながら 文字数:950

    ウブド、美しい風景を眺めながら朝のウブドは、まだぬるんだ夢をまとっている。路地裏の小さな屋台でバビグリンをブンクス(持ち帰り)した。50円という価格に惹かれて買ってみたが、包みを開けばおにぎり一つ分ほど。笑ってしまうほど小さかった。仕方なく、別の店でお粥(ブブー)を。150円、されど滋味深く、添えられた卵の黄身が妙にうまい。舌にやさしく、腹にも穏やかだった。その後、マッサージを1時間。600円の背中に、男の手がしっかりと入ってくる。聞くというより、効く。昼前には、通りすがりのカフェに吸い寄せられる。キンタマーニの名を冠したコーヒーを注文。深く、澄んで、バリ・コピとはまるで違う満足がそこにあった。ゆるゆると歩く。見覚えのある王宮の前に出ると、観光バスとバイクの排気が襲ってくる。だが、どこか懐かしい。昼はナシ...ウブド、美しい風景を眺めながら文字数:950

  • 「クンバン・ムラッ 風に舞う名もなき旗」文字数:744

    「クンバン・ムラッ──風に舞う名もなき旗」バリの昼下がり、陽射しはまだ鋭いというのに、風は妙に軽やかだった。サヌールの道沿いを歩いていると、ふと目に留まった一枝の花。深紅に燃える花弁のふちに、炎のような黄がにじむ。しべは細く長く、風にそよぎながら、どこか踊っているように見えた。クンバン・ムラッ。直訳すれば「孔雀の花」。たしかに、どこか孔雀の羽根を思わせる気品がある。だがその姿は、孔雀のように誇示的ではない。名もなき旗のように、誰に注目されることもなく、黙って自らの時間を咲いている。この花を見た瞬間、私は「ああ、バリに来たな」と思った。リゾートの象徴でもなければ、観光パンフレットに載るわけでもない。ただ、どこにでも、でも確実に、バリの暮らしの背景に咲いている。寺院の境内、家の門先、道端のくすんだ植え込み。決...「クンバン・ムラッ風に舞う名もなき旗」文字数:744

  • 「誰もいないという贅沢──サヌールの昼下がり」文字数:363

    「誰もいないという贅沢──サヌールの昼下がり」人影のない海辺に立つとき、ふと、自分が世界にひとりきりになったような錯覚に陥ることがある。けれど、それは孤独ではない。むしろ、世界のささやきがようやく聞こえてくる時間。サヌールの海はいつも静かだ。観光客で賑わう他のビーチと違い、ここでは風が先に来て、次に雲がゆっくりと流れていく。船は波に抗わず、眠るように浮かんでいる。この退屈さを「愛す」というのは、歳月を重ねて初めて身につく芸当かもしれない。喧騒に背を向け、何も起こらない午後に身を沈める。少し気だるい昼下がり。その中にこそ、バリの本当の時間が潜んでいる気がしてならない。「誰もいないという贅沢──サヌールの昼下がり」文字数:363

  • バリの朝、ナシチャンプルとともに 文字数:781

    バリの朝、ナシチャンプルとともにセガラ通りの朝。いつものあの店に足が向く。屋根の低い簡素な食堂に、赤いテーブルクロス、スプーン立て、そして大きなホーローの器に盛られたバリ料理の数々。焼けた空気と湿った土の匂い。観光客向けではない、地元の人々が黙々と朝を済ませる場所だ。ここでは注文の必要はない。黙って座れば、ナシチャンプルが出てくる。いやこれしかメニューはない。おかずは日によって少しずつ違うが、どれも日常の味だ。辛いサンバルに、甘く煮たテンペ、硬めの茹で卵、時にイカン・ゴレン(揚げ魚)も乗ってくる。カリカリ、トロリ、ピリリ。味の層が波のように口に広がる。この店にはもう何度通っただろう。一人の朝はほとんどここで始まる。観光地バリの顔ではなく、生きるバリの素顔に触れたくて、私はこの店に通い続けている。食堂の奥で...バリの朝、ナシチャンプルとともに文字数:781

  • 白い珊瑚 文字数:589

    この白い珊瑚のフォルムと肌理(きめ)は、あのガウディが深く頬を寄せ、「神が造った模型だ」と呟いたかもしれない。幾何と生命のあわい。規則性とゆらぎ。透かし彫りのような構造美と、かすかな儚さ。バルセロナで見上げた柱の分岐が、まるで海中に沈んでいた記憶のように、この珊瑚の枝に呼応して見えてくる。人が何かを「美しい」と感じるとき、それはおそらく、自然の構造を自らのなかに見出す瞬間だ。珊瑚のポリプが並ぶ白の凹凸に、われわれの皮膚の記憶や骨の連なりあるいは恐竜の化石が呼び覚まされる。だから、ふいに、触れてみたいと感じるのだろう。あるいは、“触れられている”と錯覚するのかもしれない。この白い珊瑚は、バリの海底から贈られた、静かな建築の断片。旅人の感性にささやく、無言の設計図。バルセロナの旅がここで結びつく。白い珊瑚文字数:589

  • 「命の模様」に触れた 文字数:635

    それはまさに、「命の模様」に触れた瞬間だった。サンゴの硬質な抽象に見惚れていたそのすぐ傍らで、ぬらりとした海蛇の鱗が、生きた意志のように波打っていた。岩と同じ色を纏いながら、確かにそこにいる。しかもその存在は、こちらの心臓を一撃でつかむほど鮮烈で、沈黙のサンゴとは対極の、生そのものの気配に満ちていた。バリで三度も遭遇したというのは、もはや偶然ではなく、何かの“徴”かもしれない。メンジャンガンで踏みそうになったあの日も、タナロットで潮の引いた岩に残された姿を見たあの時も、そして今回も、まるでバリの深層が「見よ、これがわたしたちだ」と静かに告げてくるようだ。生と死、危険と神聖、静と動、装飾と実在バリではそれらがきっちり分けられていない。だからこそ、こうした「瞬間の遭遇」は、旅人の心に深く刺さり、のちのちまで思...「命の模様」に触れた文字数:635

  • サンゴという名の沈黙の彫刻家

    これは、サンゴという名の沈黙の彫刻家が何百年もかけて刻んだ線条だ。幾重にも折り重なるリズムは、バリのガムランのように規則と揺らぎを併せ持ち、貝が、波が、風が、静かに深く加わっていった。人間が一筆一筆描こうとしても、この「ためらいのなさ」には到底かなわない。線が交差するその場所に、何の迷いもない。自然は計算せず、ただそこにあった。気がつけば美しい、ではなく、気づかなくても美しいのだ。このサンゴの肌理(きめ)に触れると、人間のアートがいかに「人間的な躊躇」と「自己演出」に満ちているか、少し恥ずかしくなる。完璧を目指すほど、どこか不完全に見えるのに、このサンゴは、欠けも割れも内包してなお完璧だ。芸術とは、自然が数百年かけて書いた手紙を、ようやく読めるようになった人間の行為なのかもしれない。サンゴという名の沈黙の彫刻家

