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藤圭子を聴く、藤圭子を読む  https://czb00023hgoto.livedoor.blog/

このブログでは、藤圭子の歌と論評を紹介していきます。 最終的には、できるだけ詳しい彼女の履歴(年表)を作成したいと考えています。

藤圭子資料室
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2022/09/02

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  • 〈卓上四季〉圭子の歌

    北海道新聞2023年8月23日<卓上四季>圭子の歌 日本人形のように愛らしい小柄な少女だった。それが歌い出すと、すごみのあるハスキーな声。驚くほどうまい。10代後半のデビュー直後からスターとなった。藤圭子さん。時代を画す女性歌手を歌姫と呼ぶなら、文句

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの族(完)酒井隆史

    と、ここまでは助走であって、私が強調したいのは、歌姫ヨゼフィーネが、ねずみ族から見捨てられたようにみえるが、そうではなくねずみ族を見捨てたという一点である。われわれは彼女から見棄てられたのである、そうかんがえると、重い心はすこしだけ軽くなった。 「

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの族(3)酒井隆史

    どういう話かというと、ねずみ族がまず出てくる。ねずみ族には歌姫ヨゼフィーネがいる。彼女は、たいして芸があるわけではなく、ねずみ族の「ちゅうちゅう」というふつうの鳴き声を繰り返しているだけのようにみえる。しかし、その鳴き声は族のねずみたちを惹きつけ、彼女

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの族(2)酒井隆史

    彼女は、デビュー当初から、みずからの声が吞んでいるドスの抜身の見せ方が隠し方がめっぽううまく、リズムの微妙なズラしを通して-それは彼女の抜群のリズム感を示している-、ふとした不安、疲労、やるせなさやさびしさを表現することに異常に長けている。総じていえば

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの旅(1)酒井隆史

    歌姫藤圭子、あるいはねずみの旅 酒井隆史  子供のころは藤圭子と藤純子の違いがよくわからず、少し成長してからも「圭子の夢は夜ひらく」を気が向いたときに口ずさんでいた程度の筆者が、藤圭子に突如熱中しだしたのは、十数年前に二枚組のLP『歌いつがれて25年

  • 瞽女(ごぜ)の娘(完)大石始

     輪島裕介さんの名著『創られた「日本の心」神話――「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)には、50年代末、時代の波に押し出されるようにレコード歌手へ転向していった浪曲師のことが紹介されている。双葉百合子、村田英雄、三波春夫。  同書において

  • 瞽女(ごぜ)の娘(4)大石始

    本稿ではそのガセネタの大元を突き詰めることはしないが、水上勉の「はなれ瞽女おりん」(75年)や、同作を原作とする篠田正浩の同名映画(77年)に象徴的に描かれていたような瞽女の哀しみ、苦難を藤圭子の半生と重ねたくなったその人物の気持ちは分からないでもない。

  • 瞽女(ごぜ)の娘(3)大石始

    浪曲と浪花節は基本的に同じもので、浄瑠璃などと同じ語り物の一種。明治時代初期、説教節や祭文、阿呆陀羅経などが融合した浮かれ節が発展する形でそのスタイルが確立された。後に上方の芸人、浪花伊助がブレイクしたことから〈浪花節〉と呼ばれるようになったが、浪花節と

  • 瞽女(ごぜ)の娘(2)大石始

    71年に『演歌の星 藤圭子』(ルック社)という藤圭子の自伝が出ている。同時期にいくつか世に出た藤圭子の半生記同様、苦難に満ちた彼女のライフストーリーを強調しようとするあまりいくつかのエピソードが多少捏造されていそうな気配はあるものの、事実と思われる箇所を

  • 瞽女(ごぜ)の娘(1)大石始

    瞽女 (ごぜ)の娘 大石始  藤圭子の母は瞽女である――都市伝説めいたそんな話を耳にしたのはいつのことだったろうか。 藤圭子の母ということは、言うまでもなく宇多田ヒカルの祖母。日本歌謡界の大スターである母とその娘が中世から続く放浪芸の流れをくむ瞽女

  • 昭和の夜に咲いた花 YAMAOKA Kimiko

    昭和の夜に咲いた花。 YAMAOKA Kimiko 歌手の藤圭子の訃報に驚いている。藤圭子、と言ってもこのブログを読んでいる人たちはどのくらい知っているだろうか……宇多田ヒカルの母親ということのほうがわかりやすいかもしれない。 大学を学園紛争が荒れ狂うころ

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(完)

    幸運だったピンチ・ヒッター  中学の卒業式をあと一カ月後に控えていたころ、岩見沢で雪まつりショーが催されることになりました。ところが出るはずの新人歌手が、急に出られなくなりって、そのピンチ・ヒッターの役が、私に廻ってきました。その話はもともと、私をヒイ

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(8)

    湯治場で初の出演料 中学校二年のとき、弁論大会があって、私は「困難に打ち勝とう」という題で参加しましたら、それが優勝してしまいました。 そういうもっともらしい反面、お茶目なところもありました。授業中に漫画を描いては。友だちに廻して、いたずらをしたこと

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(7)

    小学校四年で歌手の道へ ところで、小学校時代の私は、どうだったかなぁ……って、考えてみます・どうもあまり目立たなかった存在のようです。先生にある問題を出されたとします。心の中では、答えよう答えようと思ってぐずぐずしている間に、ほかの人に答えられてしま

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(6)

    必死でとった父の給金 冬でした。どの年も冬という季節は、私たち一家に貧乏風がいつもより強く荒れまくる感じでした。とにかく左官の雇主から給金をもらわないと一家が餓死してしまいます。 そこで、母を先頭に、兄と私は、毎日のように雇主の家へ通い詰めて、「お金

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