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2022/10/18

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  • 最低最悪の誕生日

    死にたい気持ちになったのはこれまでに何度かあったが、それよりも悔しくて情けなくて申し訳ない気持ちの方が勝って、かろうじて生きている、といった方がいい。体の傷が癒えてきたと思ったら、今度は深くバッサリ心の傷を負ってしまった。何か良くないことがおきなきゃいいがと懸念していたら、見事に、ものの見事にしっぺ返しを喰らっちまった。よりによってそれが誕生日のバッドプレゼントになっちまうんだから、ほんとうに間のわるいポンコツだよ・・・。魔は魔を呼び、不幸は不幸を招く。嘘はより大きな嘘で塗り固められ、無知な信念は善意の嘘で支配される。裏切りは身近なところから、思いもしない形で降りかかり、全てを灰燼に帰する。己れの愚かさ、不用心さを思い知った時は時すでに遅し。患ってばかりのこの数年で、生涯最低最悪の誕生日を迎えることになっ...最低最悪の誕生日

  • 小僧の石

    雨上がりの空に、思わず足を止めて写真を撮った。朝の空気は冷ややかだけど、4㎞ほどを折り返してきて汗をかきウインドブレーカーを脱いだ。4回目のコロナワクチンを打った右腕は3日経ってもまだちょっと痛かったが、腕が上がらないということもなく、熱はまったく出なかったので、朝からずっと雨だった昨日以外は今月はずっと歩いたり走ったりしている。退院から3週間目の診察を女子医大で受けて数値は問題なしとなり、暮れの28日にMRIを撮って今年は終わりだ。あらためて急性膵炎の原因が何かと問うと、免疫抑制剤と考えるのが自然だと「マリコ先生」は言う。だからと言ってそれが「薬害」とは思わない。夫婦とはいえ他人の腎臓を受け入れて、その免疫力がどれくらいなのか見極めて処方するのは極めて難しいことだから。入院中にナースや検査技師から聞いた...小僧の石

  • 女王陛下の焼そば

    握り寿司ゃ天ぷらは、江戸時代に路上の屋台から生まれたことは周知の事実だが、幕末から明治の世になってからは内蔵食=モツ焼、焼鳥、クズ肉・スジ肉を煮込んだ煮込み、牛めしなども登場し、焼いた田楽、味噌おでんは煮込みのおでん=関東炊きに姿を変え東京の路上から生まれた。文明開化のその時代、路上グルメの代表選手ともいうべき「文字焼屋」(まだお好み焼という名はない)はどうしていたのか?近代食文化研究会著「お好み焼きの物語」によれば、明治になって世の東西で食べられるようになった西洋料理と支那料理はマナーや敷居がいささか高かった。そんな料理店から安くてマナーを気にする必要のない庶民の洋食屋台が明治30年代くらいから東京の街に広がっていき、同じ時期に人形焼や鯛焼きなどの焼菓子の影響で衰退していた「文字焼屋」が、子供向けの洋食...女王陛下の焼そば

  • 1年経ってみて

    このブログに移ってもう176日経った。この前のもその前のブログサイトにもなかったサービスの1つに、時どき「貴方の1年前の記事です」とメールで知らせがくることで、備忘録のようにブログを使っている身にはなかなか便利で、読み返してあの時はああだったか、こんなことをしでかしてたかと、反省したり感謝したりしてついついたくさん読んでしまったりする。そういうことがあったので、下書きしただけで忘れていた昔の記事や、なぜかインポートしそこねて埋もれていた記事を掘り起こして【過去ログ発掘シリーズ】として最近アップしているのだが、病気の「ビ」の字も気にしていなかった頃の、まだおデブで呑んだくれてくだを巻いていた頃のおバカ記事は今読み返しても面白いしノリノリだし、まるで別人が書いたみたいだ。だから今後も掘り出し記事を、加筆訂正し...1年経ってみて