  • Tシャツに書かれているのは

    Tシャツに書かれているのは、"Eachmomentisafreshbeginning"(すべての瞬間が新しい始まり)それは、まるで海の前で並んで座るこのふたりのための言葉のようだ。波は寄せては返し、砂の足跡はすぐに消える。けれど今、この瞬間だけは確かにここにある。背中合わせに、世界に向かって開かれた二人の姿。言葉少なに、たぶん黙って海を見ている。将来のことなんてまだ考えなくていい。ただ、"Eachmomentisafreshbeginning"なのだと、バリの潮風が、彼らにそっと語っている。この何気ないスナップこそ、後から宝物になる。そのことを知っているから、私たちはふいに、胸を打たれるのだろう。Tシャツに書かれているのは

  • 流木の記憶 ──サヌールにて

    流木の記憶──サヌールにてサヌールの浜辺に、それはまだあった。十五年前、家族で訪れたときに、偶然腰かけた流木。お弁当を広げて、子どもは砂浜に寝転び、つれあいは笑いながら、麦わら帽子の影でこちらを見ていた。それきり何度も訪れたサヌールだが、ふと立ち寄ったこの日、その流木が、まったく同じ場所にあるのを見て、声も出なかった。木がここに残っていたということ以上に、そのときの自分が、ここに居たという確かな手応えが、この朽ちかけた木の肌に刻まれていたのだった。潮風は、あらゆるものを削る。砂は、足跡をすぐに消していく。なのにこの流木は、記憶のようにそこにあった。人の営みはたかだか一瞬のことで、だからこそ、残ってくれているものに出会うと、胸が熱くなる。この木は、われわれ家族のかつての時間を、まるで小さな祠のように守ってく...流木の記憶──サヌールにて

  • 格子の木の下で 文字数:653

    格子の木の下で南サヌールの浜辺。ピンクのジュクン(小舟)は、特別でもなんでもない。どこにでもある、観光客向けの軽やかな色彩。けれども、ふと足が止まったのはその上に広がる格子のような木の枝だった。幹が交差し、枝が絡まり、複雑にして頑なな網目のような構造を成している。ああ、まただ気づけば、自分はこうした木ばかりを写真に収めている。何に惹かれているのだろう。しばらく考えて、ひとつの答えが浮かぶ。これは、心の奥に張りめぐらされた記憶の構造に似ているのだ。明晰で整理された直線ではなく、思いもよらぬところで過去の記憶がからまり、ふとした風景にかつての自分の顔が浮かび上がる。どこが根でどこが先端かもわからぬまま、時に入り組み、時に枝折れながらも、生きている構造。格子の木の下で見上げる空は、その枝のあいだから微かに覗いて...格子の木の下で文字数:653

  • とびきりおばかな男根像 文字数:656

    バリ、笑いと祈りのはざまでサヌールの海辺。リゾートの静けさとは裏腹に、道端にいきなり現れたのはとびきりおばかな男根像。キンタマつき、しかも精巧。いや、過剰とさえ言えるこだわり。「バカバカしい」と笑って通り過ぎることもできるが、その笑いの奥に、どうしようもなく真面目な匂いが立ち上る。男根信仰。それは世界中の土俗文化に普遍的に見られる祈りのかたち。豊穣、生殖、生命力、そして破壊。人間が自然と向き合うとき、最も原初的な願いがそこに込められる。バリにおいても、「シヴァ神=リンガ=男根」は明確な対応がある。寺院の奥で、静かに祀られるリンガもあれば、こうして海辺で大手を広げるようにして祈りを笑いへ転化するリンガもある。思えばバリ人は、真面目にふざけることの天才だ。オゴオゴの巨大な鬼の像も、ケチャの奇妙な声も、どこか滑...とびきりおばかな男根像文字数:656

  • とびきりおばかな男根像 文字数:656

    バリ、笑いと祈りのはざまでサヌールの海辺。リゾートの静けさとは裏腹に、道端にいきなり現れたのはとびきりおばかな男根像。キンタマつき、しかも精巧。いや、過剰とさえ言えるこだわり。「バカバカしい」と笑って通り過ぎることもできるが、その笑いの奥に、どうしようもなく真面目な匂いが立ち上る。男根信仰。それは世界中の土俗文化に普遍的に見られる祈りのかたち。豊穣、生殖、生命力、そして破壊。人間が自然と向き合うとき、最も原初的な願いがそこに込められる。バリにおいても、「シヴァ神=リンガ=男根」は明確な対応がある。寺院の奥で、静かに祀られるリンガもあれば、こうして海辺で大手を広げるようにして祈りを笑いへ転化するリンガもある。思えばバリ人は、真面目にふざけることの天才だ。オゴオゴの巨大な鬼の像も、ケチャの奇妙な声も、どこか滑...とびきりおばかな男根像文字数:656

  • 鶏と花とバリ 文字数:712

    鶏と花とバリ朝のバリ。道ばたにそっと置かれたチャナン。パンダンの葉で編んだ小さな器に、色とりどりの花。その上に線香の煙が立ち上る間もなく、一羽の鶏がやって来て、無造作に花びらをついばみはじめた。この光景を前にして、私は思わず笑った。「神への捧げものを鶏が食べてしまっていいのか」そんな日本人的な躊躇がよぎる。しかし、バリの空気はその疑問に「それでいいのだ」と答える。祈りと日常、神聖と卑近が、境なく共存している。鶏は神の代理ではなく、神とともに生きるもの。花をついばむその嘴に、罪も穢れもない。むしろ神々の供物が、命へと循環してゆく様そのものだ。かつて旅の途中で、あるバリ人が言った。「チャナンは、神様のためでもあるけど、私たちのためでもあるんです」自分のなかの感謝を目に見える形にすることで、生きている実感が整っ...鶏と花とバリ文字数:712

  • タミンさんのコーヒー

    タミンさんのコーヒーバリ島で陶芸を試みたあの日々。土に触れる静けさの中で、いつも楽しみだったのは、オーナーのタミンさんが淹れてくれる一杯のコーヒーだった。タミンさんは、陶芸と同じくらいコーヒーに情熱を注いでいた。お湯を沸かし、挽きたての豆をふわりと蒸らし、ゆっくりとお湯を注ぐ。「ここがいちばん香りが立つ瞬間ですよ」と、何度目かの蒸らしの香りを鼻先に差し出してくる。それは、まるで土の焼ける匂いと呼応するようだった。タミンさんは世界中の豆を取り寄せては試し、その都度、自作のカップでふるまってくれた。バリにしては驚くほど酸味のバランスが取れたその味は、日本で口にするどのコーヒーよりも、どこか「人肌」に近かった。やわらかく、芯があって、飽きがこない。そんな彼が私がバリをたつ日、笑ってひと袋のコーヒーを手渡してくれ...タミンさんのコーヒー

  • 仏教以前の仏

  • 南サヌールの大樹の下で 文字数:1000

    南サヌールの大樹の下で家族が帰国して、ひとりきりになった。それはたった今起きたことなのに、どこか何日も前から知っていたような、そんな感覚。スーツケースを宿に預けて、とにかくこの土地の呼吸に自分を馴染ませようと歩き出した。ひとりきりで旅を再開するというのは、自由のようでいて、実は少し寂しいものだ。いや、自由とは、いつも少し寂しいものかもしれない。ビーチへ向かう途中、見覚えのあるマングローブの林が目に入る。ああ、昔もここを歩いたことがあるなと、ふいに記憶が足を引っ張る。林の向こうには、光を跳ね返すような水面だがそこにゴミが浮いていた。惜しいな。もっと素敵になれるのに、と思いながらも、「惜しさ」を含めてこの島の姿だという気もする。そして、出会ってしまった。この幹の、太さ。ごつごつと隆起した皮膚のような木肌。何百...南サヌールの大樹の下で文字数:1000

