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藤圭子を聴く、藤圭子を読む  https://czb00023hgoto.livedoor.blog/

このブログでは、藤圭子の歌と論評を紹介していきます。 最終的には、できるだけ詳しい彼女の履歴(年表)を作成したいと考えています。

藤圭子資料室
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2022/09/02

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  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(5)

    他人のバクチ代に消えた両親の稼ぎ 私は小学校に入学する年頃になったとき、ふたたび旭川の知りあいの家にあずけられることになりました。その家にはすでに、博兄さんと冨美恵姉さんがあずけられていたのです。 しばらくして、この家が大へんなところだとわかりました

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(4)

    ひもじさの中で知った両親の愛 東北や北海道の冬の巡業はたしかにつらい思い出でした。零下二十八度もある留萌や旭川のしばれるような寒さ。雪で両親が巡業がなく、わずかばかりの馬レイショで夕飯をひもじい思いをしたこともあります。お金がなくて汽車に乗らずに半日も

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(3)

    幼な心に知った喜怒哀楽 父は私のことを「純ペ」と呼んでいたそうです。まだ生まれる前の母のお腹が、大変に大きかったので、「こりゃきっと男の子だろう」ということから、そんな男の子みたいな呼び方をしていたのです。 さて、母が私をおぶっていてはやはり、仕事に

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(2)

    汽車の中で陣痛を起こした母 私が母のお腹にいる頃はひどい貧乏で、母は大きなお腹を抱えながら、一日も休まず旅から旅の生活を続けていたそうです。その旅は、北海道を中心に、東北の田舎町から新潟と流れまわり、お祭りとか工事現場の飯場、養老院の慰安会などが稼ぎ

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(1)

    私の十八年〈涙の記録〉 盲目の母とともに十五、十六、十七 と暗い人生をたどった灰色の青春譜 藤 圭子(歌手) しがない旅芸人の子と生れ 私は17になったばかりで、手記を書くといっても

  • 藤圭子の時代(完)上野昻志

    1969年初頭の東大安田講堂攻防戦は、テレビで二日間にわたって放映されたこともあり、一般的にも注目を集めたが、私の記憶に強く残っているのは、日付けがはっきりしないために、ここに挙げなかった広島大学のバリケードをめぐる攻防戦である。当時耳にした噂では、広

  • 藤圭子の時代(2)上野昻志

    ここで、クロニクル風に、1969年の表立った事件を挙げておこう。 1月2日 皇居の一般参賀で、ガラス越しに人々に手を振る天皇に向けて、奥崎謙三が「山崎、天皇を撃て!」と言いながらパチンコ玉を撃つ。1月3日 唐十郎率いる状況劇場が、開発中の新宿中央

  • 藤圭子の時代(1)上野昻志

    藤圭子の時代(1)上野昻志  あれは、新宿のゴールデン街だったか、それとも、いまは路地そのものが消えた緑苑街だったか、カウンターに7,8人も座れば一杯になりそうな小さな酒場で、ウイスキーのグラスを傾けているときに有線から流れてきたのが、あの歌だった。

  • 藤圭子のようになりたかった(完)渚ようこ

    ―どの曲が好きですか やっぱりヒットした曲は全部好き。「圭子の夢は夜ひらく」とか「命預けます」とか「新宿の女」とか「京都から博多まで」とか「女のブルース」とか皆好きだし、前川清さんの歌をカヴァーした「逢わずに愛して」。ライブ盤でも、「銀座カンカン娘」と

  • 藤圭子のようになりたかった(1)渚ようこ

    藤圭子のようになりたかった 渚 ようこ ―藤圭子さんの死を聞いて、どう思いましたか。 歌を歌う人って、すごく紙一重なところがあると思います。だから、そのぎりぎりの紙一重のところを超えてあちら側にいっちゃったんだなと思いました。ちょっとびっくりしたけ

  • 若い世代の藤圭子論

    最近、若い人たちの「藤圭子論」が目に付きます。二つほど紹介しておきます。若い世代の間で藤圭子さんへの関心が高まるのは嬉しいですね。よく見ていると思います。(1) 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」迫真の歌唱で思わず涙が出てしまった【Room3の見れるラジオ】

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