  • 港町名物「ふー」を食べる 「タコは見ていた」 外伝

    【過去ログ発掘シリーズ2006/7/19】 海沿いを走るローカル線に長いこと揺られ、その駅で降りたのは私だけだった。  電車が発車し、遠ざかると、とたんに静寂がおとずれた。  真夏だというのに、セミの鳴く声すら聞こえない。  ひんやりした駅舎を出ると、午後の陽がカッと照りつけ、汗がじわりとにじみ出るのを感じた。  小さなロータリーには客待ちのタクシーが1台、運転手は退屈しきって鼻をほじっている。  見渡すとどこか懐かしい感じのセピア色の港町で、駅舎のすぐ脇には、昔ながらの円筒形の郵便ポストが置かれ、その赤色がやけに目に鮮やかだった。 潮風の中に馴染みのある匂いがただよっている。  港を背にして数件の土産物屋が並んでいるが、どの店の店頭にも「たこ焼」の焼き台があり、そこから油とソースの入り交じった匂いが漂っ...港町名物「ふー」を食べる「タコは見ていた」外伝

  • お帰り🙌ファットバーン ゾーン

    昨日は前日までとは打って変わって良い天気☀️ということで♫ 歩きはじめたじーちゃんが赤いUAのじょじょはいておんもへ出たいとウエア着た ♪9時過ぎに自宅を出て白鬚公園に入り、歩いては走りを繰り返しながら、明治通りを渡って隅田川の遊歩道に進んだ。白鬚橋を越えて先へ行くのは1年半ぶりだろうか?距離を伸ばして、少しでも長い時間動き続けることがリハビリの第二段階。どこかから翔んできた塩辛トンボや赤とんぼを道連れに、とりあえず桜橋まで行って折り返そうと汗を拭う。舗装路を歩いたり走ったりする分には何でもなかった脚が、桜橋の階段を上るとちょっと重かった。桜橋を越えて、言問橋や吾妻橋まで行くのはもうしばらく先だな🤨桜橋架橋10周年記念のモニュメントの原画は、なんと「平山郁夫」画伯であった😳...お帰り🙌ファットバーンゾーン

  • 青雨寒暖

    我が家のベランダの大葉もそろそろ終わりか、花が咲いた。これを取るか、少し放っておいて穂紫蘇になってから刺身に添えようと様子を見ている。先週前半は晴れが続いていたから荒川の土手には蝶やトンボが翔び、バッタも跳びまわっていた。河原の草むらを歩き、サッカーゴールからゴールの間や野球のグラウンドの外野からバックネット間まで、行き帰りにをゆっくり走った。毎日、最低でも5㎞は歩き走ったが、まだまだダメだ、ま当たり前のことだが😕先月でようやく毎週の医者通いがなくなったが、今月は小僧の入院・手術があるから落ち着かない。晴れて良い陽気だったのが、後半一転して気温が下がり雨風が吹き荒れた。しかしタイミングよく雨が止んでいる間に外へ出て、ひと汗かいて戻ってくる途中でびしょ濡れになるというルーティンを続けた。さす...青雨寒暖

  • タコは見ていた

    過去ログ発掘シリーズ2006年5月23日 ふと後ろを振り返ると、そこにはタコの足がありました。  タコの足は1本ぽつんと行儀よくそこに座っていました。   居間で新聞を読んでいる時、視線を感じて振り返ると、やはりそこにはタコの足がありました。  タコは同じ姿勢のまま、じっとこちらを見つめているのです。   トイレでしゃがんでいました。  気がつくと戸のかたわらに、タコの足が静かにかしこまっているのです。   なんだか寒くて、布団にくるまって寝返りを打ちました。  視線の先にタコの足が休んでいました。  穏やかな寝息をたてているような気もします。   家の中では、どこにいてもタコの足に見られているのです。  それはわたしだけが感じている幻想なのか、かあちゃんに聞いてみることにしました。  テレビを見て背中を...タコは見ていた