  • 紫の布の静かな余韻 ウルワツ寺院前にて 文字数:686

    紫の布の静かな余韻──ウルワツ寺院前にて熱と湿気の中を抜けてウルワツの入口にたどり着いたとき、目の前のアスファルトに無造作に広がる布があった。紫、群青、ラベンダーその色は奇妙に艶やかで、けれど、主張はない。干されている、というより、ただそこに「置かれて」いる。誰かが並べたのではなく、布が自分の意志でそこに伏したような。ウルワツの寺に入るには、観光客も布を巻く。この布は「サロン」と呼ばれ、神域に入るための身体の礼儀のようなものだ。その儀式の名残が、こうして干されている。ただの洗濯物、ただの作業。けれどなぜか目が離せなかった。儀式が終わったあと、かつて身体に巻かれていた布が風を孕み、誰にも気づかれず乾いていく。もう誰の身体も包んでいないのに、そこには不思議な人の気配が残っている。かつての祈り。言葉にされなかっ...紫の布の静かな余韻ウルワツ寺院前にて文字数:686

  • 「サルたちの共和国」文字数:745

    「サルたちの共和国」バリ島・ウルワツ寺院の境内で、サングラスを奪われた外国人が叫び、そして苦笑していた。その傍らで、ひとりの猿がレンズを覗き込み、どうやら噛み心地を試している。彼らにとっては、すべてが遊びであり、すべてが本気なのだ。その時ふと──記憶が揺り起こされた。自分の故郷、箕面の山。紅葉の季節に歩いた渓谷道。子供の頭の飾りを奪っていった猿の目が、まるで人間のようだった。その場を離れることなく、じっとこちらを見返していた姿。叱られる覚悟なのか、それとも、ただ「悪く思わないでくれ」とでも言いたげなのか今となってはわからない。写真に写ったこのウルワツの群れ。中心に小猿がいて、それを囲むようにして大人たちが座っている。人間の家族よりも、家族的に見える瞬間がある。守り、教え、笑い、ちょっかいを出しながら、けっ...「サルたちの共和国」文字数:745

  • 「ウルワツの涯(はて)で」 文字数:707

    「ウルワツの涯(はて)で」波の色には階調がある。青とも緑とも形容しがたい、白の混じるあの色は、記憶のふちでしか出会えないものだ。遠い昔が、寄せては返すこのウルワツの海の、崖下のさざめきにかすかに含まれている。バリ島の南端、ウルワツ。海を眼下に望むこの断崖に立つと、身体の重心がほんのわずか、過去へ傾く。前に行こうとしても、なぜか後ろへ引き戻される。潮風が強くなったとき、誰もが少しだけ黙る。語る言葉を選びきれず、風に預けるしかなくなる。それでも、その場に立つことで、人は自分の輪郭を感じるのかもしれない。どこへも行けないのに、どこへでも行ける気がする。そんな不思議な、崖の際の安心感。私はこの海を見るたびに心のどこかが「無垢」に戻る。それは子供のような幼さではなく、ある種の静かな到達だ。物事を追い求めていた時期を...「ウルワツの涯(はて)で」文字数:707

  • 樹の記憶 文字数:687

    樹の記憶バリのどこで撮ったか、もう覚えていない。だが、もし「この島の木を一枚だけ選べ」と言われたら、おそらくこれを指し示すだろう。いや、もしかしたら別のものを選ぶかもしれない。でも、そのとき私はこの写真のことをきっと、どこかで思い出している。画面のなか、ひっそりと立つ樹は何も語らない。けれど黙して語るとは、こういう姿のことを言うのだろう。根元には名も知らぬ潅木がひざまづき、うっすら湿り気を帯びた空気のなかで、すべてが「一緒に在る」。それはヒンドゥでも仏でもなく、もっと素朴な、バリの人々の呼吸のような信仰たとえば布を巻かれた祠の石のような、風のような、共に暮らす気配だ。この樹を見ていると、自分が何かに赦されている気がする。何を赦されたのかはわからない。だが、そういう感覚だけが、そっと胸の奥に残る。風景の奥行...樹の記憶文字数:687

  • 泥のなかに咲くということ タマンアユン、蓮の記憶 文字数:652

    泥のなかに咲くということタマンアユン、蓮の記憶タマンアユンの堀の水は、遠目には濁っているように見える。緑が強く、光を吸いこみ、どこか淀んでさえいるように。けれどその水面に、ふと視線を落とすと、紫がかった紅い蓮のつぼみが浮かんでいた。咲こうとしている。まさに、いま。人はつい「澄んだもの」「透明なもの」を尊ぶ。けれどこの蓮は、澄みきった水では咲けない。むしろ、栄養をたっぷり含んだ「一見濁った」水こそが、この花の命を支えている。泥があるから、根が張れる。濁りがあるから、花が咲ける。タマンアユンの堀は、そういうことを静かに語っている。人生もまた同じではないか、と。私の人生も、濁っていた。若い日々の迷いや後悔、人には見せぬ小さな傷。それらが濃く堆積してきたからこそ、ある日ふと、何かが咲く。それはたとえ誰に見せるでも...泥のなかに咲くということタマンアユン、蓮の記憶文字数:652

  • 緑の深みに声がある タマン・アユンの堀を見つめながら 文字数:1005

    緑の深みに声があるタマン・アユンの堀を見つめながら堀という言葉に、私はかつて「防御」や「境界」の響きを感じていた。ところがこの寺院、タマン・アユンの堀の前に立つと、何かまったく違う思いに包まれる。それはむしろ「対話」だ。静かに、絶え間なく、訪れる者と語り合ってくる水面。緑が深い。あまりに深く、黒に近い。藻や苔が水のなかをゆらぎながら、どこか記憶の襞のように見える。私の記憶もまた、こうして水底に沈んでいったのだろうか。いや、まだそこにある。子の手を引いて歩いたこと、バリの陽に目を細めながら、ふと若い日の旅を思い出したこと。タマン・アユン。意味は「美しい庭」。17世紀、メングウィ王国が誇った水の王宮。その優雅さと秩序は、オランダ統治を経てもなお、崩れず残っている。堀の周囲をめぐる歩道に、ところどころ苔が敷石に...緑の深みに声があるタマン・アユンの堀を見つめながら文字数:1005

  • ゴアガジャの腹の中で リンガとヨニと呼吸の記憶 文字数:1062 写真未完

    ゴアガジャの腹の中で──リンガとヨニと呼吸の記憶洞窟の入り口には、裂けた口をあけた怪物の顔が彫られていた。ランダと呼ばれるこの形相を前に、人は一度、日常を捨てる。この裂け目をくぐることは、母の胎へと還ることに似ている。13メートル、ただそれだけの深さしかない石の洞(ほら)に、なぜこれほどの密度があるのか。両端には、神々が控えている。左には象の頭をもつガネーシャ。右には三位一体、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァの力が封じられた石像、リンガ・ヨニ。この組み合わせは、どこか不可思議で親密で、そして赤裸々である。上に立つ円柱が「リンガ」陽の象徴であり、天と力と意志の形。その下に据えられる「ヨニ」は陰であり、地であり、受容と再生の場。生命の起源を、抽象ではなく石に刻んだこの表現は、宗教というより、身体の記憶に近い。ガネ...ゴアガジャの腹の中でリンガとヨニと呼吸の記憶文字数:1062写真未完

  • ゴアガジャにて 混淆の泉のほとりで 文字数:974

    ゴアガジャにて混淆の泉のほとりでウブドからわずか十五分、だがそこはもう別の時間が流れていた。ゴアガジャ「象の洞窟」と呼ばれるこの場所に、本当に象がいたわけではない。インドからやってきた観念の象が、かつてここに根を張ったのだ。寺名にすら、記憶は抽象として刻まれている。苔むした石段を降りていくと、静まり返った沐浴場がある。1954年に発掘されたという左右の石像が、いまも変わらず水を注いでいる。誰に向けて、何のためにそんな問いすら無意味になるほど、彼女たちは淡々と永劫を担っている。左がヒンドゥー、右が仏教形式。並んで立っているが、かつては緊張もあったろう。あるいは、並び立つことこそがこの島の寛容なのか。ここには「混ざっている」のではなく、「併存している」という空気がある。混ぜようとせず、区別しようともしない。た...ゴアガジャにて混淆の泉のほとりで文字数:974

  • メルーと自由 タマン・アユンにて 文字数:1072

    メルーと自由──タマン・アユンにて石垣の向こうに整然と並ぶ多層の塔――メルー。空に向かってすうっと伸びるその黒屋根は、どれも異なる階数を持っている。十一層、七層、三層…この高さは、祀られる神の格や寺院の格式をあらわすという。私はその前に立っていた。こうした秩序がかえって「重く」見える。この寺にはスードラ専用の参道がある。平民は本殿の正面を通れぬ。神々と高貴な血筋を守るために、ひとの流れすら分けられている。だが、それでも美しい。整然とした屋根の重なり。静寂を吸い込んだような庭の緑。ここには、どこか懐かしい安堵がある。そのとき、ふと『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章が胸をよぎった。あの老人が、再臨したキリストに語ったあの言葉「人間は自由を恐れている。だから我々がその自由を代わりに背負ってやったのだ」自由...メルーと自由タマン・アユンにて文字数:1072

  • タマン・アユンにて ある水辺の記憶 文字数:811

    タマン・アユンにて──ある水辺の記憶バリの陽射しは、いつも少しだけ過剰で、少しだけやさしい。その日も、午前の光が水面を銀色にかすめ、あたりの緑を深く濃く染めていた。娘が小さかった頃、よくこの庭園を訪れた。タマン・アユン「美しき庭園」という名の寺院。王のために設けられた静謐な場所だというが、私にとってはもう少し個人的な場所だ。家族が時を重ねた場所。この日の記憶は鮮明である。小さな手を引いて歩いた石畳。池に架かるアーチの橋を見上げながら、娘は“お魚がいる”と言った。タマン・アユンの水は、風が立つたびにさざめき、蓮の葉がその余韻をすくい取る。水面に映る空のかけらが、やがて消えては浮かび、浮かんでは消える。歳月とは、きっとこういうものなのだろう。この場所は、17世紀にムングウィ王国が栄えた証でもあるという。けれど...タマン・アユンにてある水辺の記憶文字数:811

  • ハスの間をぬけて——ウブド・サラスワティ寺院にて 文字数:910

    ハスの間をぬけて——ウブド・サラスワティ寺院にて気がつくと、いつもここに戻ってきている。サラスワティ寺院。ウブドの中心にあって、中心であることをひっそりと引き受けている場所。カフェ・ロータスのテーブルに着くと、目の前にひらけるのは一面のハス池だ。観光客がレゴンダンスのチケットを買い求め、バイクがクラクションを鳴らし、スマホを構える人々がいる。なのにここは不思議と静かだ。ハスの葉が風にさわりさわりと揺れていて、水面はまるで眠っているようだ。蓮(はす)は仏教でもヒンドゥーでも神聖な植物とされる。泥のなかから芽を出し、濁りを突き抜けて空を向く。サラスワティは知恵と芸術、音楽と学びの女神。だからこの寺院には、どこか筆をとる者に寄り添う空気がある。たぶん、旅人がここで「少しだけ何かを書きたくなる」のは、そのせいだ。...ハスの間をぬけて——ウブド・サラスワティ寺院にて文字数:910

  • 水面(みなも)に浮かぶ記憶 タマン・アユン寺院にて

    水面(みなも)に浮かぶ記憶タマン・アユン寺院にてバリ島メングウィ。観光パンフレットに載る「タマン・アユン寺院」は、正門からの威風堂々たる姿で紹介されることが多い。だがこの写真にあるのは、その背後、少し回りこんだ場所だ。誰もが見逃していくようなこの堀。濃く張りつめた水面には、風が立っていない。まるで「時間が止まっている」ような錯覚を起こす。バリ語で「タマン」は庭、「アユン」は美しいという意味を持つ。タマン・アユン寺院は、17世紀、メングウィ王国の第二代王・イ・グスティ・アグン・プトゥにより建てられた。この堀は、聖域を囲むだけではない。かつて王の子らが学び、踊り、神を思ったこの地で、水は常に「見守る者」だった。バリの水は、神に属する。農の神スバクのもと、水路は人の手を離れ、信仰の流れとなる。この堀の水もまた、...水面(みなも)に浮かぶ記憶タマン・アユン寺院にて

  • バトゥ・ボロン(Batu Bolong)の風景 文字数:729

    タナロット寺院の近くにあるバトゥ・ボロン(BatuBolong)の風景。自然の海蝕で空いたアーチ状の岩橋。その上を人々が歩いている。岩の橋を渡る人々を見ていると遠く、細い線のような岩の橋の上に、人の列がある。日傘もなく、ガイドもなく、彼らは静かに歩いている。誰ひとり、しゃべらないわけじゃない。でもその声は、海の轟きにかき消されてしまう。バリの海は不思議だ。神話のように語られるが、実際にはとても現実的だ。塩気は肌に残り、風は頬を叩く。足元の岩に腰かけて見上げると、海の上にせり出した岩のアーチが、まるで「渡るべき問い」のように見える。この道は、潮が引いて現れるのではない。もともと、空に架けられているのだ。波の下ではなく、空の中を、彼らは歩いていく。どこへ向かっているのか。神殿かもしれないし、誰かの遺影の中にあ...バトゥ・ボロン(BatuBolong)の風景文字数:729

  • 銀色の海 タナロットにて 文字数:783

    銀色の海──タナロットにてもうすぐ日が沈むというのに、空は曖昧なままだった。夕焼けでもなく、夜でもなく、白んだ雲が低くたれこめて、光だけが海の上に残されていた。その光はまるで、記憶の底に差し込む微かな希望のようで、銀色にきらめいていた。私はタナロットの海岸でひとり、立ち止まっていた。潮風は生ぬるく、けれどその塩気はなぜか、胸の奥のざらついた感情を静かに洗っていった。寄せては返す波。銀のような、あるいは鈍い刃のようなその光をまといながら、波は何も語らず、ただ繰り返した。「心の奥って、きっとこんなふうなんじゃないか」ふと、そう思った。言葉にならないものが、静かに波打っている。それを誰かに見せようとしても、見せきれず、語ろうとしても語れない。それでも確かに、そこにある。バリの人たちは、こういうときに祈るのかもし...銀色の海タナロットにて文字数:783