  • オットコマエのばあさん、恐るべし

    【過去ログ発掘シリーズ2005年9月27日】 選挙も終わり、小泉総理が余裕しゃくしゃくで所信表明をしているニュースをみていて、我が家のばあさんが元気だった頃の話を思い出した。それは、午前と午後の両方TVで国会中継が行われた時のこと。ばあさんは一心にその中継をみていて、突然憤慨し、某国営放送局へ電話し、ラチがあかないと知るや、今度は某朝日新聞へ電話。なにやらメモを取ったと思ったら、再び受話器を取り上げ、プッシュボタンを慎重に押し始めた。ややあって相手が出ると、落ち着いて話し始め、しばらく待たされた後「地元の支持者だってテレビをみているんですからね。しっかりしてくださいよ」と噛んで含めるように言うと、満足したように受話器をおいた。その間テレビは、国会議員の退屈なダラダラとした読み上げを写している。再びテレビの...オットコマエのばあさん、恐るべし

  • パザニア、ニョッポギ、スイカニンジン

    「ハトシ」を作ったときに切り落としたパンの耳の一部は揚げて塩とカレー粉をまぶして食べてしまったが、大部分は冷蔵庫で保存しといた。退院したらラスクでも作ろうかと思ったが、ちょっとまてよ、無難すぎてつまんねぇなあと思い直した。すると夢枕にパスタの神が現れてこう囁いた。「バッカスの僕よ、近ごろラザニアをないがしろにしておるな」と。そう囁かれてもこの5年ほど、いろんな食事制限や絶食が続いていたためラザニアとはすっかり縁がなくなり、すんなり絵が浮かんでこない。はて?イタリアかスペインのイカしたお姉さんの名前?「ラザ〜ニャ💋」はたまた昭和の良い子の頃、川や田んぼで捕りまくった「エビラ」のモデルのあれ?それ、ザリガニ‼️ラザニアとニしか合ってないし😆などとおバカな妄想をしていて、ラザニア...パザニア、ニョッポギ、スイカニンジン

  • ほくそ笑みがえし (過去ログ発掘シリーズ)

    2016年2月の過去ログより「スーちゃん」の実家が千住新橋を渡ったところにあった釣具屋だったので、オイラたち昭和の良い子はチャリで見に行ったりして、用もないのにウキなんぞ買っちゃったりしたものだ。「ランちゃん」はその当時からちょっと色っぽかったので、オイラは庶民的でプクプクした「スーちゃん」派だった。でも今見ると「ミキちゃん」もいいやね、どうしてるんでしょうかね?というわけで、「キャンディーズ」のラストシングル「微笑みがえし」であります。良いよねぇ、振り付けが昭和だよねぇ、良い時代だったような気がするけど、親の世代は世知辛かったことも多々あったんだろうねぇ。今はもっと世知辛く、往生際の悪い大人が目立つよねぇ。それではみなさん、「微笑みがえし」のメロディーにのせて、唄っちゃいませう。🎶「ほく...ほくそ笑みがえし(過去ログ発掘シリーズ)

  • 元気があればなんでもできるんダー!!!

    かつて千住の呑み横にあったカウンターだけの小さなお店に、仕事が終わってからご飯を食べによく行っていた。ある晩ママが常連さんに、「ちょっと待ってね、もうすぐイノキが来るから」と言った。えっ!!  と振り向いたオヤジの脳裏に燃える闘魂「炎のファイター~INOKIBOM-BA-YE~」が鳴り響く。『おい、本当かよ』とワクワクして待っていると、「お待ちどうさま」と言ってマスターが入ってきたその手には、エノキの袋がのっていた😳なんとママは茨城弁で「エノキ」のことを「イノキ」と発音していたのであった、チャンチャン🤪今から42、3年前の六本木、バーガーインを背にして外苑東通りを渡り、ロアビルの隣にあったビルの2階に「アントンリブ」があった。生意気にも六本木5丁目に住んでいた若造は、1、2...元気があればなんでもできるんダー!!!

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