  • 「ガルンガンの月」文字数:719

    「ガルンガンの月」バリの空に、冗談のように丸い月がかかっていた。雲は静かにたなびき、月を隠すふりをしてはまた見せる。ちょうど今日はガルンガン先祖の霊が家に帰ってくる日だと、昼間に聞いたばかりだった。私はそのことを思い出しながら、ホテルのベランダに腰をかけ、缶ビールをひと口すする。隣の部屋のカーテンのすき間から、子どもたちの笑い声がもれてくる。たぶん親戚が集まっているのだろう。ペンジョールが揺れていた村の一角と、同じ匂いがした。「きょうは神様とご先祖がいっぺんに帰ってきてるから、バリは渋滞中だよ」昼間にタクシーの運転手がそう言って、にやりと笑った。「天国のほうが混んでるかもね」そう言って笑ったその顔が、妙に忘れられない。月は、まっすぐにそこにあった。白く、つめたく、やさしく、だれにも語らずに、だれの帰りも責...「ガルンガンの月」文字数:719

  • 「風の道しるべ ─ バリの村でペンジョールを見上げる」文字数:811

    「風の道しるべ─バリの村でペンジョールを見上げる」それは、ふと通りがかった村の道沿いに、突然現れた。ペンジョール──と、あとで名前を知った。けれどその時はただ、見上げたまま言葉をなくしていた。細く高くしなった竹の先に、稲穂や葉っぱ、紙細工が吊るされている。それらは風に揺れ、まるで空の向こうへ手を伸ばしているようだった。この島では、神様は目に見えないけれど、たしかに“在る”という前提で日々が回っているのだと、誰かが言っていた。洗濯物と祈りと笑い声が同じ道端に並んでいるバリの日常は、日本の私には、どこか懐かしくも、まぶしかった。ペンジョールの根元には、子どもが座りこんでジュースを飲んでいた。近くでは老婆が手を合わせ、若者たちはバイクを吹かして通り過ぎる。何ひとつ特別な日ではないのに、空を仰ぐだけで、どこか遠い...「風の道しるべ─バリの村でペンジョールを見上げる」文字数:811

  • 「三十分の沈黙」文字数:417

    「三十分の沈黙」海と岩と風。それだけしかないのに、それ以上何もいらない。最初の十分は、ただ眺めている。次の十分は、何かを思い出している。最後の十分は、なにも考えなくなっている。ふと我に返ると、「ああ、ここで僧は立ったのか」とわかる気がした。宗教でも信仰でもなく、ただ、そう立ちたくなる場所が世界にいくつあるだろう?この写真の、波しぶきが光を反射するその瞬間に、確かに「祈り」はなくとも「浄め」はある──そう思わせてくれる風景。「三十分の沈黙」文字数:417

  • 「緑の神が眠る浜」ニラルタの見た風景 文字数:1342

    「緑の神が眠る浜」──ニラルタの見た風景大陸の争いと炎を越えて、ニラルタはこの地にたどり着いた。ジャワでは祈りの場も焼かれ、寺の鐘も鳴らせなくなった。だがこの岸辺に立ったとき、彼は言ったという。「この岩は、誰のものでもない。この海は、まだ神と話している」そこには誰もいなかった。けれど潮は言葉のようにささやき、苔は生きもののように息づいていた。彼は靴を脱ぎ、足を濡らして歩いた。その柔らかい苔の感触に、神の気配を感じた。やがて、潮が満ちる。一歩戻れば陸、踏み出せば祈り。彼は巨岩に祠を建て、タナロットと名付けた。この場所が、儀礼の始まりであったかどうか、証拠はない。けれど確かに言えるのはあの緑の湿り気は、今でも人を立ち止まらせるということ。それは風景ではなく、「呼び声」に近い。そこで立ち止まり、静かに潮の音に耳...「緑の神が眠る浜」ニラルタの見た風景文字数:1342

  • 参詣の小道にて 文字数714

    参詣の小道にて「おい、カデ、それ落とすなよ。前回はバナナ全部つぶしただろ」「つぶれたバナナは誰かが先に食べたんだよ。おまえらより先にな」そう言って、カデは頭の籠を少し揺らして笑った。籠の中には花と香と、割れやすい祈りが入っている。けれども彼女の笑いには、ぜんぶが収まっていた。後ろを歩く祖母が、静かに笑いを飲み込んでこう言う。「ふざけた声も、真剣な祈りも、同じ空に届くよ。」誰も正座なんてしない。歩きながら、笑いながら、でも本気で今日の幸運とご先祖と神に感謝している。声に出さずとも、姿勢と所作に全部が染み込んでいる。途中、鳥が鳴く。「ほら、あの鳥も拝みに来てる」「いや違うよ、あれはごはんもらいに来てるだけさ」「どっちも同じことだよ。」笑いながら、道を曲がりながら、バリの人々は神に向かって歩いていく。一滴の緊張...参詣の小道にて文字数714

  • タナロット──海の寺院と逆光の神々 文字数2801

    タナロット──海の寺院と逆光の神々波が岩を打つたび、世界の輪郭が曖昧になる。バリ島の西海岸に立つタナロット寺院は、潮の満ち引きによって陸と島の間をたえず揺れ動く。それはまるで、信仰と自然、神と人との間に揺らぐ橋のようなものだった。この海の寺は、かつてジャワのマジャパヒト王朝がイスラームの侵攻により滅びた1500年前後に、その亡命の記憶とともに生まれた。バリに渡った僧ダン・ヒャン・ニラルタが、海の精霊バトゥ・ボロンの啓示を受けてこの地に寺院を建てたとされている。陸に背を向け、海に向かって礼拝するその姿勢に、どこか「逃れる者」の祈りの深さを感じる。訪れたのはガルンガンの日だった。神々が祖霊とともに地上に降りてくるとされるこのバリ独自の祭礼の日、道路は不思議なほど静かだった。あの喧噪のバイパスも、この日に限って...タナロット──海の寺院と逆光の神々文字数2801

  • ベサキ寺院にて──苔と丁子の匂いと 文字数1434

    ベサキ寺院にて──苔と丁子の匂いとバリの神々は、決して沈黙してはいない。彼らは噴火し、地を揺らし、村を焼く。そのたびに人々は思い出す。祈りを怠っていなかったか、神殿の石にひびが入ってはいなかったか。1917年の大地震は、まさにその記憶の起点である。1000人を超える死傷者を出した震災のあと、島中で神意を問う儀礼が再開され、ベサキ寺院は再び「聖なる中心」として甦った。かつてここは仏教寺院だった。8世紀にその名を刻み、釈迦の慈悲がこの高地に宿った。16世紀、ゲルゲル王朝の支配下でヒンドゥーの三大神破壊のシヴァ、維持のヴィシュヌ、創造のブラフマが祀られるようになると、ここはバリ最大の国家祭祀の場となった。だが、それも永遠ではない。王国の分裂とともに寺院は次第に廃れ、長い沈黙の時代を迎える。その沈黙を破ったのは、...ベサキ寺院にて──苔と丁子の匂いと文字数1434

  • 記憶の寺院──セマラプラ王宮跡 文字数1491

    記憶の寺院──セマラプラ王宮跡にて16世紀、バリ島の歴史に一つの重心が置かれた。ゲルゲル王朝の成立である。バリ・ヒンドゥーの儀礼体系とジャワ由来の政治組織が融合し、芸術、建築、律法のあらゆる分野に影響を及ぼしたこの王朝は、スマラプラ現クルンクンの地を拠点とした。やがて王統は内紛と分裂を繰り返し、18世紀末には王族間の対立がこの王宮を新たに造営させる。それが「プリアンカン(前宮)」すなわち今日のセマラプラ王宮跡である。この地に立つと、まず池に浮かぶように設けられた高殿バレ・カンバンの静謐に目を奪われる。水に囲まれ、浮揚するこの建物は王家の休息所であったが、今では亡霊のような時間がそこにとどまっている。天井には、「カマサン・スタイル」と呼ばれるバリ伝統の絵画が広がる。ワヤン・クリ(影絵芝居)の様式を受け継ぎ、...記憶の寺院──セマラプラ王宮跡文字数1491

  • このバラにとって紫であることは、もはや必然ではない。文字数:626

    「紫のバラは希少である」そんな言説がどれほど陳腐で無意味なものか、この一輪を見ればすぐにわかる。なぜなら、この薔薇は「希少性」ではなく、諦念の気配を纏っているからだ。この紫がかった花弁には、ロマンの色ではなく、長い時間を経てなお、美に抵抗する心のしずくのようなものが宿っている。完璧ではない。花弁の縁にはわずかな痛みがあり、それでも中心部はなおも薫り立ち、蜂が潜り込むその奥には、何かを赦してしまいそうな静けさがある。紫は古代ローマでは皇帝の色、日本では高貴な人々のしるしとされてきた。けれど、このバラにとって紫であることは、もはや必然ではない。それは偶然でも戦略でもなく、ただ「こうしてここに咲いてしまった」という事実。希少かどうかなどどうでも良い。紫だから珍しい香りが強いから優れている開ききっていないから若い...このバラにとって紫であることは、もはや必然ではない。文字数:626

  • 誰かを思い出させる力を持つ 文字数:1249

    この一輪のバラ──オレンジにも夕陽にも似た色彩、まだ咲ききらぬその緊張感、そして、あらわになった花弁の一枚がひときわ艶やかに揺れるさま。これは「咲く寸前の美」であり、「完成していないからこその妖艶さ」を湛えている。こうした美を、人に喩えるとすれば──ヴィヴィアン・リー映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ。勝ち気で、誰のものにもなりきれず、それでいて男たちを惹きつけてやまない。彼女の「すべてを晒していないまなざし」は、この蕾の巻き込みと重なる。いや少ししっくりこない。咲ききらぬ花は、まだ自分の影を知らない。だが風は知っている。この香の行き先を。そして、誰かが必ず振り返る。「誰に例えよう」と問いかけたこの花は、誰かに似ているというより、誰かを思い出させる力を持つのだ。それは、見る人の記憶の奥にある「忘...誰かを思い出させる力を持つ文字数:1249

  • 赤と黒は実は同色だった 文字数:622

    このバラが語っている。赤と黒は対極ではなく、ひとつの色の、深度の違い。赤は命の表層、黒はその核に沈む影。この花弁の縁が黒ずんでゆく様は、まるで情熱が沈黙に触れた瞬間のようであり、それは「生」の色が「死」と交わる点を映し出しているようにさえ見える。赤とは、生まれ出たばかりの叫びである。黒とは、沈黙の奥に宿る確信である。そのふたつが交わるとき、バラは初めて言葉を持つ。それは「燃ゆる夜」。それは「傷の記憶」。それは、美が時間を知る一瞬。このバラには「紅の影(くれないのかげ)」あるいは、「密やかなる炎」そして赤と黒は実は同色だったバラがその姿で教えてくれた真理だ。赤と黒は実は同色だった文字数:622

  • バラの名もなき「鋭さ」文字数:834

    このバラは、まるで彫刻のように花弁一枚一枚が独立し、光のナイフで切り出されたような輪郭を保っている。通常、薔薇は香りや柔らかさで人を包み込むものだが、このバラは逆に「刺す」。完璧な静止のなかに緊張感が張りつめ、触れることをためらわせる氷刃のような孤高がある。花弁の中心は淡いアプリコット、外縁は純白。そのコントラストがまた、刃と鞘のような二重構造を思わせる。静寂が刃を持つなら、こんな花の形をしているだろう。咲くとは、乱れることではない。咲くとは、緻密に構築された沈黙がひととき解き放たれる瞬間だ。その刹那、世界が呼吸を止める。それが、このバラの名もなき「鋭さ」だ。バラの名もなき「鋭さ」文字数:834

  • 咲いたその日から、崩壊は始まっている 文字数:1014

    咲いたその日から、崩壊は始まっている咲くということは、崩れはじめることだ。薔薇は知っている。咲いたその朝には、虫はもう、根元を這い、葉の裏で腹をすかせている。それでも咲く。それでも、咲く。咲かずにいられないからだ。美とは、虫が先にたどり着く場所にある。咲いたその日から、崩壊は始まっている》咲くということは、崩れはじめることだ。薔薇は知っている。咲いたその朝には、虫はもう、根元を這い、葉の裏で腹をすかせている。それでも咲く。それでも、咲く。咲かずにいられないからだ。美とは、虫が先にたどり着く場所にある。咲いたその日から、崩壊は始まっている文字数:1014

  • 人間が本当に手に入れうる光 サンゴールド 文字数:5976

    品種名サンゴールド(SunGold)系統:ミニチュアローズ/フロリバンダ系(可能性)色彩:鮮やかなレモンイエロー〜ゴールデンイエローつぼみの多さと花の大きさから、ミニ系で房咲きする品種とみられるひとつだけ咲いたこの黄色いバラを、緑のつぼみたちが丸く取り囲んでいる。その姿はまるで、若き王を守る家臣たちのようでもあり、あるいはまだ目覚めぬ希望を包む「春の中心核」のようでもある。花弁の巻きは、中心に向かってきっちりと閉じながらも、外縁部はふわりとほどけはじめており、まさに開花前夜のきらめき。名の由来は「太陽が最も低く沈む冬至の黄昏」にあるという。西の空が沈むころ、白銀の世界に差し込む一条の黄金光。その一瞬の儚くもあたたかな輝きを、ひとひらの花びらに封じ込めたいと、育種家はこの品種に祈りを込めたと言われている。サ...人間が本当に手に入れうる光サンゴールド文字数:5976

  • まだ夢から覚めきらぬ妖精のまぶた ザ・フェアリー 文字数:1642

    品種名:ザ・フェアリー(TheFairy)系統:ポリアンサローズ(Polyantha)作出:イギリス、Bentall(1932年)特徴:小ぶりで房咲き、淡いピンク色。可憐で耐病性があり、初心者にも扱いやすい。このやわらかな薄紅のバラは「ザ・フェアリー(TheFairy)」という品種の一種、もしくはそれに極めて近いポリアンサ系またはミニチュア系統のバラです。この写真に捉えられたバラは、まるでまだ夢から覚めきらぬ妖精のまぶたのような半開き。その中心部は淡紅の渦を巻き、まわりの花弁は雪のように白みがかる。まわりのまだ硬い蕾たちが、ひとつの花を見守るように寄り添っているのが印象的で、この一輪がまるで「姉」であるかのような、小さな家族の肖像を感じさせる。「ザ・フェアリー(妖精)」という名は、英仏戦争後の時代に、戦禍...まだ夢から覚めきらぬ妖精のまぶたザ・フェアリー文字数:1642

  • 「ブラックバカラ」暗黒の宝石 文字数:2907

    伝説的ともいえるバラ──「ブラックバカラ(BlackBaccara)」。作出:フランス・メイアン社(Meilland)年代:2000年系統:ハイブリッド・ティー(HT)特徴:極めて深い赤黒の花弁、天鵞絨(ビロード)のような質感この名「ブラックバカラ」は、フランスのカジノ文化や高級感の象徴でもある「バカラ」(Baccarat)の響きをそのまま引き継ぎながら、そこに「黒」という妖艶な美を掛け合わせた、まさに暗黒の宝石のような品種名だ。実際には完全な「黒バラ」は自然界には存在しない。だが、このブラックバカラは光の加減によってほとんど黒に見えるほどの深紅を誇り、「黒バラに最も近づいた品種」として知られている。バラ愛好家の間では、その退廃的な美しさ、冷ややかな気品、そして凛とした孤高さから、「葬送のバラ」「静寂の女...「ブラックバカラ」暗黒の宝石文字数:2907

  • 「インカ」マチュピチュの遺跡で見た太陽神殿の輝き 文字数:2631

    バラ品種「インカ(Inka)」。その名のとおり、南米の古代文明「インカ帝国」にちなんで名づけられた、鮮烈な黄金色のハイブリッド・ティー(HT)ローズである。タンタウ社(Tantau)によって1978年に作出された。まさに太陽が地上に降りてきたかのような輝きを放つ「インカ」の花をとらえたショットで雨上がりの花弁には微かに水滴が残り、周囲の緑葉とのコントラストがいっそう鮮やかさを引き立てている。背景が暗めに沈んでいるのに対して、このバラの明度は際立っており、どこか聖性すら帯びている。まるで雲を抜けた光の柱のようだ。この品種名「インカ」が与えられた理由は、その色彩にあると言われている。かつてアンデスの山々に築かれたインカ帝国では、太陽は神であり、黄金はその地上の化身だった。伝説によれば、このバラはあるドイツの育...「インカ」マチュピチュの遺跡で見た太陽神殿の輝き文字数:2631

  • 哀しみと誇りの同居「アンダルシアン」文字数:2360

    このバラは「アンダルシアン(Andalusien)」スペイン南部のアンダルシア地方にちなんで名づけられた、1976年コルデス社作出のフロリバンダローズである。写真に捉えられたこの一角は、赤の洪水のようである。まるでフェデリコ・ガルシーア・ロルカの詩の一節が咲き誇っているかのようだ。燃えるような深紅は単なる色彩の領域を超え、舞台で歌い踊るフラメンコの衣擦れのような情熱を発している。バラの中央、黄色いおしべがわずかに覗くさまは、夜の熱気の中で小さく火花を散らすカスタネットのようだ。アンダルシアンという名がこのバラに与えられた背景には、コルデス社のある育種家の旅が関係しているという。1970年代、彼はスペインを旅し、セビリアの街外れで偶然訪れた闘牛場の帰り道、夕暮れの丘に咲く野バラの群れを見つけた。そこには赤い...哀しみと誇りの同居「アンダルシアン」文字数:2360

  • 宙を舞う飛行機が大空に描く「ルーピング(Looping)」

    バラの名前は「ルーピング(Looping)」。その名の通り、花弁は何かをくぐりぬけるように、あるいは巻き戻される記憶のように、幾重にも重なり合いながら渦を巻いている。オレンジからピンクへと滑らかに移り変わるその色彩は、陽の光を帯びて淡く発光し、まるで夕暮れの雲間に立ち上る夢の欠片のようだ。1977年、フランス・メイアン家によって発表されたこのバラは、実は航空ショーからその名がとられたと言われている。宙を舞う飛行機が大空に描く「ループ」。その一瞬の軌跡のなかに、人間の憧れや愚かしさ、美しさすらも宿る。そしてこのバラもまた、咲くたびに小さなループを生み出す。感情の、記憶の、そして季節の。この花を撮った日、空には雨上がりの名残があり、湿り気を帯びた風がひとつ、二つ、肌を撫でて過ぎていった。ファインダー越しに見た...宙を舞う飛行機が大空に描く「ルーピング(Looping)」

  • ストロベリーアイス 子ども時代の陽炎の午後 文字数:2226

    ストロベリーアイスその名前を聞いただけで、子ども時代の陽炎の午後、母の買ってくれたアイスの甘さと冷たさが喉の奥に蘇るようだ。このバラは、白地にいちごミルクを垂らしたような花びらが特徴的だ。中心はアイボリーがかった柔らかい白、それを包む縁に向かって、ふんわりとピンクが染まっていく。まるでグラスに注がれたミルクに苺のソースを混ぜた瞬間のような、あの甘酸っぱさが視覚に変換されて花びらに定着したかのようである。写真には、土の上にいくつもの花弁が散っている。まるで食べこぼしたアイスが、ぽとぽとと落ちたような痕跡。色褪せてもなお、その花弁は甘い記憶を湛えている。命名の由来は、おそらくこの花の色合いと、見る者の心に呼び起こす「夏のデザートの記憶」だろう。仏・デルバール社による1980年代の品種で、当時は「観賞植物にも遊...ストロベリーアイス子ども時代の陽炎の午後文字数:2226

  • 「記憶に咲かせるもの」ボビージェームス 文字数:2116

    このバラの名前はボビージェームス(BobbieJames)。1981年にイギリスのナーセリー「サニングデール」から発表されたクライミングローズ。多くの蔓バラが人の肩に届く程度で咲くのに対し、この品種は木に絡みついて上へ上へと伸び、時には4メートル以上に達する。だからこそ、こんなふうに頭上を見上げて花を仰ぐことになる。その白い花弁は厚みを持たず、どこかしら野の薔薇、つまりロサ・ムルティフローラの系譜を感じさせる。中心には、陽に透けるような蜜の色をした雄蕊が、ほぐれたレースのように広がる。花弁の透明感といい、房になって咲くたおやかさといい、むしろ園芸品種というより、どこかの古い修道院の石塀に自然と生えた原種のようにも見えてくる。ボビージェームスという名には、あまり知られていないが、逸話がある。品種改良を行った...「記憶に咲かせるもの」ボビージェームス文字数:2116

  • バラ「マリア・テレジア」帝国を背負った一人の女性の気高さと苦悩 文字数:2250

    このバラ「マリア・テレジア」は、その名のとおり、18世紀オーストリアを治めた女帝マリア・テレジアに捧げられた品種。写真に映る花は、まるで歴史のヴェールを一枚一枚はがすように、幾重にも重なった花弁をまとっている。淡いピンクの柔らかい色調、雨に濡れてわずかに透ける花びら、その中心に秘められた濃い命の芯そのすべてが、帝国を背負った一人の女性の気高さと苦悩を想起させる。この品種は1999年、ドイツのタンタウ社によって発表された。タンタウは歴史や文学、偉人へのオマージュとしてバラの名をつけることが多く、「マリア・テレジア」もその伝統に則った命名である。かつてのハプスブルク家の繁栄を象徴するように、このバラもまた強健で、花付きがよく、群れて咲く姿が印象的だ。花びらの間に宿る滴は、涙か、それとも戴冠式の朝露か。歴史を静...バラ「マリア・テレジア」帝国を背負った一人の女性の気高さと苦悩文字数:2250

  • 「アスピリンローズ」鎮痛解熱薬「アスピリン」に由来 文字数:2215

    このバラの名は「アスピリンローズ(AspirinRose)」1997年にドイツの育種家エバース(Evers)によって発表された品種。白にほのかにピンクを溶かしたようなやわらかな色調と、丸みのある花びらの重なりが見る者を包み込むように咲いている。この写真から伝わってくるのは、無数のつぼみたちに囲まれながら、中心に凛として開いた一輪の花。その中央の淡いピンクは、まるで傷ついた心の熱を静かに鎮めるような優しさを湛えている。品種名の「アスピリン」は、バイエル社の鎮痛解熱薬「アスピリン」に由来しており、その名のとおり、見る人の気分をやわらげ、精神の小さな痛みをそっと慰めてくれるバラとして名づけられた。このバラは、ドイツの薬品メーカーであるバイエル社の創立100周年記念として選ばれたとも言われており、当時のドイツでは...「アスピリンローズ」鎮痛解熱薬「アスピリン」に由来文字数:2215

  • 「サンセット グロウ」 夕暮れ時の空が最後に見せる淡い光芒 文字数:2073

    イギリスのバラ育種家クリストファー・H・ワーナーによって2006年に作出された「サンセットグロウ(SunsetGlow)」。名札の横に無造作に貼りついた、落ちた花弁さえも、この品種の持つ夕映えの詩情を添えているように思える。やわらかなピンクがかった白い花弁は、あたかも夕暮れ時の空が最後に見せる淡い光芒のようだ。中心から外側へとにじむようなグラデーションが、陽の名残をそっと抱え込んでいるかのよう。開花したばかりの小さな蕾たちは、まるで太陽が沈みきる前の小さな余光のように見える。このバラの名前「SunsetGlow(夕映えの輝き)」は、作者が少年時代に見たウェールズ西海岸の海辺の夕日を想起して名づけたという逸話がある。彼が祖父と並んで見たあの夏の夕暮れあたたかな風、やわらかな光、そして何かが終わっていく静けさ...「サンセットグロウ」夕暮れ時の空が最後に見せる淡い光芒文字数:2073

  • 「癒しの気配」「セバスチャン・クナイプ」文字数:2058

    薔薇「セバスチャン・クナイプ」は、ドイツのカトリック司祭であり自然療法家でもあったSebastianKneipp(1821–1897)の名を冠した品種である。彼は「水療法」や「ハーブ療法」の先駆者として知られ、ヨーロッパ中にその名が広まった。彼の思想は「自然の力を借りて心身の調和を取り戻す」ことにあり、それはこの薔薇のたたずまいにも通じる。写真に収められた花弁は、柔らかな乳白色から淡いピンクへと移ろい、まるで薄布のように重なり合っている。中心に向かって光が集まるように、内側からかすかに灯る灯りのような色の温もりがある。水滴がわずかに花弁の間に残っているところを見ると、雨上がり、あるいは朝露に濡れた直後の一瞬だったのだろう。撮影者はこの瞬間を、クナイプ神父の思想になぞらえるように、大地と空気と水と光が調和す...「癒しの気配」「セバスチャン・クナイプ」文字数:2058

  • 色あせた柔らかな風景にこそ宿る「サマー メモリーズ」文字数:2451

    白薔薇「サマーメモリーズ」は、控えめながらもどこか劇的な印象を残す花だ。花弁の重なりは純白ではなく、ほんのりと乳白色を帯び、中心部に向かってかすかにアプリコットが差し込んでいる。その柔らかな色調が、見る者の記憶の中にある夏を、特定の風景としてではなく、淡くも温かな感覚として呼び起こす。「サマーメモリーズ」という名は、コルデス社が2004年に発表した際、「長い夏の終わりにふと蘇る幸福な記憶」をイメージしてつけられたとされている。バラの品種改良者はこの花を最初に咲かせた時、ちょうど家族と避暑に訪れたバルト海沿岸の白砂の海辺にいたという。澄んだ空、波打ち際で子どもが貝殻を拾う様子、午後の光に揺れるカーテンの白…その一つ一つがこの花の名に結びついた。石畳の縁に咲くこの花は、花壇というよりも、どこか記憶の底の「庭」...色あせた柔らかな風景にこそ宿る「サマーメモリーズ」文字数:2451

  • バラ「タンジェリーナ(Tangerina)」「甘くもほろ苦い、異国への郷愁」文字数:2247

    イギリス・ディクソン社が2004年に発表したバラ「タンジェリーナ(Tangerina)」。HT(ハイブリッド・ティー)系統に属するこのバラは、名のとおり果実のタンジェリン(ミカンの一種)を思わせる温かなオレンジがかったピンクを帯びている。だがその色彩は単なる柑橘の明るさにとどまらず、むしろ光を透かす薄布のように繊細で、花弁の縁に向かって淡く、柔らかくほどけてゆく。まだ硬く閉じた蕾たちに囲まれながら、ひとつの花だけがそっと開き始めている。一歩だけ季節を先取りして、誰よりも早く空を見上げた娘のようだ。その淡い頬は、恥じらいの中に確かな意思を秘めている。背景に敷かれた石畳の冷たさと、花の温もりの対比が絶妙で、まるで長い冬の終わりに差す春の兆しを感じさせる構図だ。この品種が生まれた当時、ディクソン社の育種家はモロ...バラ「タンジェリーナ(Tangerina)」「甘くもほろ苦い、異国への郷愁」文字数:2247

  • 「シンパシー(Sympathie)」という名を持つ薔薇 文字数:2272

    「シンパシー(Sympathie)」という名を持つこの薔薇は、1964年にドイツの名門バラ育種家、コルデス(Kordes)社によって作出されたクライミング・ローズ(つるバラ)だ。当時のヨーロッパは第二次大戦からの復興を果たしつつあり、人々の心は経済的な発展とともに、個人の感情や人間関係の繊細さに再び目を向け始めていた。「Sympathie(共感・思いやり)」という名は、そうした時代の空気の中で、単なる美しさを超えて人の心に寄り添う花を――という願いを込めて名づけられたと言われている。逸話の一つに、当時コルデス社の育種責任者であったライマー・コルデス氏が、戦争未亡人となった近親の女性にこの薔薇を贈ったという話が残る。彼女は沈黙の中でその花を受け取ったが、翌朝、まだ濡れたバラの花びらに朝日が当たる様子を見て「...「シンパシー(Sympathie)」という名を持つ薔薇文字数:2272

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